さまざまな映画監督のデビューを追った『デビュー作の風景 日本映画監督77人の青春』(DU BOOK)は優れたルポルタージュだが、その著者・野村正昭がかつて、仕事が厭になったなどと記していて何となく印象に残った。見直してみると2007年に季刊誌「映画芸術」に載った一文であった。
さまざまな映画監督のデビューを追った『デビュー作の風景 日本映画監督77人の青春』(DU BOOK)は優れたルポルタージュだが、その著者・野村正昭がかつて、仕事が厭になったなどと記していて何となく印象に残った。見直してみると2007年に季刊誌「映画芸術」に載った一文であった。
広岡由里子 × 犬童一心 × 尾形敏朗 トークショー(市川準監督特集)レポート・『BU・SU』『東京兄妹』『トキワ荘の青春』(3)
【桜子の人物造型】 犬童「(『BU・SU』〈1987〉では)高嶋(高嶋政宏)さんと富田(富田靖子)さんに比べて、広岡さんのやっている桜子はあっけらかんとしていますね。あのふたりははっきり挫折して人生の底辺ですべてに不満を持っているようですが、そういう青春と関係ないところで広岡さんはひとり愉しそうに見えます」
広岡由里子 × 犬童一心 × 尾形敏朗 トークショー(市川準監督特集)レポート・『BU・SU』(2)
【撮影の想い出】 広岡「(『BU・SU』〈1987〉の最初の撮影は)神楽坂の阿波踊りだったような。阿波踊りに合わせて撮影しなきゃいけなかったので。ビアガーデンのシーンが最初だったような記憶があるんですけど…。唐突にあのシーンから撮影が始まった気がします」
広岡由里子 × 犬童一心 × 尾形敏朗 トークショー(市川準監督特集)レポート・『BU・SU』(1)
陰気でひねくれた女子高生・麦子(富田靖子)は、親元を離れて神楽坂で芸者の修行をしながら高校に通う。麦子はクラスで友人(高嶋政宏、広岡由里子ら)と知り合ったことなどにより変容し、文化祭で「八百屋お七」の公演に挑む。
志水季里子 × 中堀正夫 × 後藤勝彦 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『東京幻夢』(2)
【『東京幻夢』(2)】 志水「(『東京幻夢』〈1986〉では)ハイビジョンでということで私の顔に立体的なほくろをつけてみたり。それが映るだろうかと。
志水季里子 × 中堀正夫 × 後藤勝彦 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『東京幻夢』(1)
東京の片隅で昔ながらの写真館を営む男(堀内正美)。谷中や根岸をさまよい、古ぼけた洋館などを撮影する男の視界に謎の女(志水季里子)が現れて、男は翻弄される。
中堀正夫 × 北浦嗣巳 × 碓井広義 × 後藤勝彦 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『波の盆』(4)
【『波の盆』の撮影現場 (2)】 『波の盆』(1983)のラストの灯籠は印象深いが、実は日本で撮影されたという。
中堀正夫 × 北浦嗣巳 × 碓井広義 × 後藤勝彦 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『波の盆』(3)
【『波の盆』のカメラ (2)】
中堀正夫 × 北浦嗣巳 × 碓井広義 × 後藤勝彦 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『波の盆』(2)
【『波の盆』の立ち上げ (2)】
中堀正夫 × 北浦嗣巳 × 碓井広義 × 後藤勝彦 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『波の盆』(1)
ハワイに暮らす日系1世の老人(笠智衆)の前に、日本から来た孫(石田えり)が現れる。老人は想い出の中で亡くなった妻(加藤治子)や息子(中井貴一)と語らっていた。
シンポジウム “江戸川乱歩自筆資料の魅力と可能性”(石川巧 × 金子明雄 × 尾崎名津子 × 後藤隆基 × 戸川安宣 × 平井憲太郎)レポート(6)
【パネルトーク (2)】 江戸川乱歩はエッセイも多数遺している。
シンポジウム “江戸川乱歩自筆資料の魅力と可能性”(石川巧 × 金子明雄 × 尾崎名津子 × 後藤隆基 × 戸川安宣 × 平井憲太郎)レポート(5)
【第7~9巻について (2)】 金子「次に新人への配慮です。江戸川乱歩賞を取った作家たち、仁木悦子の作品が映画化されるとか、そういう記事をご本人に送ったと書いてあるんですね。陳舜臣さんの地方紙の記事も送ったと。戸川昌子さんは送ってないのかな、何かあったのか判りませんが(笑)。
シンポジウム “江戸川乱歩自筆資料の魅力と可能性”(石川巧 × 金子明雄 × 尾崎名津子 × 後藤隆基 × 戸川安宣 × 平井憲太郎)レポート(4)
【第7~9巻について (1)】 貼雑年譜の第7~9巻は金子明雄氏が担当。乱歩が巨匠となった時代である。
シンポジウム “江戸川乱歩自筆資料の魅力と可能性”(石川巧 × 金子明雄 × 尾崎名津子 × 後藤隆基 × 戸川安宣 × 平井憲太郎)レポート(3)
【第3巻について (2)】 石川「この後の時代ですけど探偵小説会の土曜会が発足します。その案内を乱歩が手書きで書いています。新聞記事と対照化させて載せていて、自分の原稿と報道とが両側から見える。 戦後に行われた、戦争協力の調査票。乱歩が恐れていたのは、GHQによって執筆の機会が奪われることだったと思います。戦時中の内務省の検閲でほとんどの作品が出版停止処分になっていましたから、戦後に調査票を受け取って深く読み込んでいます。提出したものをカーボン紙で写しをとっているんですけど、それには戦時中にどういった働きをしたか書いています。大政翼賛会豊島支部事務長だから厭々やったんだとか、作家で日中に家にい…
シンポジウム “江戸川乱歩自筆資料の魅力と可能性”(石川巧 × 金子明雄 × 尾崎名津子 × 後藤隆基 × 戸川安宣 × 平井憲太郎)レポート(2)
【第3巻について (1)】 貼雑年譜の第3巻(戦時下の時代)は石川巧氏が担当。 石川「第1、2巻は既に復刻されました。このセンターの仕事に携わって20年近くになるんですけれども、先日のNHKの番組の撮影で初めて貼雑年譜の現物を見ました。普段は図書館の貴重書庫に入っていまして、われわれも見ることはできません。それで手袋をするかどうかで30分揉めたんですね(笑)。貴重資料を触るとき、手袋をしてもクレームが来るし、しなくてもクレームが来る。結局、手を洗って手袋をしないで触ったんですが、資料を公開するとそういうところにデリケートに問題点が現れる。今回の公開でもわれわれが解題を書いてから公開すると、資料…
シンポジウム “江戸川乱歩自筆資料の魅力と可能性”(石川巧 × 金子明雄 × 尾崎名津子 × 後藤隆基 × 戸川安宣 × 平井憲太郎)レポート(1)
作家・江戸川乱歩が膨大な資料を貼りつけたスクラップの自分史・貼雑年譜。全9冊のうち、3巻目以降は未公開だったが、2023年にオンライン公開されることになった。公開を記念して同年11月に立教大学大衆文化研究センターでシンポジウム “江戸川乱歩自筆資料の魅力と可能性” が行われ、立教大の石川巧・金子明雄・尾崎名津子・後藤隆基、東京創元社の元社長でミステリ評論家の戸川安宣、乱歩の孫の平井憲太郎の各氏が登壇した(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
鈴木伸一 トークショー レポート・『アニメと漫画と楽しい仲間』(3)
【スタジオ・ゼロの時代 (2)】 「おたのしみアニメ劇場」のころに、鈴木氏は自主制作のアニメ「点」(1971)も制作。
鈴木伸一 トークショー レポート・『アニメと漫画と楽しい仲間』(2)
【スタジオ・ゼロの時代 (1)】 1963年、鈴木氏はトキワ荘の仲間(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、つのだじろう、赤塚不二夫)とスタジオ・ゼロを設立して独立。当時30歳だった。
鈴木伸一 トークショー レポート・『アニメと漫画と楽しい仲間』(1)
テレビ『おそ松くん』(1966)や『パーマン』(1967)などさまざまなアニメ作品を手がけるアニメーター・演出家の鈴木伸一。2023年に鈴木氏のエッセイ『アニメと漫画と楽しい仲間』(玄光社)が刊行され、同年10月に御茶ノ水でトークイベントもあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
クリエイターインタビュー 石井隆(2015)・『GONINサーガ』
『GONIN』(1995)の続編『GONINサーガ』を2015年に撮り、それを遺作として2022年に逝去した石井隆監督。『サーガ』の際のインタビューがいまは読めなくなっているゆえ、以下に引用したい。内容は痛々しいというか、苦労を重ねた氏がこの後に作品を発表することがなかったのは残念である(用字用語は統一した)。
黒沢清 トークショー レポート・『台風クラブ 4Kレストア版』(2)
【『台風クラブ』について (2)】 相米慎二作品は長回しが多いだけに映画全体も長くなって、大幅にカットされてしまうことが多い。
黒沢清 トークショー レポート・『台風クラブ 4Kレストア版』(1)
台風が襲来した夜、中学生たちは学校に閉じ込められた。彼らは日ごろの感情を爆発させる。 相米慎二監督(加藤祐司脚本)『台風クラブ』(1985)は中学生たちや彼らを取り巻く教師などのあやうさをクールかつ鮮烈に描いた傑作である。4Kリマスターが行われ、2023年10月にリバイバル上映と黒沢清監督のトークイベントがあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
山際永三 トークショー レポート・『男が血を見た時』『たそがれ酒場』(3)
【新東宝入社と『たそがれ酒場』 (2)】
山際永三 トークショー レポート・『男が血を見た時』『たそがれ酒場』(2)
【三輪彰監督の想い出】
車を乗り回す10代の青年たち。そのグループに偶然合流した主人公(松原緑郎)は、令嬢(三ツ矢歌子)をめぐってリーダー(浅見比呂志)と三角関係に発展する。
【食べ物について】 浦沢義雄作品では食べ物ねたが多い。『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』(1989)のナルトの入っていないラーメンは印象的。
浦沢義雄 トークショー レポート・『名探偵コナン』『人造昆虫カブトボーグ V × V』『暴れん坊力士!! 松太郎』『オペレッタ狸御殿』『がんばれいわ!! ロボコン』(5)
【アニメーションの仕事 (2)】 最近は『名探偵コナン』(1996)にも参加。「東京婆ールズコレクション」「スマイルの里の陰謀」「天才レストラン」などシュールさで賛否両論を呼んだ。『ルパン三世』(1979)のころからのつき合いの飯岡順一が手がけている。
浦沢義雄 トークショー レポート・『忍たま乱太郎』『はれときどきぶた』『練馬大根ブラザーズ』『ごぞんじ!月光仮面くん』(4)
【アニメーションの仕事 (1)】 浦沢先生はアニメーション作品の脚本も多数執筆している。 浦沢「木村京太郎は有名なアニメのプロデューサーだから、仕事を引っ張ってくる。スタジオぴえろに布川(布川郁司)さんっていう人がいて、ぴえろの仕事をするようになった。 (80年代は)すごく忙しくて、1日で締め切り1個(を仕上げる)くらいの割合かな。儲かった(一同笑)。ずっと2年ぐらい缶詰で旅館にいた。作家の入る旅館が中野にあって、そこに2年ぐらいいたよ。だからバブルの記憶があんまりないんだよ。旅館にいたのがバブル。 でも書く内容は同じだから。番組で使ったのを他の番組で平気で使い回すから(一同笑)。
浦沢義雄 トークショー レポート・『バッテンロボ丸』『ペットントン』『どきんちょ!ネムリン』『TVオバケてれもんじゃ』『おもいっきり探偵団覇悪怒組』『激走戦隊カーレンジャー』(3)
【東映不思議コメディーシリーズ (2)】 浦沢「平山(平山亨)さんは『がんばれ!ロボコン』(1974)をつくった人でそのときもう60歳ぐらいで、でも平山さん的なこともやりたくないと。平山さんもいい人で新しいことを好きにやってくださいと。
浦沢義雄 トークショー レポート・『ルパン三世』『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』『ロボット8ちゃん』(2)
【『ルパン三世』】 脚本家デビューは『ルパン三世』(1979)の「カジノ島・逆転また逆転」。
浦沢義雄 トークショー レポート・『カリキュラマシーン』『コント55号のなんでそうなるの』(1)
『ペットントン』(1983)や『どきんちょ!ネムリン』(1984)、『美少女仮面ポワトリン』(1990)といった東映不思議コメディシリーズ、アニメ『忍たま乱太郎』(1993)や『名探偵コナン』、映画『オペレッタ狸御殿』(2005)など多彩でシュールな作品を手がける脚本家・浦沢義雄。その浦沢先生が自身のキャリアを振り返るトークが2023年8月に経堂で行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
1968年、リスボンで出会ったふたりの男女(岡田茉莉子、横内正)。ふたりはパリ、アムステルダム、ストックホルム、ローマで何度も再会する。
中島丈博 × 井上淳一 トークショー レポート・『現代やくざ 血桜三兄弟』『元禄繚乱』(2)
【野上龍雄の想い出 (2)】 中島「ぼくは東映の『現代やくざ』シリーズもチャンバラも書きたくないから、作品上、野上さんに触発されたというのもないんで。野上作品もそんなに見てないんですよ」
中島丈博 × 井上淳一 トークショー レポート・『現代やくざ 血桜三兄弟』(1)
岐阜に大阪の暴力団が鉄砲玉の川島(小池朝雄)を送り込んできて武(菅原文太)、邦夫(伊吹吾郎)、宏(渡瀬恒彦)の三兄弟は動揺する。宏にいつも発破をかけられている信男(荒木一郎)は花売り娘(早乙女ゆう)に恋するが、彼女は川島に惹かれていた。
蓮實重彦 トークショー レポート・『コレヒドール戦記』(2)
(『コレヒドール戦記』〈1945〉では)ジョン・ウェインが哨戒艇の機関士で、日本軍によって右手に傷を負ってしまう。『捜索者』でも、多くの映画で右手を傷つけられる。拳銃を撃つなという天の采配かもしれませんが、ジョン・ウェインはコレヒドールの病院で看護婦さんと会う。それが自分と同じ位の少尉なんですね。やっているのがドナ・リードで、ドナ・リードがフォードの映画に出たのはこれ1本ですが、1本しか出ない女優が素晴らしいのはジョン・フォードにおける常態であります。『モガンボ』(1953)のエヴァ・ガードナーは素晴らしいというようなものです。
蓮實重彦 トークショー レポート・『コレヒドール戦記』(1)
太平洋戦争中のフィリピン戦で負傷したライアン中尉(ジョン・ウェイン)は、病院で看護師(ドナ・リード)と出会う。
寺田農 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『実相寺昭雄見聞録』(3)
【仕事でのエピソード (2)】 寺田「私がどうして実相寺とこれだけ長くやったかというとね、私は文句を言わない(一同笑)。「はいはいはい」と。息を止めろと言われれば止めるし、前へ来いと言われたら前へ行く。
寺田農 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『実相寺昭雄見聞録』(2)
【若き日のテレビ局時代 (2)】
寺田農 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『実相寺昭雄見聞録』(1)
『ウルトラマン』(1966)や『ウルトラセブン』(1967)、『屋根裏の散歩者』(1992)などの実相寺昭雄監督に関して、貴重な証言を集めた『実相寺昭雄見聞録』(キングインターナショナル)。その第二集の発行に合わせて、実相寺作品の常連だった寺田農氏のトークショーが2023年5月に行われた。実相寺監督と長年組んでコンサートなどの仕事をした油谷岩夫氏が聞き手を務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
井上敏樹 × 海津亮介 × 若松俊秀 トークショー レポート・『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(8)
【俳優について (2)】
井上敏樹 × 海津亮介 × 若松俊秀 トークショー レポート・『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(7)
【ドンブラザーズについて (3)】 井上「(『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』〈2022〉)つよし(鈴木浩文)も最初から上手かったね。劇団も持ってるし。
井上敏樹 × 海津亮介 × 若松俊秀 トークショー レポート・『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(6)
【ドンブラザーズについて (2)】 海津「荻窪だかのカフェバーだよね。こないだサシ飲みしたんだけど、1軒目は西荻の焼き鳥屋さんで飲んで、2軒目に行こうって言われて行ったのが看板もなくて普通なら入れないような店」 井上「会員制じゃないんだけど、マスターが鋭い感性の持ち主でドアを開けた雰囲気でどんな客か判ると。開け方次第で「きょうはいっぱいです」とか言って誰もいなくても断る」 海津「店に入ってもボトルが1本もなくて、テーブルがあって向こうにマスターが」 井上「美意識が高いんだね。おれと白倉(白倉伸一郎)の打ち合わせはずっとそこでやったから、マスターは『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(2022)の次の話…
井上敏樹 × 海津亮介 × 若松俊秀 トークショー レポート・『光戦隊マスクマン』『鳥人戦隊ジェットマン』『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(5)
【長石多可男と東條昭平】 80~90年代の戦隊シリーズを多数撮った名匠が長石多可男・東條昭平の両監督。長石氏は戦隊やVシネマを手がけた後、仮面ライダーに異動し、2013年に逝去。 海津「私のときは、監督は長石さんと東條さんのふたりで回してた。いまだったら考えられないでしょ」 井上「いまは監督が5、6人いる」 海津「監督は(多忙で)ロケハンも行けなくて、チーフ(助監督)が行く。すると撮影では、チーフがいないから助監はふたりだけで現場を回す。大変だったよね」
井上敏樹 × 海津亮介 × 若松俊秀 トークショー レポート・『鳥人戦隊ジェットマン』(4)
【『ジェットマン』について (3)】 井上「(『鳥人戦隊ジェットマン』〈1991〉)で香は田中弘太郎にふられるじゃない?」 若松「田中弘太郎にふられたわけじゃない。天童竜に(一同笑)」 井上「(香を演じる岸田里佳は)「私、実生活でふられたことないので演技の仕方が判りません」って言ってた。あいつらしい(笑)」 若松「彼女はおれと井上さんがしょっちゅう飲んでるのをうらやましがって「私も飲みに行きたい」って来たけど、何も喋らないで帰って行った」
井上敏樹 × 海津亮介 × 若松俊秀 トークショー レポート・『鳥人戦隊ジェットマン』(3)
【『ジェットマン』について (2)】 『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)では戦隊側に三角関係などがあるのは特にユニーク。
井上敏樹 × 海津亮介 × 若松俊秀 トークショー レポート・『光戦隊マスクマン』『鳥人戦隊ジェットマン』(2)
【『マスクマン』について (2)】 海津「(『超新星フラッシュマン』〈1986〉では)どういう注文だったかは覚えてますか?」
井上敏樹 × 海津亮介 × 若松俊秀 トークショー レポート・『光戦隊マスクマン』(1)
テレビ『仮面ライダーアギト』(2001)や『仮面ライダー龍騎』(2002)、『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(2022)など代表作多数の脚本家・井上敏樹。『光戦隊マスクマン』(1987)の海津亮介、『超人戦隊ジェットマン』(1991)の若松俊秀と井上氏とのトークイベントが2023年4月に行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
小中和哉 × 桜井浩子 トークショー レポート・『Single 8』(2)
【ウルトラシリーズの想い出 (2)】 小中「ぼくがやらせていただいた平成ウルトラも同じでしたよ。演出部(助監督)の人が「バリバリッ」と」
小中和哉 × 桜井浩子 トークショー レポート・『Single 8』(1)
高校生の主人公(上村侑)は『スター・ウォーズ』(1977)に影響されて文化祭に向けて仲間(福澤希空、桑山隆太)とSF映画をつくり始める。ヒロイン役は想いを寄せる女子(高石あかり)に引き受けてもらい、クラスメートの協力も得て順調に制作は進むが、ほろ苦い結果が待ち受けていた。
ヤン・ヨンヒ(梁英姫)× 荒井カオル(荒井香織)トークショー レポート・『スープとイデオロギー』(3)
【荒井氏の登場 (2)】 ヤン「そのときはまだ母が認知症になるとは思わなかったし、新しい家族とおいしいものを食べるみたいな映画かなと考えていたら、済州島から研究所の方々がインタビューに来たり、認知症が始まったりと(『スープとイデオロギー』〈2022〉は)ドラマチックになっていきました。
ヤン・ヨンヒ(梁英姫)× 荒井カオル(荒井香織)トークショー レポート・『スープとイデオロギー』(2)
【済州島四・三事件の記憶 (2)】
ヤン・ヨンヒ(梁英姫)× 荒井カオル(荒井香織)トークショー レポート・『スープとイデオロギー』(1)
在日韓国人である自らの家族を描いてきたヤン・ヨンヒ(梁英姫)監督が、母を取り上げた『スープとイデオロギー』(2022)。母は済州島四・三事件の体験者でもあり、作中では事件についても語られ、その静かな生々しさは衝撃的である。2023年2月に高円寺で上映と、ヤン氏と夫でプロデューサーの荒井カオル(荒井香織)氏のトークがあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
杉田成道演出「3番テーブルのもう1人の客」の敵意・『3番テーブルの客』(2)
『3番テーブルの客』(1996)のスペシャル版「3番テーブルのもう1人の客」は、台本の遅れによって舞台が初日を迎えられずにパニックに陥っているところから始まる。
杉田成道演出「3番テーブルのもう1人の客」の敵意・『3番テーブルの客』(1)
かつて歌手だった男は、いまは劇場の前に位置するカフェで働いている。ある日、別れた妻が偶然カフェに現れ、男はいまも歌っていてきょうは劇場で著名なビビ萩原と共演するんだと懸命に見栄を張った。だがその元妻の正体こそが…。
君塚良一 インタビュー(2016)・『グッドモーニングショー』(3)
――(引用者註:映画『グッドモーニングショー』〈2016〉)澄田キャスターを取り巻く環境はもちろん、そのほかの番組スタッフたちの番組作りにかける姿勢も、みんな真剣に取り組んでいるのだけど、真剣だからこそ可笑しかったです。
君塚良一 インタビュー(2016)・『グッドモーニングショー』(2)
――テレビを作るのが難しい時代になった?
君塚良一 インタビュー(2016)・『グッドモーニングショー』(1)
最近はテレビ『教場』(2020)や『踊る大捜査線』シリーズの番外最新映画『室井慎次 敗れざる者』(2024)と『室井慎次 生き続ける者』(2024)がよくも悪くも話題の君塚良一。その君塚氏が脚本・監督を務めた映画『グッドモーニングショー』(2016)で、その際のインタビューを以下に引用したい。(用字・用語は可能な限り統一した)。
中村克史演出 × 山田太一脚本『男たちの旅路 車輪の一歩』聖地巡礼(ロケ地探訪)- 豪徳寺
鶴田浩二主演『男たちの旅路』シリーズの名作「車輪の一歩」(1979)。豪徳寺駅の付近でロケが行われている。川崎の堀之内につづいて豪徳寺を探訪。 【小田急線沿線】
中村克史演出 × 山田太一脚本『男たちの旅路 車輪の一歩』聖地巡礼(ロケ地探訪)- 川崎 堀之内
鶴田浩二主演『男たちの旅路』シリーズの中でも特に名作の誉れ高い「車輪の一歩」(1979)。車椅子の青年・川島敏夫(斎藤洋介)が風俗街へ行くシーンは、川崎市の堀之内町で撮られている。演出の中村克史氏は当時「隠し撮り」をして怖かったと回想。
評論家の唐沢俊一には、偶然なのかあまり影響を受けていない。当方の無知ゆえに唐沢の訃報に接しても感慨が湧くこともさほどないのだが、SNSによって死が発覚したと知ると何だか複雑な心境にはなる。
切通理作 インタビュー “恥じらい、切なさ、情けなさ…今だから言える話”(2011)(4)
切通 その滑稽さってある意味、普遍的なんですよね。ただ伝えるのが難しい。これ本当に恥ずかしい話なんだけど、以前、ある女の子にフラれた時に、僕は「君は俺のことが好きなはずだ!」って叫んだんですよ。
切通理作 インタビュー “恥じらい、切なさ、情けなさ…今だから言える話”(2011)(3)
――そうですね。美少女ゲームが悪いとかは全く思いませんが、ただ「僕は非モテで童貞でエロゲーばっかやってますがなにか?」みたいなノリを見せられると、なにか「受難の果てに選民思想に至る」みたいな、厚かましさを感じるところはありますね(笑)。
切通理作 インタビュー “恥じらい、切なさ、情けなさ…今だから言える話”(2011)(2)
――エロが純粋なオナニーツールというより、一つの娯楽として受容されていたんですね。 切通 今でこそ、割と遅い時間でも外を子供連れて歩いてる大人っていますけど、僕が子供の頃は「夜9時過ぎたら大人の時間」という感覚がハッキリあって、そこに子供が立ち入ることはできなかった。今みたいに、アニメを深夜にやってるなんて考えられなかったわけです。大人の世界には女性のヌードも出てくるけど、とはいえ裸だけがただ写されてるっていうことでもない。裸やセックスばっかりっていうのは当時の表現規制からいっても難しかったし、一つの大人文化としてエロの存在があったんじゃないですかね。――規制をうまくかわしていくためにも文化と…
切通理作 インタビュー “恥じらい、切なさ、情けなさ…今だから言える話”(2011)(1)
『怪獣使いと少年』(宝島社文庫)や『ウルトラマン ニュージェネの証』(ホビージャパン)、『山田洋次の〈世界〉』(ちくま新書)、『失恋論』(角川学芸出版)などの批評・インタビューや監督映画『青春夜話 Amazing Place』(2017)などで知られる切通理作。その切通氏が性について語ったインタビューが以前に “コイトゥス再考” というサイトに載っていたので以下に引用したい。
都心に通う生活者が暮らすようなベッドタウンに住む一家族。ある日、彼らは戦時下に家ごとタイムスリップした。主人公が幼いころに親しかった友人とその息子も何故かいっしょで、便利な生活に慣れきった彼らは戦時中に叩き込まれる。せっかく未来を知っているわけだから、ただ生き抜くだけでなく1945年3月10日の東京大空襲を市民に知らせようとするが、思いがけない運命が待ち受けていた。
三谷幸喜と深津絵里・『ステキな金縛り』『ベッジ・パードン』(2)
海外公演などの経験はあっても「旅がそんなに好きではない」三谷幸喜にとって単独渡航は挑戦であっただろう。それにしても「気分転換」をしたい折りは過去にもあっただろうに、ロンドン行きが何故この2010年というタイミングだったのか。本人の言う通り取材とか、50歳を迎える節目にチャレンジしようと思ったとか可能性は考えられるが、もうひとつあり得べきこともある。
三谷幸喜と深津絵里・『ザ・マジックアワー』『ステキな金縛り』(1)
新作映画『スオミの話をしよう』(2024)の脚本・監督を務める三谷幸喜は「普段は、あの役者にあの役をやらせたら面白いぞ、みたいなところからストーリーを考える」(『三谷幸喜のありふれた生活3 大河な日日』〈朝日新聞出版〉)とジョークまじりで語ったことがあったが、事実『スオミの』は主演の長澤まさみありきで生まれたという。そのように俳優を軸に創作することの多い三谷が、深津絵里を追っていた時期があった。
ヒット映画や秀逸なドキュメンタリー番組により改めて特攻隊が注目を集めている。特攻隊というと筆者が思い出すのはテレビ『3年B組金八先生』の第2シリーズ(1980)で、特攻への言及が『金八先生』全体を貫く精神にもよくも悪くもつながっているように感じられて印象深い。
言葉として好き、根拠なく嫌い ――『たまご和尚』などで、「同情が好き」というようなフレーズがありますが。
『ペットントン』(1983)や『どきんちょ!ネムリン』(1984)などの東映不思議コメディーシリーズやアニメ『忍たま乱太郎』(1993)などで知られる浦沢義雄先生。2013年2月に「京都の某ホテルにて」行われたという浦沢先生のインタビューを以下に引用したい。大阪芸術大学文芸学科の発行する「別冊 詩の発見」第12号に掲載された(明らかな誤字は訂正し、用字・用語は可能な限り統一した)。
風吹ジュン × 山崎裕 トークショー レポート・『ラ・カチャダ』(2)
【作品について (2)】 山﨑「この作品(『ラ・カチャダ』〈2019〉)の前に劇団はひとつ舞台をやってたみたいです。その次に母親がテーマでもっと長い作品をやろうということで動き出した。既に少し始まっていたところに監督が参加して(ドキュメンタリー制作が始まった)。MeToo運動などが世界中に広がる少し前でした。
風吹ジュン × 山崎裕 トークショー レポート・『ラ・カチャダ』(1)
エルサルバドルのシングルマザー5人が劇団 “ラ・カチャダ” を立ち上げた。その演劇は彼女たち自身の現実の人生、虐待や暴力や貧困を直裁に投影したものだった。
大森一樹 インタビュー “いい表現とは観客の視点で作ること”(2009)
映画『ヒポクラテスたち』(1980)、『すかんぴんウォーク』(1984)、『「さよなら」の女たち』(1987)、『ゴジラvsビオランテ』(1989)など多彩な作品を連打した故・大森一樹監督。大森氏は大阪芸術大学教授も務めて映像学科長でもあった。その時期の思いを吐露したインタビューを以下に引用したい。
山田太一インタビューがスタジオジブリ広報誌「熱風」にて連載スタート
2017年から2023年まで、山田太一先生(昨年11月に逝去)の全作品インタビューが行われています。
是枝裕和 トークショー レポート・『もう一つの教育 伊那小学校春組の記録』(3)
【ドキュメンタリーとローラ(2)】 『もう一つの教育 伊那小学校春組の記録』(1991)の後半には、ローラをもとの飼い主の方に戻すか戻さないかについての討議がある。
是枝裕和 トークショー レポート・『もう一つの教育 伊那小学校春組の記録』(2)
【伊那小学校春組の学習(2)】
是枝裕和 トークショー レポート・『もう一つの教育 伊那小学校春組の記録』(1)
最近は『ベイビーブローカー』(2022)や『怪物』(2023)などで知られる是枝裕和監督。是枝氏は20代のころに、長野県にある伊那小学校春組に1988年から91年にかけて通ってドキュメンタリー『もう一つの教育 伊那小学校春組の記録』(1991)を撮った。
原恵一 × 辻村深月 トークショー レポート・『かがみの孤城』(2)
【不登校について】
原恵一 × 辻村深月 トークショー レポート・『かがみの孤城』(1)
中学生のこころ(声:當真あみ)はいじめが原因で不登校に。ある日、鏡に吸い込まれたこころは謎の孤城に迷い込み、リオン(声:北村匠海)ら同じく不登校の少年少女に出会った。孤城は仮面をつけた女性・オオカミさま(声:芦田愛菜)が君臨する不可思議な世界だった。
山田太一 インタビュー(2006)・『異人たちとの夏』(2)
――山本周五郎賞の審査員もされていましたね。
山田太一 インタビュー(2006)・『異人たちとの夏』(1)
山田太一原作のイギリス映画『異人たち』(2023)が公開された。原作となったファンタジー小説『異人たちとの夏』(新潮文庫)により山田先生は1988年度の山本周五郎賞を受賞。そのときの経緯のほか、ファンタジーなどに関して語られたインタビューが、2006年に早稲田大学第二文学部表現・芸術系専修のサイトに載った。今回の映画と直接関係があるわけではないが、公開を記念して以下に引用したい(用字用語は可能な限り統一した)。
石井隆 インタビュー “「現場では大ヒンシュク、毎日孤立していました」異業種監督のパイオニア的存在”(2015)・『GONINサーガ』
『死んでもいい』(1992)や『ヌードの夜』(1993)などで高い評価を受けた石井隆監督。その中で特に人気の高いのが『GONIN』(1995)である。2015年に続編『GONINサーガ』が発表され、公開時のインタビューを(いまは読めなくなっているゆえ)以下に引用したい。石井氏は2022年に逝去し、本作が遺作となった。
「ユリイカ」2024年4月号(青土社)が、昨年11月に逝去した山田太一先生を特集しています。
冴子なんて段々と落ちぶれて、街のホームレスになっていくんじゃないか、なんてことも実は親父としては心配なんだろうし、本当にあの家は悩みが絶えません(笑)。
テレビ『仮面ライダーW』(2009)にて悪のボス・園咲琉兵衛を演じた寺田農。園咲琉兵衛の怪人体のフィギュアが発売されたのを記念して、2011年に寺田のインタビューが石森プロのサイトに掲載された。寺田氏は2024年に逝去したので、追悼として以下に引用したい。
池端俊策講演会 “脚本家の仕事” レポート・『麒麟がくる』(4)
ドラマをつくるときは自分の生きている時代を意識したり吸収したりしながらつくる。人間は時代と切り離せないもので、社会と全く隔離されて生きるなんていうのはリアリティを持たない。その時代の中で犯罪や恋愛や家庭崩壊があったり。大河ドラマであってもいまと切り離しちゃうと、見る人に違和感がある。どっかで自分と似た呼吸をする人が活躍するから、感情移入できるんですね。
池端俊策講演会 “脚本家の仕事” レポート・『麒麟がくる』(3)
【明智光秀の人物像】
池端俊策講演会 “脚本家の仕事” レポート・『麒麟がくる』(2)
そしたらプロデューサーは喫茶店の片隅で「光秀(明智光秀)役は誰ですか!?」。気が早いね(一同笑)。直前に『夏目漱石の妻』(2018)をやってて、漱石役が長谷川博己さんだったんですね。瞬間、彼は光秀っぽいな。神経質そうで。光秀の伝記を読んでもそうだったらしい。神経質でちょっといい男。だけれど41歳になるぐらいまで歴史書には登場してこない、不思議な人。それから50代前半はまで約10年活躍しただけです。ミステリアスで神経質で、ああ長谷川博己じゃないか。プロデューサーも「それで行きましょう」とその場でもう決まっちゃった。大河ドラマは誰が主役をやるかが大事で、他の役者さんも主役を基準に配置するんですね。
池端俊策講演会 “脚本家の仕事” レポート・『麒麟がくる』(1)
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀の生涯を描いた意欲的な大河ドラマ『麒麟がくる』(2020)。その脚本を手がけた池端俊策氏は『昭和四十三年 大久保清の犯罪』(1983)や『仮の宿なるを』(1983)、『夏目漱石の妻』(2016)などでも知られる名匠である。埼玉県蕨市在住で、蕨市主催による講演会が2023年1月に行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
そのようなところで私が映画をじっと見ているうちに、顔面神経麻痺というものにかかってしまい、あるとき水を飲んだら全部左の口から出て来る。これはどうしたことかと病院にまいりました。不幸なことに東大病院だったんですけれども「ああいけない。顔面神経麻痺です」と言われた。「どうしてあなたはかかられたのですか」と医者が訊くので私は嘘をついて「列車の窓から左側に風を受けていたらこうなりました」と言ったら医者は「それはいけませんね」と薬を調合し、マッサージのようなことをして1か月は病院に通った記憶があります。
1944年、偶然出会った娼婦・マノン(セシル・オーブリー)に魅せられたロベール(ミシェル・オークレール)。奔放なマノンはやがて身を持ち崩し、ふたりは破滅へ向かっていく。
高橋洋 × 塩田明彦 トークショー レポート・『ザ・ミソジニー』(3)
【神秘とは何か】 塩田「「すべては神秘に始まり政治に終わる」っていう印象的な言葉についてはいかがですか?」
高橋洋 × 塩田明彦 トークショー レポート・『ザ・ミソジニー』(2)
【光の恐怖 (2)】
高橋洋 × 塩田明彦 トークショー レポート・『ザ・ミソジニー』(1)
劇作家(中原翔子)に、洋館に呼ばれた女優(河野知美)。彼女は劇作家の夫を略奪した過去があった。母を殺す役を演じるうちに女優はおそろしい疑惑にとりつかれていく。
『今朝の秋』(1987)は脚本の山田太一にとって愛着のある作品のようでトークイベントでも自薦の1作として挙げて「家族全員の心は通っていない。でも最期だから芝居を、家族団欒の芝居をしようと」「(ラストシーンの)笠さんと杉村さんも、心が通っていない。だから辛(から)い話なんですけど、そういうのを書きたかったんですね」と述べる。
前妻(杉村春子)に男と去って行かれ、蓼科にてひとりで暮らす80代の主人公(笠智衆)。彼のもとへ息子(杉浦直樹)の妻(倍賞美津子)が訪れ、息子ががんで余命わずかだと告げる。息子とその妻は不仲で家庭は冷え切っていた。
山田太一脚本 × 鶴田浩二主演『シャツの店』メイキングを振り返る(2)
『シャツの店』(1986)の主人公はあくまで時代遅れでコミカルで、たしかに『男たちの旅路』シリーズのように作者の意図を越えてヒーロー化してしまう懸念はなさそうではある。しかしそれでも鶴田浩二の目つきやたたずまいにはかっこよさを感じさせるものがあった。
山田太一脚本 × 鶴田浩二主演『シャツの店』メイキングを振り返る(1)
任侠映画などで存在感を放った名優・鶴田浩二。その鶴田の遺作になったのが山田太一脚本によるテレビ『シャツの店』(1986)である。筆者は幼いころからこの作品をくり返し見ており、その制作過程を改めて振り返ってみたい。
滝田洋二郎 × 竹村祐佳 × 螢雪次朗 × 池島ゆたか トークショー レポート・『痴漢電車 ちんちん発車』
故郷のしきたりのために結婚しなければならない主人公(竹村祐佳)は電車の中で出会った男(久保新二)に偽装結婚を依頼した。主人公のために雪の舞う新宿にマタギの許嫁(池島ゆたか)がトラクターで現れる。主人公の上司である探偵事務所の所長(螢雪次朗)は遺産相続をめぐる調査に没頭していたが、やがて殺人事件に巻き込まれる。
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さまざまな映画監督のデビューを追った『デビュー作の風景 日本映画監督77人の青春』(DU BOOK)は優れたルポルタージュだが、その著者・野村正昭がかつて、仕事が厭になったなどと記していて何となく印象に残った。見直してみると2007年に季刊誌「映画芸術」に載った一文であった。
【桜子の人物造型】 犬童「(『BU・SU』〈1987〉では)高嶋(高嶋政宏)さんと富田(富田靖子)さんに比べて、広岡さんのやっている桜子はあっけらかんとしていますね。あのふたりははっきり挫折して人生の底辺ですべてに不満を持っているようですが、そういう青春と関係ないところで広岡さんはひとり愉しそうに見えます」
【撮影の想い出】 広岡「(『BU・SU』〈1987〉の最初の撮影は)神楽坂の阿波踊りだったような。阿波踊りに合わせて撮影しなきゃいけなかったので。ビアガーデンのシーンが最初だったような記憶があるんですけど…。唐突にあのシーンから撮影が始まった気がします」
陰気でひねくれた女子高生・麦子(富田靖子)は、親元を離れて神楽坂で芸者の修行をしながら高校に通う。麦子はクラスで友人(高嶋政宏、広岡由里子ら)と知り合ったことなどにより変容し、文化祭で「八百屋お七」の公演に挑む。
【『東京幻夢』(2)】 志水「(『東京幻夢』〈1986〉では)ハイビジョンでということで私の顔に立体的なほくろをつけてみたり。それが映るだろうかと。
東京の片隅で昔ながらの写真館を営む男(堀内正美)。谷中や根岸をさまよい、古ぼけた洋館などを撮影する男の視界に謎の女(志水季里子)が現れて、男は翻弄される。
【『波の盆』の撮影現場 (2)】 『波の盆』(1983)のラストの灯籠は印象深いが、実は日本で撮影されたという。
【『波の盆』のカメラ (2)】
【『波の盆』の立ち上げ (2)】
ハワイに暮らす日系1世の老人(笠智衆)の前に、日本から来た孫(石田えり)が現れる。老人は想い出の中で亡くなった妻(加藤治子)や息子(中井貴一)と語らっていた。
【パネルトーク (2)】 江戸川乱歩はエッセイも多数遺している。
【第7~9巻について (2)】 金子「次に新人への配慮です。江戸川乱歩賞を取った作家たち、仁木悦子の作品が映画化されるとか、そういう記事をご本人に送ったと書いてあるんですね。陳舜臣さんの地方紙の記事も送ったと。戸川昌子さんは送ってないのかな、何かあったのか判りませんが(笑)。
【第7~9巻について (1)】 貼雑年譜の第7~9巻は金子明雄氏が担当。乱歩が巨匠となった時代である。
【第3巻について (2)】 石川「この後の時代ですけど探偵小説会の土曜会が発足します。その案内を乱歩が手書きで書いています。新聞記事と対照化させて載せていて、自分の原稿と報道とが両側から見える。 戦後に行われた、戦争協力の調査票。乱歩が恐れていたのは、GHQによって執筆の機会が奪われることだったと思います。戦時中の内務省の検閲でほとんどの作品が出版停止処分になっていましたから、戦後に調査票を受け取って深く読み込んでいます。提出したものをカーボン紙で写しをとっているんですけど、それには戦時中にどういった働きをしたか書いています。大政翼賛会豊島支部事務長だから厭々やったんだとか、作家で日中に家にい…
【第3巻について (1)】 貼雑年譜の第3巻(戦時下の時代)は石川巧氏が担当。 石川「第1、2巻は既に復刻されました。このセンターの仕事に携わって20年近くになるんですけれども、先日のNHKの番組の撮影で初めて貼雑年譜の現物を見ました。普段は図書館の貴重書庫に入っていまして、われわれも見ることはできません。それで手袋をするかどうかで30分揉めたんですね(笑)。貴重資料を触るとき、手袋をしてもクレームが来るし、しなくてもクレームが来る。結局、手を洗って手袋をしないで触ったんですが、資料を公開するとそういうところにデリケートに問題点が現れる。今回の公開でもわれわれが解題を書いてから公開すると、資料…
作家・江戸川乱歩が膨大な資料を貼りつけたスクラップの自分史・貼雑年譜。全9冊のうち、3巻目以降は未公開だったが、2023年にオンライン公開されることになった。公開を記念して同年11月に立教大学大衆文化研究センターでシンポジウム “江戸川乱歩自筆資料の魅力と可能性” が行われ、立教大の石川巧・金子明雄・尾崎名津子・後藤隆基、東京創元社の元社長でミステリ評論家の戸川安宣、乱歩の孫の平井憲太郎の各氏が登壇した(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【スタジオ・ゼロの時代 (2)】 「おたのしみアニメ劇場」のころに、鈴木氏は自主制作のアニメ「点」(1971)も制作。
【スタジオ・ゼロの時代 (1)】 1963年、鈴木氏はトキワ荘の仲間(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、つのだじろう、赤塚不二夫)とスタジオ・ゼロを設立して独立。当時30歳だった。
テレビ『おそ松くん』(1966)や『パーマン』(1967)などさまざまなアニメ作品を手がけるアニメーター・演出家の鈴木伸一。2023年に鈴木氏のエッセイ『アニメと漫画と楽しい仲間』(玄光社)が刊行され、同年10月に御茶ノ水でトークイベントもあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【作品について (2)】 山﨑「この作品(『ラ・カチャダ』〈2019〉)の前に劇団はひとつ舞台をやってたみたいです。その次に母親がテーマでもっと長い作品をやろうということで動き出した。既に少し始まっていたところに監督が参加して(ドキュメンタリー制作が始まった)。MeToo運動などが世界中に広がる少し前でした。
エルサルバドルのシングルマザー5人が劇団 “ラ・カチャダ” を立ち上げた。その演劇は彼女たち自身の現実の人生、虐待や暴力や貧困を直裁に投影したものだった。
映画『ヒポクラテスたち』(1980)、『すかんぴんウォーク』(1984)、『「さよなら」の女たち』(1987)、『ゴジラvsビオランテ』(1989)など多彩な作品を連打した故・大森一樹監督。大森氏は大阪芸術大学教授も務めて映像学科長でもあった。その時期の思いを吐露したインタビューを以下に引用したい。
2017年から2023年まで、山田太一先生(昨年11月に逝去)の全作品インタビューが行われています。
【ドキュメンタリーとローラ(2)】 『もう一つの教育 伊那小学校春組の記録』(1991)の後半には、ローラをもとの飼い主の方に戻すか戻さないかについての討議がある。
【伊那小学校春組の学習(2)】
最近は『ベイビーブローカー』(2022)や『怪物』(2023)などで知られる是枝裕和監督。是枝氏は20代のころに、長野県にある伊那小学校春組に1988年から91年にかけて通ってドキュメンタリー『もう一つの教育 伊那小学校春組の記録』(1991)を撮った。
【不登校について】
中学生のこころ(声:當真あみ)はいじめが原因で不登校に。ある日、鏡に吸い込まれたこころは謎の孤城に迷い込み、リオン(声:北村匠海)ら同じく不登校の少年少女に出会った。孤城は仮面をつけた女性・オオカミさま(声:芦田愛菜)が君臨する不可思議な世界だった。
――山本周五郎賞の審査員もされていましたね。
山田太一原作のイギリス映画『異人たち』(2023)が公開された。原作となったファンタジー小説『異人たちとの夏』(新潮文庫)により山田先生は1988年度の山本周五郎賞を受賞。そのときの経緯のほか、ファンタジーなどに関して語られたインタビューが、2006年に早稲田大学第二文学部表現・芸術系専修のサイトに載った。今回の映画と直接関係があるわけではないが、公開を記念して以下に引用したい(用字用語は可能な限り統一した)。
『死んでもいい』(1992)や『ヌードの夜』(1993)などで高い評価を受けた石井隆監督。その中で特に人気の高いのが『GONIN』(1995)である。2015年に続編『GONINサーガ』が発表され、公開時のインタビューを(いまは読めなくなっているゆえ)以下に引用したい。石井氏は2022年に逝去し、本作が遺作となった。
「ユリイカ」2024年4月号(青土社)が、昨年11月に逝去した山田太一先生を特集しています。
冴子なんて段々と落ちぶれて、街のホームレスになっていくんじゃないか、なんてことも実は親父としては心配なんだろうし、本当にあの家は悩みが絶えません(笑)。
テレビ『仮面ライダーW』(2009)にて悪のボス・園咲琉兵衛を演じた寺田農。園咲琉兵衛の怪人体のフィギュアが発売されたのを記念して、2011年に寺田のインタビューが石森プロのサイトに掲載された。寺田氏は2024年に逝去したので、追悼として以下に引用したい。
ドラマをつくるときは自分の生きている時代を意識したり吸収したりしながらつくる。人間は時代と切り離せないもので、社会と全く隔離されて生きるなんていうのはリアリティを持たない。その時代の中で犯罪や恋愛や家庭崩壊があったり。大河ドラマであってもいまと切り離しちゃうと、見る人に違和感がある。どっかで自分と似た呼吸をする人が活躍するから、感情移入できるんですね。
【明智光秀の人物像】
そしたらプロデューサーは喫茶店の片隅で「光秀(明智光秀)役は誰ですか!?」。気が早いね(一同笑)。直前に『夏目漱石の妻』(2018)をやってて、漱石役が長谷川博己さんだったんですね。瞬間、彼は光秀っぽいな。神経質そうで。光秀の伝記を読んでもそうだったらしい。神経質でちょっといい男。だけれど41歳になるぐらいまで歴史書には登場してこない、不思議な人。それから50代前半はまで約10年活躍しただけです。ミステリアスで神経質で、ああ長谷川博己じゃないか。プロデューサーも「それで行きましょう」とその場でもう決まっちゃった。大河ドラマは誰が主役をやるかが大事で、他の役者さんも主役を基準に配置するんですね。
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀の生涯を描いた意欲的な大河ドラマ『麒麟がくる』(2020)。その脚本を手がけた池端俊策氏は『昭和四十三年 大久保清の犯罪』(1983)や『仮の宿なるを』(1983)、『夏目漱石の妻』(2016)などでも知られる名匠である。埼玉県蕨市在住で、蕨市主催による講演会が2023年1月に行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
そのようなところで私が映画をじっと見ているうちに、顔面神経麻痺というものにかかってしまい、あるとき水を飲んだら全部左の口から出て来る。これはどうしたことかと病院にまいりました。不幸なことに東大病院だったんですけれども「ああいけない。顔面神経麻痺です」と言われた。「どうしてあなたはかかられたのですか」と医者が訊くので私は嘘をついて「列車の窓から左側に風を受けていたらこうなりました」と言ったら医者は「それはいけませんね」と薬を調合し、マッサージのようなことをして1か月は病院に通った記憶があります。