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niceminato
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2012/01/21

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  • わたし中毒

    *自然な流れとして、人間は誰もが「わたし」という主体性への中毒になります。それはほとんど場合、避けることが出来ず、とても自然に起こり、継続します。中毒による症状を「症状」だと認識させられることもなく、人は生きていきます。ただ、全てのことは自然に自動的に起こります。主体性という中毒が起こることも、台風が発生することも、次から次へと自然に事が起こり続けたことにより、その結果として、例えば目の前の街路樹の葉っぱがフワっと揺れることになります。そして今この文章を読むことが起こり、わたし中毒であることが認識されようとしています。あるいは”再認識“されようとしています。「中毒である」ということが明白に認識されると「主体性への自己同一化」という現象が、より客観的に認識され、どこかにあったアイデンティティという”仮想フィルター...わたし中毒

  • 何だろうのその先

    *きっとこういうことなんだろうと予想したらすでにそれは思考の中で整理されてしまった私のオリジナル非二元性ちょっとだけ静かにして誰のものでも無い空気にふれる誰のものでも無い皮膚を感じて目的の無いゴールの無い空間の無さそのものがいまこの文章を読んでいるまたはこの文章そのものになっているもしもだから何だがやって来たら何だの先には思考の中のオリジナルの何かしか無いことを話してあげてください*今日はこんな感じだそうです良い週末を〜♪*何だろうのその先

  • エクササイズ 4(完結)

    *エクササイズの後にをお読み頂いた後、それでもまだ何かが残っていて”何とかしたい“という思いが再び湧き起こるのであれば、最後にこちらのエクササイズ4をお試しください。“何であれ掴めるような誰か(主体性)がいるのか?という問い掛けが、府に落ちなかった探求者への最終エクササイズ”それも掴まなくていいんだよ【Exercise4】①ホコリ(思考の暴走)が沈みクリアになった後、再び”何か(主体性)“がどこかに向かおうとベクトルの出発地点に立っていることを確認する。②その”何か”を優しく丁寧に身体の中で感じてみる。③もう、この”何か”を掴んでいる必要は無いことを受け入れ、その力を抜く。”何か”がまだ残っているか確認する。掴んでいる力が抜けるまで、何度でも力を抜く。”何か”が消滅していることを確認する。④身体が存在しているこ...エクササイズ4(完結)

  • エクササイズの後に

    *エクササイズの後は、一切何もせずにホコリが沈んでいくのを静かに待つのような時間をお過ごし頂ければと思います。ホコリ(思考の暴走)が沈み、クリアになると、この「主体性の無さそのもの」が「静寂という方向性の無さそのもの」でしかなかったという何一つ手掛かりの無い”あたりまえの世界”が、何の意図もなく完璧に調和して動いていることを目撃するかもしれません。すると、やっかいだったホコリすらも「この完璧に調和された世界そのもの」でしかなかったんだなぁと、愛おしささえ込み上げてくるかもしれません。何もせずに、あるいは何かを出来るワタシ(独立した中心)なんて存在していなかったという思いの黄昏れに、くつろぎそのものが生きていることが目撃されるかと思います。*エクササイズの後に

  • エクササイズ 3

    *「思い、考え、という単純な動き」が起こることについて非二元性という永遠不変の「途切れの無さ」を、見かけ上ではあるが「個別」に切り取り、脚色を付け加えることが出来る”思考”と呼ばれるものについてのエクササイズ。【Exercise3】①まずは部屋の中にある物(例えば白いテーブルや青いマグカップ)に、物(白いテーブルや青いマグカップ)という役割から降板して頂きます。②テーブルやマグカップが「個別の物」という役割から解放されて「白い何か」と「青い何か」として存在していることを認識します。③次に「白い何か」と「青い何か」に「個別の色」という役割から降板して頂きます。色という役割から解放された「何か」は、本来の「途切れの無さそのもの」へ回帰します。④ここで改めて「マグカップや青」というような思考のフィルターを通さずに、不...エクササイズ3

  • 非二元性の探求における虚無感について

    *今日は、先日リクエストを頂きました「非二元性における虚無感」について、二つの視点から書いてみたいと思います。もし虚無感で読めなかったらいつか読める時にでもサラッと速読してね笑【視点①】この非二元性においては「個別の何か」というものが存在することが出来ないため「特定の意味付け」や「特定の価値」という概念が本当の意味で機能することはありません。ですので、主体性(二元性)を前提としなければ発生することが出来ない「虚無感」と呼ばれる感覚それ自体にも「充実感」と呼ばれる感覚それ自体にも、完全に意味はありません。そしてそれらを所有出来たり、出来なかったりするような「個別の誰かという感覚」にも全く意味は無く、「その感覚を取り除こうとする誰かという感覚」にも所有者は存在していません。もしかしたらこの文章を読むことで、肩の力が...非二元性の探求における虚無感について

  • エクササイズ 2

    *自分の声が「聞こえること」に気づく【Exercise2】①まずは一人でいることが出来る空間で予備練習をしてみます。どんな言葉でも結構ですので、職場の人など他の誰かと挨拶をしている状況を想定してみます。それでは仮に「おはようございます」と声に出してみます。どうでしょうか、この身体が発している声が聞こえてきたと思いますが、それと同時に肩まわりなどに少し力が入っていたりしなかったでしょうか。もしどこかに緊張や収縮のような感覚があったなら、まずは一度、身体をリラックスさせて、その心地良さを感じながら「おはようございます」という声を聞いてみてください。おそらく先程よりは緊張や収縮の感覚は弱まっていると思います。それでは次に「おはようございます」の後に「今日はいい天気ですね」まで続けてみます。こちらも身体の心地良さを感じ...エクササイズ2

  • エクササイズ 1

    *身体が「ここに在ること」に気づく【Exercise1】①朝目が覚めたらベッドに横たわっている身体に、ただ気づいてみて下さい。前日の夜、寝る前に「明日の朝起きたら身体に気づく」と意図するだけで、意外と忘れずに気づくことが出来ますので、意図したらあとは手放して熟睡して下さい。初日は忘れていても翌日または翌々日の朝には気づくことを思い出すと思います。※「どうしても忘れてしまう」という場合は枕元の時計に付箋などを貼っておくだけで「気づくこと」を思い出すことが出来ます。②身体を無理に起こそうとしたり、何かをさせようとはせずに、身体が本来持っている自身の心地良いペースを尊重してあげてください。身体が動こうとするならばその邪魔をせずに、動くことにより認識される「心地良さ」にただ気づいて下さい。③思考よりも「身体それ自身のペ...エクササイズ1

  • 「自動的に動くこと」の確認

    *自分の身体や思考が、客観的に”対象として見られる”ということが起こったとき、それらが独自に「主体性を持って何かを行なっている」という確信は揺らぐ。例えば「エアコンの温度が少し低すぎるかな」というような思考の動き(環境の変化)で、身体が自動的にエアコンの温度を上げようとリモコンに手を伸ばす動き。温度を上げるボタンに指が乗る動き。それを押す指。設定された温度の数字を見る目。「よし、この温度で良い」と思う思考。それらが客観的に(しかも自動的に)見られるとき、環境に自動的に反応するこの身体や思考が、本当に孤立した主体性を持っているのかどうかの確信が揺らぐ。少しでも身体や思考の自動運転が目撃されると、なんだか笑えてくると思いますので、よかったらお試しください。*→非二元(ノンデュアリティ)とは→オンライン個人セッション...「自動的に動くこと」の確認

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