昨年8月22日に亡くなった義母の一周忌法要が土曜日でした。時々愛妻が今回の段取りをすべてこなしたのですが、きっと何か思うことがあったのでしょう。嫁さん家の菩提寺時宗金円山常福寺正平22年(1367)南部信光が甲斐の国に創建したのが始りで、その後、南部氏と共に八戸に移り、応永18年(1411)に海浮山仏浜寺と名を改め、寛永4年(1627)に根城南部氏の領地替えにより遠野に移り、現在に至るとなります。江戸時代の豪商両川覚兵衛が下組町西はずれ愛宕神社に寄進した御地蔵様明治の神仏分離令により常福寺へなかなか立派なお地蔵様です。今回、改めて、上記の御地蔵様隣にある石の御地蔵様建屋の鰐口を見ると、祀官澤井但馬藤原秀麿代安政5年3月吉日裏には、寄進した人たちの名前があり、大勢の商人の屋号が載っていました。どちらを見ても、心当...義母一周忌
昨日の通り雨?は凄かった。午前中は良い天気だったのが、お昼を食べている頃には、みるみる暗くなり、あっという間に豪雨。隣の家の水路が溢れ、あわやその家に・・・。我が家常備の水中ポンプを使い、消防署から土嚢をもってきて頂き、短時間の豪雨と云うことで、大事には至りませんでした。まだ完全な住宅街でもない地域で、これなので、町中で、かつ、道路とほぼ高低差のない町中家屋の出入り口では、さもありなんでしょう。バリアフリーと水処理は難しい問題ですね!さて、祭列の一行が川へ着きました。昨年は橋から眺めたので、今年は川へ笑到着後、すぐ神楽(シンガク)となり、神職から一般へと順に、川の水を浸した草で、ご神体の入った社を清めます。本来なら、御神輿ですが。「大出村新山宮建立附寺院坊号之権輿幷横田妙泉寺之藍若草創」佐々木家文書には、神輿の...2021大出早池峯神社例祭其の弐
宵宮とくれば、当然、例祭にも行かなければ・・・わかっていても、宵宮・夜神楽疲れで、ぎりぎりまで起きられませんでした。汗10時過ぎぐらいからの神事前に、芸能団体が奉納を済ませるので、それには間に合うように、どうにかこうにか到着。上柳獅子踊さんは、既に大出橋での踊りを終え、ちょうど山門前。その後、割拝殿を通り、本殿前にて奉納しばらくすると、張山しし踊りさん昨年の例祭にはシシの姿は無く、しし踊りの笛、太鼓の音も久しぶりです。10時半、神事の始まりギリギリでやってきた張山しし踊り、運よく大勢のギャラリーの前で奉納。大勢とは云っても、平常時の例祭の比ではありませんが。今年の神事が長く感じたのは、東禅寺しし踊りさんの姿が無かったせいかもしれません。シシも蝉と戯れる遠野時間です!11時半、神輿渡御ではなく、今年も神様を木箱に...2021大出早池峯神社例祭其の壱
昨年同様に病疫退散が主目的の夜神楽も最後です。他地域で行われる神楽では、お客さんから沢山のお花が上がります。ところが遠野では本当に少ない・・・その上、新コロでPRも出来ないとあっては・・・。大出早池峰神楽さんの心意気だけで開催されたようなものです。七番岩戸開き舞本来なら式六番の舞です。子供たちが参加していることもあり、また、人の手順の絡みもあるのでしょうが、私としては、多ければうれしい限り。笑始まる前から、幼子がぐずる気配を感じていたところ、この辺りから、本格的に。これもまた一興です。笑例年だと割拝殿で神楽が演じられ、傍では地元の方々が店を出し、神楽の音と飲食しながらの話し声が交錯する中での宵宮となり、式五番の山の神が終われば、静かな境内となります。それでも、どうにかこうにかここまで進み、そろそろ終わりかと思っ...2021大出早池峰神楽夜神楽其の参
往古より大出村の内、祢宜子供は申すに及ばず、其の続きの者どもをもって元禄年中まで毎年(旧)6月17日、18日の御神楽を相勤めてきたと申し伝えられてきました。元禄年中に神楽を勤めてきた人数は左のとおりとあり、9名の名前が掲載右のとおりであったところ、元禄年中一度ならず飢饉の節、右人数は死絶。残った者は老人ばかりになり、御神楽を届けかねるようになったので、附馬牛村宿の宝明院から大樹院までの三代はこの者に頼み、横田(遠野の町)の修験が引き廻していました。一昨年から大樹院が辞退したので去年は手前(遠野妙泉寺住職)が竜法院に頼みました。これは早池峰山妙泉寺文書にある一文です。四番ここで子供二人の三番叟二人三番、道化三番の類ですおどけた面を付けた子の経験浅そうなしぐさが、いい味となり、小4?の黒面の舞いを引き立たせていまし...2021大出早池峰神楽夜神楽其の弐
やっと本来成すべき仕事に集中できそうな環境が整ってきたと云うことで、昨晩17日は恒例の大出早池峯神社宵宮へ!観光協会さんのHPでも日程しか載っていなかったので、関係者に聴取の上、昨年と同じような流れだろうと勝手に決め、午後5時過ぎには現地着。想像どおりに割拝殿での神楽は無く、6時、地元総代方参加の茅の輪くぐりから始まり。その後、本殿に移動して神事招待された方は中、それ以外の数名は外で見守り隊です。新コロのせいで、今年も寂しい宵宮となりました。神事終了後、境内西側の交流館に移動し、これまた昨年同様に、大出早池峰神楽さんの夜神楽。様々な情報網を屈指して、ここで神楽が演じられるのを知ったところですが、敷かれたブルーシートを見た時には、大勢の人が来るのだろうか?と、ビックリ!7時過ぎ、神楽の始まりです。昨年はご覧のよう...2021大出早池峯神社宵宮・大出早池峰神楽夜神楽
梅雨のせいなのか、年齢のせいなのか、両方か・・・気力が上がってきません。笑帯状疱疹が、もう少しで完治しそうなのが救いです。そんな先日、仕事で附馬牛へ行き、話の流れでこちらへ附馬牛町東禅寺字宿の新山神社看板の下部に英語で「にいやま」とあります。正面に拝殿、両脇に神社が二つあります。定本附馬牛村誌には、この神社の要約が次のようにあります。藩政時代は坂の下御祖神社と大袋菅原神社とここを三社として旧7月20日の例祭に、家臣の主だった二名以上を代参させた。(御祖も菅原も当時は別の名称?)祭神は瀬織津姫だが元は十一面観音で明治維新後、新山大権現から新山神社と改称。棟札によると天保7年(1836)再建、別当宝明院宥慎、大正9年に神殿・拝殿を修理。昭和に入って神殿を改築。現在の拝殿後ろに改築された神殿(本殿)建物がこれ、拙ブロ...宝明院と法性院
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