かみさんが亡くなってから。俺は毎日、泣いていた(と言うより“哭いていた”)。あまりにも強烈で激しい悲嘆に、俺の心が耐えられなかったのだ。そんな日々が、2年から2年半ほど続いたと記憶している。それを過ぎた頃、ようやく俺は、毎日泣くことがなくなった。ときおり
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
以前、テレビでこのCMを見かけた。このCMが始まると、俺はテレビに釘付けになってしまった。このCMに出てくる夫婦。夫役はリリー・フランキーさん、妻役は深津絵里さん。この夫婦、まるで、かみさんと俺みたいだ。 夫は会社員。会社では、職場のリーダー、管理職を務めている
通勤電車の中で、隣に知らない人が座っていても、話しかけようとは思わない。お互いに沈黙していても、気まずくなったりはしない。知らない人との間には、何の交流も無いのが普通だろう。だが、隣にいる人が知人であれば、そうはいかない。ランチに行く時や飲み会の時、ある
どうやら俺は、いまだに諦めていないらしい。諦めたつもりでいたけれど、心の片隅には微かな希望が蹲っている。明日こそは、今日よりも良い日になるはずだ。来週こそは、今週よりも穏やかな週になるはずだ。心のどこか奥底で、俺はそう期待しているみたいだ。だが、希望は捨
かみさんが元気だった頃。かみさんと俺は、毎年のゴールデンウィークに北海道に行った。ゴールデンウィークと年末年始は、かみさんの実家で過ごす。それは、俺たち夫婦の習慣だった。その習慣は、かみさんが亡くなってからも変わっていない。俺はコロナ禍の一時期を除き、ゴ
4月26日。かみさんの誕生日ではない。結婚記念日でもない。かみさんの祥月命日でもない。だが、俺にとっては忘れられない日付だ。かみさんが「癌かもしれない」と診断された日なのだ。かみさんから話を聞いた瞬間。俺の頭から血の気が引いた。全身の血液が、音を立てて足元に
俺もたくさんの人々と死別してきた。母方の祖父が死んだ。俺の実父が死んだ。父方の祖父が死んだ。父方の祖母が死んだ。かみさんの親父さんが亡くなった。その後、かみさんの親族(俺の姻族)も数人が亡くなった。そして…かみさんが亡くなった。俺のいちばん大切な人だった
昨晩のこと。また真夜中に目が覚めた。ここ最近、ずっと中途覚醒が続いている。時計を見ると、まだ午前1時半だった。喉がカラカラに渇いていた。俺は布団から起き上がり、水分を補給するためにスポーツドリンクを飲んだ。俺は周囲を見回した。何も聞こえてこない。空気まで
先週から全く疲れが抜けていない。ダルくてダルくて仕方がない。土日にゆっくり身体を休めれば、疲れも取れるだろう…と思っていた。眠れない日々が続いていたので、土日はたっぷり眠ることができた。それなのに、月曜日の朝になっても疲れは取れていなかった。ここ最近の傾
最愛の人が息を引き取ったあと。遺族の心の中は、カラッポなくせに、混乱してもいる。悲しみや絶望が襲いかかってくるけれど、自ら考えたり行動したりするエネルギーは残されていない。そんな心理状態のときは、ひとりぼっちになって、ひたすら悲しみたいはずだ。すべての責
年度の初めから仕事に追われている。メチャクチャ忙しくて疲れきってしまった。虚しい。馬鹿みたいだ。一生懸命に仕事に勤しむ自分が滑稽だ。いったい俺は、何のために頑張っているんだろう?いったい俺は、誰のために頑張っているんだろう?・・・今の会社に入って最初の2年
昨日の記事にも書いたとおり、ここ最近、疲労が溜まっている。いくら眠っても、疲れが取れない。そもそも、あまり眠ることができない。おかげで身体がダルくて仕方がない。心は深く沈み込んでいる。なぜ熟睡できないのだろうか。なぜ疲れが取れないのだろうか。心も身体も錆
最近、疲労が溜まっている。いくら眠っても、疲れが取れないのだ。どうやら睡眠の質が悪いらしい。かみさんが亡くなって以来。俺は「睡眠障害」になり、毎晩、睡眠導入剤を飲んでいる。そのため寝つきは悪くない。だが、真夜中の2時には目が覚めて、その後はほとんど眠れな
世の中には変な奴がいる。相手を罵倒して脅迫すれば、何でも思いどおりになると思っている奴。しつこく相手に粘着すれば、相手が根負けして自分のワガママが通ると思っている奴。相手が言ってもいないことを、さも言ったかのように装おって、被害者ヅラをする奴。自分が加害
かみさんが元気だった頃と、かみさんが亡くなってからと。比べてみれば、どちらにも辛くて苦しいことが多かった。とりわけ仕事に関しては、入社した3年目の4月から、ずっと辛くて苦しかった。だが、かみさんと一緒に暮らしていた頃は、辛いことも「辛い」と感じていなかっ
朝目覚めた瞬間。深い鬱(うつ)を感じることがある。目を開けたくない。布団から出たくない。会社に行きたくない。もう何もかもがイヤになってしまうのだ。ウィスキーでも飲めば、少しは気が晴れるのかもしれない。だが、出勤する前に酒に酔うわけにもいくまい。代わりに抗
何かが足りない。何かが決定的に欠け落ちている。その欠落の正体は、俺にも分からない。正体が不明なくせに、存在感だけはやたらと大きい。真っ黒で、真っ暗な空洞だ。巨大な質量を持ち、巨大な重力を持った穴だ。この穴は、周囲の人々からエネルギーを剥ぎ取り、全てを吸い
かみさんが癌研有明病院に入院していた時期のこと。ある日、かみさんが泣きじゃくりながら叫んだ。「プーちゃんを遺して死ぬのは嫌だ!」かみさんは死にたくないと言ったのではない。死ぬのが怖いと言ったのでもない。俺を遺して死にたくない。そう言ったのだ。・・・かみさ
先日の記事に書いたとおり、俺はギックリ腰になってしまった。普通は2週間程度で治るらしいが、いまだに痛みが治まらない。会社を休んで安静にしていたい。だが、仕事が忙しくて休むわけにはいかない。仕方がないので、腰にコルセットを巻いて、毎日フラフラになりながら出
かみさんが亡くなってから数日後のことだった。ある親族が、嘆き悲しんでいる俺を見て言っていた。これからだって、生きてれば良いこともあるよ~その親族はヘラヘラと笑っていた。理由は分からない。その親族の予想は大きく外れた。かみさんが亡くなって以来。俺の人生は悪
かみさんと俺は、仲の良い夫婦だったと思う。俺たち二人が思っていただけではない。かみさんの親族、かみさんや俺の友人・知人からも「仲の良い夫婦」と言われていた。かみさんが入院していた時も、看護師さんたちから「仲が良いですね」と言われていた。さらには、かみさん
かみさんが元気だった頃、俺は死ぬのが怖かった。とは言っても、人一倍、死を怖がっていたわけじゃない。誰もが死を恐れている、その程度に怖かっただけ、人並みに死が怖かっただけだ。四六時中、死について考えていたわけではないし、死に怯えていたわけでもない。いつかは
今年に入ってから調子が悪い。それまでも決して良くはなかったが、ますます悪くなっているようだ。先日の記事に書いた通り、ギックリ腰の影響もあるのかもしれない。仕事がうまくいかないというわけではない。大切な人間関係が壊れたというわけでもない。調子が悪いのは、俺
いちばんツラいのは、目が覚めた瞬間だ。最も不快で、最も破壊的な気分になるのは、目が覚めた瞬間だ。もう一度、意識を失いたくなる。意識を無くせば、何も考えずに済むし、何も感じなくて済むからだ。だが、十分に眠ってしまった後だ。もう一度、眠ろうとしても眠れたもん
自分の身体が疎ましい。自分の意識が疎ましい。自分の心が疎ましい。生きてることが苦痛だ。俺の人生、終わってしまった。うまくいかないことばっかりだ。自分の意思や責任と無関係なところで、いろんな問題が発生する。生きてることが、こんなに苦しくて、つらいことだった
世の中は、いつだって不条理で、不合理だ。大罪を犯した人間であっても、その罪が法律に抵触するものでなければ、誰からも罰せられることはない。他人を傷つけ、他人から奪い、他人を踏み台にする罪人たち。しかも、それらの行為に快感や悦楽を感じているような、異常な精神
先日テレビを見ていたら、札幌市北区の「新琴似」にある霊園が映っていた。霊園にやって来たのは4人家族。夫と妻、2人の子どもだ。4人とも笑顔で墓参りをしていた。4人は墓の前で手を合わせていたが、その表情は明るい笑顔だった。・・・かみさんの生前、かみさんと俺は、何
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「死ぬときは二人一緒がいいね…」と語り合っていた。だが、俺は心の中で思っていた。俺のほうが先に死ぬだろう…二人で長生きできるかもしれない。しかし、いずれ俺は、かみさんをひとり遺して先に死ぬだろう…理由は女性より男性のほ
昨日ブログの中で、俺は「悪い予感」がすると書いた。その予感が当たったようだ。いわゆる「反社」に取りつかれてしまったのだ。無茶苦茶な要求…自分の要求を通すために脅迫や恫喝を繰り返す…嫌がらせと言いがかり…嘘ばかりついている…そんな奴の相手をするのが3月29
令和6年4月1日。新年度の始まりだ。仕事の上で、昨年度からの懸案が残っている。部下の顔ぶれが大きく変わる(30人中6人が異動した)。年度初めのさまざまなイベント(儀式)にも参加しなければならない。やらなければならないことが沢山あるのだ。心身ともに疲れきっ
自分に甘えてくれる人がいる。自分を頼りにしてくれる人がいる。全身全霊で自分に寄りかかってくれる人がいる。それって、とっても幸せなことだ。伴侶に甘えてもらえること。子どもに甘えてもらえること。自分の最愛の人が、自分に甘えてくれること。こんなに嬉しいことはな
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かみさんが亡くなってから。俺は毎日、泣いていた(と言うより“哭いていた”)。あまりにも強烈で激しい悲嘆に、俺の心が耐えられなかったのだ。そんな日々が、2年から2年半ほど続いたと記憶している。それを過ぎた頃、ようやく俺は、毎日泣くことがなくなった。ときおり
2010年4月28日のこと。癌研有明病院の医師は、俺にかみさんの余命を告げた。医師は悲痛な表情を浮かべながら「余命は年単位ではない」と言った。この言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。俺の全身の血液が、頭から足元に下がっていくのを感じた。気が遠くなった。全身が凍えて
かみさんが元気だったころ。あの20年間を振り返ってみれば、賑やかだったけど、わりと平凡に生きてきたのだと思う。劇的な「変化」があるわけではなかったが、俺たち夫婦は満足で、いつでも穏やかに生きてきたな…と思う。どこにでもいる普通の夫婦。だが、それで良かったの
現在6月26日の午前7時15分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。この記事がアップされるのは6月27日。かみさんが息を引き取った日だ。毎年かみさんの祥月命日には、必ず休暇を取っている。今年も休暇を取ることになるだろう。たぶん俺は、飲酒欲求を抑圧し
断酒を始めてから、そろそろ1か月が経つ。アセトアルデヒドによる覚醒作用もないし、強烈な倦怠感も影を潜めている。睡眠導入剤の効果もあって、寝つきは良いし、熟睡できてもいるようだ。だが、良いことばかりではない。目覚めてからの数時間、強い鬱(うつ)と全身の筋肉
テレビを点けていると、ときおり葬儀会社のCMを見かけることがある。CMからは、「さようならが温かい」だとか、「30%の割引中です!」という声が聞こえてきた。大抵の人々は「良いCMだなぁ…」なんて思っているのだろうか。しかし、そこに最愛の人を亡くした悲しみは
6月21日(土)のこと。午前11時から、かみさんの法要が始まる。俺と義弟はタクシーに乗り、午前10時半には菩提寺に到着した。お供え物と花束をご住職の奥様に渡したあと、俺と義弟は待合室で時間が来るのを待っていた。毎年のことではあるが、かみさんの法要の日は厳かな気持
運の悪いことに、俺は「親ガチャ」に外れてしまった。毒親の下に生まれてしまったため、虐待されて育つことになった。俺の過去には悪夢のような記憶が山積している。虐待されてきた幼少期の記憶は、身体の中心から末端にまで染みついた。そのトラウマが、俺の人生に暗い影を
土日や祭日。家族のいない俺は、完全な孤独だ。話しかける相手もいないし、話しかけてくれるはずのかみさんもいない。そんなとき、友人たちのことを思い出す。今頃みんな、どうしているんだろう…なんて考えてみたりする。Aくんは子どもを諦めたけど、奥さんと仲良く暮らし
現在7月20日の午前7時16分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今日は定時で退社する。義弟(かみさんの弟たち)が上京してくれるからだ。そして21日には菩提寺に行く。例年通り、義弟と一緒にかみさんの墓参りに行くのだ。かみさんの祥月命日は6月27日だ
かみさんが亡くなったのは、6月27日のことだった。この記事がアップされる20日は、かみさんの祥月命日の1週間前になる。毎年、祥月命日の直前の土曜日には、かみさんの法要を行ってきた。今年も20日の金曜日、義弟が上京してくれて、21日の土曜日には、俺と一緒に菩提寺に行
かみさんが亡くなってから。俺は希死念慮に囚われた。世界でいちばん大切なモノを失ってしまったからだ。人生を共に歩んでいく伴侶を喪ったからだ。暖かい家庭を失ったからだ。未来に絶望してしまったからだ。そうだ。俺は消えてしまいたいのだ。だが、自死する度胸なんてあ
毎朝5時半くらいに目が覚める。だが、すぐに目を開けられるわけではない。光を見るのが疎ましい。身体を動かすのが億劫だ。なぜだか頭痛もしている。全身を不快な「何か」が満たしている。しかし、いつまでも目を閉じているわけにはいかない。苦痛を堪えて目を開き、俺は身
6月13日と14日。土曜日と日曜日で、仕事は休みだった。いずれの日も朝6時に目が覚めた。これまでであれば、目覚めた直後から酒を飲んでいた。カラッポの胃に流し込むウィスキーは、効果てきめんだった。すぐに酔いが回り、数時間後には意識を失った。しばらく眠った後、不快
平成22年の6月17日。かみさんが癌研有明病院に入院していたときのこと。かみさんが俺に言った。めぐりあえて良かった・・・・・・かみさんは、俺と出会えて良かったと言ってくれた。かみさんは、俺と一緒に暮らしてこられて良かったと言ってくれた。かみさんは、俺とともに人生
この記事をスマホで書いている現在。6月14日の午前4時19分である。自宅のバルコニーから空を見上げている。どうやら晴れているらしいのだが、薄暗くて判然としない。まだ「日の出」の前のようだ。空が暗いからだろうか。それとも疲労が溜まってきたからだろうか。あるいは脳
インドで旅客機が墜落したとのニュースが流れていた。離陸してから、わずか30秒後の墜落だったらしい。乗客は242人だった。昨晩そのニュースを見たときは、乗客全員が亡くなったのだろうな…と思った。しかし、翌朝のニュースでは、イギリス人の男性1人が生存していたとのこ
毎朝5時半くらいに目が覚める。かみさんの生前とは違い、スッキリ目覚めることはない。頭の中に霞が掛かっているかのようだ。全身の血液がドロドロになっているみたいだ。心が奈落に堕ちてしまったかのようだ。かみさんが亡くなって以来。目覚めた瞬間の爽快感がなくなった
俺はかみさんを喪った。たった一人の家族を喪った。自分の家庭を失った。そして…最愛の人を亡くしてしまった。祖父母とも死別した。実父とも死別した。叔父や叔母の中にも若くして亡くなった人がいる。同年代の友人も、何人か死んでしまった。だが、かみさん以外の人々との
かみさんが俺の隣にいない。周囲を見渡しても、かみさんの姿は見えない。かみさんは、どこに行ってしまったんだろう…俺はとても動揺した。だが、かみさんはどこかにいるはずだ。かみさんが生きていることを感じる。かみさんの息づかいと気配を感じる。すると俺は気がついた
とっくに諦めていたはずなのに…俺は心の底から思ったのだ。かみさんがいた頃に帰りたい。6月29日の午前3時前。真夜中に目覚めた直後のことだった。哀しかった。淋しかった。心細かった。だが、こればっかりは、どうしようもないのだ。誰かが手を差しのべてくれるわけではな
6月27日。かみさんの祥月命日だった。この日、俺は一日、自宅にいた。夕方から軽い不安感があり、俺はウィスキーを飲み始めた。グラスを傾けるスピードが、いつもより速かった。俺はすっかり泥酔してしまった。意識が朦朧とし、夜8時半には寝床に就いた。最初に目覚めたのは
会社から帰ってくると、いつでもかみさんが俺を出迎えてくれた。遅くまで残業し、午前0時を過ぎて帰宅しても、「先に寝てな」という俺の言葉をスルーして、かみさんは俺を待っていてくれた。かみさんはいつでも笑顔だった。いつでも家の中は明るくて、俺を包み込む「何か」に
6月27日。かみさんの祥月命日がやってきた。あれから、ずいぶん時間が経った。だが、俺には「ずいぶん時間が経った」という実感がない。1日という時間はとても長い。毎日を乗り切ることがとても苦しい。淋しくて、虚しい時間は、長く感じられるってことなんだろうか。それな
かみさんが癌だと診断されたとき。俺は主治医と二人きりになる機会があった。そして俺は、主治医に質問をした。かみさんは、どのくらい生きられますか?主治医の回答は残酷なものだった。余命は年単位ではありません…俺が期待した答えではなかった。俺は、奥さんは治ります
かみさんの祥月命日の法要が終わり、義母と2人の義弟は、北海道に帰っていった。法事という大きなイベントが終わり、少しは緊張もほぐれるだろうと思っていた。そうすれば、俺の交感神経の興奮も治まって、久しぶりに熟睡できるだろうと期待していた。だが、やはり眠れなか
かみさんが亡くなってからの数年間。俺はかみさんを探していた。かみさんの姿を求め、何もないはずの虚空に向かって腕を広げていた。かみさんの気配を探り、静まり返った空間の中で意識を研ぎ澄ませていた。だが…探したところで見つかるはずはない。確かに俺は、かみさんを
心と身体は区別できるんだろうか。精神と肉体とを別々に論ずることは正しいのだろうか。たしかに心理学のベースには「心身二元論」がある。身体とは別に、心という実体があるという前提に立たない限り、心を対象にした科学は生まれないはずなのだ。だが、心理学は科学ではな
かみさんが元気だったころ。俺にはたっぷり「自分の時間」があった。今より遥かに残業が多かったし、休日出勤も少なくなかったが、それでもたくさんの「自分の時間」があった。かみさんがいてくれたからだ。かみさんと一緒にいる時間。それは俺にとって「自分の時間」だった
この記事がアップされる6月21日の金曜日。俺が会社から帰宅すると、家の中には義母と2人の義弟がいるはずだ。3人は「おかえり~」と言って、俺を出迎えてくれるだろう。6月27日は、かみさんの祥月命日だ。この日の早朝7時前、かみさんは、俺と義母に看取られながら逝った。
かみさんが亡くなってから。俺は睡眠導入剤を飲まないと眠れなくなってしまった。ずいぶん長い間、薬に頼り、身体が慣れてしまったせいだろうか。それとも、ここ数ヶ月、精神的に追い詰められているせいだろうか。睡眠導入剤が、あまり効いていないようなのだ。寝付きは良い
6月17日の月曜日。いつものとおり、睡眠導入剤を飲んでから寝床に就いた。就寝時間は午後11時頃だった。それから何時間が経っただろうか。また夜中に目が覚めた。いつもの中途覚醒とは違い、決して不快な気分ではなかった。その直前まで、俺は夢を見ていたのだ。かみさんの夢
いつも夜中に目が覚めてしまう。その後は朝まで、ほとんど眠ることができない。さすがに疲労が溜まってきた。ダルくてダルくて仕方がない。どうにかして朝まで熟睡したい。ここ最近、ずっとそう思ってきた。16日の日曜日。夜の10時には眠気が襲ってきた。だが、俺は寝床に就
かみさんは神々しい笑顔で逝った。痛がることもなく、苦しむこともなく、眠るように穏やかに息を引き取った。最初に入院していた癌研有明病院であれば、あんなに穏やかには逝けなかっただろう。かみさんの転院を受け入れてくれた帯津三敬病院には本当に感謝している。転院は
まだまだ、やりたいことがたくさんあっただろう。見たいものだって、たくさんあったはずだ。聞きたいものだって、たくさんあったはずだ。食べたいものも、たくさんあったはずだ。行きたいところも、たくさんあったはずだ。死ぬということは、これらをすべて断念せざるを得な
現在6月14日の午前7時37分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。ここ2日ばかり、睡眠障害が悪化している。以前から悪化していたが、それ以上に悪化してしまったのだ。毎晩、睡眠導入剤を飲んでから寝床に入っている。だが、1時間半ほどで目が覚めてしま
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、自分たちの「死期」について、何度か語り合ったことがある。かみさんは、いつも言っていた。死ぬときは二人一緒がいいよね…二人で一緒に死ねたらいいね…俺は笑顔で応じた。そうだね…仲良く暮らしてきた二人。これからも仲良く暮ら
6月27日は、かみさんが俺を遺して逝った日だ。現在6月12日の午前7時24分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。21日には、義母と2人の義弟が北海道から上京してくれる。22日の土曜日には、俺と一緒にかみさんの墓参りをしてくれることになっている。かみさ
ふとした瞬間、かみさんを想い出す。かみさんの満面の笑顔。かみさんの明るく元気な声。かみさんの仕草。かみさんと交わした何気ない会話。想い出した瞬間、俺はほんのりと幸せな気持ちになれる。かみさんと散歩をしたこと。かみさんと旅行を楽しんだこと。かみさんと食事を
先日のブログに書いたとおり、ここ最近、ずっと熟睡できていない。夜中の2時とか3時半とかに目が覚めて、その後は朝まで眠れない日々が続いている。そのせいだろう。いわゆる「睡眠負債」が貯まっているらしい。週末の日曜日のこと。いつものとおり、午前3時に目が覚めた