俺は小さい頃から霊的なものに当てられやすいと母親に言われていた例えばお墓に行ったり葬式に行ったりすると決まって高熱を出していた(母親曰く先祖が俺のこと可愛がって触っているらしい)話は少し変わるけど小さい頃から定期的にずっと見る夢があった夢の内容は自分は寝
確か6年生だったと思う。6年の教室は3階で、長い廊下に教室の他に図工室と図工準備室っていうのがあった。それでうちのクラスは自分の教室の他に図工室と図工準備室の掃除もしないとだめで、自分の班がそこの担当になったとき。給食終わったら各自掃除場所に向かうんだけど、
交通の便が悪い福岡県の外れに出張に行った時の話。日帰り予定が、急遽泊まる事になった。近くにはビジネスホテルが無く、愛想の悪い婆さんが経営する小さな宿屋に泊まる事になった。4人部屋が1室、1人部屋が1室。という部屋割り。1人部屋の人間が先に風呂に行き、残り4人が
小学生の頃風邪を引いて学校を休んだのね。両親は仕事にいった。まだ朝だったか薬を飲んで2階の自室のベッドでずっと横になっていたんだけど、誰かがやって来た音がして、家のドアをノックしたんだ。「新聞屋で~す。○×新聞で~す。△○さ~ん!」当然応答はしなかった。3
今から30年くらい昔、嫁が短大時代に友人とあの世はあるのかと語っていた時、もし あの世があれば、先に逝った方が合図を送ろうと約束をした。合図は足の裏をこそばせる。という軽い約束。お互い就職、結婚、子育てに追われ疎遠になり…ある晩、寝ている嫁が悲鳴をあげて起き
とある漫画家が肩が上がらなくなる症状に悩まされていた。日に日に症状は重くなり、とうとう漫画が書けなくなってしまった。医者に診てもらっても「異常なし」と診断され、原因もわからなかった。漫画家は悩み抜いた末に、藁にも縋る思いでとある霊能者を訪ねた。霊能者は「
夏休みに友達の住んでたアパート近くの踏切に肝試しに行った。結構な田舎なうえ生活道路?にある踏切だったから、普通に近辺含め夜中誰もいなくてマジで怖い夫婦の奥さんがはねられて亡くなったとかで、女が夜中に踏切に立ってるみたいな話だった。詳細端折るけど、3時頃行っ
怖いと言うより不思議?な話なんだが昔、俺の叔母が白血病で入院した叔父も方々を駆け回って叔母の為に色々手を尽くしていたみたいだけど病気が病気だけに、多分親戚一同覚悟はしていたと思う叔母の家は近所にあり、俺の母の実家でもあったので母は叔母の入院中、祖父母も住
多分3~4か月前の話で、行きつけのバーでしこたま酒を飲みひどく酔っ払って朝帰りする所だった。バーから家までは歩いて2分もかからない所で道一本なのでどんなに酔っても迷うなんてことはまずなかった。ドアあけてただいま~ってサンダル脱いで2,3歩、よくよく見たら
今年の夏の出来事です。その日は残業で、帰りは12時過ぎになりました。家までの道は街路灯も少ない田んぼ道です。車を走らせていると突然、「ドンッ!」と大きな音と衝撃を受けました。やばい!これって絶対人撥ねたと思い、すぐ車を止めて降りました。車の周りを探しても、
昨日夢で見たこと現実でほとんど起きた見たことは俺が車でガキども2人を轢いたみたいでこれ逮捕されて終わるはずなんだけど逮捕されるんじゃなくていきなり海外に連れていかれてパリの裁判所みたいな所で革命前のフランスに行ってた処刑方法でギロチンっていうのがあるんだけ
私の住むド田舎での話。訳あって私は両親と隔離される形で、祖母の家に住んでいた。とんでもないド田舎で信号もコンビニも八百屋も無い所。楽しみと言えば女の子を連れてのドライブか町に一件だけあるパチンコ屋さんくらい。ドライブと言っても原付きなんだけれど。夏休みで
友人たちと、京都の山の方にある神社に行った。わりと有名なところだから、ほかにも観光客はいっぱいいて明るい雰囲気の中、変わった女の子がいたんだ。目が合ってからなんか付いてくるんだけど、話しかけられても声が遠くてよく聞こえないし、何より、ぴょーんと一回ジャン
エレベーターのスペースギリギリに乗り込んでから体の向きを変えてドアの方を向きました目前にあるエレベーターのドアのガラス部分に明らかに血液と思われる赤黒いものが大きめの1滴付いているのが目に入りました至近距離で見ている状態でガラスの外側から付いていることが分
小学4年のある暑い夏、家で涼んでいると居間に呼ばれた。居間には母と白装束姿の見知らぬお婆さんがいた。林檎を買ってこいと頼まれた。八百屋に出かけ「林檎下さい」と言うと店のオヤジは青りんごを袋に入れ手渡してきた。帰宅するや否や「林檎といえば赤い林檎に決まって
熊本の、神さまが在所している土地に遊びに行ったときの話です。これだけで推測できる人はわかっちゃうと思いますが。ネットから宿泊する宿に申し込み、友人と待ち合わせて行き当たりばったりで現地へ向かいました。博多からバスで4時間弱掛かりました。宿は最高点を付けたい
群馬県富岡市一ノ宮にある一ノ宮貫前神社の御鎮神事。神事での祭典奉仕中、一言も喋ってはいけない。喋べると死にます。自分が持ってる神事に関する本にある記載によると、ある宮司が玄関先でつい「火は大丈夫か?」と言ってしまった。その翌日に急死。いつもの口癖だったら
家族全員でお参りというか、合格祈願というか、そんな何ともない事で神社に行ったんです。階段を登っている時上から男の人が走って来て、いきなりぶつかって来たのに何も言わずに立ち去っていきました。どうしたんだと思って居たら、ぶつかった辺りが、こう、ドロっとしてた
去年の12月27日、私と上司2人は、山頂にあるアンテナ鉄塔の点検に出かけました。山道を車で登っていったのですが、途中で雪が深くなってきて、その時はスタッドレスタイヤを履いていなかったので、それ以上進めなくなり、しかたなく神社の前に車を置いて、1キロくらい歩く
何年か前、琵琶湖の某港で、夜釣りしてたんだよそしたら、いきなり見知らぬ地味な青年に「どこの大学生ですか?」って聞かれた。普通、釣り場での第一声って「こんにちは」とか「釣れますか?」とかだよな変やな~と思いつつ、大学はもう卒業して働いてたんで、「大学生じゃ
自分は元ホテルマンなんですが変なものを先輩と見てしまいました。働いていたホテルが糞ブラック&低人数で、8時~23時まで働かされる職場でした。このホテルはしみったれた駅ビルに入っていて、ホテル入り口前にはお決まりのバス停とロータリーがあります。そして三流大学生
ここ10年ばかりの話です。生きてる人だと思うんですが、近所に買い物に出掛けると決まって会う人がいます。頻度は3回に1回くらいでしょうか。その人はいつも両腕をグルグルと回して歩いているのでとにかく印象的です。5キロほど離れたスーパーで安売りだと知り、遠いけど行く
私の友人の母親は霊感が強いらしくて『狐に馬鹿された』と言いながら帰ってきたりと色々ある中で一番怖かった小学生の頃の話です。なので結構昔の話です。友人の母をAちゃんとします。Aちゃんは福井県○○町にある結構な山の方に住んでいました。学校からはかなり遠く毎日母
私の体験談なんですけど、弟がよく、夜に泣いて私の所に来るんです。怖い夢でも見たとかと聞くと帰って来るのは決まって「目の無い女の人が俺見てずっと『コッチにおいで…』って言う!やだって言うと色んな物に囲まれる!もうやだ怖い…」って言うんですよ。
弟の新聞配達での話。4つの町を担当しており毎日同じような時間に同じ道順で配っておりました。田舎の方だったので玄関を開けて中に置く家が数件あって『そろそろ新聞来るころかな』って感じで電気も付けず玄関に座ってるお婆ちゃんとか本気で悲鳴出そうに。アレは本当心臓に
田舎に住んでる祖母が自分が高校の時亡くなった。お通夜の日は親戚の方々が本当に床が抜けるくらい集まって、祖母は人柄よかったなって改めて驚いたの覚えてる。もっと前に祖父も亡くなってるんだけど葬儀に参加できなかったので、いわゆるお葬式の経験は初めてでイメージよ
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俺は小さい頃から霊的なものに当てられやすいと母親に言われていた例えばお墓に行ったり葬式に行ったりすると決まって高熱を出していた(母親曰く先祖が俺のこと可愛がって触っているらしい)話は少し変わるけど小さい頃から定期的にずっと見る夢があった夢の内容は自分は寝
昔々、山の向こうの代官所まで庄屋様の使用人が馬に年貢を積んで届けに行った帰り道、峠を越えていると・・・。
A子が帰宅するのは、いつも終電ギリギリの時間だった。都会の地下鉄駅は深夜になると人気がなく、照明の白さが逆に心細さを際立たせる。その日も、いつも通り最寄り駅で降りたA子は、無人のエスカレーターをひとり、上っていた。ゴウン…ゴウン…と規則正しく軋む音。そのと
青山事故の名でも知られている三重県の心霊スポット。近鉄大阪線旧総谷トンネルの正面衝突事故で二十数名の死者が出たという。
だいぶ昔にライブバーでバイトをしてた頃に変な物体を見た話。そこは週一程度でライブをやる店で入り口から近い場所に小さなPA室があった。開店準備が終わると私は定位置であるカウンターの隅に立ってお客を待つ。そこは厨房の入り口のそばなのでシェフ(以下Uさん)もその辺
数年前に友達と3人で古い遊園地に行った仮に友達をA、Bとするその時にAがお化け屋敷に行こうと言いだした俺は断ったが無理やり同行させられたお化け屋敷は古い日本風の屋敷みたいですごく雰囲気があった入口にいた初老のスタッフの説明を受けて入ったしばらく進むと背後から
伊豆大島に代々伝わっている伝承がある。家から出てはいけない。海を見てはいけないといわれている。それにはある悲しい歴史が関係している。
広島県の府中に出張行った時の話あの辺坂が多くて借りてたレオパレスも坂の上にあってさ休みの日に早い時間から酒飲んでしまったから歩いてコンビニ行ったんだけど帰り道に「いやーーーーーっ」って叫び声聴こえてさ、その方向見たら赤ちゃんが乗ってるベビーカーだけが坂の上
写真撮影は元々日本では不吉なものと言われている。
不動産関係の解体に携わってた頃そこは自殺のあった事故物件で売れずに解体が決まりそのままなってる室内の家財やらを調査しに1人で出向いた放置期間が長く物盗りも入ってるのか空き巣被害後な室内はプチゴミ屋敷状態だが早速物音がし出して驚いて見に行くと皿が落ちて割れた
山口県に住んでいて、健康のために近くの山すその道を歩いていると・・・。
マンションに住んでいた頃のことなんだけど朝カーテンを開けると窓に二つの大きな手形が付いてたことがあった 明らかに男の人のサイズ外から付いたもので泥汚れ?のせいかくっきりと残っていたものだから見た瞬間に思わず声をあげて即管理会社に連絡 最後は警官がうちに来
松原タニシに関する話配送業者です何時間も運転してるので、マジで運転中暇なんですだから両面テープでスマホを固定して怖い話とか流してるんですよ毎日んで、配送終わって帰る途中です初見のとこだったからナビ使ったんですよ帰りは会社に戻るルートで何となくは道覚えてる
実家に住んでいた頃の話夜の9時〜10時くらいに玄関のチャイムが鳴ったうちにはインターホンがなく、その代わりにドア越しに要件を訪ねて返事がなかったら極力出ないようにしているその時は父親が応対したんだが、あまり常識的な時間の訪問ではないので、近くで見ているこ
部活後のバス待ちが暇なので部室で怖い話をするのが定番になってました。怖い話と言ってもだいたいオチが笑える話だったりしてふざけたものばかり。残っているのが顧問にバレないように、いつものように電気を消しドアはアンプで塞いでいました。その日のメンバーは僕と一つ
うちのオカンの方の先祖はその地域をまとめる豪農といわれる家でまた、その地域の治水に携わっていて、工事の際に人柱をたてたという話もある。その呪いがあるため、オカンの家では後継ぎである男の子が育たなかった。神社に相談にいったところ、男の子には女の名前をつける
11月の末に祖父が亡くなった。まあこの爺さんもともと暴走老人で、さらに認知症までやって、全身病気まみれだったのに何回も三途の川の手前で引き返してきて、家族はちょっと呆れ果ててた感じの爺さんだった。そんな爺さんもついに亡くなって、アルツハイマーのおばあちゃん
ある日、日曜の生放送。昼間の2時間を、地元の無名タレントに任せていた。季節は忘れたが、外は青空。スタジオから外は見えない。タレントは相手の若い女の子とテンポよくトークを続けている。俺はデスクワークをしながら、放送をチェックしている。すると、トークが突然止
ワイの伯母がDV旦那から逃げて母子家庭になり、ありついた仕事が病院の清掃。病院全般の清掃で(手術室だけは専門業者が清掃をする)清掃中に容態が変化した患者をみつけて看護師さんを呼んだり救急で運ばれたり、亡くなられた患者を見る機会もあるので、精神的にキツかっ
実家に住んでいた頃の話夜の9時〜10時くらいに玄関のチャイムが鳴ったうちにはインターホンがなく、その代わりにドア越しに要件を訪ねて返事がなかったら極力出ないようにしているその時は父親が応対したんだが、あまり常識的な時間の訪問ではないので、近くで見ているこ
部活後のバス待ちが暇なので部室で怖い話をするのが定番になってました。怖い話と言ってもだいたいオチが笑える話だったりしてふざけたものばかり。残っているのが顧問にバレないように、いつものように電気を消しドアはアンプで塞いでいました。その日のメンバーは僕と一つ
うちのオカンの方の先祖はその地域をまとめる豪農といわれる家でまた、その地域の治水に携わっていて、工事の際に人柱をたてたという話もある。その呪いがあるため、オカンの家では後継ぎである男の子が育たなかった。神社に相談にいったところ、男の子には女の名前をつける
11月の末に祖父が亡くなった。まあこの爺さんもともと暴走老人で、さらに認知症までやって、全身病気まみれだったのに何回も三途の川の手前で引き返してきて、家族はちょっと呆れ果ててた感じの爺さんだった。そんな爺さんもついに亡くなって、アルツハイマーのおばあちゃん
ある日、日曜の生放送。昼間の2時間を、地元の無名タレントに任せていた。季節は忘れたが、外は青空。スタジオから外は見えない。タレントは相手の若い女の子とテンポよくトークを続けている。俺はデスクワークをしながら、放送をチェックしている。すると、トークが突然止
ワイの伯母がDV旦那から逃げて母子家庭になり、ありついた仕事が病院の清掃。病院全般の清掃で(手術室だけは専門業者が清掃をする)清掃中に容態が変化した患者をみつけて看護師さんを呼んだり救急で運ばれたり、亡くなられた患者を見る機会もあるので、精神的にキツかっ
もう20年以上前の話。大学の友人と貧乏旅行を楽しんでいて、春休みに夜行列車に乗った。夜行と言っても寝台ではなく、座席の各駅停車。俺らと同じような学生なとで全車ほぼ満席、俺と友人はボックス席の窓際に向い合わせで陣取っていた。大学の同学年の女の子の話などしてい
私の会社は以前軍事に関連した施設だったので、大戦中に空襲があったりした場所。特にもう取り壊されてしまった昔の社屋は、あまり冗談を言わない先輩でも「あそこは幽霊出たよ」と口を揃えて言うくらいいわくつきの場所だったらしい。とはいえ社屋が新しくなってからはそん
妹の友達が典型的なだめんずうぉーかーで毎回浮気男とか借金男とか捕まえてきては「この人は私がいないとだめなのー」とか言って、その後振られるを繰り返してるんだがある時、ヤバイところから金借りてるからこのままじゃ何されるかわからない、というありきたりな嘘に騙さ
私が住んでいた漁師町で起きた出来事。高校は受験に落ちて行けず、私はすぐに土方になった。夜中2時頃になると1隻の船のエンジン始動とアイドリングがうるさくて起きる。ポッポ船と呼ばれるもので昭和中期に造られたオンボロ船。うるさくて当然ではあるものの、日に日にそれ
20年ぐらい前の真冬の夕方頃かな、車で田舎道にハマり迷った。もちろんスマホもカーナビもない時代。ウロウロしてると集会所みたいな建物があり、玄関前で作業服(?)の老人男性が座っていたので、道順を聞いた。「道なりに真っ直ぐ」と言われたので向かうと、途中で藪の中に
正月に親戚のおじさん家に行ってきた。息子が帰省して暇してるので久々に遊びに来いとのこと。親戚一家はおじさん、おばさん、兄ちゃん、妹さんの四人家族。その日妹さんは不在だった。小さい頃何度かお邪魔してたので間取りを覚えてた。昔の記憶が蘇り、小さい和室でお爺さ
3年ほど前の話当時俺はマンションの一階で一人暮らしをしていた。ある日、管理会社の担当から電話がかかってきて「夜中に子供がうるさい、と苦情がきたんですが……あの、お一人で住んでらっしゃいますよね? 結婚して子供ができたとか、そういうこと、ないですよね?」と聞
自分は、昔ひいばあちゃんの家でしばらく暮らしてたことがあるらしい。というのも、物心がつく前だったし、ひいばあちゃんも自分が小学校に上がる頃にはもういなかった。なんとなーく記憶はあるけど、みんなの言うひいばあちゃんに、ああそうなのねと記憶を左右されているか
小さい頃遊んでいた神社の話で、少し不思議な話。親の都合でよく引っ越していた俺は、親の実家の田舎の方が友達が多かった。だから、田舎で過ごす時間が楽しくて楽しくて仕方がなかった。その日も神社で友達数人と遊んでから帰った。夜になってお店が閉まる時間になる。お爺
あれは一昨年の事でした。晩御飯の仕度を終えて、(ちなみにカレー。)家族の帰りを待つ。ニコニコとお茶を飲みながら、さらにネットで充実!・・・まさに至福です。「しかし遅いなあ?八時過ぎだよ?カレー食べよかな?ウーン。」そんなとき、つい目がスルスルとPCから時
俺が高校生の時の話。当時俺は2階に自分の部屋を持ってた。高校生になって何となく親や弟と団欒するっていうのが面倒くさくなってたから1人で部屋にいてダラダラしてる事が多かった。それで、俺の部屋には机のそばに若干大きめの窓が1つ付いててね、窓を開けて外を眺めつつ
大河ドラマが江だった年に滋賀の関連史跡を両親とレンタカーで回って、ついでに関ヶ原まで足を伸ばした時のはなし古戦場跡に着いた時にはもう私はぐったりして車から出られない状態だったが、夏だったからあんまり長いこと車にいるわけにもいかず、資料館は車から降りて見学
父の同僚が体験した話ですその同僚の名前を玉木(仮名)としますあえて物語風の文章表現にしてます。合わない方はご注意下さい玉木は今年30歳の消防士だ。ある日、高校時代の友人が自殺した報せを受け、非番の日程調整をし、告別式に出席した。まだ若い内に自殺という死に方な
めちゃめちゃブスだった妹の話。うちの家系は母方の家系が美男美女ばかりで俺は残念ながら父親に似て長州小力似なんだけど俺と妹以外は顔が整っていてすごく羨んでる。妹は小学校に上がるまでは、綺麗な顔立ちだったけどだんだん太って醜い顔になって行き体調もすぐれず学校