長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
大晦日という言葉には何とも言えない特別な響きがある。外国語にはない訳せないのではないか。もう紅白もほとんど見なくなり年越しそばを食べるくらいだが、大晦日の何とも言えない静けさが好きだ。知らないうちに過ぎた日を振り返る。一時自分探しの旅に出るなどということが流行ったようだが、旅に出て自分が見つかるだろうか、世界は見つかっても自分は見つからないような気がする。お父さんと呼ばれて父になりじいじと呼ばれて爺さんになった。先生と呼ばれてまさか自分のことと思いながら医師になった。自分というものはそうしてできてきたように感じる。保守的と言われるかもしれないが家族家庭の中に自分と大晦日があるように振り返る。大晦日
寒波到来と言っても高々2C3Cで真冬日の北海道に比べたら霞のような寒波だが、寒さに慣れていないので寒い。おまけに寒いと皮膚が痒くなって困る。蕎麦は冷たい方が旨いと思っているが、こう寒いと暖かい鰊蕎麦や天南蕎麦を頼んでしまう。残った暖かい汁をどんぶりを持っていただくのが何とも旨い。寒さには暖がご馳走だ。ところでいよいよ押し迫ってきたが、今年は貫く棒のごときものが感じられない。去年今年分断させる切り札トランプということか。寒波到来
人類誕生からの歴史に戦争は絶え間ない。これまでに非戦闘員の民間人を含めて一体どれほど多くの死者が出ているか想像を絶する。現在も中東ウクライナで戦火がありこの一瞬にも命が失われている。プーチン、金正恩、ネタニエフ・・は狂っていると思う。しかし彼らの暴走を止められない。とても承服はできないが彼らは彼らなりの自分達の方が正しいという理屈をひねり出している。暴力で片を付けるのをどうすれば止められるだろう。異論はあると思うが、暴力に物を言わせる人達が居るのだ。その背後にそれを容認する人達がいるのだ。彼らの力を削がねばならないと思うが、至難の業らしい。暴力を押さえるには
車のハンドルやブレーキには必ず遊びがある。もし遊びがなければ、運転しづらくとても疲れるだろう。遊びがあるから、狭い道もぶつからずに通れるし、急ブレーキで酔うこともなく心地よく乗れる。誰がハンドルやブレーキのゆとりを考えそれに遊びと名付けたのか知らないが、人間の動作を深く理解した素晴らしい設計だと思う。車のハンドルやブレーキに限らず、社会生活にも遊びは欠かせない。盆暮れを遊びと言うのは不適切かもしれないが、特に日本社会ではという気がする。外国ではどうなんだろう。必須の遊び
インフルエンザA型が流行し始めた、毎日十人くらい受診される。困るというか難しいというか、発病して半日くらいで受診される方が結構おられるのだが、そういう症例ではインフルエンザの検査が陽性に出ないことがある。典型的な症状や所見と周りの状況から臨床的に診断できる場合はよいのだが、他のウイルスの風邪と区別がつかない症例もある。インフルエンザと一般の風邪では薬が違うし、インフルエンザと診断すれば自宅待機になるので難しい。診断キットも特効薬もない時代は、さほど悩まず臨床的に診断し、患者さんもそれを受け入れていた。妙な感想かも知れないが、世の中の変化は複合的で、便利一辺倒ではないな。インフルエンザ流行
職種によって人になにがしか固有の特徴というか気質があるように感じる。例えば同じ飲食業でも寿司と中華では何処がどうと一言では言えないが明らかに違う。いつもの理容店の予約が取れず、ネットで見つけた近くの理容店に出かけた。この繁忙期に直ぐ予約が取れたので人気店ではないようでちょっと冒険だったが新しい店も一興だ。五十歳前後と思しき店主が所在なげに待っていた。どんなふうにと聞かれたのでこちらの希望を伝えると、前回の散髪からの期間を聞かれた。五週間と答えるとおもむろに観察してからカットが始まった。仕事は丁寧できめ細かく、いつもの理容店に負けない満足な仕上がりになった。いつも大体一時間弱なのだが初めてのせいか一時間十分ほどかかり、お値段が僅かに安かったのに驚いた。今までにおそらく二十軒ほどの理容店に行っていると思うが、...職種の個性
重力で光が曲がると聞いて驚くことはない、事実が思惑で曲がることに気付けば成程と合点が行く?。難解な理論物理は決して万人のものではないが、どんなに難解でも人の思惑から逃れることはできない。EV(電気自動車)が寒冷地で故障を起こし、急速なEVシフトにブレーキがかかった。突然、EVダメダメという声が溢れたのでEVは本当に駄目で衰退するのかという印象を持たされたのだが、ダメダメと囃し立てたのはEV普及が不都合な関連産業の一部と読まれることが一番の報道記者に何かを叩くのが快感な人達らしく、実際にはEVは改良は必要だが廃れてはおらず、シフトダウンされただけでやはりこれから伸びてゆく自動車産業のようだ。とにかく内実を理解せずに好き嫌いだけで叩く人達が多く、事実が修飾され実際のところが分からなくなってしまう。曲がる空間
今年もあと一週間とは思いもよらぬ。あまりにも月日の経つのが早く驚くばかりだ。少年老い易く・・・軽んずべからずと連想されるが、それにはさほど後悔はない。多少の後悔はあってもやれることをやってきたと振り返るからだ。思う通りには行かないもの、先のことはわからない。唯、月日の経つ速さに驚いている。光陰矢の如し
かなり前によくジャロにお電話をというラジオメッセージを耳にした。これは過大広告を規制しようという民間に生まれた日本広告審査機構のことで、成る程怪しい広告はここに連絡相談すればよいのだと安心に感じたものだった。今も活動しているかどうか知らないが、最近は広告も深層心理を考えた巧妙なものになりジャロに通報しにくくなったのではと感じる。宣伝は意図的なものこそ近世になってからかもしれないが、手法と思想は人類と共にあった。人類の遺伝子に組み込まれていると思われる情報連携システムだ。21世紀になり妄想盲信の喧伝がネット通信で容易に可能となった。審査なし、ことの当否よりも愉快が優先される、事実かどうかは二の次の情報拡散だ。ジャロもお手上げか?。どうジャロ
十二月は師走と呼ばれなんとなく気ぜわしいものだが、年を取ったせいか師走感がだんだん薄らいできた。確かに走り回る車が増え道は混むけれども、街の飾りつけはもう一つ大人しい感じがする。普段からある程度広告や飾りつけがあるので、特別感が出ないのかもしれない。もう一つ暖冬なことといつも気ぜわしい世の中の影響もあるかもしれない。今の子供の目に年末がどのように映っているのだろう。懐かしいものが薄れゆくと感じるのは六十年以上前を覚えている年齢になったせいかもしれない。師走よりも車走
民意を盾にするのは、ちゃんと熟慮した上でとお願いしたい。税金が下がるのに反対の人はまあ居ないだろうが、だから民意だは短絡していると思う。一つの突破口としても、波及を吟味しないで拙速に錦の御旗にすると大局を見失なう恐れが出てくる。Mけしからんと糾弾、民意だと席を蹴るのはどこか脅しのようにも見える。社会の構造動き政治も決して単純ではない。マスコミの自立力は不十分、猪突しやすい。公開した議論を尽くし複雑な内容を吟味して合意を目指すのが政治家の仕事では、民意は議席数に反映されている、それに従って政策を探るのが民主主義の本筋のように思う。どうも危うい
もう十年以上今の床屋に通っている。予約制で、ちょっと不便なのだが慣れた。もう漫画や週刊誌を読みながら待つ時代ではなくなったようだ。しかし困ることもある。年末は混んで予約が取れなくなるのだ。もっと早く電話すればよいのだが、一週間前では遅すぎた。いつも二三日前に電話するので少し前倒しで電話したのだが駄目だった。確か去年も一昨年も年末予約が取れず、やむを得ず他のところへ行った記憶がある。どうも年末は一か月前から予約を取っておかないと駄目らしい。次回の予約を取って帰る客もあり、自分もそうすればよいのかもしれないが一か月先は予定が不定なのだ。未知の店も一興か?今年も予約取れず
日本の国土は小さめなのだが列島を形成し南北には長いので地域によって気候の違いが大きい。それに同じ緯度でも日本海側と太平洋側では冬が随分違う。当地は冬に雪が降ることは珍しく積もるのは四、五年に一度くらいだ。「雪が降ると嬉しかった。授業を中止して裏山へ雪だるまを作りに行った」。「冬は教室が寒かった」などとゆう話をレストランのマダムがしたら、雪国育ちの友人が鼻白んで雪が嬉しいだって、小学校の教室が寒かったってと驚きあきれていた。それだけ同じ日本でも気候が違うのだ。この頃はズーズー弁などというと差別と注意されるので話題に上らないが、テレビラジオで平準化されてきてもなまりは残っているし、当然地方で気質も違う。地方なまりは今に残る歴史で、世界各地で認められる、人の育ちの証でもある。人間の情報源は多彩で広がったかもしれ...雪が嬉しいですと
ユーチューブでは一つの分野を登録者数を目安にランダムに二十選べば大きな偏りのない情報が得られると見積もっている。尤も、こうして表題だけで選ぶと何だか変というか個人的に視聴続けられないものも混じってきてしまい削ることもある。もう十年若ければ、見続けられるのかもしれないが後期高齢者になると堪え性がなくなる。残念ながら英語以外の外国語は理解できないので、日本語と英語のユーチューブから選んでいる。最近アメリカの農家ものを見て面白かったので、早速農家もの(主にアメリカ)を二十ばかり集めてみた。見ていると農業には違いないが、工場のように見えてしまう。日本の農業と規模が全く違い、使われているトラクター、収穫機械、収納倉庫など馬鹿でかく、知識としては知っていたが実際を見てみるとなんだこれはと驚いてしまう。何というか気の良...これであるいはこれが、農業か
半世紀前は街角にラーメン餃子レバニラ天津飯の中華の店があり、ところどころに寿司屋うなぎ屋があったものだ。ところが吉野家を嚆矢とする外食チェーン店が徐々に全国展開を始め、二十一世紀には個人外食店は淘汰され始めた。外食する人の数はむしろ増えていると観察するが、それを賄うのは圧倒的にチェーン店になった。チェーン店の価格を小規模の個人経営の店で提供するのは難しいようで、たとえ四、五軒二十キロ四方でも連携する店が増えた。勿論、全く自立した洋食屋や中華の店はあるが、特色がありやや高価な店が殆んどだ。庶民は中々厳しくチェーン店も味メニュー値段に熟慮工夫を怠らないようで、ちょっと売れ筋のカレーシリーズが直ぐ行き渡ったのはご同慶の至りだ。個人的にはカレーはすき家がお勧めだ。写真はこだわりシェフの洋食店のオムライス。変わりゆく外食店
生きていく上で大切なことは優れた判断だろう。おそらく良く生きるに一番大切なことと思う。大切なものを守り育むためには適切な判断がなくてはならない。韓国で起きていること、詳しくは承知しないが、またかと感じる。不実不正に対する怒りと行動力には感心するけれども、深謀に欠け短慮に見える。失礼ながら欠けているのは判断力ではないか、失敗に学んでいないように見える。他山の石にしたい。どんなに自立しても、社会国家の影響から逃れることはできない。社会国家を動かす両輪は政治と経済で、それに携わる人間に優れた判断力がないと間違う。優れた判断力のある人間を選ぶことが極めて重要で、国民の責務だ。口から出まかせの悪賢い人物に騙されて、他人の痛みを感じることのできないような人物を選んではならん。大切なこと
病気と言うのは最初は症状がそろわず診断が難しいものだ。有利という言い方は変かもしれないが後から見た医師の方が正しい診断が付けやすい。しかし世間の人は正しく診断できなった前医を藪医、後から正しい診断をした後医を名医と思いがちだ。だから我々の仲間内では前医を悪く言うなと言う暗黙の了解がある。しかしながら軽率な若い医者は時に、これがわからなかったなどと口走ることがあり、不要な誤解を生むことがある。初期に正しい診断を下せるのが優れた医師なのは間違いないが、イチローだって毎回ヒットが打てるわけではない。大切なのは確率と布石なのだ。優れた医師は居ても普遍的な名医というものは存在しないのでは、名医には出会いと相性があると思われる。後医は名医だろうか
アルコールはたしなむ程度で沢山は飲めない。しかしワインを楽しむ会に入れてもらい二、三カ月に一度出席している。大蘊蓄家が二人小蘊蓄家が一人、三人が聞き手だ。一晩に三本四本飲んで、あれこれ言うには六人くらいの員数が必要でお声が掛かったらしい。もう二十年近く、メンバーには多少の変化があった。蘊蓄家はコレクターでもあり、ソムリエ裸足のS氏が十数年前からワインの値段がべら棒に高くなったと嘆いていた。今は影を潜めた中国成金の仕業らしい。たしかに一本二十万円などというものは飲み物と言えない。これは誠に上品な味わいのイタリアワインだ。シャルドネとは思えない味わいの2018年、何度聞いても蘊蓄はよくわからないが、おいしさはしかと味わった。ワインをお相伴
丸亀が讃岐うどんかどうか問題はさておき、美濃生まれの私には丸亀は旨い、さすが讃岐と時々食べに出かける。丸亀も右に倣えで値上がりしてしまったが、値上がり幅は小さい方だと思う。唯、値上がりのせいかどうか、最近はやや客足が落ち、待たずに座れる。感心なのは数か月ごとに新製品を出すことだ。昨夜はうどんカルボナーラを試してみた。これがなかなかの組み合わせで美味しくいただいた。世の中にはいろんな人が居て、斜め前のお兄さんも同じカルボナーラを食べていたのだが、何というかネギを山盛り掛けうどんが見えない状態で思わずご面相を拝見してしまった。いくらご自由にと置いてあると言っても二十人分も使うとはサラダのつもりかとお聞きしたくなる。きっと本社では新メニュー開発に余念がないに違いない。饂飩は蕎麦に比べ組み合わせの幅が広いから、開...讃岐うどん新製品
認知症になると患者さんはしばしば幻想と言われる話をするようになる。自宅から医院まで家族の付き添いなしにはやって来れない患者さんが毎週田舎へ帰っているんですよと百キロ離れた生まれ育った町へ行ってきたような話をされる。「ああそうですか」と相槌を打つのだが家族は違う違うと合図される。勿論、私も事実ではないことは百も承知しているのだが、患者さんにはそれが幻想ではなく事実なのだ。有り得ないことと確認できるので幻想と却下して相手にしないご家族が多いのだが、有り得ないと簡単には確認できないので世の中には却下されず流布している陰謀論や中傷やあなただけという儲け話が数多い。これらも幻想の一種で願望怒り欲望で目が眩み事実のように思えてしまうのだ。人間はAIと異なり瞬間の事実だけを認識することが出来ず、常に経緯脈絡連想と軽重様...欲望と幻想
新型コロナはかなり減って代わりにインフルエンザが増えてきた。不思議なことに今ではインフルエンザは勿論、新型コロナも怖がられなくなった。病名を告げても、ああそうですかという反応が返ってくる。インフルエンザは祖父母の代からの馴染みで様子が知れているし、新型コロナも軽症化し周りに俺も私もと罹患した人が居て、しかも入院せずに治っていることが大きいのだろう。どうも人は見知らぬ得体のしれない物を恐れるようだ。そして馴れると怖がらなくなる。恐怖も馴れも時に判断を誤らせるから気を付けたい。恐がられなくなった
新米が出て米の品不足は解決したのに、肝心の値段が下がらない。今食べている米は地域のコシヒカリで5kgで3400円もする。品不足が解決しても値段が下がらないというのはしばしば経験することだが、米価は高止まりが過ぎる。我慢して買わないとはいかず困る。どうしてもっと大きなニュースにならないのだろう。マスコミのニュースは視聴率最優先で、本当に問題なことがかき消されてしまう傾向がある。103万円の壁問題も、きちんと税の仕組みを理解している人は少ないと見る。心理的な壁があり確かに主婦や学生の就労を促す効果はあると思うが、醜聞玉木保全と他野党の賛意不十分の背景に支持率がある。科学技術が進み社会の仕組みが複雑になると、民衆の理解が追い付かず興味本位情報優先で民主主義が崩れてゆくようだ。米の値段が下がらない
元々やや乾燥肌なのに加え年を取ってきたので、冬になると手足や体幹が痒くなる。掻くまいと思っても、つい搔いてしまう。同年配の患者さんの背中を聴診していると掻き痕のある人が時々おられる。希望されれば保湿剤を処方している。範囲が広いので軟膏のように5g10gではなく100gとか150gとか結構な量のものになる。きちんと塗ればそれなりの効果があるようだ。地域によって四季の変化は様々だが、人は変化する気温や湿度に適応して生きてゆかねばならない。どうも寒さと乾燥は人体に負担が大きいようで、冬は体調を崩す方が増える。保温保湿は身を守る基本と申し上げたい。同病相理解
忘年会に出ると思いがけず最年長で、歳を思い起こされあれあれという気持ちになった。まあ何とか話についてゆけたが、見知らぬ顔もあり歳は取らされる面もあると感じた。どうもちょっと感覚が違い相槌が打ちにくい話もあったが、年齢時代の違いというよりは元々自分の仲間意識が薄いせいかもしれない。終わり際、皆がウエッブ会合よりも、直接会って話をする方が楽しく有意義と言ったのには全く同感した。忘年とは行かず
戒厳令はそれこそ不安定な未熟の国の出来事と思っていたが、そうでもない、否、やっぱりそうであるらしい。失礼ながら、一人当たりのGDPで日本と肩を並べる国の出来事にしては稚拙で危うい。そうは思っても、さて我が国は大丈夫とも言い切れない気もする。視野狭窄、短絡思考、贔屓の引き倒しには心したい。近くて遠い国の異常事態
今日は今年最初の忘年会だ。今年は四つとこの数年で一番多い。尤も働き盛りには時代も違うが十くらい顔を出していた。おそらく忘年会そのものが三十年前に比べれば半減は大袈裟かもしれないが、かなり減っているのではないか、社内旅行などというものもめっきり減ったと聞く。欧米には忘年会はないのではないか。アラブ、インドにもなさそうだ。東南アジアではどうなんだろう。忘年には日本民族の得意技、不都合なことは水に流し嫌なことは忘れるという意味合いがあるのだろう。そうした効果は確かにありそうだ。いずれにしても普段仕事のこと以外話さない人や会釈だけの人となにがしか話ができる良い機会なことは確かだ。今日は中華と聞いている。楽しみだ。忘年会始まる
存命だったら、立花隆さんは立花隆志氏を何と言うだろう。怪人三枚舌?。なんだか不思議な名前の政党が出てきたなと思ったら、立花隆志氏はけったいを通り越してきっかいな人物に見えてきた。何処までが嘘でどこまでが本当か分からない。何のために政治活動をしているのかよく分からない。違法性のあることもしているのではないかと報じられているが、取り締まる方も何が何だか分からないのではないか。希代の幻惑師なのは間違いなさそうだ。懸念するのは口先三寸で尾ひれを付けて話を拡散する人物の言葉に惑う人が数多く居ることだ。もし立花隆さんが存命だったら
どの地方にもはんちゃんラーメンというものがあるのだろうか。否、あっただろうかと言った方がよいかもしれない。ラーメンだけでは腹一杯にならない、チャーハンと両方食べたいという人には誠にありがたい組み合わせで、以前よく食べている人を見かけた。炭水化物の組み合わせの上にどうも腹が膨れるような気がして自分は数回しか注文したことがない。気のせいだとは思うが単品より僅かに味が落ちるように感じる。時々無性にラーメンやチャーハンが食べたくなることがある。残念ながら街角中華の店は減ったのだが、ニ三か月に一度今も残る店に赴く。カウンターに座って、最後まで迷いながら結局チャーハンを頼むことの方がやや多い。三対二くらいの割合だ。周りを見渡した印象ではラーメン派の方が多いようだ。チャーハンVSラーメン
ユーチューブを見ていると高所恐怖症ではなく高所嗜好症と言いたくなるほど、危険な崖を登ったり、何十メートルという高所から飛び込んだり、200mの高いビルの間に張った綱渡りをしたりする人達が居る。どれひとつとっても私にはできない。足がすくみその場に立つこともできないと思う。命知らずの男どもだけでなく女性でも二十メートル以上の崖から滝つぼに飛び込んだり、崖を命綱なしで登ったりする人が居る。どういう神経の持ち主なんだろう。勿論、できると思ってやっているのだと思うが、中には命を落とす人も居るのだ。別に高所に限らないが、世の中には常人にはできない至難の技を持っており、更に上に挑戦してしまう一群の人が居る。高所嗜好症?
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長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
gooがブログを止めるというので引っ越しを始めた。うまく行くかどうか手探りだが、「はてな」に引っ越すことにした。新天地でさてどうなることか。お名残り惜しいが、心機一転。取り敢えずご報告。引っ越します。
家内が夕飯作りに草臥れたというので、老夫婦で回転寿しに行った。私は光り物中心に八皿、家内も巻物デザートなど八皿で合わせて十六皿。会計は三枚でお釣りが来て嬉しかった。お腹が空いていても十皿が限界なのだが、隣の若い二人連れは三十皿近く積み上げていた。男性の方は中肉中背で大食らいには見えないのだが、一人で二十皿くらい平らげていた。自分も二十歳の頃はあれくらい食べられたと思う。若い力を目の当たりにした。隣の客はよく食う客だ
敵愾心を煽るのが得意な人達が活躍している。妬み辛み恨みを利用して他者を非難し不平不満を掬い取り、それで稼いだり支持を取り付けたりしている。人間には劣情がある。それを利用した戦術なのだ。昔、小学校でそれは醜いこと慎むべきことと教わったのでその感覚が身に染みている。それが絶対に正しいことかどうかは分からないが、それに人類の知恵が詰まっているのは確かだと思う。何でもあり、とにかく数を集めれば勝ち?の世の中では、人類の知恵がかき消されてしまう。今だけ金だけ自分だけには同感できない、明日もあなたも思いやりも大切だと思うのだが。敵愾心を煽る戦術
高い関税は脅しだろうと高をくくっていたら同盟国?にも掛け始め、どうも本気らしいと身構えたら僅か二週間で腰砕け、やっぱり脅しで交渉の手札だったと思わせる兆候が表れてきた。猫の目トランプに振り回される世界だが、アメリカが信頼できない国になったのは間違いなく世界秩序は変容した。色々な人が指摘しているようにこのピンチは日本が変わるチャンスだ。歴史の知識は乏しいが、日本は変わらない変われない国だいうことは歴史から分かる。革新する信長のような人物は例外で、故に本能寺の変が起きたと観測している。いつも変化をもたらしたのは外圧で、トランプは大きな外圧と捉えられる。これを利用して変らないと日本はじり貧になる。先送り隠蔽体質の自民党では駄目だ。ではどこにと代わる政党がないようでも変えないと、トランプがもたらした秩序破壊という...トランプという外圧
趣味は何ですかという問いに旅行という答えを時々見たり聞いたりする。今はそうでもないが、以前は旅行って趣味でするものかなあと妙な感じがした。史跡を巡るとか旨いものを食べに行くとか言われれば成程感が出てくるのだが、漫然と旅行が趣味と言われるとピンとこなかった。知らない土地に行ってみたいという好奇心が根底にあるのだろう。中には世界一周に出かける人もおられる。さすがに世界一周となると趣味を越えるようで半ば本業になってしまうようだ。世に転勤族と呼ばれる人達が居られる。お付き合いのある薬品メーカーの人はみなさん全国を何か所か転々とされており、住んだ土地の話を聞かせてもらうのは楽しかった。世の中で言われていることは概ね正確なようで、九州博多は良いですね。引退するなら静岡でしょうか。名古屋京都はやりにくいですと言われる。...旅行が趣味
備蓄米を放出しても米価が下がらない。価格は需要と供給で決まると思っていたのだが、何か別の絡繰りがあるらしい。米作の調整をしてきた政府は、この謎を解明して国民に説明する義務と責任がある。米食を減らして食パンやスパゲッティにしているという主婦がテレビに出ていた。需要が抑えられているのに米価が下がらない、どういうこと?。農家の販売価格が消費者の手に届く間に、どのように変化してゆくのか調査をして報道してほしい。もし米が不足しているのなら、備蓄米をすべて放出すればよい。新たな備蓄米は安くアメリカから輸入すればよい。カルフォルニア米は安くて十分美味しい。何故米価が下がらない
内科学会総会で大阪に行ってきた。自宅でオンラインでも受講できるのだが、長年の習慣で家内を連れて大阪に一泊した。私は勉強、家内は買い物。新幹線は半分が外国人で、何だか外国旅行気分だった。欧米人はともかく、どこかの国の人はエスカレータの乗り口を塞いで立ち話、思わず通り道ですと注意しようとしたら日本語ではなかった。大阪は二年振り、同じ大都会でもどこか東京とは違う。東京より立て込んでビルが多い、広告が多い、緑が少ない。関西と一口にいうが、関西はひとまとめにできない、京都大阪神戸で違うのだ。微妙というより大きく違う。好きかと言われると、すぐには返事ができないが、大阪にはエネルギーを感じる。大げさかもしれないが快適な新幹線乗って大阪の街を歩いて、まだ日本は大丈夫と感じた。大阪と新幹線
鶯の泣き声が聞こえる。初心者のはずだがきちんとホーホケキョと聞こえる。どこかで練習してから来たのだろうか。三月にも聞こえていた記憶があるから、きっとそうなのだろう。まだ時々冷え込むが、ずいぶん暖かくなった。桜も散り、あっという間に緑の若葉に置き換わり桜の木だった面影は消え、なんだか不思議な感じがする。そういえば今年はまだ桜餅を食べていない。柏餅に変わる前に食べておきたい。春夏秋冬と四季の味わえる日本だが、春は短い。五月は初夏で夏に入る気がする。新緑、青壮年には意欲の湧く季節なのだが、高齢者には少し重い。心が沈みがちの鬱傾向の人にも付いてゆけない感じがするようだ。多様を受け入れる柔らかい世の中がいい。鶯が鳴いている
トランプ大統領はあたふたと言うことが変わるが、実はこれも策略で裏に深い狙いを持っていると解釈する解説者が居る一方、ころころ変わるのは場当たりの表れで関税に捉われた視野の狭い愚策だと断ずる解説者も居る。当初、私もひょっとして深い戦略があるかもしれないと思わされたが、ここまで言うことがころころ変わると単なる乱心と思えてきた。誤った現状認識に基づいた愚策でパンドラの箱を開けて世界をカオスに陥らせた人物として記憶されることになるのではないか。しかしながら、決して自分の間違いを認めたり悪かったと謝罪しないから厄介だ。うまく行くと自分の手柄うまく行かないと誰か他者のせいにする。そうして岩盤支持層は繋ぎ留められ、一定の評価をする人たちは途切れないだろう。いくら何でも猫の目では
手品師ではないけれども、あまり手の内は明かさないほうが良いかもしれない。でもまあ、知って貰うのと理解が深まるかもしれない。病気というのは嫌なもので、中でも質の悪い病気は診る方も負担が大きい。有難いことに医学は進歩しており、癌と言えば死刑宣告のように響いた時代は過ぎ去り、早期のがんは治る時代に進行したがんもかなり生きながらえることができる時代になった。そうはいっても人間は心配から逃れることはできない。後医は名医と言われるように、早期に疾患を見付け適切に対処することは難しい。病気が少し進行してから診断することはさほど難しくない。市井の開業医はできる検査は限られているし、早期の疾患を診ることが多いので、簡単そうに見えるかもしれないが実は中々難しい。なんでも気軽に話せてご心配ありませんよと言ってくれる先生と思われ...手の内
見出しに本当や真相が踊る。実際に記事を読んでみると、たいてい本当や真相は書かれていない。そう思わせる状況や思惑が書かれているだけだ。人の目を引く釣り見出しなのだが、人はそれに釣られるし状況思惑でそうなのだと納得してしまう人も多い。どうも人間の遺伝子の中に話を信じてしまう思考回路が組み込まれているらしい。世に悪知恵のある人物は多く絶えることはない。どうすれば怪しい話うまい話・・に踊らされることから逃れられるだろうか。歴史と経験に学ぶことがその方策の一つなのは間違いない。万年の歴史から学ぶことは難しいかもしれないが千年の歴史からは学べる。千年の経験は不可能だが祖父母の伝聞まで広げれば百年の経験に手は届く、各々方今はその時と申し上げたい。本当と真相の語るもの
長くgooでブログを書いてきたが、gooがブログサービスを止めるという。どうしたものか。これが潮時とブログを辞めるか、あるいはどこかに移転するか。最初はブログというものがあるそうなと聞き、自分もやってみようと始めたのだが、いつの間にか習慣となり幾許かの仲間というか知己もでき、ボケ防止とストレス解消の効果もあり続けてきた。毎日三、四十分ばかり、最近は日記のように書いていた。サービス中止まで数か月あるので、一か月くらいどうするか考えたい。どうするか、思案投げ首
ユーチューブから世の中の情報を得るようになって三年ほど経つ、新聞は全国紙二紙を読んでいるが地上波テレビはほとんど見なくなった。ユーチューブの登録チャンネル数は三百くらいあり、ほぼ毎日チェックするものからニ三か月に一度チェックするものまで色々だ。三百以上はあまり増えない。というのは月にいくつか新たに登録するが同じくらい登録を外すものがあるからだ。視聴登録数がみるみる増えたチャンネルにPIVOTがある。比較的中立で経済に力点が置かれている。ゲストが適切でインタビュアーの質問も的を得ていて聞いてみたいことを聞いてくれる点が視聴者が増えている理由と思われる。竹下隆一郎氏が抜けても勢いに陰りはない様子だが、それには新しい魅力的な女性陣の力が与っているようだ。移転した竹下氏のCROSSDIGがどの程度伸びるか不明だが...PIVOTはPIVOT
友人のS氏がコーヒーに凝りだし、豆を挽いて飲むと美味しいですよと言われるので自分も豆を挽いて飲みだした。実は二十年ほど前は自分も豆を挽いて飲んでいたのだが、ちょっと億劫になり最近はインスタントを飲んでいた。まあ最初はブラジルが良いかとブラジルから始め次いでグアテマラと飲んでみた。確かに香りがよく美味しい。ちょっと手間がかかるが色々な豆を試す楽しみもある。さて次はと迷っていたら、今月お得なのはペルー産ですというのでそれを買ってきた。お得と言ってもコーヒー豆は高騰しており100g700円もした。ペルーMべロニカ、果たしてどういう味がするだろう。職場に着いたら早速飲んでみたい。ペルーMベロニカは初めて飲んだが、マイルドで苦みは少なくわずかな酸味に旨味があり飲みやすく美味しかった。単独もよいがケーキも合いそうだ。ペルーのコーヒー
左足の親指が腫れて痛く、この二三日びっこを引いている。痛風だねというのが医者の反応だろう。ところが後期高齢者の場合違うことも多いのだ。実は階段を登る時、左足が思ったほど上がっておらず躓いてしこたま親趾を打撲してしまったのだ。幸いあと二段ほどだったので、二階に倒れこみ階段から落ちるのは免れたのだが、打撲の後遺症でびっこを引いている。年を取ると僅か1cmのことだが足が思ったほど上がっていないことが起きる。以前にも軽く躓くことがあり、気を付けていたのだが今回に懲りて、今は意識して足を挙げて兵隊の行進のように階段を登っている。それと階段は真ん中は歩かず手摺のそばを昇降している。転倒は高齢者に思わぬ障害をきたすことが多い。いつも段差にはご注意と申し上げているのに、自分が怪我をしてしまった。極めて遺憾だ。左足の親指が腫れて痛い
ユーチューブで政治経済の解説を視聴している。皆さん色々なことを言われる。バランスの取れた視野の広いものよりも自分の主張が正しいというニュアンスのあるものの方が多いかもしれない。そうしたユーチューブも結構な視聴回数なので、そういうものかと思っている。何十万という視聴回数を持つものには色々なゲストに様々な視点から解説を聞くバランスの取れた公平客観的な感じのものが多い。そうしたチャンネルに登場する中で成程と感じることを言われる三人に注目している。それはエミンユルマズ、ジョゼフクラフト、モーリーロバートソンの御三方だ。日本語も日本人以上に巧みで、見方はそれぞれ違うのだけれども視野が広く鋭いことを指摘される。ロジカルでしがらみがないせいかもしれない。とても参考になる。外国名だけれども
結構涼しいというか寒いといってもいい日が多かったので桜が長持ちした。入学式の日にも満開の桜が見られた様子だ。地方によって新学期の日は異なるようだが七日八日のところが多かったのではないか。七十年前で今では記憶も薄れたが、自分が小学校に入った日にも桜が咲いていたと思う。大した風もないのに桜は散る、桜吹雪の中を出勤している。株価が乱高下し、経済学者から評論家、素人のはずなのに色々口をはさむ人まで百家争鳴で解釈予想がネットで乱舞している。私も爺のつぶやきに過ぎないが、政治経済のことを書くので人間には世の中のことを色々気にしたり考えたりして発言したい性質を持った人間が居るのだと分かる。女性も居るが男の方が多い。自分の場合、多少のストレス発散になっている気がする。百家争鳴に参加
トランプ関税発表直後、証券アナリストの多くは米株価は下がるが日本株の下げは大きくない、35000円で底だなど色々勝手なことを言っていた。ところが、株価は下げ続けて大きく下落した。一体どこが専門家なのだろう。確かに明日のことはわからないのだが、わからなさにも専門性があると思っていたがトランプが相手では考えても分からないということか。トランプの関税は単なる脅しで、米株価下落を気にするから実際には高い関税は掛けないと言われていたが、現実は株価暴落もなんのそのしばらくすれば回復する我慢しろと突っ走っている。トランプ自身は意図も予期もしていなかったと思うが、パンドラの箱を開けてしまった。アメリカには頼れないアメリカは信用できないというパラダイムシフトが起き始めている。日本の政治家も経済人もまだそこまでは考えていない...パンドラの箱を開けた
このところ外食が増えている。外食で困るのは、家内が食べきれないからと私に色々呉れることだ。食べようと思えば食べられるし残してはいけないと教えられて育ったので食べ残すのも気が進まない。ダイエットが中断されて大袈裟だが遺憾だ。この頃は無念だが断っている。日本では食べきれなかった分を持ち帰るのが難しい、言い出しにくい、嫌な顔をされる、断られる。勿論、どうぞというところもあるが。小食者用というか高齢者人口も増えたことだし高齢者用の七分目の量のメニューを作って欲しい。採算的に難しいのは分かるので値段は一二割引きで文句は言わない。ところが実際には単に量を減らしただけのメニューは出しにくいらしく、殆んどの店で見かけない。もっと客の多様性を考えてと申し上げたい。家内は写真のリンゴは毒林檎というが本当だろうか?。毒林檎の苗...できないものか?
遠い昔、寛容と忍耐と説いた首相が居られた。それに習い、異なった異なった意見にも耳を傾けるのを信条としてきた。しかし高齢者になってくるとあにはからんや円熟とは参らず、少しづつ忍耐力の衰えを感じるようになった。年を重ねると穏やかな達観の境地が訪れるというのは希望的観測のように思われる。私が残念な例外という可能性もあるが、どうもそういうわけでもなく寛容はともかく忍耐力は年と共に衰える傾向があるように感じ観測している。尤も、判断力が付いて評価に値しない意見に貴重な時間を使わなくなったと言えるかもしれない。いづれにしても、この人の言うことは聞いていられないと思う人が増えた。勿論、一二割は頷ける意見や考え方を含んでいるのだが根本のところで堪えきれない軋轢音を発生するのだ。堪え性がなくなる
限られた経験だが、四十代と思しき歯科衛生士にお目にかかったことがない。殆んどの歯科衛生士さんは二十代だった気がする。今お世話になっている歯科の衛生士さんは二十四、五、六才の気がする。歯科衛生士さんは普段はあり得ない距離でお顔を拝見できる。見まいと思っても腕や首が目の前に迫ってくる。日本人女性はと言っても外人をよく知っているわけではないが肌が細かく美しい。若いから皺がなく大袈裟かもしれないが若さで輝いている。何故歯科衛生士は若い女性ばかりなのか知らないが、アラフォーだと再雇用の口がないのかなと推測する。歯科衛生士は若い
まさかということが起きた。人類とは思えない強さの藤井八冠が伊藤匠七段に敗れ七冠になってしまった。今期に入り永瀬九段などにやや不調ではと言われていたのだが、調子を落としていたのだろうか。勝勢から逆転負けするなんて、今までの藤井には考えられないことだ。大谷も一時通訳の不祥事で調子を落としていた。やはり二人とも人間だった。伊藤が勝てるならと端から気勢を削がれていた棋士達が新たな戦略で向かってくるだろうから、藤井七冠もこれから大変だろう。しかし、タイトルの数など気にせず目の前の一局に全力を注ぐ人柄なのでこれからも名勝負を楽しませて貰えると思う。十一連敗からの奪取、師匠はありがたいね。師匠の宮田八段は伊藤が勝ちますと断言していた。藤井敗れる
五十年以上の長い記憶のある国民は、とりあえず平和そうな日本も内実はあちこちガタが来ていると思われているのではないだろうか。特に劣化しているのは政治家だが、もう一つ改革が必要なのはマスコミだ。自立しておらず金と権力におもねる姿勢が透けて見える。政治資金規正法が成立したが、形だけの改善で抜け穴だらけのザル法だ。十年後に領収書を公開するなど何の意味もない。しかも一部は黒塗りだ。それを衆議院賛成参議院反対と支離滅裂な維新の馬場代表が得々と支持している。阿保らしくて話にならない。国会中継の党首討論で岸田首相の答弁を聞いていると国民よりも自民党議員を守っているのがよく分かる。日本の政治家は選挙のことしか考えていないという米国投資家の批判は当たっている。情報が操作されては票が資金力で左右されてしまう。政治家とマスコミ
新型コロナがここにきて再びやや増加し始めたようだ。地方都市の一診療所の報告だからどこまで正確に全体像を伝えているか不明だが、今日複数の陽性者が出た。死亡率を下げて生き延びようとするウイルスの戦略は恐るべきもので、インフルエンザの向こうを張る存在になりつつある。嫌なものは早く忘れたいのが人間の心性ではあるが、厚労省はそうであってはならず科学的に粘り強く対応していただかねばならない。災害は忘れた頃にやってくるが、悪疫は忘れようとすると盛り返すから油断は禁物なのだ。新型コロナくすぶり続けている
今朝は本降りで風があり、なかなか辛い駅までの歩きだった。株式投資で大儲けするのは五十人に一人程度と言われている。ギャンブルはどうだろう。似たようなものと思われる。困ったことに?、この五十人に一人の人達があたかも二人に一人居るようにうまい話が喧伝されている。証券会社や株予想で仕事されている人は、素人が株投資すると損しますよとは言わない。儲かりますよと上がりそうな銘柄を紹介しても必ず小声で買う時は自己責任でと釘を刺している。政治家も似たようなもので、不都合なことは言わない。アべノミクスで大企業が儲かればおこぼれがあると聞いたが嘘だった。嘘だったと責めれば**が悪かったせいだと上手に責任を逃れる。まあ嘘と言えば聞こえが悪いが夢と言えば美しく響く。夢を売る仕事と言われてしまうと咎めにくくなる。夢とまでは言わず商売...五十人に一人
距離と時間は長く生きて居ると短くなる。自分を尺度にするから、短く感じるようになるわけだ。唯、距離は交通機関の発達もあるから科学技術の進歩も与っている。一年が短くなった一か月が短くなったと感じるわけだが、この頃は一時間が短くなったと感じる。一週間が早くなったとよく聞くが一時間が短くなったというのはあまり聞かない。しかし、自分はこの頃一時間が短くなったと感じる。そのうち一分が短くなったなどと言い出すかもしれない。短く早く感じる
愛飲するウイスキーがボトルにあと半分、まだ半分あるという人ともう半分しかないという人が居る。中にはちょうど半分だという散文家も居るだろう。還暦が人生の感慨深い通過点だったのは半世紀前のこと、今では赤いちゃんちゃんこを着る人は殆んどいないだろうが、六十になった時あと四分の一かと鬼が笑うようなことを思ったものだ。今ではあとどれくらいなどという、逆立ちしてもどのみち残り少ない年月を思いめぐらすことはなくなった。行けるところまでというのが、多くのご同輩の心境だと推察する。それにしてもバイデンとトランプは外れている。トランプと同い年の自分は顧問はできても社長院長大統領・・トップは難しいと断言できる。半分はどれだけ
寒い時に暖かい食べ物が美味しいように、暑い時には冷たいものが美味しい。何時からかき氷が庶民の御馳走になったか知らないが、慌てて食べると額がツーンとするかき氷では宇治金時が一番好きだ。同意される方も多かろう。これが許せんことにかなりお値段が張るのだ。子供の頃どころか成人してもしばらくは簡単には手が出なかった。せんじと言って分かる人はどれくらい居られるだろう。宇治金時に手が出ないころはもっぱらせんじを頼んでいた。ぜんざい、お汁粉は全国的に通じると思うが、大判焼きやせんじは全国版ではないのを故郷を出て初めて知った。暑い日には冷たいものが美味しい
痩せる方法は数えれば何百もあり、色々な人が本やユーチューブ動画で提案している。何百種類といっても基本的なところは似ており、数種類にまとめられる。ただ、独自性を出すためや商業的な思惑があって、少しづつ変えている変わっているだけだ。食事と運動が基本でそれに睡眠時間や仕事と自宅での生活習慣と体質が加わる。ではなぜ、それほど沢山の方法があるのに中々痩せられない人が多いかというと結局はきちんと実行できない人が多いからだ。肥満された患者さんに受診された時注意をすればできない言い訳があれこれ返ってくる。強く言えば反発する人嫌がられる人も多く、その塩梅は難しい。高脂血症や高血圧症でコレステロールの多い食品や塩辛い味付けを避けるように減らすように説明しても、中々守れない人も多い。幸い今はとても良い薬があるので、食事が厳格に...人間は思うようにできない
街中の蕎麦屋中華料理屋・・を選ぶ時は、味と値段そして雰囲気で決めてゆくわけだが、まず選び損ないというか失敗というのはないと思う。自分が気に入ればそれでよいわけで違ったということもあるかもしれないがそれは非常に稀だろう。ところが医者や歯医者選びでは時々間違いが起きる。というのは食べ物の美味しさと違い医者や歯医者の能力得意分野は素人には分かりにくいからだ。後期高齢者になって、年に二回歯の点検と歯の磨き方の指導を受けているが、もっと早く今の先生のところに来ればよかったと後悔している。そうすれば多分抜かないで済んだ歯が何本もあるのではと思う。店の選び方
今朝は比較的涼しい。季節感覚を失ってしまったように感じる、季節がはっきりしない日が時々紛れ込むようになった。今日の日付が答えられない認知症が忍び寄るお年寄りに今何月ですかとお聞きすることがある。それも答えられないと今の季節は春夏秋冬のいつですかと聞く。季節くらいは分かるだろうと思っても結構外す患者さんが居られる。挨拶など普通にできるのにと意外に感じるが、この頃は気温の上がり下がりが大きく陽気が不安定なので、間違えるのもしょうがない気もする。冷やし中華に柏餅と食べ物屋は供するもので季節を告げるが、医院では六月になってもインフルエンザBが出たりして、医者が目をこすって何度も結果を見つめている。今、何時だい
五、六年前に比べたらユーチューブを見るようになったので、少しはマスコミで話題になる人を識別できるようになった。人物と同じように時々見かけ聞きかじる知らない言葉の意味もある程度分かるようになった。知らない言葉は文脈から何となく意味が分かることもあるが、キーボードを叩いて意味を調べないと分からないことも多い。たとえばリスキリング、ディスルなど分かったような分からない言葉も解するようになった。勿論、こうした言葉は知らなくても生活できるが、世の中の流れ雰囲気を理解するには、知っておいた方が良さそうだ。しかしなぜカタカナ英語と言うか短縮語を使うのか、どこかに上滑りで済ましじっくり深く考えるのを避ける風潮があるようだ。その背景に情報過多があるのは間違いない。知らない人と知らない言葉
東京都知事選挙、蓮舫VS小池百合子の一騎打ちだったはずだが、予想通りの貶し合いというか悪口の言い合いで、それが飛び込み参戦の石丸氏に有利に働き三つ巴になりそうな気配だ。尤も石丸氏も人気が出ればどこからか否定的な情報が出てきて叩かれるだろう。ドレッシングというのはサラダの材料本来の味を引き出し引き立たせ美味しくするもののはずだが、東京都知事選では不味い苦い悪臭を放つドレッシングを掛ける連中が居て、肝心の政策の吟味が霞んでしまいそうだ。都民の方は怪しげなドレッシングを断固として断り、塩コショウ酢サラダオイルのシンプルで間違いのない自家製のドレッシングで政策と人物を確かめて投票していただきたい。これでは本来の味が分からなくなる
ユーチューブはそれこそ玉塵混淆で良質なものを見付けなければ時間の無駄になってしまう。積極的にユーチューブサーフィンをしているわけではないが、様々なチャンネルが目に飛び込んでくる。面白いもの有用なものを登録してきたが登録チャンネル数が三百近くになって限界と感じ、結局は見ないものは削除し始めている。ユーチューブを見て驚くことは、世の中にはどうしてと思う程自分の主張を発表せずにおれない人が多いことだ。まあ自分もブログを書いているので、お前もと言われそうだが人間には発信したい人が多いようだ、生存証明にもなっているらしい。多様性に寛容でありたいと思うので、さまざまな発言主張を見聞きしているが、中には強烈と言うか独善と言うか異論に攻撃的なチャンネルも結構ある。正直どうもそういうチャンネルは見ると嫌な気持ちになったり疲...ユーチューブ界隈
中華料理に粥がある。中華料理と言っても色々で一概に油を使ったこってりばかりではないが、それでも香辛料がきつかったりカロリーが多かったり胃腸に負担を掛けるものが多い。そこでそれを和らげるためにお粥が登場しているのだと思う。昔は少ない穀類で取り敢えず満腹を実現するための方策という意味もあったかもしれない。どうも外食が続くと体重が増えてしまうので、お粥というのも良い方法かなと思ったりしているが、中々実現はできていない。一番簡単な方法に一食抜くというものであるが、これは健康的にはあまりお勧めできない。自分が健康で居るのも仕事のひとつなので、どうするかと体重計を睨みながら考えている。粥の知恵
自民公明維新の政治資金改正法はザル法でザルに申し訳ない、ザルの方がもっと物を掬えますからと玉木代表も言っている。維新の代表の弁明を聞いていると十年後の領収書公表に黒塗りもあるなどと言い出し、馬脚が露呈した。余程隠したい使い道があるのだなと疑惑が深まるばかりだ。大体十年後では、黒塗りでなくとも意味はない。知恵を絞って抜け道を探る、それは悪知恵。誰のための政治?
地理と歴史を小学校から学んできた。地理は大得意、歴史はまあまあだった。要するに好きこそものの上手なれというわけで、地図帳を飽きず眺めている子供だった。勉強に何故するのかという理由など不要と思うが、今頃になって地理と歴史は世界を理解するために必須の道具となる知識だったのだと気付いた。ユーチューブで中国食品料理市場観察に嵌まっている。当たり前かも知れないが、昔親しんだ三国志西遊記水滸伝の中国は共産国となっても消えたわけではなく、実際様々な形で残っているようだ。三千年の歴史に高々七十年の薄皮を被せただけだから、それは当然かもしれない。しかしまあ、アメリカなど影も形もない三国志の時代にあんなに広い国をあちこち移動し統一しようとしていたのだから白髪三千丈の国なのだ。今頃気付いたこと
中国にラーメンはなく、日本の発明のように聞いていたが、ユーチューブを見ているとどうもラーメンはあるようだ。出汁の中に麺を浮かせたあるいは麺に出汁を掛け、色々な具を乗せた料理は中国各地にある。中で蘭州の物が有名なようで、日本でも蘭州ラーメンとして提供している店がある。どうしてラーメンが日本人の発明のような情報が飛び交っていたのだろう、中国食市場の情報が入って来なかった、あるいはまったく同じものがないためにそうした解釈が流れたのかもしれない。得意の改善工夫で日本人の口に合うように変化させたのは確かかもしれないが、どうもラーメンの源流は中国にあるようだ。どうしてこうゆう浅い情報が、出回ったのかわからないが、きっと似たようなことがあちこちで起きている。ラーメンはある