『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『どんな苦難でも、それに少しの罪も混じっていなければ、堪えられるものである。』 清秋記: 神の愛を求める人間には、必ず苦…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『エマソンのキリスト教は、一般にユニテリアン主義(唯一神論)の最もよい代表者においてさえそうであるように、私にはあまりにも血…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『いわゆる「人間的な」事柄で、一番われわれの心が慰められるものは、人々をより深く知れば、たいてい彼らが評判よりも良い人間だと…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「あなた方の柔和を、みんなの人に示しなさい⭐️。」これは、多くの試煉を経て、最後に浄化され気高くされたキリスト教会の大使徒…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『多くの人たち、ことに女性たちは、その天職を見失っている。今日ではそれを見失うこともやむを得ないとされ思われている。なぜなら…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人を説得しようとすれば、あなたはまず彼らに物質的「利益」を示すか(これはよくない手口である)、それとも彼らの心を惹きつける…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『私のこれまでの生活で、自分では気が進まぬながらも、他から強く促されて行ったことは、ほとんど常によい結果をみたが、自分の発意…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『あなたがこのような神の導きを持っているならば、たとえば哲学史的知識を得るという目的以外に、何のためにいろいろな哲学体系を研…
スイスの哲人、カールヒルティ著『神の「神愛」こそ、本当にわれわれに尊敬の念を起こさせ、われわれを信服させる唯一のものである。神の「怒り」はそうではない。いく…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『かなりの期間を経たのち、以前に書いた文章を、ことに以前に努力の目標と見なしたものを、もう一度読み返して見ると、自分の内的進…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人から受けた不正をいつまでも思い続けることはつねに有害であり、その上大抵は無益である。そい言う考えを急いで払いのけて、その…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『常に、われわれの思想を活発に働かせ、生活のさまざまの瑣事(さじ)から逃れさせ、わけても、ほとんどこの世の一番大きな不快とも…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『神への信仰を持たず、ただ自分の不確かな力と人々の当てにならぬ助けを頼りにし、また、世間で人生の楽しみとされていることだけを…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『普通に信じられているよりもはるかに多くの病苦が神経性のものであって、すなわち、神経の全般的な健康状態によって左右される。従…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『見えない世界を「信じる」ことによって歩くか、それとも日常の世界を「見ること」によって歩くかにしたがって(コリント人への第二…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『信仰のあつい人々は、当選勇気ある人でなくてはなるまい。なぜなら、彼らは神から不断の援助の数してぬ約束を与えられているからだ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『常に真実を語るということは、真剣にそうしようと欲する時でさえ、決して生やさしいことではない。嘘はわれわれの生活に深く絡みつ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『喜んで重荷を負う事、これが最大の生活の「術」である。それをなしうる人こそ、真に「真に処世の名人」である。しかし誰でも明日の…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『何事が起ころうと、すべては神の御手から授けられてものと信じ、もはやいろいろと思い煩うことなく、ただ開いた門を通っていくなら…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『最初の使徒時代に示された霊的な諸能力は、現代でもなお、たしかに存在している。それは、一時優勢を続ける唯物的時代思潮のために…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『どんなに実例があるにしても、この欠陥の多い地上で、やはり幸福と喜びとが得られるものだということを、大多数の人たちは夢にも知…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人生の目的と目標は、正統信仰(オートドクシー)に到達することではない。この点では、宗教改革時代も甚だしく誤っていた。そうで…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『内的な進歩が行われるには二つのものが必要である。それは、われわれに話しかける声と、それを聞くことのできる耳とである。 われ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人生の意義は、この人生をば、ますます高い目標を追って進むこの次の存在のための学校だと見做さない限り、どんな哲学や宗教によっ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「あなた方が、いろんな試煉に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい」(ヤコブの手紙1の2)。試煉にあってい…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『両親やその他の保護者が、子供たちや自分に託された者らに向かって、自分の当然の義務である事柄、たとえば扶養や病気の時の看護や…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人生の幸福は、困難に出会うことが少ないとか、全くないとかいうことにあるのではなくて、むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『どんなに些細なものをも浪費してはならないーー時間でも、労働でも、また不必要な、仕甲斐(しがい)のない事柄のための骨折りでも…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『大多数の人間は働くことを絶えず避け、自分の労働の結果の代わりに、資本の蓄積や縁故関係や気楽な社会的地位など、つまり自分のた…
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『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
『人間同士交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自身に満ちて指導者…
『内村鑑三 所感集』より: 『余輩を隠遁者と見做す者あり、しからず余輩は隠遁者あらず、罪の世と交わらざるのみ。余輩の頭上に穹蒼(おおぞら)の天幕のごと…
『内村鑑三 所感集』より: 『聖書智識のみは人を救わず、聖書智識に加うるに聖霊の能力(ちから)をもってして人の霊魂は救わるるなり。聖書そのものは死せる…
『内村鑑三 所感集』より: 『マタイ伝はマタイ伝として研究せよ、マルコ伝はマルコ伝として研究せよ、ルカ伝はルカ伝として研究せよ、ヨハネ伝はヨハネ伝と…
『内村鑑三 所感集』より: 『春陽の来福はキリストの復活について思わしむ。キリストは甦り給えり、しかして万世の救い主となり給えり。復活後の彼は言い給え…
『社会主義の最も厭うべき点は、そのためだけでも私がこの主義に賛同しかねるのは、社会主義が嫉妬を人間の行動の主な発条(ばね)としており、また実践活動において…
『出エジプト記二〜四、詩篇一一〇の一〜二。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇一一〇の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つ事…
『内村鑑三 所感集』より: 『救済(すくい)は事実なり、意識にあらず。また信仰にあらず。我らは救われて救われるるなり、識りて救わるるにあらず、信ずると…
『真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。既に落ち着きをえてから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間は我々に有益な…
『内村鑑三 所感集』より: 『戦捷の結果は何? 国債の激増、投機熱の昇騰、軍備の拡張、しかしてこれに伴う美術、文学、哲学、道徳、宗教の衰退これなり。肉…
『内村鑑三 所感集』より: 『英国はキリスト教国にあらず、しかれでもキリスト教は英国にあり。米国はキリスト教国にあらず、しかれどもキリスト信者は米国人…
『内村鑑三 所感集』より: 『「光は暗きに照り暗きはこれを暁(さと)とざりき」と(ヨハネ伝一章五節)。「かれ己の国に来たりしにその民これを接(う)けざ…
『内村鑑三 所感集』 『国興るもキリストを信じ、国衰うるもまたかれを信ず。時可なるもキリストを信じ、時非なるもまた彼を信ず。業栄うるもキリストを信ず。…
『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまう事のないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『内村鑑三 所感集』より: 『我らキリストの僕(しもべ)となりて一人となりて世に立つの決心なかるべからず。世は我らの主を棄てたり。またその僕たる我らを…
『内村鑑三 所感集』より: 『福音は罪人のための福音なり、弱者のための福音なり。故に我に福音を語りえざるの時あるべからず、また世に福音を信じえざるの人…
『ところで、キリスト教の揺るぎない真理と偉大な生命力との証拠は、その直接の敵対者を常に征服してきたことだけではない。ーーこれはむしろ大したことではなく、いや…
『人間の共同生活を非常に楽(らく)にする気持ちのよい性質は、できるだけ他人の願いによろこんですぐに応じるような、ある種の親切な行為と気軽さである。ところが人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…