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私を知る https://blog.goo.ne.jp/suiku2013

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。

自覚とは「私」に意識を向け、一切のことは「私」の考えであることを自覚していくことです。

suiku2013
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2013/06/27

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  • ツイート記事(202410~)

    ◇ツイート記事(20241010~)◇<10月10日>◇大悟を振り返ってここ数日、無我の悟り(大悟)について何か呼び水になるような文章を書けないかと考えているのですが、なかなか難しくてまとまりません。それで、自分が大悟したとき、どういう経緯を辿ったのかと自分の過去の足取りを振り返ってみました。ちなみに、私が大悟に至った日は、2013年10月19日(土)でした。自覚を始めて解脱に至るまで、思ったことや気づいたことをノートを書いてましたので、今でもそれを読むと当時の足取りをある程度追うことができます。今までこのブログでは余り大きく取り上げて来なかったのですが、自分が受け入れの取り組みを結構熱心にやっていたことがわかったのです。ここでの受け入れとは、自分自身を受け入れるというものです。受け入れには二種類あり、一...ツイート記事(202410~)

  • 私の体験談(解脱の悟り後のこと)(3)-幸せに気づくー

    ◇私の体験談(解脱の悟り後のこと)(3)ー幸せに気づくー◇昨日このブログに「幸せについて」という記事を書いたのですが、実はそれは私自身に起こったちょっとした気づきだったのです。その気づきを体験談として記事にしてみたいと思います。約12年前に明け渡しが起こったのですが、その当時は重度の自閉症で世話がとても大変な息子を抱え、家庭と仕事の負担に押しつぶされそうになりながら生きていました。一般的な幸福からは程遠い、厳しく辛い状況にありました。そのような中、明け渡しが起こり、その後暫くの間、頭の中が何が起こっても有難く思えてしまうという超おめでたい状態になり、このときおそらく、幸福感に関する感覚がかなりの部分吹き飛んでしまったようです。その後に出会った自覚を通じて、一般的な幸せというものが囚われや執着にまみれた迷い...私の体験談(解脱の悟り後のこと)(3)-幸せに気づくー

  • 幸せについて

    ◇幸せについて◇私たちは皆、幸せを求めています。そして、多くの方は幸せになろうとして、外側に向けて幸せを求めてしまいます。しかし、そうした取り組みによって本当に幸せになれるのでしょうか。私は大いに疑問を感じます。では、幸せは何処にあるのか。私の答えは、こうです。人が自身の本心に取り組み、生きるとき、その営みそのものが幸福になる。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。コメント大歓迎です。気軽にお書きください。読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想ブログランキングへ幸せについて

  • 一切皆苦と存在苦

    ◇一切皆苦と存在苦◇一切皆苦とは、一切が苦ということですが、わかりやすく言えばその中身の多くは存在苦です。存在苦とは、存在していることそのものが苦、あるいは存在そのものが苦であるということです。とは言っても、多くの方々はこの存在苦に意識が向くことはありません。まだまだ経験したいことが沢山あり、経験すること、存在することへの執着が強いからです。存在苦を感じるようになるのは、おそらく前世で一度あるいは何度か大悟を経験してからだろうと考えています。なぜなら、小悟者の多くは何らかの絶対的あるいは恒久的なものに対する囚われがあり、そのことが存在への執着を物語っているからです。また、大悟者についても、一度目の大悟では一切のことがらに対してフラットになり、楽になるだけなのだろうと思うのです。存在苦を感じ始めるのは、おそ...一切皆苦と存在苦

  • 仏教における縁起をめぐる誤りについて

    ◇仏教における縁起をめぐる誤りについて◇先日、釈迦が縁起をどう捉えていたかについて調べていたのですが、その過程で南伝系も大乗系も含めて仏教の大半というか、おそらくほぼ全ての系統において、縁起の捉え方を間違っていることにわかりました。余りの状況に愕然とし、どうでもよくなり、仏教に言及する気も無くなったのですが、気を取り直して最後に、縁起をめぐる仏教が抱えている問題点について書いておこうと思います。まずは、仏教の縁起に関する誤解について。先日の記事「龍樹は縁起を誤解している」の中で書いた通り、私という存在は意識であり、その意識は、微細に見ると識が映画フィルムのコマのようにパッ、パッ、パッと連鎖的に連なって生滅することで展開しています。識は、各瞬間における認識であり、思考や感情を含めた五感を通じて起こってくる現...仏教における縁起をめぐる誤りについて

  • 存在に関する情報

    ◇存在に関する情報◇9年程前に見た夢の体験から、私たち存在に関する興味深い情報をいくつか読み取ることができますので、今回はそれを記事にしておこうと思います。ひょっとすると、この情報がどなたかの役に立つかも知れないと思っています。その夢の体験はブログ記事にしておりまして、リンクはこれです。私は12年程前に明け渡しを体験した後から、身体の無い存在になっている夢を頻繁に見ます。その身体の無い存在とは、本当に身体が無く、視覚だけがあり、意識としては薄っすらとした自我(思考や発意、感情等)があります。存在の大きさはおそらく点のような小さいもので、透明です。私は、そのような視点だけの存在になって、人々の様子や景色を眺めている夢を頻繁に見ます。多くの夢は特筆するようなことは余りないのですが、上でリンクを貼った9年前の夢...存在に関する情報

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