chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
く〜にゃん
フォロー
住所
奈良市
出身
戸畑区
ブログ村参加

2012/02/11

arrow_drop_down
  • 〈大鳥神社「花奪い神事」〉 青竹で花蓋(はながさ)を激しく乱打!

    【花笠姿の愛らしい子どもたちの太鼓踊りも】滋賀県甲賀市甲賀町の大鳥神社で7月23~24日、無病息災や五穀豊穣を願って「大原祇園祭」が執り行われた。24日は前夜の宵宮祭に続いて本祭。「花奪い(はなばい)神事」が一番の見どころで、県指定無形民俗文化財にもなっている。社伝によると、この祇園祭が始まったのは室町時代の1415年。ということは600年余の長い伝統を誇るわけだ。本祭は午後3時から始まった。白装束に鉢巻き姿の男衆が長い青竹を手に整列。その間を9つの氏子地域の花鉾⋅太鼓踊りの子どもたち⋅赤い造花で飾られた花蓋(はながさ)が順番に入場してきた。朱色の楼門を潜った花蓋は金色の神輿が安置された拝殿へ。この後、再び楼門に姿を現し、笛の合図で1基ないし2基ずつ石段を駆け下りて花奪い神事が始まった。大鳥神社の祭神は素...〈大鳥神社「花奪い神事」〉青竹で花蓋(はながさ)を激しく乱打!

  • 〈散策「新薬師寺~中の禰宜道」〉 実忠の歯塔、縁切り⋅縁結び寺┄

    【新薬師寺の五重の石塔】薬師如来坐像を本尊とし、国宝十二神将像で広く知られる新薬師寺(奈良市高畑町)。その本堂に向かう途中、左手に五重の石塔が立つ。いつも一瞥して通り過ぎていたが、その前にある石柱を見るとこう刻まれていた。「實忠和尚御歯塔」。えっ、なぜここに?実忠は東大寺の開山、良弁(ろうべん)僧正に師事し、二月堂を創建してお水取り(修二会)を始めたというお坊さん。新薬師寺は元々、聖武天皇の病気平癒を願って光明皇后が建立した。それにしても歯を安置した塔だったとは!【お水取りのお松明を橋の欄干に再利用!】その新薬師寺の庫裡の前にある池に「観楓橋」という小さな橋が架かる。苔むした欄干の向かい側の片方は長く大きな1本の竹だった。そこには「奉納二月堂家内安全」との墨書があり、寄進者の住所と氏名も記されていた。お水...〈散策「新薬師寺~中の禰宜道」〉実忠の歯塔、縁切り⋅縁結び寺┄

  • 〈祇園祭神幸祭〉 神輿3基、勇壮に御旅所へ渡御

    【「ホイット、ホイット」沿道からも手拍子と掛け声】京都の夏を雅に彩る祇園祭の前祭(さきまつり)が17日都大路で華やかに繰り広げられた。日中の山鉾巡行に続く神幸祭の神事の後、夕刻からは四条通の御旅所まで神輿3基の渡御が行われた。神輿渡御は午後6時から。八坂神社のシンボル、朱色の西門の石段下に神輿3基が勢揃いし出発式が行われる。石段はその様子を上の方から見物できる“特等席”。2時間前には多くの人で既に埋め尽くされ、境内も身動きがままならないほどごった返していた。午後6時すぎ、神輿を先導する行列がやって来た。先頭は「豊園泉正寺榊」。神様を遷した神輿の進路を清める役割を担う。かつては3基の神輿にそれぞれ榊台があったが、今では泉正寺町の1基だけになったという。その後、白馬に乗ってやって来たのは綾戸國中神社のお稚児さ...〈祇園祭神幸祭〉神輿3基、勇壮に御旅所へ渡御

  • 〈人形作家永瀬卓さん〉 平城宮いざない館夏期企画展「万葉挽歌(レクイエム)」開幕

    【万葉集の登場人物中心に31体、中学教師定年後独学で!】平城宮跡歴史公園内の平城宮いざない館で夏期企画展「万葉挽歌(レクイエム)―人形からみる古(いにしえ)の奈良」が始まった。人形の制作者は埼玉県越谷市在住の永瀬卓さん(75)。わずか15年前に独学で始めたとは到底信じられない精細な造形と憂いを秘めた表情の人形たちなど31体が並ぶ。9月1日まで。(下の写真は「額田王(立像)」永瀬さんは1972年に東京教育大学芸術学科絵画専攻を卒業。以来、越谷市内の中学で美術の教師を務めた。人形の制作をふと思い付いたのは2008年の定年退職後。学生時代に見た有馬皇子の人形像がずっと頭の中を巡っていたという。万葉集関連本の表紙を飾っていたその人形の作者は紙塑人形の人間国宝、鹿児島寿蔵氏(1898~1982)だった。(下は「天宇...〈人形作家永瀬卓さん〉平城宮いざない館夏期企画展「万葉挽歌(レクイエム)」開幕

  • 〈大和文華館〉 特別展「レスコヴィッチコレクションの摺物」㊦

    【柳々居辰斎「拳初め」】三宝の上に徳利、台の上に拳相撲の道具。拳相撲は中国発祥の酒席の遊び、数拳(じゃんけんの源流)を相撲風にしたもの。団扇を持った行司が仕切った。【岳亭春信「衣通姫」】允恭天皇の寵妃(または娘)で絶世の美女と伝わる衣通姫が小箱の中の蜘蛛の巣を覗き込む。蜘蛛は天皇の訪れの予兆。古今和歌集に「わがせこが来べきよひなりさゝがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも」。【二代目葛飾戴斗「鯉」】添えられた狂歌に「時を得て空へものぼれ王とよぶ花の下行(したゆく)江戸川の鯉」(文花楼清丸)など。「王とよぶ花」は桜のこと。【歌川豊広「宝船に鶴亀」】伊勢エビの殻を船体に見立て、打出の小槌などめでたいものを満載。周りにも折り鶴や亀など吉祥の置物を描く。【歌川国貞「三味線と琴の合奏」】松が描かれた屏風の前で女性2人が...〈大和文華館〉特別展「レスコヴィッチコレクションの摺物」㊦

  • 〈大和文華館〉 特別展「レスコヴィッチコレクションの摺物」㊤

    近鉄グループの美術館「大和文華館」(奈良市学園南)で特別展「レスコヴィッチコレクションの摺物―パリから来た北斎⋅広重⋅北渓⋅岳亭」が始まった。摺物は江戸時代の版画のうち特別な注文によって制作された作品。数十~数百部しか作られなかったため伝存数も少ない貴重品だ。展示作品はポーランド出身でパリ在住のジョルジュ⋅レスコヴィッチ氏の収集品。約260点が9月1日までの会期中、前期⋅後期に分けて展示される。葛飾北斎をはじめ魚屋北渓(ととやほっけい)、岳亭春信、歌川広重、歌川国芳、渓斎英泉ら、浮世絵全盛期の19世紀前半に活躍した絵師の作品が多く並ぶ。【葛飾北斎「富士図」】富士山と芦ノ湖が描かれた春興の俳諧摺物。「舞雲雀声も高根と丈いくらべ」(桂花)などの句が添えられている。【葛飾北斎「やつし六歌仙」】六歌仙を当時の江戸...〈大和文華館〉特別展「レスコヴィッチコレクションの摺物」㊤

  • 〈喜光寺〉 淡いピンク色の「中尊寺蓮」お披露目

    【境内を彩るハス250鉢津波で蘇ったミズアオイも開花】奈良時代の高僧行基ゆかりの古刹、喜光寺(奈良市菅原町)の境内が花ハスの大きな鉢で埋め尽くされている。8日午前訪ねると、カメラを抱えた中高年数人が“試みの大仏殿”と呼ばれる本堂(重要文化財)を背景にハスの花を撮影していた。伝承によると、行基はこの本堂を参考に東大寺の大仏殿を建立した。ハスの栽培が始まったのは30年ほど前から。喜光寺は法相宗別格本山。大本山の薬師寺から派遣された山田法胤住職が、荒れ果てた喜光寺を花の寺にしたいと栽培を始めた。今では栽培数が約70種、約250鉢に上る。平年の見頃は6月中旬から7月中旬にかけて。ただ今年は猛暑の影響か、花付きがいまひとつのようだ。前日に藤原宮跡のハス池で満開の花を見てきたという男性はやや期待外れといった表情を浮か...〈喜光寺〉淡いピンク色の「中尊寺蓮」お披露目

  • 〈橿考研付属博物館〉 特別陳列「ホケノ山古墳―ヤマト王権の成立へ」

    【銅鏡など出土品の重要文化財指定を記念して】奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で特別陳列「ホケノ山古墳―ヤマト王権の成立へ」が開かれている。出土品が一括して重要文化財に指定されることになった(3月に国の文化審議会が答申)のを記念したもの。纒向遺跡や纒向古墳群の出土品も併せて展示している。7月15日まで。ホケノ山古墳(桜井市箸中)は「卑弥呼墓説」もある箸墓古墳のすぐ東側に位置する。墳丘は全長約80mの前方後円墳(後円部径約60m)。築造時期は出土品などから箸墓古墳に先行する3世紀中頃と推定され、最古級の古墳として注目を集めている。埋葬施設は内部の木槨と外側の石槨からなる二重構造の“石囲い木槨”。中央に安置された棺はコウヤマキ製の舟形木棺(長さ約5.3m)だったとみられる(写真は推定復元模型)。木棺...〈橿考研付属博物館〉特別陳列「ホケノ山古墳―ヤマト王権の成立へ」

  • 〈奈良県立図書情報館〉 切り取り⋅書き込み「絶対にやめて」と警告

    【日経新聞に「書き込み多発」はなぜ?】奈良県内で公共図書館としては最大の蔵書量を誇る奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西)。その館内に「困っています!」と題した、ひときわ目立つ立て看が置かれている。設置からかなり経つが、一向になくならない雑誌や新聞などへの書き込み⋅切り抜き。その文面には図書館側の怒りや苦悩ぶりが詰まっている。看板が置かれているのは2階メインエントランスから入館してすぐ右側。新聞コーナーと3階に上がるエレベーターとの間に立つ。3階には開架式で膨大な蔵書が並ぶ。濃い黄色地に大文字で「困っています!」とあるので、遠くからも入館者の目に留まる。赤い手のひらには「NO」。下の「絶対におやめください」の間には書き込みなど破損⋅汚損があった事例が掲載されている。新聞では日経新聞の被害が目立つようだ。新聞...〈奈良県立図書情報館〉切り取り⋅書き込み「絶対にやめて」と警告

  • 〈石上神宮〉 国宝の拝殿で「神剣渡御祭」と「御田植神事」

    【神田神社への渡御行列は6年連続中止に!】日本最古の神社の一つといわれる奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮で、6月30日「神剣渡御祭」が営まれた。末社神田(こうだ)神社へのお渡り(渡御行列)は梅雨空のため中止となり、一連の神事は全て国宝の拝殿内で執り行われた。お渡りは神剣渡御祭の一番の見どころ。太鼓を「でんでん」と打ち鳴らしながら進むため「でんでん祭」とも呼ばれる。この日の天候は「雨のちくもり」で、神事が始まる午後1時ごろには薄日も差していた。だが「諸準備の都合もあって」結局中止に。これでお渡りは6年連続中止となった。(写真は拝殿に参進する宮司ら神職)拝殿では雅楽が奏される中、まず「本宮祭」が営まれた。お祓いに続き、お供え物を捧げる献餞、祝詞奏上、玉串奉奠┄┄。神事は粛々と進んだ。拝殿には多くの一般参拝...〈石上神宮〉国宝の拝殿で「神剣渡御祭」と「御田植神事」

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、く〜にゃんさんをフォローしませんか?

ハンドル名
く〜にゃんさん
ブログタイトル
く〜にゃん雑記帳
フォロー
く〜にゃん雑記帳

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用