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  • 「御座の中央の小羊」第四章 種なしパンの祭り (6)

    死による命 これこそ、使徒がまさに命の秘訣、神聖な命の秘訣として言及していることです。ここから神聖な命が生じます。神聖な命の川は十字架から発します。使徒は言います、「絶えずこの体に、イエスの致死力を負っています。それはまた、イエスの命が、私たちの体に現されるためです」(二コリント四・十)――奇妙な言葉です!「イエスの致死力」。これはキリストの死の一つの面です、一つの面にすぎません。他の面もありますが...

  • 「御座の中央の小羊」第四章 種なしパンの祭り (5)

    「さて、自分はどうでしょう?クリスチャンになって数年たちますが(場合によっては長年の人もいるでしょう)自分はどうでしょう?自分はどのような立場にあるのでしょう?」とあなたたちは考えていることでしょう。愛する人よ、私たちは神の事実に向き合わなければなりません。私たちはクリスチャンではない、私たちは主のものではない、と言っているのではありません。あなたも私も神の立場に真剣に向き合わなければならない、...

  • 「御座の中央の小羊」第四章 種なしパンの祭り (4)

    記念する祭り そして主は言われました、「これは永遠にあなたの世代全体にわたって記念となる!」と。そして、過越の祭りが毎年来るたびに、それに先立つ種なしパンの祭りがそれと結びついていました。ではその意義は何でしょう?それは分離の大いなる行為、悪からの分離を記念するものでした。人々がその祭りで座すとき、毎年、物語が語られました。主がエジプト人に何を行われたのか、主はどのように自分たちをエジプトから連れ...

  • 「御座の中央の小羊」第四章 種なしパンの祭り (3)

    種なしパンの祭りは、七日間を通して行われるとても重大な務めです。それは告げます――この天然の命に神のための余地はない!と。天然の命は腐敗しています。発酵させる高ぶりがその中に渦巻いています。なんであれその背後には高ぶりがあります。それはあの蛇から人類の中に入り込んだ毒です。蛇は、「私はしよう。私は王座を高くしよう。私はいと高き方と等しくなろう」と言いました。私!私!――これがパン種です。パン種とは、...

  • 「御座の中央の小羊」第四章 種なしパンの祭り (2)

    終結と開始 すでに述べたように、過越が成就するまで、神は何ものも顧慮されません。また、種なしパンの祭りが完了する時、神に属するすべてのものが始まり、興隆します。愛する人よ、これを述べるのは途方もないことですが、これが理解されてこなかったせいで、悲劇的な歴史が生じたのです。すなわち、主が顧慮されない働きが、主のために大量になされてきたのです。その働きは主に由来していませんでした。これを理解しそこなっ...

  • 「御座の中央の小羊」第四章 種なしパンの祭り (1)

    「エホバはエジプトの地でモーセとアロンに語って言われた。『この月はあなたたちにとって月々の始まりとなる。それはあなたたちにとって最初の月とならなければならない』」(出エジプト十二・一~二)。 前回の黙想では、ユダヤ人の過越の祭りと教会の主の晩餐との関係を最初に示しました。この関係は主イエスご自身によって、彼が裏切られた夜に、示されたものでした。この過越もしくは主の晩餐、そしてそれらがキリストの死に...

  • 「御座の中央の小羊」第三章 神の御旨に関する過越 (5)

    この話の要点は何でしょう?神は贖いにおいて主導権を取り、御旨をもって主導権を取られました。そして、御旨のための器を獲得するために、払いうる最大の代価を支払われました。そうである以上、神は御業を成し遂げて、完全に成就されるでしょう。ただしそれは、これは自分にとっていま益があるのかどうかという問題ではないことを、私たちが覚えていさえすればの話です。これは、差し当たってそれは自分にどう影響するのか、と...

  • 「御座の中央の小羊」第三章 神の御旨に関する過越 (4)

    この成就における霊的歴史 それを認識しさえするなら、目を完全に開かれるなら、とりわけ次のことがわかるはずです。すなわち、彼は、私たちの内なる人の中で自己嫌悪感を深め、強化することによって、これを行っておられるのです。もしあなたや私がこの死の体、旧創造の中にある自分のこの性質から一度限り完全に解放されて、もはやそれを意識することも、それに悩むこともなくなり、自分の肉の内に誘惑がなくなっていたなら、こ...

  • 「御座の中央の小羊」第三章 神の御旨に関する過越 (3)

    贖いは神にもたらすことである さて、この御旨はへブル書十二章で「長子の教会」と称されている教会と関係しています。これは出エジプト記に記されていることの本体です。「イスラエルはわたしの子、わたしの長子である(中略)わたしの子を行かせて、わたしに仕えさせよ」。これが御旨です。それは長子たちの教会と結びついています。出エジプト記十三章を見ると、長子の神への分離・奉献について記されています。過越の祭り、過...

  • 「御座の中央の小羊」第三章 神の御旨に関する過越 (2)

    過越は霊的歴史の始まりである 「この月はあなたたちにとって月々の始まりとなる」。つまり、この時から歴史が始まるのです。過越がイスラエルにとって彼らの霊的歴史の始まりとして主の印となったように、主の死は教会とその構成員一人一人の歴史の始まりです。もちろん、これはだれもが受け入れるであろう単純な事実です。 しかし、この事実には認識すべき何かがあります。前の黙想で指摘しましたが、出エジプト記十二章では、...

  • 「御座の中央の小羊」第三章 神の御旨に関する過越 (1)

    「この月はあなたたちにとって月々の始まりとなる。それはあなたたちにとって一年の最初の月となる」(出エジプト十二・二)。「この日は、あなたたちにとって記念となる。あなたたちはエホバへの祭りとして、これを守らなければならない。あなたたちは代々にわたって永遠のおきてとして、その祭りを守らなければならない」(出エジプト十二・十四)。「それゆえに、あなたはこのおきてを年々、その定められた時に守らなければなら...

  • 「御座の中央の小羊」第二章 神の過越の小羊 (9)

    これ以上先に進まないことにします。命の問題についてもっと述べたいと思っていました。なぜなら、結局のところ、命こそが問題だからです。ヨハネ六章は素晴らしいです。「彼に、父なる神が証印を押されたからである……」という御言葉の文脈に注意してください。そこから主はさらに続けて(主のたとえは変わりますが原則は同じです)、わたしは世の命のために天から下って来たパンである、と仰せられました。「わたしの肉はまこと...

  • 「御座の中央の小羊」第二章 神の過越の小羊 (8)

    一心に見つめる目、神のみこころに対する従順な無条件の明け渡し。試練の時、私たちのどれくらいがこのようであるでしょう?しかし、神は私たちの内に小羊を生み出すために、あるいは複製するために働いておられます。小羊は手放すことによって勝利されます。明け渡しによる勝利というこの道を私たちはどれくらい進んでいるでしょう?これが小羊です。そして、これが御座の中央におられる小羊です。御座に着いていることに関する...

  • 「御座の中央の小羊」第二章 神の過越の小羊 (7)

    神の働きの目標 さて、これが神が求めておられることです。愛する人よ、あなたに言いたいのですが、これこそまさに神があなたや私の中に働いておられる目的であると私は信じています。ああ、このことにもっと早く気づいていれば!私たちに対する神の取り扱いはみなこの一つのことのためです。すなわち、私たちの内に小羊を生み出すことです。ペテロに主は言われました、「あなたが若かった時には、自分で帯を締めて、望む所を歩い...

  • 「御座の中央の小羊」第二章 神の過越の小羊 (6)

    その血の美徳は罪のないことです。それは神のために取っておかれています。常にこれを覚えておいてください。旧約聖書全体にわたって、それを飲んではならない、という命令が轟いています。それは神のために取っておかれています。神はほむべきかな、新契約においては、神は飲むためにそれを私たちに与えてくださっています。しかし、神の小羊が屠られるまでは、決して、決して、飲んではなりません。神の小羊が屠られる時、型で...

  • 「御座の中央の小羊」第二章 神の過越の小羊 (5)

    小羊の血と肉 しかし、この小羊には二つの面があります。その肉があり、その血があります。注ぎ出された小羊の血は、側柱とかもいに降り注がれなければなりませんでした。しみも傷もない小羊のあの血は、あることを証しします。それは、神の義が全く満足されたという事実を証しします。それは朽ちることのない命であり、罪のない性質を帯びており、しみや傷やそういった類のものがなにもない命です。それは神を満足させます。神は...

  • 「御座の中央の小羊」第二章 神の過越の小羊 (4)

    命の問題 さて、これらの事柄はすべて私たちに何かを物語っています。それは特に一つのことと関係しています。それはもっぱら命と関係しています。これがこの問題全体における争点です。それゆえ、私たちは出エジプト記十二章に記されている最初の過越に連れ戻されます。そこでは、エジプトによって代表される全世界が裁きの下にあります。私たちはこの問題に対する適切な洞察力と理解力を持つ必要があります。この段階的な裁きは...

  • 「御座の中央の小羊」第二章 神の過越の小羊 (3)

    次にヨハネは、彼の福音書の六章で私たちにこう教えています、「朽ちる食物のためにではなく、永遠の命に至る永存する食物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたたちに与えるものである。それは彼に、父なる神が証印を押されたからである」。ユダヤ人が群れの中から自分の小羊を選ぶ時、一般のユダヤ人は小羊によく見られる病気の専門家ではなかったので、当局は羊や小羊がかかりやすい病気を熟知している特別な資格を持...

  • 「御座の中央の小羊」第二章 神の過越の小羊 (2)

    見よ、神の小羊! 見よ、神の小羊!すでに述べたように、彼が公の務めに就かれたのは過越と関係していました。それゆえ、近くや遠くから祭りのためにエルサレムに上って来たこれらの人々はみな、ヨハネが言わんとしたことをよく理解しました。その雰囲気は、まさに小羊、過越の小羊に対する思いで充満していました。だれもが過越の小羊のことを考えていました。彼らは小羊に関する儀式にかかりっきりでした。小羊は群れの中から選...

  • 「御座の中央の小羊」第二章 神の過越の小羊 (1)

    「その翌日、ヨハネはイエスが自分の所に来られるのを見て言った、『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』」(ヨハネ一・二九)。「ヨハネはイエスが歩いておられるのを見て言った、『見よ、神の小羊!』」(ヨハネ一・三六)。 これらの節から二つのことに気づくでしょう。一つは、これらの節が主イエスの務めの開始と関係していることです。もう一つは、それらが過越と関係していることです。ヨハネ二・十三には「ユダヤ人の過越が...

  • 「御座の中央の小羊」第一章 小羊 (10)

    永遠の命の保証は小羊である また、一言で言うと、これはみな次のことを意味します。すなわち、神の御目的が果たされ、神の御旨が成就され、神の道が取られるのは、この小羊のような性質という基礎に基づくのです。小羊のような性質とは、一面において純粋さであり、もう一面において、神のみこころに対する無条件の明け渡しです。これは人が知る最も強力なものであると述べられています。泣いているヨハネに応えて発せられた叫び...

  • 「御座の中央の小羊」第一章 小羊 (9)

    (g)宮とこの都の光 小羊は宮です。宮は何のためでしょう?宮は、あなたが神と交わる所、神があなたと会ってあなたに語られる所です。宮は、神に近づく所、天が開かれている所、主と交わる所です。何が宮を構成しているのでしょう、何が神とのこの交わり、この開かれた天、この神との会見、この神の語りかけを構成しているのでしょう?それは何でしょう?それは小羊です。それはある種の性質、気質です。それは場所、状態、姿勢...

  • 「御座の中央の小羊」第一章 小羊 (8)

    (e)小羊の婚姻 小羊の婚姻。なんという思想でしょう!どこよりもここで、私たちは自分の考えを調整する必要があります。小羊は、小羊であるので、ご自身と同じ種類ではない何者とも決して結婚されません。小羊はご自身のような妻しか持ちません。ここにもう一人の女、遊女どもの母がいます。小羊は彼女と結婚されません。一人の妻と結婚されるのであり、この妻は準備を整えました。「この望みを彼に置いている者は(ヨハネはこ...

  • 「御座の中央の小羊」第一章 小羊 (7)

    (d)獣 獣:結局のところ、獣とは一体何でしょう?政治的獣であれ、宗教的獣であれ、あるいは預言において何であれ、それは二の次です。重要なのは、獣は道徳的にどうなのか?ということです。その意味で、獣は小羊に反するあらゆるものの化身・権化にほかなりません。獣は小羊と戦います。覚えておいてください、焦点は依然として小羊です。獣は神の御子と戦う、とは述べられていません。獣はイエス・キリストと戦う、と聖書は...

  • 「御座の中央の小羊」第一章 小羊 (6)

    (b)義とされた人々 次に、神と小羊の御座の前に立っているだれも数えることのできない大群衆について記されています。彼らは大きな艱難から出て来て、自分の衣を小羊の血で洗って白くしました。これは、彼らが、立場的にも状態的にも、信仰によって小羊と結合されたことをまさに意味します。立場的に?そうです。しかし、彼らはまた、自分の衣を小羊の血で洗って白くしました。彼らは何をしたのでしょう?小羊を自分の義として...

  • 「御座の中央の小羊」第一章 小羊 (5)

    小羊に照らして見た黙示録 これがいかに黙示録に記されているすべてのことに光を投じるのかがわかります。すべては小羊と関係しています。したがって、この書に記されていることはみな、他のすべての書と同様に、この性質、この朽ちることない性質という光に照らして、すなわち、この性質を持つこの御方に照らして、見なければなりません。(a)この世の裁き ですから、五章は小羊に照らして見なければなりません。誰が裁きを下...

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