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天孫降臨の地 https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/

日本書紀成立の頃に作為があったのではないかと思い、学習をはじめました。

古代史が好き
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2012/01/15

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  • 今までのまとめ

    今までのまとめ  結論だけを書きますので、理由はそれぞれのカテゴリをご覧ください。 1 高天原は岡山県真庭市の蒜山高原と鳥取県江府町であった。伊邪那岐(大神)が禊をした「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」は鳥

  • 日本書紀は列島における百済再興のために制作された

    ​​ 日本書紀は列島における百済再興のために制作された。 1 「ヤマトタケルに秘められた古代史」において崎元氏は「書紀」は15代までの天皇の享年は知っているが、17代からの天皇の享年はほとんどわかりません

  • 今までのまとめ

    今までのまとめ  結論だけを書きますので、理由はそれぞれのカテゴリをご覧ください。 1 高天原は岡山県真庭市の蒜山高原と鳥取県江府町であった。伊邪那岐(大神)が禊をした「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」は鳥

  • 神武元年は紀元前60年(弥生時代中期)であった

    ​ 神武元年は紀元前60年(弥生時代中期)であった 1 神武元年は日本書紀によると西暦紀元前660年に相当する。この神武元年は実際よりも古く改ざんされているという説がある。 なぜ神武元年を実際より古く

  • 今までのまとめ

    今までのまとめ  結論だけを書きますので、理由はそれぞれのカテゴリをご覧ください。 1 高天原は岡山県真庭市の蒜山高原と鳥取県江府町であった。伊邪那岐(大神)が禊をした「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」は鳥

  •  内藤湖南の「倭姫命説」と笠井新也の「倭迹迹日百襲姫命説」はどちらも正しかった

    内藤湖南の「倭姫命説」と笠井新也の「倭迹迹日百襲姫命説」はどちらも正しかった   1 京都帝大教授の内藤湖南は明治43年にその論文「卑弥呼考」において「卑弥呼は倭姫命であり、台与は豊鋤入姫である」とし

  • 今までのまとめ

    今までのまとめ  結論だけを書きますので、理由はそれぞれのカテゴリをご覧ください。 1 高天原は岡山県真庭市の蒜山高原と鳥取県江府町であった。伊邪那岐(大神)が禊をした「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」は鳥

  • 記紀の高天原は蒜山高原であった

    1 高天原について 「古事記」においては、その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所として高天原が登場する。次々に神々が生まれ、国産みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから

  • 天照大神は男性である

    ​​​ 天照大神は女性か 1 天照大神の性別に関しては、古事記は一切触れていないが、日本書紀では 一ヶ所、素戔嗚神が天照大神に「如不與姉相見」(お姉さんと会いたいと思って)とあることから、女性とする見方

  • 今までのまとめ

    今までのまとめ  結論だけを書きますので、理由はそれぞれのカテゴリをご覧ください。 1 高天原は岡山県真庭市の蒜山高原と鳥取県江府町であった。伊邪那岐(大神)が禊をした「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」は鳥

  • 徐福と天照大神の来倭コースは重なる

    徐福と天照大神の来倭コースは重なる 1 徐福の来倭コース(1) 中国側の歴史書ー司馬遷の史記(紀元前91年完成)よりー 徐福の渡来地は全国に30数ヶ所も伝えられている。これは徐福の部下が到着したと

  • 今までのまとめ

    今までのまとめ  結論だけを書きますので、理由はそれぞれのカテゴリをご覧ください。 1 高天原は岡山県真庭市の蒜山高原と鳥取県江府町であった。伊邪那岐(大神)が禊をした「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」は鳥

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