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  • 集落の空に飯豊連峰の雪が輝いて

    初冬の空が綺麗ですしばらくは西高東低の冬型の天気が続きます。雪の降るのがまもなくと思います。2021年1月3日は私の94歳の誕生日です。奥会津只見生まれの私雪など平気です。元気出さなくちゃ・・91歳のばばちゃんも元気ですしね集落の空に飯豊連峰の雪が輝いて

  • 新しいカメラのボデーがきましたよ

    左から毎日使っている55mm-200mmズームレンズ、中央が10年使い込んだだミラーレスの愛機(電子ビューファインダーが装着してあります)右端が送られてきたボデーです。94歳まもなくの惚け爺いが10歳の時ほしいと思っていたおもちゃの鉄砲を父に買ってもらった時のように興奮して喜んでいるんです。バカみたいと思ってはいるんですけど、安い年金で暮らししている爺いの秘やかなへそくりが役立ったんですから当然嬉しいんです。ばばちゃんには黙っています。婦唱夫随の爺いですから惚け爺いの私は10年使い込んだこのミラーレスカメラをいたく気に入っているんです。一眼デジは機材と一緒すると重くって特別な撮影をするとき以外もう使えなくなってしまいました。わたしの今の愛機はこのミラーレスとニコンのコンデジです。それにこのボデーが愛機にくわわり...新しいカメラのボデーがきましたよ

  • 晩秋の散歩道寒々と

    すべてが茶褐色に枯れはてていた昨日の午後の散歩道です天気予報によれば今日はあるいは初雪がちらつくかも?・・との予報でしたけど寒い朝ですけど雪は降りませんでした。昨晩降った雨の水たまりの見える暗い窓辺です。コロナ禍の感染状況が心配です。静かでした私たちの町にも1名の感染者が出たと聞いていますけど詳細は分かりません。手洗いや手指消毒、マスクの着用等と、「新しい生活様式」の徹底・継続をお願いいたします。という町役場からのお知らせがありました。不安です。細かな発生状況を知って自分の対策を考えたいのですが、個人のプライバシーもあるでしょうし、差別感のこともあって難しいですよね。もし私が感染したとしたらやっぱり秘密にしたいと思うでしょうから。新聞など見ると「個人の努力頼みステージは過ぎた」などおどろしいい見出しもありますし...晩秋の散歩道寒々と

  • あんれまっ 綺麗なススキ

    乃木将軍の軍帽の前飾りみたい広々とした圃場をバックに晩秋の陽の光を受けてススキが輝いていました。乃木将軍と言うのは明治時代の将軍で帝政時代のロシアとの戦いに、どんな強力な軍隊が攻撃してきても3年は攻略されないと豪語されていた旅順の要塞を半年て攻略し、ロシアとの陸上最後の決戦の奉天の会戦にも大きな働きをして会戦を勝利させた将軍です。乃木将軍は日露戦後には日本国民のおおきな賞賛の声をうけたのですが、将軍は「自分はたくさんの兵を戦死させて恥じ入る身である」といって多くの歓迎賞賛の席が儲けられたのに一切参加されなかったと言われています。私は1927年1月うまれです。1927年は昭和年代でいえば2年、大正年代でいえば16年、明治年代でいえば60年です。昭和初年は小学校低学年であった私の心のそこには乃木将軍への敬慕の念がし...あんれまっ綺麗なススキ

  • 晩秋の雪待つ村が明るくて

    広々として豊かな屋敷が静かに見えていました私はなんかとっても懐かしく思うんですよ。いつの日だったかこの家のご主人と思われる方がカメラを持ってあるっている私に「いいカメラだなし」と声をかけてくださったんですよ。「いいえおもちゃみたいなカメラだがらし」という私に「おもちゃみたいとは」と笑っていらっしゃいました。(語尾に「がらし」をつける)のは丁寧語なんですよ)。そのとき私の愛機は小さなミラーレスカメラでした。なお言葉の終わりに「・・・なし」とつける「なし」は会津地方では大事な敬語の作法なんですよ。つけくわえれば私の古里奥会津只見では「・・・なむ」になります。地方後の言葉の使い方はとても大事なんですよ。間違うとんだ失礼なことになることがあります。60年前、私がこの町に移住したばかりのとき親しくなった友人に「君は」と言...晩秋の雪待つ村が明るくて

  • お隣の庭のもみじ美しく

    綺麗に輝いていましたお隣のご主人がお亡くなりになってもう30年近くなります。当時私も若くて60歳代でしたけどおつきあい頂いたのは半年の6ヶ月くらいだったように思います。温和で心優しい方でいらっしゃったんですけど癌で早くお亡くなりになってしまったんです。もっともっと深くおつきあい頂きたかったと思い30数年たったいまでもお墓参りを欠かさない私なんですよ。ご主人はNさんとおっしゃいます。Nさんは若くして海軍に志願なされ某海兵団に入隊なされ太平洋戦争終戦時には海軍中尉でいらっしゃいました。戦後は県の職員になられ地方の県事務所にお勤めになられていましたが、定年で退職なされ私の家の隣に住宅を新築なされ奥様とお二人で暮らしていらっしゃいました。お二人の子どもさんは独立して県外で暮らしていました。ところが悲しいことに新宅にお入...お隣の庭のもみじ美しく

  • 晴れわたる空が澄みきって

    朝日を受けた集落の空いっぱいに流れる雲が浮かんでいました晴れわたる空が澄みきって

  • 昨日の雨がうそみたいに晴れて

    今日も飯豊連峰が澄み切った空にきれいに見えましたカメラをむけてる人がいました見たことのあるような人ですけど93歳くらいかな昨日の雨がうそみたいに晴れて

  • 遠くもやって見える朝の散歩道

    正面に会津嶺(あいづね)磐梯山が霞んでいますこの道をひたすら歩んで右端の集落を通って旧宮川の堤の道を帰ってくるんです。いいなと思うところを撮りながらの道ですから約2時間4300歩ほどの朝の散歩道です。誰にも合いませんから農道の空気は綺麗です。コロナの恐れはありませんけどちょっと寂しい朝の散歩道です。遠くもやって見える朝の散歩道

  • 晴れわたる晩秋の村の道遠く

    歩みなれた道ですけども金上の集落が明るく見えています。柿の実やもみじも少し見えているんです晴れわたる晩秋の村の道遠く

  • 豊かなススキの中の小さな流れ

    中新橋と言われる小さな橋の上から摂りました今はこんな堀のような小さな流れですけども昭和の初め頃は鶴沼川とも言われる宮川の大きな流れだったんですよ。かつては川床が浅くなっていて毎年のように町や集落に大きな被害の洪水があったと言われております。そのためにこの川の上流で直線的な2.5kmの新水路を改作して宮川の流れを阿賀側に直接流れるようにしたためかつては広い川に豊かに流れていた宮川の跡の流れがこんなに小さな堀のようになってしっまたんです。かつては大きな被害のあった洪水は今はもうなくなりました。そして出来た広い河川敷は農村部では豊かな畑地になり、町部ではサッカー場やテニス場などのスポーツ施設や遊園地などの広い公園になています。古い時代には会津は大きな洪水の起きる場所だたったんですね。大洪水の濁流に浮かんで流れる大木に...豊かなススキの中の小さな流れ

  • 穏やかな秋の日差しを受けて

    静かな蔵のある集落が見えて平和です。ニュースなど見ると世の中明るくなったような気がします。大角力やスポーツの観客などがぐんと多くなったような気がしますし、いろんな催しも多くなったようです。なんかほっとします。私の町では正月14日の初市の大俵引きなどの催しが中止になるそうです。ちょっと寂しい気もしますけど私はそれが正解だと思っているんです。私たちの町にっはまだコロナ感染の噂は聞いていませんけど、大俵引きは名の知れた大きな催しです、毎年大俵引きには各地から大勢の方がお出でになります。なんか全国的にはコロナ感染は第3波か?などと言われています。怖いです。平和な田舎の小さな町にコロナ感染の第3波が押し寄せてきてほしくはありません。「全国で2000人超のコロナ感染、過去最多」「コロナを甘く見るなな」などという医療関係者の...穏やかな秋の日差しを受けて

  • なんか心惹かれて

    土手の堤の上に赤い自転車が1台止まって見えたんです空は澄み切っていました変に心惹かれてシャッターを切りました。なぜなんでしょうねなんか心惹かれて

  • 晴れわたる晩秋の空暖かく

    一面のススキ野遠くの村がのどかに見えてます冷たい雨の日が続いて少々落ち込んでいたんですけど昨日今日と晴れわたって暖かく気持ちのいい散歩が出来ました。町にでればマスクマスクで気が滅入ります。スーパーのレジはアクリル板で覆われ並んだ列には距離が近づかないように床にマークがついています。ぼけ爺いがうっかりマークを外して近づいたりすればおばさんに冷たい目でにらまれます。幸い私たちの町にはまだコロナの噂さはありません、そしてスーパーでも、病院でも、銀行でもいろんな場所でコロナ対策がしっかりとなされていて安心です。でもなんか殺気だっているような感じでほんとうに必要なこと以外は町のは行かないようにしています。でもたれ一人見えない圃場の農道はなんの心配もありません。ちょっと寂しいけどのどかです。マスク・手洗い・アルコール消毒な...晴れわたる晩秋の空暖かく

  • 晩秋の空が澄み切って

    飯豊連峰がこんなに綺麗に見えるのは珍しいんです。もしかして、これってコロナウイルス禍の影響?、なんて思ったりもするんですよ。いつもの飯豊連峰は遠くて少し霞んでぼけていて子どもの頃のように澄み切っては見えないんです。自動車やその他の施設の廃棄ガスで大気が汚れていたからなんでしょうね。でも9年前の東日本大震災のときはやっぱりこんふうに綺麗に見えていたんですよね。あの頃はガソリンの供給が途絶えて道路を走る車も外部から来る車も激減したのです。ガソリンがほしくてガソリンスタンド前の道路の長い車の列のうしろに車を着けて長い時間待っていてもガソリンは少ししか入れてもらえませんでした。車が来ないんですからスーパーの商品販売台はがら空きでした。数周間後にガソリン運搬車がやって来たときはほんとにほっとして嬉しかったんですよ。その頃...晩秋の空が澄み切って

  • 荒涼とした圃場の遠く

    静かな空に雲がみえてます飯豊連峰は一面の雪が輝いていますここ数日穏やかに晴れていますけど午前中は深い霧に覆われて寒いんですよ。晴れわたる空に放射冷却で夜のうちに気温が下がってしまうんですね、初雪がちらつくのもまなくと思います。除雪機の試運転も快調です。屋根の雪止め工事も完成しています。息子を動員して窓の雪囲いも終わっています。いつでも来いと心引き締めてはいるんですけども、今年は豪雪なぞというちまたの声も聞こえてきますし。コロナもなんか勢いをましているようなニュースも聞こえてきます。なんかちょっとね怖い気もしますけどしっかりと自分で自分を守っていこうと思ってはいるんです。荒涼とした圃場の遠く

  • 沈む陽の光を受けて

    ススキ野の村が明るく見えてます虫の声など聞こえてこない静かな晩秋の散歩道に私が一人です田舎道、コロナのことなど忘れtいるんですよ沈む陽の光を受けて

  • 夕暮れの静かな思い遠くまで

    浮かんで消えていくんです93年も生きていますから、なつかしいことも楽しかったことも苦しかったことも、そして人には言えない秘やかなことも浮かんでくるんです。もういないあの人のこともあのひとのこともね,浮かんでは消えていくんです。遠い遠い幼なかった頃のあの人のこともです。夕暮れの静かな思い遠くまで

  • 時の流れの思いが遠くなりました

    この写真は集落の西を通る農道(私の散歩道)を北から眺めて摂りました。会津坂下の緑町から旧宮川に懸かる「八千代橋」わたって来る農道なんですよ。画面の左下の隅にちょっとした広場があってガードレールの左に小さな石の柱が立っています。古い道しるべ(道標)なんです。半年ほど前は藪に被われていましたけど、集落のどなたさんかが綺麗に藪を刈り払ってガードレールや道しるべがよく見えるようになりました。こんな農道にカードレールや道しるべがあるなんて不思議ですよね。道しるべの表面です。右青津を経て慶徳にいたる左当村を経て坂下にいたるとあります。道しるべ側面です劣化していて文字が良く読めないんですけどもなんとか「大正九□青年団□□と判読出来ました」この道しるべから、かつては坂下の緑町からきたこの道はこの場所で三叉路になっていたことがわ...時の流れの思いが遠くなりました

  • 爽やかな桜の紅葉の窓辺が嬉しくて

    いそいそとパジャマのままコンデジ持って撮りました寒い朝でした、窓辺の桜は一夜で綺麗な紅葉になっていたんです。驚きました地面には榎木の落ち葉が一面に散っていました。間もなく冬がやってきます、何となく今年の冬は豪雪か?、なんて不安なんですよ。でも息子を動員して窓の雪囲いを終わってほっとしているんです。降る雪をまって最後の花を咲かせてるばばちゃんの可憐な菊が綺麗でした爽やかな桜の紅葉の窓辺が嬉しくて

  • 村の林の空の遠くに

    澄み切った秋の空が見えましたこの平和で静かな村のほとりにツキノワグマが遊んでいたというんです。ほんとかな、私には信じられませんけど、新しい世代のクマは人を恐れなくなりました。奥会津の私の古里の私の同級生のT君は60年ほど昔(30歳頃でした)5・6人の仲間と猟銃をもってまたぎの仲間を作り4月末頃の山に冬眠から覚めたばかりのクマを追うんだと言っていました。深山に入って夜になれば積雪を掘りたき火を盛んにしてまわりを囲んでねむるんだと言っていました。私が「クマの毛皮をきていれば寒くないよね」というと「なに言ってる、またぎ仲間は貴重なクマの毛皮など着ないよ」と怒って言っていました。その頃はクマは深山に入らなければ獲れなかったんですよ。年に1・2頭しか獲れなくて私など貴重なクマの肉などなかなか手に入りませんでした。でも1頭...村の林の空の遠くに

  • 晴れわたる晩秋の空の遠くに

    浮かぶ雲が静かに流れてゆきました。会津野の遠くの村は平和で静かです。コロナ過などひととき忘れて歩む私一人の散歩道です。晴れわたる晩秋の空の遠くに

  • 晴れわたる晩秋の空澄み切って

    黄色にもみじている銀杏の村の圃場に1台のトラクターが見えました。コンバインで刈り取って脱穀した稲藁はコンバインで刻んで田ん圃に散布されます。その稲藁をトラクターで耕耘して鋤き込んでいるんです晩秋に鋤きこんだ稲藁は来春の大事な有機肥料になるんです。10年ほど前はこの稲藁は秋の陽に乾燥させて燃やしていました。その頃は北西の大陸から吹きわたってくる大気には有害な汚染物質が含まれていて問題になっていました。その大気に藁をもやした煙がまじって当時の農村の晴れた日は有害ガスでもやっていました。いまは大陸からやってくる風に含まれる有害物質は問題になっていません。大陸の大気汚染が改善されたんですね。それに稲藁を燃やす煙もなくって農村の晴れた秋の大気は澄み切って綺麗になりました。大きな進歩ですよね。でもね93年も生きてきた老体の...晴れわたる晩秋の空澄み切って

  • 晴れわたる村少し紅葉して

    コロナなど忘れて嬉しい私一人の散歩道北海道は初雪だそうですね、東京は木枯らしが吹いたとテレビは言ってます。冬が間近なんですね晴れわたる村少し紅葉して

  • 今朝の会津の天気予報は一日雨とありました

    でも午前10時の窓辺はこんなに綺麗に晴れています嬉しいですさあーて午後は晴れての散歩ができるかな?今日の新聞の川柳投稿欄にこんな句が載っていましたもう駄目と思った花から枯れ始め北九州お鶴ふと自分の家の晩秋の小さな花壇を思い浮かべました、でも北九州のお鶴さんの句です。なんかちょっと「いろっぽい」なとも思いました。どんなもんでしょうね94歳間もなくの爺いは思いました。「これは私への励ましの一句なんだ」とね「そうだ迫り来る老いにまけちゃおれんぞなもし」晩秋の散歩道にはいろんな思い、いろんな空や野や山がが待っている。元気出していこう、午後の散歩がたのしみです。午前11時の窓辺です。今朝の会津の天気予報は一日雨とありました

  • 晩秋の会津の空広々と

    遠く綺麗に澄みわたって見えていますそれにススキ野の空は侘しい感じがします飯豊山の冠雪が初雪になって平地におりてくるのものも間もなくですよね晩秋の会津の空広々と

  • 澄み切った空いっぱいに輝く柿の実が

    綺麗に見えていましたでもこの柿は会津名産のみしらず柿ではなさそうです。たぶん先の太平洋戦争が敗戦で終わった頃の厳しい飢餓の時代に植えられた甘柿だと思います。戦争が終わった数年は農家でも自分の家で収穫した米を強制的な供出と称して安い価格で政府に買い上げられていました。私の家など小規模の稲作農家でしたけど収穫した米は供出させられて残りの米が不足して山の斜面に焼き畑を作って粟やそばや大根などつくって食料不足を補っていました。農村はまだしも都会の食料不足は深刻でした。配給される食料では絶対量が足りず大きなリュックに大事にしていた衣類などつめて列車に乗って農村に出かけサツマイモなどと交換して列車で帰ると駅では闇物質禁止の警官が待ち伏せしていて取りあげらるのです。飢えて死ぬか生きるかの必死の闘いです。お母さんたちが農家の人...澄み切った空いっぱいに輝く柿の実が

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