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  • 桜井戸の灸について Ver. 1.4

    1.序桜井戸の灸とは、家伝の灸の一つで、よう・ちょうの灸として、明治から昭和初期にかけて賑わっていた。ネット検索をすると、断片的な知識は入手できる。筆者も現代医学的針灸のブログ内で、<「麦粒腫に対する二間の灸」雑感>2011.4.22.で少々触れたことがある。ただ今となっては、その詳細な内容を知ることは、困難なことのように思えた。しかしながら故・代田文彦先生宅に残された資料を調べていると、<桜井戸の灸療に就いて>と題して、当時の桜井戸灸療所所長3代目、漆畑淳司氏の文章が臨床針灸第2巻第1号(昭和28年1月)に載っていることを発見できた。そこで、私の知り得た桜井戸の灸の概要をまとめることにした。なお漆畑淳司氏は初代の静岡県鍼灸師会会長(昭和57年、80才で死去)。最近、医道の日本昭和57年12月号に、飯島左...桜井戸の灸についてVer.1.4

  • 大久保適斎著『鍼治新書』<手術篇>の要点 ver.1.2

    本書は明治25年発刊。明治44年5月25日第2版発行。昭和50年9月30日医道の日本社より復刻再版。著者の大久保適斎は明治時代の西洋外科医で、群馬県医学校の初代校長、兼病院長の重責に任じられた。自らのノイローゼが鍼灸により軽快した体験から鍼灸に興味をもった。しかし良き指導者にめぐまれなかったため、現代解剖生理学に基盤をおく「自律神経手術」という針治法を独自に開発した。本書の価値は、明治中期の頃、西洋医の第一人者として活動していた者が、灸治療を現代医学的にどのよう理解ていたのかという点にあり、医史的価値をもつものである。本著『鍼治新書』は、「解剖編」「治療編」「手術編」の3部作からなる。医道の日本社からは昭和四十~五十年代に「治療編」と「手術編」のみ復刻版が出ていたが現在では入手困難である。針灸治療法につい...大久保適斎著『鍼治新書』<手術篇>の要点ver.1.2

  • 腹部ツボ名の由来 ver.1.3

    先回、前胸部ツボ名の由来を調べ、当ブログで報告した。この作業は知的好奇心を刺激するものだった。そういう訳ならば同じ方式で腹部ツボの名称の由来を調べてみることにした。腹部のツボについて、中脘などの「脘」は腹直筋を示すこと。ブログ「鼠径部の経穴」と「天文学と経穴」において、天枢の「枢」は扉の回転軸であることを示した。ツボの五枢の「五」とは五方のことで、ここでは全方向を指し、「五枢」が股関節がいろいろな方向に可動性があることを示している。気衝の「衝」は脈拍ではなく、胃経走行の直角に折れ曲がる様を表現している。太乙の「乙」は腹直筋のつくる腱画の凹みのこと。膏兪の「膏」は横隔膜ではなく、膏膜(現在の腸間膜)であることを指摘した。中脘の外方2寸の梁門は、腹直筋の腱画を示すとした。1.腹部経穴の分布傾向①上腹部は、予想...腹部ツボ名の由来ver.1.3

  • メニュエ症候群と上殿皮神経痛の針灸治療の違い

    針灸臨床治療で常見疾患の一つにメニュエ症候群(旧称メイン症候群)がある。本疾患は上部腰椎~胸腰腰椎移行部~上部腰椎の高さから出る脊髄神経後枝が、外下方に延び、腸骨陵を越えた上殿部に痛みを訴える疾患である。治療は、後枝の出処であるTh12~L2棘突起傍(背部一行)へ深刺することで効果的な針灸治療となる。メニュエ症候群については、本ブログでもいろいろと報告してきた。さまざまな適応がある中殿筋刺針(2022.2/3)https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/9de6364bec37c3367dcd2e8d83463b9c一方、上殿部の痛みを訴えるもので、Th12~L2脊髄神経後枝が腸骨陵を乗り越え、上殿皮神経と名前を変えたあたりで、皮下筋膜の絞扼を受けることで強い痛みを生じる場...メニュエ症候群と上殿皮神経痛の針灸治療の違い

  • 「秘法一本鍼伝書」②<下肢後側痛の鍼>の現代鍼灸からの検討 ver.1.2

    1.「秘法一本鍼伝書」下肢後側痛の鍼(力鍼と裏環跳)1)取穴法伏臥にさせ、腸骨稜上縁を外方から脊柱の方に指でなでると腰斤と接する処に浅い陷凹を感ずる。この部はおよそ脊柱から四寸のところで、指に左は∟の反対の形に、右は∟形に脊柱の両側にある筋状硬結物に突き当たる所がある。此の部を強く按ずれば陷凹がある。これをA穴とする(昔は力鍼穴といった)。また小野寺氏の十二指腸胃潰圧診点に該当するところ所謂裏環跳穴をB穴(裏環跳穴)とする。脊柱から八寸位の処である。※小野寺氏十二指腸胃潰圧診点:上前腸骨棘と上後腸骨棘の中点から下方3㎝の処2)用鍼3寸の3~5番の銀鍼または2~3番の鉄鍼を用いる。3)患者の姿勢患者をして伏臥せしめ、座布団を鎖骨部に敷き、これに軽く胸をつけしめ、上肢は緩く上方に曲げながら伸ばす。又は両拳を重...「秘法一本鍼伝書」②<下肢後側痛の鍼>の現代鍼灸からの検討ver.1.2

  • 江の島の今昔と杉山和一の墓 ver.1.2

    1.江の島道私の住む国立市の隣には立川市があり、そこに「江の島道」とよばれる通りがある。この道は江の島まで続くのかと前から気になっていた。調べてみると、江戸時代以前の道の名前は大きな街道は別として、付近の住民が勝手に名前をつけることがあったという。「江の島道」は数百メートルの長さしかないが、地図をみると確かにその南方には江の島があった。江戸時代頃から江ノ島は信仰の島とされ、庶民の間では江ノ島参りが流行した。これにあやかったものだろう。2.今と昔の江の島外国人が撮影した江戸時代の江の島の写真が残っている。モノクロなので疑似カラー化してみた。江ノ島は陸とは砂州でつながっていて、干潮時は歩いて渡ることができた。その時以外は舟で渡った。江戸時代の江の島遠景は、現代とあまり変わらない。手前にある北側(片瀬地区)は緑...江の島の今昔と杉山和一の墓ver.1.2

  • 坂井豊作著<鍼術秘要 下の巻>現代文訳と解説

    鍼術秘要上の巻の現代文訳と解説https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/3c8fcd917865f6c0e1957f83c629908b鍼術秘要中の巻の現代文訳と解説https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/a2b4f8109cb944ad7ca6494031605d7b下の巻の印象①<下の巻>は、多種多様の症状に対する針術を記しているが、治療方法はどれもほぼ同じで、胸鎖乳突筋、上肢の陰経陽経、下肢の陰経陽経、背部二行三行の皮下組織をつまんで(絡を診ると表現している)、緊張部に対してまんべんなく多数の横刺をするという治療につきる。すなわち病名にこだわらず、全身を流れる経絡の巡行を整えることにあるらしい。②現代の内科疾患に相当すると思える症...坂井豊作著<鍼術秘要下の巻>現代文訳と解説

  • 坂井豊作著<鍼術秘要 上の巻>現代文訳と解説 ver.1.1

    坂井豊作(1815〜1878年)は、江戸時代徳川末期の針医。坂井が48歳の時、小森頼愛(よりなる)典薬頭の門に入る。小森家に伝わる横刺術を研究し、1865年「鍼術秘要」を著わした。同世代の者で最も有名な者に石坂宗哲(『鍼灸説約』1812年)がいる。※典薬頭:「典薬」は宮中や江戸幕府に仕えた医師のことで、「頭」は、その長官。坂井の鍼術の特徴は、経穴に刺すというより経絡に従って横刺するもので、経穴位置にこだわらず、丹念に指先で反応を捉えるのを特徴としていた。代田文誌は「針灸臨床ノート(下)」で、本書を、筋の反応点を指頭の触覚によってとらえ、これを克明に刺していったようで、それで著効をあげることができたのであろうと記した。代田文彦は、坂井豊作の横刺のことを「縫うように刺す」と表現していた。いわゆる鍼灸古典文献と...坂井豊作著<鍼術秘要上の巻>現代文訳と解説ver.1.1

  • 間中喜雄著「PWドクター沖縄捕虜記」と平和碑 ver.2.2

    1.「PWドクター沖縄捕虜記」とは間中喜雄は医師となって間もなく招集を受け、5年余を軍隊で過ごしている。この間の最後の1年、すなわち終戦直前から沖縄本島での捕虜生活の様子が、自著「PWドクター沖縄捕虜記」(1962年金剛社刊)に記録されている。なおPWとは、prisonerofwar(戦争捕虜)のことである。私は35年ほど前に古本で800円で入手したが、すでに絶版で入手困難である。間中が世間に広く知られる存在になるのは1950年の日本東洋医学会設立時頃からであり、以後は中国、アメリカ、フランス等世界中で講演活動することになる。本書は、いわゆる"世に出る"前の下地形成の資料として格好な読み物となっている。2.間中喜雄の前半生の年譜明治44年小田原生まれ昭和10年(24歳)京都帝国大学医学部卒業。その後、東京...間中喜雄著「PWドクター沖縄捕虜記」と平和碑ver.2.2

  • 柳谷素霊著「秘法一本鍼伝書」五臓六腑の鍼の解説 ver.4.1

    柳谷素霊著、秘法一本鍼伝書は60年ほど前に出版された本なので、知識的に古い部分があるのはやむを得ない。これを現代針灸的に整理する必要があるだろうが、とくに「五臓六腑の鍼」は、鍼灸で行う内臓治療のやり方を記しているのもで、本質的な問題の提示をしている。なお。本稿の針技法は、令和7年3月実施「一本針伝書実技セミナー」で紹介学習の予定である。1.柳谷素霊「五臓六腑の鍼」の概説実際の記事を表に整理すると次のようになる。五臓六腑の鍼とは、膈兪、脾兪、腎兪の3種類をいう。各穴は、標準部位である棘突起下外方1.5寸ではなく、外方1寸としていることは、臨床的に重要な意味をもっている。さらに理解を助けるため、本内容を図示してみた。2.横隔膜の神経支配横隔膜中心部の神経支配はC3~C4、横隔膜辺縁部の神経支配はT7~T12肋...柳谷素霊著「秘法一本鍼伝書」五臓六腑の鍼の解説ver.4.1

  • 前胸部ツボ名の由来 ver.1.2

    1.前胸部経穴位置の特徴前胸部は肺、心臓、乳房、横隔膜などで他に気管や胃などの重要組織があるが、前胸部のツボは、胸骨上もしくは肋間に整然と並んでいて、一見すると機械的すぎる印象を受けがちである。では実際どういう構成になっているのだろうか。ツボの特性を大きく4つに分類して色分けして調べることにした。(下図)①前胸部で<青色>で示したのは肺・呼吸器関係のツボである。昔の中国では肺はハスの花に例えられたこと、あるいは肺は現代と同じく呼吸作用で、他に宣散粛降作用がある関係で、解剖学敵な肺の位置より上になっているのだろうか。②前胸部中央<赤色>には心臓・精神関連のツボがある。中医でいう心とは、血液ポンプ+ハート(精神)の作用になる。③心関連のツボの周囲は<緑色>で、私の分類では区分・部屋・建物といった比喩的なものを...前胸部ツボ名の由来ver.1.2

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