chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
く〜にゃん
フォロー
住所
奈良市
出身
戸畑区
ブログ村参加

2012/02/11

arrow_drop_down
  • 〈奈良大学博物館〉 企画展「太田古朴が見た山里の文化財」

    【室町前期に遡る翁系能面4面など初公開】奈良大学博物館(奈良市山陵町)で企画展「太田古朴が見た山里の文化財」が開かれている。副題に「高野山麓⋅細川八坂神社の仮面群」。2年前に和歌山県高野町の神社で再発見された室町時代前期の作とみられる能面4面などが初公開されている。7月27日まで。太田古朴(1914~2000)は奈良県吉野町出身で、奈良美術院で仏像修理を学び、生涯を仏像の研究や修理に捧げた。『仏像研究三十年』『美佛参籠』など著書や著作も多い。企画展では代表的な仏像修理の事例とともに、古朴が調査と仏像修理を手掛けた和歌山県高野町細川地区の文化財も紹介している。「はだか地蔵」として有名な伝香寺の地蔵菩薩立像は古朴が調査⋅修理を行った仏像の一つ。納入品納置状況図には像内から見つかった舎利や胎内仏、経典などの納入...〈奈良大学博物館〉企画展「太田古朴が見た山里の文化財」

  • 〈奈良⋅菅原天満宮〉 5年ぶりに「鷽替え神事」

    【「誕生祭」に続き約110人が鷽のお守りを次々に交換】奈良市菅原東の菅原天満宮で6月25日、祭神菅原道真公の「誕生祭」と「鷽(うそ)替え神事」が執り行われた。鷽替えの開催は新型コロナ禍もあって実に5年ぶり。約110人の参拝者が太鼓に合わせ「替えましょ、替えましょ」と木彫りの鷽のお守りを交換しあった。鷽替え神事は九州の大宰府に流された道真が蜂の大群に襲われたとき、鳥の鷽に救われたという故事に因む。鷽は嘘(うそ)に通じ、災厄⋅悪事をうそとし吉に転じてくれるとして、道真を祀る各地の天満宮で行われている。神事の開催時期は年の始めの1月というところが多い。太宰府天満宮も大阪天満宮も道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)も1月に斎行。ただ、この菅原天満宮では古くから道真の誕生日(陰暦6月25日)に合わせて行ってきた。鷽替えは...〈奈良⋅菅原天満宮〉5年ぶりに「鷽替え神事」

  • 〈奈良⋅猿沢池〉 出現! うわさの巨大スッポン

    【クサガメ(?)と仲良く甲羅干し】奈良市の観光名所「猿沢池」。6月19日の午前10時すぎ、工事用素屋根の建設が進む興福寺の五重塔を眺めようと池の畔に立った。ふと池を見下ろすと「アンビリバボー」。巨大なスッポンが悠然と甲羅干しの最中だった。その大きさに唖然!隣のカメの3~4倍はありそうだ。突出した鼻先からスッポンに間違いない。この池にスッポンが生息するとは聞いていた。だが、実際に甲羅干しの場面に遭遇するとは。10年前の2014年、奈良県が池の水抜き調査を行った。その時確認されたカメは全部で258匹。その大半を外来種アカミミガメ(幼体名ミドリガメ)が占めたが、クサガメが54匹、スッポンも3匹いた。国内最大のスッポンはどれくらい?調べてみると、2011年に京都府城陽市の木津川で38.5㎝(甲羅の長さ)、16年に...〈奈良⋅猿沢池〉出現!うわさの巨大スッポン

  • 〈興福寺五重塔〉 見納め! 工事用の素屋根建設本格化

    【120年ぶり大規模修理、完了は7年後の2031年春】奈良公園のシンボルの一つ、興福寺の国宝五重塔が素屋根ですっぽり覆われようとしている。6月19日久しぶりに訪れると、塔を囲むように鉄骨の柱が組み上がり、外観でまだ見えるのは最上層とその上に立つ相輪だけだった。(下の写真は猿沢池から)この五重塔は奈良時代に藤原不比等の娘、光明皇后の発願で創建された。以来、戦火や落雷により再建を繰り返し、現在の塔は約600年前、室町時代の1426年に建てられた6代目。高さは50.9mで、五重塔としては京都の東寺に次いで2番目に高い。本格的な修理は明治時代以来約120年ぶり。屋根瓦の破損やずれ、漆喰の剥離、木造組み物の腐朽など傷みが目立ってきたことによる。素屋根の建設は当初昨年1月着工を予定していたが、資材の高騰などで7月へ半...〈興福寺五重塔〉見納め!工事用の素屋根建設本格化

  • 〈平城宮跡大極門〉 「東楼」1年半後の完成に向け復原進む

    【見学デッキを上ると大きな柱が林立!眺望も絶景】国営平城宮跡歴史公園(奈良市)内の第一次大極殿院の大極門(南門)。2022年3月に始まったその「東楼」の復原工事も後半に入り、25年11月の完成予定まで1年半を切った。工事現場を覆うのは巨大な素屋根。見学デッキを上ってみると、東楼本体を支える大きな柱が林立しているのが見えた。(写真左側の建物が南門)南門(2022年復原)は天皇の即位や元日の朝賀、外国使節の謁見など国家的儀式が行われた大極殿院への正門に当たる。広場を挟んで真北には中枢施設の大極殿(2010年復原)が立つ。奈良時代、その南門の両側には東西に楼閣が立っていた。東楼の復原は過去の発掘調査を踏まえ進行中。南門には南側に接して築地回廊が構築されていた。(下の写真は北側の大極殿から見た東楼と回廊の完成予想...〈平城宮跡大極門〉「東楼」1年半後の完成に向け復原進む

  • 〈近江神宮〉 「時の記念日」恒例の「漏刻祭」

    【時計関係者参列し、時計の献納や舞楽の奉納】6月10日は「時の記念日」。約1350年前、671年のこの日、天智天皇が近江大津宮に漏刻台(水時計)を設け時報を始めたとの故事に因む。天智天皇を祭神として祀る近江神宮(大津市)で10日、時計メーカーなど関係者が参列するなか恒例の「漏刻祭」が開かれた。祭典が始まったのは午前11時すぎ。王朝装束を身に着け“漏刻博士”などに扮した3人の時計関係者や、采女役のびわ湖大津観光大使の女性ら奉仕者が列をつくって拝殿の石段を上ってきた。修祓(しゅばつ)に続いて宮司による祝詞奏上など神事が粛々と進む。この後、いよいよ見どころ時計の献納だ。先頭は献納目録を捧げもつ”漏刻博士“。その後ろに采女4人が続く。献納台に載っているのは最新の腕時計や置き時計など。采女たちはやや緊張の面持ちで本...〈近江神宮〉「時の記念日」恒例の「漏刻祭」

  • 〈淡路島㊦〉 国史跡洲本城跡、淡路人形浄瑠璃┄

    【国内最古の模擬天守、重厚な野面積みの石垣」】初めて国の史跡洲本城跡を訪れた。馬屋(月見台)からの紀淡海峡の眺望を堪能した後、三熊山(標高133m)山頂に築かれた天守台へ。途中、自然石を積み上げた野面(のづら)積みの石垣が続く。本丸大石段を上ると、ほどなく正面に天守が姿を現した。天守台の上に築かれたコンクリート製の4脚の上に3層の天守が立つ。建設は約100年前の1928年(昭和3年)。昭和天皇の即位式(御大典)を記念して建てられた。古図などに基づかない“模擬天守”としては国内最古とのこと。石垣の多くは野面積みだが、この天守台の隅石など要所には加工した長方形の石を組み合わせた算木積みが採用されていた。ここからの眺めも絶景。そばに「洲本八景1大浜を大観」と刻まれた石碑が立っていた。洲本商工会議所青年部が8カ所...〈淡路島㊦〉国史跡洲本城跡、淡路人形浄瑠璃┄

  • 〈淡路島㊥〉 24年ぶり「北淡震災記念公園」に

    【野島断層「地質遺産100選」に、保存館裏手には「神戸の壁」】久しぶりに淡路市の「北淡震災記念公園」を訪れた。ここには阪神大震災の断層変動を生々しく物語る野島断層が当時のまま保存されている。開園は震災3年後の1998年春。最初に訪ねたのが2000年の夏だから、もう24年前、ほぼ四半世紀ぶりになる。「世界の『地質遺産100選』に野島断層が選ばれました」。館内に入ると左手の壁面に、赤地に白抜きの大きな文字でこう掲示されていた。国際地質科学連合(IUGS)によって2022年秋に選定されたという。日本ではここと、同じ兵庫県の玄武洞(豊岡市)の2カ所だけ。海外ではグランドキャニオン(米国)やエアーズロック(オーストラリア)なども含まれているそうだ。その向かい側には以前同様、修学旅行などで訪れた生徒たち手作りの千羽鶴...〈淡路島㊥〉24年ぶり「北淡震災記念公園」に

  • 〈淡路島㊤〉 鳴門の渦潮、圧倒的な迫力!

    【激しい潮流⋅渦巻く波の轟音┄自然の力を体感】その迫力は観光ポスターやテレビの動画なとでは決して味わえない圧倒的なスケールだった。初めて船上から目にした鳴門海峡の渦潮。潮の干満によって起きるその現象を前に、改めて自然のエネルギーの大きさ、激しさを思い知らされた。乗船したのは淡路島南端の福良港を発着する「うずしおクルーズ」の咸臨丸。船名は約160年前に勝海舟らを乗せアメリカに向かった蒸気帆船に因む。3年前に2代目咸臨丸として就航した。全長約59m、定員は500人。この日は新月で大潮。乗船する午前9時半出航予定の第1便案内の横には渦潮期待度「大」を示す二重丸がついていた。クルーズ船は職員が振る大きな旗と4本の放水に見送られて出航した。(上の写真左側のクルーズ船は臨時便の日本丸)船は遠く左側の山頂に立つ戦没学徒...〈淡路島㊤〉鳴門の渦潮、圧倒的な迫力!

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、く〜にゃんさんをフォローしませんか?

ハンドル名
く〜にゃんさん
ブログタイトル
く〜にゃん雑記帳
フォロー
く〜にゃん雑記帳

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用