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km45さんのプロフィール

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中国
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常陸太田市

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ブログタイトル
歴史と中国
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512
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中国(特に成都市)記事および日本史関係記事を載せます。
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32回 / 365日(平均0.6回/週)

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km45さんの新着記事

1件〜30件

  • 湯河原梅林

    2020年2月25日(火)午後、神奈川県湯河原町の幕山公園内の湯河原梅林に行ってきました。本年は暖かく例年より1週間あまり早い開花で、はや満開過ぎでした。「梅の宴」(2月1日~3月8日・9~18時)開催中で、入園料は200円です。JR湯河原駅からは箱根登山バス幕山公園行です。そこで、梅の写真をお見せします。(2020.02.28)湯河原梅林

  • 武蔵国国府遺跡等―歴史雑感〔52〕―

    2020年2月22日(土)午後、武蔵野文化協会主催の「発見・復元された武蔵国国司館跡を訪ねて」に参加して巡りました。13時30分にJR南部線西府駅前に集合しました。最初の訪問地は駅西北8分に位置する武蔵府中熊野神社古墳(府中市西府町2丁目9番地・熊野神社境内)です。本古墳は飛鳥時代(7世紀中頃)築造の上円下方墳で、一段目が一辺約32mの方形、二段目が一辺約23mの方形、三段目が直径約16mの円形、墳丘高が約6m、全体が多摩川石で葺かれていました。写真1は、西から見た古墳全景で、古墳の南に接して府中熊野神社本殿があります。写真2は、西北角から古墳全景です。ご覧のように、古墳は復元整備されています。但し、二段目の一辺と三段目の直径は古墳保護のため出土面より約1m大きくなっています。写真3は、南の神社本殿横からの古墳...武蔵国国府遺跡等―歴史雑感〔52〕―

  • 2020年西安交通大学日本語学科東北会

    春節(1月25日)を迎えるに当たって、2020年1月11日(土)、西安交通大学日本語学科東北会の2020年新年会を大連で開き、私も参席しました。この東北会新年会は、大連新年会が拡大したもので、大連新年会からは通算20年を経過しており、2期生以下の16名が集い大いに盛り上がりました。ウィスキーオンザロックに始まり、各種の酒を大いに飲み楽しみました。(2020.01.13)2020年西安交通大学日本語学科東北会

  • 創作された『平家物語』一谷合戦の熊谷直実先陣争い―歴史雑感〔52〕―

    武蔵武士熊谷直実は一谷合戦(福原合戦)で平敦盛を討取ったことで知られており、このことは『平家物語』に詳しく記述されており、物語化してです。同時に、『平家物語』(覚一本)巻第九・一二の懸において一谷口で平山季重と先陣争いをしたと記述されており、同様なことは『吾妻鏡』元暦元年二月七日条にも記述されています。しかし、これらの記述には大いなる疑問点もあり、改めて検討してみたいです。『平家物語』諸本の最古態本である『延慶本平家物語』では熊谷直実の先陣争いについては第五本・二十源氏三草山幷一谷追落事に記述されています。これに関する全文は長文となるので、問題となる個所を以下に示します。其後城ノ内ヨリイサ終夜悪口シツル熊谷生取リニセムトテ、越中二郎兵衛盛次、上総五郎兵衛忠光、同悪七兵衛景清、飛騨三郎左衛門景経、後藤内兵衛定綱、...創作された『平家物語』一谷合戦の熊谷直実先陣争い―歴史雑感〔52〕―

  • 茅ヶ崎杉山神社初詣

    2020年1月1日(午前)、都筑中央公園東端の高台に鎮座する茅ヶ崎杉山神社(横浜市都筑区茅ケ崎中央57)に初詣に行ってきました。都筑・港北区内に何か所かの杉山神社があり、『延喜式』武蔵国綴喜郡の式内小社杉山神社の有力論社とされているのが茅ヶ崎杉山神社です。写真1は、鳥居と上る参道です。参拝者が増えたため急な参道階段は閉鎖され、公園内の路を上って参拝します。写真2は、社殿に参拝する人が見えたところで撮ったものです。ここに来るまで30分以上かかりました。写真3は、ようやく参拝の列に並んで社殿を撮ったものです。写真4は、参拝する人で、一度に3人しか参拝できません。社殿の右側では奥で破魔矢等、手前で御神籤、右では御神酒・甘酒・蜜柑が振舞われています。写真5は、これに社殿を入れて撮ったものです最後の写真6は、参拝後、戻る...茅ヶ崎杉山神社初詣

  • 能登

    2泊3日のツァーで能登観光をしてきました。航空便の関係で観光自体は2日目の2019年12月18日(水)でした。朝に穴水温泉を出発して最初の観光地は能登金剛です。写真1は、巌門です。写真2は、千畳敷岩から南を撮ったものです。左の岩上端に鳥が止まっています。写真3は、千畳敷岩です。次はのと鉄道乗車です。写真4は、乗車する中島駅に入線する気動車です。終点の穴水駅手前のトンネル内がイルミネーションで装飾されています。これを撮ったのが、写真5です。海岸沿いを北上して着いたのが見附島(軍艦島)です。写真6は、島に延びる磯を入れて撮ったものです。写真7も、見附島です。さらに北上して、能登半島最北端の禄剛崎に着きました。写真8は、日本海を背景に禄剛埼灯台を撮ったものです。明治16年(1883)7月10日に初点灯しました。水面高...能登

  • 妙本寺―歴史雑感〔51〕―

    2019年12月15日(日)午後、日蓮宗長興山妙本寺(神奈川県鎌倉市大町1-15-1)を訪れました。開基は比企能員の末子比企三郎能本でで、文応3年(1260)の創建といいます。この地は源頼朝の乳母比企尼、すなわち比企氏の館跡でした。本寺のある谷戸を比企谷といいます。建仁3年(1203)9月2日、比企尼の甥で比企氏当主の能員は北条時政名越亭で暗殺され、次いで比企氏館は攻撃され、これにより比企氏は族滅し、2代将軍頼家の嫡子一幡(能員の娘若狭局所生)は殺害されます。以上により、頼家は廃されて、同母弟実朝が3代将軍となります。写真1は、「南妙法蓮華経・妙本寺」石碑から参道の奥に総門(18世紀中頃)を見たものです。右隣は八角堂で、現在は幼稚園となっています。写真2は、祖師堂(天保9年〔1838〕)です。写真3は、祖師堂右...妙本寺―歴史雑感〔51〕―

  • 2019年横浜公園の紅葉

    横浜スタジアムに隣接した横浜公園(横浜市中区横浜公園)は面積約6.38haで、市内では山手公園の次に古い西洋式公園(1876年開園)です。こぢんまりとしていますが、紅葉樹があります。そこで、この紅葉をお見せします(2019年12月6日撮影)。なお、最後の写真は公園に隣接した日本大通りの銀杏並木です。(2019.12.09)2019年横浜公園の紅葉

  • 2020年の中国の祝日―中国雑感〔52〕―

    明年の祝日(休日)に関して、2019年11月21日(木)、国務院の通知「国務院弁公庁関于2020年部分節假日安排的通知」が国務院公式サイトにアップされ公表されました。この公示は例年12月でしたが、本年は11月21日と最速でした。国務院の通知原文は次のページです。http://www.gov.cn/zhengce/content/2019-11/21/content_5454164.htmまた、カレンダー表示(「一休5天,十一休8天,一图看懂2020年放假安排!」)は、http://www.gov.cn/xinwen/2019-11/21/content_5454242.htm(92020nennです。これによる明年(2020年)の休日は次の通りで、これに基づいて、中国の公的機関は休日を実行します。民間もこれを基...2020年の中国の祝日―中国雑感〔52〕―

  • 2019年秋終末の天府広場―成都雑感〔249〕―

    2004年から開始された地下鉄工事に伴い、天府広場は再開発され、2007年2月に新装オープンがなされ、2010年10月に地下鉄1号線開通により天府広場站が開業し、次いで2013年9月に地下鉄2号線が開通して、乗換駅となり天府広場は完成しました。2019年10月19日(土)午後、天府広場に久しぶりに訪れたので、これを紹介します。写真1は、広場南東角から入って撮ったものです。右から毛沢東立像、東魚眼龍騰噴泉(地下が商店街と地下鉄入口となっています)、西魚眼龍騰噴泉を写し込んでいます。写真2は、東魚眼龍騰噴泉を中心に地下を写し込んだものです。最後の写真3は、毛沢東立像を背景に記念写真を撮る親子を写し込んだものです。以上3枚の写真には全て毛沢東立像を入れています。(2019.11.04)2019年秋終末の天府広場―成都雑感〔249〕―

  • 2019年秋週末の春熙路―成都雑感〔148〕―

    中山広場を中心に東西南北に広がる春熙路は成都の中心商業街であり、2002年2月、改修が終わり、歩行者専用道として今日に至っています。2019年10月19日(土)午前、春熙路に出てみました。そこで、秋週末の春熙路の様子をお見せします。写真1は、春熙路西段の西端から撮ったものです。後ろ右側が2007年5月に開業した成都伊勢丹です。西段は地下鉄春熙路站に隣接しているからか、最も人出が多かったです。写真2は、成都伊勢丹を背景に小姐を撮ったものです。写真3は、イトーヨーカドー海外支店第1号の春熙店(1997年開業)の「物産節」と名付けた露店です。写真4は、露店で買い求めたものを食している風景です。写真5は、小姐を撮ったものですが、右側の子の服装は唐代を模したもので、初めて見ました。写真6は、春熙路北段の小姐です。写真7は...2019年秋週末の春熙路―成都雑感〔148〕―

  • 再訪大慈寺―成都雑感〔147〕―

    2019年10月18日(金)午後、大慈寺(古大聖慈寺)を参観しました。2013年3月以来です。当時は寺周辺を再開発中(太古里)で、寺自体も修復中でした。そこで、改めて本寺を紹介します。本寺は3・4世紀創建と伝え、1600年余の歴史を持つとされています。歴史的には唐代の三蔵玄奘(602~64)が武徳5(622)年春に受戒したことで知られています。そして、南宋の代、涪州人(重慶市涪陵区、旧涪江郡蘭溪邑)の蘭渓道隆(1213~78)が13歳にて本寺で出家しました。道隆はその後、寛元4(1246)年に日本に渡り、建長5(1253)年、時の執権北条時頼の創建した鎌倉の建長寺の開山となり、日本に純禅を伝来した僧として名を残します。このように、歴史に名を残した高僧が若くして修行したのが本寺であり、日本とも関係があるのです。本...再訪大慈寺―成都雑感〔147〕―

  • 再訪宝光寺―成都雑感〔164〕―

    2019年10月18日(金)午前、宝光寺を参観しました。2007年7月以来でした。そこで、改めて宝光寺を紹介します。宝光寺は後漢創設と伝えられ、長江四大禅林の名刹です。成都市の北郊19kmの新都区に位置しています。約10haの敷地内に、1塔5殿16院(庭)があります。舎利宝塔、山門殿・天王殿・七仏宝殿・大雄宝殿・蔵経楼です。拝観は夏季が8時から17時20分、冬季が8時から17時までとなっており、拝観料は5元です。宝光寺は後漢創立と伝えられ、最初「大石寺」と称していました。史書の確実な記載の最初は唐代の開元元(713)年ですから、伝えはともかく、1300年あまりの歴史をもつ古刹です。唐末の黄巣の乱で、四川に逃れた僖宗が当寺を行宮として滞在し、この関係で寺と舎利塔を建て直し、中和元(881)年、寺名も「宝光寺」と改...再訪宝光寺―成都雑感〔164〕―

  • 論文作成について―成都雑感〔163〕―

    2019年10月17日(木)午後、西南交通大学での卒業論文の論題提出は12月ですから、犀浦キャンパスで、日本語学科学部生及び院生への講義「論文作成について」を行ないました。そこで、この概略を紹介します。A.論文とは研究論文とは、未知の問題設定(問)により、これを根拠に基づいて論証して、解決(答)するものです。すなわち、問題設定・論証・結論の3段階からなり、根幹は論証部分にあります。しかし、研究水準に達していない学部生の卒業論文では未知の問題設定は無理であり、これは求めません。既知の問題設定でもいいことにします。ただし、論証は自身の頭で考え出したものでなければなりません。たとえ、結果として先行論文があったとしても。さて、問題設定はどのようにして見つけるのでしょうか。まず、何といっても自身に興味のないことでは無理で...論文作成について―成都雑感〔163〕―

  • 2019年9月27日九寨溝観光再度一部再開―四川雑感〔28〕―

    九寨溝風景区は、2017年8月8日、九寨溝地震で池崩壊等の重大な損傷を受けて、即日閉鎖されました。復旧工事により、2018年3月8日、観光が部分再開されました。しかし、同年6月25日夜の豪雨により、再度損傷を受け、再度閉鎖となりました。このため、景区内の道路の全面改修等、全面的な復旧工事を行なってきました。この結果、2019年9月27日、再度一部観光を再開しました。これは九寨溝管理局が2019年9月23日に「九寨沟景区关于部分区域恢复开放(试运行)的公告」で公示されたものです。公示全文は、https://www.jiuzhai.com/news/notice/6743-2019-09-23-10-38-38です。公示内容の概要は、1.開放区域如溝の的扎如寺、樹正溝(火花海を除く)、日則溝(諾日朗瀑布から五花海ま...2019年9月27日九寨溝観光再度一部再開―四川雑感〔28〕―

  • さきたま風土記の丘・下―歴史雑感〔50〕―

    7日(土)午後はさきたま古墳公園見学です。本公園は埼玉古墳群を保存整備したものです。まず、埼玉県立さいたま史跡の博物館(埼玉県行田市大字埼玉4834入館料200円・開館時間9~16時30分・休館日月曜日等)見学です。写真1は、稲毛山古墳出土太刀です。国宝金錯銘鉄剣は撮影不可のため載せられませんが。写真2は、動物埴輪です。この他、各古墳から出土した武具・馬具・各種埴輪・土器・鏡等が展示されています。次いで、古墳巡りです。写真3は、瓦塚古墳です。長方形の二重環濠を持つ、墳丘全長73mの前方後円墳で、6世紀前半の築造と推定されています。写真4は、愛宕山古墳です。長方形の二重環濠を持つ、本古墳群で最小の墳丘全長53mの前方後円墳で、6世紀前半の築造と推定されています。写真5は、丸墓山古墳です。直径105mの日本最大の円...さきたま風土記の丘・下―歴史雑感〔50〕―

  • さきたま風土記の丘・上―歴史雑感〔49〕―

    2019年9月7日(土)、武蔵野文化協会・国宝史蹟研究会共催の「武蔵野古代ロマン・さきたま風土記の丘をめぐる」で、埼玉県の史跡を巡りました。9時にJR桶川駅に集合して、見学開始です。最初の見学地は観福寺(埼玉県行田市南河原1500-1)の国指定史跡「南河原石塔婆」です。一谷合戦での生田口先駆けで戦死したと『平家物語』で語られている私市党河原太郎次郎兄弟の供養板碑との伝承を持つ、2基の板碑が国指定となって、本寺の山門左横にある覆屋に保存管理されています。写真1は、左側の文応2年2月銘の板碑です。来迎印を結ぶ阿弥陀如来が左右に観音・勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊像が線刻されています。台上高236cm・幅65cm・厚9cmです。写真2は、右側の文永2年(1265)2月銘の板碑です。脇侍を従えた地蔵菩薩が線刻されています。...さきたま風土記の丘・上―歴史雑感〔49〕―

  • 比企氏伝承地―歴史雑感〔48〕―

    源頼朝の乳母として公私に渡り支援をした比企尼を頂点とする、比企氏は鎌倉幕府の有力御家人として位置しました。そして、2代将軍頼家の乳母も輩出し、当主能員の娘若狭局が頼家長男一幡を出生しました。これにより頼家の外戚家として比企氏が位置しました。しかし、これに脅威を感じた頼朝外戚家の北条氏は、建仁3年(1203)9月2日、能員の暗殺を発端として、クーデターで比企氏本宗を滅亡させ、頼家を失脚させ、3代将軍に同母弟実朝を擁立しました。いわゆる比企氏の乱です。比企氏の本貫は武蔵国比企郡であり、当地には比企に関連の伝承が多く残されています。そこで、一部の伝承地を、2019年8月26日(月)午後、訪れたので、これを紹介します。写真1は、国道307号から少し北に入ったところにある、曹洞宗扇谷山宗悟寺(埼玉県東松山市大字大谷400...比企氏伝承地―歴史雑感〔48〕―

  • 五女山―中国雑感〔51〕―

    一、長春二、長白山北線三、長白山西線四、五女山7月1日(日)午前は世界文化遺産「五女山城」観光です。五女山は遼寧省桓仁満族自治県桓仁鎮(県城)の北約8kmに位置する海抜804mの山です。五女山に築かれたのが五女山城です。漢元帝建昭2年(紀元前37年)、北扶余王子朱蒙がこの地に逃れて、五女山上に高句麗国の都城として築いたのが五女山城です。この当時は迄升骨城と称していました。五女山城は南北長約1500m・南北長3~500mの不規則な楔形をしており、山頂部の内城と山麓部の外城からなっています。西暦3年に高句麗国2代琉璃明王が現在の集安に都城を移転しました。2004年7月、五女山城は「高句麗王城、王陵及貴族墓葬」の一つとして世界文化遺産に登録されました。写真1は、朝ホテルから撮った五女山全景です。五女山景区游客中心には...五女山―中国雑感〔51〕―

  • 長白山西線―中国雑感〔50〕―

    30日(日)は長白山西線観光です。景区内バスを降り、1440段余の階段を上り西線観景台に向かいます。50分余をかけて12時40分に観景台に着きました。「登頂成功我真棒!」「海抜2470米」と記した大きな表示板があります。写真1は、観景台に上がったところにある中朝国境を示す5号定界碑(実際の国境は観景台の少し南)です。2009年との表示が下にあります写真2は、景観台からの天池です。本日も霧のため景観を得られません。それでも中国人観光客はご覧のように記念写真を撮っています。写真3は、下る途上で景区内バス終点を見下ろして撮ったものです。登山道は登りと下りとに分れていますが。バイキングの昼食を済ませ、錦江大峡谷に移動します。錦江大峡谷は火山大爆発の火砕流・噴石・火山灰等の堆積物が流水で浸食されて、幅約2~300m・深さ...長白山西線―中国雑感〔50〕―

  • 長白山北線―中国雑感〔49〕―

    一、長春二、長白山北線三、長白山西線四、五女山29日(土)は終日長白山北線観光です。長白山(朝鮮名白頭山)は中華人民共和国と朝鮮民主主義共和国の国境線上に位置します。天池はカルデラ湖で天池を囲んで16峰があり、南側の2749mの白頭峰(朝鮮領内)が最高峰です。まず天池を目指します。景区内専用バスを降り、数分の登りで北線の天池景観台に至ります。写真1は、その途上での上る人々です。残念ながら、ご覧のように雨模様で、人々は雨支度で、雨と霧で視界が開けません。写真2は、10時50分頃天池景観台での天池を見下ろして撮ったものですが、完全に霧で覆われて全く見ることが出来ません。天池から下り少し早めのバイキングの昼食を取り、次の長白瀑布を目指します。瀑布の下流に位置するのが聚龍泉です。70度以上の47か所の源泉口を有する温泉...長白山北線―中国雑感〔49〕―

  • 長春―中国雑感〔48〕―

    一、長春クラブツーリズム主催「色彩豊かな長白山と世界遺産五女山城6日間」(2019年6月27日〔木〕~7月2日〔火〕)中国に行ってきました。本ツァーの基本旅程は、27日(木)午後成田発瀋陽着(南方航空)夜瀋陽発長春着(高速電車)長春泊28日(金)午前長春観光(八大部・杏花沌公園・牡丹園)午後長白山へ長白山泊29日(土)終日長白山北線観光(天池・長白山瀑布・緑淵潭・小天池・地下森林)長白山泊30日(日)午前長白山西線観光(天池・錦江大峡谷)午後桓仁へ桓仁泊1日(月)午前五女山城観光午後瀋陽へ瀋陽泊2日(火)朝瀋陽発成田着(南方航空)です。最初の観光地は吉林省省都長春市観光です。長春市は旧満州帝国首都であったので、この関係が観光主体です。まず、旧満州国関係の建築物です。八大部(軍事・司法・経済・交通・興農・文教・外...長春―中国雑感〔48〕―

  • 再訪小机城―歴史雑感〔47〕―

    2019年6月16日(日)午後、小机城を再訪しました。本城は2017年に日本続名城百選に選定されました。小机城が歴史上に見えるのは15世紀後半の長尾景春の乱です。関東管領山内顕定に反した景春方が本城に蜂起して、太田道灌に攻略されます。その後廃城となりますが、16世紀に入り、後北条氏の武蔵国進出に伴い、この拠点として再築城されます。後北条氏2代目の氏綱の代に笠原信為が城代となり、小机衆が組織され、南武蔵における後北条氏の支城としての役割を果たしました。1590(天正18)年の豊臣秀吉の進攻に備えて、修築がなされて、現状はそれを伝えていると思われます。そして、後北条氏の滅亡後、廃城となりました。第三京浜道路建設に伴い、城址は東西に分断され破壊を受けましたが、現在、「小机城址市民の森」として、整備・保護されています。...再訪小机城―歴史雑感〔47〕―

  • 善通寺―歴史雑感〔45〕―

    2019年5月29日(水)午前、香川県の真言宗善通寺派総本山五岳山善通寺(善通寺市善通寺町3-3-1)を参拝しました。そこで、ここでの写真をお見せします。写真1は、駐車場からの善通寺の誕生院(西院)への西入口に当たる斉世橋です。写真2は、寺内に入り南ある御影堂です。写真3は、仁王門で、ここまでが空海誕生の地とされる誕生院です。写真4は、中門を潜り伽藍(東院)に入り、右手に見える鐘楼と高約43mの五重塔(重要文化財)です。写真5は、元禄12年(1699)に再建された金堂(重要文化財)です。本尊薬師如来坐像が鎮座します。写真6は、正面に南面する金堂、右に五重塔です。写真7は、寺内南大門の寺内左横の樹齢千数百年という大楠です。幹周11m、高30mです。写真8は、正門である南大門です。写真9は、高2.8の五層塔の足利尊...善通寺―歴史雑感〔45〕―

  • 大山祇神社―歴史雑感〔45〕―

    2019年5月28日(火)午前、愛媛県の大山祇神社(今治市大三島町宮浦3327)を参拝しました。そこで、この写真を見せします。写真1は、境内の入口に位置している二の鳥居です。写真2は、二の酉に左横に立っている社号石です。伊藤博文の筆になります写真3は、総門・翼舎です。写真4は、樹齢2600年とされる神木の於知命御手植の楠(天然記念物)です。幹周11.1m、根周り20m、樹高約15.6mです。この他同様な、古楠が境内にあります。写真5は、神門です。写真6は、室町時代応永34年(1427年)に再建された拝殿(重要文化財)です。最後の写真7は、「河野通有の楠」です。伊予国の有力御家人であった河野通有が、弘安の役への出陣に際して、参拝した時に兜を掛けたと伝える楠です。(2019.06.12)大山祇神社―歴史雑感〔45〕―

  • 厳島神社―歴史雑感〔44〕―

    2019年5月27日(月)午後、世界文化遺産に登録されている広島県廿日市市宮島町1-1の厳島神社に参拝をしました。そこで、ここでの写真をお見せします。写真1は、表参道商店街を過ぎたところの石鳥居です。ここから海岸に沿った参道となります。写真2は、参道が左に曲がる所から撮った高さ16mの大鳥居(重要文化財)です。写真に見るように、『延喜式』神名帳の記載により裏側には「伊都伎島神社」の額が掲げられています。なお、表側の額は「嚴嶋神社」です。写真3は、参拝入口からの西回廊から見た平舞台(国宝)で、中央が右楽坊(国宝)です。写真4は、鏡の池です。満潮時には海水が入り池となります。奥に見えるのは左が千畳閣、右が五重塔です。写真5は、右に西回廊(国宝)を撮ったもので、左に出ている部分は客神社本殿の祓殿で、拝殿と祓殿の間を西...厳島神社―歴史雑感〔44〕―

  • 平林寺&法台寺―歴史雑感〔42〕―

    2019年5月18日〔土〕、武蔵野文化協会主催の「武蔵野の雑木林と時宗板碑を探る」に参加しました。平林寺(埼玉県新座市野火止3-1-1)と法台寺(埼玉県新座市道場1-10-13)を巡るものです。10時、平林寺前に集合して散策開始です。最初の訪問地は臨済宗妙心寺派の別格本山の金鳳山平林禅寺です。本寺は南北朝期の永和元年(1375)に武蔵国騎西郡渋江郷金重村(埼玉県岩槻市)に岩槻領主の太田氏により建立されました。小田原攻めの際、火災で過半が焼失しましたが、徳川家康の関東入部で保護を受け再建されました。元和4年(1618)に大檀那大河内秀綱が本寺で葬送され、大河内氏の霊廟となりました。孫の信綱は川越藩主となり野火止の原野に移転を企てたが果たせず、この思いは子の輝綱により寛文3年(1663)に移転がなされて今日に至って...平林寺&法台寺―歴史雑感〔42〕―

  • 周公廟―中国雑感〔47〕―

    周公廟―中国雑感〔47〕―2019年4月8日(月)午後、周公廟(陕西省宝鶏市岐山県周五路)を参観しました。周公廟は宝鶏市岐山県城西北約7.5kmの鳳凰山南麓に位置しています。周公廟は周人発祥地である周原の一角を占めています。入場時間は9時半~19時(2~10月)・9時半~17時半(11~1月)です。入場料は70元です。岐山県城からは岐山汽車站(岐山客運汽車站北)から岐山202路に乗車して、終点の周公廟站(2停留所)下車です。30分弱です。写真1は、周公廟正面です。写真2は、周公廟山門に対面している2本の老唐柏の右側の樹です。樹齢約1300年の古木です。写真3は、周公正殿の前殿である献殿内での発掘展示の周公東征鼎です。他に新邑戈等が展示されています。献殿の前には周公立像があります。写真4は、中央の周公正殿(主殿)...周公廟―中国雑感〔47〕―

  • 宝鶏先秦陵園博物館―中国雑感〔46〕―

    2019年4月8日(月)午前、宝鶏先秦陵園博物館(陝西省宝鶏市鳳翔兼南指揮鎮)を参観しました。本博物館は、秦公一号墓、すなわち秦始皇帝14代祖の穆公の4世孫景公墓遺址上に建てられたものです。本墓は1977年に発掘調査がなされ、全長300m・幅38.8m・深さ24.5m・面積5334㎡の大墓で、春秋後期(約2千5百余年前)の秦景公(秦公一号墓)と分かりました。本館は2000年に民間博物館(秦公一号大墓遺址博物館)として開館し、2007年9月18日、国有の宝鶏先秦陵園博物館となりました。開館時間は9時~18時(4~10月)・9時~17時半(11~3月)、入館料は30元です。鳳翔県城からは紙坊城際線の鳳翔南関站(鳳翔汽車站から南に約200m弱)乗車で、8停留所目の西村站下車、南に約150mです。所要時間約30分です。...宝鶏先秦陵園博物館―中国雑感〔46〕―

  • 大唐西市博物館―中国雑感〔45〕―

    2019年4月4日(金)午後、大唐西市博物館(陝西省西安市蓮湖区労働南路118号)を参観しました。本博物館は、2010年4月7日、唐長安城のシルクロードとの交易点である西市遺址上に開館しました。開館時間は夏季9時~17時30分(4~10月)・冬季9時~17時(11~3月)で、閉館日は月曜日と旧暦大晦日です。1~3階の展示は午前・午後毎に500人が無料です。4階の特別展示(不時)は30元です。入場券は入口に南面した建物の票務室で旅券提示の上で受け取ります。また、大きな荷物は票務室東側ロッカーに預けます。写真1は、南からの建物正面です。地下鉄2号線永寧門站(南面南側)からはA2出口から南門に向かい環城南路西段へと曲り行ったところのバス停南門外站(ここまで約400m)から800路に乗り、6停留所目の草陽村站で下車し、...大唐西市博物館―中国雑感〔45〕―

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