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ワンダースター航星記 https://blog.goo.ne.jp/nietaazuki

心の旅を綴ったフォトエッセイです。奈良の観光、平野町めぐり、季節の花めぐり、イベントなど。

地元・奈良や勤務先・大阪市平野区を中心に関西一円の観光情報、人情報、グルメ情報など、盛り込みました。

あずき煮えた
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住所
三郷町
出身
木津川市
ブログ村参加

2013/06/01

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  • 平野郷・あかる姫まつり2024 ~春の歳時記とフォルクローレ

    平野郷・あかる姫まつり2024~春の歳時記とフォルクローレあかる姫まつり実行委員会主催「第15回あかる姫まつり」が4月27日、赤留比売命神社(三十歩神社)、平野公園、平野商店街一帯で開催された。赤留比売命神社では神事、平野公園ではフリマや防災展示、音楽ステージ、商店街ではパレードの他、ふるまいぜんざいなどがあり、大いに賑わった。『古事記』や『日本書紀』他に、あかる姫(阿加流比売神)は記述されている。書物によって、舞台の地や内容が少しづつ異なっているようだが、共通項も多い。時は神功皇后の新羅征伐の頃(4C後半?)に国際関係のなかで何らかの事件が勃発したのであろうことは想像できる。その記憶を古代人は未来へ伝承しようとしたのではないか。古代のロマンの香りがする「あかる姫」である。平野公園ではエスペレ・ウンポコと...平野郷・あかる姫まつり2024~春の歳時記とフォルクローレ

  • 松花堂庭園 ~名残の椿園と藤棚

    松花堂庭園~名残の椿園と藤棚京都府八幡市の松花堂庭園は石清水八幡宮の社僧で、江戸時代初期を代表する文化人・松花堂昭乗ゆかりの庭園で380年の歴史が息づく国指定の名勝。文化財の茶室等、4つの本格的な茶室がある「侘び寂び」の日本庭園がある。また、日本人に馴染みある定番のお弁当「松花堂弁当」は昭乗が好んで使っていた四つ切り箱に由来する。この季節、シャガは脇役ながら、楽しませてくれる。<番外編>鳥羽街道「水環境保全センター」出口のモッコウバラも見事だった。(4月20日撮影)人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking松花堂庭園~名残の椿園と藤棚

  • 「鳥羽の藤」 ~パープル・ヒーリング

    「鳥羽の藤」~パープル・ヒーリング京都市南区鳥羽街道にある鳥羽水環境保全センター(京都市上下水道局)で京都の藤の名所「鳥羽の藤」が公開されていた。敷地内におよそ120メートルにわたって藤棚が設けられており、丹精込めて育てられた藤のカーテンを無料で鑑賞することができる。甘い薫りと目も覚めるような藤色(パステル・パープル)に癒された。薄紫は疲れたり傷ついたりした心を癒しDNAの損傷を修復するとも云われているヒーリングカラーだそうだ。(4月20日撮影)人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking「鳥羽の藤」~パープル・ヒーリング

  • 平野郷✨あかる姫・列伝

    平野郷✨あかる姫・列伝大阪市平野区の平野郷(旧環濠地区)を中心に開催される「あかる姫まつり」。主役を務める歴代あかる姫をプレイバックします。あかる姫降臨の記録です。2024あかる姫2023あかる姫2019あかる姫2018あかる姫2017あかる姫2016あかる姫2015あかる姫2014あかる姫2013あかる姫こちらは赤留比売命神社に奉納されている「あかる姫」画。にほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking平野郷✨あかる姫・列伝

  • 三多気のヤマザクラと棚田 ~伊勢本街道から真福院

    三多気のヤマザクラと棚田~伊勢本街道から真福院「日本さくら名所100選」にも選ばれた三重県美杉町の三多気の桜。伊勢本街道から真福院への参道1.5kmにわたり、ヤマザクラ約500本の並木道が続く。水を張った棚田に映り込む桜の風景に山里の春を感じる。すぐ近くにミツマタの群生地があるが、少し、遅かったかもしれない。登り口の駐車場ではエドヒガンなどが満開となっていた。ムラサキハナナも彩を添える。のどかな山里風景。ミツバツツジが眩しい真福院。(4月13日撮影)人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking三多気のヤマザクラと棚田~伊勢本街道から真福院

  • 名残の桜街道南進 ~名張から御杖村へ

    名残の桜街道南進~名張から御杖村へ三重県名張市から御杖村に向けて、桜を求めて勝手気ままに南進する。交通量も少なく、快適なドライブルートだ。途中、菜の花畑、比奈知ダム、ひなち湖を経て、長瀬親水公園に到着。私の中では、桜の隠れ名所に認定した。(桜の妖精!?コスプレヤーでした。)元伊勢「佐佐波多宮」の候補地の一つで、伊勢本街道より少し南に外れたところに鎮座する御杖村の御杖神社にお参りした。倭姫命(やまとひめのみこと)の伝説が残る神社だ。縁起によると、「第11代垂仁天皇の勅命により、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御杖代(大御神を祀り、大御神の言葉を取り次ぐ斎宮[いつきのみや])となられた皇女倭姫命が、大和國笠縫邑より神慮に叶うべき新たな宮地を求められ、道中この地に行宮を造り御休座になられた地」と伝承されてい...名残の桜街道南進~名張から御杖村へ

  • "ピンク&イエロー” 藤原京の春コラボ ~菜の花と桜 ②

    "ピンク&イエロー”藤原京の春コラボ~菜の花と桜②それぞれが競い合うのではなく、それぞれの持ち味を活かして、互いを引き立て合う、そんな関係て素晴らしいと思う。桜と菜の花の絶妙のコラボレーションが藤原京跡で邂逅した。(4月6日撮影)人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking"ピンク&イエロー”藤原京の春コラボ~菜の花と桜②

  • 菜の花と桜 ① ~山の辺の道

    菜の花と桜①~山の辺の道天理市の道の駅「なら歴史芸術文化村」のすぐ南に「幾坂池の一本桜」がある。堂々としたソメイヨシノの一本桜で堰堤にあるので一際、存在感がある。このあたり、古代の幹線道路「山の辺の道」の中間点にあたり、ここから、更に南方面へ「山の辺の道」のほんの触りの区間を歩いてみる。道は古墳や石仏の間を縫うように続く。程なく、山の辺の道沿いに相当な古社がポツンと鎮座しているのに出会う。夜伽(やつぎ)神社、若しくは夜都伎(やとぎ)神社とも云われ、拝殿後方、瑞垣に囲まれて檜皮葺・一間社春日造の朱塗りの本殿が建っていおり、「武甕槌命社」が祀られている。桜の下に「山の辺の道ははるけく野路の上に乙木の鳥居朱に立つ見ゆ」と刻まれた石碑がある。更に集落を抜けて、竹之内を目指す。このあたりを一人で旅する、インバウンド...菜の花と桜①~山の辺の道

  • 「祇園枝垂れ桜」から「八坂の塔」 ~That’sKyotoの帰り夜道

    「祇園枝垂れ桜」から「八坂の塔」~That’sKyotoの帰り夜道二十年振りくらいに円山公園の「祇園枝垂れ桜」を見た。長らく行かなかったのは桜宴と称して大騒ぎする輩や烏合の衆を見たくなかったからであるが、「祇園枝垂れ桜」の崇高な姿だけは、また見たくなったのである。今回もできるだけ、樹上だけを見るようにした。またコロナのような人類史上の危機でもない限り、この神のような桜を静かに鑑賞する日は来ないのだろう。円山公園を後にして、ねねの道、二寧坂、産寧坂を経て、ライトアップされた八坂の塔を見た。オーバーツーリズムとはいえ、流石に22時を過ぎると閑散としていた。(4月5日撮影)人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking「祇園枝垂れ桜」から「八坂の塔」~That’sKyotoの帰り夜道

  • ねねの追憶映す臥龍池 ~高台寺ライトアップ ②

    ねねの追憶映す臥龍池~高台寺ライトアップ②1606(慶長11)年豊臣秀吉の正室、ねね(北政所)が秀吉の菩提を弔うために創建したと伝わる高台寺。小堀遠州作庭の池泉回遊式庭園には秀吉・ねねの居城、伏見城より一部を移築し堂宇として配置。幾度かの火災に遭い、現在表門、開山堂、霊屋と茶室・傘亭と時雨亭、観月台などが残る。臥龍池の上に架かる臥龍廊を経た中腹に位置する霊屋(おたまや)で、ねねは追憶の余生を送ったのだろう。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRankingねねの追憶映す臥龍池~高台寺ライトアップ②

  • 高台寺ライトアップ ① ~「ねねの夢想桜」

    高台寺ライトアップ①~「ねねの夢想桜」高台寺は、豊臣秀吉の正室・北政所ねねが秀吉の菩提を弔うために建立した由緒ある古刹。境内には江戸時代初期に作庭された枯山水庭園「波心庭」があり、巨大な一本の枝垂れ桜がある。桃山時代の面影を残すこの桜は、ねねの手植えと伝えられ、現在は4代目だという。私は勝手に「ねねの夢想桜」と呼んでいるが白砂と石が織りなす洗練された方丈前庭が桜の美しさを引き立てている。ライトアップされた姿の幽玄さには畏怖さえ憶える。(4月5日撮影)人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking高台寺ライトアップ①~「ねねの夢想桜」

  • 桜花の刻がゆるりと過ぎゆく 〜トワイライト妙顕寺 ②

    桜花の刻がゆるりと過ぎゆく〜トワイライト妙顕寺②「忙しい」という字は「心を亡くす」と書くと誰かに教えられたことがある。生きるためだと多忙に追い廻されているうちに生きる意味さえ忘れてしまう。そんなときこそ、人には静謐な時間が必要だ。オーバーツーリズムの京都にあって、妙顕寺は、そんな気付きを促してくれる稀有のスポットである。大本堂の周囲の回廊をゆるりと廻ってみる。永年に渡って、踏まれ磨かれてきた木のヒヤリとした感触を足元に感じて心地よい。大本堂の天井には檀家の家紋であろうか、ズラリと張り巡らされていた。アート作品も展示されていた。桜花の刻がゆるりと過ぎてゆく。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking桜花の刻がゆるりと過ぎゆく〜トワイライト妙顕寺②

  • トワイライト妙顕寺 ① ~煌めく桜に包まれて

    トワイライト妙顕寺①~煌めく桜に包まれて京都市上京区の閑静な住宅地の一角に突然、現れる巨刹にして古刹の妙顕寺。京都初の日蓮宗道場として創建され、豊臣秀吉が京都の宿としていたといわれている。山門前では紅しだれ桜が、境内にはソメイヨシノやしだれ桜が咲き誇り、特に本堂裏の庫裏や方丈まわりが美しい。尾形光琳の作品をもとに作られた「光琳曲水の庭」や白砂の「四海唱導の庭」など4つの趣が異なる庭がある。総門から本堂へのアプローチは黄昏時も相まって、桜が煌めいている。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRankingトワイライト妙顕寺①~煌めく桜に包まれて

  • 京都・本満寺の枝垂れ桜と界隈桜散策

    京都・本満寺の枝垂れ桜と界隈桜散策本満寺は、京都市上京区寺町通にある日蓮宗の本山で枝垂れ桜の隠れ名所でもある。がしかし、残念ながら既に落下さかん。(4月5日)他のソメイヨシノ等はまだ、留まっていたが。いつものように賀茂川、京都御所界隈を散策後、妙顕寺を目指す。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking京都・本満寺の枝垂れ桜と界隈桜散策

  • 夢幻の夜桜ライトアップ ~専称寺の枝垂れ桜 ③

    夢幻の夜桜ライトアップ~専称寺の枝垂れ桜③春の宵は穏やかに更けてゆく。夢か現か、その境界さえも今となっては疑わしい。今宵、奈良県香芝市の小さな古刹で束の間の春の宴に酔いしれる。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking夢幻の夜桜ライトアップ~専称寺の枝垂れ桜③

  • 妖艶の夜桜ライトアップ ~専称寺の枝垂れ桜 ②

    妖艶の夜桜ライトアップ~専称寺の枝垂れ桜②やがて、黄昏の向こうで、夜の帳が降りるころ、艶やかな桜へと表情を変えていく。悪魔のような妖艶と天使のような輝きで私の前に舞い降りた。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking妖艶の夜桜ライトアップ~専称寺の枝垂れ桜②

  • 専称寺の枝垂れ桜 ① ~春の宙(そら)いっぱいに広がって

    専称寺の枝垂れ桜①~春の宙(そら)いっぱいに広がって奈良県香芝市の専称寺には樹齢約200年になる江戸彼岸系の枝垂れ桜がある。桜開花時のみ公開されるという小さな隠れ寺だが、一本で境内全体に広がる枝垂れ桜が美しい。まるで、春の宙(そら)いっぱいに広がった桜のシャワーを浴びているようだ。専称寺へは最寄りの二上山駅より生活感あふれる路地裏を抜けて数分で辿り着く。やがて、帳もおりて、ライトアップが始まれば、その妖艶さに息を呑むことになる。次回へ・・・人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking専称寺の枝垂れ桜①~春の宙(そら)いっぱいに広がって

  • 九品寺の桜 ~白壁に映える一本枝垂れ

    九品寺の桜~白壁に映える一本枝垂れ聖武天皇による詔にて行基が開基と伝わる九品寺(くほんじ)は奈良県御所市の由緒ある古刹。葛城路を行く際には必ず訪れるようになった。千体石仏と彼岸花が有名なお寺であるが、境内の大きな枝垂れ一本桜が咲く頃も素晴らしい。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking九品寺の桜~白壁に映える一本枝垂れ

  • 山科・隋心院 ④ ~「花の色は移りにけりないたづらに・・・」

    山科・隋心院④~「花の色は移りにけりないたづらに・・・」「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」は、小倉百人一首の9番目として選出されている小野小町の有名な和歌。意味は、「桜の花はむなしく色あせてしまった。長雨が降っていた間に」であるが、小野小町はこの桜の花を自分自身に例えて、「私の容姿はむなしく衰えてしまった。日々の暮らしの中で、もの思いしていた間に。」という意味も込められている。小町のような絶世の美女でも、老いに逆らうことができず、色あせ、衰え、そして滅していく。小町は「これは世の中の真理であり、変える事のできないもの」として美しくも儚く歌に綴る。隋心院のある、この界隈は「小野郷」と呼ばれた小野氏が栄えた地域で小町の住居もあったとされる。真言宗善通寺派の大本山、随心院は991年に...山科・隋心院④~「花の色は移りにけりないたづらに・・・」

  • 小町と深草少将の物語 ~山科・隋心院 ③

    小町と深草少将の物語~山科・隋心院③はねず色と呼ばれる、鮮やかな薄紅色を基調とした襖絵「極彩色梅匂小町絵図」。小野小町の一生を描いたもので、「だるま商店」という京都の二人組のグラフィックデザイナーによって2009年に完成した。この襖絵の薄紅(はねず)色は、3月末に見ごろを迎える小野梅園の梅の花と同じ色だそう。4面からなるこの襖絵は、小野小町の一生を表している。左から順に…1枚目は、小野小町が生まれたとされる秋田県での生活の様子。2枚目は、京都の御所で宮仕えをする様子。3枚目は、宮仕えを辞めて、随心院で過ごす様子。4枚目は、全国を放浪する様子。「今様」の舞が披露された。今様とは、平安時代に作られた謡曲で、宮中の宴会などでも歌われていたという。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogR...小町と深草少将の物語~山科・隋心院③

  • 華やかな「はねず踊り」 ~山科・隋心院 ②

    華やかな「はねず踊り」~山科・隋心院②隋心院に伝わる「はねず踊り」には、次のような逸話がある。昔、深草少将がこの地に住まっていた小野小町を慕うあまりに百夜通いの悲願をこめて通い続けた。しかし、九十九日目の大雪の夜、ついに代人を仕立てたのが運のつきで少将にはもはや小町の姿をもとめることはできなくなった。その後の小町は、毎年「はねずの梅」が咲く頃を、老いの身も忘れたように里の子たちと楽しい日々を過ごしたという。また、少将が通い続けた日数を小町が榧(かや)の木の実でかぞえていたという伝説が残るが、今は隨心院の周辺に数株の古木が茂っている。はねず踊りは、この隨心院に伝わる小野小町の伝説を主題としたものであるが、童謡や民謡の性質上、これがいつ頃から歌われ踊られたかを知る由もない。しかし、江戸元禄年間から少なくとも大...華やかな「はねず踊り」~山科・隋心院②

  • 山科・随心院 ① ~「小野梅園」の百花繚乱

    山科・随心院①~「小野梅園」の百花繚乱随心院は京都市山科区小野にある真言宗善通寺派の大本山で世界三大美女のひとり「小野小町」ゆかりの寺としても知られている古刹。駐車場から参道を歩くだけで、さすが大本山という豪奢な佇まいに思わずシャッターを切りまくった。朱華(はねず)色の遅咲きの梅として知られている「小野梅園」があるが、3月末ということで、梅は殆ど終わりかけており、その代わりとでも云うようにレンギョウやユキヤナギ、そして、桜が彩を添えていた。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking山科・随心院①~「小野梅園」の百花繚乱

  • メジロと桜 ~山科・勧修寺の春

    メジロと桜~山科・勧修寺の春山科の「勧修寺」(かじゅうじ)は平安時代に創建され1,000年以上の歴史を持つ寺院で、平安時代に作られた「氷室の池」を中心に造園された広大な池泉回遊式庭園「氷池園」がある。久々の参詣だったが、勧修寺には不思議にゆったりとした時間が流れている。アオサギやマガモなども、まったりと過ごしているようにみえた。緑の妖精もやってきた。やはり、彼岸桜にはメジロが似合う。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRankingメジロと桜~山科・勧修寺の春

  • 枝垂れ桜の咲くころ ~山科・岩屋寺(いわやじ)

    枝垂れ桜の咲くころ~山科・岩屋寺(いわやじ)岩屋寺(いわやじ)は忠臣蔵の大石内蔵助が隠棲して討ち入りの策を練った由緒のある寺で「大石寺」ともいわれている。参道途中で春告げ花を見つけた。モクレンとムスカリ。山科盆地が見渡せる大石内蔵助隠棲跡には枝垂れ桜が大きく枝を広げており、たくさんの人が撮影していた。山門の脇でも、もう一本、枝垂れ桜が咲いている。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking枝垂れ桜の咲くころ~山科・岩屋寺(いわやじ)

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