冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。
本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧
◎本気で生死ぎりぎりを追及する8000m峰が14座地球上にはあり、うち9座がヒマラヤ山脈、5座がカラコルム山脈にある。14座すべてに登頂成功した人物は、1990年以前はわずか2名であったのに対し、21世紀になってからは続々と出現しており、いわばいまや8000m峰登頂は大体死なないスポーツと化してしまった感がある。1990年以前は、登頂にトライしたら60%以上は死ぬ確率を有する山がナンガ・パルバット、アンナプルナと2座あったが、これが最近では、10%台に低下しており、全く別の山になってしまったかの様である。もはや1990年以前と同様のスポーツとは見れない。1990年以前は、8000m峰登頂は、死ぬかもしれないスポーツだったのに。スポーツではないが、禅も大死一番を求められ、クンダリーニ・ヨーガも自分が死ぬことを求め...8000m峰登頂と死の覚悟
◎徳川家康からカルトの教祖まで名古屋出張の折には、徳川美術館を参観したいものだと思いつつ、果たせずにいる。出口王仁三郎は、例の高熊山のトリップにて、地獄でもなく天国でない中有である、天の八街にあって、生きている人死んでいる人の行きかう様を見ていた。『甲冑をつけし老武者ひょろひょろとわが前にたちて苦笑いせり何びとと言葉かくれば老武者はわれは時川安家と宣(の)る三百年のむかし身失(う)せし安家が何故(なにゆえ)生きてゐるかとなじる業因の未だ果てねど地獄界を救はれ八街にありと答えぬ月光山うづの宮居に祀られし身ながら魂(たま)は八街と嘆く汚れたる身を神宮に祀られて吾はひとしほ苦しと嘆けり汝(なれ)こそは三千世界の救世主われを救へといひつつなみだす三百年の天下を治めし汝(なれ)にしてこの有様はとなじり問ひける道ならぬ道を...人を祀った神社
◎タシルンボ寺郊外の洞窟修行20世紀初め、スェーデン人スヴェン・ヘディンは、チベットのシガツェのタシルンボ寺に逗留した。タシルンボ寺は、巨刹ではあるが、中共成立時以降さんざんに破壊された。ヘディンは、タシルンボ寺の郊外のサムデ・プクという絶壁の麓に作られた冥想用石小屋を見た。洞窟には戸も窓もなく、石で封じられている。この洞窟の奥には泉が沸いており、一条の狭い溝が壁の下の地面に沿って通じていた。これは上下水完備し、環境的に恵まれている。この溝を通してツァンパとバターの食事が差し入れられる。6日連続で食事を受け取らないときは、死んだものとして洞窟の入り口が開けられる。中には一人のチベット密教僧が修行していて、既に3年になるという。通例山の封鎖された洞窟での観想修行は数か月なのだと思うが、3年は長い。この洞窟の主は死...観想法専用ルームサムデ・プク
◎神なき霊覚は無免許運転に近い米海軍がUFOの報告手順を正式に定めた指針の作成に着手したそうだ。UFOを見るということは、霊界を見るということ、アストラル体を見るということ。人間のエーテル体が肉体の近傍にあることを考えれば、UFOはエーテル体ではなく、アストラル体次元と考えるのが妥当だろう。物質レベルの第一身体の次元からエーテル体の第二身体の次元やアストラル体の第三身体の次元を見るには、物質レベルで連続していると認知している世界の連続の途切れ目に気づかなければならない。それが世界の隙間。隙間は、トランスから覗き込むこともできるし、大きな衝撃、心身のショックから入り込むことができる。途切れ目、隙間に入れば、幽霊も見れるし、UFOも見れる。それは現実かといえば、肉体レベル、物質レベルの現実ではないが、アストラル体レ...米海軍が未確認飛行物体(UFO)を目撃したら報告をと求める
◎強欲と気晴らし日本は、神国。天神地祇の恩寵は、津々浦々まで行き渡っているが、財産や名誉への強欲があたり前となり、つまらぬ快楽を貪ることなどで人の神を忘れる程度がひどくなると神からの報いがあるもの。あまりその程度があまりひどくない場合は、人震。それで収まりがつかない場合は、地震。《最近の地震:マグニチュード6以上のみ》1.4月23日にフィリピンでM6.4。2.4月22日、フィリピンのルソン島でM6.1。3.4月18日、台湾東部でM6.1。4.4月12日インドネシアのスラウェシ島付近でM6.8。5.4月11日の17:18に三陸沖でM6.0。ところが、一般的な感覚はそうではない。財産や名誉への強欲は、自己実現における当然の方向性であり、自分が挙げた成果を隠さず他人に披歴したり、その利益・名誉のためには人を騙したり陥...最近地震が多い
◎プリマ・マテリアが黄金へゾシモスの頃であっても、それ以後であっても、クンダリーニ・ヨーガは秘教だった。現代科学は、物質科学であって、肉体の次元、第一身体の次元しか扱っていない。第一質料プリマ・マテリアが黄金に変成するとは、大悟覚醒するということで、七つの次元をぶち抜けるということ。段階を経て黄金となるには、手順と材料という冥想段階に応じた注意事項と坐法そしてグルが要る。それを表現するのに、世間に気取られず、余計な関心と欲心を抱くものが、この道に入って来ないようにするため、金属変成というアナロジーをとったのだろう。それは、中国でも同じだった。本質は内丹だったが、外丹にも何かあるように見せてきた。ただし、外丹という薬物によっても、カルロス・カスタネダのシリーズが開陳したようなソーマ・ヨーガの道もある。ソーマ・ヨー...科学という冥想科学
◎すべての中のすべて心理学者ユングは、ゾシモスと呼んだが、この本では、ゾシムス。以下は彼の「権威ある報告の一部」。ここで、彼は賢者の水銀とは聖水のことだと言っている。『〈聖水(1’eaudivine)について。ここに,とりわけ入を魅する,聖なる偉大な神秘がある。それがすべてである。二つの自然と一つの源。というのは,それらのうちの一つが他方を導き,支配するからである。これは液体の銀(水銀)であり,常に動いている両性のものである。なにごとも経験しない聖水である。その性質は,理解しがたい。それは,金属でも,水でも,物体(金属性)でもない。人は,これを征服することはできない。これは,すべての中のすべてともいいうる。これは,生命とその息吹きをもっている。この秘密を理解するものは,金と銀を所有することになる・・・・・・・力...ゾシモスの賢者の水銀
◎シュヴァーサ・プレークシャージャイナ教でも呼吸覚醒を用いる。「ジャイナ教の瞑想法/坂本知忠/ノンブル」では、呼吸覚醒法として3段階設けており、最初はリラックス、次はルン・気息を意識し動かす。三段階目にシュヴァーサ・プレークシャーという呼吸覚醒が入っている。シュヴァーサ・プレークシャーにも3段あり、最初は、腹の筋肉の動きや、鼻腔内の空気の知覚、吐く息、吸う息すべてを見逃さないで全部知覚。2段目は、吐く息と吸う息が途切れないで一つの輪になったように観じ、そのつなぎ目を強く意識する。そして呼吸がチェンジするその瞬間を観じる。次に膨らんだりへこんだりする腹に意識を向ける。3段目は、マントラも用いず、イメージも用いず、自然に出たり入ったりする呼吸を一つも見逃すことなく観じる。呼吸と一つになる。2段目の息の途切れない観想...ジャイナ教の呼吸覚醒
◎青森の女NGT48から被害者である山口真帆さんが卒業宣言したが、会社から彼女が会社を攻撃する加害者だとまで言われていることをSNSで明かし、それがNHKのトップニュースに並ぶほどの扱いになっている。疑似恋愛を男を釣る餌にする商売は昔から尽きないものだが、それをショービジネスにした場合、舞台裏はこうなってしまうのだということがわかる事件となった。実業の世界では、大組織であればあるほど、人のローテーションや給料の配分は、業績、挙績、あるいは年功序列で行われる。これが虚業芸能界になると永世お山の大将が至るところに君臨し、取り分をほぼ独り占めし決して民主的、公平になど分配はされないし、そういうところにまた反社会勢力やスキャンダル専門マスコミがつけこんでくる部分があるのだろうと想像される。さはさりながら、合法的奇麗事だ...NGT48山口真帆さんが卒業宣言
◎聖なるものの聖なるものフィリポによる福音書で、イエスがマグダラのマリアにしばしば口づけするのを見て、あなたは我々弟子のすべてよりもなぜマリアの方を愛すのですかと質問したところ、イエスは、なぜ私は、あなた方をマリアのように愛さないのだろうかと問い返してきた。フィリポによる福音書§76では、洗礼が聖なる家であり、「聖なるものの聖なるもの」とは新婦の部屋のことである。さらに洗礼には復活と救済があるが、救済は新婦の部屋の中にある、と新婦の部屋を解説する。さらに§79では、女は、新婦の部屋で夫と結ばれるものであり、新婦の部屋で一つになったものたちはもはや離れることがないだろうが、アダムとエヴァは新婦の部屋でないところで結ばれたから分かれたのだ、と。復活と救済の先にあるので、神を知っていることは勿論のことだが、不可分の両...新婦の部屋で結ばれる
◎ナチスドイツと出口王仁三郎第二次世界大戦の構図を見ると、フリーメーソン対アンチ・フリーメソンという構図がまずある。連合国側がフリーメーソンで、枢軸国側がアンチ・フリーメソン。ヒトラーのブレインの一人だったカール・ハウスホーファーは、グルジェフの弟子にして日本の研究者。この時代のドイツは、霊的パワーを個人の覚醒に用いるのではなく、結果的にアンチ・フリーメソンを撃退するという方向に集中的に動いた。当時霊的パワーが国家的に機能しているという点では、チベットと日本だったのだろうが、日本は明治維新の開国で、既にほぼフリーメソン陣営に組み込まれ、一方チベットは鎖国のままながら、物質文明的には非常に遅れた状態であって、そのままでは、欧州のどちらの陣営でも使いものにはならなかったのだろうが、結果的にナチス・ドイツが、ハーケン...第二次世界大戦の構図と次
◎大燈国師語録大燈国師に弟子が、「慈明禅師に対し本来の面目は何かと問うたところ、慈明禅師は『一言既に出れば四頭の馬が追っても及ばない』と、これはどういう意味でしょうか」いう質問を仕掛けた。大燈国師は、石は空裏に立ち、火は水中に向かって焚(や)くと。別次元に居る師が、別次元に居るとも知らぬ弟子に仮想現実みたいな世界のことを説示する。それは、世界なのか、現実なのか、でたらめなのか。師は教えてくれるものだが、そこばかりは教えてくれないというか、教えることなどできない。禅では天啓とは言わないが、準備ができたら天啓なしには進まないのではないか。石は空裏に立ち、火は水中に向かって焚(や)く
◎栄光を授けられた我らの内なる薔薇巴里は、古代ローマでルテティアと呼ばれた昔から、薔薇の街として知られていた。それは薔薇の栽培が盛んな街としてではなく、パリ盆地全体のうねった地形がまるで薔薇の花びらのように中心であるパリを抱いているかのようになっていたからである。パリは、セーヌ河岸の街なのだが、セーヌ川が大蛇行を始める寸前の位置に、ルーブル美術館とノートルダム大聖堂が位置する。そしてこの位置は、まさにパリという薔薇の花芯の位置。カトリックという母性の位置づけの弱い実質二位一体の宗教。その反動か、フランスでは、特に聖母信仰が盛んであり、南フランスでは黒い聖母像も見受けられる。ノートルダムの直訳は我らのマダム=聖母マリアだが、錬金術的なイエスの伴侶マグダラのマリアを指すという説もある。いずれにしても、GAFA、ブロ...巴里薔薇の街
◎道統を継承するのは人ノートルダム寺院炎上の映像の向こう側にサクレクール大聖堂が映っており、イスラム移民、無神論などいろいろあるとはいえ、フランスは、流石のカトリック大国である。日本は宗教大国であるがゆえに伽藍の破壊炎上は始終起きている。近年で最大であったものは、明治維新の廃仏毀釈。火災で炎上したものは、最近では、法隆寺、金閣寺が挙げられているが、靖国神社を外人が放火に来たりと物騒な時代ではある。10世紀の高野山炎上では、高野山上に住む僧が一人もいなくなったという。治承4年(1180年)、平家による南都焼き討ちで東大寺大仏炎上。永禄10年(1567年)、東大寺大仏炎上。その他兵火で寺社が焼かれるものは、応仁の乱、戦国時代を含めて無数。昭和二十年四月十四日、伊勢神宮外宮神域、五カ所六発の爆弾投下さる。昭和二十年七...寺社炎上
◎自分の内側が火災になっていないか着工850年を経たパリ、ノートルダム大聖堂で大火災。二度の世界大戦を経ながら、更に無神論者がその戦争に参加しながら、戦場となったドイツ、フランスなどで各地の大聖堂だけは攻撃、破壊しなかったのは、聖遺物崇拝の強烈さに通底するある意識を感じさせられる。その点で同じ個人主義の国ながら中国の宗教破壊は徹底的で、焚書坑儒から文化大革命、そして来るであろうブロック・チェーンによる個々人の思想・生活までの管理による無宗教の徹底まで、伽藍、僧尼の還俗は勿論、個人の雑念まで抹消してしまおうという勢いであるのとは対照的である。欧州は、心を外から叩いて、窮極に至らせるというメソッドについて共通理解があるが、中国では、目先の生活が厳しすぎるせいか、心を外から叩くばかりで、心理ストレスの出口を設けないか...ノートルダム大聖堂で大火災
◎ダンマパダさまざまなこと釈迦のダンマパダ真理の言葉の「さまざまなこと」から。『290つまらぬ快楽を捨てることによって広大なる楽しみを見ることができるのであるなら、心ある人は広大な楽しみをのぞんでつまらぬ快楽を捨てよ。291他人を苦しめることによって、自分の快楽を求める人は、怨みの絆にまつわられて、怨みから免れることはできない。292なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす。遊びたわむれ放逸なる者どもには汚れが増す。293常に身体(の本性)を思いつづけて、為すべからざるを為さず、為すべきことを常に為して、心がけて、みずから気をつけている人々には、もろもろの汚れがなくなる。』(ブッダの真理の言葉・感興の言葉/中村元訳/岩波文庫p50-51から引用)これは、オーディンの箴言や、ソロモンの知恵、ベンシラ...つまらぬ快楽を捨てる
◎トレヤの身心脱落トレヤは、40歳くらいで、右腕のリンパのガンを摘出した後、一日に10時間も自分の呼吸を見つめ続けるというヴィパッサナーを10日もやった。9日目には、彼女はガンを恐れない平成な境地にあったが、その状態を続けられるかどうかに不安を抱いていた。トレヤが問うて、ケン・ウィルバーが語る。『「意識がただただ外へ拡大していく体験がずっと続いてるわ。自分の心と体をひたすら見守ること、言い換えれば、思考や感覚にただ注意を向けるということから始めるんだけど、それから心と体が消えうせたみたいになるのよ。そして、自分が、よく知らないけど神とか宇宙、もしくは高次の自己か何かとひとつになるのよ。素晴らしいわ!」「それを神、宇宙、あるいは真我と呼ぼうが、本当にどうでもいいんだ。道元禅師は、師が耳元でこうささやいたときに悟っ...トレヤ、ケン・ウィルバーの魂の伴侶
◎永遠の記憶を持つ男男性の社会的成功の夢が大衆化社会により、ほとんどの男にとって絶望的となって、男性と女性の違いが際立つことになった。核家族化と個人主義と価値観の多様化の進展により、家庭での幸福がほとんど実現不能と見えるようになって、男性と女性の違いが際立つことになった。ここまで異性が相互に強く意識せられた時代は少ないのではないか。易でも、男性のシンボルである離火は陽陰陽で、男性の中に女性を蔵する。また女性のシンボルである坎水は、陰陽陰であって女性の中に男性を有する。それは我々にとってあまりにも日常茶飯事だが、この35億の男性性と35億の女性性は、その人数分の陰陽混在のバリエーションを拡大し続けている。相互への異性への意識が高まる一方でおひとり様は増殖し、その両性具有へ向かう神秘なる結合への欲望は、やがて一なる...すべてが夢であったと気づく一つの点へ
◎八番目のチャクラならざるチャクラ「八つのチャクラが、人間の絶対性の基本的ポイント」とダンテス・ダイジは、云う。人間の絶対性とは、人間を外的な部分・社会と内的な部分・個人とに自分というものを区分して認識し、個々人が分かれていながら、同時に神・絶対者から個々人が流れ出ているものであって、今ここしかない今しかないが、過去現在があるものとして時間の流れを想定してしまう認識形態とでも言おうか。個と全体の並立・共存と七つの次元に亘りながら、今ここという一つながりのものの不断の変容を現実と認識する一方で、それが夢幻でもあることをよく承知することもできる。その意味で、芭蕉がその庵を幻住庵と名付けたのは至高のネーミングだと思う。ダンテス・ダイジの『戯れに冥想を』から以下引用の続き。『だが、アメンティーの教えでは、無限絶対それ自...ダンテス・ダイジの8チャクラ説-3
◎大涅槃とクンダリニーサハスラーラ・チャクラ(ブラフマランドラ、泥丸)をチャクラに数えるかどうかの議論は、頻出であって珍しいものではない。だが、チャクラを解説した本を開くと、なにげなく会陰のムラダーラとクンダリニーが接して描かれているものだが、決してそうではないことを、ダンテス・ダイジは、8チャクラで暗示する。ダンテス・ダイジの『戯れに冥想を』から以下引用の続き。『クリヤ・ヨーガつまり、クンダリニー・ヨーガの場合は、クンダリニーをチャクラの一つに加えるかどうかで、七チャクラズの流派と六チャクラズの流派とに別れる。同様に、サハスラーラ(ブラフマ・ランドラ)を、チャクラの一つに入れるかどうかについても言える。一方、アメンティー・タントリズムにおいては、八つのチャクラが、人間の絶対性の基本的ポイントとされる。アメンテ...ダンテス・ダイジの8チャクラ説-2
◎私が始めて地球へやって来たのは街も老い、国も老い、世界も老いる。するとその中の数少ない若者の中から新しい大地の到来を予感する者が出て来始める。ダンテス・ダイジの8チャクラ説は、それまでの5チャクラ説や7チャクラ説とは一線を画す説である。まずどのボディにおけるチャクラかという前提すら、彼らにとってはあまりにも自明なのことなのか、説明を省く。ダンテス・ダイジの『戯れに冥想を』から以下引用。『私が始めて地球へやって来たのは、今からおよそ七万年ぐらい前だったと思う。今の私は、地球ロゴスの流れに乗って、ニルヴァーナに充足した存在である。通常、地球ロゴス内のアラハンのレヴェルにある覚醒、すなわち悟りを開きつつ人間としての生存を続ける生命は、七回又は八回の転生を選ぶ者が多い。そして八回目の転生で、地球ロゴスから、別の高次元...ダンテス・ダイジの8チャクラ説-1
◎9.11ニューヨークの世界貿易センタービルからの生還サードマン現象とは、内なる声なのか、外なる高級神霊の声なのかわからないが、危急の時にそのような声が聞こえ、それに従って進んだら命拾いしたというような現象のこと。『奇跡の生還へ導く人極限状況の「サードマン現象」/ジョン・ガイガー著/新潮社』に上がっている例の一つは次のようなものである。2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルが破壊された時、南棟84階にいた金融ディーラーのロン・ディフランチェスコは、まず最初に飛行機が北棟に突入したことを知った。17分後南棟に飛行機が突入。南棟77階から82階にかけて機体が衝突。衝突時に彼は壁に叩きつけられ、天井の部材の破片を浴びた。南棟には3つの非常階段があったが、偶然にも彼は最初に下に降りれる可能性の高い階段...サードマン現象
◎無明の者にならなければならないOSHOバグワンの狂人ノートから。『世界は、非凡なものを見るためには、普通の小さなものごとを見なければならない。だからこそわたしは、自分は光明を得ていないと言う。光明と無明は全体の二つの局面だ。しかし、全体は、「わたしはもはや光明を得ていない」と言える者しか知ることはできない。たとえば、このノアの方舟の外ではそういう人間はただ一人しかいない。J・クリシュナムルティだ。だが、彼はあまりに光明を得てい過ぎる。彼もまた、無明の者にならなければならない。それでこそ初めて彼も〈全体〉となる。これゆえに、マスターの眼を見るというのは、無知の眼を見るということだ。眼を開くのはむつかしい。だからこそ、わたしはまだ肉体の内にいる。約束は果たされねばならない。わたしの眼の涙をぬぐっておくれ。わたしは...わたしはもはや光明を得ていない
◎味覚の異次元を垣間見る2019年2月の新商品麻辣(マーラー)モスバーガーを食べた。しびれ系は、昨年ぐるなびの2018年の鍋トレンドで、しびれ鍋が選定されて漸く日の目を見るようになった。日本で、しびれ系ファースト・フードが出始めたのは5、6年前かと思うが、汁なし担々麺のちゃんと花山椒を研究したのが、知る人ぞ知る程度の店で、常に行列のできる店が存在したのが、ブームの始まりだったと思う。それが、2、3年前になるとターミナルでもない駅前にしびれ汁なし担々麺専門店が出るようになり、冷凍食品だが、日清が汁なし担々麺を出した。昨今は、本当にブームのようで、ラーメン屋でも麻辣担々麺があるところが増え、カップラーメンの蒙古タンメン中本北極ブラックは、期待に違わぬ麻辣ぶりだった。そこで麻辣モスバーガーは、満を持してのハンバーガー...麻辣モスバーガーを食べる
◎神示の世界経綸出口王仁三郎全集第六巻(国会図書館デジタルアーカイブからダウンロードできる)は、入蒙記が含まれているが、この付録として「神示の世界経綸」という文書が含まれている。世界経綸といえば、内政、外交、軍事にわたる政治方針なので、単なる出口王仁三郎の政見の一つであるかのように思われてきたのではないだろうか。今改めて、「神示の世界経綸」を読んでみると、これは政治面での所信表明などではなく、大峠を経た後の新世界における政治体制の予言書であるとわかる。「神示の世界経綸」では、いきなり天皇が世界統一して云々ということが書かれてある。ところが、今この天皇は象徴であって政治的実権なく、かつまた国防の実権をアメリカに握られているこの時代に、これは寝言を言っているのかと思わされる部分である。だが、出口王仁三郎だけは、古事...天皇の世界統一
◎霊界物語の大洪水霊界物語では、第六巻第三篇大峠の中の2章が大洪水に当てられている。大洪水そのものは、禽獣、鳥類が、発生直前に一斉に山を目指して逃げるのに気づいた人間が、真っ先に山に逃げ、事前に大洪水があるのを予知した人間は、船を用意する。うち何百隻かが山の麓にたどりついて生き延びるのだが、サブマリンみたいな目無堅間の船でないとだめというようなことが書いてある。そもそも大洪水は、霊界の太陽が、霊界高山の氷を溶かし、その水が地球に流れ込んできたものという霊界的説明であり、現界と霊界をチャンポンにした説明である。大洪水の最中は、グルグル回るが上部の床がすべりやすい巨大黄金橋に乗ることができれば、洪水から助かるとか、銅橋から出る金属製の救ひの鈎につかまれば助かるなどと書いてはいるが、こうした大洪水と救命の描写の陰に隠...大祓と大洪水-2
◎古事記仲哀天皇の段古事記仲哀天皇の段で、これから熊曽の国を撃とうとしている前に、建内宿祢大臣は、神功皇后に信託を請うた。すると神功皇后に懸いた神は、「金銀本位制度で、享楽的な西の国を帰順させようと思う」とお告げになった。すると仲哀天皇は、「高い所に登って西の方を見れば、国土は見えず、ただ大きな海があります。」と述べ、神功皇后に懸いた神は嘘を言っていると思い込んで、琴を押しやって黙っていた。すると神がこのような仲哀天皇のことを怒って最後に崩御に追い込むシーンに続く。西の国が大海になるというのが、見間違いでなく、大洪水のことであるとは、思いもしなかった。洪水になると屋根に上がった人が下に降りられなくなるのは、洪水災害シーンで時々目にする。出口王仁三郎のつぶやき集に『大祓になったら大変なことになる。屋根の上にあるも...大祓と大洪水-1
◎第二次大本事件最大の謎昭和10年12月8日に発生した第二次大本事件は、教祖出口王仁三郎をはじめ数千人の信者が警察に拘束、出頭となり、非武装新興宗教に対する未曽有の宗教弾圧であった。新興宗教は巨大化しすぎると、テンプル騎士団や大本のように弾圧されるということから学んだ戦後新興宗教が、代議士を出したり、政党を持ったりしているのは、その教訓かもしれない。さて第二次大本事件最大の謎は、二つある。一つは、事件発生前夜に無名の笹目恒雄に出口王仁三郎自身が教団のご神体を崑崙に返還することを命じたこと。もう一つは、教団の最高幹部の一人だった合気道開祖植芝盛平が、事件の期間中、足掛け8年ほど一貫して収監されることがなかったことである。その理由について大本側に書かれたものはほとんどないが、合気道側の書物によれば、次のようなもので...合気道開祖植芝盛平第二次大本事件をスルーする
◎梅で開いて松で治める、竹は外国の守護令和は、梅の花の歌の詞書。台湾の国花は梅。日本の国花は桜と菊。梅は、古来中国の文人に盛んに愛でられたものだが、その色合いはどちらかというと控えめで地味なものである。明治以前の日本人の教育は、儒教を中心とした漢籍で行われてきたのだから、梅を選ぶのに今更違和感はないが、日本の書物を典籍としたのにことさらに梅を選ぶのかという因縁を感じる。梅は、梅花心易があるように世界・コスモスのシンボル。明治25年の大本神諭冒頭、『三ぜん世界一同に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居...梅で開いた令和時代
◎現界、霊界、天界、大神出口王仁三郎関係の文書には、『相応の理』という言葉がよく出てくる。これは、天地相応の理とか、現幽相応の理、身魂相応の理というように用いられ、天地はシンメトリーみたいに天にあるものは地にもあり、幽界に生じたものはやがて現実界に実現してくることをいう。イデアが、現実の事物のプロトタイプとしてあるなども同系列。出口王仁三郎の霊界物語第47巻跋文に相応の理の解説がある。前提となっているのは、第六身体であり、この一なるものであり、過去現在未来と万物万人が一つながりにつながっているということであるように思う。このつながりの傾向と法則性を相応の理と呼ぶが、個々の現象面から捉えるとややわかりにくいかもしれない。『一、現代人は霊界一切の事物と、人間一切の事物との間に一種の相応あることを知らず、又相応の何た...相応の理
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