富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。海王丸パークには日本海交流センターがあります。海洋文化への理解と知識を深めてもらうための施設です。世界の帆船の模型が展示され、海の情報発信基地として親しまれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日本海交流センター
岐阜県瑞浪市明世町山野内に瑞浪市民公園があります。瑞浪市民公園は瑞浪市にある都市公園(総合公園)です。昭和49年(1974)に瑞浪化石公園として開園し、各施設の整備により現名称となりました。園内にはサイエンスワールド、瑞浪市化石博物館、瑞浪市陶磁資料館、瑞浪市市之瀬廣太記念美術館、大島1号古墳、連房式登窯などがあります。園内は遊歩道で整備されています。いこいの広場や、瑞浪市民体育館、瑞浪市民野球場、瑞浪市民テニスコート、瑞浪市民競技場、瑞浪市民アーチェリー場、瑞浪市民弓道場などの体育施設も集合されています。また、戸狩地下壕や日中不戦の誓い碑なども建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ...瑞浪市民公園
岐阜県瑞浪市明世町山野内に明白寺があります。本堂手前に生飯台があります。生飯(さば)とは鎮魂慰霊の施食で食事を少し取り分けて、餓鬼・畜生・無縁霊に供する物をいいます。生飯台(さばだい)は燈籠の下半分だけの石の台です。享保8年に造られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/生飯台
岐阜県瑞浪市明世町山野内に明白寺があります。明白寺の本堂手前の左側に石塔が並んでいます。一際大きい五輪塔は瑞浪市内最大の五輪塔で、市指定文化財です。鎌倉時代末期~南北朝時代の造立とみられ、一説には土岐頼基)の墓とされています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明白寺五輪塔
岐阜県瑞浪市明世町山野内に明白寺があります。明白寺は江戸時代に再興された黄檗(おうばく)宗のお寺です。唐の僧・黄檗希運の名に由来するこの宗派は、臨済宗、曹洞宗に次ぐ禅宗の一つです。境内には黄檗(きはだ)樹が植えられています。境内には、本堂のほか、土岐明智氏の祖である土岐頼基の墓といわれる五輪塔や、万治3年(1660)に建てられたという万治の延命地蔵尊などがあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明白寺
岐阜県瑞浪市明世町山野内に明白寺があります。明白寺は江戸時代に再興された黄檗(おうばく)宗のお寺です。唐の僧・黄檗希運の名に由来するこの宗派は、臨済宗、曹洞宗に次ぐ禅宗の一つです。境内には黄檗(きはだ)樹が植えられています。境内には、本堂のほか、土岐明智氏の祖である土岐頼基の墓といわれる五輪塔や、万治3年(1660)に建てられたという万治の延命地蔵尊などがあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明白寺
岐阜県多治見市池田町に永泉寺があります。永泉寺の本尊である木造聖観音立像は木造、寄木造り玉眼の半金色像です。室町時代初期に制作されたもので像高62.5cm、総高75cmの貴重な像で仏光院の本尊であったと思われます。大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。この他、愛染明王坐像、千手千眼観世音菩薩立像、十一面観世音菩薩坐像が多治見市の有形文化財に指定されています。かっての池田五山の仏像が永泉寺に受け継がれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永泉寺木造聖観音立像
岐阜県多治見市池田町に永泉寺があります。永泉寺境内にある銀杏(イチョウ)は寛永2年(1625)に雲山和尚が開山した際、和尚自ら植樹したと伝えられています。樹高28m、目通り幹周3.86m、枝張27.1mの大木で、昭和47年(1972)に多治見市の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永泉寺の銀杏
岐阜県多治見市池田町に永泉寺があります。永泉寺境内にある銀杏(イチョウ)は寛永2年(1625)に雲山和尚が開山した際、和尚自ら植樹したと伝えられています。樹高28m、目通り幹周3.86m、枝張27.1mの大木で、昭和47年(1972)に多治見市の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永泉寺の銀杏
岐阜県多治見市池田町に永泉寺があります。永泉寺の惣門は天保14年(1843)に再建されたもので、間口2.7m、奥行1.6m、一間一戸、切妻造り、桟瓦葺きの薬医門です。江戸時代後期の寺院山門建築の遺構として平成26年(2014)に多治見市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永泉寺惣門
岐阜県多治見市池田町に永泉寺があります。石堂山永泉寺は聖観音菩薩を本尊とする曹洞宗のお寺です。寺伝によると奈良時代に光明皇后の願いにより、行基が華厳宗のお寺として創建したと伝えられています。可児道場とも呼ばれ繁栄し、無窓国師もひところこの寺に住んだことがあるといわれています。その後、地蔵院を筆頭として蓮華院、仏光院、明円寺、観音院の5つのお寺ができ、池田五山と称して栄えました。その後、衰微しましたが、蓮華院を現在の場所に移転して再興しました。寛文年間(1661-1673)に永泉寺と改名し、曹洞宗のお寺になりました。永泉寺の本尊である木造聖観音立像は室町時代初期に制作されたもので像高62cm、総高75cm、大変貴重な事から大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。また永泉寺の惣門は多治見市の有...永泉寺
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。永保寺には続芳院という塔頭があります。永保寺と同じ臨済宗南禅寺派のお寺で聖観世音菩薩を本尊としています。玉霄正深禅師により創建されています。虎渓西国33観音の第32番の千手観音石像が祀られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/続芳院
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。永保寺の大銀杏は樹高25.5m、目通り4.4m、枝張り21.2mで、昭和41年(1966)に多治見市の天然記念物に指定されています。永保寺を開山した元翁本元(仏徳禅師)お手植えの木として大切にされてきました。言い伝えによると樹齢700年になるそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永保寺大銀杏
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。永保寺の六角堂は霊擁殿とも呼ばれ、梵音巌(ぼんのんがん)と呼ばれる岩の上に建てられています。六角の堂宇で、屋根は茅葺きです。堂内には千体地蔵が祀られています。願をかける人は地蔵を借り、願いがかなうと新しい地蔵を添えて返されているそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永保寺六角堂
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。永保寺の大銀杏の前に庫裡が建てられています。平成15年(2003)9月10日、火災で焼失しました。平成19年(2007)8月29日、約520平方mの新しい庫裡が再建され完成式が行われました。大きな切妻屋根と典座釜戸の煙り出し屋根が優雅です。図面が無かったため設計は写真と国宝瑞巌寺庫裡を参考にしたそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永保寺庫裡
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。永保寺の本堂は方丈である華藏庵です。平成15年(2003)9月10日、庫裡、大玄関とともに火災で焼失しました。再建を願う市民を中心に募金活動が行われ、平成23年(2011)6月に再建されました。右隣に大玄関、庫裡、大書院が建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永保寺本堂
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。永保寺の僧堂は坐禅堂でもあり海珠堂(かいしゅどう)とも呼ばれています。雲水修行の場であり、大小の禅堂と侍者寮があります。臨済宗では食堂、浴堂とともに三黙堂とされ無駄な物言いは許されない場所です。堂内正面には文殊菩薩が祀られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永保寺僧堂
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。永保寺庭園の臥龍池には無際橋(むさいきょう)が架けられています。観音堂の向かいにある木製の橋で屋形のある橋です。中央の屋根のある部分は亭しゃと呼ぶそうです。国師の作庭にこの種のものがあったとされ、昔からの形を伝えるものと考えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永保寺無際橋
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。永保寺庭園は永保寺開創の夢窓国師によって作庭されました。国師は京都の西芳寺(苔寺)や、天竜寺、鎌倉の瑞泉寺、甲州市の恵林寺などの作庭でも有名です。4万3300平方mが国の名勝に指定され、8千平方mは多治見市の名勝に指定されています。観音堂傍らの梵音巌(ぼんのんがん)、これにかかる水瀑は梵音の滝と名づけられています。池は臥龍池(がりゅういけ)と呼ばれ、心字池ともいわれています。離れ小島の中には弁天堂が建てられています。地泉回遊式の庭園で石組など見事な景観です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/永保寺庭園
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。永保寺の開山堂は僊壺堂(せんこどう)とも呼ばれ、文和元年(1352)に足利尊氏によって建立されたと伝えられ、南北朝時代前後の正慶2年から明徳3年(1333-1392)頃に建てられたと思われます。祠堂(しどう)には開祖である夢窓国師と開山した元翁本元(仏徳禅師)の坐像が安置されています。開山堂は庭園内の臥龍池を回った一番奥の僊壺洞(せんこぼら)に建てられています。永保寺は正和2年(1313):に夢窓国師により開創され、文保1年(1317):、国師は同門の元翁本元に後を任せ上京し臨川寺を開山しました。その後、永保寺開山を元翁本元(1281-1332)に改めています。方一間、裳階付きの一重、入母屋造、檜皮葺きの祠堂(内陣)があり、その前に礼堂にあたる外陣の...永保寺開山堂
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。永保寺の観音堂は水月場とも観音閣とも呼ばれます、間口3間、奥行3間の方三間、一重裳階(もこし)付き、入母屋造り、檜皮葺きの仏殿です。正和3年(1314)、夢窓国師が虎渓に来た翌年に建立されたと伝えられ、南北朝時代前後の正慶2年から明徳3年(1333-1392)頃の建物です。須弥壇の上の岩窟式厨子(がんくつしきずし)には県の重要文化財に指定されている聖観世音(しょうかんぜおん)菩薩の坐像が本尊として祀られています。別名「孕(はら)み観音」と呼ばれ、子宝・安産のご利益があることで知られています。観音堂は本格的な禅宗様仏殿と少し異なっています。軒反りが強い屋根の形状、桟唐戸、柱間上方の弓欄間など禅宗様の要素が強い一方で、和様の要素も多く含んでいます。低い床...永保寺観音堂
岐阜県多治見市虎渓山町に永保寺(えいほうじ)があります。虎渓山(こけいざん)永保寺(えいほうじ)は、多治見市にある臨済宗南禅寺派の名刹で、濃尾平野東北の丘陵地を流れる土岐川に面しています。雲水の修行道場である虎渓山専門道場も開いています。庭園は国の名勝に指定され、観音堂と開山堂は国宝に指定されています。また永保寺の紅葉は、飛騨美濃紅葉33選に選ばれています。本堂の前には市の天然記念物の樹齢700年の大銀杏と志野・織部釉を施した陶製の灯籠があります。永保寺は正和2年(1313)、土岐頼氏の招きを受けた夢窓国師(夢窓疎石)が、長瀬山のこの地に禅寺を開創したのが始まりです。夢窓国師がこの地を訪れた時、中国の廬山の虎渓の渓谷に似ていたことから虎渓山の山号がつけたといわれています。夢窓国師は文保1年(1317)、元...永保寺
奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。円成寺五輪塔は円成寺境内から西南200mほどところにある墓地の中に建てられています。鎌倉時代後期の元亨元年(1321)に造られた石造五輪塔で、元亨元年辛酉六月の刻銘が刻まれています。花崗岩で二重基壇の上に反華座を付け、総高さは234cmです。奈良県下の五輪塔では最古の銘で、昭和32年(1957)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/円成寺五輪塔
奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。円成寺の庭園は平安末期に寛遍上人が、真言密教の教義である「バン字」を基にして造営したと伝えられています。浄土式庭園を基盤とし、寝殿造り系庭園の配置を備えた舟遊式庭園で、全国でも数少ないものです。昭和48年(1973)に国の名勝に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/円成寺庭園
奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。円成寺の多宝塔は仁平3年(1153)寛遍僧正が真言密教の忍辱山流を創始した時に、後白河法皇が寄進されたものと円成寺縁起には記されています。応仁の乱の兵火で焼失し、再建された塔は大正9年(1920)に鎌倉長寿寺に移譲され、現在のものは平成2年(1990)に建立されました。安置されている大日如来坐像は運慶作で国宝です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/円成寺多宝塔
奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。寝殿造り風の円成寺の本堂は間口5間、奥行5間、単層、入母屋造り、妻入で正面に銅板葺きの3間の向拝を付けています。室町時代後期の文正元年(1466)の応仁の乱の兵火で焼失後、栄弘阿闍梨により、旧本堂と同じ規模と様式で、文明4年(1472)に再建されました。中央に方形に建てられている四本柱の柱身には聖衆来迎二十五菩薩の姿が極彩色で描かれ、本尊背後の二本柱には、昇龍、降龍が描かれています。須彌壇上には国重文の本尊・阿弥陀如来坐像が中央に安置され、同じく国重文の四天王像が守っています。円成寺本堂は昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.j...円成寺本堂
奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。創建時の楼門は文正元年(1466)の応仁の兵火で焼失し、現在の楼門は室町時代後期の応仁2年(1468)に再建された建物です。入母屋造り、檜皮葺きの三間一戸楼門で、明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。上下層に和様三手先を使い、下層出入口の上に正面、背面とも花肘木(はなひじき)を入れています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/創建時楼門
奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。円成寺にある宇賀神本殿は白山堂・春日堂の東隣の覆屋の中に建てられています。檜皮葺きの一間社春日造りで、向拝を唐破風とした社殿です。鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃の建築と考えられています。宇賀神は、農耕神あるいは蛇神・龍神ともされ、中世以降、穀霊神、福神として民間で信仰されました。仏教では弁才天と習合し、書道の神としても信仰されています。宇賀神本殿は昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/円成寺宇賀神本殿
奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。春日堂は白山堂と同じく、檜皮葺きの一間社春日造りで、棟木、千木、勝尾木を乗せています。安貞元年から安貞2年(1227-1228)の建築です。昭和28年(1953)に棟札とともに最古の春日造社殿として国宝に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/円成寺春日堂
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富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。海王丸パークには日本海交流センターがあります。海洋文化への理解と知識を深めてもらうための施設です。世界の帆船の模型が展示され、海の情報発信基地として親しまれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日本海交流センター
富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。「海王丸」は海洋実習船として建造されました。進水式が2月14日のバレンタインデーであったため、恋人の聖地に認定され、カップルにとって素敵なイベントも開かれています。59年間に106万海里(地球約50周)を航海し1万人以上の海の若人を育てたそうです。姉妹船「日本丸」も同時期に建造され、「日本の海の王者たれ」という日本の海運の期待を集めました。平成2年(1990)4月から富山で一般公開されし、現在も海洋教室など青少年錬成の場として活用されています。帆をすべて開く「総帆展帆」(そうはんてんぱん)は4月から11月の間に月に1回、年に10回程度行われています。「海の貴婦人」と称される美しい姿が披露されます。美しい日本海と、新湊大橋、立山連峰が眺められます。下記のサイトにも...海王丸パーク
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。映画「人生の約束」に放生津八幡宮の曳山の譲渡シーンが撮影されました。各町にある13基全ての曳山が放生津八幡宮でお祓いを受け繰り出します。令和3年(2021)に、曳山と築山の行事は国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/曳山と築山の行事
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。境内に建立されている芭蕉翁の句碑は天保14年(1843)に付近の俳人達によって建てられています。元禄2年(1689)に芭蕉が詠んだ「早稲の香や分け入右は有磯海」の句が刻まれています。この句碑は射水市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/放生津八幡宮芭蕉翁の句碑
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。現在の放生津八幡宮の社殿は江戸時代末期の弘化2年(1845)に発生した火災により焼失し、氏子の浄財により文久3年(1863)に再建されたものです。放生津の宮大工棟梁・高瀬輔太郎、脇棟梁・梁野上武平、赤井弥左エ門が手掛けました。放生津八幡宮の拝殿は間口6間、奥行5間、木造平屋建て、入母屋造り、平入で屋根は桟瓦葺きです。正面に3間の向拝付けられています。外壁は真壁造り板張り、正面1間分は吹き放しになっています。平成16年(2004)に射水市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://...放生津八幡宮拝殿
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。放生津八幡宮は奈良時代の天平18年(746)、越中国司として赴任した大伴家持が奈古之浦(なごのうら)の風光を愛し、宇佐八幡神を勧請し奈古八幡宮としたのが始まりです。鎌倉時代に越中の守護所が設置されると総社となり、正和年間(1312-1317)に越中守護名越時有(なごやときあき)が社殿を造営しています。室町時代には放生津が石清水八幡宮領となり、放生津湊に出入りする船の課役を八幡宮が担うようになりました。明応の政変(1493)では足利義稙が放生津を御座所としました。永禄6年(1563)、越中一向一揆勢・神保(じんぼ)氏・椎名氏連合軍と、上杉謙信との合戦があり、兵火により社殿、社宝などが焼失しました。後に放生津城主・神保長識(な...放生津八幡宮
富山県射水市立町に大楽寺があります。大楽寺の庫裏は大火直後の明治2年(1869)に建てられています。木造2階建て、切妻造り、平入、桟瓦葺きで、建築面積は399平方mです。古くからの伽藍を偲ばせる建物で、一時は小学校の仮校舎にも使われたそうです。平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大楽寺庫裏
富山県射水市立町に大楽寺があります。大楽寺の本堂は明治12年(1879)に建てられた建物で、寺院本堂建築としては珍しい土蔵造りです。間口7間、奥行11間の平屋建て、切妻造り、平入で桟瓦葺きです。正面に1間の向拝が付けられています。外壁は白漆喰仕上げで、建築面積は263平方mあります。平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大楽寺本堂
富山県射水市立町に大楽寺があります。長恩山大楽寺は浄土宗のお寺です。平安時代後期の長徳2年(996)に花山天皇の勅願により但阿無外上人によって開かれたといわれています。当初は長徳寺という天台宗のお寺でしたが、鎌倉時代の弘安元年(1278)に浄土宗に改宗し、寺号を大楽寺と改めています。大楽寺の本堂と庫裏は国の登録有形文化財に登録されています。室町時代後期の天文年間(1532-1555)に描かれた絹本著色涅槃絵図は昭和61年(1986)に射水市指定文化財(絵画)に指定され、平安時代の木造阿弥陀如来立像は昭和53年(1978)に射水市指定文化財(彫刻)に指定されています。また江戸時代の萬誉上人の大楽寺御名号本尊は昭和50年(1975)に射水市指定文化財(書跡)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りくださ...大楽寺
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の本堂は木造平屋建て、入母屋造り、桟瓦葺きの大きな建物です。間口7間、平入で、正面に1間の向拝を付けています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。本尊の阿弥陀如来像を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺本堂
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の梵鐘は明治4年(1871)に専念寺が買い取った銅鐘で、文明6年(1474)の銘があります。高さ158cm、口径91cm、胴厚約8.5cmです。文明の銘がある梵鐘は、在銘の銅鐘としては県内最古といわれ、昭和40年(1965)に富山県の有形文化財に指定されています。この梵鐘は、文明6年(1474)に立山寺の明舜が、自ら創建した面白寺で使うために荻生の鋳物師の幸善に造らせたものでした。その後、面白寺が廃寺になると本寺だった立山寺が引き取り、その後、廃仏毀釈の中、処分されることになり、専念寺が買い取ったといういきさつがありました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...専念寺梵鐘
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の前庭にある傘松は「からかさ松」と呼ばれ有名です。黒松と赤松の雑種であるアイグロマツで、突然変異によって傘状になったといわれ、全国的にも珍しい松です。享保2年(1717)、放生津城主・神保慶宗(のりむね)の菩提を弔うため植えられたと伝えられています。この松は開いた傘のように見えることから傘松と呼ばれています。樹高約4m、地上から約1.5mの高さで枝が横方向に伸び、直径13mから15mにわたって広がっています。昭和40年(1965)に富山県の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺傘松
富山県射水市本町に専念寺があります。専修山専念寺は浄土真宗東本願寺派のお寺です。文明16年(1484)本願寺8世蓮如上人の法弟である賢祐(けんゆう)が法土寺村(ほうどうじむら)に創建しています。延徳3年(1490)に親鸞絵像が蓮如上人より下付されています。中世には越中守護代の神保氏から帰依され寺運が隆盛しました。江戸時代中期の享保2年(1717)に水害により現在地に移ったそうです。この寺にある「からかさ松」は県の天然記念物に指定され、銅鐘は富山県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺
富山県射水市(いみずし)庄西町に牧田組本社があります。牧田組本社ビルは元は回船業を営む南島商行本店として大正4年(1915)に建てられました。木造2階建て、銅板葺き、建築面積81平方mの近代洋風建築で、昭和62年(1987)に富山の建築百選に選定されました。平成14年(2002)には国の登録有形文化財に登録されています。玄関は両脇の袖壁を大きく前に張り出させています。そして上部には印象的な意匠を施し、玄関上部の2階パラペットを切妻風にしています。木造の壁に重厚なレンガを貼り、腰、隅柱などに花崗岩を使用しています。縦長の上げ下げ窓を左右対称に配置しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村htt...牧田組本社ビル
富山県高岡市守山町に旧高岡共立銀行本店の建物があります。このビルは大正3年(1914)に高岡共立銀行本店として建てられた擬ルネッサンス様式の建物です。その後、北陸銀行高岡支店になり、昭和39年(1964)からは富山銀行本店として使用されました。令和3年(2021)に高岡市に無償譲渡されています。建物が建つ守山町は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「山町筋伝統的建造物群保存地区」です。この建物も山町筋の景観を構成する伝統的建造物に特定されており、市民より「赤レンガの銀行」として親しまれました。鉄骨煉瓦造り2階建ての洋風銀行建築で、設計は、東京駅を設計した辰野金吾の監修のもと、清水組の田辺淳吉が担当しました。建設当時、一帯は証券会社や金融会社の本店、支店が軒を連ね、「北陸のウォール街」と呼ば...旧高岡共立銀行本店
富山県高岡市御馬出町に佐野家住宅があります。佐野家住宅の主屋は間口7間半、奥行5間の土蔵造り、2階建ての古民家です。入母屋造り、平入り、桟瓦葺きの町屋の建築形式です。両脇には釉薬を塗りこんだ煉瓦造りの防火壁を設けています。外壁は2階が大壁の黒漆喰で1階の主屋正面には1間の土庇が付いています。軒下は白漆喰、2階腰部分はタイルを貼り、2階の開口部には銅板貼りの扉を設けています。平成9年(1997)に国の有形文化財を登録され、平成25年(2013)には高岡市歴史的風致形成建造物に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐野家住宅主屋
富山県高岡市御馬出町に佐野家住宅があります。佐野家住宅は明治33年(1900)の高岡大火の直後に建てられています。屋敷は主屋が道路に面しており、間に中庭を挟んで奥に1番蔵、2番蔵、調度蔵、味噌蔵が4棟横一列に建てられています。主屋とともに国の有形文化財に登録され、高岡市歴史的風致形成建造物に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐野家住宅
富山県高岡市小馬出町に旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)があります。旧室崎家住宅の主屋は間口4間半、奥行8間半の土蔵造り、2階建ての古民家です。切妻造り、平入り、桟瓦葺きで、内部は3列3段の通り土間形で古い町屋の形式です。外壁の仕上げは道路側の正面だけが黒漆喰で仕上げられています。間取りは正面1列目左から「ミセザシキ」、「ミセ」、2列目左から「ブツマ」、「ツウロ」、「チャノマ」、3列目左から「ブツマ」、「ナナジョウマ」があり、外観とは違う数寄屋風の造りです。主屋と土蔵は平成10年(1998)に高岡市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc...旧室崎家住宅主屋
富山県高岡市小馬出町に旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)があります。室崎家は明治初年にこの地に移り住み、それ以前は現施設の向う側に住んでいました。昭和20年(1945)まで綿布の卸業を手広く営んでいたそうです。現在は石油商を営んでいますが、室崎氏の転居にあたり市がこの施設を資料館として整備し、平成14年(2002)から公開しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)
富山県高岡市守山町に高岡御車山会館(たかおかみくるまやまかいかん)があります。高岡御車山会館は高岡御車山祭にて曳き出す御車山と呼ばれる山車を展示しています。これらは国の重要無形民俗文化財、国の重要有形民俗文化財に指定されています。また高岡御車山祭は平成28年(2016)にユネスコの無形文化遺産に登録されています。高岡御車山会館は北陸新幹線の開業に合わせ平成27年(2015)4月25日に開館しました。鉄筋コンクリート造り2階建て一部3階建ての建物で、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)山町筋にあるため土蔵造りの家屋になっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.f...高岡御車山会館
岐阜県高山市八軒町に高山陣屋があります。高山陣屋は、幕末には全国に60数ヵ所あった郡代・代官所の中で、当時の建物が全国で唯一残っている建物です。陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所で、役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼んでいます。もともと高山陣屋は飛騨高山藩主の金森氏の下屋敷でした。元禄5年(1692)に幕府が飛騨を天領として、伊奈忠篤らによって代官所として用いられるようになりました。安永六年(1777)に飛騨代官から飛騨郡代に昇格し、当時4ヵ所あった郡代役所の中でも重要な直轄地となりました。郡代役所は玄関、御役所、大広間などの部分に文化13年(1816)に改築されたものが現存しています。また敷地内の土蔵は、慶長年間(1596-1615)に高山城内に建てられ、元禄8年(1695...高山陣屋
岐阜県高山市桜町に桜山八幡宮があります。桜山日光館は屋台会館に付属しています。日光東照宮の本殿、陽明門、拝殿、鳥居など28の建造物を精巧な10分の1の模型で再現しています。33人の技術者が15年の歳月をかけて造ったそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/桜山日光館
岐阜県高山市桜町に桜山八幡宮があります。桜山八幡宮の敷地内に屋台会館があります。高山祭の実物屋台を常設展示しています。神楽台、鳳凰台、布袋台、金凰台など11台のうち4台の屋台が交替で展示されています。それぞれの屋台に、それぞれ固有の歴史があり、一位一刀彫の彫刻も見事です。これらは国指定重要有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/桜山八幡宮屋台会館
岐阜県高山市桜町に桜山八幡宮があります。仁徳天皇の頃、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という顔が前後にある怪物が現われ、天皇の命に背いたため、難波根子武振熊命(なにわねこたけふるくまのみこと)に討伐を命じました。武振熊命が応神天皇の御霊を勧請し戦勝祈願したのが桜山八幡宮の始まりと伝えられています。大永年間(1521-1527)に京都の石清水八幡宮から分霊を勧請し合祀しました。その後戦乱の時代が続き一時荒廃しました。元和9年(1623)、高山藩2代藩主金森重頼が再興し、神領を寄進し、高山の安川以北の産土神に定め、神事を管理高山府の総鎮守府としました。金森氏が移封された後も、歴代代官、郡代の篤い崇敬を集め社運が隆盛しました。明治の神仏分離令により神社として独立し、明治4年(1871)郷社に指定されました...桜山八幡宮
岐阜県高山市大新町に日下部家住宅(日下部民藝館)があります。日下部家住宅は日下部家住宅は明治12年(1879)に建てられたもので、名工棟梁・川尻治助が江戸時代の建築を見事に再現したものといわれています。日下部家は幕府(代官所)の御用商人として栄えた商家で、屋号を「谷屋」といいました。嘉永5年(1851)には、役所の御用金を用立てする掛屋〈かけや〉をつとめ、後には両替屋を営みました。当時の邸宅は明治8年の大火で類焼し、再建されたのが現在の住宅です。明治時代に入り軒の高さや用材の規制が取れたため江戸時代に比べ軒が高く檜材をふんだんに使用されています。主屋は木造平屋建(1部2階建)、桁行17.4m、梁間17.3m、切妻造り、平入、桟瓦葺きです。梁と束柱の力強い木組みがすばらしく、10mある吹き抜けはなんとも美し...日下部家住宅
岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。その中に平田記念館があります。平田記念館は「打保屋」(うつぼや)の屋号でびんつけ油、ろうそく屋を家業として財をなした平田家の住宅です。主屋は明治時代に建てられた典型的な高山の町屋建築とされ、贅を尽した飛騨商人の旦那衆の暮らしぶりがうかがえます。12代にわたって愛蔵してきた美術品、調度品を江戸期の土蔵3棟で公開しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/平田記念館
岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。金森長近は天正16年(1588)より高山城の築城を開始し、同時に城山の麓に城下町の整備を進めました。三本の道路を通し、そこを町人の住む三町(さんまち)としたのです。また、寺院は京都を参考に東山へ集められ、城下町高山は形作られました。この三町と呼ばれる町割を基礎として、江戸から明治にかけて建てられた、洗練された意匠の商家町家が連なっています。特に上三之町付近は、狭い通りに沿って、往時の町並みが良く保存されています。三之町を中心とした一帯、南北約420m、東西約150mの範囲が「高山市三町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定され、商家町として栄えた当時の様子をそのまま今に伝えています。有力な商家が数多くあり、高山は商家町として発展しまし...飛騨高山の町並み
岐阜県高山市上岡本町に飛騨高山美術館があります。飛騨高山美術館は平成9年(1997)にオープンしたガラス工芸作品と家具を展示する私立の美術館です。小高い丘にあり、高山の町並みや北アルプスを見渡すことができます。16世紀から20世紀の世界中から収集したガラス工芸と、アール・ヌーヴォー、アール・デコのガラス工芸品、19世紀末の家具や照明器具などを収蔵展示しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨高山美術館
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧吉真(よしざね)家住宅は、桁行13.9m、梁間9.4m、入母屋造り、茅葺きの2階建です。飛騨市河合町角川にあったものを移築しています。安政5年(1858)の角川地震(飛越地震)にも耐えた頑丈な造りになっています。マグニチュード7をこえた角川地震は全壊家屋378軒、半壊497軒、死者207名という大規模なものでした。豪雪地帯ならではのどっしりとした土台や太い柱や梁、桁などで組まれています。なかでも左右側面の四隅などに立つ柱は、上部が二股になった「むかい柱(のぞき柱)」と呼ばれ、全国でも飛騨の一部だけに見られる地域色の強いものです。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda...旧吉真家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧田中家住宅は、高山市冬頭町にあった田舎(でんしゃ)だった建物です。田舎とは、田畑の管理や年貢の徴収、農産物の作納状況などを主人に代わって行った所で作業所・休憩所のような場所でした。建てられたのは江戸時代中期ごろです。桁行12.1m、梁間10.9m、切妻造り、榑葺き(板葺き)です。屋根は勾配が緩やかで、榑板の上には石が置かれています。東面に一間の庇(ひさし)がついています。一之町で薬種商を営む「田中屋」の建物で、国学者田中大秀の実家です。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://...旧田中家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧田口家住宅は、飛騨と美濃との国境に位置する下呂市金山町卯野原にありました。代々名主を務めた大きな農家です。桁行25.2m、梁間13.3m、切妻造り、鉄板葺き(建築当時は榑葺き)です。家の前から右横へ雨戸の外に濡れ縁がまわっていて、雪深い地域の民家と比べると開放的な造りです。旧田口家住宅は文化6年(1809)の建立です。規模が大きくて質が良く、大きな修繕などもなかったようで、江戸後期の上級農家の貴重な遺構です。昭和45年(1970)、飛騨民俗村に移築され、昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...旧田口家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧若山家住宅は、御母衣ダムの建設にともなって水没した荘川村下滝に建っていた民家です。昭和34年(1959)に高山市に移築され「飛騨民俗館」として一般公開されました。飛騨の古い民家・農山用具などの保存の足がかりとなり、後に作られた飛騨の里に平成8年(1996)から約3年かけて再移築されました。宝暦年間(1751-1764)の初め頃の建立とみられ、桁行16.9m、梁間14.3m、合掌造り、茅葺きです。背面に1間半程の「ミンジャ、フロバ」などが出でいます。4階建てのうち、1階は居住用に使い、2階から上は養蚕のためのカイコの飼育場として活用されました。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://w...旧若山家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。飛騨民俗村・飛騨の里は豪雪に耐えてきた合掌造りや榑(くれ)葺き(木の幹を裂いた榑板で屋根を葺くやり方)の屋根など、飛騨の代表的な民家群が立ち並び、昔の農山村風景を形づくる民家の博物館です。また、飛騨の伝統産業である一位一刀彫、飛騨春慶塗、草木染めなどの伝承保存や、飛騨地方の民具なども展示されています。昭和30年代、御母衣ダムにより水没する荘川村の合掌造り民家の矢篦原家(やのはらけ)住宅が横浜市の三渓園に移築されました。旧若山家住宅も、御母衣ダムの建設にともなって昭和34年(1959)に高山市に移築された民家です。「飛騨民俗館」として一般公開され、飛騨の古い民家の保存の足がかりとなりました。昭和46年(1971)には「飛騨民俗村」がオープンしました。飛騨...飛騨民俗村・飛騨の里
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺本堂の前にある大イチョウは「乳イチョウ」とよばれ、推定樹齢1200年、幹周10m、高さ37mの大イチョウです。国の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺大イチョウ
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺の三重塔は寛政3年(1791)に暴風雨で倒壊し、文政3年(1820)に再建された三重塔です。天平の七重塔の跡に建てられています。飛騨地方唯一の三重塔で、全国の国分寺の中でも塔建築としてはここだけといわれています。間口、奥行ともに4.24mで、高さ22m、屋根は鋼平板葺き(建立当初はこけら葺き)です。三重塔は岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺三重塔
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺の本堂は間口5間、奥行4間、1重入母屋造り、向拝1間、銅板葺き、総桧造りの室町時代の建物です。天正15年(1587)に川上郷から移築されたといわれています。柱など太くて荘重内陣と外陣は厳重な格子で間仕切され、外陣の虹梁、蟇股などは古風な造りです。本堂は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺本堂
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅により、全国の国ごとに建てられた国分寺の一つです。天平勝宝9年(757)頃、行基菩薩により建立されたといわれています。弘仁10年(819)火災で焼失しましたがすぐに再建されたようです。天正13年(1585)、金森長近が松倉城にこもる三木自綱(よりつな)を攻めた時、兵火で多くの堂宇が焼失しました。その後の天正年間(1573-1592)に長近は千光寺の玄海和尚を招いて再建しました。現在の本堂はこの頃のものと推定されています。本尊の「薬師如来御像」は平安時代のもので、像高145.7cmです。また「聖観世音菩薩」は国分尼寺の本尊であったものといわれ、平安時代のもので、像高204cmです。いずれも国の重要文化財に指定されています...飛騨国分寺
岐阜県高山市国府町宇津江に宇津江四十八滝(うつえしじゅうはったき)があります。宇津江四十八滝は宮川(神通川)の支流・宇津江川にあり、複数の滝が存在する渓谷です。岐阜県の天然記念物、全国自然百選、飛騨・美濃紅葉33選、県名水50選などに指定されている県立自然公園です。最上部の滝まで880m、ゆっくり歩いて1時間のハイキングコースで散策できます。江戸時代、美濃国の白心(はくしん)法師がこの地で修行して以来、霊場として知られるようになりました。安永8年(1779)に出された赤田臥牛の「打江観瀑記」以降この滝を訪れる人が多くなったそうです。宇津江四十八滝には大蛇と「よそ八」の伝説が残されています。孝行息子「よそ八」は川の奥の沼で大蛇に出会い妖気で寝込んでしまいました。大蛇は娘に身を変え、自分の血を使って看護し全快...宇津江四十八滝
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。島崎正樹は明治の文豪島崎藤村の父親です。水無神社宮司として明治7年(1874)から10年(1877)まで務めました。教導職として多くの若者を指導しました。藤村の作品「夜明け前」で主人公・青山半蔵のモデルとなった人物です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/島崎正樹石碑
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社の絵馬殿は旧拝殿で、慶長12年(1607)、高山藩主金森長近が造営したものです。間口5間、奥行4間、木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺き、平入、外壁は柱のみの吹き放しです。高山市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨一宮水無神社絵馬殿