2012年3月
とあるセミナーに参加した。講師が話してくださるのに応じて、私は時折頷きながら聞いていた。でも、そこではたと気づいた。私は、講師の話の内容に納得して頷いているわけではなかった。講師の人に、「私はあなたの話を聞いています」というメッセージを伝えるために、私は頷いていたのだ。(意識してそうやっているのではなくて、自分の行動を第三者的に見てみたら、そのようなことに気づいたということ。)たぶん、講師の人も、私の頷きが偽者であると見抜いているのでは、と思った。私は、講師の話を聞きながら、実は自分の頭の中の思考に閉じこもって、色々と考え事をしているのであった。これはある意味、大きな発見であった。いつも、自分の内に思考、関心が向いている。外界には向いていない。そこで改めて、森田先生の「見つめよ」の言葉の重要性が改めて胸に迫って...新しい発見
生活の発見会誌『生涯学習としても「森田」』『ところで、神経質の「とらわれからの解放」とは、どういう状態をさすのであろうか。これについて正馬はおよそ、軽快と全治(あるいは根治)に分けておられる。まず軽快とは、不安はあっても、なんとか日常生活・社会生活が続けられる状態。そのうえで全治とは、自分自身のこころの動きを、そのまま尊重することができる状態。そのようにいうことができるだろう。』(p.40)私の場合には、もう20年以上にわたって、この「軽快」の状態が続いている。「軽快」の中でも、浮き沈みはあるものの、なんとか社会生活は遅れている。全治・根治は、まだまだ先だなあという感じがしている。ただし、どうなれば全治といえるのか、定義がはっきりしているわけではないだろうから、自分で正しく判断できるかどうかはわからない。「その...とらわれからの解放
『「しなやか脳」でストレスを消す技術』(篠原菊紀著幻冬舎)という本を読んでいたら、森田療法の記載があった。月曜日、出社がつらいときは?という質問に対する答えの4番目が下記の内容だ。『ところで、日本が生んだ優れた心理療法の」ひとつに、森田正馬による森田療法があります。その基本原理は、「あるがままに、なすべきことをなせ」です。そこで4番目のお答えは-、つらさをスルーする。「スルーする」ってことは、相当に治療的です。「あるがまま」を受け入れられれば、治療の大半は終わっていると言っても過言ではありません。』(p.23)つらさをもろに受け止めないで、そのままさらりとスルーしてみるとしますか。「つらさをスルーする」
生活の発見会誌『生涯としての「森田」』の中で引用されていた森田先生のことば。『ほんとうの大悟徹底は、恐れるべきを恐れ、逃げるべきを逃げ、落ち着くべきを落ち着くので、臨機応変ピッタリと人生に適応し、あてはまっていくのをいい、人間そのものになりきったありさまをいうのである。』森田療法を一言でいうと、まさにそういうことだなあと思いました。本当の大悟徹底
2012年3月
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