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  • 緑一色

    現在、思い出そうとすると、その光景はセピア色に染まっている。 何の気もない日常が、それでもとても尊く思い出されるのは、 年をとった、ということなのだろうか?   ::::::::::::::::::::::::::::: となりの卓から、怒鳴り声が聞こえた。 「ふざけんな、何が32,000点じゃい!」 酒が脳天まで廻っている様子のおっさんが、怒号をあげる。 酒のせいなのか、その頭頂の平野が真っ赤に燃えている。 まるで、おべんとうに入っているウインナーのたこさん、のような感じ。  「緑一色じゃ。おまえ、リューも知らんと、麻雀打ちよったとかいな?」  和了したほうのもやしのような風貌のおっさんは、淡々と続ける。 緑一色を、リュー、と呼ぶあたり、かっこいい。  本当は仲がいいのだろう、 ほかのジャガイモとはんぺんのようなおっさんも にこにこして、見守っている。  その..

  • 究極の国士無双

    満月が歓楽街の外れにある、屋台を優しく照らす。 「なあ、国士無双ってあるだろ?」 くたびれきったサラリーマンがおもむろに口にする。 「ああ、麻雀の役だな。」 となりでカップ酒を齧っていた男が、所作なく返す。 「その国に並ぶ者などいない強者という意味らしいけど、麻雀の役だと少し意味が違うんだ。」 と、続けるサラリーマン。  麻雀でいう、国士無双っていうのは、弱者に残された最後の希望なんだよ。 使いものにならない19字牌。 このてんでバラバラのクズ牌を13枚集めると、最強の役になる。 どうしょうもなくツキに見放された人間への最後の救いの役なんだ。 なんだか、ロマンチックだと思わないか? 最低最悪の不遇な逆境を、最高なチャンスに変えることができる。」 サラリーマンは、誰に伝えたいという風でもなく、小さな声でつぶやいた。 「麻雀っていうのは、人生そのものなのか。諦めなければチ..

  • 超面前派

    仕掛ける理由は、間に合ってないから。 先んじることができれば、対応する、のではなく 対応してもらう、ことができる。 風下に回らないことが一番大切だと、体に染みついている。 初参加の方。 とても、よい麻雀を打ってくださる。 その麻雀を観たい、ということと、 あまりピーキーな真似をして、 「なんなの、このひと?」と思われたくない、という理由から重めに組む。 麻雀は4人で打っているわけだから。 東場は、観察をして、南場の親を起点にして1回の攻撃まくりを考える。 仕掛ける牌をスルーして、形を整え 前に出ないで、しっかりと受ける。 56m4678p67789s北北 この13枚の時に先制リーチ。 縦重なりのありそうな、最終手出し、マンズのタンピン系のリーチだ。 3mを引いて、ツモ切りを考えるけれど、 ここは、マジョリティにしたがって、北を切る。 場に一枚もでてい..

  • ひより。

    攻撃こそは、最大の防御。 けれど、それは攻撃を加えることで、相手を戦いの土俵からおろすことが可能な時だけだ。 おりない向かってくる相手は、やっかいだ。 大切なのは、戦う姿勢。 臆病で心配性な自分は、たくさんの戦いの経験のなかで、 「戦わないとたいへんなことになる」ということを知っている。 なので、こわいけれど、前に出る。 そのおかげで、今日まで生き残ることができた。 それは、私生活においても同じことだ。 けれど、時を重ねると臆病になる。 賢明という言葉で自分をごまかしながら 「戦わなくてすむ理由」をさがし始めている。 それは、卑怯者のすることだ。 幼いころから、父親に「卑怯者になるな」と育てられてきた。 それは、私が卑怯者で、父もまた卑怯者だったからだろう。 でもそのおかげで、ずるいことをすると、気持..

  • アヤを感じる牌と、四暗刻

    勉強会と実戦は繋がっていなければ、意味がない。 ただ、勉強会のときは、よりたくさんの選択肢を持てるようになるために 「できるだけ、同卓者の勉強になるように」 という気持ちが根底にあるものだから、どうしても、弛緩してしまっている。 大切なのは、現在何をするべきか?だ。 ここでいう、現在とは、もちろん「過去の総括」と「未来予測」の点である。 36000点持ちの、東3局。 配牌から、ホンイツの手牌が入る。 上家にマンズは安くなく、場に対するマンズの割合は、20%くらい。 (個人的な所感としてのマンズ占有度です。) すこし、高いかな、というイメージ。 配牌 12455678m29s中中北 6巡目まで、ほとんど動かない。 最後に8mをツモって以下のかたち。 12245566788中中 7巡目 上家から3m..

  • 実戦と勉強会

    人間には、第6感というものが、あるらしい。 自分は、こういう事柄を結構意識している。 「予感」 でも、それにはちゃんと理由がある、と思っている。 例えば、ここはカンチャンに受けたなら和了しそうだ、とか、 そういう感覚は、実は刷り込まれた「過去の自分の経験によるもの」であることが多い。 また、勉強会と実戦はイコールとはなりえない。 「一生懸命打つこと」と、「必死で打つこと」は、やはり違う。 今回の対局では、それを痛感する。 勉強会では、動画をとっているので、容易にその対局を振り返ることができる。 なので、一生懸命に打つ。その時の気持ちまでも、ちゃんと振り返ることができるように。 そうできているつもりだった。 勉強会も実戦も同じ品質で打てていると。 「観戦させていただいてもいいですか?」 背後に人を背負う。 ..

  • 勉強会③手を抜かないこと

    楽をすることには、意味がない。 楽を覚えると、工夫や努力を置き去りにしてしまう恐れがある。 けれど、工夫や努力をしない頑張りは、もっと意味がない。 (それは、努力とは呼べない、と思う。) たくさん考えることを、薦めている私だけど、 それは、たくさんの選択肢のなかから、 瞬間で「最良の解」を導き出すための積み重ねに過ぎない。 局の目的は、他家の1打1打で大きく変化する。 その局面にあわせて、工夫や努力をすることが必要。 やるべき適切な仕事を見つけることが必要。 そして、効果の高い仕事の方法を選択することが必要。 場を見て、場の状況を判断して、自分にとって一番価値のある仕事を選択する。 この仕事の選択こそ、そのひとの価値だ。 そのひとが、一番やりたいことを仕事にするべきだ。 ::::::: 仕事終..

  • 相克のとき。

    ずいぶん 長い旅を続けてきた気がする。 「麻雀」から離れる機会は何度もあった。 他に自分にどんな興味のあることが重なっても、「麻雀」だけは いつも、片時も離れず私のそばにいた。 「全てを映し出す鏡。」 「絶対に自分を裏切らない存在。」 頑張ったら、頑張った分だけ、必ず前に進める。 麻雀との旅。 それはずいぶんと長い旅で、なんだか、予想以上に遠くへ来てしまった。 :::::::::::::::::::::: 道場へ足を運びだして、2日目。 私の後ろには、師匠が、どかっ!と座っている。 フリーでは、「音速で仕掛ける嫌がらせ」を信条としていた私は、 その麻雀を過信していた。 簡単にいうならば、思い上がっていた、のだ。 師匠に「自分が打てるところ」を見て欲しくて 初巡から、両面ターツを仕掛けて1000点..

  • らくえん

    らくえん。 客層の職種はさておき、上品な兄弟が経営していることもあり、 常連はみな、感じがよかった。 平素は粗暴であっても、この店での対局においては、みな紳士でいる。 上品に振舞おうと意識している。 :::::::::::::::::::::: 白い「いかついグロリア」は、毎晩22時頃に現れる。 ダブルのスーツを着た、見るからに、のフォルム。 スキンヘッドのおにいさんは、その風貌にあわず 驚くくらいに、とにかく腰が低い。いつもにこにこ。 麻雀を覚えたばかりらしく、他の客の麻雀談義にも、興味深そうに頷いている。 誰かが、役満をあがれば、「すごですねえ」と目をキラキラさせている。 と、ある、そのおにいさんとの対局中。 おにいさんのケータイが振動する。 その画面をみて、いぶかしがりながら、 「すいません..

  • 雨の夜

    当時の記事を、探したけれど見つからなかった。 記憶も蒙昧で、カンチャンを一点で読まれていたこと、と 異様な威圧感は、峻烈に記憶に焼き付いている。 全て、書きなおしになり、なおかつ過去記事との齟齬があることを、 申訳なく思いながら自分が麻雀に傾倒していくきっかけを、掲載してゆきたい。 :::::::::::::::::::::::::::::: 自分の麻雀の力でも「勝てる店」を選定していた。 麻雀で勝つために、一番大切なことは、「自分より拙い相手と打つこと」だ。 そして、同卓拒否をされないこと。 その為には、この人は、強いと思われては損だ。 店のメンバーあたりから、辛く打たれてしまう。 勝てばよい。勝つことだけを目的として他人の嫌がることを最優先する。 自分のいらない牌は切りまくるけれど、絶対にふりこまない。..

  • 牌の気持ち、自分の気持ち。

    本物以外は欲しくない。 少ない対局回数のなかで探求の旅は続く。 自分の麻雀のせいで、「自分の麻雀を見てくれているひとの麻雀」がおかしくなってゆく。 手牌のみを信じて、被弾するもの。 遠くて高くて、危険な手組をするもの。 「場の状況」→「安全エリアの確認」→「守備」→「手牌の可能性」=たくさんの選択肢。 この順序で、しっかりと重ねてきたひとを除いて。 みな、リスクを抱え過ぎた一か八かの麻雀を打っている気がする。 そのひとにとって、矛盾のない打牌であれば、問題はないはずだ。 けれど、そうおもうことが、自分の思い上がりなのかも知れない、とふと、思った。 卓に落ちる情報を精査しつつも、色、形、数、を執拗に意識する 手牌のことを、一番最後に考えることが、一番たくさんの選択肢を持つことができる、これを信じる。 そういう自分の麻雀は..

  • スタープラチナ ザ ワールド

    DIO様にあこがれ続けているその男ターミヤは、その「時をとめる」能力を習得した。 ::::::: これは、私見です。 麻雀での実戦では、本来「逡巡なし」全員ノータイムで打つべき。 「迷った牌である」という情報を卓外に落とすことは、そのままゲーム性への破壊に繋がる。 「逡巡することは、同卓者への甘え」に他ならない。 厳しいようだけれど、麻雀においては、打牌の所作も所要時間も均一でなければ、意味がない。 では自分は「逡巡のない対局」ができているのか、と言われたなら 本当に情けない話だけれど、「まだ、まだ。」である。それくらい難しいのだ。 もちろん、勉強会のように「しっかり考えること」を目的とした対局は、例外だが。 ::::::::::: その対局中、DIO様に憧れているその青年は、ザ ワールドを連発。 周囲の迷惑を考えることなど考えることなく、時を止..

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