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禅的哲学 https://blog.goo.ne.jp/gorian21

禅的視座から哲学をすると、こんな景色が見えてくるのではないだろうか。

私は禅者ではありません、仏教者でさえありませんが、多少ものを見る目はもっていると自負しております。

御坊哲
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港南区
出身
御坊市
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2013/12/07

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  • 神様がいるのといないのとではどう違うのだろう?

    日本人には無神論者が多いと言われるが、昔話に出てくる日本人は大抵信心深い人々がほとんどである。それは日本人だけではない人類に共通した普遍的な傾向である。それはわれわれの理性がそれを要求しているからだと考えられる。神を信じることは非理性的と考える人がいるかもしれないがそうではない、理性が無ければ神は必要ない。人間以外の野生動物はおそらく神などというものは信じていないはずである。理性は英語でreasonと言う、日本語の理由もまたreasonである。日本語に翻訳する場合は文脈によって判断しなければならない。とにかく理性は理由を求める、なにごとにも理由がなければ納得しないのである。「ものごとにはなんでも理由がある」と私たちは考える。人間理性のあくなき探究心は科学に目覚しい進歩をもたらし、現在の宇宙は138億年前の...神様がいるのといないのとではどう違うのだろう?

  • 共同幻想としての国家、通貨

    今から半世紀以上も前のことになるが私が学生だった頃に、思想家の吉本隆明が「共同幻想」という言葉を敷衍させたように記憶している。われわれの社会は共同幻想というある種の思い込みによって成り立っていると言うのである。その共同幻想の最たるものが国家であろう。もともとは共通の神話を信じる者同士の集まりに過ぎなかったものが、法律や行政制度を整え縄張りとしての国境を画定すれば、そこにあたかも実体的な国家というものが存在すると誰もが信じるようになる。しかも、それは各個人に対して強制力を持つようになる。例えば、日本に生まれた子供は一定の年齢に達するとみんな学校へ通い出す。言わばみんなの思い込みによって成立した国家が、今度は膨大な約束事を通じて私たちの生活全般にいわゆる「社会生活」というものを課してくるのである。現代社会では...共同幻想としての国家、通貨

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