保元・平治の乱 その1
先述のとおり、院政は摂関家から皇室へ政治の実権を取り戻すきっかけにはなったものの、天皇の父(もしくは祖父)として「治天の君」と称されるまでになった上皇(=法皇)の権力は頂点に達し、その独裁的な政治手法が、結果として周囲の混乱をもたらすことになりました。白河法皇は、孫の鳥羽天皇と藤原璋子(ふじわらのしょうし)との間にお生まれになった顕仁(あきひと)親王を大変可愛がられ、親王が5歳になられた保安(ほう...
2023/12/31 12:00
2023年12月 (1件〜100件)
「ブログリーダー」を活用して、黒田裕樹さんをフォローしませんか?