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  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その1(旅ランの灯台)

    行動の方が先走りしてしまい、書き溜まってしまった旅ラン記録ですが、ようやく2020年代の記録を書けるようになりました。この時の旅ランの日付は3月6日(金)になります。この時期は新型コロナウィルスが問題になりはじめ、外出時には皆一様にマスクをかけ始め、しょっちゅう手を洗い始めた頃でした。ただ、今ほどデリケートではなく、世間一般の新型コロナに対する認知度としては、それ程ではなかったかと思います。また話は転じますが、個人的には年齢も考慮しての仕事リタイアから3か月が経っていました。そんなこともあり、「毎日が日曜日」・・・という新しい状況にはなったのですが、世間では「人との接触をなるべく避けることを意識しなければならない」ことになっていましたから、自分好き勝手な行動はできず、隠居ジジィの正しい身の処し方は「小さな我が家...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その1(旅ランの灯台)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その4

    皆さん、コロナな日々をお過ごしのこととお察し申し上げます。気晴らしになるかどうかわかりませんが、まずは勝沼宿のつづきです。ようあん坂の標柱ここは勝沼小学校入口の右側で海抜400mなので笹子峠から700mぐらい下ってきてます!勝沼市で最も急な坂らしいですけど、こんな感じです。↓GoogleMap諏訪湖の方に向かってる下りの写真ですが、それほど急じゃないです。それにしても「ようあん」って何?標柱によると「昔々、天野養庵という医師の家が近くに有った」ということなんですが、肝心の天野養庵って何者?坂の名前になったぐらいですから、相当な人物であったことが予想されるんですが、・・・。そこがわからないとですね、なんだかもどかしいのです。そこでネット検索したんですが、全くの不明???勝沼市、その辺の説明を今後よろしくお願いいた...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その4

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その3(歴史ある葡萄の郷)

    勝沼宿の旧田中銀行甲州勝沼の戦いの地、柏尾橋にやってきました。明治元年(1868)、「近藤勇が率いる幕府軍」VS「板垣退助が率いる官軍の先鋒隊」が戦った地です。橋の手前に近藤勇の像が建ってます。ですが、像の作者には申し訳ありませんが、次の錦絵と異なって、こっちの方は可愛すぎますね。背格好もズングリムックリしてます。錦絵の方はというと、大刀を持ち、戦士を鼓舞し、吼えている歌舞伎役者のような近藤勇の勇壮な姿です。これと比較すると、まるで大人顔したチャンバラごっこをしている子供のようです。柏尾戦争を描いた錦絵実際の戦いは一日で決してしまったようで、近藤たちは江戸方面へ敗走してしまったのですから、本当のところは錦絵の方がカッコよすぎかもしれません。江戸柏尾橋付近(良く見えない)実際の河原の戦場を見ようと思いますが、谷が...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その3(歴史ある葡萄の郷)

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