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ワンダースター航星記 https://blog.goo.ne.jp/nietaazuki

心の旅を綴ったフォトエッセイです。奈良の観光、平野町めぐり、季節の花めぐり、イベントなど。

地元・奈良や勤務先・大阪市平野区を中心に関西一円の観光情報、人情報、グルメ情報など、盛り込みました。

あずき煮えた
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住所
三郷町
出身
木津川市
ブログ村参加

2013/06/01

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  • 「アントニオ猪木展」 ② ~燃える闘魂の奇跡の軌跡

    「アントニオ猪木展」②~燃える闘魂の奇跡の軌跡若き日の猪木は日本プロレスの経理が不正であるとして会社改革を企てるが、逆に日本プロレスから追放されてしまう。それではと新日本プロレスを旗揚げするが興行的には火の車で破滅へまっしぐら。と思いきや土壇場で不仲と思っていた坂口征二と合流しTV局も付き破滅から踏みとどまった。仲介者が居たとはいえ、ひとつめの奇跡。宿命のライバル、G馬場も日本プロレスから独立し、全日本プロレスを創設。両団体間に凄まじい興行戦争が始まる。アメリカの名だたるスター選手は殆ど、全日本が独占し、新日本に来るのは2線級が殆ど。そこで、スター選手を自ら創ろうとして、タイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンがのし上がる。また、それまで主流だった外国人レスラーではなく、日本人レスラーとの闘いに活路を見...「アントニオ猪木展」②~燃える闘魂の奇跡の軌跡

  • 「アントニオ猪木展」 ① ~燃える闘魂の足跡

    「アントニオ猪木展」①~燃える闘魂の足跡昨年10月1日に79歳で亡くなった“燃える闘魂”アントニオ猪木の展覧会「アントニオ猪木80thANNIVERSARY燃える闘魂・アントニオ猪木展」が阪神百貨店梅田本店で開催されていた。闘魂の足跡を辿ることで偉大且つサプライズな人生に想いを馳せた。猪木はリング上で人生を表現できる唯一のレスラーだった。誰しも人生のリングで難敵と対峙している。だから、誰しも「闘魂」を抱けと猪木は鼓舞してくれているのだ。若獅子と云われていた日本プロレス時代の猪木。当時、まだ見ぬ強豪の一人であったザ・シークの初来日時に予定されていたシーク戦。結局、ドタキャンされたのだが、代替に来日した「鉄の爪」の方が嬉しかった。このポスターを見て、遥か昔のことを思い出した。リング上の鬼の形相とプライベートで...「アントニオ猪木展」①~燃える闘魂の足跡

  • 「かみなんフリマ」 ~キラリ未来星を発見!!

    「かみなんフリマ」~キラリ未来星を発見!!加美南部地域活動協議会主催「かみなんフリマ」が11月23日に加美南部小学校にて開催された。内容は地域住民さん有志が出店するフリマを中心に飲食ブース、ゲームにスタンプラリー、サッカー体験。また、ゴミ減量啓発のエコバック制作、防犯啓発の自転車カゴのひったくり防止カバー取付など。そして、体育館ステージにおけるミュージカル、ダンス、歌唱と盛りだくさんのイベント。″そのなかで個人的に、あくまで、個人的にだが、キラリと光る"未来星(みらいぼし)″を発見した。「劇団アカレンガ」のYuuさんである。アクトレスだから、表現力、表情が豊かなのは当然だが、その煌めきは一際、輝いていた。また、いつか、どこかで邂逅できたらなあんて・・・人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村「かみなんフリマ」~キラリ未来星を発見!!

  • 「かめおか霧のテラス」 ~雲海・無限界

    「かめおか霧のテラス」~雲海・無限界亀岡盆地には、晩秋から初春にかけて「丹波霧」と呼ばれる名物の深い霧が発生し何時間も留まる。亀岡盆地の南側にそびえる標高412mの竜ヶ尾山(たつがおやま)山頂付近に展望デッキ「かめおか霧のテラス」が開設されており、幻想的な雲海を眺めることができる。こちらの雲海はどこまでも無限に続いているかのようである。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村「かめおか霧のテラス」~雲海・無限界

  • 丹波国一之宮「出雲大神宮」 ~亀岡・紅葉めぐり ⑤

    丹波国一之宮「出雲大神宮」~亀岡・紅葉めぐり⑤出雲という名称から、島根の出雲大社からの分霊社かと思っていたが、社伝によるとその逆とある。別称「元出雲」はそこから由来しているようだ。創建1300年を誇る丹波国一之宮として、威厳かつ荘厳な佇まいで鎮座する。もっとも、出雲大社京都別院は亀岡に別にあるそうで古代の事情はわからない。落ち葉アートが参道を飾る。積善寺。苔の参道は「悠久之道」とある。龍潭寺の紅葉はまだ少し早かったようだ。(11/16)人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村丹波国一之宮「出雲大神宮」~亀岡・紅葉めぐり⑤

  • 苗秀寺の紅葉手水 ~亀岡・紅葉めぐり ④

    苗秀寺の紅葉手水~亀岡・紅葉めぐり④苗秀寺(みょうしゅうじ)は奈良時代創建と伝わる曹洞宗の寺院。いわゆる観光寺ではなく、修行僧の寺で、まだまだ、人も少なく隠れ寺といえそうだが、燃えるような紅葉は素晴らしい。印象的なのは出家を迎える白象門と鐘楼を支える獅子やゾウの像、童地蔵など。そして、錦繍の参道に据えられた手水に浮かぶ紅葉と空のリフレクションが絵になる。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking苗秀寺の紅葉手水~亀岡・紅葉めぐり④

  • 亀岡・紅葉めぐり ③ ~神蔵寺のフクロウたち

    亀岡・紅葉めぐり③~神蔵寺のフクロウたち朝日山・神蔵寺(じんぞうじ)は790年に伝教大師最澄が開基したと伝わる。大師自ら彫られた本尊木造薬師如来坐像が祀られており、別名:佐伯薬師として親しまれている。紅葉の穴場とも云われているがSNS等で拡散されることにより、参拝者も徐々に増えてきたようだ。境内のいたるところにフクロウたちが隠れており、探し出すのも一興かと。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking亀岡・紅葉めぐり③~神蔵寺のフクロウたち

  • 亀岡・紅葉めぐり ② ~菩提山・穴太寺

    亀岡・紅葉めぐり②~菩提山・穴太寺亀岡市の「菩提山・穴太寺(あなおじ)」は西国第21番札所で天台宗の寺院である慶雲2年(705年)開創と伝わるが古い町並みと相成って、古刹中の古刹という雰囲気があった。紅葉名所であるが境内の紅葉・黄葉とも、既に終わりかけている感じがした。(11/16)人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking亀岡・紅葉めぐり②~菩提山・穴太寺

  • 亀岡・紅葉めぐり ① ~錦繍の鍬山神社

    亀岡・紅葉めぐり①~錦繍の鍬山神社亀岡市の鍬山神社は709(和銅2)年の創建と伝わる古社で紅葉名所としても有名。祭神の大己貴神(大国主神)はかつて湖であった亀岡一帯を鍬で切り開いて水を流し、作物が育ちやすい土地を作ったとされる。その時に使った鍬が山のように積み上がったことが社名の由来。鍬山宮、八幡宮二棟の本殿(京都府登録文化財)を有し、大己貴神(大国主命)、誉田別命(応神天皇)を祀る。大国主神は出雲大社にお祀りされている神様で、出雲大社と言えば「縁結び」、鍬山宮にも縁結びのご利益があるという。殿には神のお使いの兎(うさぎ)があしらわれている。また、「八幡宮」には神のお使いの鳩があしらわれている。この日は霧にすっぽりと包まれていた。(11月16日)人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2Bl...亀岡・紅葉めぐり①~錦繍の鍬山神社

  • 長原東わいわいフェスタ ~地域はひとつだ「Y.Y.F.T」

    長原東わいわいフェスタ~地域はひとつだ「Y.Y.F.T」6年前、大きなイベントを開催することで地域をひとつにまとめようと企画されたのがこの「長原東わいわいフェスタ」だった。このイベントを開催するたびに長原東地域は大きく成長していったように思う。コロナ禍を挟んで、7回目となる今回も開催地の長原小学校には待ち侘びた地域の皆さんが多数詰めかけた。テーマは「防犯防災を楽しく学ぼう!」である。TOP写真はソーラン節。吉野悦世さんと地域の子どもたちのコラボ。長吉中学校合唱部の皆さんがイベント盛り上げに一役。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking長原東わいわいフェスタ~地域はひとつだ「Y.Y.F.T」

  • UHフェスタ ~タイガースの応援歌「あんたの大阪」

    UHフェスタ~タイガースの応援歌「あんたの大阪」コロナ禍で滞っていた地域活動も漸く、コロナ前に戻ってきた感がある。平野区の瓜破東地域でも「UHフェスタ」が盛大に執り行われた。瓜破東小学校を舞台に体育館ではステージ出演、グラウンドでは数々の模擬店。地域の皆さんが多数来場され、秋の一日を楽しまれた。今回、特別出演。白扇亭龍光さんの落語「手水廻し」です。今年は侍JAPANの世界一に始まり、オータニサーンの2度目MVPと野球に釘付け。しかし、今年は何といっても「あれでんがな。」吉野悦世さんの「あんたの大阪」で締めていただく。歌詞に六甲おろしや「日本一やから」が出てくる。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRankingUHフェスタ~タイガースの応援歌「あんたの大阪」

  • 大仏池・吉城園・筝曲 ~奈良公園・秋景散策 ②

    大仏池・吉城園・筝曲~奈良公園・秋景散策②毎年、この時期、この場所にやってくる。そんな季節がまた、巡ってきた。ワンダースターにとってド定番のその場所は11月の大仏池。まるで、秋の定点観測をするみたいだ。そして、もうひとつの定番が吉城園。紅葉がすすんできた。紅葉だけでなく、ホトトギスやツワブキ、ススキ、千両が秋を演出する。奈良女子大学・筝曲部のコンサートが催されていた。しっとりと秋が過ぎていく。吉城園を出て、帰路についた。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking大仏池・吉城園・筝曲~奈良公園・秋景散策②

  • 奈良公園・秋景散策 ① ~正倉院&慶讃能

    奈良公園・秋景散策①~正倉院&慶讃能いつもの奈良公園散策コースをデジスケッチに出かける。上は白塀の外壁が印象的な正倉院。勝手知ったるコースといえども、季節ごと年度ごとに変化があり、新しい発見があったりする。この日は正倉院展とは別にいつもは塀に囲まれた正倉院の建物。(案内板から)東大寺・戒壇堂奈良県庁・屋上からの秋景工場跡事務室という名のカフェ。東大寺前の鏡池で東大寺・慶讃能に遭遇。(10/15)人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking奈良公園・秋景散策①~正倉院&慶讃能

  • 「和の灯り」に込めた祈り ~世界遺産登録30周年・光の法隆寺 ③

    「和の灯り」に込めた祈り~世界遺産登録30周年・光の法隆寺③中門前から東大門、夢殿の四脚門、そして南大門に至る石畳道に手作り灯篭が並んだ。「和の灯り」に込めた祈りやメッセージをひとつひとつ、拾い集める。折しも、ウクライナやガザ地区などからの悲惨な映像が連日のように報じられる。祈りよ届けと願うばかり。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking「和の灯り」に込めた祈り~世界遺産登録30周年・光の法隆寺③

  • 国宝・五重塔と中門ライトアップ ~ 世界遺産登録30周年・光の法隆寺 ②

    国宝・五重塔と中門ライトアップ~世界遺産登録30周年・光の法隆寺②日本最古の塔ともいわれる国宝・五重塔の入り口となる国宝・中門を1日限りライトアップし、飛鳥時代から残る建造物を優美に映し出す。日本最初の世界遺産登録から30周年となる「法隆寺地域の仏教建造物」。その中心となる法隆寺は聖徳太子と推古天皇により1400年以上前に創建された。現伽藍が完成したのは1300年ほど前。兵火や天災にはあわず、太子信仰に守られたこともあって、現存する世界最古の木造建築群として往時の姿を今に伝えている。西院伽藍の正面にある中門は飛鳥建築の様式美と言われて、聖徳太子建立のものではなく、火災で焼失したあと670年に再建したという説が有力である。伽藍全体のライトアップを早く見てみたいものだ。中門には境内を守る金剛力士像(仁王)が立...国宝・五重塔と中門ライトアップ~世界遺産登録30周年・光の法隆寺②

  • 世界遺産登録30周年・光の法隆寺 ① ~国宝・南大門とダンディライオン

    世界遺産登録30周年・光の法隆寺①~国宝・南大門とダンディライオン法隆寺地域の仏教建造物の世界遺産登録30周年を迎えるに当たって、デジタルアートによるイベントが法隆寺にて開催された。法隆寺から文化財保護や環境保全のメッセージを世界と未来に向けて発信することを目的としている。国宝・南大門と両脇の土塀がライトアップとプロジェクションマッピングにより、華麗に演出された。また、大きなタンポポのアートオブジェ『DANDELION』は、人びとの願いを込めたタンポポの綿毛を世界中へ届ける。人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking世界遺産登録30周年・光の法隆寺①~国宝・南大門とダンディライオン

  • 四季彩館 ~花色移ろいのページ

    四季彩館~花色移ろいのページ花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに小野小町今月の花(紅葉)※画像TAPでそれぞれのストーリーへ(画像をTAPいただくと記事にジャンプします。)ここから、四季の花めぐりです。画像をTAPしていただくと、それぞれの「花めぐりページ」にジャンプします。)1・2月画像クリック3月画像クリック4月画像クリック5月画像クリック6月画像クリック7・8月画像クリック9・10月画像クリック11・12月画像クリック人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking四季彩館~花色移ろいのページ

  • 鬼行列のトリは「役行者」と「鎮西八郎為朝」 ~上野天神祭 ⑤

    鬼行列のトリは「役行者」と「鎮西八郎為朝」~上野天神祭⑤「役行者列」のトリを務めるのは。もちろん、古代史のヒーロー、修験道の開祖「役行者」。この行列は役行者が鬼を従えて、大峰山に入山する姿を表現するもので、1688~1704年頃に上野天神祭に加わったとされている。伊賀流忍者の元祖ともいわれており、その面は初代藩主の藤堂高虎の眼病平癒の祈祷をした結果、早く癒えたことから、その返礼として寄進を受けたものと言われている。もうひとつの行列は日本一の将軍といわれる、こちらも中世のヒーロー、鎮西八郎為朝(源為朝)の行列。鬼ヶ島を征伐し、凱旋する姿を表現している。鎮西八郎為朝の身の丈は7尺を越えたというから、ジャイアント馬場より高かったことになり、その威風堂々たるや・・・少し、滑稽である。わんちゃんもびっくりである。人...鬼行列のトリは「役行者」と「鎮西八郎為朝」~上野天神祭⑤

  • 鬼行列の名物「ひょろつき鬼」 ~上野天神祭 ④

    鬼行列の名物「ひょろつき鬼」~上野天神祭④鬼行列は「役行者列」と「鎮西八郎為朝列」の二つから成るが、その間に入るのが名物「ひょろつき鬼」である。釣鐘・笈持・斧山伏から成り、それぞれ釣鐘、笈、斧を持って右へ左へ、ひょろつきながら歩く。この鬼に触ってもらうとこどもの疳の虫が治ると言い伝えられている。私には質の悪い酔っ払いにしか見えないが、純真な子どもたちには本物の鬼や不気味な変質者(変質鬼!?)に見えるのだろう。泣き叫ぶ子どもたちが微笑ましい。人気ブログランキングへにほんブログ村鬼行列の名物「ひょろつき鬼」~上野天神祭④

  • 上野天神祭 ③ ~鬼行列オープニング・ 大御幣から小鬼たち

    上野天神祭③~鬼行列オープニング・大御幣から小鬼たち悪疫退散と五穀豊穣を祈念する「鬼行列」は300年以上の伝統があり、全国的にも珍しいという。鬼町と呼ぶ四つの町で伝承され、「役行者列」と「鎮西八郎為朝列」の二つがある。「鬼行列」は「役行者列」の「大御幣」から始まる。日本最大級の御幣が鬼行列の先頭を行く。三十貫(112.5㎏)で高さ6m越えの御幣を電線に引っかからないように細心の注意を払って通りぬけるので見ている、こちらにも力が入る。担ぎ手五人衆の会話。「電線に引っかかったら、どうしょう?」「感電するだけや。」「・・・」最初の鬼は真蛇(悪鬼)だ。八天、小鬼たちが続く。しばらくして、休憩タイム。ほっと一息。人気ブログランキングへにほんブログ村上野天神祭③~鬼行列オープニング・大御幣から小鬼たち

  • 上野天神祭 ② ~だんじりと忍者のまち

    上野天神祭②~だんじりと忍者のまちだんじり巡行の準備に余念がないまちは心なしか浮足立っているようにも思える。長いコロナ禍の中、待ち侘びた祭りの日だからこそ、いつもより笑顔に溢れている。昭和にタイムスリップしたような祭り風景。でも、実は昭和より、もっと昔の香りもする。このまちは伊賀の忍びの國気を付けないと至る所に忍者が出没する。それから、このまちのNO1名士は・・・何といっても松尾芭蕉である。実は彼こそ忍者であったという説がある。にんにん。人気ブログランキングへにほんブログ村上野天神祭②~だんじりと忍者のまち

  • 上野天神祭 ① ~だんじりのまち逍遥

    上野天神祭①~だんじりのまち逍遥三重県伊賀市にある上野天神宮の秋祭り「上野天神祭」は、伊賀上野の秋を彩る伊賀市最大の祭りで、400余年の伝統を持つ。江戸時代前期の元禄3(1690)年には鬼行列が、宝暦6(1756)年には楼車(だんじり)の原初が登場したことが記録として残っている。脈々と受け継がれた祭礼は「上野天神祭のだんじり行事」として、平成14(2002)年に国重要無形民俗文化財に指定され、さらに平成28(2016)年には、ユネスコ無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」33件の一つとして登録された。だんじり巡行に向けて、準備に余念のない町の表情を追って”まち逍遥”をした。人気ブログランキングへにほんブログ村上野天神祭①~だんじりのまち逍遥

  • 長吉六反 秋まつり ~弾けるROCK TURN!

    長吉六反秋まつり~弾けるROCKTURN!10月14・15両日、大阪市平野区の「長吉六反秋まつり」が開催された。赤坂神社の祭礼だが、長吉六反地域をあげてのイベントでもあり、六反だんじりが町内を巡行する。青年会が中心となって曳こうするが、弾けるような若さが眩しくみえた。私もそんな歳になったのかとしみじみ思ったりする秋の宵である。人気ブログランキングへにほんブログ村長吉六反秋まつり~弾けるROCKTURN!

  • 深まる秋に寄せて ~『アローン・アゲイン』

    深まる秋に寄せて~『アローン・アゲイン』昨日まで、そこに居た人がいなくなった。自分が孤独だってことに初めて、気がついた。孤独と向き合うと自分が見えてくるという。不思議に寂しさは感じない。孤独はいつだって、自由と裏表。だって、誰もが孤独に生まれ、孤独に死んでいくもの。それがNaturallyなんだ。久し振りにギルバート・オサリバンが聴きたくなった小春日和の散歩道。人気ブログランキングへ深まる秋に寄せて~『アローン・アゲイン』

  • 白馬・一の倉荘 ~心の宿シリーズ Vol.9

    白馬・一の倉荘~心の宿シリーズVol.9今日の宿へは白馬駅から「大出の吊り橋」を経て長野・鬼無里方面へ車で約10分とあるのでタカを括っていたが想像以上の山里だった。夜間の到着なら、ちょっと大変だった。白馬の自然豊かな、豊かすぎる山里の民宿で350年以上続く老舗だという「一の倉荘」。素泊まり4200円(暖房費600円込)はドミトリーを除けば、地域最安値なのではないだろうか。今回は素泊まりだったが、オーナーさんがシェフで料理も大好評とのこと。無農薬の採れたて野菜とニジマスの薫製と朝食につくガレットが名物と聞くが、今日の夕食は隣家の猟師さんが仕留めた熊料理だったという。う~ん。惜しいことした。次回は是非。(逆に熊の夕食にならないように気を付けねばならないが。)ゲレンデも近く、約3000冊という蔵書のコミックスや...白馬・一の倉荘~心の宿シリーズVol.9

  • 白馬「和田野の森教会」と強アルカリ性温泉

    白馬「和田野の森教会」と強アルカリ性温泉白馬村和田野のブナ・ナラ・ホウノキといった広葉樹に囲まれた森の中にひっそりと「和田野の森教会」がある。れんが造りの小さな教会で、隣に鐘つき堂もある。内部には入れなかったが、こんなところで結婚式を・・・なんて乙女はロマンチックに憧れるのだろうなとオトメンは思った。近くには山岳写真家のフォトギャラリーやお洒落なギフトショップがあったりと、一帯はメルヘンチックなムードに包まれている。白馬八方温泉は全国有数のアルカリ性泉である。温泉の性質を示す指標の一つにpH(ピー・エッチ)がある。いわゆる酸性なのか、中性なのか、アルカリ性であるのか、という区別はこのpHに基づくが、秋田県・玉川温泉に代表されるpH1台の強酸性から、白馬八方温泉のようなpH11.3の強アルカリ性まで、幅広く...白馬「和田野の森教会」と強アルカリ性温泉

  • 白馬・八方の黒菱スカイラインで遭遇した「虹のアーチ」

    白馬・八方の黒菱スカイラインで遭遇した「虹のアーチ」白馬八方の麓、和田野の森、標高892m地点から1500m地点の八方尾根・黒菱駐車場へと登る林道が黒菱林道で「黒菱スカイライン」ともいう。標高差760mのドライブルートは白馬連峰に抱かれるような絶景の連続だった。ただ、終点の黒菱平からリフトで八方池まで廻るつもりが、残念ながら、強風のため、リフトは休止していたので断念。山の神さまは、「その替わりですよ。」とでも言うように、素晴らしい「虹のアーチ」を見せてくれた。虹をよく見ると虹の上に薄っすらともう一つの虹が見える。(栂池自然園から見た右の八方池山荘と左下の黒菱平のカフェ)山肌を縫うような黒菱スカイライン。虹の一部分だけでなくアーチ全体を見たのは久し振りだった。人気ブログランキングへにほんブログ村白馬・八方の黒菱スカイラインで遭遇した「虹のアーチ」

  • 浮島湿原と山岳救助ヘリ ~栂池自然園の三段紅葉 ⑥

    浮島湿原と山岳救助ヘリ~栂池自然園の三段紅葉⑥ヤセ尾根を降り、「浮島湿原」に到着する。この湿原は中央に小さな池があり、その中に丸い浮島が頭を出しており、それが名前の由来。チングルマやクロマメノキの草紅葉と白馬岳の白銀と山肌の彩が作る絶景に魅せられる。浮島湿原で、まったりと休憩していると長野県警のヘリコプターが飛来してきた。先ほど、ヤセ尾根で転倒して動けなくなっている人がおり、救援ヘリを呼んでいるとは前述した通りだが、そのヘリのようだ。ヘリはヤセ尾根の現場でホバリングしながら、レスキュー隊員を降下させる。無事、救出。よかった。帰り際になって、白馬岳、杓子岳、唐松岳の雲が一瞬、動いて、威容を覗かせてくれた。人気ブログランキングへにほんブログ村浮島湿原と山岳救助ヘリ~栂池自然園の三段紅葉⑥

  • 白馬大雪渓と展望湿原 ~栂池自然園の三段紅葉 ⑤

    白馬大雪渓と展望湿原~栂池自然園の三段紅葉⑤標高2010mの展望湿原からは白馬連峰と白馬大雪渓をまじかに見ることができる。今しか見れないという三段紅葉(雪の白・常緑樹の緑・紅葉の赤)のハイライト・スポットでもある。前々日(10/5)に初冠雪を迎えたが、この日は天候も良くなったため2000m越え付近の登山道に積もった雪が溶けだしていた。そのため、登山道に設置されたボード上では凍結かシャーベット状になっており、軽装備の方があちこちで転倒されていた。なかには、骨折されたようで動けなくなっている方もおられ、到着した係員が救援ヘリを呼んでおられた。ヤセ尾根では180度の眺望が素晴らしかった。奥から自然園入口、みずばしょう湿原、ワタスゲ湿原、手前の浮島湿原の眺望。目を転ずると眼下に「雁又池」が輝いていた。八方尾根方面...白馬大雪渓と展望湿原~栂池自然園の三段紅葉⑤

  • 紅葉と黄葉と白銀の錦繍世界 ~栂池自然園の三段紅葉 ④

    紅葉と黄葉と白銀の錦繍世界~栂池自然園の三段紅葉④ワタスゲ湿原から楠川の流れを越えるあたりから、ルートはハイキングからトレッキングへと変わっていく。ナナカマドやサラサドウダン、ダケカンバなどが赤や黄色に色づき、常緑のオオシラビソとのコントラストが一段と鮮やかになっていく。背景の白馬岳も更に近くなっていくようだ。自然園入り口の栂池ヒュッテやワタスゲ湿原を一望できた。モウセン池には食中植物のモウセンゴケが群生する。さあ、いよいよ、白馬大雪渓を望む展望湿原へと登っていく。人気ブログランキングへにほんブログ村紅葉と黄葉と白銀の錦繍世界~栂池自然園の三段紅葉④

  • ワタスゲ湿原と黄金色の草もみじ ~栂池自然園の三段紅葉 ③

    ワタスゲ湿原と黄金色の草もみじ~栂池自然園の三段紅葉③栂池自然園の高層湿原一帯の草は緑から「草もみじ」と呼ばれる黄金色に変わり、ナナカマドやダケカンバなどの樹木も夕日のような紅色や黄色に色づく。白馬三山(白馬岳・小蓮華山・白馬乗鞍岳)の三段紅葉も絶景だ。人気ブログランキングへにほんブログ村ワタスゲ湿原と黄金色の草もみじ~栂池自然園の三段紅葉③

  • 栂池自然園の三段紅葉 ② ~エントランスと"みずばしょう湿原"

    栂池自然園の三段紅葉②~エントランスと"みずばしょう湿原"栂池自然園の入り口には、栂池ヒュッテ、栂池山荘、ビジターセンター、栂池ヒュッテ記念館が並んでいる。気温は6℃。先日までの下界の酷暑は遠い昔。ここで、おぼろ昆布のような奇妙な植物に出会った。「サルオガセ」といい、霧などの空気中の水分と光合成だけで成長するという。今回は自然園に行く予定だが、いつものように横道に逸れたくなり、白馬大池目指す登山道を少し登ってみた。見事なダケカンバがすくっと立つ。白馬三山の雄姿。山小屋まで7時間コースということなので30分ほど登ってUターンし、自然園入口に戻る。ビジターセンター前でホルンを演奏されていた。アルプスムードが高まる。栂池ヒュッテ記念館は栂池ヒュッテの旧館で今は資料展示館となっているが、何ともメルヘンチックな山小...栂池自然園の三段紅葉②~エントランスと"みずばしょう湿原"

  • 栂池自然園の三段紅葉 ① ~栂池ゴンドラ&ロープウエイでアプローチ

    栂池自然園の三段紅葉①~栂池ゴンドラ&ロープウエイでアプローチ栂池自然園を訪れるのも30年振りとなる。前回は車で急峻曲路な狭路をうんうん言いながら自然園に辿り着いたものだ。その翌年にロープウエイとゴンドラが開設されたので、当時を想うと本当に隔世の感がある。もっとも、30年なんて、いろんなことがあった筈なのに、大いなる自然と対峙すると、ほんの一瞬のことのようにも思う。今は環境保護のため栂池自然園への車の乗り入れは禁止され、栂池ゴンドラリフト「イブ」と栂池ロープウェイをあわせた全長5,320mの「栂池パノラマウェイ」でアプローチする。標高839mの栂池高原駅から1582mの栂の森駅を経由して1829mの自然園駅まで1000m近い標高差を駆け上がる。ゴンドラ駅のある栂池高原はスキー場のある有名な高原リゾートだが...栂池自然園の三段紅葉①~栂池ゴンドラ&ロープウエイでアプローチ

  • 塩の道 ~「牛方宿」と「前山百体観音」

    塩の道~「牛方宿」と「前山百体観音」糸魚川から、松本城下とを結ぶ千国(ちくに)街道は、“塩の道”とも呼ばれている。深い谷あいの山道を牛方(うしかた)やボッカ(歩荷)の背で塩や海産物を運び、帰り荷は麻や煙草など生活物資を運搬した道だった。戦国時代、上杉謙信が武田信玄に塩を送った「敵に塩を送る」という『義塩』の故事も、この道に由来する。雪のない季節、牛方は牛を使って荷物を運んだ。1頭の牛に塩2俵づつ付け、一人前になると6頭の牛を追い、これを「牛ヒトメエ」(一人前)と呼んだ。沿道の百姓たちの農繁期の合間に行った「作間稼ぎ」いわゆるアルバイトだった。山坂が続く千国街道は馬より踏ん張りの利く牛の方が有利だったという。そんな牛方たちが泊まったのが「牛方宿」である。街道沿いには旅の安全を祈念したと思われる石仏が多い。街...塩の道~「牛方宿」と「前山百体観音」

  • 「月と仏とコンサート」 2023 ~平野区・全興寺

    「月と仏とコンサート」2023~平野区・全興寺「月と仏とコンサート」は、全興寺(せんこうじ)の本堂で十五夜の月明かりのもと、そして年に2回しかご開帳されない全興寺秘仏・御本尊薬師如来さまの御前で行われるコンサート。今年は4年振り開催ということでシンガーソングライターの山田タマルさん、バイオリニスト真衣子さん、ピアニスト秋山暁子さんのトリオで、天と地と心に響く一夜限りのコンサートが催された。お月さまも仏さまもご住職も演者もお客様もみ~んな、まんまる笑顔。人気ブログランキングへにほんブログ村「月と仏とコンサート」2023~平野区・全興寺

  • INOKI KI (闘魂忌)に寄せて ② ~夢追い伝説

    INOKIKI(闘魂忌)に寄せて②~夢追い伝説猪木の闘いはリング上だけに留まらなかった。「事業なんかに手を出さず、レスラーだけに専念していれば良かったのに。」と多くの人がそう思うくらい失敗続き。事実、レスラーだけに専念していたら、実力世界一と云われた全盛期(上写真)をもう少し永く維持できたかもしれない。しかし、この男は夢を持つこと、夢を実現することに人生の目的、生きる意味を見出してしまった。その夢とは私利私欲の世界を越えて、世界平和や環境問題、食糧問題、エネルギー問題、ゴミ問題など地球人類規模の課題を解決することだった。だが、事業家というには、あまりに金銭には無頓着だったときく。それ故、猪木が動くと莫大なマネーも動くことを知っている輩が現れて、ビッグマネーをむしり取られたことも多かったようだ。或いは周囲の...INOKIKI(闘魂忌)に寄せて②~夢追い伝説

  • INOKI KI (猪木・忌)に寄せて ① ~猪木・アリ戦

    INOKIKI(猪木・忌)に寄せて①~猪木・アリ戦その日、私は地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅のホームのベンチで学校の帰りに各社新聞の夕刊を貪るように読んでいた。1976年6月26日、どの新聞も昼間に開催された猪木・アリ戦の速報記事を載せていたが、殆どの新聞がこの試合を酷評していた。猪木・アリ戦という常識ではあり得ない闘いが実現するに至った過程、試合直前まで紛糾したルール問題などプロレス専門誌(紙)によって、かなりの情報をリアルタイムで知り得ていた我々の感覚とプロレスをあまり知らない、或いは、固定観念と偏見に凝り固まった一般紙の記者の感覚には天と地ほどの差があった。そのころ、一番信頼していたM新聞の見出しはこうだった。「ショーならショーらしく、やれ!」激しい怒りがこみ上げて来て、その場でM新聞を破り捨てた。周りの...INOKIKI(猪木・忌)に寄せて①~猪木・アリ戦

  • 彼岸花の咲くころ ~明日香・案山子路と古宮土壇の夕焼け

    彼岸花の咲くころ~明日香・案山子路と古宮土壇の夕焼け彼岸花といえば、毎度定番の明日香村稲渕の案山子路(かかしロード)へ向かう。今年の巨大案山子は鶴瓶師匠だった。それにしても、アレがない。今年はアレで決まりと思ったのだが。「古宮土壇(ふるみやどだん)」は、推古天皇時代の庭園跡といわれる明日香村の夕焼け名所の一つ。田んぼの中に1本の木が立っている土壇(土を盛って築いた壇のこと)である。土壇の右に畝傍山が見える。母の遺句を添えてみた。人気ブログランキングへにほんブログ村彼岸花の咲くころ~明日香・案山子路と古宮土壇の夕焼け

  • 彼岸花の咲くころ ~大淀町・世尊寺

    彼岸花の咲くころ~大淀町・世尊寺奈良県吉野郡、梨の産地として有名な大淀町に飛鳥時代創建と伝わる古刹、世尊寺が佇む。吉野地方では「比曽寺」として、大変栄えた寺院の一つで、往時には東塔、西塔を擁する大寺だったというが、相次ぐ戦乱による焼失などが原因で、建物自体は後世に建てられた。山号は霊鷲山世尊寺(りょうじゅさんせそんじ)、古くは、比蘇寺(ひそでら・比曽寺)と称した。この時期は彼岸花の名所としても知られている。本物と間違いそうな猫がいた。山間の静かなお寺である。芭蕉も訪れたのだろう。句碑が立っていた。人気ブログランキングへにほんブログ村彼岸花の咲くころ~大淀町・世尊寺

  • 「きたまちといろ」 ~"奈良きたまち"を彩るカラフル・ランタン

    「きたまちといろ」~"奈良きたまち"を彩るカラフル・ランタン近鉄奈良駅の北側に広がるエリア、通称「きたまち」で「きたまちといろ」というイベントが1週間にわたり開催された。どの会場もカラフルなランタンで彩られていた。<カレーフェス>(種々カレー帳)奈良県庁回廊きたまちの様々なカレー店が大集合して出店。500円でライスを購入し、各店のカレーを別途、注文するというシステム。予備知識がないもので到着時、お客さんが一番並んでいた「つるカレー」をいただくことに。ナスのキーマカレーだったが、さすが、名物カレーというだけあって、おいしかった。<転害門前広場>東大寺西門である転害門前ではランタンとコンサートが催されていた。<奈良公園バスターミナル・ホール・といろ市>人気ブログランキングへにほんブログ村「きたまちといろ」~"奈良きたまち"を彩るカラフル・ランタン

  • 送別の句 ~母の満中陰法要に寄せて ③

    送別の句~母の満中陰法要に寄せて③昨日、母の満中陰法要を無事、終えることができました。実家に戻ってからは、両親の介護と看取りが自分の使命のように思っておりましたので重要な仏事を含め、やり遂げたことで安堵しています。こじんまりとした法要でしたが、出席いただいた皆さんには前述の俳句写真を差し上げました。また、母筆による日本画も母の形見として、持ち帰っていただきました。俳句会の皆さんから弔句をいただきました。(抜粋)初秋の風を美しと逝かれしや信彦秋立つ日去り難き句座を逝きたもふ順子温顔の句友を偲ぶ夏の月節子句友逝く秋の風鈴鳴りにけり伸一句が生命(いのち)そんな君逝く秋の風雅信天国に向けて発信します。ありがとうございました。秋彼岸旅立つ母に謝意告げる人気ブログランキングへにほんブログ村送別の句~母の満中陰法要に寄せて③

  • 辞世の句 ~母の満中陰法要に寄せて ②

    辞世の句~母の満中陰法要に寄せて②満中陰(まんちゅういん)は「中陰が満ちる」つまり中陰の終わる日、「49日の忌が明ける日」という意味である。中陰は中有(ちゅうう)とも呼ばれ、古代インド仏教では、人が亡くなってから次の生を受けるまでの49日間のことを指す。日本の仏教では、七七日にあたる49日を区切りに極楽浄土に行けるかどうかの判決が下されるといわれている。判決を下す閻魔様にも、これらの句を鑑賞していただきたいものである。「菰ぬちの薄日にすがり寒牡丹」春に咲く牡丹を温度管理などにより、人工的に冬に咲かせたのが「冬牡丹」。それに対し、「寒牡丹」はもともと春と冬に咲く品種で、必要のないところには養分は送らないため、殆ど、葉がない。菰を被り、寒さに耐えながら、一生懸命に咲いている「寒牡丹」が薄日に暖をとっている。「...辞世の句~母の満中陰法要に寄せて②

  • 惜別の句 ~母の満中陰法要に寄せて ①

    惜別の句~母の満中陰法要に寄せて①母は生活に追われながらも多趣味な人でしたが、最後まで残った趣味は”俳句”でした。また、床に臥せてからも、ずっと気にかけていたのは永年、所属していた俳句会のことでした。言葉を紡いで、言葉を彫り、言霊を吹き入れる。それこそが、俳人の皆さんの希求する処ではないでしょうか。母も、そんな作業をいつも、心中で描いていたに違いありません。しかし、残念ながら、最後の一年は霞ゆく意識に苛まれ、創作もままならなかったようです。私はこのたび、母の残した句を初めて、目の当たりにして、私の写真とコラボしようと思いついたのです。最初にして、最後のコラボです。生きているうちに、実践していたら、きっと、喜んでくれただろうにと少し悔いが残ります。満中陰法要を迎えるにあたって、今回の作品をご臨席いただいた皆...惜別の句~母の満中陰法要に寄せて①

  • ”麒麟” が棲む ~西教寺・夏詣 ④

    ”麒麟”が棲む~西教寺・夏詣④(完)夏詣で圧巻だったのはオブジェ制作の「馬遊舎」の作品展示。なかでも、「麒麟」には特に目を引いた。2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』で明智光秀を平和の使者ともいうべき、麒麟に例え、従来の「逆賊」、「謀反人」、「陰気で狡猾」という光秀イメージを払拭したのは記憶に新しい。西教寺は光秀一族の菩提寺であるが、確かに”麒麟”が棲んでいるように感じた。人気ブログランキングへにほんブログ村”麒麟”が棲む~西教寺・夏詣④

  • 和あかりの極楽世界 ~西教寺・夏詣 ③

    和あかりの極楽世界~西教寺・夏詣③和あかりに包まれた境内をはんなりとそぞろ歩き。幻想的な光のオブジェに極楽世界を垣間見る西教寺の夏詣。人気ブログランキングへにほんブログ村和あかりの極楽世界~西教寺・夏詣③

  • 「風鈴参道通り抜け」 ~西教寺・夏詣 ②

    「風鈴参道通り抜け」~西教寺・夏詣②疫病退散・除災招福を祈願されたカラフルなガラス風鈴2000個が参道の天井を鮮やかに飾っていた。ガラス風鈴のひとうひとつを僧侶が手塗りをしたという。清々しい響きに邪気も払われたことだろう。人気ブログランキングへにほんブログ村「風鈴参道通り抜け」~西教寺・夏詣②

  • 西教寺・夏詣 ① ~極楽世界に続く"光の参道"

    西教寺・夏詣①~極楽世界に続く"光の参道"比叡山の南東山麓に大きな寺域を持つ西教寺は天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の総本山である。寺伝では、聖徳太子創建と伝わり、荒廃と再興のあと、戒律・念仏の道場となった。戦国時代には織田信長による延暦寺焼き討ちで焼失したが明智光秀(1528-82)が寺の復興に尽力したことから、光秀一族の菩提寺となった。夏詣は参道のライトアップに始まる。まるで、極楽世界に続く"光の参道"である。人気ブログランキングへにほんブログ村西教寺・夏詣①~極楽世界に続く"光の参道"

  • 旧竹林院ライトアップ ② ~虹色グラデーションの庭園

    旧竹林院ライトアップ②~虹色グラデーションの庭園旧竹林院の2Fに上がると、また、違った角度からの絶景が臨める。虹色グラデーションの美しさに目を見張る。通路や駐車場には数々の大津絵の行灯がある。人気ブログランキングへにほんブログ村旧竹林院ライトアップ②~虹色グラデーションの庭園

  • 旧竹林院ライトアップ ① ~リフレクションの幻想庭園

    旧竹林院ライトアップ①~リフレクションの幻想庭園大津市坂本の名勝庭園・旧竹林院の夜間ライトアップが幻想的だ。暗い部屋に置いた座卓の表面に庭の樹木が反射するリフレクションが特に圧巻である。旧竹林院は、比叡山の僧が織田信長による焼き打ち後に建てた里坊(さとぼう、住まい)で現在は市の施設となっている。人気ブログランキングへにほんブログ村旧竹林院ライトアップ①~リフレクションの幻想庭園

  • 黄昏逍遥 ~坂本・石垣の町並み

    黄昏逍遥~坂本・石垣の町並み黄昏時、久々に大津市坂本のまちを歩くと、あらためて石垣が美しいまちの景観をつくりだしていることに気づく。比叡山延暦寺や日吉大社の門前町として栄えた坂本は、穴太(あのう)衆積みと呼ばれる美しい積み方をした石垣が町中に多く見られ、また、里坊と言われる比叡山で修行を積んだ僧侶たちの隠居坊もびっしり並んでおり、一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。「石の声を聴き、石に従う」穴太衆、かく語りき。坂本を訪ねるたび利用する蕎麦屋は残念にも営業していなかった。またの機会に。Guuu~坂本駅の趣ある佇まい。京アニ制作「響け!ユーフォ二アム」とのコラボ列車が走っていた。寂寥の黄昏。人気ブログランキングへにほんブログ村黄昏逍遥~坂本・石垣の町並み

  • レッド・ストーム ~奈良バサラ ④

    レッド・ストーム~奈良バサラ④バサラ祭りの常連で顔ともいうべき、「てんやわん屋」さん。今年も赤い旋風を巻き起こした。十二神将の一人、伐折羅大将はその強烈な形相ゆえ、もっともインプレッシブ。既存の固定観念をぶち破る進取の心意気に溢れている。今年は特にヤングジェネレーションの活躍が目立った。人気ブログランキングへにほんブログ村レッド・ストーム~奈良バサラ④

  • 艶やかに 舞い踊るなり 八重櫻 ~奈良バサラ ③

    艶やかに舞い踊るなり八重櫻~奈良バサラ③コロナ禍で制限なくパレードを敢行するのは4年振りときく。例年、バサラ祭りを艶やかに彩ってくれるのは奈良市役所チーム「八重櫻」さんだ。普段は窓口などで市民サービスに勤しんでおられる方もいらっしゃるだろうに、プライベートでも奈良市のPRに頑張っておられる。酷暑なのに、皆さんの笑顔と元気が何より素晴らしい。人気ブログランキングへにほんブログ村艶やかに舞い踊るなり八重櫻~奈良バサラ③

  • ブラック・ストーム ~奈良バサラ ②

    ブラック・ストーム~奈良バサラ②1999年に奈良市で始まった、ストリートダンス・パフォーマンスを中心とした市民参加の祭り、「バサラ祭り」。各踊り隊がそれぞれアイデアを凝らした衣装やダンスを披露し、パレードを行う。バサラ(婆娑羅)とは、鎌倉、室町時代に流行した風潮で、音楽や雅楽の舞台で自由に目立つように演じることを指す。今回、私の中で一番、インパクトがあったのは「A-Fam」さん。ダンススクールのインストラクターと生徒さんによるチームらしいが、まず、黒一色のコスチュームに度肝を抜かれた。切れ切れの前に進むダンスも、黒い疾風が駆け抜けたかのような迫力があった。バサラに成り切った出演者の皆さんの暑さを吹き飛ばす圧倒的なエネルギーとパワーを感じた。人気ブログランキングへにほんブログ村にブラック・ストーム~奈良バサラ②

  • 勇壮な「旗振り合戦」 ~奈良バサラ ①

    勇壮な「旗振り合戦」~奈良バサラ①灼熱の奈良の街中で2日間に渡って繰り広げられる「バサラ祭り」のオープニングを飾る「旗振り合戦」が春日大社参道で始まった。力の籠った旗振りが暑気を払った。いや、一層、熱くなった。(8月26日)人気ブログランキングへにほんブログ村に勇壮な「旗振り合戦」~奈良バサラ①

  • 「上方浮世絵館」 ~江戸時代の歌舞伎役者が見得を切る!

    「上方浮世絵館」~江戸時代の歌舞伎役者が見得を切る!道頓堀・法善寺門前の「上方浮世絵館」が外人さんに人気だと聞いて、出かけてきた。近頃は日本人より外人さんの方が日本文化に精通しているというから、うかうかしていられない。いつもは見落としているのに、あったあった。こんなところに「上方浮世絵館」。エントランスには江戸時代の道頓堀の様子が描かれた「摂津名所図会」のパネル。当時は芝居小屋が立ち並び、今以上に大変な賑わいだったという。上方浮世絵館で展示されている浮世絵は「上方浮世絵」といって、江戸の風景画や美人画とは違い、ほとんどが歌舞伎の役者絵である。当時の庶民はこの役者絵をブロマイドのように買っていたそうで、当時の暮らしや風俗が偲ばれる。4階立で縦に細長い「上方浮世絵館」は展示室も、ちょっと面白い。館を出た途端、...「上方浮世絵館」~江戸時代の歌舞伎役者が見得を切る!

  • 生駒・宝山寺の「獅子閣」 ~ハイカラモダンな擬洋風建物

    生駒・宝山寺の「獅子閣」~ハイカラモダンな擬洋風建物1678年に湛海律師(たんかいりっし)により不動明王を祀って創建された宝山寺。本堂の後ろに建てられた“聖天堂”には、現世利益・商売繁盛の神さま“大聖歓喜天”が祀られていることから、特に商売人から絶大な信仰をあつめ、「生駒の聖天さん」または「生駒さん」と呼び親しまれている。境内から見上げたところにある「般若窟」は修験道の開祖・役行者や空海が修行したと伝わる。境内には、「獅子閣(重要文化財)」という明治時代1884年落慶の「擬洋風」の客殿がある。重要文化財に指定されており、赤・青・緑のステンドグラス風の窓や、らせん状の階段、襖絵、木製テラスなどが秀逸だ。和洋折衷のアンバランスな調和を見ることができる。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRank...生駒・宝山寺の「獅子閣」~ハイカラモダンな擬洋風建物

  • 生駒ケーブルに乗って、インドネシア料理 ~「摩波楽茶屋-マハラジャヤ」

    生駒ケーブルに乗って、インドネシア料理~「摩波楽茶屋-マハラジャヤ」近鉄生駒駅と接続している鳥居前駅~宝山寺駅、宝山寺駅~生駒山上駅は「生駒ケーブル」が結んでいる。生駒ケーブルは日本最古のケーブルカーで、大正時代に宝山寺詣の人たちのために開設されたという。その歴史を紐解くと・・・。1918年8月29日、日本初のケーブルカーとして、鳥居前駅〜宝山寺駅間に国産技術による「生駒ケーブル」が誕生。1926年輸送力増強のため北側に宝山寺2号線を増設。複線化が完成。1929年生駒山上遊園地の開業にともない山上駅を建設。現在の姿に。1944年物資供給のため宝山寺2号線撤去。山上線は海軍専用使用。宝山寺1号線のみ営業を継続。1945年山上線が復活。1953年宝山寺2号線が復活。2000年ブル・ミケ・ドレミ・スイートが登場...生駒ケーブルに乗って、インドネシア料理~「摩波楽茶屋-マハラジャヤ」

  • 煌びやかな天女の舞 ~「天平たなばた祭り 平城京天平祭・夏」 ③

    煌びやかな天女の舞~「天平たなばた祭り平城京天平祭・夏」③光の天平行列のメインイベントは朱雀門前での天女の舞。煌びやかな天平絵巻が繰り広げられた。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村煌びやかな天女の舞~「天平たなばた祭り平城京天平祭・夏」③

  • 「天平たなばた祭り 平城京天平祭・夏」 ② ~光の天平行列

    「天平たなばた祭り平城京天平祭・夏」②~光の天平行列天女たちの舞いを先頭に選ばれし君「彦星」、ミスコンシェルジュ奈良が務める「織姫」と煌びやかな女官たちによる光の天平行列。天の川に見立てた燈花の中を行く行列に見とれて涙を流しているひとがいた。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村「天平たなばた祭り平城京天平祭・夏」②~光の天平行列

  • 「天平たなばた祭り 平城京天平祭・夏」 ① ~煌めくミラーボーラー

    「天平たなばた祭り平城京天平祭・夏」①~煌めくミラーボーラー奈良時代、旧暦の7月7日(現在の8月ごろ)に、ここ平城宮で盛んに行われた祭を起源とする「七夕」。そんな七夕にちなんだ、光と灯りのイベントが「天平たなばた祭り平城京天平祭・夏」。和傘が光のオブジェになった。あまりの酷暑に奈良名物かき氷に手を出す。結局、平凡な練乳がけ抹茶となった。夕暮れと共に遣唐使船にも寂寥感が漂う。朱雀大路には天平祭のシンボル「巨大な光のオブジェ(ミラーボーラー)」が朱雀門をバックに登場した。ミラーボーラーは七夕の原型で中国から伝わる「乞巧奠(きこうでん)」の際に設ける祭壇「星の座(ほしのざ)」に飾られる「五色の糸」を表現した幻想的な光のアートである。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村に...「天平たなばた祭り平城京天平祭・夏」①~煌めくミラーボーラー

  • 大阪リバーサイド・黄昏逍遥

    大阪リバーサイド・黄昏逍遥堂島川リバーサイドから中之島を抜けて肥後橋に至る、一刻の”黄昏逍遥”。街がいつもとは違う表情をみせるコバルトアワーに。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村大阪リバーサイド・黄昏逍遥

  • モネの「睡蓮」の池へダイブ!! ~印象派ミュージアム ⑥ (完)

    モネの「睡蓮」の池へダイブ!!~印象派ミュージアム⑥いよいよ、"印象派ミュージアム"もクライマックス。クロード・モネの代表作『睡蓮』の池へダイブする。「睡蓮」は約250枚の油彩絵画となる連作でフランスのジヴェルニーにある「水の庭」の池とそこに生育する睡蓮をモチーフに描いた。モネの晩年までの30年間にわたって制作されたものだという。初期のものには日本風の太鼓橋が描かれている。<番外編>人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村モネの「睡蓮」の池へダイブ!!~印象派ミュージアム⑥(完)

  • 色即是空 ~印象派ミュージアム ⑤

    色即是空~印象派ミュージアム⑤写実的作品で知られる印象派画家カイユボットは裕福であったため、印象派絵画を収集するとともに、印象派の画家たちの経済的支援も行った。印象派の世界観を探求していくために、其々の絵画を構成している色彩のひとつひとつを分解していく。物質を構成している、すべての要素を分子・原子の段階にまで分離していく様は、あたかも、諸行無常「色即是空」の世界。母を失ったばかりの私には、少しばかり酷な光景である。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村色即是空~印象派ミュージアム⑤

  • 移ろう光と空間・IMPRESSIONISM ~印象派ミュージアム ④

    移ろう光と空間・IMPRESSIONISM~印象派ミュージアム④シスレーとピサロは風景画を描く印象派と云われている。私は小さな頃から気づかぬうちに印象派の洗礼を受けていたようにも思う。何故なら、シスレーやピサロの作品には、デジャブともいえる、昔見た覚えのある作品が多いからだ。移ろう光と自然のみずみずしい息づかいが感じられるのが魅力的だ。今、主に風景写真を撮るようになったのも、その影響があったのかもしれない。ピサロの「白い霜」は地味だが好きな作品のひとつ。冬の朝に坂を上る農夫。凍てついた台地。質感まで細かく描こうとする正統派の姿勢が感じられる。モネの作品にたびたび登場する、美貌の印象派画家モリゾ。その描写にはモデルに対する以上の愛情が感じられる。そのモリゾの作品は穏やかで、微笑ましい情景などが特徴的。モネの...移ろう光と空間・IMPRESSIONISM~印象派ミュージアム④

  • 変革への挑戦「ラ・グルヌイエール」 ~印象派ミュージアム ③

    変革への挑戦「ラ・グルヌイエール」~印象派ミュージアム③印象派誕生のきっかけとなった2人の画家は、パリ郊外のセーヌ川沿のリゾート地(ラ・グルヌイエール)に一緒に出かけ、キャンパスを並べて作品を制作した。モネとルノワールである。「ラ・グルヌイエール」には随所に初期の印象派の技法”色彩分割による光の表現”や”色と色を重ねない筆触”の試行錯誤の様子が見て取れるとされる。会場では、まず、筆の質感を残した描き方を実体験する。まるで、怒涛の波打ち際にいるような感覚。水面の光の揺らぎを表現することに挑戦していたモネに対し、ルノワールは人物を描くことに挑戦したという。モンマルトルにある庶民的なダンスホールを描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は、彼の代表作といわれている。有名な「踊り子」が代表作のドガと女流のパステル画...変革への挑戦「ラ・グルヌイエール」~印象派ミュージアム③

  • 母・旅立ちの朝に

    母・旅立ちの朝に私事ではございますが、本日、母の通夜、明日の告別式を迎えることとなりました。お世話になった皆様には心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。不肖な息子でありましたので苦労ばかりかけましたが、最後は少しばかりの介護で百万分の一くらいは孝行はできたかなと思います。いや、まだまだ、足らなかったですね。本日、通夜で流すスライドショーを昨夜、必死になって作りましたので、その一端をご披露します。(TOPは父が写真コンテストで入選した作品で父がずっと、自慢していたもの。左から、母、私、ひいばあちゃん。カメラの腕というより、モデルの私が良かったのかな。)昭和7年生なので、赤字注釈は間違ってますね。まあ、そこそこだったかな。銀行員時代。まさに青春。白馬登山。銀行時代は登山部にいたらしい。私と一緒に。...母・旅立ちの朝に

  • 19世紀の展覧会へ時空旅 ~印象派ミュージアム ②

    19世紀の展覧会へ時空旅~印象派ミュージアム②19世紀フランスの美術界は、行政と繋がった組織によって、聖書や神話などをモチーフとし、緻密なタッチで、カメラのように瞬間を切り取ったような作風が推奨されていた。そのような中で筆跡の残った荒々しいタッチで、明確な輪郭線を描かずにモチーフを捉え、光の変化を含めた風景の再現に重きを置いていた彼等の作風はあまりに革新的で保守的な権力層は彼等を受け入れず酷評していた。権威主義的な保守層から受け入れられない画家たちが集まり、1874年に官製ではない独自による第一回の展覧会を開催した。その時に出品されていたモネの《印象、日の出》という作品のタイトルから、後に、彼等は「印象派」と呼ばれることになった。当時はこの展覧会も批判の的であったらしい。大衆に受け入れられるまでには、まだ...19世紀の展覧会へ時空旅~印象派ミュージアム②

  • モネの <印象・日の出> をめぐる旅 ~印象派ミュージアム ①

    モネの<印象・日の出>をめぐる旅~印象派ミュージアム①大阪市福島区の堂島リバーフォーラムで「ImmersiveMuseumOSAKA」が開催されている。"印象派"IMPRESSIONISMの名作を映像で魅せる新感覚のミュージアムである。会場前では、お洒落な若い女性たちがタムロしており、イケメン・コンサートでもあるのかと思ってしまった。が、理由はすぐにわかった。彼女たちは名作絵画の中に旅立とうとしていたのだ。まずは、モネ作『印象・日の出』に描かれている19Cフランスのル・アーヴル港をCGで再現した風景。『印象・日の出』は、クロード・モネが1872年にフランス北西部の港湾都市ル・アーヴルを描いた絵画で「印象派」の名前の由来となる美術史上、重要な意味を持つ作品である。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2B...モネの<印象・日の出>をめぐる旅~印象派ミュージアム①

  • 「喜連灯火の夕べ」 ② ~夏の宵の灯り道

    「喜連灯火の夕べ」②~夏の宵の灯り道喜連の屋敷小路は灯火に照らされると、さらに絵になる空間。この素敵な一角をいつまでも残していただきたいものだ。灯りに浮かび上がる町並みは何故か、いつもの見慣れた街とは違って見える。それが街の再発見に繋がるといい。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村「喜連灯火の夕べ」②~夏の宵の灯り道

  • 「喜連灯火の夕べ」 ① ~平和への灯火

    「喜連灯火の夕べ」①~平和への灯火平野区の旧喜連環濠地域において、7月29日「第7回喜連灯火の夕べ」が開催された。この事業は夏の宵に地域の町家や寺社仏閣の軒や階段などを蝋燭やLEDの灯りで街を照らし出し地域を再発見しようというイベントである。主催は喜連環濠地区まちづくり研究会の皆さん。ロシア人僧侶ジーマさんが副住職を務める如願寺では、平和を願ってジーマママのヴィクトリアさんのコンテンポラリー・ダンスと谷口奈々さんと坂本美紀さんのピアノ演奏が披露されていた。お着物姿の武市区長もご来場されていた。ジーマさんのご両親も来日されており、武市区長ともお引き合わせした。4年前、ジーマさんの里帰り時に同行して、ご実家を訪問した際、ご両親にはウオッカや手作り料理で歓待していただいた。それ以来の再会であるが、当時には想像も...「喜連灯火の夕べ」①~平和への灯火

  • 京都・尊陽院 ~天上に舞うアサギマダラ

    京都・尊陽院~天上に舞うアサギマダラ京都市上京区にある尊陽院は本光寺の塔頭寺院で本光寺の境内の中に山門がある。最近、SNS上でフォトジェニックな天井画がブレイクしているようだ。美術家のmais(マイス)さんによる「祈りの天井画」で、「旅する蝶・アサギマダラ」が描かれている。当院の尼僧さんは「アサギマダラは訪れる人の痛みや苦しみを優しく舞いながら救い上げ、花々と共に昇華へと導きます。祈る思いは時に力強く、時に優しく、大きな羽で浄化の風を生み出します。是非、アサギマダラの不思議なパワーを授かって帰ってください。」と説く。本陣の天井には龍が睨みを利かす。拝観受付に数々のわらべ地蔵が並んでいるのは水子供養のお寺だからだろうか。拝観受付の横はロビーになっており、庭園を鑑賞できる憩のスペース。数々の御朱印やお守りも用...京都・尊陽院~天上に舞うアサギマダラ

  • 京都・本法寺界隈 ~利休が歩いた道

    京都・本法寺界隈~利休が歩いた道上京区本法寺前町にある日蓮宗の本山・本法寺界隈を暑さにふらふらしながら歩いていて、はたと立ち止まってしまった。その道が、あまりにも京都らしい風情に溢れていたからだ。道の向こうから、千利休が歩いてきそうだと思っていたら、本当に千利休の遺跡があった。本法寺境内に入ってみる。石畳の参道の先に立派な仁王門がある。本法寺は本阿弥光悦・長谷川等伯が信仰を寄せた寺院であり、千利休とも交流があったと言われていることから、現在でも裏千家と縁が深い寺院だという。等伯による『佛涅槃図』(重文)が奉納されている。多宝塔も素晴らしい。実は境内にある塔頭寺院の尊陽院訪問が今回の目的である。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村京都・本法寺界隈~利休が歩いた道

  • 祇園祭山鉾巡行 (前祭) ⑤ ~放下鉾から船鉾

    祇園祭山鉾巡行(前祭)⑤~放下鉾から船鉾23基ある前祭の山鉾巡行もあと三つ。放下鉾(ほうかぼこ)、岩戸山、船鉾(ふねぼこ)を残すのみ。まずは放下鉾の稚児人形の三光丸(さんこうまる)が舞う。私のお気に入りは放下鉾の見送「バグダッド」である。これには、二羽の白く美しいフクロウが月の光で金色に輝くモスクのドームとミナレットを背景に大きく羽ばたいている情景が描かれている。麻地に藍(あい)のロウ染めで染め上げられ、純金箔やプラチナ箔なども、用いられているという豪華絢爛なタペストリー。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村祇園祭山鉾巡行(前祭)⑤~放下鉾から船鉾

  • 祇園祭山鉾巡行 (前祭) ④ ~菊水鉾から占出山

    祇園祭山鉾巡行(前祭)④~菊水鉾から占出山炎天下の巡行だったが、御池通の南側であったことが幸いして、ビルの木陰(ビル陰)に位置していた陰のお陰で熱中症を免れた。北側は大変だったろうと対面を憂えた。年々、こんなに猛暑が厳しくなって行くようでは、今回が最後かなと思いつつ、実は来年も来てたりして。巡行は菊水鉾、保昌山(ほうしょうやま)、綾傘鉾、太子山、月鉾、伯牙山(はくがやま)、蟷螂山(とうろうやま)、占出山(うらでやま)と続く。延々と。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村祇園祭山鉾巡行(前祭)④~菊水鉾から占出山

  • 祇園祭山鉾巡行(前祭) ③ ~鶏鉾から菊水鉾

    祇園祭山鉾巡行(前祭)③~鶏鉾から菊水鉾祇園祭山鉾巡行(前祭)も中盤に差し掛かった。鶏鉾・油天神山・孟宗山・霰天神山・菊水鉾と続く。ユネスコの世界無形文化遺産にも登録された祇園祭の山鉾巡行は、山鉾を彩る豪華な懸装(けそう)品から「動く美術館」といわれる。懸装品とは、山鉾を飾る装飾品のこと。鶏鉾の懸装品に「末吉丸」が使われているとは知らなかった。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村祇園祭山鉾巡行(前祭)③~鶏鉾から菊水鉾

  • 祇園祭山鉾巡行 (前祭) ② ~函谷(かんこ)鉾から鶏鉾

    祇園祭山鉾巡行(前祭)②~函谷(かんこ)鉾から鶏鉾祇園祭は疫病退散を祈る八坂神社の祭礼でコロナ退散の祈念が通じたような晴舞台である。巡行は函谷(かんこ)鉾・郭巨(かっきょ)山・四条傘鉾・木賊(とくさ)山・鶏鉾と続く。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村祇園祭山鉾巡行(前祭)②~函谷(かんこ)鉾から鶏鉾

  • 祇園祭山鉾巡行 (前祭) ① ~始まりの長刀鉾

    祇園祭山鉾巡行(前祭)①~始まりの長刀鉾この猛暑に山鉾巡行に行く人の気が知れないと思っていたが、ふと気が付いたら烏丸御池駅に降り立っていたのはブロガーの性か。山鉾巡行(前祭)は長刀鉾(なぎなたほこ)を先頭に23基の山鉾が四条烏丸から出発し、四条通・河原町通・御池通の順に巡行する。長刀鉾は高さ約21.76m・長さ約6.42m・幅約4.35m・総重量約11.1tで、最上部の鉾頭・大長刀がシンボルである。まずは先頭集団の長刀鉾、山伏山、白楽天山、芦刈山。最初から「動く美術館」と云われる面目躍如だった。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村祇園祭山鉾巡行(前祭)①~始まりの長刀鉾

  • 熱き疾風の如く ~正覚寺だんじり・やりまわし2023

    熱き疾風の如く~正覚寺だんじり・やりまわし2023加美・正覚寺にだんじり曳行が始まったのは1885年(明治18年)だが、諸事情により1912年にだんじりを売却し、一旦、途絶えていたが、その後、1997年に地域の願望を受け、和泉王子町より「泉州型」だんじりを譲り受け、「やりまわし」の「正覚寺だんじり」として、復活した。現在は正覚寺祭保存会主催の地域の特色ある祭りとなっている。迫力ある「やりまわし」は必見だが、だんじりと一緒になって走る老若男女に地域の底知れぬパワーを感じた。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村熱き疾風の如く~正覚寺だんじり・やりまわし2023

  • 富貴蘭の繊細 ~宇治市植物公園 ③

    富貴蘭の繊細~宇治市植物公園③暖地の樹木に自生する着生ランで、原種、日本の風蘭だという。富貴蘭展が開催されていた。こんなに繊細な美を誇る植物は見たことがない。熱帯温室を散歩した。ヒヨドリだろうか、どこから入ったのか、温室散歩を決め込んでいた。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村富貴蘭の繊細~宇治市植物公園③

  • アガパンサスと半夏生のころ ~宇治植物公園 ②

    アガパンサスと半夏生のころ~宇治植物公園②蒸し暑い、この時期の一服の清涼剤といえるのが、アガパンサス。そして、半夏生。名残の紫陽花。鬼百合、睡蓮、ムクゲは盛夏を誘う。蜻蛉たちにとっても楽園だ。宇治市立植物公園のプロムナード。アガパンサスと半夏生のころ~宇治植物公園②

  • 蓮の咲くころ ~宇治市植物公園 ①

    蓮の咲くころ~宇治市植物公園①かつて、宇治市、久御山町、伏見区にまたがる広大な池、巨椋池(おぐらいけ)があった。その巨椋池は蓮の名所と云われていたという。巨椋池は昭和初期の干拓によって、消滅したが、巨椋池の固有種などは「巨椋池由来のハス」として、宇治市植物公園で栽培されている。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingにほんブログ村にほんブログ村蓮の咲くころ~宇治市植物公園①

  • The 佛像写真 ~奈良国立博物館

    The佛像写真~奈良国立博物館奈良国立博物館の仏像館にて、仏像の撮影が可能になったとのニュースを聞きつけて、勇躍、出かけた。もっとも、撮影可能な仏像は当館所蔵のものに限るということで全体の二割程度だが。時代の流れとともに博物館、美術館の撮影規制は全国的に緩和されてきたようだ。そもそも、旧館時代には撮影の制限はなかったと記憶しているのだが、早く、規制撤廃に向けて動いて欲しいものだ。多数の仏像の撮影は私設の「平野佛像博物館」以来。深呼吸しながら、其々の仏像と対峙した。仏像には仏師の魂と信者の祈念と、くぐりぬけてきた苛烈な時間が刻まれている。<観音菩薩立像>平安時代10C<如意輪観音菩薩坐像>鎌倉時代13C<薬師如来坐像>平安時代)9C<誕生釈迦仏立像>飛鳥時代7C<如来立像>統一新羅8C<火頭形三尊塼仏>飛鳥...The佛像写真~奈良国立博物館

  • 蓮の咲くころ・双頭蓮(そうとうれん)の蕾 ~試しみの大仏殿・喜光寺

    蓮の咲くころ・双頭蓮(そうとうれん)の蕾~試しみの大仏殿・喜光寺奈良時代の僧、行基ゆかりの喜光寺(奈良市)は薬師寺、唐招提寺、西大寺とともに蓮の寺「ロータスロード」の一角を成す。東大寺大仏殿の建立以前に大仏殿のモデルとして建てられ、「試しみの大仏殿」とも言われた重要文化財の本堂に蓮の花はよく似合う。その喜光寺で、1本の茎に2つの花が付く「双頭蓮(そうとうれん)」が2本現れた。吉兆とされる「双頭蓮」が二つも出現するというのは100年に一度ではないかと副住職はおっしゃる。ウクライナはじめ、各地の戦争が終結することを願わずにはいられない。清らかなミズアオイや睡蓮も咲いていた。本堂に安置されており、国の重要文化財でもある本尊「阿弥陀如来坐像」は、平安時代に制作されたもので、高さは2.3メートルほどの比較的大きな仏...蓮の咲くころ・双頭蓮(そうとうれん)の蕾~試しみの大仏殿・喜光寺

  • 闘魂、再見! ~京都プロレス美術館

    闘魂、再見!~京都プロレス美術館京都市左京区の「京都プロレス美術館」に久方ぶりにお邪魔した。京阪電車、出町柳駅から北へ徒歩約10分。比叡山を望む閑静な住宅街の一角にあるプロレス愛好家、湯沢さん宅の一室が「京都プロレス美術館」としてオープンされている。展示室の真ん中にある「憩いのリング」上にはメインとなる"猪木タワー”が燦然と聳えている。あの頃の猪木は、ちょうど、今の大谷翔平のように太陽のような輝きとオーラに満ちていた。チャック・ウエップナーとの異種格闘技戦で使用したグローブ。マニアにしか、わからないであろう・・・井上編集長の著書と遺品のメガネ。その他、マニア垂涎のプロレスお宝が所狭しと・・(失礼ながら、本当に狭いのだが)並んでいる。当時はまだ純真な少年だったから、シンほど悪い奴はいないと彼をシン底、憎んで...闘魂、再見!~京都プロレス美術館

  • “双龍再訪” ~龍王ヶ淵と龍鎮神社

    “双龍再訪”~龍王ヶ淵と龍鎮神社3年振りに奈良県宇陀市の山深くに棲む双龍に会いに行った。一頭目の龍、龍王ヶ渕は、室生向渕、大和富士と呼ばれる額井岳近くの標高530mの山中にある自然池。風のない晴れた日、湖面に周囲の木々が映り込む「水鏡」の景色は神秘的だ。当日はやや風があり、リフレクションはあまり期待できなかったが、龍王の片鱗を垣間見た。この辺りに行くと、いつも、お邪魔する正定寺。観光寺ではないが、花に溢れた境内にはいつも癒される。二頭目の龍は室生の深谷川の清流にある龍鎮の滝の傍らに鎮座する龍鎮神社(りゅうちんじんじゃ)。龍神が鎮まるという滝壷は、深く澄んだ水が満ち溢れ、ここが神域であることを感じる。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRanking“双龍再訪”~龍王ヶ淵と龍鎮神社

  • 宮古島・旅紀行 総集編

    宮古島・旅紀行総集編今でも、ふと、南の島が恋しくなるときがあります。個人的な旅の想い出ですが、よかったら、画像をTAPしてください。(記事へジャンプします。)①プロローグ・旅立ちの翼②シーサーがいる民家宿とヤギさん一家③東平安名崎/平安名崎灯台の絶景④"ウミガメとサンゴ礁を泳ぐ”⑤ムイガー断崖絶壁とイムギャーマリンガーデン⑥南国のブーゲンビリア⑦ハイビスカスとマンゴー農園⑧来間島と与那覇前浜ビーチ⑨伊良部大橋から白鳥岬⑩伊良部島・佐良浜漁港のカラフルな町並み⑪下地島/「通り池」と「17エンド」⑫砂山ビーチとゲストハウス・コア⑬西平安名崎・宮古島本島最北端⑭煌めく”池間ブルー”に囲まれた池間島⑮サザン・バタフライ⑯神様の住まう「大神島」へ⑰大神島/遠見台とノッチ(奇岩)⑱神か妖怪か、「パーントゥ」⑲パイナガ...宮古島・旅紀行総集編

  • 紫陽花の咲くころ ~旧三井家下鴨別邸

    紫陽花の咲くころ~旧三井家下鴨別邸下鴨神社に隣接する旧三井家下鴨別邸のあじさい苑が無料で公開されていた。旧三井家下鴨別邸は大正14(1925)年に完成した豪商・三井家の旧別邸で明治期の主屋を移築し、玄関棟を増築するなどして作られたもので、大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されていることから、重要文化財に指定されている貴重な空間である。あじさい苑越しの三階望楼が優雅な佇まいをみせていた。紫陽花の咲くころ~旧三井家下鴨別邸

  • 地に唐獅子・天に墨龍 ~建仁寺・霊源院 ②

    地に唐獅子・天に墨龍~建仁寺・霊源院②中国の現代アーティスト陳漫(チェンマン)さんが描いた「唐獅子図屏風(びょうぶ)」。屛風は六曲一双。煌びやかな金箔の中で獅子が今にも飛び掛からんばかりの迫力をみせる。陳漫さんは畳12枚分からなる天井の「墨龍図」も奉納している。雲から現れた2頭の龍が低い天井から睨みを利かす。風情あふれる建仁寺界隈。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRanking地に唐獅子・天に墨龍~建仁寺・霊源院②

  • 甘茶の咲くころ ~建仁寺塔頭・霊源院 ①

    甘茶の咲くころ~建仁寺塔頭・霊源院①京都でも最古の禅寺として名高い臨済宗大本山建仁寺。その塔頭寺院の一つである霊源院は「甘茶の寺」と呼ばれている。ガクアジサイにそっくりな「甘茶」は葉を煎じてお茶として飲めるヤマアジサイの変種。紫陽花は茎・葉っぱにアルカロイドという毒があるが、甘茶にはない。花祭りで仏様にかける、あの「甘茶」である。甘茶が咲く枯山水庭園「鶴鳴九皐(かくめいきゅうこう)」が本堂前に広がっていた。岩陰で達磨さんが修行されていた。清楚なクチナシの花。一休禅師が修行された寺でもある。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRanking甘茶の咲くころ~建仁寺塔頭・霊源院①

  • 紫陽花と桔梗の咲くころ ~東山・智積院

    紫陽花と桔梗の咲くころ~東山・智積院紫陽花名所の穴場と云われる京都市東山区の智積院の「あじさい苑」は金堂の裏側にあり、無料で公開されている。境内では紫陽花の他、ヤマボウシやクチナシも見頃を迎えていた。また、寺紋にもなっている桔梗の花も咲いていた。桔梗は加藤清正の紋から来ているのだそう。智積院から建仁寺に向かう道すがら。いつものように車では、こんな京風情を見逃していた。紫陽花と桔梗の咲くころ~東山・智積院

  • パープル・シャドー ~花の郷 滝谷花しょうぶ園

    パープル・シャドー~花の郷滝谷花しょうぶ園1万坪の敷地に600種100万本ハナショウブが咲き乱れる花の名所がウリの滝谷花しょうぶ園を10数年ぶりに訪れた。6月初めのことだったのだが、花期が早すぎたのか遅すぎたのか、かつての豪華絢爛たる花園のイメージからは程遠いものだった。それとも、何か事情あって、整備費を削減しているのか、シャード―を感じずにはいられなかった。他の花も同様だったが、ヤマボウシだけ咲き誇っているようにみえた。人気ブログランキングへにほんブログ村FC2BlogRankingパープル・シャドー~花の郷滝谷花しょうぶ園

  • 平良の島唄ライブ / 宮古島テイクオフ ~宮古島・旅紀行 ⑳ エピローグ

    平良の島唄ライブ/宮古島テイクオフ~宮古島・旅紀行⑳エピローグ宮古島の中心地である平良タウンでは、地域の民謡やPOPSを聴かせる民謡酒場が点在している。飲んで、歌って、踊って、宮古島の夜を満喫したラストナイトだった。「美ら美らさん」にて。席につくと、いきなり、三板(三羽)という沖縄音楽の楽器を渡される。三板は文字通り3枚の板で構成される小型の打楽器で沖縄風カスタネットといったところ。黒檀や樫などの堅い素材を用いた板片の上部を紐で繋いだものだ。お客さんも飛び入りで歌ったりと常連さんも多そう。翌日、宮古島空港から機上の人となる。機は、あっという間に沖永良部島、奄美群島上空を通過。四国を通過して、大阪湾へ。束の間の旅も終わった。自分へのお土産に「島らっきょう」を一杯、買い込んでいた。(処理に手間取ったが、おいし...平良の島唄ライブ/宮古島テイクオフ~宮古島・旅紀行⑳エピローグ

  • パイナガマ・ビーチの夕陽 / 平良 ~宮古島・旅紀行 ⑲

    パイナガマ・ビーチの夕陽/平良~宮古島・旅紀行⑲平良(ひらら)港は多良間島への定期航路が発着する他、近海の豪華クルージング船や海上保安庁の船が停泊する宮古島最大の港。また、港横のパイナガマ・ビーチはさらさらのパウダー・サンドが人気の“まち近”リゾート。港・海岸に隣接する平良(ひらら)タウンは官公庁や飲食街、観光施設を擁する宮古島の中心地。どことなく、エキゾチックな雰囲気に満ち満ちている。神社本庁包括下の神社としては日本最南端の神社である「宮古神社」。狛シーサー?が鎮座する。漲水御嶽は、宮古島創世神話の古意角(こいつの)、姑依玉(こいたま)の男女神が祀られ、蛇婚説話に基づく神話が残る御嶽。「ドイツ皇帝博愛記念碑」19c末、宮古島沖で座礁難破したドイツ商船を救助して、手厚くもてなした宮古の人々の博愛精神を称え...パイナガマ・ビーチの夕陽/平良~宮古島・旅紀行⑲

  • 神か妖怪か、「パーントゥ」 ~宮古島・旅紀行 ⑱

    神か妖怪か、「パーントゥ」~宮古島・旅紀行⑱島尻地区では旧暦9月上旬、仮面をつけて全身に泥を塗り、シイノキカズラの蔓草を巻きつけた3人の神様・パーントゥが出現する。「パーントゥ」はンマリガー(産まれ井戸)と呼ばれる井戸の底の泥を身に付けて奇声を発しながら村人や観光客を追い回し、泥を塗りつける。それにより、厄を払い、無病息災を祈願する祭りである。泥を塗りつけられた人は厄が払えたと喜んでいるが、この泥は相当、臭いらしい。上野野原地区でも、同様の祭りがあるが、島尻地区ほど過激ではないという。パーントゥの資料は「宮古島市総合博物館」で見ることができる。(上記写真は島尻地区の案内板より)石造りの塀が印象的な「宮古島市総合博物館」の外観。宮古島の首長であり英雄である仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)の墓がモチーフにな...神か妖怪か、「パーントゥ」~宮古島・旅紀行⑱

  • 大神島 / 遠見台とノッチ(奇岩) ~宮古島・旅紀行 ⑰

    大神島/遠見台とノッチ(奇岩)~宮古島・旅紀行⑰港から北へ歩いて小さな集落を抜け、島一番の高台「遠見台(トゥンバラ)」を目指す。島めぐりツアーのゴルフカートの後を附いていく。のどかなツアーだ。噂通り、猫がたむろする。途中から急坂となり、頂上まで木製の階段となる。頂上のすぐ手前に大きな岩に木の根が絡まったウガンジュ(拝所)がある。島の中で最も重要な神事を行う場所で、この大きな岩に神様が降りてくるという。ユリは遠見台まで案内してくれていた。遠見台からの絶景。池間島と大橋が見える。大潮の時だけ海面に現れる(普段は海中に沈んでいる)ため幻の大陸と呼ばれている日本最大級のサンゴ礁群「八重干瀬(やびじ)」も運が良ければ望むことができるそうだ。眼下に転じると、多目的広場前の海に点在する大小の岩が弧を描いて並んでいる。「...大神島/遠見台とノッチ(奇岩)~宮古島・旅紀行⑰

  • 神様が住まう「大神島」へ ~宮古島・旅紀行 ⑯

    神様が住まう「大神島」へ~宮古島・旅紀行⑯宮古島の北東約4キロに浮かぶ、美しい三角形の形をした大神島(おおがみじま)は昔から「神様が住まう島」として神聖視され、島外の人が見てはならない秘祭ウヤガンや入ってはならない聖域があるなどのミステリアス・アイランドだ。宮古島からは他の島のような大橋は、もちろんなく、島尻港からの1日たった4~5往復の連絡船が唯一、島へ渡る手段である。秘境大好きな私はワクワクしながら、その小さな連絡船「ウカンかりゆす」に乗り込んだ。約15分の航海である。神様に呼ばれなければ行けない島。無事、上陸できたところをみると、私は神様には嫌われていないようだ。港では島の"看板犬ユリ”が出迎えてくれた。大神島は周囲約3キロの小さな島で、現在人口は20人ほど、猫は人口を上回る60数匹、そして、犬は一...神様が住まう「大神島」へ~宮古島・旅紀行⑯

  • サザン・バタフライ ~宮古島・旅紀行 ⑮

    サザン・バタフライ~宮古島・旅紀行⑮(閑話休題)宮古島で出会った蝶類を振り返ってみた。南国の蝶ということで、関西で見かけることは一部を除いて、まずない。一番、多く見かけたのが「ベニモンアゲハ」と「シロオビアゲハ」の黒いアゲハチョウ。「ベニモンアゲハ」は、名前の通り後翅の周縁に紅色の小紋と中央の白い紋があるのが特徴で特に鮮やかな紅色はひときわ目を引く。南西諸島に分布し、幼虫は食草ウマノスズクサ科植物に含まれる毒成分アルカロイドを体内に蓄えるため、成虫にも毒がある。鳥などが食べるとまずくて吐き出し、鳥は以後食べるのを避けるようになる。毒々しい色合いは鳥に対する目印になっていると考えられている。翅が損傷してくると、「シロオビアゲハ」と混同しそうになるが、この記事を書くため調べていると、驚愕の事実が明らかになった...サザン・バタフライ~宮古島・旅紀行⑮

  • 煌めく “池間ブルー” に囲まれた池間島 ~宮古島・旅紀行 ⑭

    煌めく“池間ブルー”に囲まれた池間島~宮古島・旅紀行⑭宮古島の北西約1.5キロに浮かんでいる、周囲約10キロの小さな島、池間島。伊良部島、来間島同様、宮古島と池間島大橋で結ばれている。島にはサトウキビ畑が広がり、島の周囲にはビーチがいくつかあり、他の島以上にのどかな空気が流れている。北東に八重干瀬(やびじ)という日本最大級のサンゴ礁群があり、「宮古ブルー」、或いは「池間ブルー」と呼ばれるエメラルドグリーンの美しい海に囲まれている。池間島大橋を渡ると東に大神島を遠望する。池間島灯台。池間湿原で出会った花。池間湿原の駐車場の裏側からビーチに降りることができる。思わず、歓声をあげたくなるような素敵なビーチがあった。プライベート感が半端ない。フナクス(ブロックビーチ)という。フナクスの由来は、池間島にある湿原がま...煌めく“池間ブルー”に囲まれた池間島~宮古島・旅紀行⑭

  • 西平安名崎・宮古島本島の最西端 ~宮古島・旅紀行 ⑬

    西平安名崎・宮古島本島の最西端~宮古島・旅紀行⑬宮古島西端付近の地図を見ると、島の先端がひょろりと細長く伸びている。その先端に位置する西平安名崎では東平安名崎ほどの荒々しさはないが潮流に晒される大自然の姿を感じずにはいられない。設置されている二基の風車が風の強さを物語る。北には池間大橋と池間島。東には細く伸びる宮古島を通り越して、対岸にある大神島を望む。雪塩ミュージアム。宮古島で精製される特別な製法の塩。名物の雪塩ソフトは様々な塩をトッピングして食すると絶妙の味。宮古島海中公園。地下階段を降りていくと「海中トンネル」に到達する。所謂、海中展望台で海の生物を自然な姿のまま観察できる。サメや海ヘビが現れることも、たまにあるそうだが、水族館とは違う、ちょっと、退屈な海中光景が広がっていた。島尻マングローブ公園。...西平安名崎・宮古島本島の最西端~宮古島・旅紀行⑬

  • 砂山ビーチとゲストハウス・コア ~宮古島・旅紀行 ⑫

    砂山ビーチとゲストハウス・コア~宮古島・旅紀行⑫砂山ビーチは宮古島のビーチの中でも、とりわけ人気が高く、また夕陽スポットとしても有名である。黄昏時、パウダーサンドに座って、心地良い風に吹かれながら、マジックアワーの海を見ていたら、もうそれだけでいい。波の侵食によって自然にできた岩のアーチが砂山ビーチのシンボルだったが、近年は崩落の危険があるとかで、フェンスが張られ無粋になってしまったのが惜しまれる。ビーチのエントランスに鎮座するシーサー。近くの「ゲストハウス・コア」に投宿。シンプルイズベストのゲストルーム。宿泊者同士が交流できる雰囲気も、なかなかgood!人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村FC2BlogRanking砂山ビーチとゲストハウス・コア~宮古島・旅紀行⑫

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