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2013/06/15

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  • 日吉宇佐の宮の神輿蔵

    岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。惣門を入るとすぐ右側にう日吉宇佐の宮の神輿蔵があります。この神輿は日吉神社祭典行事で担がれ、5番目に渡御する神輿です。笹鉾に飾ってある金物は葵の紋、胴体の柱の金物は上部に巻雲模様、下部は波の模様を金で刻んでいます。貞享4年(1687)に造られたもので県の重要有形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉宇佐の宮の神輿蔵

  • 日吉神社本殿

    岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉神社本殿は大己貴神を主神として祀っています。棟札により寛永7年(1630)に尾張藩初代藩主徳川義直が再建したことがわかります。間口3間、奥行3間の三間社流造り、檜皮葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。昭和33年(1958)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉神社本殿

  • 日吉神社の石造狛犬

    岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉神社の石造狛犬は収蔵庫に納められています。レプリカは本殿の前に置かれています。西保城主であった不破河内守光治により天正5年(1577)に寄進されています。稲葉一鉄らとともに「西美濃四人衆」と称された人物です。この狛犬は岐阜県内に現存する石造狛犬の中で、唯一国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉神社の石造狛犬

  • 日吉神社三重塔

    岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉神社の三重塔は神仏混淆の思想に基づき平安時代に建立されました。その後、永正年間(1504-1520)に春日局の父の叔父になる斉藤利網が再建したといわれています。天正13年(1585)には春日局の叔父になる稲葉一鉄によって改修されています。三重塔は間口3間、奥行3間、宝形造り、檜皮葺きの三間塔婆で、相輪頂上までの高さは24.6mもあります。戦国の兵火を免れ、天正、貞享、文政、明治に修理をされています。室町時代の貴重な三重塔で、大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへ...日吉神社三重塔

  • 日吉神社

    岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。弘仁8年(817)、当時の領主・安八太夫安次の願いにより最澄がお寺である善学院を建て、近江坂本の山王社を勧請して日吉神社を建てたと伝えられています。日吉神社というのは7つのお宮全体を指しています。本殿に当たる日吉大宮、日吉二の宮、日吉宇佐の宮、日吉樹下の宮、日吉牛尾の宮、日吉客人の宮、日吉三の宮です。5月3、4日に行われる山王祭りにはこの7つの神様を神輿に乗せて練りまわします。惣門を入るとすぐ右側に日吉宇佐の宮の神輿蔵があります。奥の神輿殿までの間に、右側には中ノ坊跡、十光坊跡、福泉坊跡、浄光坊跡、牛石、竃殿神社があり、その右側に三重塔、火祭りの庭、石舞台の庭があります。左側には常楽坊跡、蓮華院跡、西門、法光坊跡...日吉神社

  • 武芸八幡宮本殿

    岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。武芸八幡宮本殿は間口3間、奥行2間の三間社流造り、銅板葺きの社殿です。外壁は真壁造板張りです。観応2年(1351)森蘭丸の祖先にあたる森又太郎源泰朝が再建しました。武芸谷十ヵ村「八幡・小知野・谷口・跡部・宇多院・高野・平・広見・中洞・岩佐・稲口」の惣社として崇敬されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武芸八幡宮本殿

  • 武芸八幡宮拝殿

    岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。武芸八幡宮拝殿は間口5間、奥行3間、入母屋造り、銅板葺き、平入の木造平屋建てで、外壁は柱のみの吹き放し、腰壁は縦板張りです。観応2年(1351)森蘭丸の祖先にあたる森又太郎源泰朝が再建しました。慶応元年(1865)に焼失しましたが、加納の大工銀右衛門により再建されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武芸八幡宮拝殿

  • 武芸八幡宮太鼓楼

    岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。武芸八幡宮の太鼓楼(鐘楼)は入母屋造り、銅板葺きで、袴腰が付いています。上層部は柱のみの吹き放しで高欄が付けられています。昔は12坊を持つ格式の高い大聖寺という大寺の鐘楼でしたが、明治の神仏分離令により廃寺になり、鐘楼だけが太鼓楼として生き残りました。武芸川町で最も古い建築物であり、関市の有形文化財でもあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武芸八幡宮太鼓楼

  • 武芸八幡宮神門

    岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。武芸八幡宮の神門(随身門)は永和3年(1377)に建立され、平成4年(1992)に再建された門です。間口3間奥行2間、切妻造り、銅板葺きの三間一戸の門で、左右に随神像が安置されています。「これより先は神の聖域で、邪悪なものの侵入を防ぐ」という意味が込められています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武芸八幡宮神門

  • 武芸八幡宮神木

    岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。武芸八幡宮の参道沿いに神木といわれるひときわ大きな杉があります。推定樹齢は約千年、樹高38m、目通7.5mもあり、非常に貴重な事から昭和36年(1961)に岐阜県の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武芸八幡宮神木

  • 武芸八幡宮の下馬標

    岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。武芸八幡宮の下馬標は高さ1.4m、幅0.39mで、太鼓橋を渡った西側に建てられています。これより奥へは馬や駕篭から降りて歩けという命令を下した標識です。永禄5年(1562)に織田信長によって建てられています。下馬標は岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武芸八幡宮の下馬標

  • 武芸八幡宮太鼓橋

    岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。武芸八幡宮の太鼓橋は元禄7年(1694)、大阪府泉南郡の石橋長右衛門によって、御嶽山から持ってきた石で造られています。神域を尊厳するための橋であり、祭礼の時に神様が御旅所まで向かわれる「渡御(とぎょ)」の時だけ使われます。大聖寺住職、法印和尚の筆書きが残されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武芸八幡宮太鼓橋

  • 武芸八幡宮御旅所

    岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。武芸八幡宮の御旅所(おたびしょ)は第一鳥居から600m奥に建てられています。例祭である「花馬まつり」がここを中心に開かれます。この祭りは造花を背負った馬が境内に駆け込み、参拝者達がその造花を取り合うという祭りです。その造花を家の屋根に掲げると「落雷防止」や「家運隆盛」に御利益があると伝えられています。この時奉納される武芸八幡神楽は関市の無形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武芸八幡宮御旅所

  • 武芸八幡宮

    岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。武芸八幡宮は養老元年(717)、泰澄(たいちょう)大師が巡錫して大碓命(おおうすのみこと)の伝説を聞き、大碓命を祭神にして八幡神社を創建したと伝えられています。後、宇多天皇が美濃に行幸された時、別当神宮寺に臣下の者を留め置き、神社に奉仕させたそうです。古くから武将の崇敬が厚く、観応2年(1351)森蘭丸の祖先にあたる森又太郎源泰朝が、社殿を再興しています。本殿、拝殿、五重塔、鐘楼などを建てられたそうです。その頃、不動を含め塔頭12坊が存在していたそうです。また、永禄10年(1567)、斎藤氏を滅ぼした織田信長は、井ノ口を岐阜と改め、稲葉山城を岐阜城としました。岐阜城からすると、武芸八幡宮は丑寅といって北東の方角に当たり、城の鬼門守護神として...武芸八幡宮

  • 大矢田神社のヤマモミジ

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社一帯の楓谷(かえでだに)には、約3千本のヤマモミジの原生林があり、樹齢千年以上の古木もあります。昭和5年(1930)に楓谷のヤマモミジ樹林として国の天然記念物に指定されました。また平成16年(2004)には飛騨・美濃紅葉三十三選の一つに選ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大矢田神社のヤマモミジ

  • 大矢田神社本殿

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社の本殿は江戸中期の寛文12年(1672)に名古屋の大工、曽根源右衛門によって再建された社殿です。三間二面の流造りで、檜皮葺きで、切妻造り、中央に向拝を設けています。向拝の中央を唐破風(からはふ)としてその上に千鳥破風(ちどりはふ)を配しています。各所に彫刻、極彩色を施すなど派手な意匠になっています。斗組(ときょう)は出組(でぐみ)で、建物の妻をはじめ、各部に精巧な彫刻と彩色を加えた豪華な造りです。二重虹梁(にじゅうこうりょう)の妻は特に美しく、梁を三人の力士で支えています。大矢田神社の本殿は市内第一の華麗さを誇る優秀な建築で、平成元年(1989)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www...大矢田神社本殿

  • 大矢田神社拝殿

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社の拝殿は江戸中期の寛文12年(1672)以前に再建されたと思われます。間口3間、奥行3間の三間三面妻入り(つまいり)、一重、切妻造り、檜皮葺きの社殿です。妻入り拝殿は市内には他に例を見ない特徴ある形式で、尾張地方の大社の拝殿と類似しています。拝殿の柱は杉の角柱で、斗組(ときょう)は舟肘木(ふなひじき)、妻は二重虹梁(にじゅうこうりょう)で背面の中央に蟇股(かえるまた)を入れています。内陣として円柱を立て、格天井(ごうてんじょう)を貼っています。棟札(むなふだ)は見つかりませんでしたが本殿より少し前に完成しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラン...大矢田神社拝殿

  • 大矢田神社太鼓橋

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社の太鼓橋は神様が渡られる橋で、神橋とも呼ばれています。下を流れる川が結界となって、これを境に手前が俗界、向こう側が神域となります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大矢田神社太鼓橋

  • 大矢田神社楼門

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社の楼門は享保8年(1723)に京都の大工谷口五兵衛と当村大工広田平兵衛によって再建された建物です。弘治2年(1556)の戦乱で大矢田神社の大半は焼失しましたがこの仁王門のみが残りました。しかし享保7年(1722)に破損して修復途中、完成間際に大工小屋からの出火で全焼、1年後やっと完成したと伝えられています。昭和44年(1969)に美濃市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大矢田神社楼門

  • 大矢田神社

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社は天王山の中腹にある古社です。孝霊天皇の御代(BC290-215)、建速須佐之男命(すさのうのみこと)と天若日子命(あめのわかひこのみこと)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。天若日子命は真木倉神社の祭神・天稚彦命と同じ人で喪山伝説の中心人物です。<喪山伝説とは天稚彦が不審な雉を矢で射ると、その矢が天から戻って来てその返し矢に当たって亡くなったという伝説です。>その後、大矢田神社は養老年間(712-723)に泰澄大師によって開基されたと伝えられています。弘治2年(1556)、戦乱で大矢田神社は灰燼に帰しました。塔頭7坊のうち、極楽坊と常泉坊の2坊だけは後に再建されました。明治3年(1870)、神仏分離・廃仏毀釈により牛頭天王を...大矢田神社

  • 旧有知学校校舎

    岐阜県美濃市泉町に宝勝院(旧有知学校校舎)があります。宝勝院の庫裏は明治9年(1876)に建てられた旧有知学校(きゅううちがっこう)の本館校舎を移築したものです。寄棟造り、桟瓦葺きの木造2階建てで、明治時代初期に建てたられた擬洋風校舎建築です。旧有知学校校舎として、平成10年(1998)に美濃市の有形指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧有知学校校舎

  • 宝勝院(旧有知学校校舎)

    岐阜県美濃市泉町に宝勝院(旧有知学校校舎)があります。金毘羅山宝勝院(ほうしょういん)は不動明王を本尊とする真言宗醍醐派のお寺で、美濃三十三観音4番札所でもあります。創建はよくわかりませんが、天正18年(1590)に南渡快俊僧都により再興され、不動明王が安置されました。金森長近が上有知を領地とすると、長良川の水運を利用した川湊を設置しました。慶長年間その川湊の水運の加護として金毘羅大権現を讃岐より勧請したと伝えられています。天明年間(1781-1789)に火災により焼失しましたが文化4年(1807)に再興しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/宝勝院(旧有知学校校舎)

  • 美濃和紙あかりアート館

    岐阜県美濃市本住町に美濃和紙あかりアート館があります。美濃和紙あかりアート館には毎年秋に美濃市で開催される「美濃和紙あかりアート展」の入賞作品を展示しています。美濃和紙あかりアート展は、歴史ある美濃和紙を使ったあかりアート作品を全国から募集し、「うだつのあがる町並み」を会場に展示、コンテストするものです。美濃和紙あかりアート館の建物自体は、昭和16年(1941)に美濃町産業会館として美濃町信用購買販売利用組合が建設したものです。美濃町農業共同組合、美濃商工会議所、美濃市農業共同組合本店として使われました。平成17年(2005)に国の登録有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...美濃和紙あかりアート館

  • 今井家住宅

    岐阜県美濃市泉町に今井家住宅があります。旧今井家住宅は江戸時代中期に建てられた商家です。美濃市内最大級の町屋建築で、平成6年(1994)に美濃市指定文化財に指定されています。美濃市美濃町重要伝統的建造物群保存地区の中の主要な建物で、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。主屋は間口12間、奥行8間、切妻造り、桟瓦葺き、平入の木造2階建てで、外壁は真壁造り、漆喰仕上げです。1、2階正面には格子戸、屋根両脇には高くうだつが掲げられています。中庭にある水琴窟は環境省選定で「日本の音風景100選」に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/今井家住宅

  • 上有知湊渡船場灯台

    岐阜県美濃市港町に上有知湊(こうずちみなと)があります。上有知湊(こうずちみなと)渡船場(とせんじょう)灯台は江戸時代中期以後に建てられたもので、その形は摂津の住吉神社の灯台を模したものといわれ住吉神社の献灯を兼ねています。高さが9mもある灯台で、全国的に見ても現存する数少ない川湊灯台として貴重な存在です。上有知湊跡は渡船場灯台を含め、昭和45年(1970)に岐阜県指定史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上有知湊渡船場灯台

  • 上有知湊

    岐阜県美濃市港町に上有知湊(こうずちみなと)があります。上有知湊は長良川舟運の一大拠点で、最盛期には美濃国4大川湊に数えられ大きく発展しました。慶長10年(1605)この地の領主になった金森長近によって開かれた湊で、町の繁栄策として六斎市を開かせ、物資輸送の玄関口として上有知湊を開いたのでした。番船40隻をおいて長良川下流への船搬の拠点としました。上有知湊は長良川舟運の重要な拠点として整備され、物資の輸送と共に上流で切り出された木材を組んだ筏の発着場としても大きく発展しました。美濃和紙をはじめ荏胡麻、生糸、酒などがここを拠点にして各地に運ばれていきました。船着場跡の石畳、住吉型川湊灯台が残っていて岐阜県の史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp...上有知湊

  • 美濃橋

    岐阜県美濃市上有知ー美濃市前野にかけて美濃橋(みのはし)があります。美濃橋は岐阜県美濃市曽代・前野、小倉山の西方を長良川が湾曲して流れる地点に位置しています。岐阜県技師戸谷亥名蔵を中心に建設が進められ、大正5年(1916)に完成しました。現存する最古の近代吊橋として知られています。橋の長さは113.0m、支間116.0m、幅員3.1m、型式は単径間補剛吊橋です。両岸に据えられたアンカーレイジに、鉄筋コンクリート造の主塔から吊るされた主ケーブルを碇着し、吊ケーブルで支持された橋桁を鉄骨トラスで補剛しています。近代吊橋の要素を構造躯体全体に備え、建設当時わが国で最大級の支間を実現しました。平成13年(2001)に土木学会選奨土木遺産に選定されました。現存する最古の近代吊橋で、橋梁建設史上高い価値があることから...美濃橋

  • 小倉山城

    岐阜県美濃市泉町に小倉山城(おぐらやまじょう)があります。小倉山城は小倉山の南麓にあり、現在小倉公園の主要部を占めています。広さは東西約130m、南北約50mで、三段に分かれており、それぞれ高い石垣が築かれています。小倉山はもと尾崎丸山といわれていましたが、慶長5年(1600)の関が原の戦い後、城主になった金森長近が鉈尾(なたお)山にあった城をここに移し小倉山と改めたそうです。長近は豊臣秀吉の下で飛騨国を統一し、関が原の戦いでは東軍に付いて功を上げ上有知領2万石が加えられました。慶長10年(1605)、高山藩と高山城を養子の金森可重に譲り、自らは上有知に移って小倉山城を築き、上有知藩を立藩しました。慶長12年(1607)、長近が亡くなると実子の金森長光が上有知藩の藩主となりました。しかし跡継ぎが続かなかっ...小倉山城

  • 美濃和紙の里会館

    岐阜県美濃市蕨生に美濃和紙の里会館があります。美濃和紙の里会館は、「美濃和紙」をテーマにした博物館です。美濃の里山で1300年前からすかれ続けてきた美濃和紙の歴史や技を資料などの展示で紹介しています。また、作られている過程を実際に触れることもでき、紙すき体験などが出来るワークショップも開いています。本美濃和紙の原料はコウゾのみを用いています。上質の原料と長良川の豊富な水で、美濃市周辺は15世紀には一大産地になりました。当時、大矢田には紙専門の市がたち、近江商人によって買い占められ都に送られていたそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/美濃和紙の里会館

  • 長蔵寺舎利塔及び須弥壇

    岐阜県美濃市上野に長蔵寺(ちょうぞうじ)があります。舎利塔は小規模な一重宝塔で舎利堂に納められています。細部に至るまで精巧で、室町時代の天文16年(1547)に造られています。須弥壇は舎利塔と一連のもので、禅宗様で、形が整い意匠もよく、高欄親柱は非常にめずらしいものです。舎利塔は高さは3mで黒朱漆塗で彫刻されています。昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長蔵寺舎利塔及び須弥壇

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