『マタイによる福音書九の一六〜一七🌟。古き人間アダムを改善しようとしても、上手くゆかない。それをやってみれば、誰でもみなこの経験をするであろう。古き人のほ…
「内村鑑三 所感集」・56頁、「同情推量の人」より: 『食するの何ぞ易き、耕すの何ぞ難き、聞くの何ぞ易き、語るの何ぞ難き、読むの何ぞ易き、著わすの何ぞ難き…
「内村鑑三 所感集」・56、「意志の作用」より: 『神によりて思い、神によりて動き、神によりて息(やすら)う。これキリスト信者の生涯なり。われの意志なるもの…
「内村鑑三 所感集」・55頁、「懐疑の精神」より: 『およそ事信じ(コリント前書十三章七節)とはすべての事実これこれ信じとの意ならざるベからず。愛は公平にし…
「内村鑑三 所感集」・55頁、「最も貴きもの」より: 『富と権力に優って貴きものは智識なり、智識に優って貴き者は道徳なり、道徳に優って貴きものは信仰なり、信…
「内村鑑三 所感集」・55頁、「最高のオルソドキシー」より: 『最高のオルソドキシー(正統教)とはキリストの心をもって兄弟を愛することなり。キリストの慈愛な…
「内村鑑三 所感集」・54頁、「救◯」より: 『社会は扇動によって革(あらた)まるものにあらず、扇動は塵を飛ばし、泥を揚ぐるにとどまる。扇動の効は汚濁の存在を…
「内村鑑三 所感集」・54頁、「わが社会改良法」より: 『人は直ちに社会を改良せんと欲す、われは人を改良して社会を改良して社会を改良せんと欲す。人は直ちに…
「内村鑑三 所感集」・51頁、「神の器具」より: 『われに罪過あり、神はこれがためにわれを罰し給う。しかれどもわれの不浄は神がわれを使用し給うときの妨礎なら…
「内村鑑三 所感集」・50頁、「キリストとパウロ」より: 『キリストはわれらの主なり、パウロはわれらの友なり。われらはキリストに服従してパウロに賛成す。キリ…
「内村鑑三 所感集」・50頁、「伝道唯一の方法」より:『伝道の方法を講ずる者多し、しかれども余輩はその浅慮に驚かざるをえず。伝道唯一の方法は福音ありのままを…
「内村鑑三 所感集」・50頁、「迷信と信仰の区別」より: 『道徳に関係なきもの、または道徳に違反するもの、これ迷信あり。道徳と相離れざるもの、または道徳を助く…
「内村鑑三 所感集」・50頁、「破壊者」より: 『真理は一種の破壊者なり、真理の破壊性を懼れてその伝播に従事する難し。真理はよく毀(こぼ)ちてよく建つる者な…
スイスの哲人、カール・ヒルティの「眠られぬ夜のために②」より: 『人に対してもはや愛が持てなくなったり、あるいはペシミストや人間軽蔑者になったことを弁解しよ…
スイスの哲人、カール・ヒルティの「眠られぬ夜のために②」より: 『悪の力のもとは私たちの恐怖心である。私たちがそれを恐れなければ、悪はたちまち力が弱くなって…
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『マタイによる福音書九の一六〜一七🌟。古き人間アダムを改善しようとしても、上手くゆかない。それをやってみれば、誰でもみなこの経験をするであろう。古き人のほ…
『立派に人生を生き抜き、特に、平凡に生活を維持するだけでなく、より偉大な人生の目的を見失いためには、どうしてもある種の感激が必要である。実際、人生を空しい…
『内村鑑三 所感集』より: 『我がなすのではない、キリストが我にありてなし給うである。故に我が事業ではない、キリストの事業である。彼は死んだ者である、…
『内村鑑三 所感集』より: 『昔時、ローマ・カトリック教会は唱えていえり、教会なくして信仰あるなし、教会を離れし者は神に棄てられし者なりと。しかるに…
『内村鑑三 所感集』二〇七頁: 『戦争開けて盛んに戦争を謳歌し、平和成りて直ちに平和協会を興す、これ今日のキリスト信者のなすところなり。言あり曰く「生…
『苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするにすぎない。勇敢に堪え忍ぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、全ての苦難は、…
『苦しみには人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするに過ぎない。勇敢に堪えしのぶのが苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、全ての…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教ありまたキリスト教あり、教会を立てんとするキリスト教あり、肉体の病を癒さんと欲するキリスト教あり、社会を改良せ…
『内村鑑三 所感集』より: 『思想は頭脳より来らず、心情より来る。心情より来らず、行為より来る。行って感じ、感じて想い、想いて思想となりて口舌に上り、…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教は愛の宗教なりという、しかり、また義の宗教なり。愛は情なり、故に⚪️(かわ)ることあり。然れども義は主義なり、…
『神学は信仰のためには要らない、神学は神学にために要る、神学を壊(こぼ)つために要る。新神学は旧神学を壊つために要る、いわゆる高等批評はいわゆる正統派批…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教に似てしかも最も非なるものを今日我が国において唱えらるる社会主義となす。これ聖書にいわゆる「不法の隠れたる者」…
『この書物に描かれているような「地上の楽園」では、確かに人生のありふれた労苦や葛藤はもういくら片付いてすんでしまっているように見えても、まだ色々な困難の名…
『内的進歩においては、鉄を鍛える場合と成り行きがよく似ている。内的人間も、繰り返し時おり火の中に入れられ、それから槌で急激に打って鍛えられなければならない…
『内村鑑三 所感集』より: 『人生に悲痛多し、しかれども苦痛は悲痛として神も我もこれを除く能わず。悲痛は希望と歓喜とをもってのみ能(よ)くこれを除くを…
『内村鑑三 所感集』より: 『苦しむは大いなる事業なり。これによりて我は自己(おのれ)の咎(とが)を示され、他人の罪を贖(あがな)わせらて、また新たに…
『内村鑑三 所感集』より: 『内なる我あり、霊なる我あり。外なる我あり、内なる我あり。地に属(つ)ける我あり、天に属(つ)ける我あり。我は二個の我より…
『内村鑑三 所感集』より: 『我は我ものにあらず、我が家族のものにあらず、我が親戚のものにもあらず、我は神のものなり。故に神の聖旨( みこころ)を遂ぐ…
『内村鑑三 所感集』より: 『神はさまざまな方法をもって我らを助け給う。あるいは霊をもって、あるいは物をもって、あるいは友人をもって、あるいは敵人をも…
『もし貴方が、今ちょうど、生涯の荒涼とした暗い時期の一つに臨んでいるのなら、将来のいろんな計画に手をつけたり、または、今更どこかを改めようもないのに、過去…
『さて親愛なる諸君よ、以上のことが実現されるまでは、とにかく諸君はこれらすべての道の中から、諸君の道を選ばねばならぬーー真理に対する諸君自らの認識のため、諸…
『立派に人生を生き抜き、とくに、平凡にただ生活を維持するだけでなく、より偉大な人生の目的を見失わないためには、どうしてもある種の感激が必要である。実際、人生…
『ただこのような世界観によってのみ、さらに進んで、大規模な正義と平和とが総じて可能になる⭐️。この世界観がなければ、事実上、不断の惨憺(さんたん)たる生存競…
『苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするに過ぎない。勇敢に堪え忍ぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、すべての苦難は、…
『すなわち、ここに「道と真理と生命(いのち)⭐️と」があり、ただ頭の中の幻想ではない。歴史に根底を置く、真実の哲学がある。ついでに言うが、この道は多くの案内…
『内的生活においては、鉄を鍛える場合と成り行きがよく似ている。内的人間も、くり返し時おり火の中に入れられ、それから槌で急激に打って鍛えなければならない。これ…
『ところで、キリスト教の揺るぎない真理と偉大な生命力との証拠は、その直接の敵対者を常に征服してきたことだけではない。ーーこれはむしろ大したことではなく、いや…
『人間の共同生活を非常に楽(らく)にする気持ちのよい性質は、できるだけ他人の願いによろこんですぐに応じるような、ある種の親切な行為と気軽さである。ところが人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…