岩手県大船渡市三陸町綾里野形。鳥居「平成17年9月吉日建立、野形町内会・野形契約会」綾里は太平洋沿岸、綾里湾などに面し、綾里富士の山裾が海岸まで迫り、大股山から南東流して海に注ぐ綾里川沿いに僅かな平野地があります。湾は2つあって東側の綾里湾は陸中海岸の南部、
月山湖水の文化館(山形県西村山郡西川町砂子関)。道112号線沿い、寒河江ダム(月山湖)を一望できる自然に囲まれた売店、飲食休憩施設。ポンプ。このポンプは…『寒河江市の水道で使われていたもので、寒河江川辺の八鍬水源地から長岡山の配水池に送水するためのものです。
秋田県大館市沼館稲荷下。かつての沼館村。御祭神は誉田別命、天照大神、大山祇命、保食大神、海津美大神、崇徳天皇。例祭日は9月10日。社号標「村社八幡神社」。鳥居の両脇に巨石があります。いずれの石にも「あぶない、のぼらないで下さい」との張り紙がありました。こちら
弘前大学医学部医学科へ。本町から向かうと、相良町の梅や生体部分肝移植世界最長生存戌の像の前を通ります。弘前大学医学部基礎研究棟正面玄関に向かって左手歩道の脇に設置されています。ヒポクラテスの木。昭和62年7月に弘前大学医学部地区緑化計画委員会と弘前大学医学部
青森県弘前市大字学園町1-1。弘前大学教育学部附属小学校敷地内。昭和52年11月6日に弘前大学教育学部附属小学校創立100周年を記念し建立。碑面は当時校長であった花田隆先生の書による「讃歌」が刻まれています。弘前大学教育学部附属小学校卒業生の方に聞いたところ、校歌よ
宮城県松島町松島普賢堂。旧松島オルゴール博物館が閉館して数年、オルゴールコレクションに北原トイコレクション、瀬川モードコレクションを加え、3つのコレクションを1つの施設で楽しめる「ザ・ミュージアム MATSUSHIMA」として新たに生まれ変わったものです。駐車場にあっ
秋田県鹿角市十和田末広上屋布。神田部落。Googleでは「稲荷神社」「産土稲荷神社」、一之鳥居の額束には「産土神社」、神田部落案内図では「千手観音」とあります。いずれも間違いではありません。御祭神は倉稲魂命。例祭日は5月17日。寛文2年5月創建。明治元年神田村にて再
弘前大学医学部附属病院。以前の記事:『明治天皇行在所記念碑 (弘前大学医学部附属病院)』弘前大学医学部附属病院入口塀の右角にあります。植え込みの木に三方を囲まれて建っています。以前紹介した時に比べ、かなり鬱蒼としていますね。碑文…『明治天皇行在所御遺蹟 明
弘前大学医学部附属病院。この動物慰霊碑は医学の教育と研究のために犠牲となった実験動物への慰霊の気持ちを形に現したものです。表面の題字「動物慰霊碑」は、当時弘前大学医学部長であった東野修治先生(弘前大学名誉教授)の筆。裏面碑文…『この碑は本施設利用者職員同
弘前大学文京キャンパス内。弘前大学山岳部と弘前大学医学部山岳部の学生、OBがヒマラヤなどの未踏の山に挑戦し、世界初登頂や新ルートの開拓など数々の実績を残してきました。平成16年10月10日にこの世界に誇るべき快挙を後世に残すため、弘前大学山の会、弘前大学医学部山
『柳津虚空蔵尊(登米市)』からの続きです。山門・仁王堂。今からおよそ250年程前に千葉某という人がおり、日頃から虚空蔵尊を信仰していましたが、あるとき病気になり、病状が日毎に悪化して死を待つのみとなってしまいました。そんなある夜、夢の中で虚空蔵菩薩が枕辺に立
宮城県登米市津山町柳津大柳津。真言宗智山派柳津山宝性院(寶性院)。御本尊虚空蔵菩薩。大鳥居の横にある寺号標「虚空藏尊」。もう一基は読み取れませんでした。「大鳥居建立を祝し建之 昭和63年12月吉日 旗枠施主(株)モトクテ代表取締役富樫憲一・取締所長千葉晴喜」駐車
青森県十和田市大字深持山ノ下。十和田市立深持小学校の西方。興禅寺の北方。参道と鳥居。鳥居の額束の神額。参道及び周囲の木々は伐採されております。伐採されている木々の数を見ると、かつては結構鬱蒼とした境内だったのかも知れません。興禅寺の屋根が見えます。不動尊
青森県十和田市大字深持山ノ下。十和田市立深持小学校の西方。八幡御蒼前の南方。境内にはトラックや重機等が出入りしており、何やら工事中だったので、お邪魔にならないよう入口付近までしか入りませんでした。臨済宗妙心寺派。盛岡市聖寿寺末寺。御本尊釈迦如来。深持部落
青森県営浅虫水族館。あなたは「水族館」を「すいぞっかん」、「すいぞくかん」のどちらで発音していますか?っていう話はさて置き、イルカショー!チンアナゴ!逆さまになって縦に泳ぐヘコアユとそれを見つめるチンアナゴ。クラゲ。津軽海峡の巨大イカ(ニュウドウイカ)。
岩手県岩手郡雫石町丸谷地。小岩井稲荷神社の由緒を語る上では切り離せないので、まずは小岩井農場の歴史に少し触れます。明治21年6月12日。盛岡を訪れていた明治政府の鉄道庁長官である井上勝(長州藩士、長州五傑の1人、官僚、正二位勲一等子爵。日本の鉄道の父。)は、眼
現在の弘前大学北溟寮のある土地は、もともと「りんごの神様」と言われた外崎嘉七氏(安政6年~大正13年)の農園地「向陽園」があった場所です。外崎氏は、りんごの袋かけを考案し、病害虫による青森県りんごの生産の危機を乗り越えました。また、ボルドー液散布による殺菌、
平成18年10月7日、弘前大学北溟寮の新寮築40年を記念し、06前期北溟寮寮務委員会により記念碑が建立されました。北溟寮は、昭和24年5月31日、新制弘前大学が設置されたとき、その母体となった5つの旧制学校のひとつ旧制弘前高等学校の学生寄宿舎を引き継いだもので、大正11年
2015年11月5日未明全焼。2016年11月に再建工事スタート。2020年3月26日に5年ぶりとなる例大祭が開かれ、一般公開も始まりました。かなり立派になって復活しました。木造2階建(487㎡)。焼失前が約240㎡だったのでからほぼ倍の大きさです。新しい社殿内については公式HPを参
令和2年。以前の記事(平成30年)から2年が経ちました。まだ空き地が目立ちますが、既にマンション建設予定地等になっている部分もあります。この日は岩木山は見えず。弘前駅方面。こちらは変化なしですね。それでは下に行ってみましょう。以前も紹介した超巨大傘の建物は
以前の記事『富名醸造 (弘前市)』弘前市趣のある建物(平成21年指定)。弘前市富田3丁目。大正7年建築。酒蔵として建築された赤煉瓦倉庫で、当初あった8棟のうち4棟は現役の倉庫として使用されています。春には隣接する弘前大学の桜並木と美しいコントラストを見せてくれま
山形県鶴岡市下川字関根。善寶寺の龍王殿から秋葉堂前を通って長峰道三十三観音霊場の巡礼路を通ってきても着きますし、普通に善寶寺前からも行けます。道中の墓碑等。道中の墓碑、庚申塔等。奥の細道三十三ヶ所霊場めぐり第十六番…『◆龍澤山善宝寺…龍澤山善宝寺は曹洞宗
山形県鶴岡市下川字関根。曹洞宗龍澤山善寳寺。五百羅漢堂特別拝観(2019年4月1日-6月30日、9月14日-11月24(善寶寺崇敬開山峨山禅師像御開帳))に行ってきました。拝観料は500円(羅漢堂・本堂・龍王殿・慈照殿が拝観できます)五百羅漢堂、日本遺産認定なる…『令和元年5
『善寶寺(鶴岡市)』からの続きです。山門。文久2年(1862)三十三世中興月圓禅山和尚代に再建。総欅造り、銅板葺きの重厚な二重門。楼上には、正面に「宝冠釈尊華厳経開演の座像」、両脇には「十六羅漢像」を安置。上部に高く掲げられている「龍澤山」の大扁額は郷土の傑僧
山形県鶴岡市下川字関根。曹洞宗龍澤山善寳寺。御本尊は薬師如来。妙厳寺、最乗寺と並ぶ曹洞宗三大祈祷所。善寶寺参拝図。※五百羅漢堂特別拝観(2019年4月1日-6月30日、9月14日-11月24(善寶寺崇敬開山峨山禅師像御開帳))に行ってきました。時間の都合上、瀧澤不動尊には
秋田県大館市川口横岩岱。横岩神社は稲荷神社(横岩稲荷神社)です。秋田県神社庁によりますと御祭神は豊受姫大神。例祭日は4月9日。なお、少々読みにくいかも知れませんが下記の横岩稲荷神社碑も参照くだされば由緒もある程度わかります。境内にキジがいました。写真は撮れ
東京都荒川区南千住。南千住といえば『yuki散歩 part2』内にて小塚原回向院をちらっとだけ紹介したことがあります。尾花は明治元年に文京区音羽で創業し、明治末期に現在の地 南千住に移転。ミシュラン一つ星獲得店なので今更紹介するまでもないですね。うざく。うまき。うな
青森県十和田市大字深持林。十和田市立深持小学校の南方。中板ノ沢集会所(下の写真)隣り。近くに板久須八大龍神も鎮座。鳥居額束神額「八幡大神 昭和61年6月15日納人中野渡美男」。御神木が立派です。社殿。由緒等は調べておりません。御祭神は誉田別命。拝殿内。深持には
青森県十和田市大字深持明戸。十和田市立深持小学校の南方。秋葉山神社の北方。近くに八幡大神も鎮座。由緒等は調べておりません。十和田湖の八大龍神や、法量のイチョウにあった八大龍王大神などと関連するのでしょうか。深持にはこのような小さな社が点在しております。隣
青森県下北郡佐井村佐井。願掛岩の向かいに鎮座。青森県下北郡佐井村矢越に明治41年建立。宝暦2年(1752)に箭根森八幡宮から分社されたと伝えます。明治初年に一時本村の八幡宮に合祀。大祭3月10日。御宝物雷斧石刃4寸5分、長さ6寸、元2寸1個、石鎗長さ8寸、中央幅4寸1個。
青森県下北郡佐井村佐井。願掛岩は流紋岩。中磯谷層中に貫入した流紋岩が浸蝕に対する抵抗力の違いから取り残されてできたもので、比高約100mの岩体には見事な柱状節理が発達しています。付近には佐井村願掛公園、願掛公園キャンプ場、矢越八幡宮がございます。パンフレット
弘前大学文京キャンパス内。故加藤謙一氏は、青森県立弘前中学校(現県立弘前高等学校)を経て、大正5年(1916)に青森県師範学校(現弘前大学教育学部)に入学。大正6年に同校を卒業し、市内の富田尋常小学校(現弘前市立大成小学校)に奉職。その後、職を辞して上京。大正1
青森県平川市小国深沢。青森県道282号小国本町線沿い。位置的には津軽高原ゴルフ場の西橋、阿蘇ヶ岳寄り。ほぼ津軽高原ゴルフ場内です。第10ホールの奥。左小国道、右山道。紀年銘は明治19年。下部は苔生しており、読み取れず。標柱「追分石(平川市指定文化財)」より…『明
ほぼ「横手温泉ホテルプラザ迎賓」の紹介です。横手駅前(秋田県横手市駅前町)。まずは温泉に入り…しばし寛いだ後…飯!畑サラダ。畑のサラダは初めて頂きました。松茸土瓶蒸し。お刺身。鮭包み焼き・焼き栗。木の子の炊き込みご飯・芋の子汁。横手黒毛和牛すき焼き。お腹
弘前大学文京キャンパス内。以前にも紹介した大本営跡の碑。昭和15年(1940)8月1日建立。以前よりも碑の周囲が鬱蒼としており、目立たなくなっていました。明治31年10月10日、現在の農学生命科学部と理工学部の建物がある敷地に陸軍第8師団司令部が開設。碑は大正4年に大元
大木平小中学校善光寺平分校跡地隣りに古びた木造のカトリック教会「善光寺平カトリック教会」があるとの情報を得たため、確認しに行ってきました。なお、マリア清水の由緒として、「八甲田山の南、標高約700㍍地点にある善光寺平は人参、大根、キャベツなど高冷地野菜の産地
青森県黒石市大字内町。名勝「金平成園(かねひらなりえん)」、別名「澤成園(さわなりえん)」。主屋などの建物内も常時見学可能となりました。開園日:4月中旬-11月30日。休園日:月曜日(国民の祝日にあたる場合はその翌日)。開園時間:午前9時30分-午後4時(入園は閉園
秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山尾樽部。尾樽部通りと永楽町通りが交わる交差点。「歩いて探そう、明治浪漫、小坂町散策マップ」という手作り感満載のマップを見ながら、少し散策してみました。近くには花園館やちち家、第三分団消防署があります。ちなみに写真は御成橋上から見
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岩手県大船渡市三陸町綾里野形。鳥居「平成17年9月吉日建立、野形町内会・野形契約会」綾里は太平洋沿岸、綾里湾などに面し、綾里富士の山裾が海岸まで迫り、大股山から南東流して海に注ぐ綾里川沿いに僅かな平野地があります。湾は2つあって東側の綾里湾は陸中海岸の南部、
岩手県久慈市中町1丁目。巽山公園。中町は昭和47年~現在の久慈市の町名で第1・2地割があります。元は久慈市裏町で、地内の整備が進み一新し、当地が市街地の中央部に当たることから中町と改称。県立病院があることから病院通りとも称しています。裏町は昭和29から47年の久慈
岩手県北上市九年橋2丁目。九年橋は昭和41年からの北上市の町名で、元は北上市黒沢尻町字町分・黒沢尻町字里分の各一部。昭和50年一部が若宮町2丁目となり、同時に黒沢尻町字町分・黒沢尻町字里分を地内に編入。地名の由来は明治9年明治天皇東北御巡幸の際、和賀川に架橋され
岩手県上閉伊郡大槌町吉里々々。浪板大神楽保存会。鳥居建碑(昭和16年旧4月3日、紀元2601年記念)鳥居の跡。狛犬一対(平成5年10月吉日、藤原三太郎奉納、石工:(有)三浦屋石材店)鳥居(昭和3年旧4月3日、世話人:藤原由松、中村萬太郎、川向萬徳、大下未子松)鳥居(平成5
岩手県上閉伊郡大槌町吉里々々第8地割。浪板海岸駅南側を流れる川沿いに遡った場所。浪板不動滝は浪板海岸を見下ろす伝説の山鯨山の麓にあり、落差約20mの滝が清流のしぶきをあげて静寂を突き破るかのように一気に流れ落ちる直瀑。浪板不動滝…『この滝は、大槌町「新大槌八
『江釣子神社 (北上市)』からの続きです。出羽三山(明治16癸未年7月20日)金刀比羅山出羽三山(明治42年9月)八幡神社。神輿庫。御神輿。墓碑・江釣子家之墓。竹邨徳兵衛碑(竹村徳兵衛は江釣子の4代目・7代目村長)こちらは…う~ん…渡辺泰助…かな…古峰神社・金刀比羅
岩手県北上市下江釣子16地割。県道122号夏油温泉江釣子線沿い。近くには曹洞宗日月山全明寺があります。社号標。石橋寄附(大正9年12月※雑草で下部見えず)金毘羅大神(明治30丁酉年3月10日)境内社。鳥居。鳥居額束神額「江釣子神社」(登山作)下江釣子は北上盆地のほぼ中
岩手県奥州市前沢山下。霊桃寺と専念寺の間に鎮座。石鳥居紀年銘昭和5年4月9日。参道。参道石段。前沢町保存樹ヒイラギ(平成元年2月1日指定)意外に長い参道です。鳥居(平成29年4月建立)石灯籠一対(昭和10年4月1日願主オジマ)参道脇の石塔群。この日は雨だったのできち
岩手県釜石市箱崎町第7地割。箱崎漁港に鎮座。入口が2ヶ所ありました。石段下側の正面参道にもかつては鳥居があったものと思われます。箱崎は大槌湾・両石湾に挟まれて位置。縄文遺跡は地内前畑から前期、白浜から後期、大沢から中期の土器が出土。江戸期の箱崎村は閉伊郡の
岩手県大船渡市三陸町綾里舘。綾里漁港の近くです。綾里は太平洋沿岸、綾里湾等に面します。綾里富士の山裾が海岸まで迫り、大股山から南東流して海に注ぐ綾里川沿いに僅かな平野地があります。湾は2つあって東側の綾里湾は陸中海岸の南部、南の綾里岬と北の脚岬に挟まれてほ
ウニチャージのために浅虫へ。ウニチャージ!!アワビチャージ!!ホタテチャージ!!6月18日のホタテの日も近かったのでほたて広場へ。巨大ホタテ持ち帰りチャージ!!ソフトクリームチャージ!!関連記事『青森ねぶた祭 (令和元年)』『浅虫水族館 (フウセンウオ)』『浅
岩手県大船渡市猪川町前田。参道は奇麗に整備された階段。猪川は五葉山南麓に源を発し南流して大船渡湾に注ぐ盛川の河口近くに位置。川はその他に滝の入山から発して南西に流れ盛川に合流する立根川と、今出山から発して西流し盛川に合流する今出川があります。集落はこれら
岩手県久慈市、中町第1地割と川貫第5地割の境くらいに鎮座。付近には愛宕神社、高舘八幡宮、久慈市立三船十段記念館(三船久蔵十段之像)や日蓮正宗東光寺、道の駅くじ(やませ土風館)があります。愛宕神社境内にある文珠宮の裏手に道が続いています。そこから歩いて行きま
岩手県久慈市川貫第5地割。付近には愛宕神社、虚空蔵菩薩、久慈市立三船十段記念館(三船久蔵十段之像)や日蓮正宗東光寺、道の駅くじ(やませ土風館)があります。愛宕神社境内にある文珠宮の裏手に「神社の道」という遊歩道があります。そこから歩いて行きました。なお、下
岩手県久慈市八日町第4地割。付近には久慈大神宮や長福寺、東光寺等があります。鳥居。鳥居額束神額。参道。江戸期の大川目村は九戸郡のうち。はじめ盛岡藩領で寛文5年から八戸藩領。寛文5年から久慈通長内名主組に属します。村高は正保郷村帳419石余(田237石余・畑181石余
岩手県久慈市八日町。付近には久慈市立三船十段記念館(三船久蔵十段之像)や日蓮正宗東光寺、道の駅くじ(やませ土風館)があります。※一之鳥居(昭和41年10月17日奉納)石灯籠一対(昭和18年9月吉日建立)江戸期の大川目村は九戸郡のうち。はじめ盛岡藩領、寛文5年からは
岩手県和賀郡西和賀町沢内新町9地割。県道1号(盛岡横手線)沿い。新町稲荷神社。鳥居。手水石。山神。紀年銘等はマジカル・アイを駆使すれば読み取れるレベル。庚申塔(嘉永3庚戌年■月朔日)「新町歴史の町お宝二、稲荷神社」社殿。御祭神は宇迦魂命。例祭日9月9日。由緒等
岩手県和賀郡西和賀町沢内新町11地割。県道1号(盛岡横手線)沿い。神社のすぐ近くに典膳館跡の案内板があります。また、付近にはシダレザクラ(西和賀町指定文化財天然記念物)もあります。典膳館(てんぜんだて)跡…『天神館ともいう。和賀川の支流本内川の右岸の高位段丘
岩手県紫波郡矢巾町北郡山第10地割50。社号標「八幡神社」(今上天皇御即位記念建之、大正4年11月10日、従七位新渡戸仙岳拝書)参道。手水石一対。狛犬一対(皇紀2600年旧8月15日)石灯籠一対(文久3癸亥年8月17日)北郡山についてです。岩崎川と太田川(五内川)の合流
岩手県釜石市橋野町第39地割。沢桧川沿い。沢桧川に沿って瀧澤神社奥の院・ヨドマワリの滝方面へ登っていくと左手に鎮座。石造鳥居二基寄附人名碑(大正3年12月12日)史跡釜石鉱山田中製鉄所栗橋分工場跡…『栗橋分工場(通称沢桧鉱山)は、橋野高炉より三十五年後の明治二十
青森県東津軽郡平内町東田沢横峰。夏泊崎は大間崎とも呼ばれ東津軽郡平内町の北部、夏泊半島の突端に位置する岬。北西方の大島と相対。岬名は半島の名称に起因。大島とは干潮時には陸続きとなり、満潮時には浅瀬を形成するも現在は歩道が設けられており常時往来ができます。
岩手県紫波郡矢巾町煙山第6地割。煙山ダム付近に駐車場があります。宮沢賢治が愛した南昌山その2「山の石原」…『賢治は、明治42年、盛岡中学一年の時に、矢巾町出身の親友、藤原健次郎と南昌山を訪れ、最初にこの近くの石原に立ち寄った。現在は、煙山ダムの湖底となって
岩手県紫波郡矢巾町煙山。銀河鉄道の夜の舞台、南昌山へ。南昌山五合目登山口付近。この先へと更に進めば東ノ又沢の滝や矢櫃ダム、つぼけの滝、堀合神社方面。田沢山(4.3km)・東根山(4.6km)・縦走路入口もあります。南昌山五合目登山口。宮沢賢治が愛した南昌山その5「
岩手県紫波郡矢巾町煙山第1地割。北の沢林道。宮沢賢治が愛した南昌山その4「南昌山神社」…『賢治が、大正6年に南昌山を描いた絵の中に、南昌山神社と思われる場所が示されている。信心深い賢治は、南昌山に登る際には必ずこの神社に参拝し、山に入る許しを得ると共に山で
岩手県紫波郡矢巾町煙山。幣懸の滝(幣掛の滝)へ。周辺は水辺の里として整備がなされ、矢巾温泉から徒歩で行くこともできます。南昌山大滝の下流にあり、二段に見えて特徴のある美観。昔マタキが山へ入るときに山神に幣を奉納して安全を祈ったところといわれています。高さ
三戸郡三戸町川守田国子。道の駅さんのへ。同町の割烹白山が三戸食堂白山として出店…という記事をネット上で見つけました。記事によりますと、川蟹すいとんを看板メニューとする創業約60年以上の郷土料理のお店のようです。バイトっぽいけどホールの接客も良かったです。蕎
岩手県盛岡市黒川18地割。館林観音(当国観音霊場旧札所※手代森の曹洞宗竜洞山大泉院(手代森館跡)に舘林神社から移された聖観世音菩薩(黒川観音)の堂があり、11番札所として祀られています。御詠歌「むらさきの雲のたなびく西のそら 弥陀の光にわれぞ行かなん」)斯波氏
青森県三戸郡新郷村西越温泉沢。新郷温泉館の北方、野沢温泉に鎮座する神社です。鳥居額束神額「野沢温泉神社」令和2年10月。西越は奥羽山脈の東に連なる丘陵台地に位置。馬淵川支流の浅水川の最上流部にあたり、中央を浅水川が北東流。正安3年4月26日のきぬ女家族書上案には
青森県東津軽郡平内町浅所。立石洞窟遺跡というより、その上に鎮座する大龍王大神の紹介です。海沿いに下りれば立石洞窟遺跡も見ることができます。Wikipediaより…『安井崎の500メートルほど北には、幅15メートル、高さ30メートルほどの巨岩がそびえ立っており、その根部に
青森県東津軽郡平内町東田沢横峰。夏泊半島は東津軽郡平内町の北半部を占め、陸奥湾のほぼ中央に突出する半島。浪打・茂浦・浦田・稲生・東田沢・野内畑・白砂・東滝・間木・浅所などの集落があります。夏泊の語源としては「とまり」は港、「なつ」は「のうち」という星を意
青森県三戸郡南部町大向長谷。南部町の町の花「ぼたん」長谷ぼたん園の由来…『この長谷ぼたん園は、隣接する恵光院の檀家一行が、総本山である奈良県桜井市の長谷寺からぼたんの苗を譲り受けたのをきっかけに、昭和54年から南部町(現南部町)がふるさとづくりの一環として
岩手県紫波郡矢巾町白沢第11地割。一之鳥居は平成27年9月吉日氏子一同建立。社号標と境内案内板。三島神社の由来(境内案内板より)…『当三島神社は遠く足利時代に高畑一角(高畑家祖先)によって伊豆の国(静岡県)一宮である三島大社の分霊を勧請した社と伝えられている
粒ヶ谷地の若宮八幡宮。三戸郡五戸町切谷内外ノ沢と切谷内山崎川原の境ほどに鳥居があります。切谷内佐野の若宮正八幡宮ではありません。五戸町立切谷内小学校の北方にある若宮八幡宮です。鳥居前がすべて田んぼで最初は行き方がわかりませんでしたが、写真の方向から細い道
「考えるな、踊れ。」のテーマに魅了され、世界的な祭典に参加してきました。開催場所はキリストの里公園(三戸郡新郷村戸来野月)第60回キリスト祭!(ナニャドヤラの祭典)神秘とロマンの里、新郷村のシンボルであるキリストの墓を慰霊するお祭りで、昭和39年から開催され
東津軽郡平内町福館平川。馬頭観音(蒼前神社)。鳥居(平成8年9月16日、奉納者:辻村忠43才、製作者:加藤光博43才)福館は陸奥湾に突出する夏泊半島基部の東に位置。当地には天文年間に南部氏の一族である七戸修理が居住していたという館がありました。地名の由来はこの館
紅葉より新緑が好きです。気分転換に散歩してきました。訪れたのは5月の下旬。写真はほぼ撮っていません。写真目的となると何となく気分転換ができなくなるので。ちなみに掲載写真は激安ボロボロデジカメで一切加工なし。空気がうまいっ!そして運動すればビールがうまいっ!
青森県平川市八幡崎宮本。真言宗国分寺派赤倉山金剛寺。御本尊文殊菩薩。津軽弘法大師霊場第21番札所、卯年の一代さま、津軽三薬師、陸奥國津軽七福神めぐり布袋尊。過去の記事:『真言宗 赤倉山 金剛寺 (鶴亀石・カサメヤ遺跡 / 平川市八幡崎)』関連記事:『津軽七福神巡
青森県三戸郡三戸町蛇沼下川原。Googleでは「閉業しました」と表示されているのが気になるところですが、参拝して写真を載せている方がいるので大丈夫でしょう。一之鳥居も凄く立派ですし。でもいきなり参道が2本並行に…う~ん…左でしょうね。鳥居額束。う~ん…ちょっと不
五戸町大字倉石石沢字槍沢。槍沢の枝垂れ桜(うつぎ沢のしだれ桜)は蒼前神社境内にあります。すぐ南方には大鳥大明神があります。立野稲荷大明神も近いです(※木々に埋もれており私は参拝を断念していますが)。訪れたのは2024年のゴールデンウィーク。本当は正子のチュー
青森県立自然公園「茶臼山公園」令和6年5月18~22日。※開花が早まったため5月14日より準まつり期間。八幡宮へ。蜂に刺されませんように…狛犬(大正7年6月15日、佐藤龍八郎・玉川七・工藤文敏・植田元太郎・玉川守三・)にご挨拶。茶臼山自然植物園(大鰐町)…『1.茶臼山公