『苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするにすぎない。勇敢に堪え忍ぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、全ての苦難は、…
⭐️テモテへの第一の手紙1章13ー16節(=パウロの言葉)⭐️ 『私は以前には、神を誹る者、迫害する者、不遜な者であった。しかし私はこれらの事を、信仰がなか…
⭐️今日の聖句⭐️『何事も党派心や虚栄からするのではなく、へり下った心をもって互いに人を自分より優れた者としなさい。』 (ピリピ人への手紙2章3節) …
昨日の本ブログで、デフレ脱却にまだまだ程遠い証拠の経済数値の第一として、『「GDPデフレーター」=「名目GDP÷実質GDP×100%」』 が2013年第一四…
今日の聖句『絶えず祈りなさい。』 (テサロニケ人への第一の手紙5章17節) 清秋記:「平凡な 我々活かす 人生は 絶えず祈りて 神は来臨」「最大の 我の…
『永久(とこしえ)に主に信頼せよ、主なる神は永久の岩だからである。』 (イザヤ書26章4節) 清秋記:「誠に この通りにて 自らの 体験通し 人に言うな…
『神に愛せらるるにいたるが人生第一の目的なり。この目的に吾人を達せしめんがために神を信じて世に憎まるるの必要生じ、義を守りて人に嘲らるるの必要起こり、善をなし…
『内村鑑三所感集』61頁より:『神を信ぜよ、さらば神はなんじの必要に応じてすべての善き物をもってなんじを恵まん。あるいは天来の思想をもって、あるいは外来の友…
「ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなた方の内にある望みについて説明を求める人には、いつでも説明のできる用意をしていなさい。』 (ペテロの第…
『また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな、彼らは言葉かずが多ければ、聞き入られるものと思っている。だから、彼らの真似をするな。あなた方の父なる神は、…
『人の道が主を喜ばせる時、主はその人の敵をもその人と和らがせられる。』 (旧約聖書・箴言16章7節) 清秋記: 「聖書は、神の書にて 難しい 理論ではなく…
『本日は、私が若き青春時代を燃えに燃えて、戦い抜いた、その時の師匠・池田大作氏と、そのまた池田氏の師匠であった、戸田城聖氏の、師弟不二の関係についての実は記念…
『本日は 鎌倉時代 日蓮が 勇気凛々 国家諫暁なした記念の日です。 即ち時は文応元年(1260)七月十六日は、私にとっても忘れられない、非常に大事な日ですね。…
『しかし感謝すべきことには、神は私たちの主イエスキリストによって、私たちに勝利を賜わったのである。』 (コリント人への第一の手紙15章57節)』 清秋記:…
『For with God nothing shall be impossible. 神には何でもできないことはありません。』 (ルカによる福音書1章37節)…
『私が恐れる時は、あなたにより頼みます。』 (詩篇56章3節) 清秋記: 「かつて我 日本古来の 武士道で 神に頼るな 守っていたが」 「実際は その代…
『主に感謝し、その御名を呼び、その御業を諸々の民の中に知らせよ。主に向かって歌え、主を褒め歌え、その全てのくすしき御業を語れ。』 清秋記: 「この通り 今…
『私は主の御業を思い起こす。私は、いにしえからのあなたのくすしき御業を思い出す。私は、あなたの全ての御業を思い、あなたの力ある御業を深く思う。』 (詩篇77…
『事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これは全ての人の本分である。』 (伝道の書12章13節) 清秋記: 「前の晩 早め…
「誓いの言葉」『今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に、力と勇気と信念をもって、常に明るく朗らかに、平和と愛を失わざる立派な人間として生き…
「しかし、あなた方は、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなた方はいと高き者の子となるであろう。いと…
『平和をつくり出す人たちは、幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。』 (マタイによる福音書5章9節) 清秋記: 「次々と 新たな武器を 作り出し 軍…
『私たち強い者は、強くない者たちの弱さを担うべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。 私たち一人一人は、隣人の徳を高めるために、その益を図って彼…
『兄弟たちよ、あなた方が召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。』 (ガラテヤ人への手紙5…
『イエスは彼らに言われた。「私が命のパンである。私に来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇く事がない。』 (ヨハネによる福音書6章35節) …
『しかし、私はあなたの御力を歌い、朝には声をあげて御慈しみを歌います。あなたは私の悩みの日にわが高きやぐらとなり、私の避け所となられたからです。』 (詩篇59…
『それは、人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人の贖(あがな)いとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである…
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『苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするにすぎない。勇敢に堪え忍ぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、全ての苦難は、…
『苦しみには人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするに過ぎない。勇敢に堪えしのぶのが苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、全ての…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教ありまたキリスト教あり、教会を立てんとするキリスト教あり、肉体の病を癒さんと欲するキリスト教あり、社会を改良せ…
『内村鑑三 所感集』より: 『思想は頭脳より来らず、心情より来る。心情より来らず、行為より来る。行って感じ、感じて想い、想いて思想となりて口舌に上り、…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教は愛の宗教なりという、しかり、また義の宗教なり。愛は情なり、故に⚪️(かわ)ることあり。然れども義は主義なり、…
『神学は信仰のためには要らない、神学は神学にために要る、神学を壊(こぼ)つために要る。新神学は旧神学を壊つために要る、いわゆる高等批評はいわゆる正統派批…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教に似てしかも最も非なるものを今日我が国において唱えらるる社会主義となす。これ聖書にいわゆる「不法の隠れたる者」…
『この書物に描かれているような「地上の楽園」では、確かに人生のありふれた労苦や葛藤はもういくら片付いてすんでしまっているように見えても、まだ色々な困難の名…
『内的進歩においては、鉄を鍛える場合と成り行きがよく似ている。内的人間も、繰り返し時おり火の中に入れられ、それから槌で急激に打って鍛えられなければならない…
『内村鑑三 所感集』より: 『人生に悲痛多し、しかれども苦痛は悲痛として神も我もこれを除く能わず。悲痛は希望と歓喜とをもってのみ能(よ)くこれを除くを…
『内村鑑三 所感集』より: 『苦しむは大いなる事業なり。これによりて我は自己(おのれ)の咎(とが)を示され、他人の罪を贖(あがな)わせらて、また新たに…
『内村鑑三 所感集』より: 『内なる我あり、霊なる我あり。外なる我あり、内なる我あり。地に属(つ)ける我あり、天に属(つ)ける我あり。我は二個の我より…
『内村鑑三 所感集』より: 『我は我ものにあらず、我が家族のものにあらず、我が親戚のものにもあらず、我は神のものなり。故に神の聖旨( みこころ)を遂ぐ…
『内村鑑三 所感集』より: 『神はさまざまな方法をもって我らを助け給う。あるいは霊をもって、あるいは物をもって、あるいは友人をもって、あるいは敵人をも…
『もし貴方が、今ちょうど、生涯の荒涼とした暗い時期の一つに臨んでいるのなら、将来のいろんな計画に手をつけたり、または、今更どこかを改めようもないのに、過去…
『人間の共同生活を非常に楽にする気持ちのよい性質は、出来る限り他人の願いに喜んですぐ応じるような、ある種の親切と気軽さである。ところが人に人によると、眼に…
『内村鑑三 所感集』より: 『歓べよ、感謝せよ、しかしてさらに大いなる恩恵を仰げよ。感謝は有効なる祈祷の要素なり。神は感謝なき祈祷に耳を傾け給わず。感…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛情なしと言うかなれ。人に愛情なきにあらず、我に愛情なきが故に人に愛情なきが如くに感ずるなり。我に愛情ありて世に愛情…
『内村鑑三 所感集』より: 『善なるキリスト、弱きキリスト、しかり、彼は善なりし故に弱かりしなり。彼のは善を愛するの心ありたり、しかれども善…
『内村鑑三 所感集』より: 『集会の勢力によざれば神と人とに尽す能わざる者は禍なるかな。ひとり真理の燈台となりて世の暗黒を照らす能わざる者は禍なるかな…
『ただこのような世界観によってのみ、さらに進んで、大規模な正義と平和とが総じて可能になる⭐️。この世界観がなければ、事実上、不断の惨憺(さんたん)たる生存競…
『苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするに過ぎない。勇敢に堪え忍ぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、すべての苦難は、…
『すなわち、ここに「道と真理と生命(いのち)⭐️と」があり、ただ頭の中の幻想ではない。歴史に根底を置く、真実の哲学がある。ついでに言うが、この道は多くの案内…
『内的生活においては、鉄を鍛える場合と成り行きがよく似ている。内的人間も、くり返し時おり火の中に入れられ、それから槌で急激に打って鍛えなければならない。これ…
『ところで、キリスト教の揺るぎない真理と偉大な生命力との証拠は、その直接の敵対者を常に征服してきたことだけではない。ーーこれはむしろ大したことではなく、いや…
『人間の共同生活を非常に楽(らく)にする気持ちのよい性質は、できるだけ他人の願いによろこんですぐに応じるような、ある種の親切な行為と気軽さである。ところが人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…