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  • 11362-0 埼玉県皆野町

    群馬県皆野町■2019年6月30日(日)【出来事】①秩父事件秩父事件は、1884年に秩父郡の農民数千人が、負債の延期や税の減免等を求めて起こした武装蜂起である。皆野は、大宮を占領した困民党が本陣を移し、警官隊に敗れ、困民党が各地に散り散りになった地である。11月3日、幹部たちがいる本隊は、皆野の角屋に本陣を設置した。角屋は、現在の下原交差点の辺りにあった。同日、親鼻の渡しがあった辺り(親鼻橋周辺)で...

  • 11207-1 埼玉県秩父市(秩父)

    埼玉県秩父市2:秩父■2019年6月30日(日)【歴史】秩父は遅くとも鎌倉時代に絹が生産され、戦国時代に領主が絹の生産を奨励したことから、絹が主産業だった。江戸時代、秩父神社では絹市が開かれ、賑わった。なお、秩父神社の祭神は知々夫彦命で、伝説ではこの神様が秩父に養蚕と機織の技術を伝えたとされている。秩父神社は、左甚五郎作と言われている彫刻があるなど、装飾のための彫刻が多数施されている。幕末になり日...

  • 11207-1 埼玉県秩父市(吉田)

    埼玉県秩父市1:吉田■2019年6月29日(土)【出来事】①秩父事件秩父事件は、1884年に秩父郡の農民数千人が、負債の延期や税の減免等を求めて起こした武装蜂起である。旧吉田町は、秩父事件を決起した地であり、秩父事件で蜂起した困民党の中心人物が多数生活していた町である。秩父では遅くとも鎌倉時代から絹を生産しており、戦国時代に領主が絹の生産を奨励したことから、秩父では江戸時代には養蚕による絹の生産が盛...

  • 20202-9 長野県松本市(松本)

    長野県松本市1:松本■2014年10月5日(日)■2019年6月23日(日)【歴史】1504年、信濃国守護の(府中)小笠原氏は、本拠であった林城の支城として深志城を築城した。深志城は1550年に武田氏に落城され、小笠原氏は信濃から追放されるが、武田氏が滅亡した1582年に深志城を奪還した。小笠原氏は城の名前を深志城から松本城に改名した。1590年の小田原攻めの後、松本城には石川数正が入封され、松本藩...

  • 20220-7 長野県安曇野市(三郷)

    長野県安曇野市2:三郷■2019年6月22日(土)【出来事】①貞享騒動貞享騒動は、1686年に松本藩で発生した大規模な百姓一揆である。1686年の安曇野は不作だったが、松本藩は他藩より重い年貢(三斗挽き)をさらに重くする(二斗五升挽き)ことを決めた。百姓たちは熊野神社で度々会合を開き、窮状を打開するため、年貢の減免を含む5ヶ条の訴状を越訴(組手代、組代官を飛ばして郡奉行に直接上申すること)することを...

  • 20220-7 長野県安曇野市(穂高)

    長野県安曇野市1:穂高■2019年6月22日(土)【歴史】江戸時代の穂高は、松本と糸魚川を結ぶ千国街道の宿場町(保高宿)だった。千国街道は日本海側から塩を輸送するための街道として主に使用されたことから、「塩の道」と呼ばれている。穂高宿は商店街になっており、伝統的な商家が所々に現存している。千国街道は大名が通ることが少なかったため、保高宿には本陣はなかった。松本藩主が狩猟で保高の周辺を訪れた際は、庄...

  • 19204-0 山梨県都留市(谷村)

    山梨県都留市1:谷村(やむら)■2019年6月16日(日)【歴史】戦国時代の谷村には、小山田氏の居館があった。小山田氏は16世紀に武田氏に従属し家臣となったが、1582年に武田氏と同時期に滅亡した。小山田氏が滅亡した後、谷村には徳川家康の家臣である鳥居元忠が配された。1590年に家康が関東に転封された後は、浅野長政たち豊臣系の大名の領地となった。桂川左岸の山城である勝山城は、豊臣系の大名により築城...

  • 19202-3 山梨県富士吉田市(上吉田)

    山梨県富士吉田市1:上吉田■2019年6月16日(日)【歴史】江戸時代の上吉田は、富士講の御師(おし)の町だった。富士講は、富士山を信仰する人々で結成される団体で、江戸を中心に関東一円で江戸時代後期に流行した。富士講は富士山を参拝する際、白一色の道者装束を着た。道者装束には、富士山に参拝した記念に印を押すこともあった。御師は、富士講の世話をする人で、自らも富士山信仰の信者であり、自宅を富士講の宿坊...

  • 19208-2 山梨県南アルプス市(白根)

    山梨県南アルプス市1:白根■2019年6月15日(土)【歴史】白根を流れる御勅使(みだい)川は、急流であることから暴れ川だった。治水のため、白根には石を積んだ石堤が随所に築かれた。石積出は流路を変えるため、雁行状に何本も築かれ、そのうち2基が現存する。将棋頭は、川の流れを二分することで水勢を弱めるために築かれた。堤の先端が将棋の駒の形に似ていることから、将棋頭の名前が付いた。白根は御勅使川の扇状地...

  • 16211-6 富山県射水市(小杉)

    富山県射水市2:小杉■2019年6月9日(日)【歴史】江戸時代の小杉は、北陸道の宿場町だった。小杉には下条川が流れており、水運で放生津にアクセスできた。下条川には桜の木が600本植えられており、桜の名所になっている。小杉には、砺波郡と氷見を含む射水郡の農民を治めた、砺波射水郡奉行所があった。奉行所には、現在の簡易裁判所の機能があり、十村の寄合所(相談所)があった。加賀藩は、田植等の農繁期に備蓄がな...

  • 16209-4 富山県小矢部市(石動)

    富山県小矢部市1:石動(いするぎ)■2019年6月9日(日)【歴史】石動の町は、安土桃山時代に今石動城の城下町として創られた。1585年、越中国の佐々成政を征伐するため、前田利家は今石動城を建築し、弟の秀継と、秀継の子である利秀を配した。秀継は震災で間もなく亡くなり、利秀は町立てを行い、石動の町の基礎を築いた。しかし、利秀は1593年に亡くなり、その後の今石動城は廃城令で廃城になるまで、城代が置か...

  • 16211-6 富山県射水市(新湊)

    富山県射水市1:新湊■2019年6月8日(土)【歴史】放生津(ほうじょうづ)は、旧新湊市の海岸沿いに位置する湊町である。室町時代の放生津には放生津城があり、神保氏が城主だった。神保氏の出自は諸説あるが、管領で越中などの守護を務めた畠山氏の重臣になり、射水郡と婦負郡の郡代を務めた。放生津城は、現在の放生津小学校にあった。1493年、神保氏は京都を追われた足利義材(足利家10代将軍)を放生津に迎え、義...

  • 16202-7 富山県高岡市(伏木)

    富山県高岡市2:伏木■2019年6月1日(土)【歴史】古代の伏木は越中国の中心地で、伏木には国分寺や国庁が設置されていた(写真は国分寺跡)。越中国の国庁には、大伴家持が746年から751年の5年間勤務していた。家持は万葉集の編纂に携わり、自らも多くの和歌を万葉集に残した。家持が万葉集に残した歌で登場する寺井の跡と推定されている地に、井戸の跡と石碑がある。家持が越中国の国庁で働いていた時に住んでいた...

  • 16202-7 富山県高岡市(高岡)

    富山県高岡市1:高岡■2014年8月24日(日)■2019年6月1日(土)~6月2日(日)【歴史】高岡は、加賀藩2代藩主前田利長が創った町である。利長は1605年に隠居した後、富山城に移った。1609年に富山城が火災で焼失すると、当時関野と呼ばれていた地に、利長は高岡城(詳細は史跡①を参照)を築き、移り住んだ。高岡が選ばれた理由は、当時の加賀藩領の中心に位置し、砺波平野等の穀倉地帯に近く、水運に恵ま...

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