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うだ日記 https://uda-24.hatenadiary.org/

日常のくだらないことから、読んだ本のこと、旅行記、ちょっと真面目な建築のことなどの記録です。

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奥出雲町
出身
奥出雲町
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2010/05/13

  • 生石灰

    元左官教室の編集長、小林澄夫さんからお話を聞いてから、国東(くにさき)半島は行ってみたい場所のひとつになりました。 小林澄夫さんによれば、日本の漆喰の歴史にはふたつの流れがあったのではないか、と。 「ひとつは、米のりや海藻苔を混ぜた消石灰の歴史で、もうひとつは、糊を使わない焼いたままの生石灰の歴史である。」 「そしていうまでもなく、奈良時代から寺社官衙の仕上げとして歴史の華やかな表街道を歩いてきたのが消石灰による漆喰である。現場消化の生石灰の漆喰は、地下の漆喰として土間のたたきやカマドや石積みに泥と混ぜて使用されてきた。」 (小林澄夫「左官礼賛」より) 僕は生石灰と泥(砂)と聞くと、石積みの目…

  • 岩屋寺 仁王像プロジェクト

    奥出雲の岩屋寺から消えた数奇な運命の仁王像を巡り、オランダと奥出雲の不思議な縁が生まれ、動きだしています。 個人的に心が動かされたのは、仁王像を彫った当時の仏師とアムステルダム在住の彫刻家イエッケさんの時代も国をも超えたアーティスト同士の仁王像を通じた交感の物語です。(もちろん当時の日本には自立したアートやアーティストといった概念は無いけど) その物語は奥出雲とオランダを結ぶアートプロジェクトとしても動き始めています。 仁王像があった仁王門とイエッケさん globe.asahi.com youtu.be

  • 建築家 遠藤克彦氏 / 新たな公共性の獲得に向けて

    出雲の建築家 江角俊則さんに誘っていただき建築家 遠藤克彦氏のレクチャーを聴きました。場所は広島平和記念資料館。 大阪中之島美術館を通じて遠藤さんの言われる「公共性」について自分なりに考えてみました。 機能(美術館)の入ったがシンプルな箱は水害対策として浮かんでいます。浮かんだ箱の下、地形と呼ばれる1階の上にパッサージュがあり、そのパッサージュが誰にでも開かれている場としてまちとつながっているイメージです。パッサージュは上方の箱に侵食し、立体的にシームレスに展開して行きます。図としての箱が都市に浮かんでいますが、ここで地と図が反転し、トポロジカルに虫食いの穴のように立体的にシームレスに連続する…

  • 新宿の空 / 20世紀的新宿と21世紀的新宿 / 坂倉準三と丹下健三

    日曜美術館を観て思い出しました。 坂倉準三さんの新宿駅西口広場。 上へ伸びる西口の高層ビル群と対照的に、地下に向かって開いた孔みたいです。 この孔から眺める西新宿の空と高層ビル群の風景が好きでした。 坂倉準三さんの新宿駅西口広場につづいて、新宿と言えば、丹下健三さんの東京都庁舎。 西口広場とは異なるけど、ブレードランナーに出て来そうな21世紀的なスーパースケールの都市空間。 ただ、広場と言うには、ひとの賑わいが感じられず、寂しい感じがします。 こんなぶっとんだスケールのなかに、生々しく蠢く人の営みがもっとあったらとても良かったのに、と思いました。人が集まる場所。それが都市のはずですよね。 20…

  • 島根県立武道館

    通りがかりに島根県立武道館(1970年 設計:菊竹清訓、構造:松井源吾)が開館していたので、かなり久しぶりに足を踏み入れました。4つのコアに2本の大梁が架け渡されています。この梁は梁せいが大きく、ひとや設備が入るくらいのスペースを抱えているように見えました。ルイス・カーンが言う、建築の「サーブドスペース」と 「サーバントスペース」というものがあるとすれば、この大梁は、それ自体がサーバントスペースと呼び得るような気がしました。伝統的な組積造のポシェ(空間を図として見たときの地にあたる部分)は主に垂直方向の壁厚で、地として塗りつぶされた部分だけど、この梁は水平方向へ運動するポシェとでも言いたくなり…

  • 価値観

    2016年12月。 インド門を訪れたとき、本当の意味でのポストモダンは欧米(日本)のなかからではなく、アジアやアフリカなど21世紀を牽引する国々から生まれて来るのかなと思いました。 普遍的(だと思っていた)価値観が揺らぐ世界を見ています。ロシアによるウクライナ侵攻は終わる気配も見えず、しかしそんな蛮行に対する国際社会の身振りは必ずしも一致しているわけではありません。インドやアフリカ諸国の想いは我々西側先進諸国と異なります。 大英帝国の支配―確かにこのインド門の設計もイギリスの建築家なのは皮肉でもありますね。 皆さま良いお年をお迎えください。

  • 前田泰宏さん講演 「美の効用」について

    内田咲子さんから誘っていただいた前田泰宏さん講演会の案内には「美の効用」とあり、当初、怪しい?と訝しんでいました 笑。しかし、前田さんのお話しが始まると一気に引き込まれ、笑いもあり、あっという間の一時間でした。 強烈なお話しで、頭のなかで整理できてないので、前田さんのお話しから思い浮かんだ断片を勝手に、強引に自分なりの関心に引き寄せ、感想として書き留めました。(メモもとってなく、脳内メモなのでちょっと出鱈目かも、、) NHKに「プロフェッショナル」という番組があって僕も好きですが、なんとなくプロフェッショナルはすごくて、アマチュアは下に見てしまっていたような気がします。しかし、悪い言い方をすれ…

  • まつえ / 風景会議

    近代はいろいろなものを機能で分けていった時代だと思います。住宅の内部では食べる場所と寝る場所が分けられ、都市は用途(機能)によって分けられました。住む為だけの住宅を建てる場所、商売する場所、工業の為の場所などに分けられました。でも今から見ればそれは計画する側、管理する側の都合だったんじゃないかと思いますよね。 結果的に人口が減ってくると旧市街地の疲弊が目立ち始めます。旧市街地は、本来は商売する場所であり、同時に市民の日常生活の場所でもありました。通勤を前提としたサラリーマン社会になって、住む場所(郊外)には人が増えても、商売する場所(旧市街地)から人の姿が消えていきます。 そんななか、松江のま…

  • 自分が自分であること。建築と自己同一性について。

    自分が自分であること。 藤森さんの言葉だったか、昨日と同じ街があって、昨日と同じ建築があって、朝起きると確かに昨晩寝た部屋で目覚めること。人が、自分が昨日までと同じ自分であることは、そんな連続性で確かめてるんじゃないか、といったニュアンスのことを仰っていた(どこかで書かれていた)ように記憶しています。 そういえば、新世紀エヴァンゲリオンでシンジは白い壁に囲まれた部屋で目覚め、「知らない天井だ」と言うシーンがありますね。 三浦展さんが「独身者の部屋宇宙──高円寺スタイル」で郊外のニュータウンで起きる特異な事件について、郊外の持つ独特な不安定性を指摘されています。 自分が自分であることなんて、当た…

  • Ms 建築設計事務所 建築家 三澤文子さん

    住宅デザイン学校関西場所のひとコマ。 「千里私たちの家/Ms 建築設計事務所」で建築家 三澤文子さんから住まいの変遷をお聞きしました。 アトリエと住まいそのものが、千里というまちの変遷と共にあり、木の住まいの実験の場であり、日常と仕事の場であり、そして三澤文子さんの大切な記憶そのもののように感じました。 見学のあとはアトリエの大テーブルでパーティー(スタッフの皆さんにも大変お世話になりました)。アルコールも入って、この場所に身を置けることが嬉しく、幸せな時間を過ごすことができました。 こうした機会をつくっていただいた伊礼智さん、事務局のみなさんに感謝です。

  • 奥出雲 / たたら製鉄 / 棚田

    実家の庭から眺めた冬の風景(奥出雲町 佐白)ここは雲南から仁多に入ってくる街道の最初の宿場町だったと聞きます。冬は、かつてのまちの骨格が浮かび上がります。雪の粒子で覆われると、新建材も人工の構築物も、木や草や遠く山並みまで連続していきます。学生時代、鈴木恂さんがご自身の原風景として雪で覆われた冬の北海道のことを、人工物と自然がすべて白一色で溶けあう風景のことを語られたことを今でも覚えています。 良質な砂鉄と並んで重要なのは火のちからです。火のちからとはすなわち豊かな山林を意味しました。鉄師 御三家と言われる 田部家、櫻井家、絲原家は日本での有数の山林の大地主でした。たたら製鉄を陰でささえてきた…

  • 場所はいつも旅先だった

    しばらく忘れかけていた20代の頃の気持ちを思い出すような映像でした。 これから先、知らない場所、知らない世界とたくさん出会うと信じていた頃の。 「サンフランシスコの24時間ダイナーでカップルが政治の話をしているとき、シギリアの若い僧侶は寺院の床を箒ではいている。マルセイユの漁師がまだ日ものぼらない朝霧の中、相棒と船で沖に出ているとき、メルボルンのカフェでは夜勤明けの警察官がフラットホワイトをすすっている。わたしたちの知らないところで、だれかの朝がはじまり、だれかの夜が終わっている。そんな早朝と深夜の人間の暮らしをひとり旅を通して描く。」 www.amazon.co.jp

  • 学生時代の課題から

    早稲田大学専門学校(現:早稲田大学芸術学校)在学時 課題から A1の画用紙に全て手描きで描いた配置図。住宅地図をコピーして、カーボン紙を下敷きに描き写しています。敷地は学校とアパートのあった新大久保の住宅地です。間口は2~30mで奥行きは300mくらい。下級武士の短冊状の敷地割が路地として残っています。グーグルマップも無い時代でした。配置図内の建物は全て現地を歩いて高さや屋根の形状を調べています。屋根形状に応じて屋根の陰影を塗分け、建物の影で立体感を出しました。 長手なりに断面を細かく切ったドローイングです。ロットリングで壁に墨入れし、水彩で建物のみえがりを着色しています。建物の周辺などはマス…

  • コーリン・ロウ「コラージュ・シティ」

    松江では松江城の目前の高層マンションの計画を巡り、その是非を問うために建築家の寺本さんが勉強会を開催されると知りました。私自身はまだ詳細を知らないのですが。寺本さんの勉強会の資料を拝見し、そのなかで「街をつくらない高層マンション」という図が印象にのこりました。そのとき、コーリン・ロウ著「コラージュ・シティ」の「オブジェクトの危機」の図版を思い出したんです。 この図版は鈴木了二さんの授業で何度も見た記憶があります。 マルセイユのユニテとウフィツィがちょうど地と図が反転した関係にあると見立てています。コーリン・ロウは、ウフィツィのヴォイドとしての図の方がみんなに共有され開かれた構造体である、と言っ…

  • 建築が好きになる 24歳の頃

    建築が好きになったきっかけのひとつは1998年に早稲田大学で石山修武さんが催されたA3ワークショップでした。2週間、24時間とにかく建築漬けの日々でした。参加者は建築家の卵から学生、ゼネコンの設計部から銀行マン、左官職人から主婦まで多種多様。午前中は第一線の建築家や哲学者、芸術家などのレクチャー、午後はひたすら手を動かす毎日でした。それまで建築の世界から離れた場所に居ると思っていた自分にとって、それまで鬱積していたものが全部消えていくような素晴らしい時間でした。 石膏で照明器具を考えなさいという課題。学生時代はどうしても頭でばかり考えがちです。それは狭い世界なんですね。 原寸で考えること、手で…

  • 海の夢 ル・コルビュジエについての断章

    お彼岸。 太陽が真東から昇り真西へと沈む、秋分の日は、この世(此岸)とあの世(彼岸)が地続きになる日。 建築の本質は境界をどうつくるか、ということだと考えてみます。 その境界をきっかけにして内部と外部が生まれます。 境界は何か特別な場所ではなくて、言い換えればその内部と外部が、図と地が、プラスとマイナスがひっくり返る「ゼロ」のような場所。 無限定に連続する場を切断すること。 お彼岸は、ちょうどその境界の上に立ったときの、内部でも外部でもなく、図でも地でもなく、プラスでもマイナスでもない、それらが地続きになる日なのかもしれません。 現実と夢も地続きになる日。海の夢を見ました。 それは晩夏の地中海…

  • 開幕記念 内藤 廣 講演会

    「開幕記念 内藤 廣 講演会」 を拝聴しました。 内藤さんにしては珍しく展覧会のPRを含めて、言わなきゃいけないことを足早に話されている印象もありました。結果的に30分、時間が余ってしまい、その余った時間に素?で話されたことが個人的にはとてもよかったです。 グラントワの中庭のこと。そのスクエアな中庭は地中海のモスクの広場を起源としてシルクロードを渡って遥か益田まだたどり着いた文化の象徴ではないか。正確にはそれは若かりしバックパッカーの内藤さんご自身がスペインのプラザ・マジョール(マヨール)に身を置き、シルクロードを経てたどり着いたインドのレッド・フォートの中庭でみた白大理石とインドの青い空、中…

  • 山代さんレクチャー_UMITO

    SUKIMONOさんからお声がけいただき温泉津で建築家 山代 悟さんのレクチャー中大規模木造のお話を聞く機会を得ました。国内外の動向からご自身の近年のお仕事まで直接聞ける機会は貴重でした。木造中規模ビルを普及させる為の標準モデルの研究も、とても大切な仕事だと感じました。それは、都市木造の仕事がいかにタフなもの(多層構造、防耐火、外装等、、)であるか知る山代さんだからこそのテーマだと思いました。20世紀、コルビュジエはドミノ(鉄筋コンクリートで水平のスラブを積層させるシステム)を提唱しますが、21世紀は木質構造の中規模以上のフレームの標準モデルがテーマのひとつになるということかなと受け止めました…

  • 君たちはどう生きるか

    宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」を観ました。 鈴木博之さんの「私的全体性」のことを想いました。 対象を分析する(説明する)には要素に分けていけば良いけど、要素(部分)を集めて全体をつくる行為の本当のところは説明できない。(普遍化できない) 宮崎駿さんの「君たちはどう生きるか」はコルビュジエのラ・トゥーレットのようなものだと思いました。 コルビュジエは膨大なテキストを残しています。 しかし、コルビュジエの建築が色褪せないのは、同時に説明できない(本人にも)、説明不可能性にあると思います。 そして、その説明できない部分に圧倒的な奥行きを感じます。 そういう芸術的で巨人のようなデミウルゴス的なもの…

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