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2010/08/09

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  • 第3722日目 〈北村薫「続・二銭銅貨」を読む前に。〉

    その本をパタリ、と閉じた。 なぜか。或る感覚を覚えたのだ。前にもこんなことが、確かにあった。 横濱を舞台にした欠伸が止まらぬくらい退屈な連作小説を読み棄てて、今季二冊目の北村薫、『雪月花』のあと『遠い唇 北村薫自選 日常の謎作品集』(角川文庫 2003/09)を読んでいる最中に覚えた、その感覚。 やがて、最近はすっかり働きの鈍くなった灰色の脳細胞が答えを出してくれた。すべては、その感覚を覚えたときに読んでいた、「続・二銭銅貨」に原因していた。 江戸川乱歩の短編「二銭銅貨」に材を取ったのが、「続・二銭銅貨」。「続」とあっても実際のところ、後日談というべきか、真相解明篇と呼ぶのか、よくわからぬ。 乱歩の来訪を「私」が受ける場面で覚えた、前にも抱いた感覚の正体に思い当たったのは、後半へさしかかろうとするあたり──それは、『古書ミステリー倶楽部 Ⅲ』所収「D坂の殺人事件」(草..

  • 第3721日目 〈やっておきたいことは? って訊かれても。〉

    かつての同僚(先輩)とランチする約束をして、お店の予約もぶじ終えて気附いたこと──今週からもう12月なんだね。マジか、と口のなかで叫んでしまいました。 そうか、そのせいか。先刻まで一緒にいた人から、今年中にしておきたいことってある? と訊かれたのは。そうか、成る程。合点した。 なんと答えたか、覚えていない。ありきたりの返事だった気がする。未納の税金(4期分)を払っちゃいたい、とか、確定申告の準備を始めたい、とかね。咨、なんて芸がない……。 それはともかく。 改めてこの質問を考え答えるならば──シャープペン片手に(まだまだ)読書中で、例によって例の如くの杉原泰雄『憲法読本 第4版』の再読は終わらせておきたい。ノートは来年になろうとも、再読はなんとしても今年中に。 (昨年のいま頃はなにを読んでいたんだっけ、とモレスキンのノートを繰ってみたら、萩原朔太郎『恋愛名歌集』であっ..

  • 第3720日目 〈フラウィウス、揃う。〉

    幾度も幾度も迷うた果てにフラウィウス・ヨセフスの著作が、想定していたよりも低い価格で揃うたことを報告し、祝い寿ぎ、後の戒めとしたい。 既にちくま学芸文庫版『ユダヤ戦記』と『ユダヤ古代誌』をネットで購入したことをお伝えしてある(第3702日目、第3707日目)。また、その後については第3713日目でさらりと触れた。本稿は、いわば後日談だ。 文庫で読めるヨセフスの著作を、本文ならびに訳者の文章を流し読みしているうち、やっぱり……と考えを改める事態になった。エウセピオス『教会史』と同じく『戦記』も『古代誌』も固有名詞の表記をより一般的なものへ改めてあるのみならず、いろいろな点でやはり元版となる山本書店版『ユダヤ戦記』と『ユダヤ古代誌』を手許に置いておく方がよい、と結論したのである。 ちくま学芸文庫版と同じ時期に購入を迷った山本書店版『ヨセフス全集』全巻揃いはその時点で未だ誰に買われ..

  • 第3719日目 〈英語の多読について。4/4 単語調べ補足とステップラダー・シリーズ、読書ノートのこと。〉

    前項でわたくしは、載っている単語でわからんものは片っ端から巻末のワードリストにあたって調べてしまえ、それくらいまで割り切っちゃえ、と述べた。暴言だなんて思っていない。基礎的単語は何度辞書やワードリストで調べたって過ぎることはないのだ。mustとかdecideとか、shoudとかcouldとか、be afraid ofとかbecause ofとかといった、動詞や助動詞、形容詞、前置詞、代名詞、副詞の類は(作っただけで満足する単語帳と違って)辞書やワードリストを何回も引いた方が確実に脳味噌へ定着する、というのが実体験から導き出した提言である。……leftの例もあるしね。 いまでもボキャビルマラソンの本やコースってあるのかな。でも、ボキャビル(ボキャブラリー・ビルディング)だけやっても、多読にどれだけの効果があるのか、と疑問に思います。単語の蓄積に力を注ぐなら、同じくらいの力を文法にも注が..

  • 第3718日目 〈英語の多読について。3/4 いっそ開き直っちゃえ、ということ。〉

    ラダー・シリーズLV1やLV2を謳うと雖もじゅうぶん難しい作品はある、と聞く。わたくしの失敗を棚にあげるわけではないが、わからない箇所はすっ飛ばし、辞書をなるたけ引かずに一冊読み切るという行為、事情はどうあれ中学英語も怪しくなっている人にはLV1であっても気持の上で曰く言い難い困難・苦痛を伴うはずだ。よーくわかる。わが身を顧みて、これ程共感できる話もない。 辞書をなるたけ引かない、が呪縛になって生じる「内容が理解できない、筋を把握できない」といった「(あらゆる意味での)つまらなさ」が理由で読書が中断されてしまうなら、いつまで経ったって一冊を読了する達成感とも、「どうにか内容がわかった」とか「面白かった・退屈だった」とかの感想とも無縁のまま、多読から離れてしまうのは必至。勿体ない話だ。一度は横の文章を縦に変換する労を要すことなく、横の文章を横のまま読めるようになりたいと望んで原書を手に..

  • 第3717日目 〈英語の多読について。2/4 SSS(Start with Simple Story)について。〉

    「レヴェル」というのが厄介なのだ。出版社それぞれで基準を設けているため、たとえば、A社のLV1は読めるがB社のLV1は歯が立たない、なんてことは間々あるらしい。 その点を解消すべく、英米の出版社が出している英語初心者用の読み物──対象は、なんらかの理由で学習が遅れている人、移民の人たちなどである──を、「読みやすさレベル(YL)」という一定の基準で整理したのが、『英語多読入門』で紹介されている「SSS(Start with Simple Story)」だ。同書から、「YLとは?」「ステップアップの効用は?」を述べた箇所を引用する。 YLとは? 曰く、── SSS英語多読研究会では、本の読みやすさを評価する共通の基準、読みやすさレベル(Yomiyasusa Level, 以下YL)という数値を決めています。実際に多読をしている人の声を集約して、「日本人にとっての本の読みやす..

  • 第3716日目 〈英語の多読について。1/4 「ガンジー伝」での恥ずかしい失敗と多読三原則について。〉

    アインシュタインかエジソンか。モーツァルトかアンネ・フランクか。 迷った末に選んでレジへ運んだのは、ガンジーの伝記であった。どうせなら、世界史の用語事典に載る程度しか知らない人物の伝記を読んでみるか。そんな気持あっての選択だが、実はこれ、例のラダー・シリーズの一冊で、しかもレヴェル(LV)1なのである。 来年は、秋からのシェイクスピア読書を大きな目標とするが、同時に、英語の学び直し・多読によるリーディング・スキルの取り戻しと向上をもう一つの目標にしよう、と思うのだ。そんな意味では理に適ったセレクトだろう。 読む時間にして三十分くらい。寝る前に一章、長ければ途中まで。全単語の意味を網羅したワードリストが巻末にあるとはいえ、不明の単語あればエピソードや文脈から意味を推測して前に進むようにしている。その過程で、思いこみによる弊害も既に経験した。 このガンジー伝、LV1でも総単語..

  • 第3715日目 〈横田順彌『ヨコジュンの読書ノート』を読みました。〉

    まずお断りしておくと、正式な書名は『ヨコジュンの読書ノート 附:映画鑑賞ノート』である。厳密には「の」が丸で囲まれているのだけれど、そこまでの再現は無理なのでご了承願いたい。書肆盛林堂 2019年12月刊。 北原尚彦の解説に拠れば本書のベースになった読書ノートは、1965(昭和39)年〜1967(昭和42年)、ヨコジュン氏高校三年生(の三学期)から大学在学中の時期に書かれている由。 この時期の日本SF出版は(ミステリと然程変わらずで)黎明期というてしまえばそれまでであるが、とにかく読む選択肢は現在とは雲泥の差。所謂SF小説の古典が翻訳されてそのラインナップが揃い始めた時期でもあった──事実、ヨコジュン少年の読書ノートには、クラーク『幼年期の終わり』、アシモフ『われはロボット』、ハインライン『夏への扉』、シマック『中継ステーション』、シュート『渚にて』、などの書名が並ぶ。脚注の書誌..

  • 第3714日目 〈いまになって法律が面白いということ。〉

    それにしても法律は面白い。馬齢を重ねたとか社会経験の蓄積、っていうのがいちばん大きいんだろうけれど、民法はともかく、刑法や商法なんて学生時代よりも余程よくわかる。不動産会社やコールセンターで仕事していなければ、株主総会・決算に伴うディスクロージャー・IRツールの進行管理やスタッフの労務管理をしていなければ、法律を面白いと感じたりしなかったろう。 法律は、年齢と社会経験を重ねてからの方がずっと面白い。これは実感である。 いまならば、25年前の慶応通信法学部生の平均年齢が他よりも高かった理由を、背景も含めてわかるような気がしている。公私問わず様々な法律に関わってきたためだろう。自分がいた文学部や経済学部は、もうちょっと若かったものなぁ。──木を隠すなら森、現在の自分であれば入りこんでも目立つことはあるまい。延期していた学士入学、本気で考えようかしらん。◆

  • 第3713日目 〈杉原『憲法読本 第4版』、再読の進捗具合。〉

    時刻は14時過ぎ、「魔の刻」というてよい頃。青土社から出版されたヨセフス『自伝/アピオーンへの反論』(秦剛平・訳 2020/05)が届いたその月曜日、みくらさんさんかは杉原泰雄『憲法読本 第4版』精読の続きをせんとて近所のカフェに出掛けた。ようやく買えた新しいリュックにモレスキンのノートと芦辺慶喜、本秀紀・編の憲法の本二冊を放りこんで。 相も変わらずシャープペン片手に、時々巻末の憲法条文を参照しながらゆっくり、丹念に、傍線を引いたり余白に書込みもしながら、読み返す。扉への書き付けを見るとこの再読、今月11月07日から始めて、下旬に差しかかる今日の読了箇所を以て140ページ目に至った。二週間で140ページ、か。本書は、日本国憲法全文や参考文献のページを除いて本文約270ページ。残りが130ページ程だから、読了まで同じくらいの日数を要すると考えて間違いあるまい。前述の通り、毎日読んでいる..

  • 第3712日目 〈あの世界への鍵をなくした男の悲歌。〉

    ラヴクラフトが友人諸氏へ宛てた書簡から、ダンセイニ卿について触れた箇所を適宜訳出した自費出版本を今日、受け取った。巻末底本一覧に拠れば、アーカムハウス刊『Selected Letters』全5巻からではなく宛名人毎に編まれた書簡選から訳出したようだ。 まだぱらぱら目繰った程度に過ぎないが、きちんと読む日の訪れがいまから楽しみである。これだけまとまった形で、ラヴクラフト・トーキング・ロード・ダンセイニが日本語で読める機会はないから、その意味ではとても貴重な一冊といえるはず。感想等は別に認めるが、まさか初っ端から校正ミスに出会うとはおもわなんだ。 ちょうど部屋の片附けをしていて、ダンセイニ卿やラヴクラフト・スクールの作家たちの翻訳や原書、或いは研究書を詰めこんだ棚の整理へ取り掛かろうとしていた矢先これが届いたのは、一種の僥倖だと思うことにしたい。 先日、何年も前に書いた(実際は、..

  • 第3711日目 〈2024年はどんな一年になるんだろう?〉

    来年は──どんな一年になるんでしょうね? 色々あって苦労させられた、悲嘆の今年だったので、来年はその反動で喜ばしい事態が立て続けに出来する一年であってほしい。火事や盗難、事件や事故とは無縁で、お金に不安のない、好きな人が側にいる、健康で文化的な生活が送れれば、それ以外はなにも望まないのだけれど……。 本ブログに関していえば、当初読むと決めていた本を読み、うち幾つかの読書ノートを作ったら、憲法の勉強からは一旦離れる。そのあとはシェイクスピア読書マラソンへ比重を移そう。これは最低でも三年を予定するが、実質的には一ヶ月半程度の作業だ。並行して英語の学び直しもある。従前通り、聖書とその周辺に関しても読書は続け、折に触れて文章も書く。むろん、近世怪談の訳筆も執る。 こう話すと遅滞なく停滞なく順調に元日から大晦日まで進んでゆきそうだが、そんなことがぜったいにないのはブログ主たるわたくしが保証..

  • 第3710日目 〈第4000日目を目指して。〉

    未来が具体的に描けてきたのでようやくこんなことを書けるわけでもあるのだが、来年令和06/2024年09月のどこかで本ブログは第4000日目に到達できそうである。 平成20/2008年秋に開設して、更新を続けてゆくのが極めて困難な事態に幾度か直面し、その度いつ終止符を打つか不明の沈黙を余儀なくされたが、いま読者諸兄にお読みいただいている事実が証明するように、本ブログは16年目にして、いよいよ第4000日目を迎えられるメドが立った──。 勿論、この予定もこれから先、ありとあらゆる可能性に起因する深甚な肉体的精神的ダメージを喰らうことなく、不注意等による「更新(予約投稿)うっかり忘れちゃった、えへ現象」、その他考え得るすべての更新停滞要素が現実にならなければ、という前提あってのことなのは、敢えてお断りする必要もあるまい。 つまり、お前が怠けなければいいわけだな。どこかからそんな声が..

  • 第3709日目 〈鹿島茂『成功する読書日記』を読みました。──読書日記/ノートの作り方。〉2/2

    フランスの学生の挿話を振り出しにした鹿島茂が次に筆を進めるのは、いよいよ具体的な読書日記(読書ノート)の作り方、いわば実践を前にした読者へのアドヴァイス、であります。が、これがまた一筋縄ではゆかぬ、誰もが即座に真似できるものではないのです、とはあらかじめお断りしておきたい。 読者諸兄のためにアドヴァイスの見取り図を作ると、こうなります。①どこを引用したらよいか? ②引用だけから成るレジュメ(要約)を作る ③自分の言葉で要約するコント・ランデュに挑戦する ④批評に挑む 以上。核となるのは②と③で、④はむしろ添え物くらいに思うた方がよい。 では、まず、①読んだ本のどこを引用したらよいのだろうか? です。 これね、本当に迷うところがあると思うんです。ここを引用しようかな、と考えた途端にその前後も引いた方が分かりやすいかと思い始めたり、ここを引用しようと思うんだけどなんか主題や内容に..

  • 第3708日目 〈鹿島茂『成功する読書日記』を読みました。──読書日記/ノートの作り方。〉1/2

    読書ノートや読書日記の作り方、みたいな記事を見附けると、つい手を伸ばして読んでしまいます。なにか自分にフィードバックできる技術はないか、そんなことを期待してであります。 鹿島茂『成功する読書日記』(文藝春秋 2002/10)を読んだのも、最初はそんな期待あってのことでした。読み始めてすぐに打ち砕かるとは、つゆとも思わず。 最初に紹介されるのは、フランス留学中に知り合った学生です。この学生がわたくしには、南方熊楠のような人物と映ります。 「その学生はたいへんなインテリで勉強家、おまけに博引傍証自由自在という恐るべき男」で、「一発でバカロレア(大学入学資格試験)にも合格できたし、エコール・ノルマルというグランド・ゼコール(大学以上の超エリート校)にも入学できた」。 ──ここまではまぁ良しとしよう。外国の大学生の猛勉強ぶりは夙に知られたことでもありますから、これもその一例と..

  • 第3707日目 〈スタバで、フラウィウスに目を通す。〉

    フラウィウスが来たんだぜ。日を置かずして、ちくま学芸文庫で読めるヨセフスの代表的著書二つが揃い、訳者によるヨセフス概説書も届いた(うち一つは店頭引取・支払)。タイミングよく、べらぼうでない価格でそれらすべてが出品されて運良く買うことができたのは、何年も購入を迷うてそのたび諦めた、それでも遂に勇を鼓して購うた男への、ささやかなる福音と思うことにしたい。 なかなか時間の取れぬなかで試しに『ユダヤ古代誌』を、新共同訳聖書を傍らに置きながら開いてみる。ちくま学芸文庫版『ユダヤ古代誌』は前半三巻が旧約時代篇、後半三巻が新約時代篇という構成。時代区分を大まかにすれば、旧約時代篇は天地創造から族長時代・士師時代を経てイスラエル王国建設と王国分裂そうしてそれぞれの滅亡と旧約時代の終焉(列王記/歴代誌)まで、新約時代はセレコウス朝シリアのユダヤ支配とマカバイ戦争・ハスモン朝成立からヘロデ王の時代・「キ..

  • 第3706日目 〈書けない書評、読書感想文。〉

    官能小説の書評、感想文、って、どうやって書けばええんやろか? ここ一ヵ月ばかり、頭を悩ませている。「書くぜっ!」とSNSで、軽い気持で発信したのが徐々に重くのし掛かってきた(誰彼から催促されたわけでもないが)。自業自得? そんなつもりはないんだけどなあ。 大概の書評には、最低限認知された一定のフォーマットが存在して──大なり小なり個人差あると雖も──、官能小説もその例に洩れるものではない。が、その難しさはやはり他に比して格段である。 「この一冊」の感想文のために、(ジャンル、レーベル不問で)「官能小説」と括られる作物群の書評から、ネット上に間々見られる素人感想文まで、目に触れたものを読んでみたが……うぅん、これはわが手に余る作業であるなあ、と嗟嘆するばかりである。 お手本にできるような人が見附かればよいが、残念ながらそうした書き手に出合えない。『ダ・カーポ』誌に連載されていた..

  • 第3705日目 〈クムラン宗団についての備忘録。〉

    最初にお断りしておかなくてはなりません。本日第3705日目はあくまで覚書の域を出ず、今後の執筆に向けたわが備忘録の役目しか持たない。従って引用が9割、自分の文章が残り1割という結果になるでしょう(結果は……以下本文参照──えへ)。読者諸兄はどうかその点を認識の上、本稿にお目通しいただければ幸いであります。 ○ 死海写本は総称であり、クムラン写本はその一部を成す。クムラン写本とは、新約聖書に言及のないエッセネ派の信徒の集団が死海近くのクムランに移り、独自の教義と生活をした一派(クムラン宗団。クムラン教団とも)がパピルス紙に記した旧約聖書の写本である。クムラン宗団の根城たる修道院は死海の近くあった。 エッセネ派は洗礼のヨハネ(バプテスマのヨハネ)が属したとされ、イエスも一時期同宗派の人々と生活を共にしたとされる。この宗派がどうして新約聖書のなかで一度も言及されないのか、理由..

  • 第3704日目 〈趣味の問題、生理の問題。──近松闘争について。〉

    近松闘争は既に幾度も起きている。迎えるか、拒絶か。その争点は、対立双方の生理に求められる。好むか否か、だ。是非にも迎えるを望む男と、断固それを拒んで視界に入れたくない女。 数次にわたる近松闘争は、常に不毛な空気を孕んで、都度両者の表面上の和解で幕を閉じる。歩み寄っても双方の間に火種として燻る以上、闘争は終わらない。おそらくはよくわかっている。 これまでお目にかかったことのないようなお値打ち価格でいま、『近松秋江全集』全十三巻(八木書店)が売られている。秋江にそこはかとない愛着を抱く男と、その作物に生理的嫌悪感を隠さぬ女の、今回で何度目になるかの闘争だ。 置く場所ではなく、趣味の問題である。克服できぬ、妥協点すら見出せぬ、折り合い付くこと至難の生理の問題である。 双方が完全合意する日は来るか。男がすっぱり諦めるにしても、女が三行半をチラつかせて翻意を迫るにしても。 どう..

  • 第3703日目 〈新たなる聖書読書マラソンに備えた、「ほしい本」の願望。〉

    昨日ヨセフスのことを書いたあとで書架に詰まった本(溢れて棚前を塞ぐものを含む)と床から隆起した積ん読山脈を見渡して、さて、自分は聖書読書を今後も続けてゆくにあたって他にどんな本を必要とするか、どんな本を揃えておきたいか、考えてしまった。 幸いなことに邦訳聖書は新共同訳と最新の日本語訳である聖書協会共同訳を始め、新改訳、新改訳2017、フランシスコ会訳、口語訳、岩波訳、文語訳、バルバロ訳、幾つかの個人訳を手許に置くことができている。テキストは当面これで用が足りるはず。読書マラソンのテキストとして携行した新共同訳聖書旧約聖書続編付き(横組み)のように、使い倒してボロボロになれば同じ訳の新しいものを本屋さんで買ってくるだろうが。 見渡して、神学や研究書の類が然程目立たないことに気附いた。考えるまでもない。わたくしは敬虔なるキリスト者ではない。聖職者でもない。ゆえに神学書を読んでも却って..

  • 第3702日目 〈フラウィウスを待ちながら。〉

    遂に意を決してその本を買うことにした。その本、ではなく、文庫で出ているその人の著作と、その人について書かれた一冊、というた方が正確である。決断まで実に一年半を要した。 「日本の古本屋」サイトに出品(登録)されるたびに間もなく売り切れ、しばらくするとまた登録/出品→時絶たず売り切れる、が繰り返される。状態など出品店舗によって異なるけれど、全巻揃が目に触れる機会はゆめ多くなく──。 購入の覚悟を決めるまで一年半もかかったのは、迷っているうちに売り切れてしまったから、それが繰り返されたから、ばかりではない。こちらの求める状態の全巻揃がまったく現れなかったためでもない。お値段、なのである。 具体的な金額は書きたくない。ただ文庫一冊で数千円、全三巻、全六巻の揃となれば必然的に数万円、の計算となる。実際過去にわたくしは、全六巻揃帯一部欠・状態並・書込み破れ濡れ皺等なし、が36,800円で..

  • 第3701日目 〈告知は早いに越したことはないでしょう。〉

    まだブレイクする前のスティーヴン・キングがラジオかなにかに呼ばれて答えた台詞が、その後しばらくの間、かれの執筆スタイルの一部として伝えられてきた。曰く、「誕生日と独立記念日とクリスマスは(書くのを)休む」と。 21世紀になってアーティストハウスから邦訳が出た『小説作法』でキングは、「なにかをいわなくちゃいけない」からそう答えたのだと白状した(P175-6 池央耿・訳)。嘘っぱちさ、本当はそんなのに関係なく、毎日──365日──書いているよ。これが現実であるらしい。 さて、翻って本ブログ。キングの小説とは雲泥の差どころかそれ以上の、比喩さえ思い着かぬ程異なる本ブログだ。心に浮かびゆくよしなしことをただそこはかとなく書きつけるばかりの文章の集まりである。キングとの共通点を無理矢理一つだけ見出すとすれば、読者諸兄の目に触れぬ日が仮にあったとしても、それは毎日書いている、という一点に過ぎ..

  • 第3700日目 〈杉原泰雄『憲法読本 第4版』再読、始め。〉

    杉原泰雄『憲法読本 第4版』の再読を始めた途端、これは腰を据える必要があるゾ、と覚悟した。再読の必要は、最初に読んでいるときから痛感している。シャープペン片手に、じっくり、読み直す。そう望み、今日(昨日ですか)から再読を始めたのだが、── 「Ⅰ 現代社会と立憲主義」、40ページを三時間弱かけて読み返した。定規をあてて傍線と本文上の横線を引き、余白や行間にトピックや所感、疑問等書きこんでいたら、そんな時間が経っていた。前段階として、読みながら考えていた(考えながら読み進めていた)のは勿論である。 そんな風に再読を進めながら、あれ、としばしば思うたのは──俺はずいぶん前にも同じことをやっていた覚えがある。一つの書物を、いつ終わるのかまったくわからぬまま読み進めていたことが、あったよな。 程なく疑問は氷解した。いまなお本ブログの中核を成す、聖書読書ノートを粛々と進めていた頃の記憶が..

  • 第3699日目 〈「《シェイクスピア読書ノート》のためのメモ」のメモランダム。〉

    暇を見附けて耽っているのが、シェイクスピアの戯曲の版本、出版に関するメモ作りであります。何事もなければいまくらいの時季から、一ト月に一作程度の進みでシェイクスピアの戯曲を、ほぼ確定した執筆順に読んで、作品の背景や内容、感想、鑑賞ポイント、基にしたオペラや声楽曲の紹介など何回かに分けて書いていたのですが、障り事慶事などいろいろあって未だに取り掛かれていません。現時点では一年先延ばしての実施(なんだか消費税増税みたいですね)が、可能性としてはかなり濃厚……。 ただ、これを好機と捉えなくてどうするか、という内心の声もある。計画破棄ではなく計画延期なのです。開始は来年の仲秋から晩秋にかけてかしら、ともぼんやり考えている。いずれにせよ、一年の猶予ができた。ならばこの猶予期間を、シェイクスピア作品を読むための準備に充てればよいではないか。そう考えての、暇を見附けてのメモ作りなのであります。 ..

  • 第3698日目 〈トルストイはどこに行った?〉

    ついこの間、ようやく時間が取れたので新刊書店へ久しぶりに行って、長いこと買うを先延ばしにしていた海外小説の残りの巻を、がつっ、と摑んでレジへ運びました。それなりの重さが指先で感じられる。それは一冊出るたびに買うことせず、その時その時の事情で諦めていた(優先順位を下げていた)、気持の重さでもありましたでしょう。 とまれ、光文社古典新訳文庫から出ていて無事完結したトルストイ『戦争と平和』第四〜六巻を購い、帰り道の途中で寄ったスタバでぱらぱら目繰って閉店まで過ごしたのでした。そう、そのときはね、先の三巻は自宅にあると信じて疑わなかったんですよ。だって、数日前に並んだ背表紙を部屋の一角で目にしたばかりだもの。 全六巻が揃った。未読か既読かさておくとしても、せっかく揃ったんだから並べてあげたいじゃないですか。で、後半三巻を摑んで部屋に行き、さて最初の三巻を山の中腹から引っ張り出して並べてみ..

  • 第3697日目 〈三門優祐・小野純一編『アーカム・ハウスの本』を読みました。〉

    アメリカ中部ウィスコンシン州ソーク市に、アーカムハウスという出版社がある。生前殆ど知られぬまま亡くなった怪奇小説作家、H.P.ラヴクラフトの著作を出版することを目的に、親しく文通していたうちの一人、オーガスト・ダーレスによって設立された出版社だ。 少部数限定で、HPLの作品集以外は再版しない方針を貫いていたので、アーカムハウスの出版物は現在でも古書価が高く、その性質ゆえに時々ここの本を題材にした古書ミステリ、古書ホラーを見附けることができる。 三門優祐・小野純一編『アーカム・ハウスの本』(盛林堂ミステリアス文庫 書肆盛林堂 2023/03)は書誌に特化して余計な説明を一切省いた潔い一冊である。購入想定読者にしてみれば、アーカムハウスとはどのような出版社であるか、百も承知のはずだからこの潔さも却って美点となる。 が、もし本稿を目にして興味を持たれた(あまり怪奇幻想小説に関心を持..

  • 第3696日目 〈上林暁『命の家』を読みました。〉

    家族の前では、人目ある所では、読むこと憚られる短編集だった。 上林暁『命の家』(山本善行・編 中公文庫 2023/10)である。 著者の妻は戦前精神を患い戦後すぐに亡くなった。上林は空襲の激しくなる時期にも東京に留まり、入院生活を送る妻を見舞ってそばに居続けた。そんな日々の産物が、代表作「聖ヨハネ病院にて」をはじめとした〈病妻物語〉だ。本書はその病妻物語をまとめた一冊。然れどこのカテゴリーに入る作品はまだまだある、と編者はいう。 いまでこそ伴侶を得、子宝にも恵まれたわたくしだが、十代の後半に婚約者を病気で亡くした。その傷が、その哀しみが、その喪失感が癒やされることも、他のなにか(だれか)によって埋められることはなかった。からっぽの心を抱えて生きていたのだ。 そんなじきに、上林の小説を初めて読んだ。講談社文芸文庫の『聖ヨハネ病院にて・大懺悔』である。あのとき以上に病妻物語の..

  • 第3695日目 〈こんな読書体験も、たまにはある。〉

    本文たかだか300ページにもならぬ連作短編集であっても、やっとの思いで読み終え疲労の溜め息吐き、まさしく時間の浪費に憤慨して、床に叩きつけてあまつさえ踏みにじりたい本って、あるんだよな……。 秋以後に新しく読んだ単著の小説は、みな肩すかし、落胆させられるものばかりだ。どこの出版社からいつ出た、誰のなんという小説なのか、それは伏せよう。武士の情け? 否、諦め──倦厭だ。 このあとは杉原泰雄『憲法読本 第4版』に戻るが、かねてからの予定通り並行して、積ん読山脈のいちばん上でこれ見よがしに待機している北村薫『雪月花 ──謎解き私小説──』(新潮文庫 2023/01)を読む。楽しみである。 あれ、北村薫の小説は、『太宰治の辞書』(創元推理文庫 2017/10)以来? まさか!◆

  • 第3694日目 〈日本人のキリスト教文学・導入部。〉

    小山清の随筆「聖書について」にある。曰く、── 聖書は晦渋な書物ではなく、キリストは難解な人物ではない。「赤と黒」を読めばジュリアン・ソレルが解るように、新約聖書を読めばキリストが解るのである。ジュリアン・ソレルは素晴しい。けれども、それよりもはるかにキリストは素晴しい。聖書をキリストを主人王とした小説として見るならば、古来のどんな小説のどんな劇の主人公も、キリストの前には色褪せてしまうであろう。四福音書の主人公ほど魅力に富んだ、私達の持続的な関心を繋ぐ対象はないのである。(『落穂拾い・雪の宿』P331 旺文社文庫 S50[1975]/12) ──と。 首肯するよりない。四つの福音書と「使徒言行録」、パウロ書簡、公同書簡を読むと、著者の立場、キリストとの距離や関わりの深度、著者の思想等によって把握できるキリスト像に多少のブレはあっても、虚心に無垢に、されど能動的に新約聖..

  • 第3693日目 〈神保町の秋を愛す。〉

    つい数日前、〈東京には行かない。〉と仮にタイトルを付けた一稿を草してまだ内容が記憶に残っているうちから、多摩川を越えて中央線沿線の古本屋まで行ってきた。Webサイトから注文した、その古書店が自費出版及び委託の自費出版物穂を引き取りに、である。 最近は(仕事以外で)滅多に東京へ行くことがないから、引き取りに行く、というのを口実に、帰ってくる途中神保町に寄り道しようかな、という魂胆が実はあった。もうこの十数年、ご無沙汰している神田古本まつりも会期真ん中のウィークデイとあれば人混みも緩和しているだろう、然程不快の目に遭うこともないだろう、と思いながら。 そうして──於神保町。 21世紀になろうとしている頃、三井不動産が神田一丁目南部地域の再開発組合と一緒に大規模造成を行い、現在その地に建つのが神保町三井ビルディングと東京パークタワー。当時販社にいた関係でわたくしも当時プロジェクトに..

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