ニートの暮らしを始めてからというもの、早くも2ヶ月が経過しようとしているが、これは速いのだろうが遅いのだろうか、あまりそこに対して感じることはないように思える。ニートになってからというもの、朝おきて、ゴミ出しを行い、そしてまず掃除に勤しむ。学校に行っていた
※長文ゆえに考えたくないものは回れ右したほうが吉。今回個人主義ということで考えてみることにしたのだが、俗に言われるところの個人主義とはいわゆる自らは自らであるといったような人間のことなのだろうか。私は私であるから、他人とは違うといった自己認識の仕方なので
前回から続くが、結局のところ学校で覚える勉学と、自ずから知りたいという欲求の下で学ぶことは全く質が違うのである。学校での勉強とはすなわち生活に関する社会的営みを行う以上、あったほうがいい能力を育てるということなのだろう。いわゆる損得の感覚であり、生きてい
私は大学を中退したことを最初に述べたようにすでに学徒ではなくなってしまった。どうやら大学中退とは社会的に見て相当危険な立ち位置にいるようなのだが、そんな片足を泥沼につっこみかけている私が学業について色々と考えてみることした。当時を思い返してみれば、私は学
私はここのところ敬愛なる平沢進氏の音楽をひたすらに聞いている。どの程度かというと買い物だろうがトイレだろうが、今この文章を書いている時だろうがお構いなしである。この人の曲を聴き始めてからというもの、他の音楽家の音楽には興味がなくなってしまった。だが、俗に
タイトルが示す通り、三日坊主ということを書き綴ろうと思ったのだが、そもそも私はこのブログを立ち上げてから最初の一日目に書いた日記移行何も書いていない。三日すら続かないこの身の継続力の無さを存分に噛み締めているところである。しかし、三日坊主から話が大きくな
事の始まりは今から3年前である。当時の私は大学一年生であり右も左も分からぬ未熟者であった。特に行く理由もない私が大学に通うことを良しとしたのは、ひとえに世の中の風潮と当時の担任、そして私が敬愛する父の言葉によってだった。要するに何も考えてなどいなかった事を
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