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2012/12/23

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  • 義は目的なのか手段に過ぎないのか

    「では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」(ローマ9:30-33)---律法の遵守を他人に押しつけたパリサイ人について福音書を読んでゆくと、自分たちが律法の遵守に励んだという形跡がまるで見られない。それどころか、マルコ福音書には「モーセは、『あなたの父と母を敬え。』……と言っています。それなのに、...義は目的なのか手段に過ぎないのか

  • 『神に不正があるのですか』

    「このことだけでなく、私たちの先祖イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(ローマ9:10-16)---「神に不正があるのですか」、理不尽な目に遭うとき、また、復讐した...『神に不正があるのですか』

  • キリストに愛されているという実感

    「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:35-39)---数々の困難、患難に遭うとき。自暴自棄になりそうなとき。そういうときにふっと思い出すことがある...キリストに愛されているという実感

  • 神が義と認めてくださるということ

    「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。」(ローマ8:30-33)---神が私たちの味方であるなら、神が味方をしない連中は私たちに敵対するかもしれない。救われた私たちは神が義と認めてくださるが、彼らは何をもって自分を義とするのだろう。カネだろうか、才覚だろうか。自分の魅力だろうか。そのような自分を頼りにす...神が義と認めてくださるということ

  • 『益』とはなにか

    「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」(ローマ8:28-29)---「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」とあるところの「益」とは、誰にとっての益だろうか。専ら自分にとってのものではない。神および神の秩序にとっての益である。私たちがもしも「神のご計画に従って召された人々」なのであれば、神および神の秩序にとって益なことは、当然に、自分自身にとっても益である。私たちはイエスを長子とする家族だからである。このことについては、モーセの一生を思い出...『益』とはなにか

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