きままに旅行や神社仏閣、古道などを楽しんでおります。
こんにちは もう今年も2ヶ月ですね。初めてブログ村の村民になります。たわいのない日常事を書いております。 気ままに遊びに来てくださいね。
難波宮跡に行ってきました。大阪歴史博物館の前に大極殿があります。その前は朝堂になっていたのか、いくつかの建物が建っていたと思われるあとがありました。大極殿の左右には八角形の楼閣があったとか、贅をつくしたきらびやかな難波宮を創造いたしました。写真は八角形楼閣があった場所の写真。今も八角形の形状を残す。孝徳天皇はこの大極殿前の庭園でもがりを2カ月間行い、竹内街道添いにある河内側の磯長陵へ祀られたことになっている。大阪城も小さくみえました。ここは今も昔も大阪の一等地といえる。大極殿の後方には後宮があったようですが、大阪城のお堀や大阪城築造時に削平されたかと思われる。難波宮があった当時は大阪城や玉造あたりはまだ内海であったのか、ここに難波宮や横には古代最大級の倉が立っていた。16個以上の倉で、武器庫であったとも言われる...古代難波宮をめぐる
久しぶりに親睦会がありました。コロナも下火になりつつあり、久しぶりにアルコールを飲みました。オードブルとイセエビから始まりました。お肉も素晴らしいステーキです。この日はお肉を堪能しました。アルコールも久しぶりに🍸を2杯飲みました。少しはガス抜きが必要です。ありがとうありがとうお肉を食べる
近鉄奈良駅からJR奈良駅へ向かう道にひっそりとしたお寺のお堂があります。こちらは最近触れることの多い岸俊男さんの菩提寺で、ご本人もまたこのお寺を設計した父上である熊吉さんが眠る墓所となっている。大和の古道や宮都、都城についてやたくさんの歴史の本をだされ、今なお読み継がれている。「古代日本宮都の研究」など素晴らしいご本の著者です。私など遠目に失礼ではありますが、手を合わさせていただきました。奈良のお寺
奈良に行ってきました。奈良公園を歩いていましたら、調度前日新聞を賑わせていた発掘現場に出くわしました。興福寺東金堂前に門があったようでその発掘現場です。治下を歩いているとこんなところにも鹿がいました。興福寺の南円堂前の言葉です。正倉院展も月末からあるようですが、こちらはローソンチケットから購入のようです。奈良散策
10月2日はとても晴れていて気持ちのいい日となりました。奈良県葛城市から大阪河南町にかけての竹内街道(日本最初の官道)を歩いてきました。ちょうど緊急事態宣言も解除されたばかりでした。近鉄磐城の駅をおりてまず、長尾神社を詣でました。こちらは横大路と交差する場所となります。芭蕉も弟子のいるこのあたりでしばらく過ごしたこともあるといわれている綿引の塚をすぎると、表示がありました。交通量もあり、車道を抜けると竹内峠を越える道となります。さみしい道ではありましたが、すれ違う男女、単独の男性など6組ほどすれ違いました。昔は舗装がなくもっときつかっただろうと思われます。今はこんなに舗装された道ですから歩きやすく、きつく感じませんでした。こちらは右は奈良、逆をいけば大阪河南町になります。河南町へ向かって歩き始めると、本当、車道...日本最初の官道(大道)竹内街道を歩く
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