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  • 新しい発見

    とあるセミナーに参加した。講師が話してくださるのに応じて、私は時折頷きながら聞いていた。でも、そこではたと気づいた。私は、講師の話の内容に納得して頷いているわけではなかった。講師の人に、「私はあなたの話を聞いています」というメッセージを伝えるために、私は頷いていたのだ。(意識してそうやっているのではなくて、自分の行動を第三者的に見てみたら、そのようなことに気づいたということ。)たぶん、講師の人も、私の頷きが偽者であると見抜いているのでは、と思った。私は、講師の話を聞きながら、実は自分の頭の中の思考に閉じこもって、色々と考え事をしているのであった。これはある意味、大きな発見であった。いつも、自分の内に思考、関心が向いている。外界には向いていない。そこで改めて、森田先生の「見つめよ」の言葉の重要性が改めて胸に迫って...新しい発見

  • とらわれからの解放

    生活の発見会誌『生涯学習としても「森田」』『ところで、神経質の「とらわれからの解放」とは、どういう状態をさすのであろうか。これについて正馬はおよそ、軽快と全治(あるいは根治)に分けておられる。まず軽快とは、不安はあっても、なんとか日常生活・社会生活が続けられる状態。そのうえで全治とは、自分自身のこころの動きを、そのまま尊重することができる状態。そのようにいうことができるだろう。』(p.40)私の場合には、もう20年以上にわたって、この「軽快」の状態が続いている。「軽快」の中でも、浮き沈みはあるものの、なんとか社会生活は遅れている。全治・根治は、まだまだ先だなあという感じがしている。ただし、どうなれば全治といえるのか、定義がはっきりしているわけではないだろうから、自分で正しく判断できるかどうかはわからない。「その...とらわれからの解放

  • 「つらさをスルーする」

    『「しなやか脳」でストレスを消す技術』(篠原菊紀著幻冬舎)という本を読んでいたら、森田療法の記載があった。月曜日、出社がつらいときは?という質問に対する答えの4番目が下記の内容だ。『ところで、日本が生んだ優れた心理療法の」ひとつに、森田正馬による森田療法があります。その基本原理は、「あるがままに、なすべきことをなせ」です。そこで4番目のお答えは-、つらさをスルーする。「スルーする」ってことは、相当に治療的です。「あるがまま」を受け入れられれば、治療の大半は終わっていると言っても過言ではありません。』(p.23)つらさをもろに受け止めないで、そのままさらりとスルーしてみるとしますか。「つらさをスルーする」

  • 本当の大悟徹底

    生活の発見会誌『生涯としての「森田」』の中で引用されていた森田先生のことば。『ほんとうの大悟徹底は、恐れるべきを恐れ、逃げるべきを逃げ、落ち着くべきを落ち着くので、臨機応変ピッタリと人生に適応し、あてはまっていくのをいい、人間そのものになりきったありさまをいうのである。』森田療法を一言でいうと、まさにそういうことだなあと思いました。本当の大悟徹底

  • 欲望について 森田 vs 小池龍之介

    『「ああしたい」「こうしたい」「あんな自分になりたいなあ」といったかたちで欲望をつくることは、目の前のやるべきことから意識を遠ざけ、集中力を喪失させてしまう性質をもっているのです。』「もう怒らない」(小池龍之介著)(p.23)『仏道的な心構えを保ちながら厳密に心を観察し続ければ、欲望が煩悩という名のとおり「煩わせ悩ませる」ストレス要因であることを発見できます。』「もう怒らない」(小池龍之介著)p.14)『これと同じく、赤面恐怖は、優秀欲・支配欲・権勢欲・負けおしみ・勝ちたがりの反面でありまして、そのための劣等感や恨みごと、過去の繰り言等に悩むものであります。したがって、その着眼点を恐怖の方ばかりに向けず、その欲望の方にのみ向けさえすれば、心機一転、強迫観念は全快するのであります。』(現代に生きる森田正馬のことば...欲望について森田vs小池龍之介

  • 「ブッダにならう 苦しまない練習」(小池龍之介著)

    『例えば「仕事がつまらないせいでダルいよ」と感じることも多いでしょう。けれども、その仕事について「つまらない」という脳内情報処理をしているがゆえに、ダルくなっているだけのことで、そういった思考をせずにせっせと取り組みましたら、同じ仕事でも楽しくなってきます。ですから悪魔は「つまらない仕事」ではなく、「仕事についてつまらないと考えてダルくなる心」のほうなのです。』(p.85)「ブッダにならう苦しまない練習」(小池龍之介著)

  • 一瞬で治る

    「神経質の人と一般の人との違い」の続き。神経質の人と一般の人との違いについては、先日宇佐先生の言葉を引用しましたが、その次のところが大事なので、引き続き読んでいただきたいと思います。『ところが神経質の方が持ち前の熱心さを心の外側、つまり実生活に向けられますと、驚くほどの社会での活躍ぶりを発揮されます。全治は常にこの一瞬にあります。心の外に目的のあることに遮二無二取り掛かっていらっしゃれば、もうそれで太鼓判を押せるのです。段々治るという考え方が世間一般に行き渡って、根強くありますので、皆さん方が「一瞬で治るはずはない」とお考えになるのですが、もともと病気ではない主観的障害に過ぎないということがはっきりすれば、治るとか治らないに関わらずそのまま進めばそれ以上何も必要ないのです。決して進む前に心のあり方のいろいろな吟...一瞬で治る

  • 現実に戻るための魔法の言葉

    日常、色々なことをやっているときの、自分の意識にちょっと注意を向けてみると、やっていることとはまったく関係ないことを考えていることが多い。やっているそのことにはあまり集中せずに、頭の中では、現実と離れたことで一杯になっている。森田正馬先生が神経症者に与えてくださった次の言葉は、珠玉のような言葉に思えてきた。「見つめよ」対象をよく見つめなさい。そこから何か感じが生ずるはずである。その感じを深めて、現実のことにどんどん手を出していきなさいと教えてくださった。あまりに単純な言葉ではあるけれども、核心をついた言葉である。にほんブログ村現実に戻るための魔法の言葉

  • 神経質の人と一般の人との違い

    森田療法において、私の敬愛する宇佐晋一先生のことばで、わかりやすい文章があったので、ご紹介します。『神経質の方と世間一般の人とはどう違うかと申しますと、神経質の方は病感が強いということです。その違いはまさにご自分を完全な状態、健康な状態に保とう、目指そうというその熱心さによるものです。それはあくまでも主観的障害であって、他の統合失調症やうつ病のように、客観的障害の病気ではないということです。』(三省会報第114号)対人恐怖症とか、そういうものは、「主観的障害」である。なぜ、そういう病感を持つのかというと、自分を完全な状態に保とうとするところに原因がある。誰だって人の前に立てば緊張する。そのことに気づかずに、その自分ばかりが異常であると思って、それを排除しようとする。健康な状態に保とうとするのは、現実的な感覚から...神経質の人と一般の人との違い

  • 対人恐怖症が治ること

    毎月、生活の発見会から冊子が送られてくる。その中で、「私流・森田の読み方」というコーナーがある。そこに下記のような文章が引用されていた。『ここで対人恐怖などで、自分の病気が治らないと主張する人は、いつまでたっても、決して治る時節はこない。その人は、いくら仕事ができるようになっても、演説ができても、決してよくなったとはいわない。いつまでも、人前で恥ずかしい、思う事がスラスラといえないかといい張る。それは夏は暑い、冬は寒いと同様に、いつまでたっても、どうすることもできないという事に気がつかないのである。神経症の症状の治ると治らないとの境は、苦痛をなくしよう、逃れようとする間は、十年でも二十年でも決して治らぬが、苦痛はこれをどうする事もできぬ、しかたがないと知り分け、往生した時は、その日から治るのである。すなわち「逃...対人恐怖症が治ること

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