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緑川鷲羽上杉奇兵隊日記「草莽掘起」 https://blog.goo.ne.jp/midorikawa-0012000

緑川鷲羽わしゅう。政治経済文化芸能マスメディアまでインテリジェンス日記

上杉鷹山公、直江兼続公、上杉謙信公、上杉景勝公、諸葛亮孔明、大前研一、堺屋太一などを尊敬。米沢市生まれで1970年1月6日に米沢市立病院で誕生。米沢市出身・在住のフリージャーナリスト。私が有名でないのは「力不足か?(笑)」。20年のジャーナリスト生活での知識は池上彰より上。

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2011/06/13

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  • ❾【2023年(令和五年)大河ドラマどうする家康記念⑨】天下人・徳川家康の物語(家康小説の一部を先行掲載)徳川家康よ、どうする??

    最終章天下人徳川家康10関ケ原合戦石田三成秀吉が死んだあと、五大老の筆頭で二百五十万石の巨大大名である家康は、秀吉が豊臣家を守るために決めておいた掟をやぶり、何事もひとりで決めていた。当然、豊臣家恩顧の大名たちに不満が生まれていた。しかし、時代はもう徳川だ、とするどい見方をする大名も多かった。家康は大坂城に入って、秀吉の子・秀頼とあった。守り役は前田利家である。前田利家は加賀百万石の大名で、秀吉の無二の親友でもあった。「わしが秀頼さま、ひいては豊臣家を守る」前田利家そういって憚らなかった。しかし、そんな利家も病死した。家康にとっては煩いやつがいなくなって、ラッキーに思っただろう。「このままでは豊臣家は危ない。家康さえいなくなれば…」石田三成は家康の暗殺を企てた。が、失敗した。慶長九年九月、秀吉の葬儀が行わ...❾【2023年(令和五年)大河ドラマどうする家康記念⑨】天下人・徳川家康の物語(家康小説の一部を先行掲載)徳川家康よ、どうする??

  • ❽【2023年(令和五年)大河ドラマどうする家康記念⑧】天下人・徳川家康の物語(家康小説の一部を先行掲載)徳川家康よ、どうする??

    関白・秀吉頼朝や足利義満のような源氏の子孫では秀吉はないので征夷大将軍とはなれなかった。将軍でなければ幕府は築けない。しかし、そこで秀吉は一計を案ずる。まず、天皇から関白の位をもらい、独裁政府をつくるのだ。関白・豊臣秀吉の誕生である。秀吉は元同役の前田利家を五大老に加えた。五大老とは大臣クラスのことで、前田利家、徳川家康、上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川隆景らである。それと五奉行、浅野長政、前田玄以、増田長盛、石田三成、長束正家である。そして、それを実現させるためには家康をまるめこまなければならない。秀吉はここでも一計を講じた。「おふくろさまを……家康の人質にですと?」石田三成は仰天して上座の秀吉に尋ねた。秀吉は頷き「そうじや。家康とは和睦したぁがぜよ。おっ母を渡せば、家康とて人間……わしの気持ちが...❽【2023年(令和五年)大河ドラマどうする家康記念⑧】天下人・徳川家康の物語(家康小説の一部を先行掲載)徳川家康よ、どうする??

  • ❼【2023年(令和五年)大河ドラマどうする家康記念⑦】天下人・徳川家康の物語(家康小説の一部を先行掲載)徳川家康よ、どうする??

    本能寺の変明智光秀は居城に帰参した。天正十年(一五八二)、のことである。光秀は疲れていた。鎧をとってもらうと、家臣たちに「おまえたちも休め」といった。「殿……お疲れのご様子。ゆっくりとお休みになられては?」「貴様、なぜわしが疲れていると思う?わしは疲れてなどおらぬ!」明智光秀は激怒した。家臣は平伏し「申し訳ござりませぬ」といい、座敷を去った。光秀はひとりとなった。本当は疲れていた。かれは座敷に寝転んで、天井を見上げた。「………疲れた。なぜ……こんなにも……疲れるのか…?眠りたい…ゆっくり…」明智光秀は空虚な、落ち込んだ気分だった。いまかれは大名となっている。金も兵もある。気分がよくていいはずなのに、ひどく憂欝だった。「勝利はいいものだ。しかし勝利しているのは信長さまだ」光秀の声がしぼんだ。「わしは命令に従...❼【2023年(令和五年)大河ドラマどうする家康記念⑦】天下人・徳川家康の物語(家康小説の一部を先行掲載)徳川家康よ、どうする??

  • ➏【2023年(令和五年)大河ドラマどうする家康記念⑥】天下人・徳川家康の物語(家康小説の一部を先行掲載)徳川家康よ、どうする??

    本能寺の変6どくろ杯三方が原の戦い武田信玄は、信長にとって最大の驚異であった。信玄は自分が天下人となり、上洛して自分の旗(風林火山旗)を掲げたいと心の底から思っていた。この有名な怪人は、軍略に優れ、長尾景虎(上杉謙信)との川中島合戦で名を知られている強敵だ。剃髪し、髭を生やしている。僧侶でもある。武田信玄は本願寺の総帥・光佐とは親戚関係で、要請を受けていた。また、将軍・足利義昭の親書を受け取ったことはかれにいよいよ上洛する気分にさせた。元亀三年(一五七二)九月二十九日、武田信玄は大軍を率いて甲府を出発した。信玄は、「織田信長をなんとしても討とう」と決めていた。その先ぶれとして信玄は遠江に侵攻した。遠江は家康の支配圏である。しかし、信玄にとって家康は小者であった。悠然とそこを通り、京へと急いだ。家康は浜松城...➏【2023年(令和五年)大河ドラマどうする家康記念⑥】天下人・徳川家康の物語(家康小説の一部を先行掲載)徳川家康よ、どうする??

  • ❺【2023年(令和五年)大河ドラマどうする家康記念⑤】天下人・徳川家康の物語(家康小説の一部を先行掲載)徳川家康よ、どうする??

    5焼き討ち浅井長政の裏切り確執も顕著になってきていた。織田信長と将軍・足利義昭との不仲が鮮明になった。義昭は将軍となり天皇に元号を「元亀」にかえることにさせた。しかし、信長は「元亀」などという元号は好きではなかった。そこで信長は元号を「天正」とあっさりかえてしまう。足利将軍は当然激怒した。しかし、義昭など信長のロボットみたいなものである。義昭は信長に剣もホロロに扱われてしまう。かれは信長の元で「殿中五ケ条」を発布、しかし、それも信長に無視されてしまう。「あなたを副将軍にしてもよい」義昭は信長にいった。しかし、信長は餌に食いつかなかった。怒りの波が義昭の血管を走った。冷静に、と自分にいいきかせながらつかえつかえいった。「では、まろに忠誠を?」「義昭殿はわしの息子になるのであろう?忠誠など馬鹿らしい。息子はお...❺【2023年(令和五年)大河ドラマどうする家康記念⑤】天下人・徳川家康の物語(家康小説の一部を先行掲載)徳川家康よ、どうする??

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