今年のカレンダーも残すところ一枚という。早いもので波乱の2020年もあと31日。まあとんでもない一年だった。少し早いが。なんとも失われた時間をもう取り返すすべもない。新幹線は2月に上京して以来乗っていないし、買う予定ではなかった乗用車を急遽買うことに。さすが群馬、列車移動ができなければ自動車に頼るしかない。もっとも30年ぶりのマイカー。あればあったでつい乗り出し、ミニバンという初めての車種でなかなか面白い。両親を乗せるのもやはり楽だ。来春まで準備してカーキャンプを始めるのがちょっとした目標。道具を揃えるのも楽しい。もっとも70歳の手習い。そううまくいくかどうか。11月終わる
朝、車を洗車してさっぱり。運動不足だからちょうどよい。午後は紅茶を買いにリバティーへ。淹れたての紅茶はウイルスを不活性化させるらしい記事を読んでおまじないに買い求める。とにかく見えない敵との戦い。根気比べか。JIA住宅部会の事務処理。ここのところ仕事でパソコン漬けなので昨日の晩は集中力がまったくなくキーボードもディスプレーも疎ましく、放置。こんな疲れ方はやはり加齢によるものだろうか。今日も気が進まないが責任があるのでなんとかこなす。明日はカレンダーの画像選び。休日らしく
一週間が終わる。11月もあと僅か。ただやはりなんとなく締まりのない土曜日。窮屈さが募る。気分転換がますますできない。警戒レベルが3だそうだ。発熱していなくとも被感染者が多数いるということがから外出しないのに越したことはないのでがたとえは悪いが交通事故と同じ。大臣に言われたくもないがまさに神のみぞ知ると行った具合。まあ山の中にでも人知れず入り、のんびりするか。いよいよ移動用のガスコンロでも買って野点とするのも良いかも。休前日
まさに平凡な日々。夜の外出習慣もこのcovit-9のおかげで残念なことに。世の中急に狭くなったようでかなわない。JIA住宅部会の方は次時期部会長もほぼ決まり一安心。適任の人に決まってよかった。これから住宅設計というジャンルがどのように変わっていくのか、仕事を通じて模索できる人でないとこのポストは務まらないであろう。仕事場の垣根の山茶花がたくさん花をつけている。椿より花のもちが良いだろうか。いよいよ初冬と行った風情。今日は冷え込み空のどんより。11月もあと僅か。ネタが尽きた今日
休日は車のオイル交換。寄席芸人伝を数冊持ってでかけたがあっさり終わり、まあ良かった。なんとく終わる一日であった。ネタが尽きかけたブログ
1998年から膨大な数の画像が貯まる。ほとんどが仕事がらみ。消去して良いものばかりだが、自分の足跡を消すようでもあり、手が止まる。JIAでも長いお付き合いの方も髪の毛はふさふさ、皆もっと元気だった時代。建築に足を踏み入れてはや50年が過ぎ、まあ色々あったなと振り返る。画像整理で相変わらず四苦八苦
納品間際の忙しい仕事。久しぶりに夜業。明日に響かなければよいが。休み明けの仕事
勤労感謝の日、普通に休日として過ごす。風がやや強いものの晴れて暖かったが夕方からはずっと冷え込む。勤労感謝の日
政府肝いりの25%増量の食事券を持って母の誕生日祝に食事に出かける。母はcovit-19を心配していたが店内はガラガラ。それでも手指消毒を促され、注意書きを読めと言われ、居心地の悪さが新しい生活様式とやら。飲食店の困難な状況が伝わってくる。食事券で精算して店主に挨拶したらこの食事券の精算決済は一ヶ月ごとのこと。店としては歓迎できるものではないとぐちをこぼされる。と言われてもこちらは気分の良いものではない。少なからず事情は飲み込んで遠慮がちに出したのだが客にいちいち伝える必要もないだろうと思う。せっかくの機会にモヤモヤが残る。食事券
慌ただしく過ごした一週間が終わり、ちょっとのんびりな夜。あっという間に11月も終わりそうだ。喪中はがきが届いたり年賀状の準備など一年の締めくくりが近づく。週末
天気予報に反し、断続的に降雨あり。ただし氷雨とは程遠い、気温は下がらず適度な湿り気。covit-19は勢いを増すばかりでなんとも窮屈。せいぜいマスクとアルコール消毒で対応するしかない。こんなことで先の短い人生、台無しかな。雨
遠くの山々が霞んで見えるのに近くの山は名残の紅葉。気温が高いのは快適だがどうも調子が狂う。それでも午後からは少し冷たい風も吹き雪雲のような暑い雲もでて山間部は初冬の装い。いよいよ秋も終わりに近づく。紅葉が霞む小春日和
明日は公休日。ホット一息の時間。だがあっという間に午後10時をまわる。今日も小春日和。それでも井野川の色はだいぶ青く冬の色になってきた。立冬も過ぎいよいよ冬支度。やれやれの水曜日
柄にもなく古い小説を読みたくなり、然し書店に行く時間でもない夜半、初めて電子書籍なるものを購入。老眼には文字が大きく読みやすいような疲れるような。ただいえることはそのページしか見えない。あとどのくらい時間がかかるのだろうかさっぱりわからず、そのほうが苛立たせる。自動車の計器もアナログのときの始点と終点のあいだの針の動きを楽しむことがデジタルメーターではさっぱりわからず。アクセルを踏む楽しみも半減するのだ。それはともかく、画像なしの文字情報から三次元、さらには四次元を想像するにはかなり頭を使う。動画のような情報量がない分楽しむ時間が長いということだ。古い小説だったから現代とは語彙も表現も違う。昭和30年初頭ともなると言葉使いも違う。ただ文中にドイツ語やフランス語が英語と並んでたくさん出てくるのが当時の知識階級の見...電子書籍
小春日和の一日。景色は春のような霞み方。ただし木枯らしも吹く。落ち葉が降り注ぎ、路肩は枯れ葉の山。間知ブロックはカラ松の葉ですっかり茶色に化ける。野猿の集団に合う。毛の色が葉の落ちた山並みと同じトーン。冬支度なのだろう。初冬の気配
日差しが強く、久しぶりにカーテンを開け陽光を室内に取り入れる。とにかく寒い部屋なので冬支度というか窓はヒートロスの最大の原因だから締め切ることが多くなった。一人しかいない部屋だから改めて換気する必要もない。ただ換気すればよいということではない。夕方散歩に出る。広瀬川はあい変わらず水が止まったまま。溜まった水で遊ぶ水鳥が近づいたら慌てて遠くに行ってしまった。紅茶のリバティで生姜入りのミルクティーをいただく。そういう季節になった。小春日和
昨日ブログに朝、雪が積もったサーブの画像を掲載したら目ざとく友人が見つけてビフォーアフターに出演したことを思い出してくれたそうだ。この友人は自分のミスタッチを時々指摘してくれるのだが今日は新発田まで行って安田瓦でTV番組を思い出したのだとか。社用車ではあったが私公混同の経営者の生活にいつも共にあった。最後は二度上峠で変速機故障が露呈し、やっと引き返し、その後退役した。TV出演した2014年の秋のことだった。10年間、20万キロの付き合いだったがウオーターポンプの交換以外これと行ったトラブルもなく、非常に頑丈な車だった。人とのつながりもサーブを介しての便りもまた人生の一コマである。雪とサーブ
SONY-α7Ⅱ+SonnarT*FE55mmF1.8ZA月曜日に撮影した場所を再撮影。久しぶりに55mmf1.8の単焦点で撮り直す。手持ちでのRX100m6だったから手ブレも加わり解像感が今ひとつ。今日は三脚固定でレリーズでシャッターを切るという万全の体制。ただ妙にカメラとの一体感にかける。レリーズを作動させるのがただのマイクロスイッチ。かつてのように機械式ではない。そもそも背面ディスプレーで画角を決めるということになってしまい、この点は膝当てを装着していなかったミス。結果はというと相対して変わらない。近接であればレンズの特徴である高解像感が得られたのであろうが絞り込んでも被写界深度を掴みきれず。それでも撮った感は強く残る愛すべきα7Ⅱであった。SONY-α7Ⅱ+FE24-105mmF4GOSSSEL2410...撮り直し
休前日につき、画像整理でPCとにらめっこ。撮りためた画像の整理が相変わらず終わらない。懐かしい画像が出てくるとついてが止まってしまう。たのしかったこともたくさんあった。あっという間の68歳。休前日
仕事場に戻る。といっても明日仕事をすれば又休み。年相応のペース。この仕事をするにはちょうどよい。決まった時間で仕事から開放される生活も4年近くになり、気持ちもようやく順応してきた。さてこれからの時間、どうしよう。JIAの役職も来年でほとんど終わる。この会はやはり現役の人がやるべきだ。建築家という仕事は24時間体制の仕事。これをずっと続けられるのはかなりの適性が求められる。その覚悟が持てなかったら周囲に迷惑をかけないうちに身を引くのが一番。寂しいことではあるが。と、紅葉を見ながらため息。仕事
いよいよ秋もクライマックスに近づいてきた。あちこち紅葉の便りで気ぜわしい。今年の紅葉は今年限り。まさに一期一会。一瞬の華やぎを楽しみたい。晩秋
粕川の母方の親戚、母の義理の叔母の一周忌に参列した。当主は母親といとこだが自分と同じ年。兄弟の多かった時代ならではだ。過疎化がすすんだ集落は店じまいをしたままの家もあり、かといってかつてはたくさんあった養蚕農家独特の赤城型民家も見当たらない。普通の農村風景だ。小さい頃はよく遊びに行った家である。一人でバスや電車で行ったこともある。曾祖母の葬式は自宅で執り行われた。今日は神式だったがその時はのぼり旗を立てて庭をぐるぐるジャンボンとならしながら廻り、そのまま座棺を担いであぜ道を行列を作り墓地に土葬したように記憶しているが宗教が違う。後で調べてみよう。稲刈り後には庭にわらが敷き詰めてあった。庭を作業場が南側と西側、東側に便所と家畜小屋が庭を囲むように建っていた。今日は両親も一緒、ちょっと小さい頃のことを思い出した。法事
事務所の庭でカワラナデシコを見つける。季節外れであろう。枯葉の中でひときわ鮮やか。様々な秋がある。カワラナデシコ
久しぶりに両毛線で帰宅。金曜日の夜だから独特の倦怠感に包まれた車内も懐かしい。首都圏並みにドアは自動開閉。車掌のイントネーションがおかしい「前橋」のアナウンスでホームに降り立つ。久しぶりに両毛線
群銀の坂下にあるアーツ前橋の「場所の記憶想起する力|展覧会|アーツ前橋」を観た。前橋にちなむ作家を始め前橋の歴史にも触れる展示内容。物故作家の中には直接教えていただた小見辰男先生やお世話になった金子英彦さん等懐かしいものもあった。キューレーターが前橋にちなむ作品をよく掘り起こしたものだとも思う。郷土作家は残念ながら時代の流れの中に消えていってしまうことのほうが多い。この場所一体はアメリカ軍の空襲で焼けの原になってしまった地区にあたる。場所の記憶の断絶のある地域である。前橋空襲の資料も展示されておりいつもの展覧会とは少し違った趣。現代美術が単に視覚的な感性から物語性に軸足を移してしまっていわば頭で組み立てる芸術。建築表現もそうであるが。ちょうどすぐ近くで藤本壮介の関わっていた白井屋ホテルがようやく完成する。木造の...場所の記憶想起する力|展覧会|アーツ前橋
昨日に引き続き仕事に追われて昼間の時間を過ごす。お昼は近所の「オリーブ」。ほっと一息つく。井野駅で乗り降りしなくなって8ヶ月が立つ。ローカル線とはいえ前橋、高崎間の通勤通学時間帯はそれなりに混む。座れないのは運動不足解消に良いとはいえCOVID-19二感染したのではかなわないのでつい足が遠のく。こんなに鐵道を利用しないのは何年ぶりだろうか。JIAの行事で定期的に東京に通うようになったり、都内の仕事で出張だったりと回数は少ないとはいえ随分と乗った。昨年は特に乗った。横須賀線から217系が引退する前にぜひ行きたいのだが。今日も黙々と仕事。
文化の日なので建築文化に親しむ。といってももくもくと一人で仕事場。今日休むと今週は3日しか仕事しないことになるので帳尻合わせと行ったところ。一人きりなのでブルートゥースのミニ音源を持ち込んで遠くにおいて大きな音でスマートフォンのSDカードに収納した曲をひたすら流す。近くで小さな音でも解像感はあるのだが吹き抜け的な大きな容量の部屋で間接音を交え聞くと結構立派なオーディオ装置となる。かつて夜なべ仕事のときはよく聞いたものだが、若い人たちには聞かせたくない気恥ずかしい曲ばかりなので最近は出番がない。もっともこの秋から乗っている乗用車はアイドリングストップだし、結構静かなのでベートーベンの「皇帝」など聞きながら出勤。元気が出る。フィンランデイアや威風堂々も景気付けには良い。さらにはクシコスの郵便馬車、東京オリンピックマ...文化の日
また雨。やはり今年は雨に祟られる。一気に冬に行く予感。今日の月曜日は一般的には平日ということらしい。久し振りの3連休な仕事場。ただし木曜日休みたいので一人出勤予定。またまた雨模様
夕方から広瀬川の右岸を散歩。諏訪橋から柳橋まで歩いて箪笥屋横丁を源栄寺の墓地沿いに風呂川まで上り東照宮の前から清心幼稚園の前を裁判所通り、県庁前通りとぐるっと市街地中心部の外側を歩く。東照宮はなんでも江戸時代のお宮、それも松平さんがわざわざ川越から持ってきたものをを壊して結婚式場らしきものを建てるとか。県民会館といい、群馬県民の民度の低さには飽きれるばかり。前橋の街が錆びれるのは都市のアイデンティティ、しいては自らのアイデンティティを否定していることにほかならない。つまり劣等感を目をそらすことで安心しているようなもの。少なくとも中世から続く街である。もう少し誇りを持とう。と、古い道を歩きながら思う。散歩
アマゾンプライムで「深夜食堂」をみていたらちょうどハロウイーンのシーンが出てきた。古いブリテン諸島つまりGBを発祥とする祭事だが、なんでもOKの日本でも馴染みのある行事になった。「深夜食堂」を見ていると今年亡くなった「きさく」の健さんをつい思い出す。あんなふうに常連が集まり、また友人の輪を広げることができた店だった。健さんのまわりは映画監督や詩人など文化人系の人も集まり、やや気難しい店でもあったがそれはそれで適度に心地よかった。今はおでんの季節だ。店終い間際には丁寧に種を取り出して管理していたのを思い出す。居酒屋だから「深夜食堂」のメニューに重なるものも多い。雪の晩、店の前で雪合戦に興じたこともあった。温かい日本酒で温かいつまみでホット一息つきたい季節。そんな場がなくなって久しい。隙間が空いたままだ。店で携帯電...深夜食堂
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