明治39年(1906年)に沖縄首里で生まれた大塚敏先生は、琉球王国最後の王である尚泰王の孫、尚謙とは沖縄師範学校附属小学校の同級生で大の仲良しで、首里城にも度々遊びに行かれていたそうです。沖縄戦で地形が変わるほどまでに破壊されてしまう以前の首里を知る最後の生き
暑さがぶり返した佐賀です。猛烈な台風が、沖縄近海にあり不気味な動きが心配です。さて、明日、9月1日テレQ で19:58より無人島に関する番組、「沖縄唯一の火山島硫黄鳥島」が放送されるそうです。https://www.tvq.co.jp/tv/weekly/?p=628208&s=0xDC28&e=50637&ed=202208
本日は近所の友人と小城の清水の滝と須賀神社へ行ってきました。目的は足腰の鍛錬・・・清水の滝は涼しくて、とても気持ちの良い所でした。カルピス風鈴の音が、涼しさを倍増させていました。「なぜカルピス」?と友人が聞くので「カルピスの創業者が、小城出身の中林梧竹
朝晩は随分と涼しくなりましたが、日中はまだまだ暑い佐賀でした・・・図録『海を渡った古伊万里~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇』を見ています。有田で作られた古伊万里金襴手の陶片が沢山あります。有田の染付はないようです。ヨーロッパの人々は、絢爛豪華な金襴手が
今日も過ごしやすい佐賀でした。朝晩は、肌寒く感じるほどです。夏も終わりなのでしょうか・・・?今年の夏の、我が家のメインイベントは精霊流しでした。子どもたちや孫たちと長崎に集合し、義母を精霊船に乗せ送りました。長崎の精霊流しは、決してしめやかなものでは
昨日あたりから、急に秋を感じるようになった佐賀です。朝方などは寒いと感じるほどです。本日は伯父の法事でした。このところ法事が続き、その度に従兄弟たちと顔を合わせることが多くなりました。小さい頃は従兄弟たちと、母の実家に集まってよく遊んだものです。母
焼物のことは英語でchinaとも表記します。これは、陶磁器の原産国が中国であったからだそうです。漆器のことは、英語でjapanと表記します。これは原産国が日本だからです。漆器と言えば石川県の輪島塗が有名です。ウィーン万博では、漆器も展示され人気だったようです
ウィーン万博に関する記事を書くために時間を費やした一日でした。明治6年1月28日より洋行の86人の名前がある「墺英両国博覧会出張人名表」というのが残っています。このうち、佐賀県関係者は、総裁大隈重信、副総裁佐野常民(52)、事務官2級鑑識石田為武(37)、同藤山
先日の佐賀新聞に、納富介次郎に関する記事がありました。納富介次郎は、明治6年(1873年)のウィーン万国博覧会で政府随員として渡欧し、ヨーロッパの製陶所で伝習生として陶磁器の製造を学んだ後、明治8年(1875年)に帰国しています。なので、てっきりウィーン万博150周
今日は久々の南里邸歴史倶楽部でした。集まるのは7月の初め以来でしょうか・・・積もる話が沢山です・・・8月の初めに、東京の「幼きイエス会」から、南里邸歴史倶楽部で作った『激動の時代を生きたー佐賀縁の女たち』が欲しいと連絡があり、お送りしたところお礼のお手紙と、
本日もムシムシと暑い佐賀でした・・・今日は海苔を買いに行ってきました。佐賀の海苔はとっても美味しく、評判が良いです。軽いし、かさばらないので、お土産にも最適です。海苔漁師さんたちの努力の甲斐あって、佐賀海苔は19年連続日本一の座に輝いています。佐賀の海
今日も昨日に引き続き、暑いうえに湿度が高く、風もなく、とても過ごしにくい佐賀でした・・・我が家の、40年程働いてくれた一番古いクーラーも、とうとう壊れてしまったようです・・・我が家の周りは木々が沢山あり、田んぼが広がっているので、窓を開け放していれば何処からか
今日の佐賀は、湿度がとても高く、風もなく、とにかく不快な暑さの一日でした。1873年のウィーン万博には、佐賀藩出身者が多数参加し、ヨーロッパで数々のことを学び、帰国後日本の近代化のために大いに活躍したことは、残念ながら佐賀の人たちにあまり知られていないよう
図録『日本・オーストリア修好130周年記念展ー青山光子、クリムト、その時代』見ています。これは、1999年に発行されたものです。この中には、西陣織博物館が所有する「墺英両国博覧会出張人名表」が掲載されています。その説明には、次のように書かれています。………
久々に雨が降らず、暑くもない佐賀でした。このところ、日課のウォーキングをさぼってばかりでしたが、今日は夕方蓮池へ歩いていくことが出来ました。お盆は長崎で過ごし、坂道ばかり歩いていたので、佐賀の平らな道は物足りなく感じました。さて、ウィーン万博について
この夏の我が家の最大のイベント、精霊流しを無事に終え、気が抜けたような我が家です。8月に入ってからは、とにかくコロナの感染だけは避けねばと、どうしても必要な外出以外は、自宅で自粛の日々でした。お盆も終わり、そろそろ調べものに動き出したいと思います。当
今年のお盆は、夫の出身地、長崎に家族で集合し、過ごしました。長崎の両親が元気だったころは、子どもたち共々、度々長崎に行っていたのですが、両親も亡くなり、実家も手放した今は、長崎が遠くなってしまいました・・・義母はコロナ禍の一昨年に亡くなりましたが、面会制
今日は長崎で精霊流しです。断続的に激しい雨が降るなか、舟をひくひとたちは大変です。それでも爆竹をならしながら進む船は圧巻です。我が家ももやい船で義母を送りました。
先祖の墓参りに行ってきました。私は2回目…子どもや孫たちは初めてです。孫たちが、今日のことを、いつか思い出してくれるかもしれません。
台風の影響で雨がふり、少し過ごしやすくなりました。我が家の方では今日からお盆。お墓参りをし、先祖を偲びます。コロナの感染拡大が続き、親族が揃うのも大変です。早くコロナが落ち着くことを願うのみです。
ウィーン万博では、日本は大変力を入れ、日本のパビリオンは大人気だったそうです。ウィーン万博以降、ヨーロッパではジャポニズムと呼ばれる日本趣味が流行しました。日本の浮世絵の影響を受けている著名な画家などが有名です。ちなみに、ジャポニスム(仏: Japonisme)は
1973年のウィーン万博から、来年は150年。ウィーン万博のことを調べなくてはと思います。まずは日本とオーストリアとの関係をまとめてみます。2年前の『葉隠研究』に投稿文より抜粋します。この時も、オーストリアの歴史について知らないことが多すぎるので、調べるのに
今日も暑い暑い佐賀でした・・・日中は外に出るのは危険な暑さですので、何もせず、だらだらと一日を過ごしておりました・・・このところ、ウィーン万博のことが気になっています。ウィーン万博は1873年(明治6)の開催ですので、来年はウィーン万博から150年になります。明治
本日もとても暑い佐賀でした・・・今日は初盆参りに行った先で、近所の方々と、蓮池の話で盛り上がりました。蓮池の祇園はとっても賑やかで、みんな楽しみにしていたようです。20年位前までは、結構賑やかだったとのことですが、私が知っている60年くらい前はものすごく賑や
今日も暑い佐賀でした・・・知人友人から、コロナ罹患の連絡が続いています・・・我が家も先月夫が罹患し、私は濃厚接触者となり自宅待機5日間・・・運悪くその時に、歯が痛くなってしまい、自宅待機期間明けまで治療を待たざるを得ず、期間明けには、真先に歯医者さんへ。幸い、
佐賀は、昨夜は激しい雨と雷・・・気温はちょっと下がったようですが、湿度が高く過ごしにくい一日となりました。午前中は叔母の初盆参り、午後から庭仕事を少しばかり。初盆は例年ならば親族が集まってゆっくりと故人を偲ぶのですが、コロナ禍では、お経も黙読、お経がすん
本日は雷が鳴り、断続的に激しい雨が降り、とてもおかしなお天気でした。午後からは雨は上がったものの、湿度がとても高く、ちょっと動くだけで汗が噴き出すほどでした。お盆も間近になり、初盆の親戚にお参りに行ってきました。遊びに行くと昔話を沢山してくれた伯父の
本日の佐賀は日中は35度まで上がったのですが、風があり、比較的過ごしやすい一日でした。今日は我が家は、コンサルタント会社の方が来られ、5人で8時間、建物や敷地内の不具合を見てくださいました。一昨年、我が家の周りのクリークの護岸工事があり、工事の影響を受け
今日も暑い暑い佐賀でした・・・今年は8月7日が立秋です。少し涼しくなってくれるとよいのだけれど、期待できそうにありません・・・さて、先日大隈重信について問い合わせがあったのですが、大隈の妻の美登は江副家の娘であるということをご存知でした。美登さんのこと、だ
本日も暑い暑い佐賀でした・・・暑すぎて何もしたくない日が続いております・・・今年は親戚に初盆が多く、そろそろお参りに行かなくてはと思っています。頼りにしていた親戚の年配者が次々といなくなり、いつの間にか頼りにされる側になってしまいました・・・昔はお盆のお供え
今日も暑い暑い佐賀でした・・・外仕事は諦めました・・・台所の隅にあるビン類は、梅干し、梅酒、梅ジュース、ニンニク醤油・・・ここにUターンして28年。何となく作ってみたものの、食べ残し、飲み残しを捨てる勇気がなく、溜まってしまっています。祖母たちは、味噌醤油から
今日も朝から暑い佐賀でした・・・昨日退治したスズメバチの巣を見に行ったところ、ハチの出入りはなく多分大丈夫だろうとは思いますが、念のため、もう一度殺虫剤を噴射して、巣をとり除こうと思います。これだけ立派な巣をつくったスズメバチに申し訳ない気もします・・・さ
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明治39年(1906年)に沖縄首里で生まれた大塚敏先生は、琉球王国最後の王である尚泰王の孫、尚謙とは沖縄師範学校附属小学校の同級生で大の仲良しで、首里城にも度々遊びに行かれていたそうです。沖縄戦で地形が変わるほどまでに破壊されてしまう以前の首里を知る最後の生き
本日の佐賀は、久々に青空がきれいでした!庭が日に日に草に陣取られて来たので、草刈りに励みました。木も大きくなっているので、少し切らなければ・・・さて、一昨日「ひととき」5月号が送られてきました。この雑誌は、東海道と山陽新幹線のグリーン車に備えられているそう
永原マツヨが世に送り出した、佐喜眞興英著の『女人政治考』(1926年出版)を何としても手に入れたいと思った私は、佐賀の古書店を訪ねて回りました。1997年のことで、今のようにネットで本を探し、購入できる時代ではありませんでした。「洋学堂書店」を訪ねると、目的の本
永原マツヨと佐喜眞興英のことは、この研究成果は、アバンセへの報告書の他、「針葉の意志」という小冊子とビデオテープにまとめました。当時はVHSのビデオテープでしたが、何とかDVDに焼き直しましたので、ご興味のある方はご連絡いただけるとお分けすることはできます。た
思い出し思い出し、永原マツヨと佐喜眞興英について調べた頃のことを書いてみます。永原マツヨ(1898年~1983年)と佐喜眞興英(1893年~1925年)のことを調べてみると、私にとって興味深いことが沢山出てきました。「青鞜社」とも交流のあった佐喜眞興英の著書『女人政治
そもそも、何故佐喜眞興英を知ったか・・・です。1995年9月に中国の北京で、女性の地位向上を目的として国連主催の第4回世界女性会議が開かれました。会議には189の国家代表に加え、国連機関やEU、アラブ連盟からも参加者が集まり、正式参加者だけでおよそ17,000名。この会議
永原マツヨと佐喜眞興英についての私たちの調査研究は、ある程度の成果が出たので、これを色々な人たちに知らせたいと思いました。1997年当時、我が家のパソコンはインターネットにつないでいたので、この成果をできるだけ多くの人に伝えたいと思い、通信料の安い夜中に、色
ヨーロッパ旅行を思い出しながらの報告はひとまず終わりにします。まだまだ、見たこと、感じたことが沢山あるので、気が付いた時にご報告したいと思います。さて、先日、沖縄の佐喜眞美術館より、DVD『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14巻』を頂戴しました。佐喜眞美
ヨーロッパ旅行の記録です。ヨーロッパ旅行 おまけの14日目2月8日の19:05にプラハ空港を発ち、2時間40分のフライトでイスタンブール空港に到着。時差があるので現地時間では23:45です。私たちが搭乗する成田行きは2月9日15:20発ですので、乗り継ぎ時間は15時間35分もあり
ヨーロッパ旅行13日目。現地時間は2月8日です。とうとう今回のヨーロッパ旅行最後の日となってしまいました・・・朝、外を見るとうっすらと雪化粧をしていました。今回の旅行で、初めて雪を見ました!プラハ空港発は夕方なので、この日も、ゆっくりと観光を楽しみました。
ヨーロッパ旅行の記録です。ヨーロッパ旅行12日目、現地時間は、2月7日です。プラハ滞在4日目。まずは地下鉄で市街地へ。美術工芸博物館に行ってきました。入場料はシニア料金で一人180チェココルナ(≒1100円)。有名なチェコのボヘミアガラスを沢山見せていただ
本日は良く晴れ、ちょっと暑くはあったけれど、清々しい一日でした。今日は、地域の氏神様の春祭りでした。地域の代表が神社に集まり、いつもは締まっている神殿を開け、米、塩、酒をお供えし隣の地区にある神社の神主さんに来ていただいて、五穀豊穣、地域の人々の安全等
ヨーロッパ旅行11日目、プラハ時間は、2月6日です。プラハ滞在3日目です。地下鉄でまずは新市街地へ出て、ヴァーツラフ広場へ。広場というよりも、大通りです。ヴァーツラフ広場は、チェコの歴史の変わり目には必ず出てくる場所で、第一次大戦後の1918年には、オーストリ
本日はお天気が回復し、日中は暑いくらいでした。地区の小学校の入学式に参列しました。名簿をいただきましたが、私が読める名前はごくわずかでした。子どもたちの名前は、性別で分けずに50音順に並べてありました。うちの子どもたちが小学生の頃は、「男女混合名簿」
本日の佐賀はすっきりとしないお天気でした・・・今年の春はお天気が続きません・・・今朝は地域の資源ごみの回収日。地区役員の夫は早くから出かけていきました。ごみの区分は煩雑ではあるけれど、少しは慣れてきたようで、夫は我が家のゴミ大臣となりつつあります。私も途中
本日は、福岡市立美術館で開催されている、「独立展」へ友人の運転する車で行ってきました。西洋に早くから目を向けていた佐賀は、明治時代には西洋画家もたくさん輩出しています。本日鑑賞した「独立展」にも、佐賀出身の画家の絵が沢山ありました。この展覧会には、高
本日はちょっと肌寒く、風も強い佐賀でした。今年から地区の区長となった夫、溢れる書類に戸惑い、大変そうです。今のところ座敷に書類を広げて頑張っているのですが、専用のスペースを準備することにしました。脱炭素化を徹底し、家の中にある使わなくなった机やプラス
次の日曜日は、我が地区の春祭りで、今年から地区の役員となった夫は神主さんと連絡。何事も初めてで戸惑う事ばかりです。うちの地区の氏神様は神主さんは不在なので、近くの神社の神主さんに来てもらっているのですが、うちの地区はその神社の氏子ではなく、なかなか複雑
ヨーロッパ旅行 10日目は、プラハ時間で、2月5日です。プラハの町は、どこもかしこも凄すぎて、言葉になりません・・・まずは、ホテルの横のユダヤ人墓地に行き、20世紀の文学を代表する作家であるカフカのお墓にお参りしてからプラハの街歩きを始めました。カフカ自身は第
4月から始まったNHKの朝ドラ『虎に翼』を毎朝楽しみにみています。女性で初めて弁護士になった三淵嘉子さんをモデルにしている物語です。近年は、女性をテーマの一つとして、幕末明治のことを調べているので、とても興味深く見ています。リスクを恐れずチャレンジする「フ
本日はお昼から、有田へ行ってきました。来月「西洋の人々を魅了した有田焼」と題して話をする予定で、今準備中なのですが、確かめたいことがいくつかあり、資料を探すよりも、有田にある九州陶磁文化館へ行き調べたく思ったのです。道中、もう一つ楽しみがありました。
本日は尺八のお話を聞くことが出来ました!起源は中国のようですが、日本で独特の発展を遂げたみたいです。楽譜はどんなもの?海外での人気は?矢継ぎ早の素人の質問にも丁寧に対応してくださる先生で、とても興味深いお話でした。知らないことだらけでした!!
昨夜、統一地方選挙に絡んだテレビ番組をぼんやりとみていたら、聾者の方は、選挙公報などの文字情報を見ても、手話でなければ意味が伝わらないとの報道がありました。手話は単語の一つ一つを表現でき、そのつながりは話者を見ていればわかるのだけれども、文字だと繋がり
本日は、佐賀市の浪漫座で開かれた、須田美穂さんと大坪健人さんのピアノデュオリサイタルに行ってきました。音楽は生の演奏で聴くのが、一番いいな~と思います。今日の演奏会では、ショパンの曲もあり、ショパンについての話がありました。ショパンはポーランド生まれ
本日は佐賀近代史研究会の定例会でした。今日は「近現代史資料との私的関り」をテーマとする講演会でした。とても興味深い内容でした。中でも「近現代史研究におけるオーラルヒストリーの重要性」の話にぐいぐいと惹かれました。オーラルヒストリーとは、ある個人にその
本日は風が強く雲の多い佐賀でした。今日のウォーキングは、我が家から一番近い福岡県との県境まで歩き、久々に1万歩を超えました!!川の堤防に上るところが、ちょっとばかり坂になっているだけで、延々と農地が続き、ひたすら平坦地を歩きます。今は麦の穂が出ていま
今夜は長年来の友人が来てくれ、久しぶりにゆっくり話すことが出来ました。友人は、例えば、江北町をキーワードに女性を語れと言われれば、直ぐに緒方トキが浮かび、関連のエピソードが出てくるというのは凄いと言ってくれた。どうしてそんなに出てくるのかと問われた。
本日は一日中曇り空でしたが、暑い一日でした・・・このところの佐賀は、寒暖の差が大きいように思えます。体が気候に順応するのが大変です。さて、今朝の新聞で、昨日多久聖廟で「春季釈菜」があったことを知りました・・・釈菜は孔子を祀る国の重要文化財である多久聖廟で、
佐賀の海苔は、昨季まで19年連続で、販売枚数、販売高ともに日本一でしたが、今季は、記録的な大不作で、トップの座を兵庫県に奪われてしまいました・・・今朝の新聞によれば、カルビーが佐賀県産のりを使ったポテトチップス「有明海産佐賀のり味」を発売したとありました!
本日は、朝から良いお天気の佐賀でした!!自宅からほど近い蓮池公園入口の住宅街にオープンしたブックカフェへ行ってみました!思っていた以上にステキな所でした!!駐車場も広く、ゆったりした店内には、売り物の古書や小物が並んでいました。焼物に関する本をとっ
本日はめまぐるしく変わる天気に振り回される佐賀で、出かけることをためらう一日でした。今朝の佐賀新聞によると、蓮池公園にほど近い住宅街に、ブックカフェがオープンしたとのこと。佐賀市の中心部に店を構えていた古書店が移転してきたとのことです。美味しいコーヒ
本日は、玉ねぎ農家の方に、玉ねぎを沢山いただきました!!佐賀の玉ねぎは、甘くてとても美味しいです。佐賀は北海道に次ぐ玉ねぎの産地です。玉ねぎの収穫は、足腰に負担のかかる重労働で、とても大変です。北海道の北見辺りでは、機械を使っての収穫ができるのは、大
香月経五郎のことから、明治初期の留学生のことが気になります・・・以前に、このブログに書いた、佐賀藩の明治初期の留学生名、再掲載してみます。この方々が、その後どのような活躍をしたか知りたいと思います。ただ、帰国後は、佐賀ではなく東京に拠点を移し、国のために
今から149年前の1874年(明治7年)の今日、佐賀の乱(佐賀戦争)で首謀者とされた江藤新平や島義勇が処刑されました。彼らと共に刑死した人物に香月経五郎がいます。 昨日の佐賀新聞には、香月経五郎とその弟で、後に日露戦争で活躍した三郎の伝記『香月経五郎と三郎の美
この間、忙しかった我が家でしたので、本日は家族で慰労会と称して、小城の清水に、鯉を食べに行ってきました!!今日は初めて行く「ひのでや」さん。鯉料理もおいしく頂いたのですが、また面白い出会いがありました!!お店の方より、小城の古武道のお話をちょっとばかり
本日は久々に洋学堂書店を訪ねました。思い起こせば洋学堂書店との出会いは、27年前に遡ります。私が佐賀にUターンして間もない頃で、沖縄出身の裁判官、佐喜眞興英のことを知り、彼の遺作『女人政治考』を探して、佐賀市内の古書店を回りましたが見つからず、最後に訪ね
今日も好天に恵まれた佐賀でした。溜まった仕事を片付けなくてはと思いながら、あれこれやっているけれど、探し物が多くちっともはかどりません。物忘れも多く、これも老化のようです・・・まあ、時間がかかっても、成果を残せるならば良しとしようと思います。
本日も良く晴れて気持ちの良い佐賀でした!蓮池公園周辺を歩いてみると、たくさんのトトロと出会うことが出来ました!!地域の方々が、甕を利用して作られたもののようです。私も、割れた甕を二つと、手あぶりの素焼きの火鉢を3個提供したのですが、見事にトトロに変身
春休みを佐賀で過ごした孫たちが、本日帰りました。日頃は大人だけで静かな我が家が、それはそれは賑やかなことでした!今回は、孫たちだけで10日ばかりの滞在だったので、色々な体験ができました。遠方に住んでいるので、なかなか会えないはとこ達が大集合して、一緒に
またやってしまいました・・・家のなかで躓き、ソファーのひじ掛けで肩を強打・・・心配だったので整形外科で見てもらったのですが、幸いなことに骨にも靭帯にも異常はなくホッとしました。十分な骨密度のおかげだと思います。それにしても、大したところでもないのに躓くよう