19-8814~8815意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8814.「山の上の低い暗雲」が受け入れる者達に応じた神的なものの状態を意味することは、「暗雲」の意味が受け入れる者達に適用された真理であることから知られよう。従って文字通りの意味の聖言である。そのことについては8443, 8
聖書とスヴェーデンボリ神学著作集から信仰と悔い改めを学び、主への愛と隣人への愛のある礼拝を目指します。
インターネット新教会は誰でもいつでも訪れて主を礼拝することが出来ます。 またこの世の金銭の献金は一切不要ですが、主のものである善と真理は十分の一とは言わず凡てを主に返してください。 自分が語り行ったどんな善い事も自分が行ったと思わず、自分を通して主が為されたことを承認して主を見上げ主に帰してください。
17-8594~8596原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8594. `Et pugnavit cum Israele in Rephidim' significat quod aggressi cum tentationem gravem sustinebant; constat ex significatione `pugnare' quod sit {1}aggredi per falsa ex malo interiore, et ex significatione `
17-8593-2意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[3]それらからアマレクによって表象される者達がどのような者達であるか、またなぜ、彼らに対し絶えず闘争が在らねばならないかの審判がその上にエホバからあったか、また彼らの記憶が天の下から消し去られなければならなかったか知ら
17-8593-2原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[3] Ex:~から、~により、his:これらから、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、quales:どのような、性質、~のような、sunt:ある、qui:その者達、repraesentantur:象徴される、表象され
17-8592~8593-1意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8592.八~九節、「そして、アマレクが来て、同時にレフィディムでイスラエルと戦った。また、モーセはヨシュアに言った。私達のために男達を選べ、そして行ってアマレクと戦え、明日、私は丘の頂きの上に立ち、また私の手に神の
17-8592~8593-1原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8592. Vers. 8, 9. Et venit Amalek, et pugnavit cum Israele in Rephidim. Et dixit Moscheh ad Joschuam, Elige nobis viros, et exi, pugna in Amalek; cras ego consisto super capite collis, et baculus Dei in manu me
17-8588-2~8591意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[5]その民の許にそれでもなお表象の神的な礼拝が制定された。その理由は表象の礼拝は外なる神聖な礼拝を持ち、また殆ど偶像崇拝的に礼拝した凡ての民族の許に制定されること出来たからである。なぜなら、表象のものは人物に関係
17-8588-2~8591原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ5 Quod apud illam gentem usque cultus Divinus repraesentativus institutus fuerit, erat causa quia repraesentativus cultus potuit institui apud omnem gentem quae externa cultus sancta haberet, et paene idololatr
17-8588-1意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8588.「メリバ」が苦情の性質を意味することは、原語で「メリバ」が闘争、或いは口論を意味することから、また「口論」が苦情を意味することから知られよう。8563, 8566番を参照、更に「名」もまた事柄の性質を意味するので、それ故、
17-8588-1原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8588. `Et Meribah': quod significet querimoniae quale, constat ex eo quod `Meribah' in lingua originali significet contentionem seu jurgium, et {1}`jurgium' significat querimoniam, n. 8563, 8566; {2} quia etiam nomin
17-8582~8587意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8582.「そしてあなたは岩を打て」が、彼らは主御自身に懇願することで迫らなければならないことを意味することは、「打つこと」の意味が懇願することで、しかし卑下した心でしつこく要求することであることから知られよう。「岩を
17-8582~8587原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8582. `Et percutias petram': quod significet ut instent rogare Ipsum, nempe Dominum, constat ex significatione `percutere' quod sit instare rogando, sed ex humili corde; quod `percutere' petram sit instanter roga
17-8581-3意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[5]エホバが「岩」と言われること、またその時、信仰に関する主が意味されることもまた聖言の中の他の多くの箇所から知られよう。例えば後に続く下記のイザヤ書の箇所は、これ以上の説明なしに提示することが許されている。「あなた達
17-8581-3原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[5] Quod:こと、それ、そのこと、Jehovah:エホバ、dicatur:言われる、`petra':石、岩、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、tunc:その時、やがて、intelligatur:意味される、Dominus:主、quoad:~に関して、~に
17-8581-2意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[3]下記のマタイ伝において主がペテロに話された言葉の中の「岩」は信仰に関する主が意味されていること、また主からの信仰も意味されていることが知られよう。「私はあなたに言う。あなたはペテロである。そして私はこの岩の上に私の
17-8581-2原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[3] Ex:~から、~により、his:これらから、下記の、quoque:~もまた、同じく、同様に、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、`pet
17-8581-1意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8581.「見よ、私はホレブの岩の上のそこの場所であなたの前に立つ」が、信仰の真理に関する主を意味することは、「岩」の意味が信仰であることから知られよう。その信仰は主から、或いは信仰に関する主からある。なぜなら、エホバ、即
17-8581-1原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8581. `Ecce Ego stans ante te ibi super petra in Chorebo': quod significet Dominum quoad fidei vera, constat ex significatione `petrae' quod sit fides, hic fides a Domino, seu Dominus quoad fidem, nam dicit Jehovah,
17-8574~8580意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8574.「私はこの民に何を為さなければならないのですか?」が、真理の受容をしないためにそのように重い苦情の中に居る者達のためにを意味することは、「私はこの民に何を為さなければならないのですか?」の意味がそのようなこと
17-8574~8580原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8574. `Quid faciam populo huic?' quod significet pro illis qui in querimonia tam gravi ob non receptionem veri, constat ex significatione `quid faciam populo huic' quod involvat talia, nam per jurgium populi cont
17-8573意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8573.「そして、モーセはエホバに叫んで言うことに」が、内的な悲嘆と執成しを意味することは、民が重い悲痛から神的な助けについて求めた時の「叫ぶこと」の意味が、前の7782番のように内的な悲嘆であることから、更に8179番のように執
17-8573原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8573. `Et clamavit Moscheh ad Jehovam [, dicendo]': quod significet lamentationem interiorem et intercessionem, constat ex significatione `clamare' cum de ope Divina, quam populus ex gravi indolentia {1}flagitabat, quo
17-8569~8572意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8569.「またモーセに対して民は不平を言った」が、更に高い悲嘆の段階を意味することは、「不平を言うこと」の意味が厳しい試練による悲嘆であることから知られよう。そのことについては8351番に示された。それが更に高い悲嘆の段
17-8569~8572原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8569. `Et murmuravit populus contra Moschen': quod significet indolentiae gradum majorem, constat ex significatione `murmurare' quod sit indolentia ex tentationis acerbitate, de qua n. 8351; quod indolentiae grad
17-8568-2意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[5]イザヤ書において、「行く手に居る渇いている者に水を持って来て、そのパンと一緒にさ迷っている者に会え、」21.14、ここの「行く手に居る渇いている者に水を持って来い」は、真理の中に居ることを熱望している者を教えることとして
17-8568-2原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[5]apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、Obviam:途中にある、行く手にある、sitienti:渇きを感じている、渇いている、afferte:運べ、持って来い、(命令形複数)aquas,:水、habitatores:住民達よ、居住者達よ、(呼
17-8568-1意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8568.「そして、民はそこで水に渇いた」が、真理への願望の増大を意味することは、「渇くこと」の意味が欲することと願うことであることから、またそれは「飢えていること」が善について属性付けられる如く真理について属性付けられる
17-8568-1原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8568. `Et sitivit ibi populus aquas': quod significet increscentiam desiderii ad verum, constat ex significatione `sitire' quod sit appetere et desiderare, et quod praedicetur de vero, sicut `esurire' de bono, et ex
17-8562~8567意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8562.「しかるに民に飲むための水がなかった」が真理の欠乏を意味し、またそれ故、元気回復の欠乏を意味することは、「水」の意味が信仰の真理であることから知られよう。そのことについては2702, 3058, 3424, 4976, 5668番に示さ
17-8562~8567原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8562. `Et nulla aqua ad bibendum populo': quod significet defectum veri et inde recreationis, constat ex significatione `aquae' quod sit verum {1} fidei, de qua n. 2702, 3058, 3424, 4976, 5668, et ex significatio
17-8559~8561意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8559.「旅立ちの後に」が生命の秩序に従って受け取られなければならない天界の生命のためにを意味することは、「旅立ち」の意味が霊的な生命の進歩であることから知られよう。そのことについては直ぐ上の8557番に示された。従って
17-8559~8561原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8559. `Secundum profectiones': quod significet secundum vitae ordinem ad caeli vitam accipiendam, constat ex significatione `profectionum' quod sint progressivum vitae spiritualis, de qua mox supra n. 8557, ita v
17-8556~8558意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ内意8556.一~三節、「そして、イスラエルの子孫達の凡ての集会はエホバの口の言葉に従って、その旅立ちの後にシンの砂漠から旅立った。そしてレフィディムに宿営した。しかるに民に飲むための水がなかった。そして、民はモーセと
17-8556~8558原典訳「天界の秘義」出埃及記ⅡSENSUS INTERNUSSENSUS INTERNUS:内意、8556. Vers. 1-3. Et profecti sunt {1}omnis coetus filiorum Israelis a deserto Sin, secundum profectiones suas ad os Jehovae; et castrametati sunt in Rephidim; et nulla aqua a
出埃及記 第十七章の内容前の章の内意において善が不足したことの第三の試練について取り扱われた。この章の内意においてそれによって真理が不足したことの第四の試練について取り扱われる。その試練が水を持たなかったことのイスラエルの子孫達の不平のつぶやきによって意味
17-8554~8555意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ出埃及記 第十七章1.そして、イスラエルの子孫達の凡ての集会はエホバの口の言葉に従って、その旅立ちの後にシンの砂漠から旅立った。そしてレフィディムに宿営した。しかるに民に飲むための水がなかった。2.そして、民はモーセと
17-8554~8555原典訳「天界の秘義」出埃及記ⅡCAPUT XVIICAPUT:章、XVII1. Et profecti sunt omnis coetus filiorum Israelis a deserto Sin, secundum profectiones suas ad os JEHOVAE, et castrametati sunt in Rephidim; et nulla aqua ad bibendum populo.2. Et jurgat
17-8548~8553意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ出埃及記 第十七章 仁愛の教義、8548.霊的な生命を受けない者、即ち主から新しく産まれない者は天界へ行くことが出来ないことを主はヨハネ伝において教えておられる。「アーメン、まことに私はあなた達に言う。誰でももう一度産ま
17-8548~8553原典訳「天界の秘義」出埃及記ⅡEXODICAPUT DECIMUM SEPTIMUMDOCTRINAE CHARITATISEXODI:出埃及記、CAPUT:章、DECIMUM:第十の、十番目の、SEPTIMUM:第七の、七番目の、DOCTRINAE:教え、教義、CHARITATIS:仁愛、8548. Qui non vitam spiritualem accipit,
16-8544~8547意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8544.木星の霊達が数週間私の許に留まっていた時に、彼らの唯一の主が私達の唯一の主と同じであるかどうかの疑いが一瞬流入したが、しかしその疑いは流入した瞬間に再び一瞬に消散された。それは私達の地球からの誰か霊達から流入
16-8544~8547原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8544. Spiritus telluris Jovis cum apud me per plures septimanas manserint, momento influebat dubium num unicus illorum Dominus esset idem cum nostro Domino; sed dubium hoc quod momento influebat momento etiam dis
16-8541~8543意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ続、木星の霊達と住民達について8541.彼らの神的な礼拝については私達の主を天と地を支配する最高の方として承認することが最も重要なことである。彼らはその方を唯一人の主と呼び、また身体の生命(生活)において主御自身を承認
16-8541~8543原典訳「天界の秘義」出埃及記ⅡContinuatio de Spiritibus et Incolis Telluris JovisContinuatio:続、続くこと、de:~について、Spiritibus:霊達、et:~と、および、Incolis:住民達、居住者達、Telluris:地、地上、地球、Jovis:木星、8541. Quod cultu
16-8540意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8540.「また、一オメルは十分の一エファである」が、その時の善の量を意味することは「オメル」の意味から知られよう。なぜなら、十分の一エファは十分な量であるからである。というのは、「10」によって充分なものが意味されるからであ
16-8540原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8540. `Et omer decima pars ephae': quod significet boni quantum tunc, constat ex significatione `omeris,' quia erat decima pars ephae, quod sit quantum satis; per `decem' enim significatur plenum, n. 3107, inde per `de
16-8536~8539意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8536.三十五~三十六節、「そして、イスラエルの子孫達が住んだ地カナンの地の境界に彼らが行くまで四十年マナを食べた。また、一オメル(1オメル=約2.3ℓ)は十分の一エファ(1エファ=約23ℓ)である。」「そして、イスラエルの子
16-8536~8539原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8536. Vers. 35, 36. Et filii Israelis comederunt man quadraginta annis, usque ad venire illos ad terram habitatam; man comederunt usque ad venire illos ad terminum terrae Canaanis. Et omer decima pars ephae illud
16-8531~8535意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8531.「またそれに充分なホメルのマナで満たせ」が、そこで包含する範囲の善を意味することは、「充分なホメル」の意味が包含する範囲であることから、また「マナ」の意味が霊的な善、或いは真理の善であることから知られよう。そ
16-8531~8535原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8531. `Et da ibi plenitudinem omeris man': quod significet bonum inibi quantum continet, constat ex significatione `plenitudinis omeris' quod sit quantum continet, et ex significatione `man' quod sit bonum spirit
16-8524~8530意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8524.「そして、モーセは言った。下記の言葉をエホバが命じられた」が命令を意味することは、「エホバが命じられた言葉」の意味が上の8466番のように神的な命令であることから知られよう。8525.「それから一オメルを満たせ」が最高
16-8524~8530原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8524. `Et dixit Moscheh, Hoc verbum quod praecepit Jehovah': quod significet mandatum, constat ex significatione `verbi Jehovae quod praecepit' quod sit mandatum Divinum, ut quoque supra n. 8466.8524. `Et:また、
16-8522~8523意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8522.「またその味は蜜から成る菓子の如くあった」が、真理からの楽しいものによって善に為された如く楽しい善を意味することは、「味」の意味が善の楽しいものについて属性付けられることから知られよう。なぜなら、それは賢明で
16-8522~8523原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8522. `Et sapor ejus sicut placentae in melle': quod significet bonum quod jucundum, sicut quod ex vero per jucundum factum bonum, constat ex significatione `saporis' quod praedicetur de jucundis quae boni, quia
16-8517~8521意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8517.「誰でも自分の下に休息しなければならない」が平安の状態を意味することは、「休息すること」の意味が平安の状態であることから知られよう。そのことについては上の8494番に示された。彼らは安息日に休息し、また誰も仕事を
16-8517~8521原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8517. `Quiescite quisque sub se': quod significet statum pacis, constat ex significatione `quiescere' quod sit status pacis, de qua supra n. 8494; quod quiescerent die sabbati, et tunc nullum opus facerent, {1} n
16-8514~8516意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8514.「見よ」が彼らが気付き、また熟考することを意味することは、「見ること」の意味が理解することであることから知られよう。そのことについては2325, 3863, 4403-4421, 5114番に示された。それ故、認識することである。2150,
16-8514~8516原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8514. `Videte': quod significet ut advertant et reflectant, constat ex significatione `videre' quod sit intelligere, de qua n. 2325, 3863, 4403-4421; 5114, inde quod sit percipere, n. 2150, 3764, 4567, 4723, 5400
16-8511~8513意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8511.二十八~三十一節、「そして、エホバはモーセに言われた。いつまであなた達は私の戒め、また私の律法を守ることを拒否するのか?見よ、エホバはあなた達に安息日を与えられるので、それ故にエホバは六日目にはあなた達に二日
16-8512~8513原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8512. `Et dixit Jehovah ad Moschen': quod significet apparentiam Divini obscuratam, constat ex significatione `dixit Jehovah' quod involvat sequentia, hic quod non custodirent praecepta et leges, ita quod apparen
16-8511原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8511. Vers. 28-31. Et dixit Jehovah ad Moschen, Quousque renuitis custodire praecepta Mea, et leges Meas? Videte quia Jehovah dedit vobis sabbatum, propterea Ille dat vobis in die sexto panem duorum dierum; quiescite q
16-8506~8510意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8506.「あなた達はそれを六日間集めなければならない」が、善に連結される前の真理の受容を意味することは、「六日間」の意味が戦いと労苦の状態であることから知られよう。そのことは上の8494番に示された。ここでは真理の受容の
16-8506~8510原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8506. `Sex diebus colligetis illud': quod significet receptionem veri antequam conjungitur bono, constat ex significatione `sex dierum' quod sint status pugnae et laboris, de qua supra n. 8494, hic status recepti
16-8501~8505意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8501.二十五~二十七節、「そして、モーセは言った。今日はエホバの安息日なので今日はそれを食べよ、今日は野でそれをあなた達は見つけないであろう。あなた達はそれを六日間集めなければならない。第七日目は安息日である。その
16-8501~8505原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8501. Vers. 25-27. Et dixit Moscheh, Comedite illud hodie, quia sabbatum hodie Jehovae; hodie non {1}invenietis illud in agro. Sex diebus colligetis illud, et in die septimo sabbatum, non erit in eo. Et fuit in d
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19-8814~8815意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8814.「山の上の低い暗雲」が受け入れる者達に応じた神的なものの状態を意味することは、「暗雲」の意味が受け入れる者達に適用された真理であることから知られよう。従って文字通りの意味の聖言である。そのことについては8443, 8
19-8814~8815原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8814. `Et nubes gravis super monte': quod significet statum Divinum respective ad illos qui recepturi, constat ex significatione `nubis' quod sit verum accommodatum illis qui recepturi, ita Verbum in littera, de
19-8813意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8813.「響きと稲光があった」が、その啓示の中の神的なものの状態を意味することは、雷鳴の音である「響き」の意味が神的な真理であることから、また「稲光」の意味がその真理にある輝きと光輝であることから知られよう。なぜなら、神的
19-8813原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8813. `Et fuit voces et fulgura': quod significet statum Divinum in quo revelatio, constat ex significatione `vocum,' quae sunt sonitus tonitruum, quod sint vera Divina, et ex significatione `fulgurum' quod sit rutilat
19-8812意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8812.「早朝に」が善の中に居る時の状態を意味することは、「朝」の意味が愛の善の状態であることから知られよう。そのことについては8426番に示された。エホバ、即ち主が三日目に、またその日の朝にシナイ山に降ったことから、ここの「
19-8812原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8812. `In fieri mane': quod significet statum cum in bono, constat ex significatione `mane' quod sit status boni amoris, de qua n. 8426. Ex his, quod Jehovah, hoc est, Dominus, descenderit super monte Sinai die tertio,
19-8810~8811意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8810.十六~十九節、「そして、三日目になり早朝に山の上で響きと稲光、および低い暗雲が生じた。また著しく力強い角笛の音があった。そして陣営の中の凡ての民は恐れた。そして、モーセは民が神に行き会うように陣営から出て行く
19-8810~8811原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8810. Vers. 16-19. Et fuit in die tertio in fieri mane, et fuit voces et fulgura, et nubes gravis super monte, et vox buccinae vehemens valde, et trepidabat omnis populus qui in castris. Et exire fecit Moscheh po
19-8806~8809意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8806.「同時に民を聖別した」が、彼らが信仰の神聖なものの中に居ることが見えるために内的なものを覆うことを意味することは、上の8788番に説明されたことから知られよう。しかしそこではイスラエルの民の許の聖別が何であるかが
19-8806~8809原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8806. `Et sanctificavit populum': quod significet obvelationem interiorum ut in fidei sancto appareant, constat ex illis quae supra n. 8788 explicata sunt, sed ibi expositum est quid sanctificatio apud populum Is
19-8804~8805意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8804.十四~十五節、「そして、モーセは山から民へ降り、同時に民を聖別し、また彼らは自分達の衣服を洗った。そして、モーセは民に言った。あなた達は三日目まで準備せよ、女に近付くな、」「そして、モーセは山から民へ降った」
19-8804~8805原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8804. Vers. 14, 15. Et (x)descendit Moscheh de monte ad populum, et sanctificavit populum, et laverunt vestes suas. Et dixit ad populum, Estote parati ad tres dies; ne accedatis ad mulierem. `Et descendit Moscheh
19-8800~8803意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8800.「或いは矢で射ることで殺されなければならないからである」が、霊的な善もまた滅びることを意味することは、「矢で殺されること」の意味が霊的な善に関して滅びることであることから知られよう。なぜなら、「弓を射る者」に
19-8800~8803原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8800. `Et jaculando jaculis conficietur': quod significet quod etiam spirituale bonum pereat, constat ex significatione `jaculis confici' quod sit perire quoad bonum spirituale, nam per `jaculatorem arcus' signif
19-8797~8799意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8797.「山に触れる凡ての者は死ぬことで死ななければならない」が、霊的な教会からの者が天的な社会にまでも自分自身を導入する者は滅びることを意味することは、「山」の意味が愛の善であることから知られよう。そのことについて
19-8797~8799原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8797. `Omnis tangens montem moriendo morietur': quod significet quod qui ab Ecclesia spirituali usque ad [societates] caelestes se infundit pereat, constat ex (x)significatione `montis' quod sit bonum amoris, de
19-8794-2~8796意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[4]更に霊的な教会からの者達の生命の広がることは、霊的な天界と言われる第二の天界の中の天使的なスフェア(霊気)まであるが、しかし第三の天界のそこの天的なスフェア(霊気)までは広がっていない。その理由は、霊的な教会
19-8794-2~8796原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ[4] Porro:ところで、更に、~の他に、sciendum:知られるべき、(未来受動分詞)quod:こと、それ、そのこと、extensio:拡大、延長、伸ばすこと、広げること、vitae:生命、illorum:彼らの、それらの、qui:その者達、ab:
19-8792~8794-1意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8792.「エホバが凡ての民の目の前に降るからである」が、主の降臨とその時の照らしを意味することは、エホバ、即ち主について言われる時の「降ること」の意味が流入による主御自身の臨在であることから、従って降臨であることか
19-8792~8794-1原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ8792. `Descendet Jehovah ad oculos omnis populi': quod significet adventum Domini et tunc illustrationem, constat ex significatione `descendere' cum dicitur de Jehovah, hoc est, Domino, quod sit praesentia Ipsi
12-7878~7882意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7878.「あなた達のそばを通り過ぎる」が、そこから逃げること、即ち地獄からの断罪が逃げることを意味することは、断罪について言われる時の「通り過ぎること」の意味が、そこから逃げることであることから知られよう。更に地獄か
12-7878~7882原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7878. `Et praeteribo praeter vos': quod significet quod fugiet inde, nempe damnatio quae ab infernis, constat ex significatione `praeterire' cum hoc dicitur de damnatione, quod sit fugere inde; etiam damnationis
12-7874~7877意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7874.「私はエホバである」が主が唯一の神で在られることを意味することは、上の7401, 7444, 7544, 7598, 7636番に説明されたことから知られよう。7875.「また、血がなければならない」が無垢の善の真理を意味することは、上の7846
12-7874~7877原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7874. `Ego Jehovah': quod significet Dominum quod solus Deus, constare potest ex illis quae supra n. 7401, 7444, 7544, 7598, 7636, explicata sunt.7874. ` Ego:私は、Jehovah'::エホバ、quod:こと、それ、そのこと、
12-7870~7873意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7870.「その夜に」が彼らの悪い状態を意味することは、「夜」の意味が悪と間違った原理以外にない時の状態であることから知られよう。というのは、夜は昼に、また暗黒は光に対比されるからであり、「昼と光」によって真理と善があ
12-7870~7873原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7870. `In nocte illa': quod significet statum mali illorum, constat (c)ex significatione `noctis' quod sit status cum non nisi quam malum et falsum; opponitur enim nox diei {1}et caligo luci, et per `diem' (c)et
12-7868~786意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7868.十二~十六節、「そして、私はその夜にエジプトの地の間を通り過ぎ、同時にエジプトの地において人間から獣に至るまで凡ての長子を打とう。またエジプトの凡ての神々に審判を為そう。私はエホバである。また、血があなた達がそ
12-7868~7869原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7868. Vers. 12-16. Et transibo per terram Aegypti in nocte illa, et percutiam omne primogenitum in terra Aegypti ab homine et usque ad bestiam; et in omnes deos Aegypti faciam judicia, Ego Jehovah. Et erit sangui
12-7861~7867意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7861.「そしてそれに関して朝に至るまで残っているものは火で焼き尽くさなければならない」が、試練を通した終結(目的)までの中間(手段)の状態を意味することは、「朝まで残っているもの」の意味が最後に天界へ上げるための中
12-7861~7867原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7861. `Et residuum de illo usque ad mane igne comburetis': quod significet statum medium ad finem per tentationes, constat ex significatione `residui {1} ad mane quod sit status medius ad ultimum, qui est elevati
12-7858~7860意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7858.「しかし火で焼いたものを(食べなければならない)」が愛からを意味することは、「火で焼いたもの」の意味が愛からの善であることから知られよう。そのことについては上の7852番に示された。7859.「その頭をその脚と胴の上で
12-7858~7860原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7858. `Verum tamen assum igne': quod significet quod ex amore, constat ex significatione `assi {1}igne' quod sit bonum quod ex amore, de qua supra n. 7852.7858. `Verum:真理、tamen:しかし、それにもかかわらず、as
12-7854~7857意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7854.「苦菜の上で」が不愉快な試練によってを意味することは、「苦菜」、或いは苦味の意味が不愉快なものであることから、ここでは不愉快な試練であることから知られよう。というのは、「過ぎ越しの小羊」によって表象される無垢
12-7857原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7857. `Et coquendo coctum [in] aquis': quod significet quod non exibit ex vero quod fidei, constat ex significatione `aquarum' quod sint vera quae fidei, de qua n. 2702, 3058, 3424, 4976, 5668; inde `coctum aquis' est
12-7854~7856原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7854. `Super amaroribus': quod significet per tentationum injucunda, constat ex significatione `amarorum' seu `amaritudinum' quod sint injucunda, hic quae tentationum; bonum enim innocentiae, quod per `agnum pasc
12-7851~7853意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7851.「その夜の内に」が悪い者達の断罪の時を意味することは、「夜」の意味が真理と善の荒廃の状態であることから知られよう。そのことについては221, 709, 2353, 7776番に示された。従って断罪である。なぜなら、真理と善がもは
12-7851~7853原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7851. `In nocte illa': quod significet cum damnatio malorum, constat ex significatione `noctis' quod sit status devastationis veri et boni, de qua n. 221, 709, 2353, 7776, ita damnatio, nam cum non {1}amplius ver
12-7848~7850意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7848.「家の」が善い意志のものを意味することは、「家」の意味が人間であることから知られよう。そのことについては3128番に示された。またそのことは人間の心である。3538, 4973, 5023, 7353番を参照、それ故に、ここの意志のも
12-7848~7850原典訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7848. `Super domibus': quod significet illa quae voluntatis boni sunt, constat ex significatione `domus' quod sit homo, de qua n. 3128, quodque sit mens hominis, n. 3538, 4973, 5023, 7353, consequenter id quod es
12-7846~7847意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅰ7846.「そして、その血から取り」が無垢の善の神聖な真理を意味することは、「血」の意味が主から発している神聖な真理であることから知られよう。そのことについては4735, 6978, 7317, 7326番に示された。またそれは「小羊の血」