昨日28日、先走ってfacebookとブログの表紙を変えてしまったらまだ29日があったというお粗末。本当に今日で2月はおしまい。井野川の畦畔にも雑草の緑が目に見えて増えてきた。今年の六分の一終わったかとちょっと寂しくもある。暖冬で雪景色の撮影ならず。そして新型コロナウイルス騒ぎで遠出もはばかられる。そうはいっても家の中にこもるのもよくないからあすはちょっとロードバイクでも乗り出そう。金魚のようになってしまった体をイワナのようにたくましく改造しなくては。二月が本当に終わる
上州富岡駅で幼稚園児らしき集団を見かける。そして下りの電車旧JR117系、上信電鉄700型に乗り込んでいった。新旧それぞれ元気。里の梅も見ごろを迎えている。梅の香りに包まれる。春が来た。明日からは弥生三月。残念ながら新型コロナウイルスのおかげで社会はマヒ状態になりつつあり気持ちも萎縮気味。こんなときこそ山に春を探しに行こう。元気
JIAの会議に久しぶりに車で向かう。いうまでもなく電車内の混雑を避けるためである。東京駅はじめ駅構内は不安が大きい。関越道を長い距離を走るのも久しぶり。こころなしか流れが遅いような気がする。100km/h以上出している車が少ない。オートクルーズコントロールのついている車も比較的遅くなるものだ。あおり運転のこともあるから車間距離も広い。いささか退屈だしストレスがたまる。考えてみればいつも速足で生きてきたものだ。関越を降り、明治通りまでそのまままっすぐ、右折して靖国通りを左折、外苑西通りへ右折しJIA会館に到着と思ったら、入り口付近で水道工事、遠回りして原宿陸橋を渡ってやっと到着。懐かしい景色だった。車で東京
新型コロナウイルスのおかげで行事の中止が広がった。明日はそんな中東京へ。自動車で向かうつもり。外苑前のJIA会館に乗り付ければ混雑した電車に乗ることもないから大分リスクは少ないだろう。もっとも相手は目に見えないウイルス。ロシアンルーレットみたいなものだ。昨日会議の中止、延期を申し入れたら不要不急の会議ではないとか、規模が小さいからとか決済が間に合わないとか反対されたが今日はしれっと中止してもよいという連絡。中止して書類稟議にするとそのほうが面倒でストレスになるからこのまま開催することにした。参加されるJIA外部の方々に感染のリスクを負わせ申し訳なく思う。組織の意思決定の難しさを実感する。2.26
雀の大群が仕事場の周りに出現。渡り鳥ではないが移動することもあるらしい。最近農薬のせいだろうか、なかなか姿を見ることがないのでヒッチコックの映画ほどではないからちょっと気味が悪いくらいのもの。明日も来るのだろうか。カメラがたまたま手元にあったので窓ガラス越しに撮影。草花と違って動標的。なかなかとらえるのが難しい。雀
今上天皇が即位されて初めての天皇誕生日。せっかくのお祝いの日も新型コロナウイルスのせいで台無しに。交通手段が高度化し、世界が狭くなるとあっという間に伝播する怖さをまじまじと感じる。命に係わる病気はこれだけではないし、帰化動植物に古来種が追いやられているのも同じ現象。「種子法」や「水道事業法」など日本人の生命を脅かす法律もアメリカなどの圧力で簡単にできてしまう現在の日本。「美しい日本」を標榜した人は日本語が読めないし、公私混同の習慣は次世代の子供たちに嘘の意味を教えることができないだろう。何かボロボロこぼれていく日本をみているようで暗鬱な気分になる。とネガティブになっていても明日は来るからそれはそれとして楽しいことを探すしかない。毎日の所作の中にも楽しみを見つけることはできる。天皇誕生日
年度末になるので引き出しの整理。JIAの行事の資料が増えそうなので雑に分類していた引き出しを移動。失せ物も出てきてほっとしたものもあり。撮影機材の取説や保証書も用済み多数。今日は日中風が強く体が冷える。それでも日差しは大分強くなった。もうじき弥生三月。のんびり日曜日
年度末に差し掛かり何かとあわただしくなってきた。気が付いたら二月も来週を残すのみ。あっというまに今年も1/6終わってしまう。あわただしかった一週間
昨日井野駅で見かけたEF641032牽引の列車はクモヤ145-107の廃車回送だった。長らく新前橋の高崎車両センターにあるのは見ていたがとうとう廃車のようである。EF641032は新津の総合車両製造所新津事業所の新製車を首都圏に運べるように整備された機関車の一両で時々上越線で見かけることができる。ただしもう一つの役目が廃車車両を長野総合車両センターへ送り届けるところから鉄オタの間では「死神」と恐れられているとか。北陸新幹線ができて信越線が分断されたので上越線、高崎線、武蔵野線、中央本線、篠ノ井線をへて搬入されたものと思われる。新しい車両のほうが快適とはいえ旧型車の旅情も捨てがたいものがあった。しなの鉄道の115系も新型車両に置き換えが始まるらしい。暖かくなったら115系を浅間山をバックに撮影に出かけよう。EF641032
昨年から始まったJIA住宅部会賞公開選考会の司会のため上京。二日続けてである。同じ部会のメンバーが日ごろどのような仕事をされているか知る貴重な機会だ。選考委員3名と当日出席した部会員の投票との選考により決定される。選考委員長は中村高淑部会長、ベテランの渡辺武信さん、住宅部会の良心、郡山貞子さん、質疑応答を聞けるのも楽しいものである。この賞をきっかけに入部、。入会した人もいる。若い人に関心を持っていただくにはよい機会だ。そしてフォローアップも大切。息の長い活動をして欲しい。久しぶりにJIAへは千駄ヶ谷の駅から歩く。霞ヶ丘の新国立競技場は最後の仕上げにかかっている。故ザハ・ハディッドの個性的な建築に比べなんともどこにでもある平凡な競技場になってしまった。大味で面白みに欠ける。ペデストリアンデッキに樹木を唐突に植えて...JIA住宅部会賞公開選考会
年度末に差し掛かりJIAの行事も重なる。登録建築家の更新業務も一段落。ただし後味悪さも残る。建築家の定義のあいまいさである。自分が開業した時に考えた立ち位置は一義的には依頼者イコール建築主のために働くこと。そして国土の景観を守るデザインコードで仕事をすることだった。他の設計事務所や施工会社の下請けという道もあったが、事実初期に手を染めたこともあるが経営が立ち行かなる覚悟で断ち切り、今日に至ることができた。狭い地域社会では利益相反をきちんと考え行動することがことさら大事だ。建築家は心の持ち方のことだとJIAの先達が教えている。つまらないやせ我慢とも思えるがここを踏み外したらいくら目先のセンスが良かったりしても単なる建築デザイナーに過ぎない。登録建築家の申請書類に目を通しながらその感を強くした。斎藤孝彦さんとの勉強...JIAの会議で上京
井野川河畔に開いたたった一卓の小さなカフェに今日は3人のお客さんが。旧知の群馬インテリアコーディネーター協会の会員の人たちだ。前掛けをかけハンドミルでトンビコーヒーの艶美という豆を挽いてペーパードリップで入れて差し上げた。一廃500円ながら麻布青野総本舗の干菓子付きだからまあ良心的なお値段。アーキカフェというだけあって建築の本などを読みながら建築に興味を持っていただきたいという趣旨なのでそうはなかなか来店者数は望めないのだが実は1980年代からの新建築、住宅建築、建築知識、室内、コンフォルトといった雑誌のバックナンバーからやはりバブルのころに出版された豪華本シリーズもたくさん収蔵されている。建築系の学生が読めばなかなか面白いと思うのだがスマホ頼りの彼らには興味の対象外かもしれない。とはいえ時間つぶしに静かな河原...アーキカフェ
今日は少し寒くなる。週の始まり。少し寒くなる。
弱い雨が降り、」そのまま曇り空の一日。散髪に出かけ帰りにヤギカフェによったら偶然久しぶりにY氏夫妻に相席になる。この店でのご縁で年齢的にも比較的近いので共通の話題もある。世間話で午後のひと時を過ごす。S氏も顔をのぞかせたがあいにく席がなく一回りしてくるといって出ていかれた。お元気そうで何より。こうしてほぼ毎日ブログを書き続けているのもS氏の真似である。もっとも内容が全く追いつけないが。どんより曇った空は久しぶりにまだ冬が集いていることを思い出させた。雨模様の日曜日
あっという間に一週間が終わる。新型コロナウイルス騒ぎで外出するのを躊躇するがなかなかそうもいかない。本当に世界が狭くなった。木曜日に外苑前にJIAの会議で上京。やはりあたりを見渡してしまう。手すりなど触らずにと思ってもつい触ってしまう。幸い混雑時間からずれているのですし詰め状態ではなかったが何となく不安が残る。「二木紘三のうた物語」http://duarbo.air-nifty.com/というブログがある。MIDI音源付きの歌にちなんだ文章が添えられたものである。もう長いこと拝見しているが長く生きてきたものだけしかわからない世界がある。歌の力を感じるとともに自分の過去を振り返るのだ。早い!
今日は暖か。着るものを選ぶのに悩んだがいつもの厚着をして出勤したら汗ばむ。井野川河畔もオオイヌノフグリの明るい青の小さな花やホトケノザの小さな赤い花が目立ってきた。春先の花は小ぶりだが暖冬とはいえ寒さから解放される日が近いことを感じさせてくれる。昼休みに野茨の実を植えた。素人のやること、どうなるかわからないが楽しみである。春めいてきた
3年に一度の定期講習。運転免許の更新講習のようなものだ。テキストの字が小さくて読めない。老眼が進んだな。もっともこの講習今回が最後かもしれない。この講習、全建築士に義務付けられているわけではない。建築士事務所に登録されている建築士のみ義務があり怠ると戒告処分である。本来建築の設計・工事監理者の技術資格であるはずなの講習を受けない建築士は建築士といえるのだろうか。はなはだ疑問が残る。一級建築士の免許を取得して40年、当然法規も建築工法や建築材料、構造計算基準すべて大きく変わった。まがりなりにも建築設計の現場に立ってきたから今日の考査もすらすら解けたが設計実務経験のない建築士がいきなり講習を受けてもおそらくどうにもならないだろう。建築士試験制度も変わるのだそうだ。在学中に受験できるようになったらしい。2年間の実務経...一級建築士定期講習・字が小さすぎて見えない。
JIAの提唱する「登録建築家」の年次の更新登録審査に上京。JIA関東甲信越支部の資格制度実務委員会のメンバー6名で審査に当たる。建築家という名称は一般名であり日本では特定の資格を指すものにはなっていない。したがって誰でも自らを「建築家」と呼称することができる。明らかに首をかしげる人まで臆面もなく建築家を口にする。建築士は国家資格ライセンスだから名称は有資格者以外用いることはできない。なぜ建築士という制度がありながら建築家にこだわる会なのか。建築士という制度はもともと設計スキルをすべて保証したものではない。戦後復興期に無秩序に作られる建築の危険性、不健全性を防ぐ目的で作られたものである。建築基準法法第一章総則(目的)第一条この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び...登録建築家
今週は建築士の定期講習受講やJIAの登録建築家更新審査など仕事が進まないので終日仕事場で実施設計図の作成に費やす。さすがに電話一本かからない仕事場は静かで仕事がはかどる。68歳にもなって実施設計図とは骨の折れることだがまだまだかけるようだ。根気がなくならないようにエクササイズ。休日出勤
鳴り物入りだった「前橋カツカミ」閉店。あっけなかった。JINSの田中さんの故郷への思いも空回りしたようだ。中央志向の強いというよりブランド志向の強い仕掛けはもろいものだ。採算に合わなければあっという間に撤退。これが飲食店業界の常識なのかもしれない。休日、PCと室内で遊んでいると体に良くないから散歩に街中を抜け細ケ沢町のモグまで歩く。1500歩しか稼げないが車で行くよりまし。桑町のアーケードを抜けとぼとぼ。小田原屋の並びの「だんご屋」が閉まったまま残っている。自分より1年年上の息子がいたはずだが既に他界されていない。コーラの瓶が飾ったまま時間が止まっている。帰りは国道17号線の歩道を歩く。竪町の広瀬川河畔の厩橋の前にある武蔵屋が目に留まった。ここの麦焦しに餡の入った和菓子を勤め先の所長に買いに行かされたことがある...閉店
1週間というのはよくできたもので生活のリズムが取れやすい。疲れは少しずつたまってきて日月と休むとまた回復する。体よりの心のほうが疲れるようだ。気分転換の時間は大切なことだ。経営者だったころは365日24時間働くのだとうそぶいていたが仕事と私生活の区切りがはっきりした生活に入ったら逆に時間がすごく短く感じるようになった。あっという間に寝る時間だ。そこでぐずぐずブログを書いたり古い映画のビデオ見ていたりするから就寝時間が遅くなる。老人らしく早寝ねを心掛けたいところだがまだまだ時間が足らない。またまた週末。
立春を過ぎたといっても春にはまだほど遠い。快晴ながら風花が舞う赤城高原に出かける。雪は見事にない。ただし少し強い風は非常に冷たく鍋割から上は雪雲に包まれている。久しぶりに霜柱の上をざくざくと歩く。木々の葉が落ちていつから小鳥の姿もよく見える。落ち葉の間から小さな葉や花が少し顔を出している。こぶしのつぼみもだいぶ大きくなった。まだまだ遠いといっても少しづつ春へ。日差しが大分強くなった。早春賦
立春も過ぎ日没もだいぶ遅くなってきた。仕事場も今日は風もなく穏やかな一日。すでにオオイヌノフグリやホトケノザなど小さな花が咲きだしているがクリスマスローズも咲き出した。柔らかな色合いが春らしさを演出している。事務所の移転に合わせて造園の高崎松風園が植えていったものだ。日一日と春が進んでいく。春の庭・クリスマスローズ
昨日初めて行く飲食店で日本酒を頼もうと思ったが日本酒の説明が全くできない。日本酒は大きな蔵から小さな蔵まで様々な銘柄がありそのなかで気に入った銘柄を探すのも楽しいものである。お運びさんにソムリエを期待すること自体間違いなのだろうがアルバイトに何も教育していない店側の姿勢には疑問を持つ。せめてメニューに載せている酒の種類、蔵元ぐらい説明しておいてもよさそうなものだ。甲類焼酎のように唯酔えばよいというものではないのだ。行きつけの店の親父と蔵元の話をしながらぬる燗を味わいのがいいなどとまあ面倒くさい爺の戯言ではある。しかしわが身に振り返ってクライアントに勧める建築情報を果たしてどのくらい理解しているだろうか。その責任の重さをまた改めて感じてしまった。アルバイト
先週に引き続き住宅省エネルギー技術講習会の講師。省エネ(脱石油)視点の講習会だが、建築主には環境保全の義務が厳格化されることでもある。つまり工事費の増大は建築主の負担となる。いっぽうその結果として出来上がる住宅はその室内空気室質において明らかに高性能なものであり室内温度の安定がもたらす対ヒートショックなど快適であることは間違いない。ただし気密化した室内は発生する有害物質の充満も起こし可能性もある。これら今まで経験したことがないことが起きるのだが地球環境保全のためにはいかしかたないこと。これら長所、短所は造りての都合だけではなく建築主の側にもしっかり伝えていく必要があると講習しながら感じた。講習会
67歳も68歳も大して違わないのだがいよいよ70歳代に近づく。これといった変化もなく過ごしているから鏡でも見なくては自分の容姿の変化は気が付きにくい。ただやはり疲れやすくなってきているし、注意力の集中もやはり若いころのようにはいかない。もっともほぼ毎日職場には通ってむしろ下働きのようなことをやっているからそれなりに体も頭も使っているので経年劣化のカーブはやや緩いとも思える。facebookなどSNSに登録しているので朝からたくさんもお祝いメッセージや生花までいただいた。非常にありがたいことだ。自分から誕生日であることを告知したわけではないのだがfacebookの場合はおせっかいにも広報してくれる仕組みだ。ただ「いいね」してくれるのとは違って一文添えなくてはならない。これにも感謝である。考えるに67年生きてきてか...68歳の誕生日
今日はほぼ上弦の月らしい。月の満ち欠けはなかなか理解できず、らしいになってしまう。上弦の月という言葉を初めて聞いたのは吉田拓郎の「旅の宿」だ。反戦フォークとも違う、なんの変哲もない日常の心情を歌った吉田拓郎の世界に浸った時期がある。「準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた偉大なる影響」などボブデュランあたりの影響下にあるとても今までの歌とは違う不思議な歌だった。「旅の宿」はそのころも全くいけてない自分には手の届かない世界だった。さきほどちょっと飲みに出てほろ酔い気分で西の空を見上げたら上弦の月。たぶん・・・上弦の月
真冬とはいえやはり暖かい日が続く。それでも今日の浅間山は真っ白。冬らしい浅間山。浅間山
父が90歳に。いまだ介護保険のお世話にもならず元気。まさにありがたいことだ。昭和5年生まれ、耳が遠くなってきたのと足腰が大分弱ってきたがそれ以外は以前と変わらず。母が老々介護だとか言っていたが二人して身の回りのことができるのはこちらもうれしい。ずっとこのままいきそうな気がふとするのだが。自分も4日には68歳になる。まさに老々介護が待っている。父の誕生日
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