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中国
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常陸太田市

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ブログタイトル
歴史と中国
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512
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中国(特に成都市)記事および日本史関係記事を載せます。
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27回 / 365日(平均0.5回/週)

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km45さんの新着記事

1件〜30件

  • 鎌倉幕府第2代将軍源頼家は何時元服したのか―歴史雑感〔65〕―

    源頼家の元服を明示する史料は存在していません。では頼家は何時元服したのでしょうか。建久8年(1197)12月15日、源頼家は従5位上に叙爵し右近衛権少将に任官しました(『公卿補任』第二篇正治2年条源頼家尻付)。なお、これは京官除目です(『猪熊関白記』同日条)。ということはこれ以前に元服していたことになります。周知のように源頼家は初代将軍源頼朝の長男として正室北条政子が寿永元年(1182)8月3日に出産し、万寿と名付けられました。順調に成長して、建久4年(1194)5月16日、富士巻狩りで、「将軍家家督若君(万寿)始めて鹿を射せしめ給う」(『吾妻鏡』同日条)と、初めて鹿を射止めます。頼朝は直ちに狩を止めて、夜に入り山の神に感謝する矢口祭を催します。矢口祭は、集団に於いて生まれて初めて野獣を仕留めた男子がこの集団か...鎌倉幕府第2代将軍源頼家は何時元服したのか―歴史雑感〔65〕―

  • 衣川北岸の安倍氏・奥州藤原氏関係地―歴史雑感〔64〕―

    2021年4月16日(金)午前、昨年6月には雨のため行けなかった、衣川北岸流域に分布する安倍氏・奥州藤原氏に関係する地を巡りました。接待館遺址・並木屋敷跡(衣川柵)・小松館跡・安倍一族鎮魂碑の順で回りました。国道300号を北上して衣川を渡り、少し行ったところで道を左(西)に取り道なりに行くと、最初の訪問地の接待館遺址(奥州市衣川区六日市場・七日市場・関谷起)です。平泉駅からだと早足の私だと約40分強でしょう。本遺址は2004・5年に衣川左岸築堤工事に伴う発掘調査が行われました。これにより柳之御所に匹敵する、堀と二重の土塁で囲まれた、東西120m・南北65mの12世紀後半の施設が確認されました。本遺址部分は埋め戻されて保存されています。本館は藤原秀衡の母の居館と伝えられ、ここで旅人接待したので、接待館との名が伝え...衣川北岸の安倍氏・奥州藤原氏関係地―歴史雑感〔64〕―

  • 平泉の桜並木

    平泉の国道300号線の毛越寺口十字路の少し北から中尊寺入口先まで約1.5kmにかけて桜並木があります。2021年4月15日(木)午後、旅館に入る前に桜を愛でてきました。満開を少し過ぎて散り始めましたが、この写真をお見せします。(2021.04.21)平泉の桜並木

  • 桜の盛岡城跡公園

    日本百名城である盛岡城の内曲輪(御城内)は盛岡城跡公園(盛岡市内丸1番37号)となっており、桜の名所でもあります。そこで、2021年4月15日(木)昼、観桜に出かけました。盛岡城は、南部利直により慶長年間(17世紀初頭)には総石垣の城としてほぼ完成し、3代藩主重直の寛永10年(1633)に完成しました。西を古北上川に接し、東に中津川の合流点に位置する花崗岩丘陵に築かれた連郭式平山城です。本丸の北側に二ノ丸・三ノ丸が配され、本丸と二ノ丸の間は空堀で仕切られ、現在は朱塗り橋(渡雲橋)が架かっていますが、当時は本丸御殿と大書院を結ぶ廊下橋が架けられていました。本丸を囲むように南から東へと腰曲輪・淡路丸・榊山曲輪が配されました。明治維新によりほとんどの建物が解体されて現在に至っていますが、石垣はよく保存されて威容を誇っ...桜の盛岡城跡公園

  • 山木夜討ち(その四)―歴史雑感〔37〕―

    (その一)一、『吾妻鏡』の語る山木夜討ち(その二)二、『延慶本平家物語』の語る山木夜討ち(その三)三、山木夜討ち(その四)四、国衙占領四、国衙占領九条兼実は頼朝反乱報を知った時、「去るころ新司の使を淩礫す〈時忠卿知行国なり〉、おおよそ伊豆・駿河両国を押領しおわんぬ」(『玉葉』治承4年9月3日条)と記しています。また、東国反乱を新田義重が報告してきたことを、中山忠親が、「義朝子伊豆国をす、武田太郎甲斐国を領す」(『山槐記』同年9月7日条)、と記しています。駿河国はともかく、ここで「押領」「伊豆国を領す」とは、たんに夜討ちの成功だけではなく、国の支配権、すなわち国衙行政権を曲がりなりにも頼朝が掌握したことを示しています。以上、山木夜討ちの成功で伊豆国目代山木兼隆を討取ったが、これだけで国衙行政権の掌握、すなわち反乱...山木夜討ち(その四)―歴史雑感〔37〕―

  • 2021年鶴見川の紅桜

    新横浜付近での鶴見川と鳥山川との合流点上流の鳥山川土手には桜並木があります。新横浜元石川線のワールドカップ大橋左右には合流点近くのソメイヨシノとは別に少し早咲きの紅桜があります。この紅桜の写真をお見せします(2021年3月20日・土午後撮影)。(2021.03.22)2021年鶴見川の紅桜

  • 大仏切通し―歴史雑感〔63〕―

    2021年2月21日(日)午後、北条氏常磐亭跡に続き、大仏切通しを訪れました。本桐通しの建設年時は明確な史料が残されておず不明ですが、鎌倉中期と考えられています。本桐通しは、鎌倉の大仏谷から梶原を経て、鎌倉上つ道へと通じています。北条氏常磐亭跡から西へと少し歩き、仲ノ坂交差点で左折して上っていくと、世界救世教いづのめ教団鎌倉教会のある小道へと右に入り進むと、左が高徳院(大仏)、右が火の見下の道標識のある大仏切通しに出ます。写真1は、ここらから少しのところで火の見下へと切通し道を撮ったものです。尾根伝いの道となっています。写真2は、さらに進んで、左へと急な下りとなるところを捉えて撮ったものです。写真3は、尾根を堀切って切通しとしたところです。写真4は、次の切通しです。先は急な下りとなっており、ここで上ってくる兵を...大仏切通し―歴史雑感〔63〕―

  • 北条氏常磐亭跡―歴史雑感〔62〕―

    2021年2月21日(日)午後、鎌倉市常磐の北条氏常磐亭跡を訪れました。1977年の発掘調査で、建物跡等が確認されて、1978年12月に国指定史跡になりました。本地は、「相州常磐御亭において和歌会あり」(『吾妻鏡』3年2月8日条)、とあるように、相州、すなわち当時の連署北条政村の別邸と考えることができます。鎌倉駅西口から京急バス鎌倉中央公園行・江ノ電バス桔梗山行きで一向同下車、前方へと道路北側です。写真1は、道路側から北に北条氏常磐亭跡を見たものです。さらにこの奥へと跡地は続きます。写真2は、東側の「タチンダイ」への道上からの跡地です。写真3は、「タチンダイ」への案内表示です。写真4は、本地の最奥「タチンダイ」入口から奥を見たところです。「タイチダイ」とは館台(たちのだい)の訛りでしょう。このように、北条氏常磐...北条氏常磐亭跡―歴史雑感〔62〕―

  • 河津桜2021

    2021年2月20日(土)午前、河津町の河津川土手の川津桜を観賞しました。そこで、この写真をお見せします。最初の写真1は、上りの踊り子4号が河津川鉄橋を通過するところです。写真2~4は、河津川右岸の川津桜です。写真5は、上りの伊豆急リゾート21です。写真6・7は、アップした河津桜です。最後の写真8は、河津川河口への河津桜です。なお、フォトアルバム「河津町・河津桜2021」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng7wKSbukAYzbUcIBVQ?e=qpO1E0です。(2021.02.27)河津桜2021

  • 伊豆下田

    2021年2月19日(金)午後、下田市のホテルにチェックインする前に、ホテル近くの観光地を巡りました。最初は玉泉寺です。幕末に米領事館となったところです。写真1は、山門です。写真2は、間口7間半・奥行き7間の本堂です。嘉永6年(1848)創建で、安政3年(1856)8月から安政6年(1859)5月まで、最初の米国総領事館としてタウンセンド・ハリスが駐在しました。写真3は、英文のハリス記念碑です。1927年(昭和2)に本年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公子爵渋沢栄一等が建立しました。次いで弁天島へと移動しました。写真4は、弁天島斜交層理です。斜めに交差する縞模様の地層は斜交層理と呼ばれ、地層が右下へと斜交していることから、海流の向きが左から右へとなっていたことが分かります。写真5は、弁天島に隣接した公園内...伊豆下田

  • ソフィール踊り子1号

    2021年2月19日、ソフィール踊り子1号に乗車してきました。横浜発11時24分発・伊豆急下田13時29分着でした。この乗車中の写真をお見せします。写真1は、プレミアグリンの1B座席です。伊東を過ぎて撮ったもので、緊急事態宣言下ですが、ほぼ満席でした。写真2は、川奈駅での運転台を通した前方風景です。入線してきたのは上りの踊り子8号です。写真3は、伊豆高原駅を出て少し行ったところから撮った大島です。写真4は、海岸線に沿って走る片瀬白田・伊豆稲取間での運転台越しの前景です。写真5は、同区間での大島です。写真6は、続いて左から利島、鵜渡根島、新島、神津島です。写真7は、河津駅を出て運転台越しに前方に川津桜を捉えたものです。写真8は、河津川の河口寄りの川津桜です。最後の写真9は、伊豆急下田駅でのソフィール踊り子1号の先...ソフィール踊り子1号

  • 2020年度記事目次

    庚子年を終わるに当たって、2020年度(1~12月)記事目次を掲載します。では、辛丑年がよいお年で。01.01茅ヶ崎杉山神社初詣01.06創作された『平家物語』一谷合戦の熊谷直実先陣争い―歴史雑感〔52〕―01.132020年西安交通大学日本語学科東北会新年会02.24武蔵国国府遺跡等―歴史雑感〔53〕―02.28湯河原梅林05.10源頼朝の偏諱を賜った武士(その一)―歴史雑感〔54〕―06.30蜂神社―歴史雑感〔55〕―07.02観自在王院―歴史雑感〔56〕―07.06毛越寺―歴史雑感〔57〕―07.07高館―歴史雑感〔58〕―07.16中尊寺―歴史雑感〔59〕―07.18柳之御所跡―歴史雑感〔60〕―07.19無量光院跡―歴史雑感〔61〕―10.09栗駒山と出羽三山(1)―栗駒山須川湖10.11栗駒山と出羽...2020年度記事目次

  • 2019年度記事目次

    己亥年を終わるに当たって、2018年度(1~12月)記事目次を掲載します。なお、前回までは「『歴史と中国』http://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(上)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』http://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(下)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』2010年度記事目次」(2011年10月22日付)、「2011年度記事目次」(2011年12月31日付)、「2012年度記事目次」(2012年12月31日付)、「2013年度記事目次」(2013年12月31日付)、「2014年度記事目次」(2014年12月31日付)、「2015年度記事目次」(2015年12月31日付)、「2016年度記事目次」(2016年12...2019年度記事目次

  • 2021年の中国の祝日―中国雑感〔53〕―

    明年の祝日(休日)に関して、2020年11月25日(水)、国務院の通知「国務院弁公庁関于2020年部分節假日安排的通知」が国務院公式サイトにアップされ公表されました。この公示は例年12月でしたが、昨年から11月下旬と早まりました。国務院の通知原文は次のページです。http://www.gov.cn/zhengce/content/2020-11/25/content_5564127.htmです。また、カレンダー表示(「2个黄金周,5个小长假,2021年放假安排来了!」)は、http://www.gov.cn/xinwen/2020-11/25/content_5564513.htmです。これによる明年(2021年)の休日は次の通りで、これに基づいて、中国の公的機関は休日を実行します。民間もこれを基準に休日を組み...2021年の中国の祝日―中国雑感〔53〕―

  • 箱根強羅公園

    2020年11月26日(金)午前、強羅温泉からの帰り、箱根強羅公園を訪れました。開園時間は9~17時、入園料は550円です。写真1は、熱帯植物館の温室内のブーゲンビレアです。写真2は、サンデリアナです。写真3は、一番上(奥)の西門からの全景で、手前に音楽堂、その奥にヒマラヤ杉そびえています。紅葉はすでに落葉期に入っていますが、写真4は、わずかに紅葉を残している木です。写真5は、この木の拡大したものです。写真6は、噴水池です。写真7は、拡大した噴水です。最後の写真8は、箱根登山鉄道の最新車両3100型です。彫刻の森・小涌谷駅間です。(2020.11.29)箱根強羅公園

  • 栗駒山と出羽三山(5)―湯殿山神社

    2020年10月7日(水)午後、最後の湯殿山神社参拝です。本神社はその名の通り温泉源泉の湧き出る岩を御神体としています。参拝に先立ちお祓いを受けた後、裸足でご神体に至り参拝をします。写真1は、1993年10月竣工の湯殿山神社大鳥居です。最後の写真2は、参道入口に立つ「湯殿山本宮」石碑です。これ以降は神域として撮影禁止となっています。以上で、2日間の渡る観光は終わりで、白石蔵王駅から帰途です。(2020.10.15)栗駒山と出羽三山(5)―湯殿山神社

  • 栗駒山と出羽三山(4)―月山弥陀ヶ原

    2020年10月7日(水)午後、弁当昼食を兼ねて、月山弥陀ヶ原ハイキングです。90分の自由散歩です。写真1は、弥陀ヶ原ハイキングを始めて、間もなくなところで、振り返って撮ったものです。写真2は、さらに進み、眼下に鶴岡市と奥に日本海が見渡せるところで撮ったものです。写真3は、紅葉を主体に撮ったものです。写真4は、手前に小池を入れて撮ったものです。弥陀ヶ原は基本的に湿原で、所々に小池があります。写真5は、再度眼下に鶴岡市見下ろして撮ったものです。写真6は、月山御田原参籠所の月山中之宮です。写真7は、下りながら池群を撮ったものです。最後の写真8は、月山八合目駐車場に立てられた「磐梯朝日国立公園月山八合目」石碑からです。次いで、最後の観光地である湯殿山神社に向かいます。(2020.10.14)栗駒山と出羽三山(4)―月山弥陀ヶ原

  • 栗駒山と出羽三山(3)―羽黒神社

    2020年10月7日(水)、本日は出羽三山観光です。最初は羽黒山神社です。時間の関係で、山頂の本殿までは行かず、下の羽黒山五重塔までです。写真1は、出羽三山神社(羽黒山・月山・湯殿山)入口です。ここから羽黒山頂上へ至ります。写真2は、随神門です。本来は仁王門で、明治維新の神仏分離で改名されました。元禄8年(1695)に由利郡(秋田県)矢島藩主生駒氏が寄進したものです。写真3は、随神門から参道に続く羽黒山杉並木です。写真4は須賀の滝を背後に祓川神社です。写真5は、国宝の羽黒山五重塔です。応安5年(1372)、庄内の領主で、羽黒山別当の武藤政氏の再建と伝えられています。塔は総高約29.2m、塔身高(相輪を除く)は22.2mです。写真6は、右正面からの五重塔です。最後の写真7は、左背面からの五重塔です。次は月山弥陀ヶ...栗駒山と出羽三山(3)―羽黒神社

  • 栗駒山と出羽三山(2)―栗駒山須川高原

    2020年10月6日(水)午後、須川高原の紅葉を愛でるハイキングです。2時間の自由散策です。写真1は、栗駒山登山道入口から少し入ったところの須川高原温泉源泉です。写真2は、ゼッタ沢コースから北へと撮ったものです。写真3は、名残ヶ原に入ったところで俯瞰したものです。写真4は、名残ヶ原中央から右側を撮ったものです。ほぼ紅葉していますが、満開には早く8分程度です。写真5は、奥に栗駒山山頂へです。写真6は、山頂への道と分かれて、賽の磧への道からです。写真7は、賽の磧手前の湿原での右側の岩山です。写真8は、湿原途上で振り返って撮ったものです。写真9は、賽の磧です。最後の写真10は、周回した後、大日岩を振り返って撮ったものです。ハイキング後、須川高原温泉で温泉に浸りハイキングの汗を流しました。これで本日の観光は終わり、鳴子...栗駒山と出羽三山(2)―栗駒山須川高原

  • 栗駒山と熊野三山(1)―栗駒山須川湖

    クラブツーリズム主催の「〈ハイテク初級〉鳴子温泉宿泊出羽三山めぐりと紅葉の栗駒山ハイキング2日間」で、2020年10月6・7日、GoToトラベルの旅に行ってきました。まず、東京駅から白石蔵王駅まで東北新幹線で移動した後、バスで栗駒山須川高原に到着しました。昼食休憩を兼ねて、須川湖(朱沼)湖畔の散策から観光開始です。この須川湖の写真を3枚お見せします。次いで、午後は須川高原ハイキングです。(続く)(2020.10.09)栗駒山と熊野三山(1)―栗駒山須川湖

  • 無量光院跡―歴史雑感〔61〕―

    2020年6月26日(金)午前、平泉探訪の最後として無量光院跡(岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内)を訪れました。『吾妻鏡』の記するところによれば、本院は宇治平等院を模して奥州藤原氏3代秀衡が建立し、新御堂と号しました。発掘調査により四囲は東西約240m、南北約270m、面積約6.5haと推定されています。境内は周囲を囲む土塁と3つの島を持つ園池から構成され、最も大きな中島に東向きに阿弥陀堂が建っていました。現在復元整備中で、全面的な立入りはできません。す。写真1は、道路側(東)から入ったところから園池を撮ったものです。中央が中島です。写真2は、南側へと撮ったものです。写真3は、南側から園池を撮ったものです。最後の写真4は、園池の中島を拡大したものです。以上で、平泉探訪は終わりです。奥州平泉氏が建立した寺院・居...無量光院跡―歴史雑感〔61〕―

  • 柳之御所跡―歴史雑感〔60〕―

    2020年6月26日(金)午前、高館から南に国道4号線平泉バイパスを左(東)に見て歩くと、柳之御所跡(岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所)に至ります。本御所は奥州藤原氏の政庁・居館とされる、『吾妻鏡』のいう「平泉館」と推定されています。周囲を空堀で囲まれた本御所(約5㏊)は、ほぼ北西・東南を主軸とする長径(南北)約350m強・短径(東西)約200m余の変形楕円形をした、大規模なものです。さらに、堀の北側に高館までの外郭部があり、以上の総面積は11.2㏊もあります。写真1は、柳之御所跡北入口(柳之御所史跡公園)から東に平泉バイパス方向へと遺跡を撮ったものです。これから遺跡を南へと行きます。写真2は、汚物廃棄穴群跡です。この周辺に40基ほどの跡が見つかっています。ここは御所跡の最北に位置しており、中心建物付近の汚物廃棄...柳之御所跡―歴史雑感〔60〕―

  • 中尊寺―歴史雑感〔58〕―

    2020年6月26日(金)午前、伝源義経妻子墓に次いで、天台宗東北総本山の関山中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202)を参拝しました。慈覚大師円仁の創建と伝える本寺は奥州藤原氏初代清衡が平泉の関山に多宝寺・二階太堂・金色堂等を造営し、現在に至ります。ただ、現存するのは国宝金色堂のみです。写真1は、中尊寺入口です。月見坂の参道を上ります。写真2は、八幡堂です。源頼義が安倍氏追討をここ月見坂で祈願したといわれています。写真3は、辨慶堂です。写真4は、本堂です。写真5は、金色堂です。コンクリート製の覆堂で覆われています。写真6は、重要文化財の白山神社能楽殿です。白山宮(神社)は清衡が本寺の北の鎮守として造営したものです。能楽殿は嘉永6年(1853)に伊達藩主慶邦が再建寄進したものです。写真7は、同じく白山神社能楽...中尊寺―歴史雑感〔58〕―

  • 毛越寺―歴史雑感〔57〕―

    2020年6月25日(木)午後、観自在王院に続いて、西に隣接した医王山毛越寺金剛王院(岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58)を参拝しました。本寺は慈覚大師円仁創建と伝えています。奥州藤原氏2代基衡が久安6年(1150)末から保元元年(1156)までの約6年間に金堂円隆寺以下の建築物・庭園を建立したと推定されて、さらに3代秀衡が造営を継続しました。この様は、「基衡これを建立す。まず金堂円隆寺と号す。金銀を鏤し、紫檀赤木等を継ぎ、万宝を尽し、衆色を交える。本仏薬師丈六を安ず」(『吾妻鏡』文治5年9月17日条)等と記されています。しかし、奥州藤原氏滅亡(1189年)の37年後、嘉禄2年(1226)11月、金堂円隆寺以下が焼失しました。発掘調査により、金堂円隆寺以下の礎石が確認され、大泉ヶ池を中心とする庭園も修復整備され...毛越寺―歴史雑感〔57〕―

  • 観自在王院遺址―歴史雑感〔56〕―

    2020年6月25日(木)午後、平泉の観自在王院遺址(岩手県西磐井郡平泉町平泉志羅山)を訪れました。本寺院は奥州藤原氏第2代基衡の妻が建立したとされるものです。西に隣接して毛越寺があります。荒廃して水田となっていましたが、1954年(昭和29)から始まった発掘調査により、2棟の阿弥陀堂等の建物、浄土庭園の遺構が確認されました。本寺院は東西120m・南北240mの土塁で囲まれています。浄土庭園の池は舞鶴ヶ池と呼ばれ、修復整備されて、12世紀の庭園の様を見せてくれます。写真1は、南門跡を正面に北に本寺院跡を撮ったものです。写真2は、南門跡を入れて、西奥に毛越寺を捉えたものです。写真3は、北へと進み、舞鶴ヶ池を正面に捉えたものです。写真4は、舞鶴ヶ池です。手前の礎石は3間四方の伝普賢堂跡で、奥に橋が架かっているところ...観自在王院遺址―歴史雑感〔56〕―

  • 蜂神社―歴史雑感〔55〕―

    2020年6月25日(木)昼、蜂神社(岩手県紫波郡紫波町陣ヶ岡69)を参拝しました。本神社は標高136mの小丘陣ヶ岡に位置します。今日、二品陣岡蜂社に陣せしめ給う。しこうして北陸道追討使能員、実政等、出羽国狼唳を靡かせ、参加の間、軍士廿八万騎〈但し諸人郎従等を加う〉なり。(『吾妻鏡』文治5年9月4日条)とあるように、当地は文治5年(1189)の奥州合戦で、鎌倉幕府軍が中軍(東山道・源頼朝直卒)・東海道軍・北陸道軍の三軍が会同したところです。もちろん「廿八万騎」は虚構ですが、当時としては最大級の数万騎の軍勢が集結したことになります。この前日、奥州藤原氏当主の泰衡の首が届けられており。奥州藤原氏の滅亡が確定していたのです。すなわち、陣ヶ岡の蜂神社は歴史的な地です。最寄り駅はJR東日本・東北本線古館駅です。駅の南西に...蜂神社―歴史雑感〔55〕―

  • 源頼朝の偏諱を賜った武士(その一)―歴史雑感〔53〕―

    (その一)一、結城朝光(その二)二、北条泰時(その三)三、平賀朝雅鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の偏諱を受けた武士として、結城朝光(宗朝)、北条泰時(頼時)、平賀朝雅がいます。この3人は何故に偏諱を賜ったのでしょうか。この点を考えてみましょう。一、結城朝光治承4年(1180)8月に伊豆国で反乱に蜂起した源頼朝は石橋山合戦で一敗地の憂き目を被りますが、房総半島に脱出して、上総広常・千葉常胤等の参軍を得て再起して、武蔵国に進出します。この翌日、『吾妻鏡』同年9月2日条に、武衛御乳母故八田武者宗綱息女〈小山下野大掾政光の妻、寒河尼と号す〉、鍾愛末子を相い具し、隅田宿に参向す。さっそく御前に召し、往事を談じせしめ給う。かの子息をもって、昵近奉公致させしむべきの由望み申す。よりてこれを召しい出す。自ら首服を加え給う。御烏帽子を...源頼朝の偏諱を賜った武士(その一)―歴史雑感〔53〕―

  • 湯河原梅林

    2020年2月25日(火)午後、神奈川県湯河原町の幕山公園内の湯河原梅林に行ってきました。本年は暖かく例年より1週間あまり早い開花で、はや満開過ぎでした。「梅の宴」(2月1日~3月8日・9~18時)開催中で、入園料は200円です。JR湯河原駅からは箱根登山バス幕山公園行です。そこで、梅の写真をお見せします。(2020.02.28)湯河原梅林

  • 武蔵国国府遺跡等―歴史雑感〔52〕―

    2020年2月22日(土)午後、武蔵野文化協会主催の「発見・復元された武蔵国国司館跡を訪ねて」に参加して巡りました。13時30分にJR南部線西府駅前に集合しました。最初の訪問地は駅西北8分に位置する武蔵府中熊野神社古墳(府中市西府町2丁目9番地・熊野神社境内)です。本古墳は飛鳥時代(7世紀中頃)築造の上円下方墳で、一段目が一辺約32mの方形、二段目が一辺約23mの方形、三段目が直径約16mの円形、墳丘高が約6m、全体が多摩川石で葺かれていました。写真1は、西から見た古墳全景で、古墳の南に接して府中熊野神社本殿があります。写真2は、西北角から古墳全景です。ご覧のように、古墳は復元整備されています。但し、二段目の一辺と三段目の直径は古墳保護のため出土面より約1m大きくなっています。写真3は、南の神社本殿横からの古墳...武蔵国国府遺跡等―歴史雑感〔52〕―

  • 2020年西安交通大学日本語学科東北会

    春節(1月25日)を迎えるに当たって、2020年1月11日(土)、西安交通大学日本語学科東北会の2020年新年会を大連で開き、私も参席しました。この東北会新年会は、大連新年会が拡大したもので、大連新年会からは通算20年を経過しており、2期生以下の16名が集い大いに盛り上がりました。ウィスキーオンザロックに始まり、各種の酒を大いに飲み楽しみました。(2020.01.13)2020年西安交通大学日本語学科東北会

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