俺は小さい頃から霊的なものに当てられやすいと母親に言われていた例えばお墓に行ったり葬式に行ったりすると決まって高熱を出していた(母親曰く先祖が俺のこと可愛がって触っているらしい)話は少し変わるけど小さい頃から定期的にずっと見る夢があった夢の内容は自分は寝
娘とこないだ公園に行ったんだけど風のある冬の日だから誰もいないわけ、でも子供ってあんまり気にしないから、一目散にアスレチックとか滑り台とかが合体した遊具の方に走ってって遊び始めた。それから、ひとしきり滑り台とか滑って、テンションMAXになったのか変な一人遊び
京都に鳥居がたくさん連なっている神社って言えば、どこだかすぐにわかると思う。友人と二人、その神社にお参りを兼ねて赴いたときのこと。途中、休憩場所が何ヶ所かあるんだけど、畳敷きのある休憩場所で外を見ていたらある木の枝に黒く丸いものが浮いていて高速回転してい
「あなたの知らない世界」でも取り上げられた第三京浜をくぐる所
俺の中学時代の話。昔「あなたの知らない世界」でも取り上げられた事がある。(今、あらためてネットで調べてみたら結構有名な話らしいね)俺の中学への通学路には第三京浜をくぐる所がある。で、毎日通うその通学路からよく見える場所、第三京浜の橋げたの脚の一つの、コン
三重県の心霊スポット。近鉄大阪線旧総谷トンネル。1972年の近鉄特急正面衝突事故で二十数名の死者が出ています。青山事故の名で知られているようです。単線区間でしたが、事故後に複線の新トンネルが開通しています。私も行ってみましたが、強い霊気を感じました。
事故物件に一人暮らししてるんだけど、昨日突然部屋の電気が消えた。手探りでブレーカー確かめに行ったら別に落ちてなかった。部屋に戻って電気の紐引っぱったら普通に電気付いた。怖かったからわざと声に出して「なんやねんビビった!」とか「急に消えたら停電かと思うやろ
昔生霊関係の話にかかわったことがある今でも他人事みたいなんだけどそれ俺だったらしい自分で見たもんじゃないんで今でも半信半疑当時の俺は理科の先生が好きだったまあ惚れてすぐに失恋したんだけどなだって俺が在学中に結婚して苗字変わって俺が好きになったのその後のこ
小学生の頃、家からチャリで30分くらいのとこに山があってそこでいつも2人の友達と遊んでた他に人が来る事もなかったんで、俺たちだけの遊び場だったあんまり上には登ったことは無かったけどある時、友達の1人が一緒に遊べない日があった俺ともう1人はいつもと違うことをしよ
昔から視線には酷く敏感でした。見られてるなと思い、素知らぬ振りをして視線の先をたどると必ず相手と視線がぶつかる。その場合、相手がストーカー化する可能性が高く、過去に何度も警察沙汰になりました。その後学習して、見られてるなと思っても無視するようにしました。
もう10年近く前のクリスマスイブにアパートの集合ポストにプレゼントが入ってたキレイに包装されて可愛いリボンの付いたやつ贈り主に心当たりは無いでもきっと、どこかで誰かがオレに惚れてるってコトなのだと思い込んで、ウッキウキで包装紙を開けると小綺麗な紙袋に入った
父のスマホには死者から電話やLineがよく入るそれも、亡くなってから半年以内父の学生時代の先輩・取引先の社長でゴルフ仲間・会社の元上司・叔父(父の実弟)皆故人だ会社の元上司の時はスマホが鳴って元上司の名が画面に出た父が電話に出ると「あっ!・・・また掛けなおすよ
三島-新富士の間の怪現象 新幹線に乗った男が、トイレで席を離れ、自分の車両に戻ろうとしたら ガラガラだった筈の車両が満席、通路まで人だらけ。自分の席にも 誰か座っちゃってる。どこにも停車してないのに、どうなってんだ? 訳が分からないまま、落ち着こうと煙草を
監視カメラのモニタを見てると画面の向こうのヤツと目が合うことが意外と多いんだよ誰でも経験あると思うんだけど、コンビニとかでレジ待ちしてる時にふと監視カメラが気になって見上げちゃうことってあるだろ?あの瞬間、カメラの向こう側でモニターチェックしてる奴と目が
死んだ爺さんが友人から聞いた話大正時代のある年の夏、爺さんの友人が生まれたばかりの息子を連れて神社にお参りに行ったそうな。荷物を神社の近くに置いてきたことに夜になって気付いた彼は、ひとりで取りに行ったらしい。荷物を回収して、妻や息子の待つ旅館に戻ろうとし
クラスや職場に化粧気のない黒髪の日本人形のような女の人って1人はいると思う。そんな人に限って綺麗というか、可愛いというか、まさしく日本人形みたいな子なんだけど、俺の姪っ子がそんな感じ。不思議なことに母親である姉にも父親にも似ていない。しかし正真正銘姉夫婦
小さい頃の話だから、本当はそんなもの存在しなかったのかもだけど俺は小さい頃に幽霊を見たような気がする。あゆみ姐ちゃん(当時35歳くらい)という人に当時の俺は可愛がってもらってた。伯母が家族ぐるみで仲良くしていた人で、俺はその人に親よりも良い思いをさせてもら
寝る前に今日友達に聞いた話を思い出して寝れないのでここで吐き出す。そいつは実家暮らしなんだが、家の冷蔵庫がたびたびおかしい挙動をしたらしい。と言っても、冷蔵庫の辺りからはっきりと何かを叩くような音がしたり、か細い声が聞こえたかな?とかの、冷蔵庫の機能とは
去年、受験生だった私は毎日2階の部屋で勉強してた。どうしても行きたい学部があった志望校は、親からも先生からもあんたの頭じゃ無理って言われてて、絶対見返してやろうって思いでそりゃもう必死だった。9月初め頃の夜、部屋のドアをノックする音がして、はーい?って返事
定番中のド定番かもですが、久しぶりに曾祖母に会えたので書き込みます。私と曾祖母は仲が良く、よく家に遊びにいっていました。遊びに行くと当時弱視だったわたしに本を読んでくれたりする本当に優しい曾祖母でした。私が5歳のときに、癌を患い入院生活になって、その数ヵ
大学2年生になる前の春休み、一人旅で四国遍路に行った。結構巡礼して、ある寺前に着くと、茶色い作務衣着た坊主頭が盆の上におしぼりのせてお遍路さんに配ってる。遍路回りしているとお接待といって、結構助けてくれるのでありがたいなぁ、おしぼりは珍しいな。位の感じでお
新婚2年目の5月のことです。前の年に赤ちゃんができて、生後半年でした。あの頃は集合住宅に住んでいまして・・・かなり大きな団地でしたが古くて・・・入居者も歯がかけたようにほつぽつとしか入っておらず、子どもがもう少し大きくなったら新しくて広いところに越そうと
俺の住んでたど田舎では"人魚を見た"というだけでそこが禁漁区になる。それが昔から続く風習だから。 ただそれだけの理由で禁漁区になる。実家を継いで漁師になった俺の弟は、その風習を使って金儲けを考えた。禁漁区は5年もすれば魚のデカさがとんでもない事になってる。ア
昔、カラオケボックスで働いてた時の事。居抜きとかじゃなくて新築で出来たばかりのカラオケ屋で、2階建てのデカい店だった。国道沿いだから1日中客も多くて、怖い話とは無縁の環境だったwが、盆も迫ったある日、オーナーが調子に乗って女孕ませて揉めて女自殺と言う事件が
当時自分は二つ上の兄が友達と遊ぶ所によく付いて行ってた。兄は鬱陶しそうにしていたけど当時小学三年生の自分は年上と遊ぶことに優越感を覚えていた。兄たちがよく遊ぶ場所は決まっていてマンションに囲まれたちょっとした広場で、遊ぶ内容といえばサッカーがほとんどだっ
2年前、二十歳のときの話大学の先輩に誘われて岩手旅行に行った参加メンバーは、先輩のMさん、Iさん、Uさん、Sさん、同期のNと俺東京から車で何度かパーキングエリアに泊まりながら岩手のホテルに泊まった先輩のMさんは基地外(警察のHPにハッキングしたり高校時代リンチを傍
20年ほど前、まだ俺が小学生の頃のこと。当時、俺はクラスでイジメを受けていた。今考えるとそこまで深刻ではなく、からかいの対象程度だったんだが当時の俺には凄く恐くて、そいつらが病気になって学校休んでくれないか、とか事故にあってくれないか、とかそういうことを毎
中学の時、Aという男子生徒がイジメにあって不登校になった。その後、Aは進学したんだが、その進学先がAをいじめていたBも同じで登校初日から目をつけられて、3日ほど通学してまた不登校になった。結局Aはその後一度も登校せずに退学した。それからのAの詳細は知らんが
じいちゃんから聞いた話。ある日、泊まりでカブトムシ探索ができるようにって、じいちゃんが山に小屋を建ててくれたんだ。当時小学校4年生の俺としては、秘密基地みたいで子供の頃はワクワクしまくりで仕方なかった。その日も、小屋で寝て早起きしてカブトムシを取りに行った
都内で一人暮らししてるんだけど、夜中3時半頃、ベットでスマホいじってたら「ピンポーン」てチャイムが鳴った。私には夜中に尋ねてくる友人などいない。というかどの時間帯にも遊びに来る友人なんていない。シーンとした夜中だからインターホンの音が際立って聞こえて、ビビ
田舎暮らしの高校二年生です。私が中学一年生の時、私の周りでは『廃墟巡り』なるものが流行っていました。とは言っても実際巡っていた廃墟は三つしかありませんでしたが。5~6人でグループを組んで、その三つの廃墟に入り込んでは動画を撮ったり中を荒らしたり、といった馬
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俺は小さい頃から霊的なものに当てられやすいと母親に言われていた例えばお墓に行ったり葬式に行ったりすると決まって高熱を出していた(母親曰く先祖が俺のこと可愛がって触っているらしい)話は少し変わるけど小さい頃から定期的にずっと見る夢があった夢の内容は自分は寝
昔々、山の向こうの代官所まで庄屋様の使用人が馬に年貢を積んで届けに行った帰り道、峠を越えていると・・・。
A子が帰宅するのは、いつも終電ギリギリの時間だった。都会の地下鉄駅は深夜になると人気がなく、照明の白さが逆に心細さを際立たせる。その日も、いつも通り最寄り駅で降りたA子は、無人のエスカレーターをひとり、上っていた。ゴウン…ゴウン…と規則正しく軋む音。そのと
青山事故の名でも知られている三重県の心霊スポット。近鉄大阪線旧総谷トンネルの正面衝突事故で二十数名の死者が出たという。
だいぶ昔にライブバーでバイトをしてた頃に変な物体を見た話。そこは週一程度でライブをやる店で入り口から近い場所に小さなPA室があった。開店準備が終わると私は定位置であるカウンターの隅に立ってお客を待つ。そこは厨房の入り口のそばなのでシェフ(以下Uさん)もその辺
数年前に友達と3人で古い遊園地に行った仮に友達をA、Bとするその時にAがお化け屋敷に行こうと言いだした俺は断ったが無理やり同行させられたお化け屋敷は古い日本風の屋敷みたいですごく雰囲気があった入口にいた初老のスタッフの説明を受けて入ったしばらく進むと背後から
伊豆大島に代々伝わっている伝承がある。家から出てはいけない。海を見てはいけないといわれている。それにはある悲しい歴史が関係している。
広島県の府中に出張行った時の話あの辺坂が多くて借りてたレオパレスも坂の上にあってさ休みの日に早い時間から酒飲んでしまったから歩いてコンビニ行ったんだけど帰り道に「いやーーーーーっ」って叫び声聴こえてさ、その方向見たら赤ちゃんが乗ってるベビーカーだけが坂の上
写真撮影は元々日本では不吉なものと言われている。
不動産関係の解体に携わってた頃そこは自殺のあった事故物件で売れずに解体が決まりそのままなってる室内の家財やらを調査しに1人で出向いた放置期間が長く物盗りも入ってるのか空き巣被害後な室内はプチゴミ屋敷状態だが早速物音がし出して驚いて見に行くと皿が落ちて割れた
山口県に住んでいて、健康のために近くの山すその道を歩いていると・・・。
マンションに住んでいた頃のことなんだけど朝カーテンを開けると窓に二つの大きな手形が付いてたことがあった 明らかに男の人のサイズ外から付いたもので泥汚れ?のせいかくっきりと残っていたものだから見た瞬間に思わず声をあげて即管理会社に連絡 最後は警官がうちに来
松原タニシに関する話配送業者です何時間も運転してるので、マジで運転中暇なんですだから両面テープでスマホを固定して怖い話とか流してるんですよ毎日んで、配送終わって帰る途中です初見のとこだったからナビ使ったんですよ帰りは会社に戻るルートで何となくは道覚えてる
実家に住んでいた頃の話夜の9時〜10時くらいに玄関のチャイムが鳴ったうちにはインターホンがなく、その代わりにドア越しに要件を訪ねて返事がなかったら極力出ないようにしているその時は父親が応対したんだが、あまり常識的な時間の訪問ではないので、近くで見ているこ
部活後のバス待ちが暇なので部室で怖い話をするのが定番になってました。怖い話と言ってもだいたいオチが笑える話だったりしてふざけたものばかり。残っているのが顧問にバレないように、いつものように電気を消しドアはアンプで塞いでいました。その日のメンバーは僕と一つ
うちのオカンの方の先祖はその地域をまとめる豪農といわれる家でまた、その地域の治水に携わっていて、工事の際に人柱をたてたという話もある。その呪いがあるため、オカンの家では後継ぎである男の子が育たなかった。神社に相談にいったところ、男の子には女の名前をつける
11月の末に祖父が亡くなった。まあこの爺さんもともと暴走老人で、さらに認知症までやって、全身病気まみれだったのに何回も三途の川の手前で引き返してきて、家族はちょっと呆れ果ててた感じの爺さんだった。そんな爺さんもついに亡くなって、アルツハイマーのおばあちゃん
ある日、日曜の生放送。昼間の2時間を、地元の無名タレントに任せていた。季節は忘れたが、外は青空。スタジオから外は見えない。タレントは相手の若い女の子とテンポよくトークを続けている。俺はデスクワークをしながら、放送をチェックしている。すると、トークが突然止
ワイの伯母がDV旦那から逃げて母子家庭になり、ありついた仕事が病院の清掃。病院全般の清掃で(手術室だけは専門業者が清掃をする)清掃中に容態が変化した患者をみつけて看護師さんを呼んだり救急で運ばれたり、亡くなられた患者を見る機会もあるので、精神的にキツかっ
実家に住んでいた頃の話夜の9時〜10時くらいに玄関のチャイムが鳴ったうちにはインターホンがなく、その代わりにドア越しに要件を訪ねて返事がなかったら極力出ないようにしているその時は父親が応対したんだが、あまり常識的な時間の訪問ではないので、近くで見ているこ
部活後のバス待ちが暇なので部室で怖い話をするのが定番になってました。怖い話と言ってもだいたいオチが笑える話だったりしてふざけたものばかり。残っているのが顧問にバレないように、いつものように電気を消しドアはアンプで塞いでいました。その日のメンバーは僕と一つ
うちのオカンの方の先祖はその地域をまとめる豪農といわれる家でまた、その地域の治水に携わっていて、工事の際に人柱をたてたという話もある。その呪いがあるため、オカンの家では後継ぎである男の子が育たなかった。神社に相談にいったところ、男の子には女の名前をつける
11月の末に祖父が亡くなった。まあこの爺さんもともと暴走老人で、さらに認知症までやって、全身病気まみれだったのに何回も三途の川の手前で引き返してきて、家族はちょっと呆れ果ててた感じの爺さんだった。そんな爺さんもついに亡くなって、アルツハイマーのおばあちゃん
ある日、日曜の生放送。昼間の2時間を、地元の無名タレントに任せていた。季節は忘れたが、外は青空。スタジオから外は見えない。タレントは相手の若い女の子とテンポよくトークを続けている。俺はデスクワークをしながら、放送をチェックしている。すると、トークが突然止
ワイの伯母がDV旦那から逃げて母子家庭になり、ありついた仕事が病院の清掃。病院全般の清掃で(手術室だけは専門業者が清掃をする)清掃中に容態が変化した患者をみつけて看護師さんを呼んだり救急で運ばれたり、亡くなられた患者を見る機会もあるので、精神的にキツかっ
もう20年以上前の話。大学の友人と貧乏旅行を楽しんでいて、春休みに夜行列車に乗った。夜行と言っても寝台ではなく、座席の各駅停車。俺らと同じような学生なとで全車ほぼ満席、俺と友人はボックス席の窓際に向い合わせで陣取っていた。大学の同学年の女の子の話などしてい
私の会社は以前軍事に関連した施設だったので、大戦中に空襲があったりした場所。特にもう取り壊されてしまった昔の社屋は、あまり冗談を言わない先輩でも「あそこは幽霊出たよ」と口を揃えて言うくらいいわくつきの場所だったらしい。とはいえ社屋が新しくなってからはそん
妹の友達が典型的なだめんずうぉーかーで毎回浮気男とか借金男とか捕まえてきては「この人は私がいないとだめなのー」とか言って、その後振られるを繰り返してるんだがある時、ヤバイところから金借りてるからこのままじゃ何されるかわからない、というありきたりな嘘に騙さ
私が住んでいた漁師町で起きた出来事。高校は受験に落ちて行けず、私はすぐに土方になった。夜中2時頃になると1隻の船のエンジン始動とアイドリングがうるさくて起きる。ポッポ船と呼ばれるもので昭和中期に造られたオンボロ船。うるさくて当然ではあるものの、日に日にそれ
20年ぐらい前の真冬の夕方頃かな、車で田舎道にハマり迷った。もちろんスマホもカーナビもない時代。ウロウロしてると集会所みたいな建物があり、玄関前で作業服(?)の老人男性が座っていたので、道順を聞いた。「道なりに真っ直ぐ」と言われたので向かうと、途中で藪の中に
正月に親戚のおじさん家に行ってきた。息子が帰省して暇してるので久々に遊びに来いとのこと。親戚一家はおじさん、おばさん、兄ちゃん、妹さんの四人家族。その日妹さんは不在だった。小さい頃何度かお邪魔してたので間取りを覚えてた。昔の記憶が蘇り、小さい和室でお爺さ
3年ほど前の話当時俺はマンションの一階で一人暮らしをしていた。ある日、管理会社の担当から電話がかかってきて「夜中に子供がうるさい、と苦情がきたんですが……あの、お一人で住んでらっしゃいますよね? 結婚して子供ができたとか、そういうこと、ないですよね?」と聞
自分は、昔ひいばあちゃんの家でしばらく暮らしてたことがあるらしい。というのも、物心がつく前だったし、ひいばあちゃんも自分が小学校に上がる頃にはもういなかった。なんとなーく記憶はあるけど、みんなの言うひいばあちゃんに、ああそうなのねと記憶を左右されているか
小さい頃遊んでいた神社の話で、少し不思議な話。親の都合でよく引っ越していた俺は、親の実家の田舎の方が友達が多かった。だから、田舎で過ごす時間が楽しくて楽しくて仕方がなかった。その日も神社で友達数人と遊んでから帰った。夜になってお店が閉まる時間になる。お爺
あれは一昨年の事でした。晩御飯の仕度を終えて、(ちなみにカレー。)家族の帰りを待つ。ニコニコとお茶を飲みながら、さらにネットで充実!・・・まさに至福です。「しかし遅いなあ?八時過ぎだよ?カレー食べよかな?ウーン。」そんなとき、つい目がスルスルとPCから時
俺が高校生の時の話。当時俺は2階に自分の部屋を持ってた。高校生になって何となく親や弟と団欒するっていうのが面倒くさくなってたから1人で部屋にいてダラダラしてる事が多かった。それで、俺の部屋には机のそばに若干大きめの窓が1つ付いててね、窓を開けて外を眺めつつ
大河ドラマが江だった年に滋賀の関連史跡を両親とレンタカーで回って、ついでに関ヶ原まで足を伸ばした時のはなし古戦場跡に着いた時にはもう私はぐったりして車から出られない状態だったが、夏だったからあんまり長いこと車にいるわけにもいかず、資料館は車から降りて見学
父の同僚が体験した話ですその同僚の名前を玉木(仮名)としますあえて物語風の文章表現にしてます。合わない方はご注意下さい玉木は今年30歳の消防士だ。ある日、高校時代の友人が自殺した報せを受け、非番の日程調整をし、告別式に出席した。まだ若い内に自殺という死に方な
めちゃめちゃブスだった妹の話。うちの家系は母方の家系が美男美女ばかりで俺は残念ながら父親に似て長州小力似なんだけど俺と妹以外は顔が整っていてすごく羨んでる。妹は小学校に上がるまでは、綺麗な顔立ちだったけどだんだん太って醜い顔になって行き体調もすぐれず学校