札響コンサート
都市と田舎をいったり来たり、My田舎づくり実践人、黒松内ぶなの森自然学校代表
人生も50代後半に突入。あと10年で何ができるか!! 自問自答、試行実践・・般若心経のごとくギャアテイギャアテイとあがきながらも前に進むのが人生だ。あ〜死ぬ瞬間に悟れるだろうか・・と生きている。
札響コンサート
家の前の桑の葉が落ちてきました。毎冬にこの樹の枝にバードテーブルを置いています。カラ類を中心にコゲラやヒヨドリとけっこうな多種が集まってきます。三木師匠によると、雪が降る冬到来後だとなかなか寄ってこないよ、餌場を探して見回りをしている晩秋の見通しのいい時期からエサを提示してやっているといいよ、とのことで、2,3日前から穀類の野鳥の餌を台にやっていますが・・、まだ、スズメしかやって来ていません・・・。給餌台
ここ数年来、旧交を温めている三重県赤目の森の伊井野氏からの企画で、「古希・アラ古希を祝う会」なる集まりを2024年11月22日に代々木のオリンピックセンターで開催しました。こんな自分勝手な集まりに人が来てくれるんだろうかと思いきや30名程の集まって頂きました。私方?にも遠くからは崎野隆一郎さんも。樋口紗綾さんや大類健三郎さんも赤目に通っているNICEメンバーで黒松内にも来てくれた若手メンバー上海での東アジア地球市民村でもご一緒した大友さんらのバンドメンバーが場を盛り上げてくれました。初対面同士を集めてしまい、どーしようかという会でしたが、そこはコミュニケーション力の高い人たち、和気あいあいと交流の場ができて、まあ、やってよかったなという会となりました。古希•アラ古希を祝う会
里地はまだですが、裏山が冠雪しました。冬が来る
ぶなの森自然学校校庭に入ると大きな樹が目にとまります。シンボルツリーのように目立ち、自然学校の名称に「ぶな」を冠しているのに、実はこれはブナではなくてイチョウです。ここは元小学校跡地であり、随分と昔に植えられたものなのでしょうが、地域の古老に聞いてもその由来はわかりません。イチョウには雌雄があり、その区別は実がなるかならないかでわかります。また俗には、葉っぱの形が着物(スカート)風であれば、メス、袴(ズボン)風にわかれているとメスとも言われています。が、この木の葉っぱは両タイプがあり、実(銀杏)はなりません。札幌で有名な北海道大学のイチョウ並木は、この時期は見事な黄葉となり観光名所化となっているのですが、ご覧のようにこの樹はほぼ黄葉しないのです。(何年かに一度色づくことはあるのですが・・)今年も色づかない...イチョウ
2024年10月24日かつて北海道自然学校NEOSの設立当時は、山岳やネイチャーガイドから自然体験活動事業を始めました。ガイド業が自体がまだまだ日本には定着していない2000年頃でした。山の花や動物、山岳気象や行動技術を座学教室で行い、それを参加条件としたプログラムを始めたのですが、「そんな面倒な企画に参加者が集まるのか」という外からの批評もありましたが、これが新聞にもニュースとして掲載されたおかげもあり、成り立ちました。その当時のお客さまであった私よりもお姉さま方、つまりもう80代の皆様を東川在住の今もガイドをしているかつてのスタッフ鳥羽君が黒松内内にお連れしてくれました。私は、ファンシーの中国ツアーの添乗で苫小牧のいぶり自然学校に滞在中でしたが、「今生の別れツアーだ」なんて声が聞こえていたので、急遽、...私を育てくださった御姉様方来
2024年22-28日は恒例の秋の中国からのファンシーツアー受入でした。今回は自然学校や環境教育実践者ばかりではなくて、民宿経営、地方情報誌編集者、幼稚園の設計デザイナー等でした。例年は1,2泊ごとに旧NEOSサイト(いぶり、黒松内、大沼、東川大雪山)を旅してまわるスタイルだったのですが、ちょっと忙しすぎるということで、今回はいぶり自然学校に3泊、黒松内ぶなの森自然学校に2泊という行程となりました。苫小牧いぶり自然学校は、企業が所有する元研修施設を利用したフィールドです。代表のうえだんなが、時間をかけて居心地の良い時空を作り上げています。今回のメインプログラムはエゾシカの解体肉をブロックにしたり、ミンチにして食しました。また馬搬体験や木工クラフト体験で過ごし、洞爺湖に移動、SOTOASOBUの江川さんのジ...中国より秋のファンシーツアー
秋恒例の中国からの自然学校訪問ツアーが10月22日からスタート。例年は旧NEOSサイト4箇所を回っていましたが、今回はいぶり自然学校と黒松内ぶなの森自然学校に複数泊してゆっくりと過ごしてもらいます。まずはいぶりから。うえだ銀河ワールド。ネイチャーバトラーを自称するうえだんなの銀河ワールドを堪能ちゅう。ファンシー中国人ツアー開始
昨年は足繫く黒松内や周辺パークゴルフ(PG)場へ通いました。黒松内、寿都をメーンフィールドにして、長万部町、伊達氏、共和町、岩内町、ニセコ町、真狩村、泊村、倶知安町、京極町と・・、なんとホールインワンも二度も達成をしましたが、今年はマイブームが去ったのかさっぱり通いつめなくなりましたが、昨日は真狩、今日は泊と連ちゃん。周辺観光もして温泉にも入浴してきました。運動不足なので、9ホールx2コースを回るだけでよろよろしていますが、この2つの場所は高低差があってなかなかトリッキーなコースでもあり、良い運動になります。成績は、Par周りにはちょっと届かないくらいですが、あまり上達しておりません。集中力が切れてしまうんだなあ・・・・。パークゴルフ
シャケキャンプ
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞が授与されることに決まった。ノーベル平和賞
旅に出ていたので、Mailチェックをしていなかった。参加している寿都町のお宝調査の案内が来ているのを昨夜気づいて、(申し込みが必要だったが、)直接参加してきました。お疲れモードなのでちょっと面倒だったのですが、MRKさんに命令されるようにして出かけたのですが、興味深くて、参加して良かったな。寿都歌棄に教立寺というお寺があるのですが、そこに閻魔大王像と地獄図が寄進されています。その由来をざっと書いてみると・・・、話しはおよそ150年前の安政年間、江戸幕府は北海道開拓のために太平洋・長万部側からニシン漁盛んな日本海・寿都へ黒松内新道の開削をしました。費用は地元の富豪漁師の親方‣角十(かくじゅう)佐藤家がだいぶ負担をしたらしいですが、そのおかげで「一日の人別改めが1万人にもおよび、長万部の海浜には一条の蟻道のよ...教立寺拝観
弥陀が原高原ホテルは海抜ほぼ2000mにある宿ですがなかなか良い施設でした。無料の自然ガイドや夜はスライドトークイベントもあり、サービスが行き届いていました。ガイドウォークは私としてはゆくべきでしたが、雨降りで雨準備不足なので断念(?ひよった)。朝方は雲があがり、若干の紅葉が楽しめました。富山県はさすが観光立県である、各交通機関のチケット売り場、案内、バスの運転手さんも英会話ができて、宿の従業員さんも誰もがフレンドリーで親切なのです、北海道ではこうもゆかないなあと感じた次第でした。さて、弥陀が原からは予約したバス(ひっきりなしにバスが上り下りしており、どれもお客さん満杯で観光シーズンたけなわっといった感じでした。)で美女平まで降りてから最後のケーブルカーで立山駅へ、そこからJRで富山駅へ。レンタカーを借り...2G旅二日目
三重県の赤目の森の福祉・里山づくり系のNPO主宰の伊井原さんと秋の旅を続けて3年目。今年は10月3日から6日まで、私の希望で黒部アルペンルートを旅してきました。日程は彼が全てセットしてくれたのですが、集合場所は長野県側の扇沢。はてさてそこまでどーやってゆきましょうか・・。しかし、彼が乗り継ぎ交通経路まで指南計画してくれましたので、それに準じて移動するだけなのですが、まあまあ乗り換えが多くて緊張したなあ。朝8時名古屋発のJRしなの3号に乗車しなければならないので、ひとりで名古屋に前泊しました。10月4日、朝は二度寝してしまい、慌ててJR名古屋駅へ。なんとか間に合いました。先が思いやられます。アルペンルートは、バスやトロリーバス、ケーブルカーやロープウエイを乗り継いで黒部第4ダムを越えて長野側まで立山連峰を抜...2G秋の旅
私の事務所机の下にクリアーボックスがひと箱眠っています。日記
私のブログをチェックしてくださっている皆様に感謝です。にもかかわらず日にちを開けてしまって恐縮です。旅ノート
長男坊のところに長女が誕生しました。孫四人目です。名前は慈音(しおん)となりました。この娘が私と同い年になる頃はもう22世紀も間近と想像すると感慨深く、地球は大丈夫かなあと心配をしてしまいます。どう考えても多難な時代を生きてゆくことになります。健やかに逞しく生き延びてくれるように願うばかりです。自然学校周辺は天高く秋めいてきました。孫4号我家に滞在中
黒松内町、寿都町、島牧村を境界とする月越峠に大きなミズナラがあることは何度もこのブログでも紹介をしてきました。冬にまるでこれすらも大木のような大枝が続けて二本も折れてしまいました。周辺は背丈を超える根曲がり竹せが密生していて普段訪れる時は積雪期だけなのですが、先月、寿都町のOKSさんと新聞記者と藪漕ぎをして様子を観にゆきました。折れた場所のtあ本体幹には大穴が開いていましたので、今回は脚立も運び、当該国有林の森林官と樹木医もお連れして四人で再び訪れました。折れ口は地上から3,4mの高さなのですが、覗き込んでみると、なんと完全に心材は朽ち果てており、地面までまるで木桶樽のようになっていました。保全の方法もありなんかと樹木医さんに予診していただいたのですが、手の施しようがないとのことでした。ただし、樹木は樹皮...月越峠の巨木予診
孫娘1号は四才。ジジころがし
2024年9月4日日高二風谷を通るので、萱野茂資料館を訪れました。二風谷には国の補助も入った大きなアイヌ博物館がありますが、その国道をはさんだ向かい側に萱野さんの私設アイヌ民族資料館があります。萱野さんとの出会いの思い出を綴っておきたいと思います。初めてお会いしたのは、北海道自然学校NEOSの活動を始めた頃でしたから、2005前後でしたでしょうか・・。その頃のアタシは対人コミュニケーション力不足に直面していました。それをなんとかしようと思って、けっこういろいろなワークショップに参加していました。コスミックダンス(ダンスセラピー)、スウェットロッジ(ネイティブインディアンの儀式)、賢治の学校のサイコセラピー、ブリージングセラピー、地球交響曲・ガイアシンフォニーの自主上映会などなど・・、それはそれで、自己を開...萱野茂さんの思い出
本日未明に長男に娘が誕生しました。四人目の孫誕生
趣味は何だ?
黒松内町、寿都町、島牧村にまたがる月越峠に大きなミズナラ巨木があります。月越峠のミズナラ
夏の終りから毎年のように近隣小学5年生の宿泊体験学習を受け入れています。宿泊体験学習
今年の夏もかつてのような3週間1本の長期キャンプは実施しておらず、1週間キャンプやより短い宿泊体験活動に終始していますが、ほぼ連日のように活動をしています。今年は、半年以上の長期研修スタッフがなく、FTTAが産休中なので、ちこ&ちゅんだけが常勤スタッフです。ということもあり、例年のウエールズからの学生の受入、富士山からのBOH2、そして今年は、お子さんが小学生だったころの参加者の親御さんがボランティア参加をしてくださいました。ありがたいことです。また、元スタッフのまむ&たーぼも草刈り助っ人に毎月家族で訪れてくれています。ありがたやありがたや。夏の助っ人
突然な来訪は現れるのも夏期間の楽しみでもあります。ぶなの森自然学校の初期の頃のスタッフであったなかじー@現在は中国在住。そして、北海道自然体験学校NEOS創成期の学生であったやまと君が訪ねてくれました。こういう瞬間に立ち会えるというのは、長いこと自然体験の仕事をしてきたこと、そして、ここ黒松内に拠点をもって定住しているからだからこそと感じています。なかなか、身体を張っての体験活動はできないロートルになっとりますが、なんていうか、「ここに、人が訪ねてこれるように、存在し続けていること」自体が目標でもいいんじゃあない・・・と思う今日この頃ですが・・・連れ合いの真理子さんあっての「存在意義」「他力本願な自己効力感」だなともちゃんと感じております。懐かしやー。
夏となり草木が繁茂します。ちゃんと草刈りをしないと、ジャングル化してしまいます。スタッフのCHNがこまめに草刈りをしていますが、一番暇なアタシが精を出せばよいのですが。。。夏休みの長期キャンプをしていた頃だからもう10年も前だったかな。2年連続して激しいぎっくり腰をやりました。その年に限って夏の初めから草刈りに精をだしていました。肩下げのガソリンエンジンサイクルの草刈りですが、腰を左右に振りながら刈るので腰に負担がかかります。そtの疲労もあって、1回目はライフジャケットと2回目は小さなスコップを地面が取り上げようとした時に一撃をくらいました。1度目は2,3日の安静で回復しましたが、2度目は1週間ほど臥せっていました。極めつけはそのまた翌年に、脱出性椎間板ヘルニアtあの発症。これには半年間苦しみました。初め...ジャングルだなー、しかし、腰が心配
夏の助っ人去る
ウエールズからウェールズから
実は我が家(黒松内ぶなの森自然学校)から海は近い。車で10分足らずで日本海寿都湾の砂浜に来れます。私の寝ている部屋の枕もとの窓の外にヤマグワがあり、最近その木が朝のスズメの集会場となってしまって、夜明け頃にうるさくて目覚めてしまいます。にしても、ぐずぐずと横になったままでしたが、今日は4時過ぎに起きだして、海へ行ってきました。すると・・・・、いつもは広い範囲で広がっている砂浜がない!!!こんな様子をみるのは、ここへ移住して20数年、初めてそのことでした。調べてみると、明日が満月。つまり大潮なんだなあ。それも早朝あたり。「早起きは三文の得」という言葉が分かったなあ。いや、得でなくて、徳か・・。まだ未熟なアタシも気づかされた。大潮かな
日中市民ネットワークのファンシーが例年、中国から環境教育や自然教育に関わる人達の視察体験ツアーを作って黒松内に来てくれていますが、今回のグループは福祉系施設の経営者や研究者でした。黒松内で推進中の森林療法プログラムを体験して頂きました。五感を開くアクティビティ体験と森歩きをし、野草茶づくりをしてもらいました。これまでの視察は施設見学に終始していたので、この体験型視察にはご満足してくださったことが、終わりのふりかえりの発言でわかり、よっかたです。その最後に私もこの視察団の真の目的がわかり、ちょっと遅きになり、分かっていたらもう少しやり様を考えたのになとちょっと残念にもなりました。現在の中国は若者が多いのですが、高齢社会の到来は近未来に予想できます。日本社会ではすでに高齢者対応は待ったなしの状況になっています...中国からの福祉系視察団
ロバと旅する青年と会った。旅の途中で休息に自然学校に立ち寄ってくれました。話しを聞くと、塩づくりの拠点を探しているとのこと、「そこの体育館は貸してもらえますか?」と聞くので。「さすがに無理」と回答をしました。かつて黒松内町にはか窯炊きをする塩屋さんがいたのですが、調べてみるとその塩づくり小屋はもう壊して更地になっていました。残念・・彼の夢は自分で作った塩をロバに積んで行商をすることだそうです。その昔、日本では海辺で塩を作り、馬で内陸に運び物々交換や金銭のやりとりがされ、地域間交流が盛んに行われていました。そんな暮らし方が理想なのだそうです。そんな考え方をする青年が今どきいるなんて、新鮮な驚きでした。青年、がんばれー!!!塩と青年
ネイチャー母ちゃんず
「ジャングルみたい••••」と、家の玄関をみるたびにMRKさんがつぶやきます。よーするに、草を刈れと暗に文句をアタシに垂れているわけです。ガソリン式の草刈り機(棒の先に回転刃がついていて方から下げるタイプ)は、何台もある(動くのは2台かな)あるのですが、ガソリンやオイル点検をして、エンジンを始動して担ぐ・・この一連の動作が年とってくるとなかなかめんどいのであります。ここのところ、私のfaebookは盛んに草刈り機、特に電動草刈り機を紹介してきます。動力は充電バッテリー式なのでスイッチだけですぐ始動、しかも軽量で担ぐ必要がない。こんな便利なものはないと買い求めました。国産マキタを求めたつもりだったのですが・・・、届いたのはこれ中国製じゃあないのかというチャッチイ代物でした。まっ、10,000円程度なんでね・...草刈の季節なので••••
懇意にしている養鶏場から有精卵を頂いて、ちょっと古い孵卵器で温め中。孵卵
帰郷
ボケ防止のために毎日ブログを書こうとは思っているのですが、また暫く間が空いてしまいました。今朝は早起きして事務所で研修会のプレゼンづくり。週末に久しぶりの講師仕事があるのですが、お題がいままでの知見だけでのんきに始めると行き詰りそうだと気づいて不安になりデスクワーク開始。そして、3時からの北海道環境財団の評議会で札幌へ車を走らせました。昨日までは台湾のコミュニティカレッジの張校長親子が自然学校にふた泊滞在アテンドでした。明日は帰ると自然学校の総会です。その翌日からはぶな林自然療法ガイド研修と続き、次の週末は千葉へ行き親戚等との会食です。久しぶりの札幌のなので夜はどなたかと過ごしたかったのですが、総会や研修会の資料づくりが追いついていないので、今夜や会議後は宿にこもって資料づくりです。事務所のデスクトップパ...オーバーフロー
黒松内中学校で、一般も参加できる松浦武四郎についての授業があると言うことで行ってきました。GRI校長先生自らの1年生向けの授業でした。近日にアイヌ民族共生博物館ウポポイへの校外学習があるということで、その事前学習で、授業参観のようでしたが、保護者と思われる方はほとんど見当たらずに、町民が10数人参観するように教室の後ろに立ちました。G先生は松浦武四郎の民間研究者であって、アイヌと和人との関係も知らなかったことも聞けて1時間の授業も楽しく興味深く聞けました。武四郎さんは、黒松内に宿泊したこと、その折にブナの森があったという紀行記述も残っているという話はとても興味深かった。そして、タブレットを使ったIT授業を始めて観て、現在の学校教育はこーなっているだと、爺さんは驚いたのでした。アイヌについての四択問題が画面...授業参観?
NPO法ができて早や20年以上が過ぎました。NPOのDNA
七海さんが来た。来訪者つづく
札幌駅隣のひと際高く、展望回転レストランがあるセンチュリーロイヤルホテルが今月末に閉館となる。このホテルは私が北大に入学し札幌に移住した頃に建設されたのではないかな、当時は札幌一番の高層ビルだったが、もう半世紀も経つのだな。老朽化や北海道新幹線伸長計画による札幌駅周辺の再都市開発の影響なのだろうが、何かひと時代が終わった感があり寂しいね。ここ1,2年は夫婦で札幌へ行くときの定宿になって2か月に1回は泊っておりました。とてもよく面倒を見てくれるスタッフとも顔なじみになり、また子供時代から自然学校に来ている大学生がアルバイトをしていて、我らも親しんでおりました。札幌センチュリーロイヤルホテルが閉館
うーん、これについて何か書かなくてはと思うんだが、暫し思考熟成中•••○4月25日に写真だけ投稿してそのままになってしまいました・・・。人口減、少子高齢化の話は私が専門学校の教壇に立っていた30年以上も前から大きな話題になっていました。私は社会体育専門学院というスポーツクラブのインストラクターを輩出する学校で「健康ビジネス概論」なる講座を担当していて、喫煙やエイズ、人口問題や環境問題などを講義していました。そのころからこれらは予想できた問題でしたが、具体的な解決をみずに社会課題化してこなかったツケが一気に現実化している昨今です。働きて不足は物流にも及び、公共工事にも支障をきたし、昨日などは北海道の警察署の統合まで発表されました。縮小してゆく社会を現実前提として捉えた地域づくりが必要です。全国津々浦々どこの...衝撃的消滅可能性市町村発表
40年ぶり位だろうか、懐かしく珍しい御仁が訪ねてくれました。若きしころ所属していた札幌山岳会の岳友、SOJさん。お互い爺さんになっての再会。私よりひとつふたつ年下だと思うのですが、今の元気に山登りしたり、山菜取りに精を出しているそうです。札幌山岳会は北海道の老舗社会人山岳会なのですが、ここも高齢化で若い人の入会はほとんどないそうで、私が現役だった頃の先輩や同輩が細々と活動を続けているようだが、70代の人達の長年の同好の友達付き合いは、止めちゃった私としてはうらやましいね。それでも、みなさんで当校へ泊りがけで黒松内岳や狩場山などに泊りに来てくださいなとお誘いをしたのでありました。旧友来訪
爽やかな初夏が来たなあ。吾ひとり
これまでの国定公園を含む広大な面積が国立公園に指定される事が決まりました。日高山脈襟裳十勝国立公園
黒松内老人クラブ連合会の総会。老人クラブ連合会総会
小学生の頃に来訪再会
今朝は知り合いのハンターさんからシカ肉が届きました。アバラ肉とモモ。MRKさんがアバラを奮闘して切り分けました。これをオーブンで焼くと旨いんだよねえ。赤み肉はフライが一番。醤油をつけて食べるのがおススメです。ウドやタケノコ(根まがり竹)も届けられ、私は座っているだけで春の旬ものをご相伴にあずかっている幸せもんです。自然から命を頂く。
あれほどあった雪が消えて、自然学校の校庭にはタンポポとディジーが咲き乱れています。ソメイヨシノはテングス病のためにほとんど咲きませんでしたので、病巣の枝をかなりばっさりと切りましたので、来年に期待です。近くの小学校には春の終わりの八重桜が今年も見事に満開です。寿都湾では昨年は不漁でまったく水揚げがなかったシラスが獲れました。ここらあたりの日本海寿都湾では、コウナゴ・イカナゴの稚魚なのですが、今年はイワシやらも混ざっているそうです。(一か月ほど前にイワシの大群が漁港の岩壁からも掬い上げられるほどに押し寄せたからかな)朝6時半に知り合いの漁師さんから「あがったどぉ、いるかい?」と連絡があり、早速分けてもらいに行きました。二年ぶりの旬の味。うんまいどぉ!!夏へ
自然学校に椎茸のほだ木があります。もう4,5年前に打ち込んだものですが、一昨年前からはえてくるようになりました。けっこう立派です。まだまだ出て来ています。雨が降ると一気に大きくなります。なんだか嬉しいね。菌坊主
我が家は旧教職員住宅ニ軒を廊下でつないでいます。ガーデニング
やっと校庭のヤマザクラが開花しましたが、ソメイヨシノはまだです。まだというよりもテグス病にかかってもじゃもじゃ枝が増えているのでそのためかもしれません。何年か前にもそんなことがあってり患枝を切り落とし燃やしたところ(これはウィルスだそうで切った枝葉燃やす必要があります)その翌年からはよく咲きました。今後のためにも切りたいのですが、ちょっと高みにあり、今のアタシには危険な作業になりそうなので、躊躇しています・・・。さ暖かい日と肌寒い日がかわるがわるに来ている黒松内です。昨日は暖かったけれど今日は肌寒いのですが、Msanと桜でも見に行こうと、無計画に国道5号線を八雲町まで南下しましたが、お目当ての桜並木はみつかりませんでした。家の前の花壇というか小さな菜園の除草を少しずつこのGWに進めています。今日はちょっと...GW
今年の春は寒いなあ・・・。雪解けは進みましたが、桜はまだ咲かない。札幌はここより北にありすでに開花しているというのにね。我が地は黒松内低地帯という地形で、太平洋側から日本海に向かって南から北へ朱太川が流れている流域です。太平洋には寒流の親潮が流れているので、大気が冷たいのです。それが流れ込んで冷たい南風が吹き込みます。どうもその影響が今年の春は強いのかしらん。いつもはこのころから盛りの白井川湿原’(通称勝手にそうアタシが呼んでいる隠れたる名勝地)の水芭蕉は元気だけれど、エゾノリュウキンカは三分咲きかな。奥の院のカタクリ群落もちょっと芽がでているだけでした。家の前のスイセンは盛りですが、チューリップは芽も出ていません・・・早春
一年間台湾から研修滞在をしていたピカちゃんが迎えに来たご家族と帰国へ。ピカ帰国
黒松内の三セク公社が運営する宿泊施設「自然の家」が閉館する事が急遽施策された。黒松内のツーリズムを考える会
雪融けにクイズ
ウルトラマンシリーズに【ウルトラマンネオス】という存在をご存知ですか。このウルトラマンは定番番組でTV放送はされておらず、ウルトラマンシリーズを広報するためのイベント用が役目だったみたいでしたが、何話かは制作がされていました。確かウルトラマンコスモスかなにかで、主人公役者がなにかの事件で逮捕されてしまい、そのシリーズが途中で中止となってしまい、その代わりに代役放映されたらしい・・?また、関西方面だけの連続放送があったとか、少年雑誌に漫画版があったとの噂も耳にしていました。私がネオスを知ったのは、子どもが小さい時に岩見沢グリーンランド(遊園地)に行った時に、ウルトラマンのライブショーがあったのですが、その時、舞台に登場したのがネオスだったのです。当時私は、北海道自然体験学校NEOSという自然学校を始めた頃で...ウルトラマンネオス
黒松内町議会の傍聴に行ってきた。私が関心をもっているは、町の公共施設(三セクの地域公社が運営)である宿泊施設である「黒松内町自然の家」が廃館となり、レストラン部門のみ移設するという計画だ。以前から役場内では検討されていたらしいが、町民にとっては突然の話であった。議会本会議では、それまでに各委員会で検討された次年度予算についての一括審議であり、この計画については設計などをコンサル委託する予算案が含まれていた。議会では決定尚早しとの反対意見も出たが、可決されてしまった。ただ、町長の最終答弁で、「今後、町民へのパブリックコメントも集めたい」との発言もあったので、ちょっとは立ち止まってはっくれたかなとも感じだ。私の理解では、「自然の家」は、黒松内町の町是でもある「ぶな里構想」にあって、バブル期後期まで続いた大きな...黒松内ツーリズムのゆくえ
「南後志の環境を改めて考える会」なる集まりをやってます。発足発端は、北海道新幹線の札幌伸延工事で黒松内町域で掘削されるトンネル残土から重金属が出て、それが含まれる残土が町内に残置されることに対して学習会を開いたことでした。そして、今度は、大規模発電風車計画が2つも持ち上がり、このことについての学習会をすることにしました。今回は風車についての二回目でした。黒松内は自然環境が良く、広大な使われていない農地。牧草地や黒松内低地帯を抜ける風など、自然エネルギー創出に良い自然環境がたくさんあります。地球温暖化防止のためにも人間が必要とする電力エネルギーの自然エネルギー利用はまったなしの状況にあるのは自明でありますが、その最大の消費地は都会であるわけで、核ゴミ問題しかり、その供給地は郡部田舎となる理不尽さもあります。...風車問題
私の住んでいる地域(ここら辺では年よりは部落と呼んでいる)には、老人会があります。65歳以上の任意参加なのですが、今や会員は7名しかいません。65歳以上の人はまだいますが、それでも合計で10数人かなあ。私は60歳前に会員数減少のため、先輩のお声がけに抗えず入会しました。そして、昨年からはなんと会長になりました。部落全体が親戚つながりがあるような小さなちいきなので、私が唯一の「一般人」なのです。(実際に同年代の農家の人にそう言われたことがあります)会員全員がなんらかの役員であり、80歳を超える会員も多く、実質活動は何もできなくなっているのが現状であり、今回の集まりでも「外にも出られなくなっているし会員やめるわ、あとは若い人で」「もう解散した方がいいんじゃねえ・・」との議論もありましたが、人数が少なくてもなん...老人会
業績が良いわけでもないがぁ、たまにはということで、スタッフ5人で1泊と温泉旅行と洒落て(?)みました。職員旅行ね。
このところ、戦記ものの小説を読んでいます。義和団事件、世界史の中で受験のために覚えただけで実際に何があったのかは知らなかった。日本やヨーロッパ諸国をはじめとする列強国が北京に租借地をつくり清国に進出していた時代に農民民衆が放棄し各国大使館がある地域を包囲し終盤は清国正規軍も敵対する大々的戦闘が生じた。その中で日本軍の指揮官が大活躍をして、各国軍を統制し、清国のキリスト教徒も含めた多くの人々を救ったのを知った。そして、第二次世界大戦終盤にはアリューシャン列島各地の軍隊を投入していた日本軍は(アリューシャン列島沿いに前進基地を造り占領をして行った、北からアメリカを攻めるような戦略だったらしい)。'ミッドウェイ大海戦で大敗し、有名な硫黄島の戦いでも日本軍はアメリカ連合国軍の大物量展開で島の形が変わったほどの砲撃...アリューシャン列島
北海道で雪崩事故が相次ぎました。利尻島ではスキーでバックカントリーをしていたパーティでした。つまり山スキーです。私も利尻登山で雪崩にあったことがあります。あれは三月だったかな。コースは鴛泊コースの往復だっただろうか。登頂したのだったかな。登頂手前の長官山付近で宿泊して撤退する時で、登頂はしなかったかもしれない(記憶曖昧)積雪期で日帰りが無理なので、稜線上で1泊する行程計画だった。森林限界は低く、尾根は細いので雪洞を作ることもできないので、尾根筋にテントを張るしかない。設営した夕刻は曇り空ながらも穏やかであった。当時の天気予測は、ラジオの気象通報で日本付近の気圧と風向風速を聞き取り、(北緯○〇度、東経〇〇度、気温〇〇度、〇〇(南南東)の風、気圧●●●●Hp(当時はmmbrだったな)風力3)と放送されるのを白...雪崩の経験
ー車椅子ラグビー
先日のとある会議で「子ども哲学」という活動を知って、早速そのセットを手に入れました。子ども哲学
今日は暖かな陽ざしが指しています。午前午後とひとつずつZOOM会議があり、家の事務机の前のパソコン画面の前に座っています。(今は昼休憩中)この冬の積雪は例年よりかは少ないかな。にしても、2月も下旬、陽ざしが柔らかく感じられるようになりました。関東近辺ではサクラが咲いたとの話題がニュースに登場し、意外と春は早いかな。いやまだまだ三月に大雪があるのが通例だからな、身体が弛緩しないようにせねばな。午前中NPO自然体験活動推進協議会(通称CONE)の会議でした。次年度秋に開催する全国シンポジウムのプレ実行委員会の位置づけで理事や各部会役員とのその内容についての意見交換でした。CONEの活動はもう30年を超えるほどの歴史があります。全国で自然体験や青少年への体験活動をし、その指導者養成もしている100団体程が、文科...徒然に自然体験活動の指導者養成について
北海道自然体験活動推進協議会(えぞCONE)と環境教育学会北海道支部との合同フォーラムを2月23-24日に札幌で開催しました。コロナ禍もあり、対面リアル開催は3年ぶりでした。リアル参加者は50名程でネット中継もしたので合計で100名ほどが参集しました。CONE側が進行する一日目のテーマは、ヒグマと環境教育でした。現場ガイドや調査活動、行政の専門家による事例報告とパネルディスカッション。北海道では都市部にもヒグマの出没があちらこちらである時節柄、獣害管理からの発表となりがちで、環境教育のプログラムや手法についての言及があまりなかったのは、ちょっと事務局側の事前準備設定が曖昧だったかなとも感じましてたが、研究者や学生も多く、それはそれで現実現場を当事者から聞けたという意義はあったかな。旧NEOS時代にはヒグマ...合同フォーラム
私はよく夢をみます。夢(夜みる)
2泊3日の冬キャンプに7ー8人の小学生が参加してくれました。台湾からワーキングホリディのビザで1年間の滞在をしているピカちゃんが、台湾の旧正月にちなんでの台湾おせち料理と雪遊びがテーマでした。野外活動はほぼすべてが校庭での雪遊びでした。バケツで作った雪ブロックを積み重ねてのイグルーづくり、カマクラをトンネルでつないだり、ソリコースをつくったりと、子どもらは飽くことなく遊びました。今の時代、町なかを見回しても、子どもたちが冬にこのような遊びを続けている様子はみかけなくなりました。なぜなんだろう?ここでは遊び続けるのに・・・遊びが継続するのは、ちょっとずつ遊びに変化が生まれるように、誰かが関わり続ける、ことが必要なのではないかな。今の子のグループにはがき大将的な存在も、アイディアを出すようなトリッキーな動きを...「平和だった」
毎週日曜日に船頭さんの店
世の中は今日から三連休らしい・・・・・。昼過ぎに今日からの冬キャンプに子どもたちが集まってきた、とはいえ、参加者は4,5名という少なさではありますが・・。それでも常連化していてありがたいことです。ここのところは、ワゴン車1台で移動できるという範囲で、あまり新たな参加者募集にチカラを入れていないみたいで、もっぱらSNS,LINE登録者だけに募集案内をしているようです・・・。常に新しい募集をかけていないと常連が来なくなったらおしまいなのになあ・・・とは思い心配してはいるのですが、まっ現役運営に任せよう。私と言えば、昨年末に69歳(rock/ロック)となり、今年は,なんとなんと、七十古希となるのです。信じられないなあ!!!七十代でもバリバリと働いているお方もたくさんいますが、私は(ショージキ言って)、もっ、いい...ロックダゼ❗
移動販売車カケル君来
皆さん帰路へ2024/02/06
MRKさんの誕生会で子どもや孫達が久しぶりに大集合。シンガポールから滞在中のリサ&キシュンも加わってのパーティでした。ありがたい限りであります。主役は孫たちで、その元気さは爺さんのエネルギーを吸い上げるのでした。あーあ、疲れたわい。M婆さん誕生会
なる題名の小説を読み始めた。「七十歳死亡法案が可決された。これにより日本国籍を有する者は誰しも七十歳の誕生日から30日以内に死ななけれたならなくなった。例外は皇族だけである。尚、政府は安楽死の方法を数種類用意する方針で、対象者がその中から自由に選べるように配慮する」というセンセーショナルな書き出しで始まった。今年七十を迎える我が身としては、物語の展開に楽しみ、興味津々というか、ちょっと慄いている・・・。七十歳死亡法案、可決
ちと早いが、子どもたちの不意をつく恰好で、今日は黒松内児童館へ鬼出動。扮装は、滞在中の台湾ピカとシンガポールからのキシュンでした。百人一首のカルタとり(これはかなり集中していないとできない遊び)中に、金たらいが打ち鳴らされて赤鬼大鬼突入。高学年が多いものの即座に子らはパニックでした。けっこうクオリティ高い扮装でした。終わっても放心状態の女の子数名でした。節分
シンガポールからリサ&キシュンの姉弟が我が家に1週間程滞在中です。彼らは小学生の時に1か月ほど滞在したことがあり、それから何度も来訪をしてくれています。私達夫婦も彼らを訪ねてシンガポールに旅をしたことがありました。お母さんが日本人ですが、日本に預ける親族がなくて、日本の文化や日本語に触れさせたいということで滞在先を探していたところ、黒松内の我が自然学校にたどり着いてくださいました。もう20年近いお付き合いともなり、彼らも青年となりました。こういった国際交流が続いているのもありがたき幸せであります。前回は冬の始まりの来道だったので雪もあまりありませんが、今回は雪たっぷりです。今日はこれから黒松内の児童館での節分行事で鬼に扮して登場です。リサとキシュン来。
2日間ばかり悪天候でした。バードサンクチュアリ
ここ数日の寒波厳寒の玄関
スノーシューズトレック
中山七里さんのミステリー小説に最近はまっているのですが・・・、この方の文章にはアタシには読めない漢字が随分と出てくるので、その度に電子辞書で調べたりしています。大体は文章の前後から読みを推測して辞書のキーボードに打ち込むのですが、それでも無理の場合は単漢字を電子ペンで書きこんで調べているのですが、私の持っている辞書には訓読みが記載されていないので、その時は四苦八苦しております。ちなみに次の漢字はみなさんは読めますか。罅縋る無辜晦ます謗る捗々しい穿る漢字が読めなーい。
あっという間に松も取れて,もう正月も11日かあ。その間に一回もブログを書かなかったという怠惰な毎日を過ごしておりますが、たまに体育館にゆきウエイトトレーニングやらをしています。おかげなのか血圧が正常値になっております。通販で手に入れた単に∔-の金属が付いた血流改善のブレスレットのおかげなのか・・・家の机周りを何年振りかに整理してちょっとスッキリとしました。(実は床には整理しきれないものが散乱しているのですがね・・)順調です。
そうそう、満で69歳の年なのね。2024末には古希七十になるのですなあ。ビックリしてしまうなあー。ロックイヤー
12/22NICE国際ボランティアセンター代表の開さんが訪ねてくれました。余市エコビレッジで北海道のNICE受け入れ先のミーティングで来道された帰りがけの来訪でした。NICEとのお付き合いももう10年以上になります。毎年夏を中心にNICEが仲介した世界各地からボランティアさんがやってきます。世界各地にNICEのような国際間でボランティアを送り込むNGOがあり、それらが国際的なネットワークを張り、ワークキャンプという若者を送り込む活動をしています。黒松内ぶなの森自然学校はその受け入れ先のひとつになっているのです。コロナ禍でちょっと途切れた時もありましたが、今年も夏にウエールズのカージフ大学から6名の受け入れをしました。これまで、メキシコ、タイ、イタリア、ロシア、ウクライナなどの若者を受け入れてきましたが、今...NICE開さん来
黒松内の夏のような台湾旅を終えて
早朝にハイビスカスさん母娘が台湾名物の朝御飯やさんからテイクアウト朝食を用意して宿に持ってきてくれました。6時半にはリーハン親娘のピックアップもあり空港へ。千歳空港ではチコ&チュンさんが出迎えてくれて、至れり尽くせりの台湾旅は無事終了しました。よく食べよく歩き、楽しくためになった旅でした。台湾旅行の最終日
12/16うーん朝はどーしたんだったかなあ•••、思い出せん。午前中はお金を借りられるという変わった神社の参拝をしたのであったか?そして、パイナップルケーキで有名なサニーヒルズの本店に行ったのだったか?随分と山奥であった。その後、新幹線でクーちゃんも一緒に桃園まで戻ってきました。たまちゃんも会いに来てくれたんだよなー。(くーちゃんは台北まで行った)リーハンのお父さんに出迎えてもらいました。自分達で買うよりもであった人達から沢山のお土産をもらってお店が開けるほどだあ。どーやって持って帰りましょうかぁ。明日は早朝に宿を出て、夕方には黒松内にたどり着く予定です。あっという間の10日間でした。最終日へ
嘉義の伝統市場(地元のマーケット)を午前中は昨夜のメンバーと散策。蛙からウナギとありとあらゆる食材、家庭用品の小さなお店が立ち並び真理子さん大興奮、「ここに住みたい」そうな。とあるお店では誕生日祝いのサプライズ贈答をもらった。在来線で台中(南東県)へ。今度は黒松内に学生実習で来ていたペコちゃんとその親戚の出迎えで山村のお茶農家見学へ。そして夜はペコちゃん親族とクーちゃんも来て今日の宴。夜の散歩もおまけにあって今日もよく歩いてよく食べましたで、くたびれた~12/15誕生日の一日
けんじが朝迎えに来てくれて国立中山大学構内散策。海岸と森に囲まれた自然豊かな立地で北大みたいにちょっとした観光地になってました。有名な鴨肉弁当とタピオカジュースをかってもらって午後にはけんじと別れて、在来線で嘉義へ北上。タクシーで宿に入りお昼寝休憩。夜は嘉義周辺の環境自然グループのお宅(トマトさん)に招かれて子どもも含めて10人程で台湾家庭料理を味わいました。今日も食べるのが中心でありましたな。2023/12/14
12/13台東から台湾国鉄在来線で高雄に移動。高雄駅には黒松内に学生時代に実習滞在をした陳偉軒さんが出迎えてくれました。今や自分で旅行企画会社を経営する社長さん、自らの高級車で高雄歴史博物館や港湾街巡り。10年位前に一度来たことがありましたが、随分とオシャレな店が倉庫群にできた港街に変貌していました。高雄へ
12/12一日の体験密度が濃いものだから今日あったことが、ずっと前に感じてしまうよ。さて午前中は陳さん(アイボス)が迎えに来てくれて国立先史博物館へ。案内は偉い先生(この人も確か陳さんで黒松内に来たことがある)にガイドをしてもらうという贅沢さであった。何年か前にここで環境教育のフォーラムで三木さんと呼ばれて講演をしたことがありましたが、その時からはリニューアルされていました。特に気を止めたのは原住民(日本で言うところの先住民、例えばアイヌ)の差別の歴史について子どもにも分かりやすく絵本で紹介しているコーナーでした。ウポポイにもあるべきだなあ。午後には原住民のピウマ族の集落遺跡と博物館へ。戸籍マイナンバーカードにもピウマ族の表記がされるらしくアチャさんが昔のピウマ服を来てガイドをしてくれました。そして、博物...台東滞在中
朝はつまようじさんの案内で富岡漁港の朝競り見学へ。大きなカジキマグロの水揚げも見てビックリ。南の海の見たことのない魚もたくさんいました。昼は東北料理の水餃子等を陳さんの会社スタッフと庶民的町中華屋で。7そして午後は富岡地質公園を同じくつまようじさんのガイドで散策。宿に戻ってお昼寝休憩後には陳さんの会社(禾耕生態環境教育有限公司)が指定管理している環境省の施設見学。ここもなかなか興味深かった。家庭の台所展示に省エネ方法が分かりやすく解説されたり、環境保全を楽しみながら学ぶ仕掛けが多彩でした。市民活動のコーディトやガイドもしています。またりゅうぼくを利用した調度品づくりも地元産業育成でやっているようでした。このような施設が全国に7、8箇所あるそうです。環境教育はむしろ日本より進んでいるのではないかなあ。2023/12/11
午前中は台北のGUANDU自然公園のブッタさんの案内で湿地公園へ。ここのビジターセンターの展示物はIT使いの日本では見たことがない装置が色々あって興味深かった。(壁に描かれた水鳥の絵をタッチすると鳥の解説が表示されたり、元ごみ捨て場だった場所を再生して沼湿地にしてゆく過程映像に自分が組み込まれたり)と。その後国内線で台東に移動。みえさんが迎えに来てくれて、彼女の実家のフルーツ農家で釈迦頭果実の出荷見学して郊外の農村地域の宿へ。民宿泊と聞いていたが、一棟貸しのオシャレな建物が並ぶ幸福旅行舎という場所でした。夜は台東地域の環境自然教育関係者が20人程集まっての野外パーティーでした。台東へ
12/9朝はホテルのカフェでホットサンド。黒松内へ家族できたいばんさん一家と故宮博物館へ。広くて歩かさった。有名な白菜の石は出張中でした。その後陽明山地域に小学校の保護者卒業旅行で黒松内に来た西湖小の卓先生と合流して車で登り火山見学。昼は北投温泉地域で台湾料理。この地域には日本の大手旅館も進出して大きな温泉街を形成しているが宿泊客のホテル囲い込み型ではなくて、台北市立のオシャレな大きな図書館やら温泉博物館、公園も合って繁盛していたな、日本の温泉街も視察に来て参考にしたらよろしいね。その後、台北市街に降りて夕食は、WEGOMOUNTAINPROGRAMの陳先生(キャンプネームはハイキング)とスタッフ等と広東料理の夕食でした。この団体は、なんと幼稚園から高校生まで5000人を抱える私立学校の自然教育部門でスタ...台湾三日目か?
昨日12/7に台湾着だったよなー??もう何日も滞在しているような気がするよ。それだけ時間密度を濃くすごしているのだなあ。午後の飛行機で千歳から直行で、台湾桃園へ夜8時頃着。リーハンとツリークライミングのヨコハマさん(彼の本名が横浜の中国語読みに似てるところから日本名のキャンプネームとなったんじゃあなかったかな)が空港出迎えで桃園のホテルへ。夜も遅いのでアゲハさんも来て、ビジネスルームを借りてウエルカムパーティーでした。12/8午前中はヨコハマさんの出迎えで宿近くの雲南人が多く住む地区でショッピング。昼はツリークライミング仲間や東眼山自然公園のメンバーやらも集まり雲南料理、そして皆で迪化街散策買い物。MRKさん、念願を果たせました。夜には、医者になったクーちゃんも訪ねて来てくれました。台湾旅
雪が思ったより積もり、もう根雪の様相の黒松内です。いつもの冬よりも早いと思います。で、師走。毎年のようにこの時期になると机の回りを片付けようと思うのですが、積み上げられている本や書類資料を確認していると、それを読んでしまうのでなかなか進みません。そして、今日の午前中も山から掘り出された本を読み始めてしまいました。「君たちはどう生きるか」この手元の本は、漫画と文章が交互にあって読みやすいです。主人公のコペル君は中学生なのかな、彼が感じたこと、悩んでいることをその伯父さんが回答するというものなのですが、齢かぞえで七十になる私でありますが、伯父さんの教訓刃、「あんたはんはどう生きてきたか」に聞こえて反省しきりでありますなあ・・・。君たちはどう生きるか
司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読み始めてしまった。厚めの文庫本で八巻、図書館から借りて読んでいます。若い頃に一度読み熱中しました。また、この本を原作としたNHK大河ドラマ「龍馬伝」は、再放送も含めた一週間に三度同じものを観ていたなあ・・・。幕末の坂本龍馬の活躍はこの司馬さんの小説をして、英雄龍馬を日本人にそのイメージを植え付けたといっても過言ではないと思います。小説ですからドキュメントではないわけですが、その作品は膨大な幕末史料と現地調査、聞き取りによって構成されています。文章のうまさと多少のラブストーリー、サスペンス仕立てもあって、読み返しても司馬史観のスペクタクルにはまっております。竜馬がゆく
元ディレクター達
来訪者続く
先だっての中国一行の北海道自然学校視察ツアー1週間の最初の訪問地は、苫小牧のイコロの森にある「いぶり自然学校」でした。旧NPOねおすの解散独立した上田融さん(うえだんな)が代表をしているNPOです。(たぶん)渡辺パイプさんが保有している広大な森の一角にある施設を利用し、森づくりを第一のテーマにしている自然学校です。うえだんなの今の理想、追い求めているのは「ネイチャー・バトラー」で、「森の執事」なんだそうだ。自然学校では、馬搬の馬、ヒツジやニワトリも飼っていて、広大な雑木林を整備し続けています。アクティビティとしては、木の切だし、木工、テントサウナやらですが、食事にも凝っています。これは名物の「鮭の板焼き」燻ったあとは板ごと火にかけてあっためてから、頂きます。なんでも、ゲストの様子を観て、さっとワインを出し...ネイチャーバトラー
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札響コンサート
家の前の桑の葉が落ちてきました。毎冬にこの樹の枝にバードテーブルを置いています。カラ類を中心にコゲラやヒヨドリとけっこうな多種が集まってきます。三木師匠によると、雪が降る冬到来後だとなかなか寄ってこないよ、餌場を探して見回りをしている晩秋の見通しのいい時期からエサを提示してやっているといいよ、とのことで、2,3日前から穀類の野鳥の餌を台にやっていますが・・、まだ、スズメしかやって来ていません・・・。給餌台
ここ数年来、旧交を温めている三重県赤目の森の伊井野氏からの企画で、「古希・アラ古希を祝う会」なる集まりを2024年11月22日に代々木のオリンピックセンターで開催しました。こんな自分勝手な集まりに人が来てくれるんだろうかと思いきや30名程の集まって頂きました。私方?にも遠くからは崎野隆一郎さんも。樋口紗綾さんや大類健三郎さんも赤目に通っているNICEメンバーで黒松内にも来てくれた若手メンバー上海での東アジア地球市民村でもご一緒した大友さんらのバンドメンバーが場を盛り上げてくれました。初対面同士を集めてしまい、どーしようかという会でしたが、そこはコミュニケーション力の高い人たち、和気あいあいと交流の場ができて、まあ、やってよかったなという会となりました。古希•アラ古希を祝う会
里地はまだですが、裏山が冠雪しました。冬が来る
ぶなの森自然学校校庭に入ると大きな樹が目にとまります。シンボルツリーのように目立ち、自然学校の名称に「ぶな」を冠しているのに、実はこれはブナではなくてイチョウです。ここは元小学校跡地であり、随分と昔に植えられたものなのでしょうが、地域の古老に聞いてもその由来はわかりません。イチョウには雌雄があり、その区別は実がなるかならないかでわかります。また俗には、葉っぱの形が着物(スカート)風であれば、メス、袴(ズボン)風にわかれているとメスとも言われています。が、この木の葉っぱは両タイプがあり、実(銀杏)はなりません。札幌で有名な北海道大学のイチョウ並木は、この時期は見事な黄葉となり観光名所化となっているのですが、ご覧のようにこの樹はほぼ黄葉しないのです。(何年かに一度色づくことはあるのですが・・)今年も色づかない...イチョウ
2024年10月24日かつて北海道自然学校NEOSの設立当時は、山岳やネイチャーガイドから自然体験活動事業を始めました。ガイド業が自体がまだまだ日本には定着していない2000年頃でした。山の花や動物、山岳気象や行動技術を座学教室で行い、それを参加条件としたプログラムを始めたのですが、「そんな面倒な企画に参加者が集まるのか」という外からの批評もありましたが、これが新聞にもニュースとして掲載されたおかげもあり、成り立ちました。その当時のお客さまであった私よりもお姉さま方、つまりもう80代の皆様を東川在住の今もガイドをしているかつてのスタッフ鳥羽君が黒松内内にお連れしてくれました。私は、ファンシーの中国ツアーの添乗で苫小牧のいぶり自然学校に滞在中でしたが、「今生の別れツアーだ」なんて声が聞こえていたので、急遽、...私を育てくださった御姉様方来
2024年22-28日は恒例の秋の中国からのファンシーツアー受入でした。今回は自然学校や環境教育実践者ばかりではなくて、民宿経営、地方情報誌編集者、幼稚園の設計デザイナー等でした。例年は1,2泊ごとに旧NEOSサイト(いぶり、黒松内、大沼、東川大雪山)を旅してまわるスタイルだったのですが、ちょっと忙しすぎるということで、今回はいぶり自然学校に3泊、黒松内ぶなの森自然学校に2泊という行程となりました。苫小牧いぶり自然学校は、企業が所有する元研修施設を利用したフィールドです。代表のうえだんなが、時間をかけて居心地の良い時空を作り上げています。今回のメインプログラムはエゾシカの解体肉をブロックにしたり、ミンチにして食しました。また馬搬体験や木工クラフト体験で過ごし、洞爺湖に移動、SOTOASOBUの江川さんのジ...中国より秋のファンシーツアー
秋恒例の中国からの自然学校訪問ツアーが10月22日からスタート。例年は旧NEOSサイト4箇所を回っていましたが、今回はいぶり自然学校と黒松内ぶなの森自然学校に複数泊してゆっくりと過ごしてもらいます。まずはいぶりから。うえだ銀河ワールド。ネイチャーバトラーを自称するうえだんなの銀河ワールドを堪能ちゅう。ファンシー中国人ツアー開始
昨年は足繫く黒松内や周辺パークゴルフ(PG)場へ通いました。黒松内、寿都をメーンフィールドにして、長万部町、伊達氏、共和町、岩内町、ニセコ町、真狩村、泊村、倶知安町、京極町と・・、なんとホールインワンも二度も達成をしましたが、今年はマイブームが去ったのかさっぱり通いつめなくなりましたが、昨日は真狩、今日は泊と連ちゃん。周辺観光もして温泉にも入浴してきました。運動不足なので、9ホールx2コースを回るだけでよろよろしていますが、この2つの場所は高低差があってなかなかトリッキーなコースでもあり、良い運動になります。成績は、Par周りにはちょっと届かないくらいですが、あまり上達しておりません。集中力が切れてしまうんだなあ・・・・。パークゴルフ
シャケキャンプ
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞が授与されることに決まった。ノーベル平和賞
旅に出ていたので、Mailチェックをしていなかった。参加している寿都町のお宝調査の案内が来ているのを昨夜気づいて、(申し込みが必要だったが、)直接参加してきました。お疲れモードなのでちょっと面倒だったのですが、MRKさんに命令されるようにして出かけたのですが、興味深くて、参加して良かったな。寿都歌棄に教立寺というお寺があるのですが、そこに閻魔大王像と地獄図が寄進されています。その由来をざっと書いてみると・・・、話しはおよそ150年前の安政年間、江戸幕府は北海道開拓のために太平洋・長万部側からニシン漁盛んな日本海・寿都へ黒松内新道の開削をしました。費用は地元の富豪漁師の親方‣角十(かくじゅう)佐藤家がだいぶ負担をしたらしいですが、そのおかげで「一日の人別改めが1万人にもおよび、長万部の海浜には一条の蟻道のよ...教立寺拝観
弥陀が原高原ホテルは海抜ほぼ2000mにある宿ですがなかなか良い施設でした。無料の自然ガイドや夜はスライドトークイベントもあり、サービスが行き届いていました。ガイドウォークは私としてはゆくべきでしたが、雨降りで雨準備不足なので断念(?ひよった)。朝方は雲があがり、若干の紅葉が楽しめました。富山県はさすが観光立県である、各交通機関のチケット売り場、案内、バスの運転手さんも英会話ができて、宿の従業員さんも誰もがフレンドリーで親切なのです、北海道ではこうもゆかないなあと感じた次第でした。さて、弥陀が原からは予約したバス(ひっきりなしにバスが上り下りしており、どれもお客さん満杯で観光シーズンたけなわっといった感じでした。)で美女平まで降りてから最後のケーブルカーで立山駅へ、そこからJRで富山駅へ。レンタカーを借り...2G旅二日目
三重県の赤目の森の福祉・里山づくり系のNPO主宰の伊井原さんと秋の旅を続けて3年目。今年は10月3日から6日まで、私の希望で黒部アルペンルートを旅してきました。日程は彼が全てセットしてくれたのですが、集合場所は長野県側の扇沢。はてさてそこまでどーやってゆきましょうか・・。しかし、彼が乗り継ぎ交通経路まで指南計画してくれましたので、それに準じて移動するだけなのですが、まあまあ乗り換えが多くて緊張したなあ。朝8時名古屋発のJRしなの3号に乗車しなければならないので、ひとりで名古屋に前泊しました。10月4日、朝は二度寝してしまい、慌ててJR名古屋駅へ。なんとか間に合いました。先が思いやられます。アルペンルートは、バスやトロリーバス、ケーブルカーやロープウエイを乗り継いで黒部第4ダムを越えて長野側まで立山連峰を抜...2G秋の旅
私の事務所机の下にクリアーボックスがひと箱眠っています。日記
私のブログをチェックしてくださっている皆様に感謝です。にもかかわらず日にちを開けてしまって恐縮です。旅ノート
長男坊のところに長女が誕生しました。孫四人目です。名前は慈音(しおん)となりました。この娘が私と同い年になる頃はもう22世紀も間近と想像すると感慨深く、地球は大丈夫かなあと心配をしてしまいます。どう考えても多難な時代を生きてゆくことになります。健やかに逞しく生き延びてくれるように願うばかりです。自然学校周辺は天高く秋めいてきました。孫4号我家に滞在中
黒松内町、寿都町、島牧村を境界とする月越峠に大きなミズナラがあることは何度もこのブログでも紹介をしてきました。冬にまるでこれすらも大木のような大枝が続けて二本も折れてしまいました。周辺は背丈を超える根曲がり竹せが密生していて普段訪れる時は積雪期だけなのですが、先月、寿都町のOKSさんと新聞記者と藪漕ぎをして様子を観にゆきました。折れた場所のtあ本体幹には大穴が開いていましたので、今回は脚立も運び、当該国有林の森林官と樹木医もお連れして四人で再び訪れました。折れ口は地上から3,4mの高さなのですが、覗き込んでみると、なんと完全に心材は朽ち果てており、地面までまるで木桶樽のようになっていました。保全の方法もありなんかと樹木医さんに予診していただいたのですが、手の施しようがないとのことでした。ただし、樹木は樹皮...月越峠の巨木予診
孫娘1号は四才。ジジころがし
2024年9月4日日高二風谷を通るので、萱野茂資料館を訪れました。二風谷には国の補助も入った大きなアイヌ博物館がありますが、その国道をはさんだ向かい側に萱野さんの私設アイヌ民族資料館があります。萱野さんとの出会いの思い出を綴っておきたいと思います。初めてお会いしたのは、北海道自然学校NEOSの活動を始めた頃でしたから、2005前後でしたでしょうか・・。その頃のアタシは対人コミュニケーション力不足に直面していました。それをなんとかしようと思って、けっこういろいろなワークショップに参加していました。コスミックダンス(ダンスセラピー)、スウェットロッジ(ネイティブインディアンの儀式)、賢治の学校のサイコセラピー、ブリージングセラピー、地球交響曲・ガイアシンフォニーの自主上映会などなど・・、それはそれで、自己を開...萱野茂さんの思い出
先だっての中国一行の北海道自然学校視察ツアー1週間の最初の訪問地は、苫小牧のイコロの森にある「いぶり自然学校」でした。旧NPOねおすの解散独立した上田融さん(うえだんな)が代表をしているNPOです。(たぶん)渡辺パイプさんが保有している広大な森の一角にある施設を利用し、森づくりを第一のテーマにしている自然学校です。うえだんなの今の理想、追い求めているのは「ネイチャー・バトラー」で、「森の執事」なんだそうだ。自然学校では、馬搬の馬、ヒツジやニワトリも飼っていて、広大な雑木林を整備し続けています。アクティビティとしては、木の切だし、木工、テントサウナやらですが、食事にも凝っています。これは名物の「鮭の板焼き」燻ったあとは板ごと火にかけてあっためてから、頂きます。なんでも、ゲストの様子を観て、さっとワインを出し...ネイチャーバトラー
この秋の雪虫の大発生は北海道各地でたいへんでしたが、それもおさまり、日増しに秋深まり落葉した木々が目立つようになりました。中国からのツアーも終わり、どこやら虚脱感というか寂しさを感じる晩秋模様の黒松内です。家の前のイチョウは今年は適度に色づきました。(緑のままに落葉してしまう年もある)来月には69歳になるらしいので、たぶん来年は七十歳だ!!!喜寿か?信じられん。写真は先だっての道南ツアーでの縄文弁当。かっくう土偶の赤飯顔だけじゃん・・・今日こそは黒松内体育館のジムを利用しよう。寿都の温水プールは夕方4時開館であった。コーライさんという方と昼食をご一緒する予定なのですが、お会いしたことがあるらしいのだが・・・。飼い犬がほしいなあ・・。夜はNPOサポセンのZOOM理事会がある、忘れんように。家の机周りも事務所...秋徒然に
1週間の中国からの北海道自然学校訪問ツアー1週間に同行を昨日終了し黒松内へ帰ってきました。今回はいぶり自然学校、当黒松内ぶなの森自然学校、どうなん自然学校への2泊ずつの旅でした。私としてもとても思い出深い旅となり、みなさんとお別れしてなんだか喪失感というか、今寂しさを感じています。さて、私は、「銀河ネットワーク構想」なるものを北海道自然体験学校NEOSを始めた30年前頃から持っていて今に至っています。それは、「個性ある小集団を創り、そのそれぞれを「銀河」と呼ぼう。その個性ある銀河を旅人や若者が往き来し自らが自らを育めるネットワークを創り出そう」という考え方です。その実践のために「ねおすツーリズムの九か条」という憲章を造りみんなで共有してきました。今回のツアーでは、その特徴的な銀河を3つ、みなさんに体験して...ねおす銀河ネットワーク
中国一行の北海道自然学校視察ツアー
ちょっと間が開いてしまいましたが、10月5日に我が家に水害があり一部床上浸水をしました。私はちょうどゲストのKKIさんと道南乙部町のシラフラ海岸観光にでかけており、日帰りでは遠いので帰路、八雲温泉おぼこ山荘に宿泊をしのんびりと過ごしていて知りませんでした。ふたりとも携帯を不携帯で連絡がとれませんでした。翌6日にはまっすぐに家に帰らすに、豊浦町の「中つち農場」を訪れました。そこで電話を借りて現在所在を家に連絡を入れると・・・「アンタ、どこにいるのよぉ!!今、家はたいへんなことになってんだから!!」と、カミの悲鳴と非難轟々。慌てて取って返したのでした。家の裏を流れる朱太川の支流一木川(いちきかわ)が氾濫して20cm位の深さの濁流となり家に敷設されている古い納屋から家内にも水が入ったようです。帰った時は水は引い...水害
1泊2日の子供きゃんぷの今回のテーマは「鮭」。一日目は町内を南北に流れる朱太川の河口付近で遡上し始めた鮭をカヌーで観察。二日目の今日は、鮭はどこまで遡上しているかと、その上流を観察にゆきました。黒松内の市街地に支流の寺ノ沢川という小川があるのですが、なんと、そこにも遡上している鮭を発見!!黒松内の自然、あなどれないなあ。役場近くの場所では、ヤマメも群れをなして泳いでいました。渓流釣りに行かずとも、散歩道から十分に釣りができるなあ。***随分とブログ投稿に間があいています・・・。Facebookには、スマートホンからすぐに書き込めるのでちょくちょく投稿しているのですがね。ブログはそれなりに文章を考えるので、ちょっと敷居が高くしているのかなあ。読んでくださっている人もいるので、もうちょっと真剣にとりくもう。寺ノ沢川
子どもの頃に父親が八丈島のくさやを土産に帰宅した。くさや
ネイチャーサウナ
夕食待ち
孫3の運動会でした。運動会
通称:社体(北海道社会体育専門学院)の経営と教壇に立っていた時代がアタシにはあります。エアロビクスやマシーンジム、スイムなどのスポーツクラブが次々に設立されていた平成の初期の頃でした。私は昭和の終わりに、札幌に温泉レジャーランド「ビックシップ」という施設開発をし、そのオープン時には4階にあったスポーツクラブの支配人(マネージャー)をしており、その専門学校の学生をアルバイトで受け入れていました。その経営親会社は不動産会社であり、あの経済急成長のバブル経済と言われていた時代で、不動産会社自身が、観光業に積極的に乗り出していました。ゴルフ場、ホテル、レストラン経営も手を広げていました。が・・・、私は開発、採用、現場営業、さらにはあの「バブルの崩壊」という経済低迷の波を受けて事業のリストラまで担当をしました。その...社体の卒業生
日台の交流コーディネイトをしてくれているリーハン率いる台湾グループ11人が2泊の自然学校滞在(宿泊は町の自然の家泊)をしてくれました。この方々は平取町で開催された先住民フォーラムの来日者で、グループの中にはピウマ族の人が3人いました。確か、台湾語では彼らのことを日本語でいうところの「原住民」といい、もっと古代の人を「先住民」と表現するらしいですが、ここでは先住民と書きます。台湾には16族の先住民がいるそうで、それぞれが法律で生活文化を保護されています。私もかつて、そのひとつの集落(イオル空間)を訪ねたことがありますが、程よい観光地ともなっており、集落住民が経営するカフェや食堂があり、とても居心地のよい空間でした。夕食は自然学校でMRK飯で交流も行いました。唄や踊りも披露してくれて、彼らの豊かな生活が体験で...台湾ピウマ族
私の年代は英国はイギリスと地理で習いました。カージフ大の学生さん等滞在中
この秋開催される北海道NPOフェスティバル(通称:Nフェス)で、なにか分科会かワークショップを担当したいなと、ぼんやりと考え続けています。NPOはその「活動使命」が大切だと言われています。昨今の大学では公共的企業/起業も講義されて、NPOとはなんぞやとの意義の解説では必ず言及されるキーワードだと思います。現在、数多くのNPOが設立されていますが、それぞれ個別に活動意義・理念を持ち明文化をされているはずです。ずいぶんと細分専門化も進んでいるようです。行政や企業では担いきれない市民向け福祉、環境に関わるようなサービスを専門的に扱っています。先日、ネット上で異業種NPOの交流会があったのですが、犬猫の保護や飼い主マッチングやらへぇーと感嘆するような活動を展開する団体も数多くあることを知りました。一方では、使命・...Nフェスその2
早朝5時半、火災報知
暑い暑い。北海道の小学校は夏休みは終わってしまいましたが、あまりの暑さに途中下校をさせた学校もあるようです。この暑さが常態化するのであれば、北海道も8月いっぱい夏休みにすべきかもなあ。という中で、学校が始まってすぐに体験学習に寿都・潮路小の5年生がやってきました。小学校の宿泊体験活動は以前は自然学校での一泊二日活動だったのですが、数年前の毒蛾事件から自然学校には泊まらずにプログラム対応だけになりました。(これは風評被害みたいなものなのですが・。)この日も熱中症アラートが発令されている日中30度超えだったのですが、予定プログラムに火おこしと棒パン作りがありました。この暑さの中でやるプログラムかあとは思いましたが、木陰を選んで予定通りに実施市ました。いつもは、火おこしはデモンストレーションをして、子どもたちに...熱中症
NPONフェス
朝10時で30℃越えだ。お盆を過ぎてもこんな暑い夏はこれまで北海道在住半世紀でなかったなあ。ある人によると、この暑さは過去10万年位なかったとか・・、真実だとすると、縄文海進以来じゃあないか!!!クーラーなんぞは家にも事務所にもない。なので、車に冷房をかけてショッチュウ逃げ込んでおります。暑い
8/21-23はTYSさん一家のファミリーキャンプ対応でした。ファミリーキャンプ対応
お盆前にちょっと涼しくなりましたが、また暑さがぶり返しています。昨日8月20日に、長期滞在をしていたウエールズのカジフ大学のジェイク、コナー、ポールと台湾実践大学のなんちゃんが実習、ボランティア期間を追えて帰国の途につきました(函館、札幌やを回るそうですが)。そして、元山村留学生のあかんちとご両親とわんこの小梅ちゃんも帰路につきました。夏が一段落した感じです。皆さん出立