コルビュジエの手と石。 学生時代、ある先生から「目でみるように手でものを見るクセをつけなさい」と言われたことを覚えています。スケッチをしなさいということだったと思います。 AIが進化して多様なデザインが瞬時にできるかもしれないけど、 インプットもアウトプットも身体性がある限り、人間にしか生み出せないものがあると思います。 膨大な身体の記憶と結びついた無意識の世界は深淵だと思います。 だからこそAIも否定せず、その付き合い方が大切になるんでしょうね。
元左官教室の編集長、小林澄夫さんからお話を聞いてから、国東(くにさき)半島は行ってみたい場所のひとつになりました。 小林澄夫さんによれば、日本の漆喰の歴史にはふたつの流れがあったのではないか、と。 「ひとつは、米のりや海藻苔を混ぜた消石灰の歴史で、もうひとつは、糊を使わない焼いたままの生石灰の歴史である。」 「そしていうまでもなく、奈良時代から寺社官衙の仕上げとして歴史の華やかな表街道を歩いてきたのが消石灰による漆喰である。現場消化の生石灰の漆喰は、地下の漆喰として土間のたたきやカマドや石積みに泥と混ぜて使用されてきた。」 (小林澄夫「左官礼賛」より) 僕は生石灰と泥(砂)と聞くと、石積みの目…
奥出雲の岩屋寺から消えた数奇な運命の仁王像を巡り、オランダと奥出雲の不思議な縁が生まれ、動きだしています。 個人的に心が動かされたのは、仁王像を彫った当時の仏師とアムステルダム在住の彫刻家イエッケさんの時代も国をも超えたアーティスト同士の仁王像を通じた交感の物語です。(もちろん当時の日本には自立したアートやアーティストといった概念は無いけど) その物語は奥出雲とオランダを結ぶアートプロジェクトとしても動き始めています。 仁王像があった仁王門とイエッケさん globe.asahi.com youtu.be
出雲の建築家 江角俊則さんに誘っていただき建築家 遠藤克彦氏のレクチャーを聴きました。場所は広島平和記念資料館。 大阪中之島美術館を通じて遠藤さんの言われる「公共性」について自分なりに考えてみました。 機能(美術館)の入ったがシンプルな箱は水害対策として浮かんでいます。浮かんだ箱の下、地形と呼ばれる1階の上にパッサージュがあり、そのパッサージュが誰にでも開かれている場としてまちとつながっているイメージです。パッサージュは上方の箱に侵食し、立体的にシームレスに展開して行きます。図としての箱が都市に浮かんでいますが、ここで地と図が反転し、トポロジカルに虫食いの穴のように立体的にシームレスに連続する…
「ブログリーダー」を活用して、uda-24さんをフォローしませんか?
コルビュジエの手と石。 学生時代、ある先生から「目でみるように手でものを見るクセをつけなさい」と言われたことを覚えています。スケッチをしなさいということだったと思います。 AIが進化して多様なデザインが瞬時にできるかもしれないけど、 インプットもアウトプットも身体性がある限り、人間にしか生み出せないものがあると思います。 膨大な身体の記憶と結びついた無意識の世界は深淵だと思います。 だからこそAIも否定せず、その付き合い方が大切になるんでしょうね。
コスパに囚われたZ世代?戦前までの、生業を共にする共同体をとりあえず「イエ」と呼んでみます。イメージとしてはその名の通りひとつ屋根の下に暮らすひとびとです。ワンルームマンションなんて無いからみんな住み込みで賄いつき。血縁にとらわれない、生業と中心とした成員から成る家族です。仕事と私の境が無い世界。 戦後の日本型の会社はこの「イエ」の代替装置だったと考えるとしっくりきます。 終身雇用も年功序列も「イエ」であれば当然そうなりますよね。 日本人が座る席の位置をやたら気にするのも「イエ」的な秩序の名残り。生産性は低いけど、「イエ」のなかできめ細かな人材育成も行われ、帰属意識を生みました。 このような「…
全くついていけてないですが、コロナ禍を経て変わる世界の一端を感じる番組でした。「初音ミクを起点とする日本発のボーカロイド文化が世界中で熱狂的なファンを獲得。歌声合成技術ボーカロイドはAdoやYOASOBIなど新たなアーティストも生み出すカルチャーになった。」 人間では無いボーカロイドだからこそ、自己を投影できると語る海外の若者のコメントが印象的でした。そしてそのボーカロイドを演じる日本の歌い手。 「素顔」が発見される前、人形浄瑠璃の人形や能楽の能面こそがリアリティであり、観客が自己を投影する余白だったこととつなげるとすればボーカロイドはとても日本的と言えますね。 今、こどもの頃から夢や個性を求…
秋晴れの午後、思い立ち茶臼山へ登ってみました。 茶臼山は神名樋野(かんなびぬ)と呼ばれていたそうです。 頂上からは島根半島、宍道湖、中海がよく見えました。 グーグルマップはもちろん、人工衛生、航空機の無い時代、このようなクニを見渡す視点そのものが力だったのかなと想像することがあります。クニを見渡せる視点そのものが権力であり、霊的な力であったと思います。神様の視点に近かったのかな。 出雲のとても古い神話に「国引き神話」があります。この国引き神話のスケールの大きさは、この茶臼山/神名樋野の頂上からの視点が生み出した物語ではなかったかと勝手に想像してしまいました。 茶臼山の麓には王家の谷と言われるよ…
印象的な写真。 コルビュジエの作品集にマルセイユのユニテの模型にユニットを差し込む手が写り込んでいます。 レム・コールハース ジュシュー 二つの図書館のコンセプトモデルでは一枚の紙に切り込みを入れるハサミを持つ手が。 コルビュジエにとって手は大切なモチーフだったと思います。片目の視力を失ったコルビュジエにとって、対象は視覚で立体的に捉えるよりも、2次元的に展開する触覚的なものだったのかもしれません。 コールハースがそれをとても魅力的に反復しているように見えます。 ル・コルビュジエ マルセイユのユニテ・ダビタシオンの模型。ユニットを挿入する手。 レム・コールハース ジュシュー・キャンパスの二つの…
境界をまたぐような在り方、建ち方に惹きつけられることがあります。海や川と陸地の境界に建つ印象的な祠や鳥居を訪れました。 むこう側とこちら側、その両方をまたぐような建ち方っていいなあと思います。 階段と海と言えば、鈴木了二さんに学生時代、リベラのマラパルテ邸の写真をたくさん見せてもらったことを思い出しました。階段もまた何か別世界につながるような不思議な建築の要素ですね。 夜は入間交流センターのお祭りにお邪魔しました。屋根の下の大きな縁側のようなオープンスペースが迎え入れてくれます。 早稲田大学の古谷先生、後任の田中先生にご挨拶ができました。古谷先生には雲南市と早稲田大学の縁を繋いでいただき感謝で…
所用の帰り、トトロの巣のような巨木と出会いました。看板を見ると桑並地区を守る総荒神の宿る神木とのこと。ヤマタノオロチのような生命力。志多備神社の参道横の日没の前の水田の風景が美しかったです。小石を積んでつくられた棚田は、自然との境界が無く、なだらかに人工と自然を繋げるランドスケープで、奥出雲のそれとは異なるものでした。角材ではなく、丸太で組んである小屋組みのような、和様化される前の大陸(朝鮮半島)を思わせる美しい風景でした。何故か旧閑谷学校とフランスのロマネスクの風景を思い出しました。 樹齢300年を超えると言われるスダジイの巨樹。 参道脇のもうひとつのスダジイ。このあたりはスダジイの森だった…
昨年よりご縁をいただき、今年も坐忘斎千宗室御家元も臨席される会に加えていただきました。御家元の御講話もあり、建築の本質にも通じるような内容だったので大変興味深く拝聴しました。それは自分なりに解釈すると、まちの「空白(余白)」、家の「空白(余白)」のお話しでした。「まちのなかの「空白」が好き。原っぱが好き。無目的の場所。「自由」があるから。」と仰いました。子どもの頃、日が暮れるまで遊んだ原っぱが好きだったそうです。「原っぱが、いつの間に柵ができ、遊具が置かれ、自由が無くなる。公園(遊園地)と呼ばれるものになってしまう。」「原っぱのように自由に使えるのが畳敷きの日本間だった。玄々斎の立礼卓はその自…
元左官教室の編集長、小林澄夫さんからお話を聞いてから、国東(くにさき)半島は行ってみたい場所のひとつになりました。 小林澄夫さんによれば、日本の漆喰の歴史にはふたつの流れがあったのではないか、と。 「ひとつは、米のりや海藻苔を混ぜた消石灰の歴史で、もうひとつは、糊を使わない焼いたままの生石灰の歴史である。」 「そしていうまでもなく、奈良時代から寺社官衙の仕上げとして歴史の華やかな表街道を歩いてきたのが消石灰による漆喰である。現場消化の生石灰の漆喰は、地下の漆喰として土間のたたきやカマドや石積みに泥と混ぜて使用されてきた。」 (小林澄夫「左官礼賛」より) 僕は生石灰と泥(砂)と聞くと、石積みの目…
奥出雲の岩屋寺から消えた数奇な運命の仁王像を巡り、オランダと奥出雲の不思議な縁が生まれ、動きだしています。 個人的に心が動かされたのは、仁王像を彫った当時の仏師とアムステルダム在住の彫刻家イエッケさんの時代も国をも超えたアーティスト同士の仁王像を通じた交感の物語です。(もちろん当時の日本には自立したアートやアーティストといった概念は無いけど) その物語は奥出雲とオランダを結ぶアートプロジェクトとしても動き始めています。 仁王像があった仁王門とイエッケさん globe.asahi.com youtu.be
出雲の建築家 江角俊則さんに誘っていただき建築家 遠藤克彦氏のレクチャーを聴きました。場所は広島平和記念資料館。 大阪中之島美術館を通じて遠藤さんの言われる「公共性」について自分なりに考えてみました。 機能(美術館)の入ったがシンプルな箱は水害対策として浮かんでいます。浮かんだ箱の下、地形と呼ばれる1階の上にパッサージュがあり、そのパッサージュが誰にでも開かれている場としてまちとつながっているイメージです。パッサージュは上方の箱に侵食し、立体的にシームレスに展開して行きます。図としての箱が都市に浮かんでいますが、ここで地と図が反転し、トポロジカルに虫食いの穴のように立体的にシームレスに連続する…
日曜美術館を観て思い出しました。 坂倉準三さんの新宿駅西口広場。 上へ伸びる西口の高層ビル群と対照的に、地下に向かって開いた孔みたいです。 この孔から眺める西新宿の空と高層ビル群の風景が好きでした。 坂倉準三さんの新宿駅西口広場につづいて、新宿と言えば、丹下健三さんの東京都庁舎。 西口広場とは異なるけど、ブレードランナーに出て来そうな21世紀的なスーパースケールの都市空間。 ただ、広場と言うには、ひとの賑わいが感じられず、寂しい感じがします。 こんなぶっとんだスケールのなかに、生々しく蠢く人の営みがもっとあったらとても良かったのに、と思いました。人が集まる場所。それが都市のはずですよね。 20…
通りがかりに島根県立武道館(1970年 設計:菊竹清訓、構造:松井源吾)が開館していたので、かなり久しぶりに足を踏み入れました。4つのコアに2本の大梁が架け渡されています。この梁は梁せいが大きく、ひとや設備が入るくらいのスペースを抱えているように見えました。ルイス・カーンが言う、建築の「サーブドスペース」と 「サーバントスペース」というものがあるとすれば、この大梁は、それ自体がサーバントスペースと呼び得るような気がしました。伝統的な組積造のポシェ(空間を図として見たときの地にあたる部分)は主に垂直方向の壁厚で、地として塗りつぶされた部分だけど、この梁は水平方向へ運動するポシェとでも言いたくなり…
2016年12月。 インド門を訪れたとき、本当の意味でのポストモダンは欧米(日本)のなかからではなく、アジアやアフリカなど21世紀を牽引する国々から生まれて来るのかなと思いました。 普遍的(だと思っていた)価値観が揺らぐ世界を見ています。ロシアによるウクライナ侵攻は終わる気配も見えず、しかしそんな蛮行に対する国際社会の身振りは必ずしも一致しているわけではありません。インドやアフリカ諸国の想いは我々西側先進諸国と異なります。 大英帝国の支配―確かにこのインド門の設計もイギリスの建築家なのは皮肉でもありますね。 皆さま良いお年をお迎えください。
内田咲子さんから誘っていただいた前田泰宏さん講演会の案内には「美の効用」とあり、当初、怪しい?と訝しんでいました 笑。しかし、前田さんのお話しが始まると一気に引き込まれ、笑いもあり、あっという間の一時間でした。 強烈なお話しで、頭のなかで整理できてないので、前田さんのお話しから思い浮かんだ断片を勝手に、強引に自分なりの関心に引き寄せ、感想として書き留めました。(メモもとってなく、脳内メモなのでちょっと出鱈目かも、、) NHKに「プロフェッショナル」という番組があって僕も好きですが、なんとなくプロフェッショナルはすごくて、アマチュアは下に見てしまっていたような気がします。しかし、悪い言い方をすれ…
近代はいろいろなものを機能で分けていった時代だと思います。住宅の内部では食べる場所と寝る場所が分けられ、都市は用途(機能)によって分けられました。住む為だけの住宅を建てる場所、商売する場所、工業の為の場所などに分けられました。でも今から見ればそれは計画する側、管理する側の都合だったんじゃないかと思いますよね。 結果的に人口が減ってくると旧市街地の疲弊が目立ち始めます。旧市街地は、本来は商売する場所であり、同時に市民の日常生活の場所でもありました。通勤を前提としたサラリーマン社会になって、住む場所(郊外)には人が増えても、商売する場所(旧市街地)から人の姿が消えていきます。 そんななか、松江のま…
自分が自分であること。 藤森さんの言葉だったか、昨日と同じ街があって、昨日と同じ建築があって、朝起きると確かに昨晩寝た部屋で目覚めること。人が、自分が昨日までと同じ自分であることは、そんな連続性で確かめてるんじゃないか、といったニュアンスのことを仰っていた(どこかで書かれていた)ように記憶しています。 そういえば、新世紀エヴァンゲリオンでシンジは白い壁に囲まれた部屋で目覚め、「知らない天井だ」と言うシーンがありますね。 三浦展さんが「独身者の部屋宇宙──高円寺スタイル」で郊外のニュータウンで起きる特異な事件について、郊外の持つ独特な不安定性を指摘されています。 自分が自分であることなんて、当た…
住宅デザイン学校関西場所のひとコマ。 「千里私たちの家/Ms 建築設計事務所」で建築家 三澤文子さんから住まいの変遷をお聞きしました。 アトリエと住まいそのものが、千里というまちの変遷と共にあり、木の住まいの実験の場であり、日常と仕事の場であり、そして三澤文子さんの大切な記憶そのもののように感じました。 見学のあとはアトリエの大テーブルでパーティー(スタッフの皆さんにも大変お世話になりました)。アルコールも入って、この場所に身を置けることが嬉しく、幸せな時間を過ごすことができました。 こうした機会をつくっていただいた伊礼智さん、事務局のみなさんに感謝です。
実家の庭から眺めた冬の風景(奥出雲町 佐白)ここは雲南から仁多に入ってくる街道の最初の宿場町だったと聞きます。冬は、かつてのまちの骨格が浮かび上がります。雪の粒子で覆われると、新建材も人工の構築物も、木や草や遠く山並みまで連続していきます。学生時代、鈴木恂さんがご自身の原風景として雪で覆われた冬の北海道のことを、人工物と自然がすべて白一色で溶けあう風景のことを語られたことを今でも覚えています。 良質な砂鉄と並んで重要なのは火のちからです。火のちからとはすなわち豊かな山林を意味しました。鉄師 御三家と言われる 田部家、櫻井家、絲原家は日本での有数の山林の大地主でした。たたら製鉄を陰でささえてきた…
しばらく忘れかけていた20代の頃の気持ちを思い出すような映像でした。 これから先、知らない場所、知らない世界とたくさん出会うと信じていた頃の。 「サンフランシスコの24時間ダイナーでカップルが政治の話をしているとき、シギリアの若い僧侶は寺院の床を箒ではいている。マルセイユの漁師がまだ日ものぼらない朝霧の中、相棒と船で沖に出ているとき、メルボルンのカフェでは夜勤明けの警察官がフラットホワイトをすすっている。わたしたちの知らないところで、だれかの朝がはじまり、だれかの夜が終わっている。そんな早朝と深夜の人間の暮らしをひとり旅を通して描く。」 www.amazon.co.jp
元左官教室の編集長、小林澄夫さんからお話を聞いてから、国東(くにさき)半島は行ってみたい場所のひとつになりました。 小林澄夫さんによれば、日本の漆喰の歴史にはふたつの流れがあったのではないか、と。 「ひとつは、米のりや海藻苔を混ぜた消石灰の歴史で、もうひとつは、糊を使わない焼いたままの生石灰の歴史である。」 「そしていうまでもなく、奈良時代から寺社官衙の仕上げとして歴史の華やかな表街道を歩いてきたのが消石灰による漆喰である。現場消化の生石灰の漆喰は、地下の漆喰として土間のたたきやカマドや石積みに泥と混ぜて使用されてきた。」 (小林澄夫「左官礼賛」より) 僕は生石灰と泥(砂)と聞くと、石積みの目…
奥出雲の岩屋寺から消えた数奇な運命の仁王像を巡り、オランダと奥出雲の不思議な縁が生まれ、動きだしています。 個人的に心が動かされたのは、仁王像を彫った当時の仏師とアムステルダム在住の彫刻家イエッケさんの時代も国をも超えたアーティスト同士の仁王像を通じた交感の物語です。(もちろん当時の日本には自立したアートやアーティストといった概念は無いけど) その物語は奥出雲とオランダを結ぶアートプロジェクトとしても動き始めています。 仁王像があった仁王門とイエッケさん globe.asahi.com youtu.be
出雲の建築家 江角俊則さんに誘っていただき建築家 遠藤克彦氏のレクチャーを聴きました。場所は広島平和記念資料館。 大阪中之島美術館を通じて遠藤さんの言われる「公共性」について自分なりに考えてみました。 機能(美術館)の入ったがシンプルな箱は水害対策として浮かんでいます。浮かんだ箱の下、地形と呼ばれる1階の上にパッサージュがあり、そのパッサージュが誰にでも開かれている場としてまちとつながっているイメージです。パッサージュは上方の箱に侵食し、立体的にシームレスに展開して行きます。図としての箱が都市に浮かんでいますが、ここで地と図が反転し、トポロジカルに虫食いの穴のように立体的にシームレスに連続する…
日曜美術館を観て思い出しました。 坂倉準三さんの新宿駅西口広場。 上へ伸びる西口の高層ビル群と対照的に、地下に向かって開いた孔みたいです。 この孔から眺める西新宿の空と高層ビル群の風景が好きでした。 坂倉準三さんの新宿駅西口広場につづいて、新宿と言えば、丹下健三さんの東京都庁舎。 西口広場とは異なるけど、ブレードランナーに出て来そうな21世紀的なスーパースケールの都市空間。 ただ、広場と言うには、ひとの賑わいが感じられず、寂しい感じがします。 こんなぶっとんだスケールのなかに、生々しく蠢く人の営みがもっとあったらとても良かったのに、と思いました。人が集まる場所。それが都市のはずですよね。 20…
通りがかりに島根県立武道館(1970年 設計:菊竹清訓、構造:松井源吾)が開館していたので、かなり久しぶりに足を踏み入れました。4つのコアに2本の大梁が架け渡されています。この梁は梁せいが大きく、ひとや設備が入るくらいのスペースを抱えているように見えました。ルイス・カーンが言う、建築の「サーブドスペース」と 「サーバントスペース」というものがあるとすれば、この大梁は、それ自体がサーバントスペースと呼び得るような気がしました。伝統的な組積造のポシェ(空間を図として見たときの地にあたる部分)は主に垂直方向の壁厚で、地として塗りつぶされた部分だけど、この梁は水平方向へ運動するポシェとでも言いたくなり…
2016年12月。 インド門を訪れたとき、本当の意味でのポストモダンは欧米(日本)のなかからではなく、アジアやアフリカなど21世紀を牽引する国々から生まれて来るのかなと思いました。 普遍的(だと思っていた)価値観が揺らぐ世界を見ています。ロシアによるウクライナ侵攻は終わる気配も見えず、しかしそんな蛮行に対する国際社会の身振りは必ずしも一致しているわけではありません。インドやアフリカ諸国の想いは我々西側先進諸国と異なります。 大英帝国の支配―確かにこのインド門の設計もイギリスの建築家なのは皮肉でもありますね。 皆さま良いお年をお迎えください。
内田咲子さんから誘っていただいた前田泰宏さん講演会の案内には「美の効用」とあり、当初、怪しい?と訝しんでいました 笑。しかし、前田さんのお話しが始まると一気に引き込まれ、笑いもあり、あっという間の一時間でした。 強烈なお話しで、頭のなかで整理できてないので、前田さんのお話しから思い浮かんだ断片を勝手に、強引に自分なりの関心に引き寄せ、感想として書き留めました。(メモもとってなく、脳内メモなのでちょっと出鱈目かも、、) NHKに「プロフェッショナル」という番組があって僕も好きですが、なんとなくプロフェッショナルはすごくて、アマチュアは下に見てしまっていたような気がします。しかし、悪い言い方をすれ…