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  • 日常からの脱皮、そして新たな仕事への意欲を!

    新型コロナ感染者数が減少している。知らない土地で、知らない人ばかりの中でそして、自然の中で・・・・・。自分を解放することの気持ちよさを感じる。そして新たな仕事への意欲を!※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。日常からの脱皮、そして新たな仕事への意欲を!

  • 互いに顔を見つめて、聴こう、話そう

    だれかが話しているときには、その人の目を見よう。だれかが意見を発表しているときには、その人のほうに顔を向けよう。・・・わたし自身、学校時代に、先生の顔をじっと見つめていると、心があらぬ方にさまようのを防ぐ効果があることに気づいた。前の席の子どもの頭や自分の鉛筆を見つめていると、すぐに気持がほかにそれるのに、先生の顔を見つめていれば、もうそれだけで授業に集中できることを知ったのだ。だから、いまのわたしは授業中にはいつも全員の目が自分に注がれているようにすることに心を砕いている。そうすれば、わたしにも子どもたちの表情がよく見え、彼らが授業内容が理解できなくて困っているのか、あるいは授業を楽しみ、集中しているのかがわかるからだ。・・・子どもは安心感を求めると同時に、威厳をもって自分たちを管理監督してくれる人物を求めて...互いに顔を見つめて、聴こう、話そう

  • 学校の朝のスケッチ

    家庭での「早寝、早起き、朝ご飯」が叫ばれているが、学校生活で考えるとこの「早起き」に当たる部分は、「朝の運動」であろう。それがなかなかできにくい状態にある。いや、できにくい状態にある以前に学校や教師はこのよさに気づいていないのかもしれない。私が学校の理想とする「朝のスケッチ」を描くとすれば、およそ次のような状態である。朝7時過ぎに子どもたちがぼつぼつ登校してくる。子どもたちは、教室で体育着に着替えて、三々五々校庭に集まってくる。校庭の子どもの数がどんどん増えてくる。グランドを走る子ども、ドッチボールをする子ども、サッカーをする子ども、鉄棒をする子ども、鬼ごっこをする子ども。その中に混じって子どもと一緒に運動をする教師の姿が見られる。そして、8時になると、もう校庭は運動をする子どもたちでいっぱいになる。あちこちか...学校の朝のスケッチ

  • 自覚と随意が必要6年生「台上頭支持前方転回」の指導

    次の文章は私が光明小学校に勤務していたときに書いたものである。6年生の先生方が運動会に向けて跳び箱運動である「台上頭支持前方転回」の指導をしていたときのものである。今振り返ってみると、この指導の中に「自覚と随意」に関することが入っていることに気づく。紹介しよう。6年生は学年全体で、体育の器械運動である「台上頭支持前方転回」に挑戦している。運動会での発表演技に向けてである。この種目はけして簡単にできるものではない。私は6年の先生が、この種目を選定したことに大きな意義を感じている。簡単にできる種目をたくさんやらせても子どもの教育にはならない。「できないもの」を工夫を重ねて「できるようになる」そのことが子どもにとって大きな自信や喜びになるからである。また、教師としては、指導技術の向上につながるからである。何回か授業の...自覚と随意が必要6年生「台上頭支持前方転回」の指導

  • 学校は工場(こうば)になりえるか

    【ザリガニを探す子どもたち】佐久間勝彦先生は、『事実と創造』教育誌「教師のこころの扉をひらく」において小関智弘氏の著書から次のような文章等を紹介している。小関さんは「こうじょう」と「こうば」について、その規模で使い分けることをしない。「工場」になる施設を、何から思い浮かべてその映像を描くか。私たちの視座の違いによって、読み方が異なると言う。つまり、「工場(こうじょう)」と言うとき、人はまず「建物」を思い浮かべ、それから、そのなかで働いている「機械」に目線を向け、そして、そこで「人間が何やら仕事をしているという光景」を視野に入れる。それに対して、「工場(こうば)」と言うときは、まず「作業服姿の人間」が大きく目に入ってくる。それから、その人が使っている「機械」に目が移り、最後に「機械を囲う建物」が視界に入る。※※※...学校は工場(こうば)になりえるか

  • ああ!どうしてアブラゼミはこんなにアホなのか

    今日はまた、改めてアブラゼミのアホらしさがわかった。今までの私の体験では、人の背中にとまって「ジージー」と鳴くのはアブラゼミ、干してある洗濯物のシャツにとまって鳴くのもアブラゼミ、地面でバタバタと羽をばたつかせているのもアブラゼミ、家の中に飛び込んでくるのもアブラゼミ、アリに引かれた行くのもアブラゼミ・・・・・である。今日見たのは、歩いている人の日傘にとまって平然と「ジー、ジー」と鳴き出した光景である。(写真をよく御覧ください)あまりのアブラゼミのアホ、いや、おもしろさ、楽しさに笑ってしまいました。ツクツクボウシが鳴き出しました。まだ残暑は厳しいですが確実に季節は変化してきています。みなさんご機嫌よう。※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行い...ああ!どうしてアブラゼミはこんなにアホなのか

  • 先生方、夏季休業中に読書を!

    夏季休業中も忙しいだろうが、教師は読書をしてもらいたい。普段はなかなか読めないからである。ここでは、日本の教育者の実践にふれてほしい。文科省や教育委員会からくる、ややもすると末梢的で対症療法的な教育ではなく、子どもや教師が真に育つ実践を示唆してくれるからである。下記の実践者は時代を超えて、教育の大切なものを教えてくれている。是非お薦めする。特に小学校教師は、斎藤喜博の著書を読んでほしい。それは、ある教科だけに偏るのでなく授業と行事を中心にして、子どもを育て、教師を育てたからである。それも今までになかったような、また、今後もあらわれることのないよな質の高い実践をつくりだした教育者だからである。斎藤喜博の本「授業入門」「授業」「授業の展開」「教育学のすすめ」「教師の仕事と技術」「一つの教師論」他多数あります。これら...先生方、夏季休業中に読書を!

  • ほんとうの教師の仕事が・・・

    「浜松授業研究の会」研修の様子「教師の仕事」ということで次のような文章があった。抜粋すると○職員室の雰囲気が変わって教師同士が語り合う時間が少なくなり、教育の技術を磨き合うことが難しい時代になった。○十数年前、「情報化」が学校の流行語になった。最近の教育界は往々にして、絶対化された言葉によって一斉に突っ走る。行政の施策に個人の持ち込みが重なり、職員室のパソコンが急増した。・・・・・同時に思わぬ事態が発生した。ひたすらパソコンに向かい続け、同僚や生徒と話をしている間も画面から目を離せないような「多忙な」教師が増えたのだ。そのため職員室の会話は少なくなり、従来指摘されてきた教師の孤立化傾向が急加速した。○一見すると時間の無駄のように見える雑談は、児童・生徒に関する指導に当たるための機会だった。教科指導や生徒指導など...ほんとうの教師の仕事が・・・

  • 子どもの顔がきれいになるとき

    ○感謝しているとき○感謝されるとき○褒められたとき○何かに挑戦しているとき○難しいことができたとき○自然の中におかれたとき○素晴らしい芸術作品にふれているとき○自分から表現しているとき○内容のある話を聴いているとき○多人数で遊んでいるとき○美味しいものを食べているときこういう世界を子どもの中に多くつくってやりたい。子どもの顔がきれいになるとき

  • アルファ読みからベータ読みへ

    子どもの作品より「わたしの知的生産の技術」(講談社)を読んでいたら、私たちが学んでいる「課題追求型授業」に深く関係するような記事を見つけた。タイトルは「アルファ読みからベータ読みへ」外山滋比古著である。特に「文を読む」とはどういうことかである。課題追求型の国語の授業の教材解釈や授業をすすめるに当たっての強い味方になると考え、少し長くなるが以下紹介する。「読む」という言葉が簡単に使われていますが、「読む」ということはどういうことか、基本的なことはほとんど考えられていません。実はこれは非常に複雑なことであって、「書く」ことよりもひょっとすると、いっそう面倒なことではないかと思います。(中略)読みには2つの種類があります。前の晩にテレビで見たプロ野球のナイターの経過を翌朝、スポーツ新聞で読むのは、既に分かっているもの...アルファ読みからベータ読みへ

  • 自覚と随意が必要6年生「台上頭支持前方転回」の指導

    次の文章は私が光明小学校に勤務していたときに書いたものである。6年生の先生方が運動会に向けて跳び箱運動である「台上頭支持前方転回」の指導をしていたときのものである。今振り返ってみると、この指導の中に「自覚と随意」に関することが入っていることに気づく。紹介しよう。6年生は学年全体で、体育の器械運動である「台上頭支持前方転回」に挑戦している。運動会での発表演技に向けてである。この種目はけして簡単にできるものではない。私は6年の先生が、この種目を選定したことに大きな意義を感じている。簡単にできる種目をたくさんやらせても子どもの教育にはならない。「できないもの」を工夫を重ねて「できるようになる」そのことが子どもにとって大きな自信や喜びになるからである。また、教師としては、指導技術の向上につながるからである。何回か授業の...自覚と随意が必要6年生「台上頭支持前方転回」の指導

  • 互いに顔を見つめて、聴こう、話そう

    だれかが話しているときには、その人の目を見よう。だれかが意見を発表しているときには、その人のほうに顔を向けよう。・・・わたし自身、学校時代に、先生の顔をじっと見つめていると、心があらぬ方にさまようのを防ぐ効果があることに気づいた。前の席の子どもの頭や自分の鉛筆を見つめていると、すぐに気持がほかにそれるのに、先生の顔を見つめていれば、もうそれだけで授業に集中できることを知ったのだ。だから、いまのわたしは授業中にはいつも全員の目が自分に注がれているようにすることに心を砕いている。そうすれば、わたしにも子どもたちの表情がよく見え、彼らが授業内容が理解できなくて困っているのか、あるいは授業を楽しみ、集中しているのかがわかるからだ。・・・子どもは安心感を求めると同時に、威厳をもって自分たちを管理監督してくれる人物を求めて...互いに顔を見つめて、聴こう、話そう

  • 高貴なコドモ

    高い文化にふれる「オペレッタを表現する子どもたち」司馬遼太郎著「風塵抄」の一節に次のような文がある。ふつう世間に早く出すぎると、自分のなかのコドモの部分が干からびてしまう。人間はいくつになっても、精神のなかにゆたかなコドモを胎蔵していなければならない。でなければ、精神のなかになんの楽しみもうまれないはずである。いい音楽を聴いて感動するのは自分のなかのオトナの部分でなく、コドモの部分なのである。また小学生のだれもが、担任の先生を尊敬するように、他者に偉大さを感ずるのも、コドモの部分である。小学生は、清楚な女性教師に聖性を見出す。この精神が生育してゆくと、青年期になって充実した恋ができる。不幸にも若くしてコドモを干からびさせてしまった場合。具体的なものー性愛ーにかたよらざるをえない。人は終生、その精神のなかにコドモ...高貴なコドモ

  • どんな子どもに、どんな授業に、どんな学級にしますか

    【心を込めて歌える子どもたち】新年度が始まりました。新しい子どもや学級を受け持って先生方は今どんな考えで、学級づくりや授業づくりしているだろうか。「学級目標や学年目標にあるような子どもに育てよう。」「教科は、こんな題材や教材が出てくるので、分かりやすくしっかり教えよう。」だけでの意識では到底ダメです。そうでなくて、もっと具体的に、どの時点で「どんな子ども」「どんな授業」ができるようにする。そのためには、今からどんな指導をしていくか等の計画がなければいけません。そして実行しなければなりません。例えば、○1学期中には、無言清掃が必ずできるようにさせよう。そのためには見届けと評価と賞揚をしっかりしていこう。○子どもの「1分間スピーチ」では、ここまでの話ができるようにして、3月には、保護者の前で発表会をやろう。○学習発...どんな子どもに、どんな授業に、どんな学級にしますか

  • 授業の見方、授業のあり方

    これは、安里盛市著書「林竹二・斎藤喜博に学んで」一莖書房発行の本からの抜粋である。今教育界では、私を含めて多くの先生方が授業を大変形式的に見ている。見ようとしている傾向がある。「ほんとうの授業とはどういうものか」ということをあまり知らないとも言えよう。そこで、授業の見方、授業のあり方に関して、なるほどと思われる文章があったので、その一部を抜粋し掲載してみた。授業は、林竹二先生の「人間について」の授業を参観した安里盛市先先生と授業を受けた子どもたちの感想による。○林竹二先生の授業の特徴は、子どもたちが、いやでもおうでも、考えざるをえないような問題を投げかけることから出発する。・・・その問題は、いともかんたんに解決がつくようにみえて、その実、とてつもない大きな問題につながっているということである。そのことが、それ以...授業の見方、授業のあり方

  • 教師の専門性とその効果

    「浜松授業研究の会」研修風景教師の仕事は多岐に渡っていが、その中で一番大切なのは授業である。そのためには、教材調べ(教材研究、教材解釈)があり、次に授業構想(単元・それぞれの1時間)、教師としての課題づくり、発問づくり等である。次に大事な仕事は、子どもの提出物をチェックするなどであろう。これらが十分できれば、かなり楽しい授業、分かる授業ができるだろう。子どもの生徒指導上の問題も半減するものと思われる。しかし、現実には、あまりにも教育行政からの提出書類、出帳等の仕事が多い。また、校内においてもどうでもいいような仕事を持ち込んでしまうこともある。これでは前述した仕事ができにくくなってくるのは当然である。教育行政も学校も何が子どもの教育にとって大切なのか、もっと考えなければならない。そのことが子どもの教育効果を上げる...教師の専門性とその効果

  • 哲学、思想が持てない教育現場

    【子どもの作品】文科省や教育委員会の小手先、対症療法的な改革、右から左へ、一方から一方の端へと大きく揺れ動く改革、これこそ教育の哲学、思想がないと言えよう。現場は現場でその学校や校長の哲学、思想があまり見えてこない。楽しい学校をつくるとか、分かる授業をつくるとか、思いやりのある子どもをつくるなどは当然のことであって、教育哲学とか思想などと言えたものではない。大切なことは、その学校や校長の強い明確な願いやビジョンがあることである。また、楽しい学校をつくるとか、分かる授業をつくるとか、思いやりのある子どもをつくるなどというようなスローガンだけでなく、これらを具現化するにはどうしたらよいかという具体的な方策が必要である。そしてさらにその実践力がなければならない。そのためには、校長は、自ら先進校である学校を視察したり、...哲学、思想が持てない教育現場

  • 学校の文化

    会員の実践「表現活動」学校はハード面つまり、ハコものと制度はしっかりしているが、その中に流れるソフト、文化の面が貧弱である。そして、どこの学校もほぼ同じである。それぞれの学校の授業や行事などの文化が途絶えてしまったのか、それとも最初からなかったのか?。とにかく、その学校独自のものが少ない。その学校で練り上げてきたものが見あたらない。洗練されてきたものがない。例えば授業では、どこも同じような方法で教えている。行事でもその形式と内容がほとんど同じである。これは変に教育の機会均等である。これでは学校の質的向上は得られない。意識的に新しいものを見たり、価値観の異なるものを見たりしていかなければいけない。それぞれの学校は内側から変えていく必要がある。※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修で...学校の文化

  • 2つの国語教材の共通した解釈から

    ◎その1大造じいさんとがん残雪の目には、人間もはやぶさもなかった。ただ、救わねばならぬ仲間の姿があるだけだった。いきなり、敵にぶつかっていった。そして、あの大きな羽で、力いっぱい相手をなぐりつけた。スーホの白い馬大きなおおかみが、ひつじにとびかかろうとしています。そして、わかい白馬が、おおかみの前に立ちふさがって、ひっしにふせいでいました。上記の2つの教材文での共通性○残雪(がん)とやぶさの関係はどうか残雪(雁)=冬鳥。湿原、沼などに群生しする。食物は雑草、穀類、野菜などが主である。はやぶさ=カラスくらいの大きさ、小鳥からハト、ガン、カモなどを捕食、獲物の上空から下方の獲物に向けて滑空して加速し、獲物を足で蹴り落とす。蹴落とされた獲物は、ほぼ即死か、失神状態であり、それを空中でキャッチする。このようなダイナミッ...2つの国語教材の共通した解釈から

  • 「浜松授業研究の会」について

    子どもの作品(6年生)この会は、月に一度現役の教員が集い、授業実践の報告や検討を行っている。これまでに延べ約1600人を超える教員が参加し、授業改善の議論を深めている。最近では、学習指導要領に新たな教育内容が盛り込まれたことから「その変化に対応できない」という教師からの悲痛の声が多く出されている。私たちは、学びの量が増えれば、教師中心の授業になり、子どもの思考の阻害や学習の楽しさを奪うことなど憂慮している。大切なことは、与えられた「教育内容をこなす」のではなく、教育の「質」を高めることである。当研究会では、具体的に授業実践を通して教材の捉え方、課題や発問のあり方を追求している。※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授...「浜松授業研究の会」について

  • 第104回「浜松授業研究の会」開催案内

    【理科の授業より】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変わる、授業...第104回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 第103回「浜松授業研究の会」開催案内

    【講師の指導による表現活動】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変...第103回「浜松授業研究の会」開催案内

  • コロナ禍に考える学校の文化

    新型コロナウィルスの影響で学校は一斉休校となり、授業や行事が例年のように行かなくなった。そのことは残念である。しかし、この際、学校の文化を見直すチャンスでもある。学校はハード面つまり、ハコものと制度はしっかりしているが、その中に流れるソフト、文化の面が貧弱である。そして、どこの学校もほぼ同じである。とにかく、その学校独自のものが少ない。その学校で練り上げてきたものが見あたらない。洗練されてきたものがない。例えば授業では、どこも同じような方法で教えている。行事でもその形式と内容がほとんど同じである。変に教育の機会均等である。これでは学校の質的向上は得られない。意識的に新しいものを見たり、価値観の異なるものを見たりして、それぞれの学校は内側から変えていく必要がある。それがコロナ禍に考え、変革していくチャンスでもある...コロナ禍に考える学校の文化

  • 問題解決学習・自力解決学習の考え方とその方法

    「浜松授業研究の会」の様子初任の先生や若い先生の指導、いやベテランの先生の指導のなかにも、あまりにも系統的な教え込みの指導をしている先生を見るときがある。家庭で親が子どもに教えているような指導である。ちっとも子どもに考えさせない。発見させるということのない指導であり、教科書に書いてあることを事細かに順序立てて教えていく。子どもは受け身になり、つまんなそうな顔をしている。このような教え込みの指導は、知識としても身に付いてかない。そこで少しでも問題解決学習的な指導ができるように、その方法のおおよそを記してみる。参考にしていただけたらと思う。○心構え問題解決学習は、子どもも教師も、「この問題は難しい」「初めてやる学習」だからできるわけがない。と思っているかぎり、この学習法は成立しない。まず大切なのは教師が子どもの可能...問題解決学習・自力解決学習の考え方とその方法

  • 2020年、新学習指導要領を迎えて、学校教育の「質」をどう高めるか、これが難しい

    「浜松授業研究の会」の研修風景クオリティ「質」に対する言葉はクオンティティ「量」であって、とかく学校教育はあれもこれもと盛りだくさんになりやすいが、量的な対応が多くなると形式的に「教育内容をこなす」ことだけに精一杯になりやすい。実のところその危惧は新教育課程にもある。主要教科の授業時数のみでなく、新たな教育内容が盛り込まれたことから「教育内容の変化に対応できない」という教師が増加しているという実態がある。加えて、地域や保護者からの要望が多様化していることもある。与えられた教育内容をこなすだけの「あるがまま」の学校教育に安住するのではなく、教育の質を高める学校教育を創り出すというクオリティ・スクールの実現が、これからの学校が目指すあり方になると考える。教育創造研究センター所長高階玲治上記の高階玲治所長の「学校教育...2020年、新学習指導要領を迎えて、学校教育の「質」をどう高めるか、これが難しい

  • 心身が開かれた子どもたちの姿

    心身が開かれた子どもたちの姿子どもたちの学級での様子を見ていると、「ああ!いいなー」と思うことや感じることがある。子どもの顔が輝き、心身がやわらかくなり、子どもたちの周りの空気がパーと明るくなる。そんなときは、何か原則があるようである。例えば○授業の内容がよく分かったときやできたとき○学校行事などの活動が成功したとき○先生や友だちから褒められたとき、認められたとき○自分のしていることが上手くいったとき○みんなが自分の力を十分に発揮できたとき○子どもと子ども、教師と子どもがつながり合っているとき○友だちの失敗や悪戯を許し合えたときなのであろう。そんなときは、子どもたちの心が開かれ、とっても明るい顔になる。体全体に喜びがあふれてくる。学校生活に張り合いを感じてくる。教師はそういう子どもたちの姿をしっかりと捉えたい。...心身が開かれた子どもたちの姿

  • こんな授業をしたい、こんな子どもを育てたい

    斎藤喜博、宮坂義彦、大槻志津江、戸田淳子・・・追求方式の授業と目指す教師は幸せである。今、現場の多くの教師は、目指す教育法、授業法を持たない。何か今までの惰性で、その日暮しで仕事をしてるように思えてならない。もちろん、どんな教師もこんな授業をしたい、こんな子どもを育てたいという願いは持っている。しかし、それを達成するための術を知らない。何を目的に、どのように勉強したらよいのかがわからない、知らない。残念なことである。イチロー選手は、大リーガーで年間200本安打を9年連続で達成して大記録を打ち立てた。イチローは、いつも目標に向かって努力を積み重ねていた。だからすごい仕事ができるのだ。人間も技も伸びていく。教師だって同じだろう。目標を持った教師は幸せである。こんな授業をしたい、こんな子どもを育てたい

  • 授業の「展開」をどのように捉えるか

    多くの教師は「授業の展開」(学習指導案での展開)をどのように捉えているだろうか。私の見ているかぎりでは、展開=①繰り広げる②平に広げる(広辞苑)・・・と捉えている。つまり、教材研究してきた指導案を子どもの前に広げ示し、「さあ、これを考えなさい、これを解きなさい」という感じである。そして、それができる限り支障なくスムースに進むことをよいこととしているようである。だから、指導が一方的になったり、平板になったり、羅列的になったりすると言えよう。授業における「展開」とはどういうことか、その考えを変えていかなければ授業は変わらないのである。斎藤喜博は授業が「展開」するということは、授業のなかに①教材とか②教師や③子どもの思考とかからくる④矛盾が起こり、教師と子ども、教師と教材、子どもと子ども、子どもと教材との間に、⑤対立...授業の「展開」をどのように捉えるか

  • 教員は専門職か?初任者研修は?

    新型コロナで子どもも教師も大変だと思います。はやく再開できるといいですね。【講師の先生から指揮法学ぶ現場の教師】教員の職業を「聖職」とか「専門職」とか「労働者」とか、まあ、いろいろと言われる。多くは専門職と言われることが多いだろうか。しかし、専門職などと言われても、それにはほど遠ものだと私は感じている。例えば医師の世界ではどうだろうか、医大において学生は、教授が行う医療処置を直接見て学ぶ、インターンの時代には、やはり教授の助手をしながら学ぶ、そして、こんどは自分で教授の指導を直接受けながらする。これが一般的である。職人の世界ではどうだろうか。例えば大工ならば棟梁の仕事を直接見て学ぶ、盗む。棟梁の直接の指導のもとで技術を磨く。教員の世界ではどうだろうか。大学で教職課程を選択する。教育原理や心理学などを講義で受ける...教員は専門職か?初任者研修は?

  • 「浜松授業研究の会」で学んでみてはどうですか

    ○「浜松授業研究の会」の設立の目的一つの授業にじっくり時間をかけて取り組むことができない。中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態であると思われる。そして、それらがあまり問題視されず、改善されていないようである。その理由は大きく2点あげることができる。その1つは、教師が、子どものほんとの力の凄さを知らないからである。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからである。だから子どもの力を見くびってしまい。「これでよし!」と思っているからであろう。また仮に子どもの力を認めていても、どうしたら子どもの真の力を引き出すような授業がつくれるのかその方法を知らないからである。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難である。同僚や先輩教師に教えを請...「浜松授業研究の会」で学んでみてはどうですか

  • 第100回「浜松授業研究の会」の成果と課題

    【研究会の様子】1豊富な実践の紹介がされた○多くの先生方(24名)が参加してくれた。○漢字学習の取り組み・プログラミングの学習・図工(自画像)・国語「モチモチの木」の実践・合唱、オペレッタ・学級づくりなどの多くの実践発表があった。○国語「モチモチの木」模擬授業・・・石井先生より2今後の「浜松授業研究の会」としての対応はどうするか。・教材等の軽重をつけての指導をする。それは、新学習指導要領による英語の教科化、プログラミング教育、AI教育、パソコン、タブレット活用などの学びが導入されるため。・主体的で対話的で深い学びの授業の展開をする。・生活指導も主体的な行動ができるように指導する。・できるところから着実にやっていくことにより、子どもの小さな変化に気づくようになる。そうすることにより、教師は、よしやってみよう、続け...第100回「浜松授業研究の会」の成果と課題

  • 第100回「浜松授業研究の会」開催案内

    【会員の指導による子どもの絵画作品】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「...第100回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 歌声指導について・・・歌詞の解釈が大切

    今回は歌詞の指導を重点においたものです。歌声指導をする場合、歌詞のことをあまり話し合いません。それでは表情のある歌声にはなりません。「ビリーブ」の指導を例に記す○「たとえば君が傷ついて」・・・君とはだれでしょう?友だち、家族というように具体化することにより、歌を自分のものにする。○「くじけそうになった時はかならず僕がそばにいて」・・・「かならず」は、ぜったいという意味ですね。「そばにいて」は、その友だちに近づくように、気持ち体も前に出してみよう。○「ささえてあげるよその肩を」・・・「ささえる」ってどういうこと?意味の理解をさせる。だれをささえるの?○「世界中の希望のせて」・・・世界は広いよ。今の歌声は、この運動場ぐらいしかないよ。世界は日本より広いよ。もっと大きく広げてください。きれいにね。体を使ってね。○「い...歌声指導について・・・歌詞の解釈が大切

  • 子どもの廊下や階段の歩行について

    子どもたちの廊下や階段の歩行は、「走る」「足音を立てる」「大きな声でしゃべる」のどれかに入る。いや、これらの幾つかを含めた歩行が多い。指導してもなかなかよくならない。だから、どこの学校でも永遠の課題だと言われている。しかし、このような歩行を永遠の課題だとしてすませるわけにはいかない。他人に迷惑をかけている以上、子どもだといえそのままにしておくわけにはいかない。どうしたらよいのか。まず、授業等で教室から特別教室や体育館への出入りの移動を指導する必要がある。①話をしないで歩く②並んで歩く③走らないで歩く④胸を張って歩く⑤目的を持って歩くである。全員の教師の指導(ここが大切である)と子どもたちの努力により、これはかなりよくできるようになる。特に目的を持って歩くことは大切である。体育館で校長先生の話を聞く、音楽室で歌や...子どもの廊下や階段の歩行について

  • 第99回「浜松授業研究の会」開催案内

    【講師の指導による表現活動】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変...第99回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 謹賀新年

    謹賀新年新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。私は新年を迎えるといつも次の俳句を思い出します。○初暦知らぬ月日の美しく吉屋信子年が明けて新しい暦を使い始めます。この句には、新しい暦にこれからどのような月日が重ねられるのか、期待と願望が込められています。今年も多くの皆様に幸せの日々が訪れますようにお祈りします。※授業研究の会(浜松の会)開催日のお知らせ第99回2020年1月11日(土)9:0~12:00天竜壬生ホール第1会議室※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。謹賀新年

  • 「授業がうまくできたとき」どんな思いがあるか

    私の長年の教職経験において「授業がうまくできたとき」以下のような自分の感想や学級の子どもの変容があった。改めて授業の大切を思う。○授業がうまくできたとき、授業という仕事が、面白くやりがいのある仕事であり、一生つづけていきたいものであるとしみじみと思った○授業がうまくできたとき、子どもと本当の意味で一体になれた幸せを感じた。○授業がうまくできたとき、仕事の不安が一番とり除かれた。○授業がうまくできたとき、部活動でよい成績がとれたときよりも嬉しく感じた。○授業がうまくできたとき、子どもたちは明るくなり、素直になった。○授業がうまくできたとき、子どもたちはどんな困難にも立ち向かっていくようになった。○授業がうまくできたとき、子どもたちは挨拶がよくできるようになった。○授業がうまくできたとき、子どもたちは大きな声で歌を...「授業がうまくできたとき」どんな思いがあるか

  • 第98回「浜松授業研究の会」開催案内

    【研究会の風景】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変わる、授業が...第98回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 授業のほんとうの力がわかっていない現場の教師が多いこと、それが学校の変革ができない理由である

    授業で子どもが真に変革することを経験していない、わからない現場教師が多い。そういう学校や教師は、文科省から降りてくるものを何でも取り入れてしまう。また、授業以外の雑多な教育と思われるものも取り入れてしまう。そのため基本的な教科指導が十分にできなくなってきている。現場が忙しくなるだけで、教師も子どもも育たない。私は経験上感じている。今回は、著名の方の授業に関する見方等を掲載することにする。私の思いと同じである。木村正○授業のすばらしさと楽しさは、なかなか職員室の話題には上がってこない。しかし、授業こそ学校の真髄である。授業研究こそ教師の生命である、というこんな明々白々した命題が、学校教育の現場でははっきりと認識されていない。○授業を真剣に取り組む中に教育のすべての問題解決があるのだということを、わたしたち教師自信...授業のほんとうの力がわかっていない現場の教師が多いこと、それが学校の変革ができない理由である

  • 第97回「浜松授業研究の会」開催案内

    ~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが...第97回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 第96回「浜松授業研究の会」開催案内

    ~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが...第96回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 初任者・若い教師へ 「教材研究」から「教材解釈」へ

    ○教材研究から教材解釈へ私たちはよく授業にあたり、教材を調べることや準備することを「教材研究」と言っている。しかし、「研究」となると、やや範囲が広くなり、その教材そのものに対する追求的な研究が疎かになってしまうことがある。国語にしても算数にしてもその他の教科にしても、「教材研究」というよりも「教材解釈」と言ったほうがよいであろう。つまり、教材を「解釈」することが最も重要であるからである。教材解釈とは、文章や物事の意味を受けて側から理解することである。受け手側とは教師である。従って、指導書や赤本だけを頼りに授業をするのでなく、授業者である教師自信の解釈が大切である。教材解釈は教師としての解釈があり、そして子ども側に立っての解釈がある。まず教師(ひとりの人間)としての解釈をする。次に授業をするにあたって、子どもはこ...初任者・若い教師へ「教材研究」から「教材解釈」へ

  • 第95回「浜松授業研究の会」開催案内

    斎藤喜博写真集「いのち、この美しきもの」より~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の...第95回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 学習は「適当」から始まる

    ○「さまざまに考える」→「多くを出し合う」→「真理を求める」何かわからないときは、どうする。先生に聞く、友だちと話し合う。そのとおりです。では、両方ダメと言われたらどうする。カンニング、それはダメ、今から先生が問題を出します。相談はダメ、質問もダメ、もちろん人のを見てはダメです。約束を守ってくれる?みなさんにはA4の紙が一枚あります。それに①上と下に三角を3つ書いてください。②次に大きな○を書いてください。③次に1本の直線を書いてください。どうでしたか、書けましたか。見せられない。自分のを見て不安になる。友だちのを見て不安になる。消したくなる人もいる。それは当たり前です。みんないろいろなのです。みんなちがう。考えていること、心で感じていることみんな違うのだから違ってあたりまえです。どれが正しいとか正解というまえ...学習は「適当」から始まる

  • 新学習要領・・・陥りやすい指導について

    2020年からの新学習指導要領では、小学校の英語の教科化、道徳の教科化、プログラミング等の導入で、現在でも過密な教育課程がいっそう過密になる。そうなると、どんどん教科書をこなしていかなければならなくなる。これでは子どもは育たないし、教師も力量がつかない。そこでどのように授業をしたらよいのか事例(国語指導)をあげて説明する。Qこんなに時間をかけていては教科書は終わらないのではないかAこういうたぐいの意見はつねに出てくる。こういう意見はつねに一定の「栄養」のバランスと分量を第一にすえる発想だから、話がうまくかみあわない。しかし、授業を受けた子どもの方が私の意図に共感してくれることが多いので救われるのである。○一つの短い俳句から、45分間の授業ができるということに驚きました。○ひとつの俳句について深いところまで考えた...新学習要領・・・陥りやすい指導について

  • 一斉指導での教師の位置

    【会員の指導による徒手体操】「教師の位置」について①全体の子どもに話すとき教師は全体の子どもが見える位置で話す。あまり前後左右に動かない。②特定の子どもに話すとき・あまり接近しないこと、遠くからでも指示が出せるようにしたい。・他の子どもたちが見える位置に、そして全体をいつも配慮しながらする。・学習用具が出ていないといって、側に行って世話をやかない。いつまでも自立できない子どもになるから。③板書するとき、板書を説明するとき・子どもから板書が見えること、教師の背中の影にならないこと・板書を説明するときは、できるだけ全員の子どもが板書が見える位置(右か左側)を考えてする。④子どもの自立を促す位置・基本を教えたら、教師はできるだけ子どもに近寄らない。徐々に子どもから離れて子どもたちが自分たちでできるようにする。・・・教...一斉指導での教師の位置

  • 第94回「浜松授業研究の会」開催案内

    【リコーダーを吹く私】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変わる、...第94回「浜松授業研究の会」開催案内

  • ここに学校教育の本質が見える:斎藤喜博著「君の可能性」より

    斎藤喜博写真集【いのち、この美しきもの】よりこに学校教育の本質が見える・・・こんな学校をつくりたい、こんな教育をしたい斎藤喜博著「君の可能性」:卒業式での小学校6年生の答辞から・・・・・私たちは今日まで、勉強の中で、また、体操会、水泳大会、運動会、音楽会等、たくさんの行事の中で、いろいろ学びました。跳び箱を美しく跳ぶために、助走や踏み切りが大切であることも、集中したよい助走ができると、踏み切りもやわらかくなり、跳び箱も美しくとべることもわかりました。十の力を十五にもしてがんばった水泳も、最初、力だけで泳いでいたときは、少しも進歩しませんでしたが、ていねいに、浮くことから練習し、呼吸やリズムを覚えると、自分でもおどろくほど楽に泳げるようになりました。水泳で覚えた呼吸法は音楽にも役立ち、二学期になると自分でもおどろ...ここに学校教育の本質が見える:斎藤喜博著「君の可能性」より

  • 初任の先生方へー①学級づくり

    ドッジボール大会等のイベントをやって、仲間づくりをすることが学級づくりと考えている先生がいないだろうか。しかし、そんなことで学級づくりなどできるものではない。学級づくりは授業の中でするものだからである。学級づくりの原則には次の3つの柱があると考える。1つは「学級の雰囲気づくり」2つは「子どもの価値観を変える」3つは「子どもの学習能力の形成」をするである。以下、述べてみる。1学級の雰囲気づくりをする重要なことは、安心してものが言える学級の雰囲気をつくることである。分からないことがあたりまえ、まちがっても大丈夫をしっかりと子どもにわからせたい。2子どもの価値観を変える子どもの価値観は、授業とはこういうものだとうことを変えることである。つまり、授業とは先生が教えてくれるものだ。ということから、授業とは僕たちが進めてい...初任の先生方へー①学級づくり

  • 第93回「浜松授業研究の会」開催案内

    【会員の自作教材(算数)】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変わ...第93回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 第92回「浜松授業研究の会」開催案内

    【会員の指導による子どもの作品】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師...第92回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 個別・グループ・一斉学習について

    Qグループ学習、個別学習についてA「一斉授業」の基盤に立ってこその個別化子どもの学習・行動が変容していく過程である典型が、一斉授業にあるとすれば、その学習形式が個別の学習形態の基礎ともなるはずなのである。そのような教師や子どもの訓練を抜きにして、学習の個別化や多様化をいたずらに実施しても、ほんとうに成果がえられるかどうかはなはだ疑問である。Q一斉授業と子どもの発言についてA発言する子どもが少ないとか全員が活躍していない、といったたぐいの議論がある。これもやはり集団のなかの相互作用を全く無視した議論である。発言しない子どもは、全くなんの学習をしていないのではない。それどころか、この間にこそ本当の学習をしているのである。教師と他の子どもたちのやりとり(コミュニケーション過程)は、もちろんそれに直接参加する子どもの学...個別・グループ・一斉学習について

  • 初任者の指導の特徴と対策

    初任者の「授業」や「生徒指導」「生活指導」を見ていて、共通して言えることがある。ここでは、課題となる面について記してみる。当然、初任者に多いということであるので仕方ないことであるが、1日も早くこれらのことから抜け出すことが大切である。なお、これらのことは、初任者としたが、若い教師や経験の浅い教師にも言えることである。◎授業、その他の指導において○始まる時刻に子どもは自席につけない。○次の時間の学習用具が机上に出ていない。○授業終始のあいさつに時間をかけすぎる。○配布物に時間がかかる。○全員を対象にして授業ができない○いつも教師と子どもの関係で授業が進む○個人指導をしていると他の子どもが騒ぎ始める○教室に長い列ができる。(ノート点検やテスト直し)○次の学習の指示ができていない。(やり終えた子どもが遊んでいる)○ノ...初任者の指導の特徴と対策

  • 第91回「浜松授業研究の会」開催案内

    【会員の指導による子どもの作品】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師...第91回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 合唱の指揮は原則教師がやるべきである

    【子どもの声を引き出す教師の指揮】卒業式の中での合唱、例えば校歌や別れの歌など、多くの学校では子どもが指揮をすることがある。もちろん子どもの主体性を考えて等のことであろうが、私は反対である。児童集会など子どもが中心となる行事では子どもが指揮をするのはいいでしょう。なぜ、教師が指揮をすべきか以下のことからである。私は合唱の指揮は、子どもの前に立ち三拍子は三角に、四拍子は四拍が分かるように指揮をすればよいと思っていた。しかし、あるとき講師の先生から次のような指摘を受けた「そんな指揮では、子どもは指揮者を見ないで、窓から外の景色を眺めていても歌えます。それは、その曲自体が三拍子なり、四拍子でできているからです」と、私はドキッとした。言われてみればまったくそのとおりだからであった。合唱の指揮というものは、子どもの声を引...合唱の指揮は原則教師がやるべきである

  • 新学習指導要領で目指す教育は達成できるの?

    新学習指導要領で目指す教育は、現場で達成できるだろうか2020年度からの学習指導要領で目指している教育は達成できるだろうか。はなはだ疑問である。その理由としていくつか上げてみる。1、現在、現場で働く教師の悩みを聞くと「教科書をこなすので精一杯です。」と言う。それもそのはずである。教材が多すぎるからである。2、それに加えて、英語の教科化、道徳の教科化、プログラミング、AIなど新しい教育が入ってきている。3、学力テストはそもそも競争を過熱させるものと言ってもよい。だから授業は「教え込み」になる。簡単なことである。こういうなかで「アクティブ・ラーニング」とか「非認知能力」を高める教育とか言っても無理があるようでしかたがない。これらは、教師の指導する「余裕」がなければできないことばかりである。※第91回「浜松授業研究の...新学習指導要領で目指す教育は達成できるの?

  • 新しい学び(評価の方法)

    【子どもの作品のよいところを紹介する教師】第90回の研究会が開催できました。今回は愛知のY先生にお越し願って勉強しました。国語の「海の命」「モチモチの木」の教材解釈、図工の版画、教育書の紹介など大変充実した内容でした。図工では、教師が1人の子どもの作品のよい所を5点見つけ出すという実習を行いました。このことは、どんな子どもの作品にもよいところが必ずあること、それを見つけ出すことが教師の力量を高めること、多くの子どもたちの学習の参考になること、子どもを褒めたり、自信を持たせたりすることにつながること・・・など多くの効果があることがわかりました。これは図工だけでなく他の教科にも使えると感じました。、今回は研究会終了後レストランで昼食をしました。その折りにも国語「海の命」の教材文を机上いっぱいに広げて熱心に話し合いま...新しい学び(評価の方法)

  • 第90回「浜松授業研究の会」開催案内

    【浜松授業研究会の様子】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変わる...第90回「浜松授業研究の会」開催案内

  • ほんとうの合唱の指揮とは

    【子どもの声を引き出す教師の指揮】私は合唱の指揮は、子どもの前に立ち三拍子は三角に、四拍子は四拍が分かるように指揮をすればよいと思っていた。しかし、あるとき講師の先生から次のような指摘を受けた「そんな指揮では、子どもは指揮者を見ないで、窓から外の景色を眺めていても歌えます。それは、その曲自体が三拍子なり、四拍子でできているからです」と、私はドキッとした。言われてみればまったくそのとおりだからであった。合唱の指揮というものは、子どもの声を引き出さなければならない。そのためには、「子どもが発声しやすいように」「歌うときに身体が自由に使えるように」「歌詞の内容や曲のイメージを子どもに伝わるように」することである。そのためには指揮は、腕だけでなく全身を使ってやらなければいけない。場合によっては指揮者は、前後左右にも移動...ほんとうの合唱の指揮とは

  • 表現活動って何?

    総合表現(オペレッタ)表現活動は、朗読、作文、美術(図工)、音楽、体育等さまざまありますが、ここでは総合表現(オペレッタ)について記す。この総合表現の意義としては、次のようなことが言える。○声と身体のすべてを総動員して、自分の心にあるものを表現する。そのことにより、表現する楽しさや喜びを味わう。○大勢の人の前で発表することにより、自信や勇気を持つ。そして、この自信や勇気は、他の教科の学習や生活に影響し、そこでも自分を出し切るようになる。○くずれつつある現代の子どもたちの心身を、息を吸う、しっかりと声を出す、体をつかう、リズムをつくる、気持ちを合わせるなどを十分に体験させて、メリハリのある心身に再生する。○表現をつくり出すことによって、クラスや学校全体がいっそう強くまとまり、連帯感を深め、勢いを増す。○低俗文化の...表現活動って何?

  • 授業研究の会で育った子どもたちの指導「体育:ブリッジ」

    ・「上体そらし」で準備運動。・「寝た状態からブリッジ」。・手は肩の上あたりにおき、前回りのような手の形に置く。・手をつくとき、手のひらの付け根(6本目の指)もつかう。・視線は、倒立のように、床を見る。・へそを上に突き出すように意識させる。・ブリッジの形になったら、手で歩いて、足の方に近づく。又は、足で歩いて近づく。・「座りブリッジ」・膝は肩幅より少し広めにしておく。そこから、うしろへ体をたおしていく。・手は、中指・人差し指同士が着くような感じで、頭より後ろへ、視線は中指を見る。・「立ちブリッジ」・足を肩幅より、少し広めにしてたつ。へそを前に突き出しながら、上体を後ろへそらしていく。①の方法:手は、腰→太もも→膝裏→ふくらはぎとずらす。床が見えたら、手を片方ずつ転位し床に着く。②の方法:手は、中指・人差し指同士が...授業研究の会で育った子どもたちの指導「体育:ブリッジ」

  • 「読書、読み聞かせ」の効用、本の選び方

    数年前、「読書」「読み聞かせ」について、小林竜哉先生(福音館書店絵本研究室)の話を伺った。読書の効用等について、大変参考になる話でしたので紹介する。1読書の効用○想像力、集中力、追求力などがつく○テレビとは違い、画面がない、画面が動かないというところから、話の筋や登場人物等の表情を想像する力がつく。○じっと考え込んだリ、予想したりして楽しむことができるので集中力がつく。○学習吸収力が高まるので、教科学習に大いに役立つ。これらの効用は、子どもの心や頭の中のありようであるので、目に見えにくいし、点数化できないものである。しかし、とても大切なことある。2本の選び方本を選ぶには大人が選ぶこと。選び方には、下記の4点が大切である。①絵本の場合は、しっかりした絵で描かれている。地味でもリアリティのある絵、あまり漫画化されて...「読書、読み聞かせ」の効用、本の選び方

  • 第89回「浜松授業研究の会」開催案内

    会員の実践から【ダンス】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変わる...第89回「浜松授業研究の会」開催案内

  • 謹賀新年

    新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。私は新年を迎えるといつも次の俳句を思い出します。○初暦知らぬ月日の美しく吉屋信子年が明けて新しい暦を使い始めます。この句には、新しい暦にこれからどのような月日が重ねられるのか、期待と願望が込められています。今年も多くの皆様に幸せの日々が重ねられることをお祈りします。※授業研究の会(浜松の会)開催日のお知らせ第89回平成31年1月12日(土)9:0~12:00天竜壬生ホール第1会議室※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。謹賀新年

  • よい教師(授業者)になるための基礎訓練とは

    【子どもの図工の作品から】1自分の実践から学ぼう(失敗の体験から多くのものを引き出し、次につなげよということである。)2他人の実践から学ぼう(他人の経験をそのまま真似てみる。模写授業をする。)3先人に直接手を取って教わろう(自分の授業に介入されることは恥ずかしいことではない。教師や子どもの心が開かれていないとできないことである)4難物から学ぼう(難物だと言われる子どもから多くのものを学べぶことである)5絶えず学び続けよう(授業もそうだが、この世にあるもので、もう学ばずに完成というものはない。学ぶということが習慣になっていなくてはならない)6共に学ぼう(学びの共同体としての学校をつくる)7事実につき、事実をつくり出そう(事実を見ないし、事実をつくり出せない教師は本当に学んだことにはならない)※教師は何より精神の飢...よい教師(授業者)になるための基礎訓練とは

  • 4K8Kテレビと学校教育

    ある新聞のコラムで4K8Kテレビについて、次のような記事があった。〈白黒、カラー、地上デジタルと進化し続けてきたテレビの新たな形。より鮮明で美しい映像を楽しめる魅力的な反面、いまひとつ盛り上がらぬのは現在の2K放送でも十分きれいでさほど必要性を感じないという部分もあるかもしれぬ。・・・・・肝心なのは高画質の映像でなにを見せるかだろう〉私も同様なことを感じると同時に、教育改革についても同じようなことが言えるのではないかと思った。2020年から本格的に新学習指導要領が始まり、教育内容や指導時間も変わる。時代の変化で学校にいろんな多くの教育を詰め込もうとしているが、それが魅力的なものであり、指導が充実していかなければ児童生徒はついていかないだろう。不登校やいじめや非行、教育格差等に悪影響がなければいいのだが・・・・ど...4K8Kテレビと学校教育

  • この1本のラインが子どもの運動を促す

    グランドに引いた1本の線が、トラックのラインが子どもたちの走りの運動を促す。何でもないことのようであるが効果は大である。教師は忙しい、指導できない。しかし、子どもたちには主体的に運動させたい。そんなときがある。この1本のラインにより、子どもたちは自分で、自分たちで走り出す。これも教育技術の1つである。朝登校すると多くの子どもたちがこのライン上を走っていた。それも歓声を上げ、競い合って走っていた。そこには教師の姿はなかった。※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。この1本のラインが子どもの運動を促す

  • 「質」より「量」を優先した教育はどうかな?どんな子どもが育つのかな?

    「質の高い授業から生み出された版画の作品」スナック菓子などの袋に、「10%増量」などと書かれているのをよく見掛ける。菓子に限らず、洗剤や歯磨き粉などでも増量サービスが行われている。最近、教育界でも増量サービスが行われるようになった。学力低下への対応からである。また時代の要請(グローバル化、経済優先)からでもある。それを受けるように新学習指導要領も授業時数と教育内容の増量を図っている。こうなると教師はますます大変である。教育内容や授業時数が増えても、中味の薄い授業なら意味がない。大切なのは「質」である。スナック菓子は、増量されてもおいしくなければ誰も買ってくれない。たとえ少量でもおいしい方が好まれるのではないか。こと教育に関しては教育内容の「量」より「質」を大切にしてもらいたい。人間教育としてもとても大切なことで...「質」より「量」を優先した教育はどうかな?どんな子どもが育つのかな?

  • 第87回「浜松授業研究の会」開催案内

    会員の実践から【総合表現】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変わ...第87回「浜松授業研究の会」開催案内

  • いじめが減らないほんとうの理由とは

    過去最多の41万件。全国の公立私立の小中学校、特別支援学校が2017年度に認知した、いじめの件数である。なぜ、こんなにいじめに対して対策等をとっているのに減らないのか、その理由を思いつくまま考えてみる。1教師が忙しすぎる。授業以前にいろいろな事務作業が多く、教材の研究や子どもとのふれ合いが十分にできていない。2教えることが多すぎる。政府の成長戦略を受けて、金儲けのできる人間を育てるというように、教育界にさまざまな要求がなされている。例えば、英語の教科化、プログラミング、AI教育など。そして道徳の教科化もある。時代の要求により仕方がない面もあるが、教える教師も教わる子どもも大変である。3上記1、2のために、教師は単に教科を「こなす」だけになりつつある。子どもの主体性やコミュニケーション能力、考える力、想像力などを...いじめが減らないほんとうの理由とは

  • 「学級づくり」とは何か

    〈ドッジボール大会等のイベントをやって、仲間づくりをすること〉が学級づくりと考えている先生がいないだろうか。しかし、そんなことで学級づくりなどできるものではない。学級づくりは授業の中でするものだからである。学級づくりの原則には次の3つの柱があると考える。1つは「学級の雰囲気づくり」、2つは「子どもの価値観を変える」、3つは「子どもの学習能力の形成」をするである。以下、述べてみる。1学級の雰囲気づくりをする重要なことは、授業等の中で、安心してものが言える学級の雰囲気をつくることである。分からないことがあたりまえ、まちがっても大丈夫をしっかりと子どもにわからせたい。2子どもの価値観を変える子どもの価値観は、授業とはこういうものだとうことを変えることである。つまり、授業とは先生が教えてくれるものだ。ということから、授...「学級づくり」とは何か

  • 子どもの意見をみんなのものにする仕事

    1教師が子どもの意見を真剣に聴くまず、教師が子どもの発言をしっかりと聞くことが大切である。どんなに小さな声の子どもでも、言葉が足りず意味不明なことを言う子どもの発言も真剣に聞いてやることである。そのことにより、子どもは自分の考えを教師は大切にしてくれるのだという思いになり、発言してくれるようになる。また、そういう教師の姿を見て他の子どもも、人の発言をしっかり聞かなければならないことを知る。2つながりをつくる一問一答の授業では、その子どもと教師だけのものになりがち、子どもの意見を横に広げていきたい。○「今の○○のさんの考えを、もう一度だれか言ってくれませんか」○「今の○○のさんの考えは、どう思いますか」○「同じ考えの人は、その考えを聞かせてください」○「ちょっとでも考えがちがう人がいたら、どんな考えか教えてほしい...子どもの意見をみんなのものにする仕事

  • 机間指導を考える

    以前には「机間指導」のことを「机間巡視」と言っていた。今ではこのように言う人は少なくなった。教育の用語?であり、一般的には使われていない言葉であるので、どちらが正しいのか定かでないが、巡視とは「警戒や監督のために見回ること(広辞苑)」とある。そうであるならば、机間指導と言った方が良いのではないかと考える。机間指導についていくつか記してみる。1机間指導の意義○机間指導は、平板な授業を立体的にし、リズムを生み出す。○机間指導は、個別指導をする機会を増やす。○机間指導は、教師の一方的な指導から個々の学びに移すことができる。○机間指導は、個々の考えを拾い上げることができる。○机間指導は、子どもの学習意欲を向上させる。2机間指導をするときの留意点○机間指導は、目的を持ってやる。形式的にやらない。○机間指導は、1時間に1回...机間指導を考える

  • 第85回「浜松授業研究の会」開催案内

    【研修風景】~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わ...第85回「浜松授業研究の会」開催案内

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