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アヴァンギャルド精神世界 https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧

naitoukonan
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2013/11/11

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  • きくち体操考-2

    ◎老化と癒し、パーツと身体全体の調整きくち体操を始めてから1週間程度だが、明らかに何十年鍛えていなかった、ふくらはぎ裏、もも裏、足首回りの筋肉が痛いのと、手指の一部の血行がよくなっている感触がある。菊池和子氏は、ひざ裏などを延ばすことに熱心であり、中野ジェームズ修一氏が筋肉は15秒過ぎてから自分で延びて来るとするのだが、きくち体操では、平気で1分くらい延ばさせたりもしている。きくち体操は、時により足の指広げと握り・放しとマッサージと足首回しだけで15分以上かけたりするのだが、これが必ず毎回メニューの最初に入って来る。椅子生活中心に変化した現代人が最も触らない部位は足裏であり、足裏・足指から鍛え始めるというのは、きくち体操の発見であり、オリジナルであるというのは、もっともなことであると思う。冥想に関心を持ち...きくち体操考-2

  • 神の子カッサパが釈迦に質問しながら自分で回答する

    ◎想念停止、空、善行、えり好みをしない修行僧カッサパは、「釈迦が修行者として実行するための教えを説いてくれなかった」と釈迦にぼやきながら、「それは一人で暮らし瞑想し、心を静めることだ」と自分で回答し、これを釈迦に誉められた。『第二節カッサパ(その二)一〔あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に住しておられた。そのとき、カッサパという〈神の子〉は、夜が更けてから、容色うるわしく、ジェータ林を遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。二傍らに立ったカッサパなる〈神の子〉は、尊師のもとで次の詩をとなえた。「修行僧が瞑想に入り、心が解脱し、心の思いの起こらぬことを望み、世の興亡盛衰をさとって、善い心で、こだわることがないならば、す...神の子カッサパが釈迦に質問しながら自分で回答する

  • マグダラのマリアとイエス

    ◎ヨハネもユダも全貌を承知していたイエスは、十字架上で大悟覚醒したのだから、救世主と称することができるのは、磔刑以降となる。様々な超能力を駆使できたのは決して覚醒の印でなく、それ以前の段階でもあり得ることは、ご承知のとおりである。ヨハネはイエスに洗礼を施した人物として知られていて、その評価は洗礼を施したからにはイエス以上に高くされることがある。さてベタニアのマリア(マグダラのマリアとされる)は、磔刑までまもなくの時期に、イエスの足に高価な香油を塗り、我が髪で拭った。(ヨハネ12章1~11節)さらに彼女はイエスが十字架につけられるのを遠くから見守り(マルコ15章40-41等)、イエスが埋葬されるのを見つめた(マルコ15章47)。さらに彼女は、磔刑後イエスの遺骸に塗るために香油とアロエを買い求め、墓に戻った(...マグダラのマリアとイエス

  • クリシュナムルティの不倫と妊娠中絶

    ◎ニルヴァーナにしばしば入ってもクリシュナムルティ本の翻訳者には二方いて、大野純一氏と大野龍一氏。その大野龍一氏は、2021年に鬼籍に入った由だが、クリシュナムルティの私生活について重要な言及をしている。(出所:http://koledewa.blog57.fc2.com/blog-entry-91.html)おおまかに言えば、クリシュナムルティの後半生の生活の面倒を見ていた彼の親友ラージャゴパル氏の奥さんと長年肉体関係を継続し、その奥さんロザリンドはクリシュナムルティの子を妊娠し、複数回中絶していることである。この暴露本“LivesintheShadowWithJ.Krishnamurti”byRadhaRajagopalSlossの著者は、そのロザリンドの娘ラーダ。ラーダは、長年父母とクリシュナムルテ...クリシュナムルティの不倫と妊娠中絶

  • 雑誌プレジデントで瞑想特集

    ◎実用目的瞑想で、短時間瞑想だが雑誌PRESIDENT2022年9.16号は瞑想特集だ。中身は、こんな感じ。1.マインドフルネス瞑想には次の効能がある①注意力をコントロール②感情を制御③自己認識力向上④リーダーシップが身につく⑤組織における人間関係性が向上2.多忙でも続けられる「1分間瞑想」として、急須でお茶瞑想、1分間呼吸瞑想、音の瞑想、キャンドル瞑想など。さらに「スキマ瞑想」ガイドとして、「つり革瞑想」、「歩行禅」、「闇で瞑想」などが挙がっている。いずれも仕事の集中力や効率性を上げることやストレス解消を狙う冥想である。だが一方でビジネス・パーソンは、公私において概して時間がないものだから、例えば30分連続の自由に使える冥想時間を毎日捻出するというのは大変なことである。その上最近はスマホでSNS、モバゲ...雑誌プレジデントで瞑想特集

  • 栄西の建仁寺に食べるものがない

    ◎NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、13人の武人勢力同士の権力闘争甚だしく、当時の世相が描かれることはほとんどない。その蔭に隠れて、日本の禅興隆の基礎を築いた栄西が鎌倉幕府二代将軍源頼家の外護により京都に建仁寺を建立などしていた。栄西は、源頼朝一周忌の導師を務めたり、北条政子建立の寿福寺の住職に招聘されたりした他、二代将軍源頼家の子栄実を膝下で弟子として預かったりして、「鎌倉殿の13人」に深くかかわっている。建仁寺で修行した一人が道元。栄西の逸話と言えば、正法眼蔵随聞記に建仁寺で食べ物がなくなった時のことが書いてある。たまたま栄西が信者のところで絹を数反もらってきて、それを食事係に渡して、これを金に換えて明日お粥を皆に食べさせなさいと命じた。するとそこに別の信者がやっ...栄西の建仁寺に食べるものがない

  • 仙台育英、百年の扉を開く

    ◎拝みたい者には、築山でも作って拝ましたらよい東北勢の高校として仙台育英が初めて夏の甲子園で優勝し、百年の扉を開いた。(第104回全国高校野球選手権大会(仙台育英8-1下関国際、2022年8月22日、甲子園)。東北の大自然の深さは、東北の人にしかわからないところがある。出口王仁三郎の霊的世界では、もともと地の真上に北極星があったものが、世の大峠である世界の終わりにおいて、世界的大洪水とともに発生した地軸の傾斜により、北極星は、東北に傾いた。これが現在の姿。世界の主宰神は、艮の金神というなじみのない名前で呼ばれるが、艮の金神は、悪神軍団によって、世界の東北である日本に軟禁、押し込められて数千年を経ている。これが最近扉を開いて出てきたというのが出口王仁三郎の主張。日本においても、東北地方は、道の奥、道奥であり...仙台育英、百年の扉を開く

  • 日本人マッソンの禁止と出現

    ◎宗教破壊、文化破壊戦前の婦人記者のはしりである犬塚きよ子によれば、1864年長崎に大浦天主堂ができてキリスト教布教開始すると同じ年に、横浜のイギリス系マッソン結社であるスフィンクス結社が、「日本一番乗り」の集会を催したという。明治維新の日本は、インドの植民地化や中国のアヘン戦争がマッソンの仕業なることを熟知しており、欧州大陸マッソン、アメリカ・マッソン、スコティッシュ・ライト・マッソンがそれぞれ競争、協力して、アジア侵略、収奪を行っていく中で、日本は、欧米との不平等条約撤廃に半世紀を要し、対策として「日本人がマッソンに加盟することを禁止した」のは英断だった。それでも戦前からマッソンに加入した日本人はいた。参考:『明治二七年(一八九四年)日清戦争の際、陸奥宗光外相が英国との間に治外法権撤廃に成功したが、完...日本人マッソンの禁止と出現

  • 聖者の組成するグループ

    ◎未悟の教祖やエソテリック・グループ聖者は、エゴを解放し覚醒した人。賢者は、エゴを未解放であって、覚醒していないが物知りの人。そういう定義において、賢者の振る舞いは、いわば教団内の政治家のように権力者のようである。そういう人物は、そういう賢者を教祖とする組織宗教において、いくらでも見かけることができる。賢者がエゴを残す以上は、賢者は常に一番でいたいから。一方で聖者は、孤独なものだ。その独特の世界感である『すべてが見知らない』ということ。かといって寂寥には陥らないが、故郷を失った感はある、無何有郷。聖者が孤独でないと言う場合、何千年前、何百年前の聖者達や神仙のサポートがあることをほのめかす。これは、密教での大悟の伝承がしばしば数百年前のマスターから行われていることで知られる。鍾離権から呂洞賓などの例がある。...聖者の組成するグループ

  • マッソンが終わりの世に疫病をもたらす予言

    ◎午頭天王とはマッソン午頭天王を祀る神社仏閣が時々ある。これによく似たのが牛頭天王だが、これは素戔嗚尊(スサノオノミコト)のことで全く異なるもの。実は午頭天王はマツソンのこと。出口王仁三郎が、日本にマッソンが入った事始めは、吉備真備だと指摘している。西洋でマッソンと言えば、15世紀末のスペインを源流に欧州各地に広まったというのが世の定説だが、出口王仁三郎の俯瞰では、日本に入ったのは8世紀であって、マッソン的なものは大昔からあったものだと見ている。日本の古殿伝では、マッソンが終わりの世に疫病禍をもたらすと自ら宣言しており、その場合『自分は『我が在る』マッソン勢力を信奉している』旨のマントラを唱えれば疫病にかからないなどと言っている。このコロナ禍の時代に手が込んだ予言もあったものである。まず、牛頭天王と午頭天...マッソンが終わりの世に疫病をもたらす予言

  • 下実上平

    ◎体外に出る大悟覚醒の条件としては、上位三チャクラ主体に行くことであって、どうしても上の方に目が行きがちである。また体外に出ると言えば、モンローらが盛んに宣伝したおかげで、アストラル・トリップやメンタル体トリップの話題に関心が惹かれがちなのだが、そこは本丸ではないのも知られている。またクンダリーニ上昇と言えば、チャクラの話なのだが、本山博ですら、チャクラなどと言っているうちは大したことはないとしている(チャクラの覚醒と解脱/本山博/宗教心理出版P226-227)。古代ギリシア人ですら、垂直ジャンプでないアストラル・トリップをトビウオとして一段低く見ていた。以下は、本山博の体外離脱条件としての下実上平の話題。『下実上平ということ身体の外に出る時は、必ずその前に、いつもよく言うように、下実上平の状態になってい...下実上平

  • 洞山の大悟

    ◎洞山、大河を渡る時に自らの影を見て悟る唐代の禅僧にして曹洞宗の開祖である洞山は師雲巌と別れ、湖南省の潭州(長沙)に向かった。潭州に着いて大河を渡るとき、兄弟子神山が先に渡り、洞山は後から岸を離れた。まだ対岸に着かないうち、洞山は水の面に映った自分の姿を見た途端、あの公案(臨水觀影大省前事)の奥義を悟った。思わず顔色が明るくなり、呵々大笑した。(顔色変異呵呵底笑)洞山「兄弟子よ、あの雲巌先生の教えられた力がわかりました。(得个先師従容之力)」「それが本当なら、言葉に出してごらん。」洞山は詩を作って述べた。「外側を探すことは禁物だ。(切忌随他覓)はるかにわたしと遠くなってしまう。(超超与我疎)私は今ひとりで行くけれど、(我今独自往)到る所で彼に出合う。(処処得逢渠)彼は今まさに私だ(渠今正是我)。私は今決し...洞山の大悟

  • 肯定的アプローチと否定的アプローチ

    ◎「神秘に取り殺される」ことと空への直面神仏への肯定的アプローチとは、すべてのすべてを、実存、神、仏、絶対者、ニルヴァーナなどと呼ぶ方向。人はそう呼んだ瞬間に、頭の中で一円相のような境界のあるようなものを想像し、それでもって神仏をわかった気分になれるという弊害がある。またその生活に向かう態度はともすれば何でもありで享楽的に見える。七つの身体論はその典型である。マラソンレースのように、さも何かすべての人が共通のゴールを目指して進むのだという誤解を生みがちである。あるいは、ニルヴァーナを以てすべては終わってしまっていると思い込みがちである。神仏への肯定的アプローチは、わかりやすいが、神仏について限界、境界を作りやすい。とてもではないが、その体験とは言えない体験では「神秘に取り殺される」という始末になるなどとい...肯定的アプローチと否定的アプローチ

  • ラヒリ・マハサヤがババジを呼び出す

    ◎聖者は呼ぶとすぐに現れるラヒリ・マハサヤは、大聖ババジの弟子。ラヒリ・マハサヤは、ラヒリの過去世からの欲望を満たすために作られた豪奢な宮殿の中で、ババジからクリヤ・ヨーガを伝授された。その一週間後にラヒリは至福に至り、神を認識した。その後まもなく、ラヒリは、モラダバードで友人達に会い、悟後ということで高揚した気分でその体験を語るが、友人達は半信半疑。そこでラヒリは、勢いで、私が呼べばババジはやって来ると宣言した。『彼は窓のない静かな部屋に入り、呼ぶまで外で待つよう友人達に言った。ラヒリは瞑想してババジの出現を頼んだ。部屋は光に満ちて輝く姿のババジが現われた。ババジは些細なことで自分を呼んだとラヒリを厳しく叱責し、真理はくだらない好奇心を持った人間のためではなく、霊的な真理は懐疑を乗り越えた者に発見される...ラヒリ・マハサヤがババジを呼び出す

  • 聖徳太子と草薙御神剣

    ◎仏教受容時の古神道勢力との抗争草薙剣は、熱田神宮にあるのが本物(天叢雲剣)であって、宮中にあるのはイミテーション。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』で、源義経が壇ノ浦で安徳天皇奪還に失敗した際、三種の神器も海中に沈んだ。後に鎌倉殿は、海中を捜させ、鏡と勾玉は発見されたが、草薙剣のイミテーションはついに回収できなかった。この後伊勢神宮から献上された剣が正式なイミテーションとされた。聖徳太子に草薙剣について微妙な伝承がある。『其の八【草薙御神剣(くさなぎのみつるぎ】太子は、ある夜、夢をみました。それは、日本の古代の夢でした。日本の古代の神々があらわれ、太子の真意を尋ねます。「汝は、何が為に異国の教えをこの国に持ち込むのだ」太子は、答えます。「やまとの国ぶりを失わないためであります」すると、多くの神々は、それ...聖徳太子と草薙御神剣

  • きくち体操考

    ◎ハタ・ヨーガ以前の状況だがいろいろなトライもあるきくち体操は、中高年、どちらかと言えば老人向きの体操。最近YouTubeできくち体操の動画を集め、早速全体の三分の二くらいやってみた。同時に『日めくりきくち体操』というのも購入し、全体のメニューも確認し、YouTubeに上がっていないポーズも確認している。私は若い時から八段錦とか脚の屈伸とかスクワットなどは毎朝欠かさずやってきているのだが、60代になってどうも体操メニューが足りないという印象を持っていた。そこで中野ジェームズ修一氏の『体が硬い人のための柔軟講座』(ストレッチ系)を買ってきてNHKの番組を録画で確認したが、すべてのメニューの半分もできないことがわかり、追加で『ものすごく体が硬い人のための柔軟講座』を買ってここ2,3年やってきている。これは、最...きくち体操考

  • ビシュダ・チャクラ-メモ-2

    ◎なんともいえない恐ろしい体験本山博がビシュダ・チャクラを開顕するさいに、なんともいえない恐ろしい体験をしている。『ちょうど、晩秋の夕暮れ、太陽の沈んだ直後、まだ薄明りが残って、空が透明なスミレ色に明るいとき、人や物が動いているのに、一瞬の間、天地が静寂そのもので、死んだように静まりかえって感じられるときがありますが、ヴイシュダが目覚めるときの感じは、これによく似ています。狭いスミレ色の光がみなぎり、すべてが消えて寂滅を楽しむ感じがして、心は静けさそのものにつつまれます。仏教の偈に諸行無常、是生滅法生滅滅已寂滅為楽というのがあります。これは、一切の万象は、生じ滅するものであり、この生滅を滅し超越して、寂滅(無の状態)をもって楽しみとするという意味ですが、ヴィシュダが目覚めるときの心境は、まさにこの寂滅為楽...ビシュダ・チャクラ-メモ-2

  • 神の呼びかけをきく

    ◎聖音オームと谷神クンダリーニ・ヨーギ本山博が、見神・見性・見仏体験者と仏人合一体験者との違いを説明している。その中で、聖音オームを聞く話と、我と仏の間の薄皮一枚の差について述べている。『神の呼びかけをきくその時は、仏教の本に、まだ菩薩の段階にあるのとすでに仏陀になった状態との違いは、菩薩の段階では、向こうの仏陀の状態がみえるけれども、そこと自分との間に薄い透明な紗のようなベールがあって、向こうが見えるのにそこまで届かないような感じ、というような叙述がありますが、ちょうどそれと同じように、カラーナの次元では、真我が目覚めてくるのだけれども、真我そのものになっていない。つまりカラーナの次元をこえないと、カルマはこえられないのですが、そのカラーナは十分に動いてきて、透明な光が輝くようになった。すると、真我、つ...神の呼びかけをきく

  • 仏に逢ったら仏を殺せ、親に会ったら親を殺せ

    ◎釈迦といういたづら君の世に出でて多くの者を迷はするかな『仏に逢ったら仏を殺せ、親に会ったら親を殺せ』。これは、悪魔教ではなく、陰謀論でもなく、無差別テロでもなく、禅の大物マスター臨済の言葉である。この言葉は、一休が、『釈迦といういたづら君の世に出でて多くの者を迷はするかな』という歌を詠んでいるが、それと同じ見方から来ている。この臨済の元々の言葉(「臨済録」示衆)は、『内においても外においても出会ったものはすぐ殺せ。仏に逢うては、仏を殺し達磨に逢うては、達磨を殺し羅漢に逢うては、羅漢を殺し父母に逢うては、父母を殺し親類縁者に逢うては親眷を殺してこそ初めて解脱して自由自在となる』冥想修行者は、まずは第六身体アートマンとの合一を本来の自己(宇宙全体)の悟りを目指すと見れば、それ以外のあらゆるものは、釈迦だろう...仏に逢ったら仏を殺せ、親に会ったら親を殺せ

  • ビシュダ・チャクラ-メモ

    ◎上昇するウダーナ気と浄化機能ビシュダ・チャクラは、のどのチャクラ。チャクラは、肉体には検出されず、エーテル体、アストラル体、メンタル体にある。現代文明のテーマは、臍のマニピュラ・チャクラ段階から胸のアナハタ・チャクラ段階に進むことなので、ビシュダ・チャクラにはこれまであまり言及することはなかった。本山博のビシュダ・チャクラの説明のあらましは以下のようなものである。1.ビシュダ・チャクラの覚醒法は、いくつかのアーサナやマントラ。マントラの例として虚空蔵菩薩求聞持法を挙げているが、百万遍と言われるものであり、生半可なものではない。虚空蔵菩薩求聞持法に成功したのは空海、覚鑁、日蓮など。マントラの種類では、虚空蔵菩薩求聞持法のマントラとオームを挙げている。2.ウダーナ気は、のどより上と手足で働いている気だが、上...ビシュダ・チャクラ-メモ

  • カルマとの向き合い方とカルマを超える方向

    ◎行の実践によりカルマを速く消化人は、行住坐臥の一つ一つごとにカルマを消化するが、その際カルマの中に落ち込む方向か、カルマを超える方向かどちらかを向いている。前者のカルマの中に落ち込む方向には、2種類あって、カルマがよくわからない人と、カルマがわかっているがよいところだけとって悪いところは避けて通る現世利益的な信仰の人がいる。この2種の人は結局カルマの通りに落ちがちである。世の中に現世利益を唱える宗教は多く、スピリチュアルでも引き寄せを唱えるものも多い。表面的にはうまい話に見えるかもしれないが、どちらもカルマの通りに落ちがちである。後者のカルマを超える方向に進むためには、クンダリーニ・ヨーギ本山博は、毎日集中して坐る行を勧める。行の実践によりカルマ消化速度が一生で解消する速度の何十倍速にもなるというような...カルマとの向き合い方とカルマを超える方向

  • 生きていてもカルマ死んだ後もカルマ

    ◎richorpoor浅いカルマ、深いカルマクンダリーニ・ヨーギ本山博のカルマ論は、「生きていてもカルマ、死んだ後もカルマ」だからまずカルマを受け入れるところから冥想修行を始めなさいということで、目から鱗が落ちる思いがする。カルマと言えば、野菜を何円安く買えたとか、スマホを何円安く買えたとか、値段度外視で自分へのご褒美スウィーツを買ったとか、とかく損した得したでカルマを考える場合が多い。さらに結婚できたできない、離婚したしない、不倫したしない、就職できたできなかい、病気になったならないなど、もっとのっぴきならないものもカルマのうち。最近だと、自分があまりリッチでない家庭に生まれ、大学に奨学金で通うことになったけれど、大学卒業時点で〇百万円の借金を背負って社会人スタート。これでは恋愛も結婚も制限され、カルマ...生きていてもカルマ死んだ後もカルマ

  • 早朝冥想の高い効果

    ◎ダライ・ラマの心に集中する冥想ダライ・ラマは、冥想修行には四段階あるとする。曰く、1.最初は戒律を守って、心が次第に落ち着き、穏やかになって行く。これでがさつで気分が散乱するようなことがなくなっていく。2.心に深く集中する冥想。これを禅定とも呼ぶ。これは、次の智慧を確固とする冥想の前段として必要。3.智慧を確固とする冥想。4.最後は、死の瞬間における明澄な光からなる心を出現させる。2段階目の禅定の達成のための冥想時間としてダライ・ラマは、特に早朝、目覚めたばかりの時間帯の冥想がよいとする。『自分の心そのものに集中する瞑想の準備のために、善い功徳を積み重ねるということによって感情的な障碍を克服する必要があります。次の段階は、自分の心の本性がわかるようになることです。そのための最高の時間は早朝です。起床直後...早朝冥想の高い効果

  • ダライ・ラマ、中国共産党の未来をほのめかす

    ◎誰がどう見ても強盛大国と見える時期こそ危うさが見える2022年8月4日から7日にわたり、中国は台湾を包囲する大規模軍事訓練を行い、いつでも台湾に上陸、併呑する軍事能力があることを見せつけた。その中で8月4日中国の弾道弾が日本のEEZ(排他的経済水域)内に着弾し、中国は在北京日本大使を呼びつけて抗議したのに対し、日本外務省は、在日中国大使を呼び出さずに電話で中国大使に抗議したのは、腰抜けと批判されている。戦後中国は、中国国民の奴隷根性を払拭するのに一生懸命だったが、中国が強盛大国になるに至り、いつの間にか日本の方が腰抜け国家になっていたのだ。実質丸腰国家は、危ういものだ。今の時点で、中国は世界第二の経済大国であり、軍事的にも米国に追いつこうとしており、民生の工業製品生産国としては世界一となった。また中国は...ダライ・ラマ、中国共産党の未来をほのめかす

  • クリシュナムルティの始まりの時代から

    ◎世界宗教でも信者全員の悟りを求められる時代。最近は本屋でクリシュナムルティ本を見かけることも少なくなった。クリシュナムルティを囲む一団を神智学徒と呼ぶが、かの今東光の父親が、日本で最初期の神智学徒であったことは知らなかった。クリシュナムルティは、リードビーターなどによってインドで発見され、マイトレーヤ=ミロク菩薩の乗り物として自分の肉体を明け渡すということを予定されていた。つまりクリシュナムルティには彼固有の微細身がありながら、ミロク菩薩の微細身を同居させるという実験台にさせられようとした。一つの肉体に複数の霊(微細身)というのは、その後いろいろな話を読んできた中であり得るとは思っている。だが一つの肉体に複数の霊という形式で弥勒出生、弥勒再誕を現実化させようというのは、大胆ではあるがいささか強引に過ぎ、...クリシュナムルティの始まりの時代から

  • 病気のない身体とは

    ◎禅修行の方向性ロハス、ヘルシー志向だからこそ、ヨーガなどをやっていて、食べ物にも気をつける。中国唐代の禅僧趙州が弟子に質問された。弟子「病気のない身体とは、何ですか?」趙州「四大、五蘊という肉体を構成する元素だ。」※四大:地水火風※五蘊:色(物質)、受想行識(精神要素)肉体のいろいろな状態も、人間にとって様々な抑圧、プレッシャー、障害がある中のひとつで、ある程度の改善はした方がベターであることは間違いない。だがそのベストな状態は長くは続くものではないし、必ずいつかは終わる。よって、「健康とはどうだ」とぎりぎりのところを質問してきた場合は、趙州もこのように答えざるをえない。この木で鼻を括ったようなそっけない回答は、質問者が真剣に質問に来ていることの反作用でもある。病気のない身体とは

  • 切なる心、菩提心

    ◎日常性ではない何かを感じる菩提心は悟りに向かおうとする心。菩提心とは、般若心経の阿耨多羅三藐三菩提心の略。仏道修行の最初の出発点。だが、これは、寺や宗教教団に生まれ育ったからそもそもあるというものでもなく、寺や宗教教団に生まれ育っていないならばないというものでもない。アシュタンガやピラティスやホットやパワー、アイアンガー、陰、ヴィンヤサなどのハタ・ヨーガをやっている人で、静座・瞑想・リラックス・タイムがあるから菩提心があるというものでもない。浄土門で、なむあみだぶつ、日蓮宗系でなむみょうほうれんげきょうというマントラだけの人でも菩提心がある場合がある。釈迦ですら縁なき衆生は度し難しと、菩提心がない人には布教しがたいとする。天目の高峰原妙禅師は、求道の道は、最初から当人に「切なる心」がなければいけないと言...切なる心、菩提心

  • 無聞思聡の冥想の深まり

    ◎小悟何回、大悟何回無聞思聡は、最初に独翁和尚の下で「不是心、不是仏、不是仏」という公案で参禅した。その後、六人のグループでお互いに深めていった。次に淮西の教無能禅師から「無字」の公案をもらった。その後淮上の敬兄に「あなたは6、7年参禅しているようだが、どんな境地か。」と質問されて、無聞はしどろもどろになり、悟っていないことがバレた。無聞は、敬兄に「それでは、どうすればよいのでしょうか」と問うた。敬兄は、「端的な意を知ろうと思うなら、北斗を南に向かって看(み)よ」と教えてくれ去って行った。※南を向けば北斗星は見えない。が、北斗を南に向かって看(み)よ。以後35日間、無字の公案はやらずに、「端的な意を知ろうと思うなら、北斗を南に向かって看(み)よ」の公案に取り組んだ。その間、歩いて歩いていることを忘れ、坐っ...無聞思聡の冥想の深まり

  • 振魂の掌の左右について

    ◎右手を下に、左手を上に脚の組み方の左右もクンダリーニ・ヨーガと只管打坐では違う。また心理状態が坐相を決めるという側面もある振魂の掌の左右は、右が上か左が上か迷っていたが、左が上ということがわかった。これは神秘生理学だが、おろそかにはできない。植芝盛平の直弟子の菅沼守人のインタビュー。『菅沼あれは高名な画家の方が描いたのですが、スケッチではなく、想像して描いたもので、大先生が力を入れた時をイメージした、一種の象徴画だそうですね。お風呂で身体に触れた時も筋肉はかなり柔らかくて、稽古の前の柔軟運動でも大先生も門人と一緒に三十分位かけて丁寧に身体を伸ばしていましたね。とても八十過ぎの老人とは思えないほど身体が柔らかくて、俗に言う船漕ぎ運動、本来は“天之鳥船”と言うのですが、これなども大変柔軟な動きでした。――船...振魂の掌の左右について

  • 各種柔軟系運動と振魂

    ◎冷感グッズと顔汗今年は、6月下旬頃の10日ほどの最高気温35度以上の異常高温に続き、今まさに連日の異常高温期に入った。朝のウォーキング時間帯も早朝を選んでいるにもかかわらず外気温29度となり、頭と首に冷感グッズを巻いても顔汗が止まらないというあきれた猛暑になっている。何もしていなくともホット・ヨーガ。ヨーガには、涼しくなる呼吸法もあるが、そればかりやっているわけにもいかない。学生時代に冷房のないアパートに居て涼しくなる呼吸法を試してみたこともあるが、限度も波もあった。冥想修行者は、禅でもクンダリーニ・ヨーガでも観想法でもマントラでも準備として必ず柔軟体操を入れる。さらに全身の血行対策として経行や作務・家事も入ってくる。柔軟体操としてハタ・ヨーガを入れることがあるが、アクロバット・ヨーギを目指さないかぎり...各種柔軟系運動と振魂

  • 22段の生の側の道、死の側の道

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-15ユダヤのセフィロト(生命の木)は10球から成り、それを結ぶ22の線はパス(小径)と呼ばれている。ただしこれは、一つの球から8本パスが出たり4本パスが出たりということがあり、22人図としての一本道の悟りへの道の説明にはならない。おそらくタロットの大アルカナを最初に作った人物は、セフィロトの22パスは意識せず、人が悟りへの道をたどる場合のモデルとして一気通貫のイメージで並べたのだと思う。〔loverstarot〕前半の1魔術師から10運命の輪までは、単に迷いの世界ということでなく顕教的な求道の道、すなわち生の世界から道を究めるということがイメージされている。9隠者一人は例外的に密教的だが、現代社会でも辺縁部にそうした人物は存在するものではある。生の側を窮めると死の...22段の生の側の道、死の側の道

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