『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
カール・ヒルティ、『幸福論①』127頁より: 『つまり、クリンガーが「世を渡る」というのは、最後には勝利をおさめる、あるいは大体から見て勝利を収めるというよ…
ヒルティの『幸福論①』125頁より:『クリンガーが第一節で言おうとするのは、いわゆる「成功」についてであるが、成功に関する正しい判断は以上のことから自然に生…
ヒルティの『幸福論①』124頁より: ⭕️ドイツ詩人の中で、クリンガーは、シュトルム・ウント ・ドラング時代一人に数えられている。実は、彼の戯曲「シュ…
カール・ヒルティ、『幸福論①』123頁より: 『この特に政治的生活を営む者にとって重要な体験談の著者は、これになんらの哲学的基礎づけを与えていない。彼はたん…
フォン・クリンガーの「どうしたら策略なしに常に悪とたたかいながら世を渡ることができるか」
幸福論①120頁⑴ まず第一に彼(すなわち、この行き方を試みようと思う者)は、世のいわゆる「幸福をつくる」ことを、微塵も心にかけてはならない。厳しく、力強く…
カール・ヒルティ著、『幸福論①』117頁より: 『われわれとしては、理想主義なるものは、ひとつの信仰、ひとつの内的確信にほかならぬと考える。すなわち、この信…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『あなたはいわゆる社会政策とか、平和運動とか、これに類する事柄にあまり身を入れすぎないようにしなさい。それらはすべて、たしか…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『いつもできるだけある種のうす暗がりに身をおき、美徳の仮面さえ被ろうとするのが、悪の政策である。享楽欲を、けちでありたくない…
『内村鑑三 所感集』32頁より:『他を傷つけるにあらざれば自身を全うすることあたわざる者は禍なるかな。他の堕落を持って自身の昇進を計る者は禍なるかな。吾人の…
『内村鑑三 所感集』31頁より:『愛は純粋なるを要す、その中にいささかの不純物をも留むべからず。愛は怒らず、人の悪しきをも念(おも)わず、おおよそこと信じお…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間生活において、人をひどく疲れさせ、多くの人たちに人生を解き難い謎と思わせるものは、われわれが常にその渦中に立っている、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『偉大な思想は、ただ大きな苦しみによって深く耕された心の土壌のなかからのみ成長する。そのような苦痛を知らない心には、ある浅薄…
『内村鑑三 所感集』30頁より:『われは寛容の美を讃するのあまりキリスト教以外にもわが同胞救済の途をを求めんとせり。われは仏教にもなお新生命をわが邦人に注入…
『内村鑑三 所感集』31頁より:『「平穏(おだやか)にして依り頼まば力を得べし」(イザヤ書三十章十五節)。平穏にして、すなわち沈黙を守りて、依り頼ばま、すな…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「たとい地は変わり、山は海の真中(まなか)に移るとも、われらは恐れない。一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人はただ誠実であるだけでなく、また愛すべきところがなければならないが、こういう性質はごく実直な人にあっては、往々遅くなっ…
『内村鑑三 所感集』27頁より: 『われらはわれらの徳行をもって身を潔めんと欲する者にあらず、われらはわれらの全身をその汚れたままに神に捧げて、かれの洗浄に…
『内村鑑三 所感集』27頁より: 『神は生まれながらの義人よりも悔い改めたる罪人愛す、神は清廉潔白の心よりも罪を悲しむの心を愛す。義人また神を識るの能力を有…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『キリスト教の合理的な部分、すなわち、理知的な普通人の誰でもがただ知性だけで理解しうる部分は、善き意志を備えたすべての人に親…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれも、巨人クリストフォルス⭐️のように、この地上の最も偉大な主人にだけ仕えようと固く決心しなければならない。しかし現…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『全体としては幾分危険な内容を持つステッド(20世紀初めのイギリスの著名なジャーナリスト)の注目すべきある著書の中に、次のよ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『いくらか不精な若い人たちの多くは、宗教的真理や最上の処世法を短い言葉で、いわば格言風に表現したものを欲しがっている。まず、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『レッシングが要求したような、真理を永遠に疑い、問い求める人は、たしかに、真理への正しい道にあるものとはいえない。最後には…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『内的進歩を示す最もよい徴候は、きわめて善良な、心の気高い人々の中にいると心地よく感じ、凡俗な人々の中では常に不快を覚えるこ…
『内村鑑三 所感集』26頁より: 『人を救うとはかれに衣食を給するの謂(いい)にあらず、かれの慾心を充たしてかれに一時の快楽を供するの謂にあらず。人を救うと…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『あなたは、最後に至るまで試煉にさらされているだろう。これは、ある時は、外部から、あなたに反対する、あるいは敵意を持つ他人他…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「世間には、あまりにも頑固に、あまりにも一途(いちず)に未来ばかり希望をかけている人がいるーー決してやって来もしない未来に…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『レッシングが要求したような、真理を永遠に疑い、問い求める人は、たしかに、真理への正しい道にあるものとはいえない。最後には、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『内的進歩を示す最もよい徴候は、きわめて善良な、心の気高い人々の中にいると心地よく感じ、凡俗な人たちの中では常に不快を覚える…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『この世において、あるいは、一つの国や民族において、時おり悪の分子が善の代表者たちを攻撃し、彼らの進路に大きな障害を横たえる…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『私の生涯において、まるで無有病者と同じ様子であったことがかずかぎりなくあった。危険に対して眼が開かれていたら、決して歩こう…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『異常なものを見たり聞いたりすることについて、あなたはもっと多く知りたいと望むであろうが、私にもそれを評して説明することはで…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『 いつわりの平和とまことの平和 (タウラー説教集第126) 主よ、あなたの子らが 心深くいだく平和は、 …
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『イザヤ書九の一五⭐️は、誰でもみな自分のものとすることができる聖約であって、その人が神に対して誠実でいくらか辛抱づよければ…
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『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
『人間同士交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自身に満ちて指導者…
『内村鑑三 所感集』より: 『余輩を隠遁者と見做す者あり、しからず余輩は隠遁者あらず、罪の世と交わらざるのみ。余輩の頭上に穹蒼(おおぞら)の天幕のごと…
『内村鑑三 所感集』より: 『聖書智識のみは人を救わず、聖書智識に加うるに聖霊の能力(ちから)をもってして人の霊魂は救わるるなり。聖書そのものは死せる…
『内村鑑三 所感集』より: 『マタイ伝はマタイ伝として研究せよ、マルコ伝はマルコ伝として研究せよ、ルカ伝はルカ伝として研究せよ、ヨハネ伝はヨハネ伝と…
『内村鑑三 所感集』より: 『春陽の来福はキリストの復活について思わしむ。キリストは甦り給えり、しかして万世の救い主となり給えり。復活後の彼は言い給え…
『社会主義の最も厭うべき点は、そのためだけでも私がこの主義に賛同しかねるのは、社会主義が嫉妬を人間の行動の主な発条(ばね)としており、また実践活動において…
『出エジプト記二〜四、詩篇一一〇の一〜二。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇一一〇の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つ事…
『内村鑑三 所感集』より: 『救済(すくい)は事実なり、意識にあらず。また信仰にあらず。我らは救われて救われるるなり、識りて救わるるにあらず、信ずると…
『真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。既に落ち着きをえてから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間は我々に有益な…
『内村鑑三 所感集』より: 『戦捷の結果は何? 国債の激増、投機熱の昇騰、軍備の拡張、しかしてこれに伴う美術、文学、哲学、道徳、宗教の衰退これなり。肉…
『内村鑑三 所感集』より: 『英国はキリスト教国にあらず、しかれでもキリスト教は英国にあり。米国はキリスト教国にあらず、しかれどもキリスト信者は米国人…
『内村鑑三 所感集』より: 『「光は暗きに照り暗きはこれを暁(さと)とざりき」と(ヨハネ伝一章五節)。「かれ己の国に来たりしにその民これを接(う)けざ…
『内村鑑三 所感集』 『国興るもキリストを信じ、国衰うるもまたかれを信ず。時可なるもキリストを信じ、時非なるもまた彼を信ず。業栄うるもキリストを信ず。…
『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまう事のないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『内村鑑三 所感集』より: 『我らキリストの僕(しもべ)となりて一人となりて世に立つの決心なかるべからず。世は我らの主を棄てたり。またその僕たる我らを…
『内村鑑三 所感集』より: 『福音は罪人のための福音なり、弱者のための福音なり。故に我に福音を語りえざるの時あるべからず、また世に福音を信じえざるの人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…
忍耐力と知恵を生む最高の「母胎」 『朗らかな性格は人生の喜びをもたらすもとではあるが、同時にそれは自分の性格が傷つくのを防ぐ大切な役目も果たしている。 「…
『オバデア書一二、ミカ書七の七ー11、ナホム書一の7ー12。これらの古代の預言者の言葉は、職業上これらの章を読むことのない一般の人には親しみがうすいかもしれ…