→東京 輪行移動。自宅。無事帰宅。旅はこれで終り。
→紋別市沙留走行37kmキャンプ場テント泊。明日から8月。今日も爽やかな晴れ。秋の先取りか紅葉が始まっている。ハマナスの実が色づき始めている。稚内で手作りのジャムを頂いたことがある。市販ではないと思う。作るのに手間がかかるらしい。実の中に無数の種があってそれを
→湧別町コムケ湖走行47kmキャンプ場テント泊。爽やかなのは乾燥しているからだ。昨日洗濯して干して2時間程で乾いた。コンビニ命で食いつないで来た。セイコーマート、セブンイレブン、ローソン。一番はセコマ。キャンプ用食材がある。ゆでモロコシがある。ゴミ箱がある。セ
→サロマ湖走行52kmキャンプ場テント泊。爽やかな天気。景色も爽やか。風が強い。台風の低気圧へ北から風を送り込んでいるのでないか。キャンプ場はキムアネップ岬でどうしようもない風が吹きまくっている。アジサイに似た花。セミはジージー。これも蝦夷春蝉か。
→網走市走行47kmキャンプ場テント泊。道の駅テント泊セーフ。斜里岳よさようなら。又来る日には笑顔で迎えて下さい。ロールは牧草でなく麦ワラです。斜里岳遭難の喚起パンフレットが貼ってあった。2リッターの水を持参して登ったが途中飲み干して熱中症で動けなくなり遭難。
→斜里郡清里町走行47km道の駅テント泊。昨夜のテント泊セーフ。昨日運命の出会いの事話したけどそれに輪を掛けた出会いが今朝起きた。フェリー苫小牧上陸後その日道の駅で歓迎を受けたワンボックスカー2台で旅しているお二方に再開。お互いに感激。さて今日は神の子池へ。摩
→斜里郡清里町走行20km道の駅テント泊。今朝は晴れ渡り放射冷却で冷えた。斜里岳もしっかり姿を見せた。4日振りにテントをたたみ出発。バーストパンクのショックが消えずそろりそろりの走行。途中追い抜いたバイクの若者、止まって待っている。? 何日か前に停車してあった
移動なし。斜里キャンプ場テント泊。今朝、やっと、そっと斜里岳が姿を見せました。フキの話を更に。足寄に茎が2~3mになるラワンブキがある。前、見に行った。保護地区になっていて生えているところは見れなかった。丁度刈り取ってきて軽トラの荷台一杯なのを見た。この話過
移動なし。斜里キャンプ場テント泊。部品到着待ち。日中陽射しは強く気温は上がっているようだが、時たま吹く風はヒンヤリしていて心地よい。写真は今まで未公開だったもの。北海道は道端どこにもフキが生えている。葉が大きい。食べられる。何年か前に頂いたことがある。ビ
移動なし。斜里キャンプ場テント泊。トレーラーの部品手配済み。25日にヤマトの斜里センターに届く予定。それまで停滞。旅の途中のトラブルは遭遇時大変な思いをし後にも忘れられない。鳥取の山の中で自転車後輪リムが割れ走行不可能となり道の駅に4泊。駅長の心温まる考慮が
→斜里走行53kmキャンプ場テント泊。夜から朝も霧雨。その中出発。2時間程で止んだ。今日は今回初の峠越え。根北峠490m。覚悟を決めだらだらと登り始めた。何とか行けそう。本格的登りに差し掛かるときつくなり始めた。丁度そのタイミングで車の運転手さんから飲料の差し入れ
→しべつ走行45kmキャンプ場テント泊。朝、冷たい霧が目の前の野付湾から吹き付けてくる。寒い。野付半島を先端目指して走行。海流で出来た砂ス。外海側は根室海峡。沿岸は定置網漁が続く。定置網の手入れはクレーン車を使って行っていた。干すのも大変だ。内海側は野付湾。
→尾岱沼走行45kmキャンプ場テント泊。奥行という地名の所に明治時代の遺跡がある。駅逓所という。交通不便な所に造られた。ここは線路があるから鉄道が来ていたのか。人馬の経ぎたてや宿泊施設があった。今も現存する。西部劇の駅馬車の中継地のようだったのか?風蓮湖の周
→厚床30kmキャンプ場テント泊。何日ぶりかの朝日を拝んだ。雲の切れ目のつかの間だった。道の駅テント泊セーフ。前夜セーフだったとしても当番が変わったリするとアウトになる可能性がある。規則ではアウトだがおおらかな気持ちを持って頂ければ心安らぐのだが。来た時より
→風蓮湖畔43km道の駅テント泊。ここライダーハウスは日本の東端にあり国後島と向かい合っている。鈴木食堂で日本唯一のサンマ丼を食べた。頭上をカモメが行き交っている。直ぐ隣に監視用か?レーダーアンテナが回転している。昨日赤い旗が揚げられていたが何の合図か?昆布
→納沙布岬走行38kmライダーハウス泊。ここ風蓮湖は今鳥が殆ど居なく静かだ。ここの蚊は薄茶色でおとなしい。飛んできていきなり刺すのでなくホバリング気味に伺ってそれから肌に止まる。道の駅テント泊セーフ。少しづつ心の落ち着きを取り戻しつつある。道の駅の近く熊が出
→根室市風蓮湖の東端走行38km道の駅テント泊。夕べ、キタキツネと思われる動物に漁られた。音で目が覚めテントの外を照らしたら光る目が合った。ゴミをゴザに繰るんであったがゴザ毎持っていった。朝、10m位離れた所にゴザだけ発見。熊でなくて良かった。夜は霧が降っている
→浜中町走行44kmキャンプ場テント泊。朝曇り空。あれ今日は駄目かと暫く走っていたら青空が広がってきた。ヤッホー夏空だ。目に入る景色は灌木の草原。畑は全くない。牧草が広がる。牧場は奥まっているのか目に入らない。そんな中にあるキャンプ場。広々としている。キャン
→厚岸町尾幌走行53kmライダーハウス泊夜、霧雨続く。朝止んだ。寒い。道の駅テント泊セーフ。車中泊車約30台。半数は大型トラック。霧の中走り出したらなんとなんと晴れてきた!陽が差してきた!青空が広がってきた!大空の出現!夏が来た!やったぜという気持ち。都会釧路
→白糠走行53km道の駅テント泊昨夕から霧雨が降り続いている。朝止んだ。曇り。走っていると海岸に近くなると霧が立ち込める。海から吹き寄せているようだ。途中歩き旅人とすれ違っただけで草原をひたすら走った。タンポポの黄色がことのほか目を引いた。霧の草原のハマナス
→浦幌走行46km森林公園キャンプ場テント泊。曇り空。朝テント、タープは霧でびしょ濡れ。道すがら目に入ったもの。牛の牧場が続く。もう使われなくなたったサイロが廃墟の如し。花に蜜蜂が。こんな霧深い寒い中でも生きる為。道路上に子キツネ2匹がじゃれあっていたがこちら
→休養で停滞。晩成温泉キャンプ場テント泊。朝、霧雨。サイトも霧が立ち込めていた。午前霧雨は止んだが午後から霧が立ち込めてきた。夕方になるに従い段々濃くなった。朝食時に蟻の捜索能力に感服した。夕べきちんと片付けて置いた食器の僅かな残菜を見付け出していた。北
→幕別町晩成温泉39kmキャンプ場テント泊。昨夜から霧雨が降り続いている。日高神社に隣接していて木々が多い。カラスが騒がしい。昨夕方キタキツネが通り過ぎて行った。朝食の野外テーブルの下では朝から蟻が働いている。昨夕方までここ児童公園に大勢の子供達が集まり遊技
→広尾走行36km児童公園テント泊。近くのキャンプ場がコロナ?で閉鎖中。薄曇り。太平洋からの風が変わらず吹いている。襟裳の道路には端表示の矢印が無い。風で吹き飛んで積もらないのか。日高山脈の山裾が断崖となって海に落ち込んでいる。其処に江戸時代から道を造り続け
→襟裳走行59km百人浜キャンプ場テント泊。曇り空。風は殆ど無い。潮の香りを嗅ぎながら気持ち良く海岸沿いを走った。昼食も終わりやがて襟裳岬に近づいたらさすが強風に襲われた。霧の発生は全く無く幸いだった。途中のこと。①昆布干し。薄曇りなのであちこちで干す作業。
→様似走行28km親子岩キャンプ場テント泊。七夕。雲の上には輝く星空と太陽。地上は昨日からずっと雨。北海道には梅雨が無いと言われているが、蝦夷梅雨と言うのがあって今頃はよく雨が降る、と昨日会った長崎から毎年来る人と話した。日高に競走馬の牧場がある理由の1つは
→新日高町道の駅みついし走行31kmキャンプ場テント泊。北の大空と広がる大地。おおろかさ、というイメージが打ち砕かれた!道の駅の大きな第2駐車場の隅っこでテント張ってたら昨日夕方職員が来て退去命令。コンビニで夕食後10時頃に建物の物陰にテント張って寝ようとして
日高新冠停滞移動なし。道の駅テント泊。朝から試練。夜半から雨。夜が明けても止みそうにないので雨降る中タープ立てを始めた。次第に風が強くなり煽られ突風も来た。1時間悪戦苦闘したが立て断念。テント内に閉じ籠る。時折雨風が強くなる日中だった。食事は近くにセイコー
→新冠走行33km道の駅テント泊午前中曇り一時霧雨。河川敷でのテント泊はタープを使用したので風避け霧雨避けが出来正解だった。走行は向かい風と、上り下りで遅々とした走り。体力回復迄我慢の走り。下り坂は快適。
→日高富川沙流川河川敷51Km昨夜は楽しい時間を過ごすことが出来た。岡崎からワンボックスカー2台で来られた70代と思われるお二方に招かれて一時を過ごした。各々ご自分でキャンプ用に改造しているが、お一人はソーラーパネルを載せ電装に凝った造り、方や全く電気を使わな
フェリー苫小牧港→道の駅ウトナイ湖走行10km。テント泊。フェリーの状況。思いのほか乗船客は多い。同年輩はちらほら若い人達が多数。通路は混雑する。揺れはゆらりゆらり。乗船時バイクがずらり4~50台。ビックリ。北海道はライダーの憧れ。船は新しいので設備は今までの経
自宅→大洗。輪行移動 フェリー船内泊→苫小牧先ずスタート点の宗谷岬を目指す。雨の中出発。電車に乗って移動だから楽勝と思った。甘かった。雨とは関係なく難行苦行。今回装備を一新した。組立式自転車、トレーラー。これで輪行が可能になった。袋に入れた自転車、荷物満
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→東京 輪行移動。自宅。無事帰宅。旅はこれで終り。
→札幌泊。走行58km 。今日の道はきつかった。支笏湖の湖岸を走った後、登りとなる。登り道になると、宿で聞いていたので、踏ん張って、こいだ。休み休みで、峠らしきに所に到達。標高570m 。何とか峠と名前がないので、地図にも何も記載されてない。よし!これで札幌まで下
→支笏湖泊。走行28km 。苫小牧から支笏湖まで自転車道がある。快適に走れる。林間にシダが繁殖している。何故か?フキでない。ナナカマドの先端部分から色付き始めている。苗を植林したばかりの光景。白いのは保護。アオダモの木。支笏湖は水温が高いのか、水浴していた。
→苫小牧泊。走行82km 。走り切りました。サラブレッドの産地で、馬牧場が列なっている。牧場の1区画に1頭の割り当てなのか?太平洋は波穏やかで、水がきれいだ。道は走り易く、厚賀から日高自動車道が平行しているので、国道の交通量は激減。ただ、ひたすらに走った。日の
→ 静内泊。走行62km 。様似という所の海中に取り残された岩がある。折しも霧が発生した。国鉄日高本線跡が残っている。チャリダ―に会った。ママチャリで鹿児島から走って来た。78歳のお父さん?旅人というより山頭火みたいな、行く宛のない、世捨て人風な男。バス停がしゃ
→様似泊。走行34km 。昆布漁の謎が解けた。早朝の決められた時間、一斉に舟が出て行く。戻り、陸揚げ、干場へ、舟は又出て行く。一家総動員で働いているのだろう。8時にサイレンが鳴り響いた。続いてスピーカーから、昆布漁終了。多分5時からの3時間勝負。沿岸で拾うのは時
→襟裳岬泊。走行59km 。黄金道路を走行。トンネル9カ所、内最長は4941m 。残りの部分は殆ど履道。日高山脈から延びる断崖が太平洋へ落ち込み、そこに造った道路。莫大な費用が掛かった。海岸の岩礁で昆布が取れる。日高昆布。海岸で採集している姿を見た。漁舟は出てなかっ
→広尾町泊。走行38km 。農場地帯から牧場地帯ヘと変わった。畑地から牧草地へ。この辺りの牧場には、サイロ搭が多くある。現用中のようだ。何に使っているのか?
→大樹町晩成温泉泊。走行:59km 。畑地の中を走行。農薬散布の隣では手作業による農作業。畑の中に人の姿を見ることは稀だ。十勝川の河川敷に樹齢150年のはるにれの木がある。町の文化財になっている。
→中川郡池田町:走行44km 池田北のコタンYH 泊。畑地をひたすら走行。田んぼは見当たらない。農地も機械化で広い。牧場と同じように入り口に看板がある。じゃがいも畑も多く、今、花盛り。北島三郎が歌う「石狩川よ」に花咲く頃は、孫は道産子、とある。この歌は石狩平野のこ
→士幌泊。走行34km 。御天道様はご機嫌斜めで、曇り、雨で顔を出してくれない。今日の道は大きな峠もなく淡々と走れた。畑地が殆どで、牧場が幾つかあった。国鉄の士幌線が遺したコンクリート製のア―チ橋が幾つか現存する。国立公園内だったので、調和を取るためだった。一
→糠平泊。走行21km 。途中、幌鹿峠標高1081mを越えた。朝、霧雨。気温低め。今日のルートは、7年前のリベンジだ。2017.7.5に今日のルートを通ろうとしたが、途中崖崩れの為通行止め。台風被害だった。その時は、帯広迄出て、ここ糠平へ来た。ブログ日本三周46日目を読んで下
走行→然別湖泊、32km 。途中白樺峠標高900m越えがあったが、数えきれない程の足つき休憩をして何とか越えた。今日も御天道様のお陰で晴れ。林間を気持ち良くサイクリング。今朝のこと。朝風呂で、露天風呂へ入り、上がろうとしたとき、ヘビがいた。張り紙に、たまにヘビが出
走行:深山峠→上富良野 バス輪行→新得駅走行→屈足(くったり)総21km くったり泊。バス輪行移動で狩勝峠を越えた。あっという間だった。初めての経験だったが、バス輪行も使える。花特集としました。
美瑛の丘、パノラマロ―ドサイクリング走行:44km 。登り下りの連続。丘の斜面が畑地。開拓者達は、さぞ大変な苦労をしたのだろう。今は機械化され少人数でも対応可なのではないだろうか?丘の上に出ると、パッと景色が開ける。パッチワークは連作を避けるための結果だ。北海
美瑛の丘散策サイクリング走行:20km 四季彩の丘:有料花園へ行って見た。圧巻と言っても良いと思う。花好きの人なら1日居ても飽きないだろう。この季節、道内の紫色はラベンダーと思い込んでいたが、 濃い紫色のサルビア、薄い紫色のキャットミントがあることを知った。今
札幌→美瑛:特急カムイ号列車移動。旭川の手前に美唄があり名前が紛らわしい。実走→上富良野町美馬牛19km 午前の天気は荒れ模様。突風に、にわか雨。気温が下がった。19℃。架線に何かが引っ掛かったとかで、列車遅れ。美瑛駅で自転車組み立て後、走行開始。ぜるぶの丘へ行
東京→札幌 北の大地に来てます。列車移動。新幹線はやぶさ号は満席状態。シ―ズンで北海道旅行の人達が多いのか?北海道へ初めて旅したのは1963年昭和38年。夜行列車で青森駅に到着すると、そこが連絡船への乗船口だったことを覚えている。津軽海峡冬景色がヒットするずう
走行:西武秩父→浦山:標高500m→西武秩父35km 。浦山には、秩父巡礼札所:大日如来堂がある。湖はダム湖、流れている水がきれいで水面がきれいでした。猿に餌をやらないで!の看板があったが、途中、群れが道を横断していた。
走行:秩父→飯能43km 。山伏峠630m 越え。それ程ハ―ドではない。その分物足りない。
走行:西武秩父→浦山:標高500m→西武秩父35km 。浦山には、秩父巡礼札所:大日如来堂がある。湖はダム湖、流れている水がきれいで水面がきれいでした。猿に餌をやらないで!の看板があったが、途中、群れが道を横断していた。
走行:秩父→飯能43km 。山伏峠630m 越え。それ程ハ―ドではない。その分物足りない。
走行:正丸→青梅26km 。狭路の性か、交通量が極めて少ない。快適なルートだ。天目指(あまめざす)峠590m を越え、トンネル、峠を通りゴ―ル。
走行:青梅→東飯能26km 。適当にアップダウン、トンネル、山王峠。気の向くまま走った。気持ちの良い天気。ちょっともの足らない走行。
走行:奥多摩→大月 46km 。松姫トンネル入り口標高790m 。ここを通過後はずっと下り。人生下り坂、気持ち良し。天気が今一。曇りで気温20℃。猿橋を見学。初めて。ここは渓谷になっていて、渡るには難所だ。日本の3代奇橋の1つと、看板があった。
新幹線で長野まで。北しなの線で黒姫まで鉄道移動。走行:黒姫→戸隠中社16km 。ずっと登り。
奥多摩駅→武蔵五日市駅33km 。楽なコ―ス取りで、小さな峠越しが一ヶ所。激坂で歩かされた。
走行:上野原駅→武蔵五日市駅37km 。JR 高尾駅にエレベーター無く、階段辛かった。ナビで検索した道の経由地指定しなかったため、道を間違え遠回りした。経験して発見するミスがあるものだ。途中、甲武トンネル入り口で、標高600m。その後、ロングダウンヒル。気持ちの良いも
走行、武蔵五日市→上野原32km 。陣場街道、八王子の和田峠:標高698m越え。中山道にも和田峠があるが、これとは異なる。久しぶりのヒルクライム、きつかった。連休中で、チャリダ―、ハイカ―が多かった。
テント生活は封印し、宿、泊まりの生活とします。輪行で脚を伸ばし、期間は短めとなるでしょう。旅の毎日はブログ投稿を続けます。