新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
秋雨の中銀杏が色づきつつあって黄色が艶めかしい秩父鉄道オリジナル色はとても秋色に似合うと思う2015年霜月秩父鉄道NikonDf色付く銀杏と秩父色
いつまでも暑い今年の紅葉や如何に頻繁にヒガハスに出かけていた或る秋屋敷森の樹々が程よく色づくその奥をもみじ色した観光特急が行く2014年霜月東北本線NikonDf屋敷森の紅葉ともみじ色の電車
日の出前の小駅にヨンマルがやって来た誰も乗せずにブンと排煙を上げて駅を出ていく2016年霜月烏山線NikonDf黎明のヨンマル
今は高架駅で営業しているが直上工事ゆえ完全に竣工するまでにはもう少しかかるマイホームタウンステーションその懐かしい工事中の一枚2017年師走西鉄天神大牟田線春日原NikonDf直上高架工事
超望遠で林立する架線柱の向こうからリバイバル色の185系が迫る黄昏時の信越線2012年長月信越線OLYMPUSE-5彼方から
朝晩の冷え込みがこの並木の黄葉を進める2012年霜月都電荒川線学習院下OLYMPUSE-5黄色い並木
今朝は冷えたでもこのまますんなり季節は進まなそう温暖化の影響で草木も作物も季節の移り変わりもどこかおかしいそのうち季節の風物詩なんて無くなってしまうんじゃないかと晩秋の定番の残り柿にそんなことを考えてしまうそれからもう一つ時代の変化という点では211系が走るヒガハスもそうだけどダブルデッカーにシングルのサロも懐かしい2012年師走東北本線OLYMPUSE-5(公道から撮影)残り柿
文字通り国鉄色の機関車が国鉄からの継承であるコキ50000を牽くこのコンビが好き2011年霜月武蔵野線OLYMPUSE-5国鉄×国鉄
ある秋晴れの日に飯山線で運転されたイベント列車客車列車の運転終了からずいぶん経っていたけど国鉄色のディーゼル機関車が茶色い客車が牽くという在りし日の国鉄を思い存分楽しんだ一日だった2010年神無月飯山線OLYMPUSE-30DD16とオハニ
冬の嵐の北陸道を何とか抜けて長野エリアまで辿り着いた朝飯縄山は嵐をもたらした雪雲で綺麗に化粧しやって来たリンゴ色の2000系が朝日を浴びて綺麗に浮かび上がった2010年師走長野電鉄朝陽OLYMPUSE-30雪晴れの飯縄山
谷川連峰を超えて雪雲が千切れ飛ぶ空の下フルノッチで湘南色の115系が丘を駆け上がってくる2010年睦月上越線OLYMPUSE-30上州の丘を駆け上がる
弱い師走の陽光を受けてやって来た7019号車降車ホームで乗客を降ろし乗車ホームに転線する年末の買い出し客でごった返す商店街をよそに暫し静寂の駅には薔薇の香のみ漂う2011年師走三ノ輪橋OLYMPUSE-30薔薇咲く終着
電関人が撮影した中では一番多く着雪を運んできたカシオペアこれも夜行列車だからのこと2010年睦月北浦和OLYMPUSE-30北からの土産
蒼穹の空に白銀の白馬の山々が聳え立つこんな絶景を望める大糸線は大事な観光資源2009年如月大糸線信濃森上OLYMPUSE-300日本アルプスの高原を行く
午後逆光側に太陽が廻り雪の渓はモノトーンとなる色を差すようにツートンのゴーニーがやって来た2009年如月大糸線南小谷OLYMPUSE-300逆光の渓
晩冬の恵那山は薄っすらと雪を纏うそんな恵那山が見下ろす中木曽川の畔を行くロクヨン重連貨物低い冬の日差しはこの先木曽谷には届かない2009年如月中央西線OLYMPUSE-300恵那山が見下ろすロクヨン重連
錦秋の鳥居峠越えの383系温暖化による気候の変化が著しいただでさえ紅葉のドンピシャに巡り合えるのも難しいのにその秋自体が無くなりそう樹々の葉は色づくことなく散ってしまったりはっきりした四季が日本の魅力だというのに前がカツカツなのは機種のローテクさゆえご愛敬ということで2008年霜月中央西線OLYMPUSE-300中央西線の秋
豊穣の圃場の向こうをオリジナルカラーの169系が行くたわわに実った稲の香ばしい香りと風に擦れる乾いた音そこに聞こえる169系のモーター音平穏な中秋の時間が流れる2008年長月しなの鉄道OLYMPUSE-300中秋を行くしな鉄169系
長野電鉄沿線のリンゴ畑はそろそろ収穫時期だろうか?この時期になると同線で活躍したマッコウクジラこと3500・3600系を思い出す日比谷線時代大学受験でもお世話になったことから長電に移ったマッコウクジラには愛着が強かったニックネーム通りに前面の優しいアールの造形とコルゲートの車体が何ともチャーミング赤いハチマキのマッコウクジラが熟したリンゴ畑の中を行く姿はいつまでも思い出の中を駆け巡る2008年霜月長野電鉄OLYMPUSE-30思い出の長野電鉄マッコウクジラとリンゴ
電関人が足しげく山陰本線に通っていた70年代後半から80年代前半頃には同線の貨物列車輸送は下降線を辿っていたようだ特に西部地区では数両の貨車を仕立てるのみでこの列車もワフ、ワラにホキ2両にヨと工臨なのか貨物なのか?地域間の少量輸送で寂しい列車が秋雨に打たれ通過していった1982?年霜月山陰本線仁万NikonF2photomicSB山陰本線貨物の思い出
無煙化間もない鳥栖機関区鉄道要衝で急客機はじめ多くの蒸機が屯い給炭を受けたここでは大きな給炭塔が機関区のランドマークだった1976年皐月鳥栖機関区OLYMPUSOM-1煙の名残
上京後よく通っていた八高線DD51の貨物が主な被写体だったけど旅客はまだキハ35系がメインで首都圏の長閑なローカル線だった1981年神無月?NikonF2photomicSB長閑な頃の八高線
往路の上越国境ではいきなりの大雪に見舞われた新津経由で目的地の只見線沿線に着くと辺りの山々は晩秋から冬へのグラデーションやって来たC11の吐く息も真っ白2009年霜月只見線OLYMPUSE-30季節の狭間で
数あるEF81の中でも比較的頻繁に会える133号機は氷柱切りで精悍な顔立ち旅客列車から貨物まで様々な仕業で活躍しかしその特徴を生かして様々な角度から撮影を試みたが中々納得がいかないそんなある日の安中貨物で大きく傾いた冬の陽は辺りの建物の影を長く伸ばすなか建物の合間から線路を照らすスポットライトのような光線が美しく133号機の顔を浮かび上がらせてくれた2010年師走蕨OLYMPUSE-30男前の133号機
昭和も随分と昔になったつい先ごろまでマークが変わったり塗装が変わっても彼方此方で見かけた昭和の顔たちも随分と減ってしまった2010年霜月常磐線馬橋OLYMPUSE-30昭和の顔
良く晴れわたった秋の日木曾谷に昔日の林鉄が蘇った2013年神無月OLYMPUSE-5林鉄日和
小雨降る波久礼駅ヤマに向け返空列車が出発返空とは言えこれから勾配が続く後方を確認しつつ慎重にノッチを進段していく2011年神無月秩父鉄道波久礼駅OLYMPUSE-5デキ501波久礼出発
「ブログリーダー」を活用して、狂電関人さんをフォローしませんか?
新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
昭和ど真ん中世代の汽車旅感覚だからそう思うのかもしれないが現在では目的地へ最速アクセスして現地ロングステイそれもオーバーツーリズムの要因ではないかそもそも新幹線で現地へ最速アクセスじゃ既に汽車旅風情も無くて目的地へ対する旅情の醸成もできまい一定時間を掛けて目的地へ到達し限りある時間を大切に過ごす行き帰りの車内で旅への高揚を味わい旅人は高い道徳で振る舞う本来の旅は夜越し目的地に向かうくらいの速度と時間がちょうどいい具合だったのではないかオーバーツーリズムは観光地をも消費しつくしてしまう2009年水無月神保原汽車旅とオーバーツーリズム
EF641000番代この形式とは新製からの長い付き合いとなった上越国境の補機運用に当たったEF16の置き換えに始まりその後のEF15、EF58の置き換えとどちらかと言えば最初は宿敵だったがその武骨な図体の重連仕業は山男真骨頂で好被写体となったこの春の改正にて中央西線の重連運用も解消となり形式消滅も秒読みが迫る2010年長月安茂里重連解消
国鉄時代のEF65のように大所帯となったEF210この形式には901号機が存在するから1号機と言ってもセカンドロットオールドファンとしては下枠交差式パンタグラフの同機はシングルアームよりフォトジェニックオリジナル色もそのうち変更になるだろうがもうずいぶんと会っていない1号機遠く岡山の所属だから追っかけるのも大変2007年文月武蔵野線EF2101号機
一人旅で大阪の叔母宅へ行く際に大阪環状線はオレンジバーミリオンの103系だった学生時代中央本線沿線に下宿し通学に利用したのもオレンジバーミリオンの103系就職して貨物をよく撮りに行った武蔵野線もオレンジバーミリオンの103系2005年水無月武蔵野線思い出深いオレンジバーミリオンの103系
残念ながら稼働している頃に行けなかったしかしながら休車で佇んでいるだけでその存在感は十二分だった手前の501は造船会社製2011年文月富士岡岳南のオールドロコ
もともと交流区間育ちで赤い機関車を見慣れている自分としてはこの塗装のパーイチが晴れた日本海には一番似合うと思う2012年水無月鯨波晴れた日本海とパーイチヨゴマル
踏む草の匂いが強く感じられて一日中田圃で蛙が鳴き始める頃季節はやがて梅雨に2012年水無月ひたちなか海浜鉄道梅雨へ
春霞か黄砂かくっきりしない残雪の山の遠景新芽吹く近景に遅咲きの桜泥色の田に幼い稲が並ぶ頸城大野の春景色2011年皐月頸城大野頸城大野田植えの候
旧長野電鉄屋代線の松代駅が取り壊されることに現役時代は最後まで有人駅として約1世紀に亘り時代を見てきた寂しい限りである2011年卯月松代駅1世紀の証人
梅雨のはしりだったか列車の屋根を打つ雨が白く飛沫になるほど勾配でのノッチやブレーキ操作は殊の外慎重を要するだろう2012年水無月蕨雨に打たれる貨物列車
紫陽花の花の色が濃くなる頃蒸し暑い雨の季節がやってくる鬱陶しい梅雨の到来2012年水無月大塚紫陽花の季節へ
とうとう終焉になった安中貨物その専用ホキが新製された直後の試運転だったか人気の機関車にエスコートされて2010年水無月武蔵野線ミニ安中貨物
もうすぐ紫陽花の季節飛鳥山の紫陽花を前景にして北王子専用線列車を狙った思い出2010年水無月王子紫陽花の思い出北王子専用線
草木が黄緑から緑色に深まる頃さらに成長を促すべく雨の季節がやってくる河原いっぱいに広がる緑の向こうを泳ぐようにロクロクの貨物が貨物色を最初から纏う100番代には雨がよく似合う2007年水無月武蔵野線雨の季節へ
現在ひたちなか海浜鉄道として運行されるかつての茨城交通最晩年塗装こそオリジナルの派手なものだが此処にはかつて羽幌や留萌といった北の炭鉱町からやって来た車両が在籍したそのうちの一両はさらに遠く九州のかつての炭鉱町を走る平成筑豊鉄道へ何の因果だろう2006年皐月茨城交通中根茨城交通残照
伯備線から山陰本線に出て日野川を渡って米子中海沿岸を抜け松江宍道湖沿岸を走って斐伊川を渡って終着出雲市へ滑り込むこの山陰本線区間はできれば天気に恵まれたいところだ2014年皐月山陰本線宍道駅山陰本線をラストスパート
伯備線はかつてはD51三重連でも知られた陰陽連絡の幹線ちょうど大学入学と同じころに電化され振子特急も往来する列車密度途中で何本もの列車と交換しながら雨の中国山地を越えた2014年皐月伯備線雨の中国山地越え
早朝の岡山で瀬戸と出雲は分割かつて鳥栖で客車分割は見慣れたものの581・583時代にお目に掛かれなかったからこの分割は一興2014年皐月岡山駅瀬戸分割
夜行列車最大の楽しみは夜越しで変化する車窓サンライズで未明を迎える時間はちょうど九州からの関西ブルトレと同じく須磨海岸の前後懐かしの車窓を暫し鑑賞する2014年皐月須磨夜行列車未明の車窓
初日の塒は三見狙いがうまくいったというか明るくなってロケハンしたら塒から直ぐの場所がなんとも絶妙一番列車がやってくる頃には既に夜の漁に出ていた船は港に戻った後だった2024年水無月山陰本線飯井~三見朝の三見港
昨日未明に自宅へ戻った日曜の夕刻に郷里福岡を出発山陰本線京丹後鉄道えちぜん鉄道万葉線氷見線越後ときめき鉄道しなの鉄道中央西線を巡る旅の始まりはここ萩駅を皮切りに2024年水無月山陰本線萩駅SONY1-Ⅴ1600キロの旅
本日より旅に出ますので、13日まで更新が滞ります。留守分として本日二本立てです。ついぞ巡り合えなかった雪の餘部電関人が足しげく通った70年終盤から80年初頭は日本は暖冬期にあって雪に浮かぶ幻の餘部鉄橋は幻のままに鉄橋直下に密集する民家がなんともフォトジェニックだ1978年師走山陰本線餘部急行美保NikonF2withEktacrome第二の故郷山陰本線へ里帰り3
光る石州瓦は電関人が思う山陰本線西地区のイメージだしかも地区によって黒いのと朱色のがある此処辺りは黒い甍の波夏の南天に近い時間帯湧き溢れる汗と戦いながら高台から光る甍を入れて下り181系おきを狙う1982年文月山陰本線仁万NikonEL2withKR第二の故郷山陰本線へ里帰り2
ほぼ決定事項だが山陰本線を撮りに行く予定今の同線を撮りたいのもあるが自身の中では初心に帰るリフレッシュの旅確か大学2年の夏意を決して夜行さんべ号の車中の人となり夜明け前の浜田に降り立つそこから時間つぶしに益田まで直行するような客レに乗車さらに上りに乗り換えて岡見駅へ時間つぶしのロケハンで港を経由し三保三隅寄りのポイントへ移動現在は海を埋め立てた発電所になっている場所明けたばかりの太陽が中国山地を温めてできた雲がでてしかもまだ高度が低い太陽は海岸を照らしてはいないそんな悪条件下でKRの絞りはレンズの開放に近いおまけに若干の前ピントとくりゃ・・・踏んだり蹴ったりの一枚である1982年文月?山陰本線岡見~三保三隅NikonEL2WithKR第二の故郷山陰本線へ里帰り1
学生時代に住んだ吉祥寺のボロ下宿脇は中央線の高架線だったお陰でロクヨンゼロのエアフィルタ音は子守歌のようなものロクヨンゼロを長野のお師匠さんと中央西線によく追った一コマを今宵アップ中央西線は塩尻を出て洗馬を過ぎた辺りからいよいよ木曽谷の隘路へと踏み込む木曽谷を縫ってきた下りのタンカートレインが上りのタンカートレインを待って洗馬駅に運転停車複線区間にあって塩尻のヤードの線形からなのか?奇しくも下りの牽引機は59号機を頭に次位60号機と兄弟重連今季小雪の木曽谷の山々は微かに残雪を背負い後ろには北アルプスの前山の鉢盛山であろうか2009年如月中央西線洗馬駅OLYMPUSE30元データJPEG木曽谷ロクヨンゼロ回想
ゴーマルサン時刻改正の約一年後福岡県地方に纏まった雪が降ったのでスクランブル発進で小倉駅までやって来たまだ覚えたての父親譲りのハーフ一眼レフ携えて到着早々珍しい列車に遭遇下り明星3号西鹿児島行だ本来は小倉通過で博多に5時前に到達するからこの時点でおそらく5時間ほど遅れていたようだしかも新大阪寄り先頭車に珍しくクハネ583MGが床下吊り下げで乗務員扉すぐに旅客扉が付く暫くして小倉駅に入線してくる博多発小倉廻り西鹿児島行ディーゼル特急にちりんこれまた珍しく先頭のキハ82には寒地型タイフォンカバーが向日町から鹿児島転属組か?1976年如月?鹿児島本線小倉駅OLYMPUSPENFサクラカラー原色1976IN小倉駅
豊後森に今も残るラウンドハウスかつてはキハ07が番人をしていたが今は福岡からやって来たこのキュウロクになっている2024年如月久大本線豊後森NikonD5豊後森の番人
夜明と共に現地到着残念にも浅間山は雲の中ヤマの専門家である長野の師匠の話では大気が冷えてガスになりそれに包まれているだけなので夜が明けて数時間したら必ず浅間は姿を現すとその言葉に縋りながら氷点下に冷える雪原に数時間明けた太陽が高度を増してくると舞台の緞帳が上がるが如く神々しい白銀の山容を見せてくれ其処に現れたのは奇しくも観光列車ろくもんだった2024年弥生しなの鉄道線御代田NikonD5雪晴れの浅間山麓をろくもんが往く
かつて香春岳で産出していた鉱物は銅鉱石が多かったそのため地名や駅名にも採銅所の名が残る鉱山全盛期を物語るように採銅所駅には駅の気品が強く感じ取れるエントランス上部に掲げられた駅名版は切り株をスライスした一枚板日田彦山線だけに日田杉であろうか?鉄のラッチもそのままに残されるエントランス外には両サイドにこれもまた無垢の木材を加工した温もりのあるベンチが据え付けられる駅本屋の上り方脇に残される積出用側線の有効長はかなり長く何両もの貨車が据え付けられるようになっていた駅本屋の窓枠にも注目したい木の当時から残る窓枠にも漂う大正浪漫そしてホームにはかつてはどの駅にもみられた工業デザイナー氏の手によるカーヴが美しい腰掛に僅かな昭和のモダニズム無人化された後もきれいに維持される採銅所駅に今も残る凛とした気品2024年弥生...採銅所駅の気品
今は水害の影響で全線が繋がってないが久大本線夜明から分岐して日豊本線城野まで伸びる日田彦山線はかつて筑豊地区の物資を運ぶ動脈として筑豊本線と共にあったそして中間駅の採銅所は名の通り銅鉱山を有し輸送物資も豊富当初から輸送力確保のために複線にする計画があったそして穿かれたトンネルも複線用のものであった2024年弥生日田彦山線採銅所駅NikonDf穿たれた複線トンネル
筑豊には二つのダイヤが存在するエネルギー革命によって産出を止めた黒いダイヤこと石炭と香春岳や船尾山といった山から産出する白いダイヤ石灰石石灰石の方はセメントの原料として生産量こそ減ったものの未だに操業中船尾駅界隈はかつてはホッパービンを使ってダイレクトに貨車に積んでいたため周囲は真っ白になっていたのを記憶するが今の船尾駅周辺はトラック輸送に代わって昔の駅周辺と趣が変わった2024年弥生後藤寺線船尾NikonDf黒ダイヤと白ダイヤ
旧国名が筑前と豊前に跨がっているので筑豊その筑豊には一大炭田が拡がり産出した石炭を積み出すために網の目のように鉄路が敷かれたそこで身を粉にして蒸機と共に働いてきたのが石炭用貨車でその初代がセム1どこかにその残党の現役時代の写真があったはずだが今は見つからないので次回の宿題ということで2024年弥生直方石炭記念館NikonDf筑豊蒸機の相棒
礼に始まり礼に終わるのがこの国が最も評価されることのはずが今やそんなことはとうの古の話が如く国力という点においても下から何番目という体たらく人のことなどかまってられるかと言わんばかりの日常金を持っている奴らにばかり媚びていつも周りと比較して自分が少しでも優位に立ちたがるもうすぐパリオリンピックだがお家芸柔道の戦績たるや如何に10代以下否20代以下の将来が心配だ弱者に厳しい?一人この国の未来を憂う2004年卯月?博多駅新幹線ホームNikonFM3A+TX※再掲礼儀の国ニッポンは何処へ
終日の強風に空のクリアランスは最高水田の水面に立つさざ波を味方につけてリフレーンするジョイト音を載せて2024年五月真岡鐡道真岡NikonD5水田のさざ波と
四季折々の花が丹精された上神梅駅にて初夏の日差しはトップライトになると光線が強すぎて作画に苦労すること暫しその日差しを避けるよう木陰に佇む芭蕉の花の青に惹かれた鈍い銅色を纏う気動車をバックに置きハイライトが白飛びしないようぎりぎりの露出にしてあとは現像ソフト頼り2024年五月わ鐵上神梅駅NikonD5/Fisheye花の駅上神梅に遊ぶ
キハ10系や26・55系、58系800番代、35系、23・45系など我々の学生時代は油と煙草のヤニ臭いチンドン屋編成の列車に揺られてだったそれから時代は進んで最新型のユニットを搭載した車両でしかも冷暖房完備時代は変われども彼らの制服は今も昔も大差ない2024年如月香椎線須恵駅NikonDfDENCHA通学
冬の上田原は暮れるのが早い終日強く吹いた季節風によって日没後の冷えは一段と厳しい別所温泉の日帰り湯に浸かり強張った体を休め本日最後の撮影地に向かうメインの通りからやや入り込んだ場所にひっそりと八木原駅は在りそこに寄り添うように数件の人家が集うその寒々とした駅に夜のしじまを破って遠くから電車がやって来た2024年弥生上田電鉄八木原駅NikonD5夜のしじまの八木原に
すっかりと久大本線に定着した観光特急ゆふいんの森キハ65改造の71と新製の72の2編成だが生憎71が検査入場のため185が代走この日一往復の貴重な72を此処で捉えることに玖珠町の地形は数百万年前の火山活動による溶岩大量流出で起きた地盤沈降でカルデラを形成しその後外輪山部分の固い岩盤が他の柔らかい地盤部分の流失でできたメーサ地形となりギアナ高地同様日本でも大変珍しい景観を生み出している画面一番奥がそのメーサである2024年如月久大本線恵良NikonD5ゆふ森とメーサ
上田交通(上田電鉄)と言えば丸窓に尽きる今もステンの車体を旧カラーのツートンにしてさも丸い窓が戸袋にあるようにされている車両も存在するが現在別所温泉駅脇に鎮座する元祖丸窓車両大正浪漫を強く感じさせる同車のチャームポイント2代目になる丸窓ドリーム号そして最後は81年撮影で現役5250が力強くトレーラー牽き別所温泉駅に向けて最後の勾配を上る雄姿写真上)2024年弥生NikonD5写真中)2010年文月OLYMPUSE-30写真下)1981年五月?NikonF2丸窓ドリーミン