同信の兄弟姉妹が イエスの名において 複数人で集うならば、 そこは立派な教会です。 親子、夫婦、恋人同士、 友人同士、職場の同僚も 例外ではありません。 キ…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
山は黙示文学的表現法では 信仰を阻害する諸要因の形容だ。 からし種は日本語なら 「豆」に相当する イスラエルで最も小さいものを 表す言葉だ。 もし私たちに豆…
私たちの手に負えない事は 神がしてくださいます。 しかし、手に負える事かどうかは やってみないと分かりません。 いずれにせよ、 手に負える事案であれば 出来…
真の力は神のみことばから。 荒んだ時代には 暮らし向きへの不安の所為なのか 目先の利益に翻弄されがち。 私たちには 先の見通しがつかなくても 時の流れも創造…
私たちは、 とかく他人と比較して 自分で自分を評価しようとします。 ですが、聖書は他人と比べず 神がどう評価されるかを 基準にするように教えています。 善を…
キリスト者として貧窮者を 助ける事は大切な働きの一つです。 ですが、ここにも 大切な心の在り方が求められます。 それは、神(みことば)への 愛ゆえに神の似姿…
主の祈りを唱えているだろうか? 祈祷文の出だしの部分に 「みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ。」とある。 天、つまり神の国は みこころが100%…
みことばが 受肉して来られた方が 私たちキリスト者がお仕えしている 主イエスなのであるが、 受肉されたがゆえに、 人としての弱さもお持ちであった。 神であり…
光は福音であり 闇はその光に抗う この世の価値観。 今も昔も変わらないのが 自らの道徳的問題を 知的問題に転嫁して 隠蔽しようとする姿勢だ。 今もそうではな…
福音を思い起こし、 それを反芻して 真理を生きる事が 今まで以上に求められる時代に 私たちは生きています。 信仰を賜わったキリスト者は 心の中に聖霊がお住ま…
自分では努力もせず、 神に丸投げする者がいる。 そういう者は 神から賜っているタレントにも 無頓着である事が多い。 信仰とは、 神から既に賜っていると確信…
神はモーセを通して イスラエルに与えた 石板に刻まれた律法でなく、 新たな律法である福音を 私たちの心に刻んでくださいました。 信仰を賜わったキリスト者の心…
これまで多くの方々との 出会いがありました。 生きる望みを失っていた方。 深い悩みに苦しんでおられた方。 何を目指すべきか悩む青年。 親との関係に悩む学生。…
信仰を賜わったキリスト者が 教会に集う同信の兄弟姉妹と どのように交わるべきかを パウロは簡潔に コロサイ書3章12-13節に まとめてくれている。 このパ…
私たちキリスト者は 救いの器として 神に用いられている事を 忘れてはいけません。 神が私たちを救われたのは、 私たちを通して また別も者たちを救うためです。…
塩には様々な効能がありますね。 塩は味付けの基本ですし、 保存効果に殺菌効果まで、 塩は多目的に使える 万能調味料です。 さて、イエス様は 私たちキリスト者…
神の独り子イエスでさえ 郷里では奇跡を行えなかった。 イエスに力がないのではない。 イエスの力を否定する力が 郷里の者たちに強かったのだ。 不信は神の力を…
今では夜でも 街灯が煌々と街中を照らして 夜も昼のように 明るく過ごすことが出来ますが、 古代社会では夜は真っ暗闇。 夜間に砂漠を移動する行商人は 遠くの山…
イエスの恵み、 みことばの恵みが 私たちの霊と共にあって 生活の全てがみことばを 礎として営まれる事こそ キリスト者の喜びです。 そのような生活を送れるよう…
形あるものであれ、 時のあがれであれ、 それを始められた方の 存在がなければ スタートしません。 その始められた方こそ 神なのです。 人も、また、神の被造物…
イスラエルには ガリラヤ湖と死海という 大きな湖があります。 前者はペテロ、アンデレ、 ヨハネ、ヤコブが イエスに弟子として召し出されるまで そこで漁師とし…
委ね切ることが大切。 自分で抱え込んだって 解決できない。 委ねてみませんか。 あなたがたの思い煩いを、 いっさい神にゆだねなさい。 神があなたがたの…
約2000年前に イスラエルで政治犯として 十字架で処刑された 自称ユダヤの王ナザレのイエスが 救い主(メシア:キリスト)だと 信じる事は 愚かしく思えるの…
モーセは律法を与えて 罪とは何かを知らせると共に その罪を行いでもっては 償えない事を悟らせる役割の 神の器でした。 律法によって罪が確定しましたが、 その…
父と子と聖霊という 三つの位格を神はお持ちですが、 一つの神です。 顕れる神の性質により 三つ位格でお呼びしているだけです。 なにぶん神についての事なだけに…
アダムの背信によって 罪と死が人の世に入り込んで 神との関係が断絶したように、 イエスの贖いによって 罪の赦しと永遠のいのちという 神の祝福が与えられたと …
私たちキリスト者が 慕い求めるべきものは 本来、みことばであるべきです。 ですが実際は恵みばかりを 求めてしまっているのでは ないでしょうか? 恵みもみこと…
信仰生活を送る中で 辛い事もたくさん経験します。 いや、どちらかと言えば そちらの方が 多いかもしれません。 しかし、完全に 打ち負かされることはありません…
ローマ書4章20-21節を読んでいて ふと気付いた事があります。 それは、アブラハムは 神に約束されたことを 堅く信じたということです。 往々にして私たちは…
光は真理のみことば。 真理のみことばを生きる 私たちキリスト者は 罪の赦しを得て 互いに仕え合います。 なぜなら自らの弱さ(罪)を 悟った者こそキリスト者だ…
サタンの支配から解放され 自由を得たキリスト者は 勝利者です。 勝利が先に確定しているので 私たちは希望をもって 前進し続けることが出来るのです。 …
虐げられた時、 苦しみの渦中に置かれた時、 そこに主も共にいてくださいます。 そのことを信じられる人は 幸いです。 その信仰を主は裏切られません。 必ずあな…
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同信の兄弟姉妹が イエスの名において 複数人で集うならば、 そこは立派な教会です。 親子、夫婦、恋人同士、 友人同士、職場の同僚も 例外ではありません。 キ…
詩篇119篇133節にある聖句を 心に刻み込んで生きれば 堅実な人生を送れそうです。 そうなれるように、 先ずのこの聖句をあなたの祈りに 取り入れてみては如…
実際のところキリスト者ですら 神を侮っているのではないか? 困った時だけ神を頼って 願いかかなえば儲けものぐらいに 思っているのではないか? おそらくこう聞…
神を信頼して委ねる事が 何か自分に対する 敗北であるかのように 考える人がいるが、 そういう人に限って 頼る価値もないようなものに 心を寄せていたりする。 …
イエスは言い切った。 キリスト者も この世で生きている限り 必ず患難に遭遇すると。 しかし、それを恐れるなと イエスは言われたのだ。 理由は、イエスが この…
キリスト者とは イエスが旧約聖書で預言された メシア(キリスト:救い主) であるとの証人です。 真実な証人と偽りの証人の差は まやかしを言うかどうかで 決ま…
神は望まれることを ことごとく行われます。 つまり御心を行なわれるのです。 その御心は 聖書に啓示されています。 ですから聖書を朗読して 神の御心を理解して…
信頼関係が破綻していると 可能な事も不可能になります。 神の力が及ぶためには 私たちは信じて頼る事が 必要なのです。 当然のことですが この当然なことが出来…
キリスト者は 神の御心の啓示された 聖書のみことばを生きる 福音行者です。 ですが、この世で生きている以上 少なからず世の影響を受けます。 みことばに沿わな…
自分から言いふらす必要は ないとは思いますが、 自分がキリスト者であることを 積極的に隠そうとする人が 思いのほか多いように思います。 どうやら自分が キリ…
世の中が荒んでくると キリスト者も世の影響を受けて そのライフスタイルが 乱れてくるものです。 毎日の生活が 霊的戦いの連続でもあることも 忘れてはなりませ…
自分だけ良ければいい。 自分だけ幸せであればいい。 そんな自分だけ〇〇の考え方を 俗に「自己中」と言ってますが、 この自己中こそが 罪の温床であったことに …
情報過多の時代に 私たちは生きています。 依って立つべき主義主張も 凄まじい速さで変わっていく、 そんな時代に私たちは 生きています。 その所為なのか、 私…
イエスは隣人のために 命を捨てるのに勝る愛はないと 語られたが、我々、日本人には 当然のように感じる向きがある。 先の大戦で英米をはじめとする 連合軍側が恐…
毎日の生活もままならない 厳しい時代に私たちは 生きています。 国も国民の生活を守れず、 自分で面倒見るようにと しゃあしゃあという時代です。 給料は上…
私たちの罪を背負って 私たちに代わって 贖罪のいけにえとなって 十字架で死んでくださった イエスこそ 私たちキリスト者の主です。 主イエスによって この世に…
結局のところ 心に何を満たしているかで 人の生き方は変わってしまう。 真理のみことばを心に宿せば みことばを生きることになるので その行いはきよくて当然。 …
パウロは互いに 労わり合うように勧め、 最後に愛を着けなさいと 締め括っている。 労わり合ったり、 励まし合ったり、 赦し合ったりする事は 一度や二度なら出…
厳しい時代です。 本当に主は助けてくださるのか? そんな疑念が心をよぎります。 それはあなただけではありません。 聖書に登場する信仰の偉人たちも 同じような…
主を恐れる事が知恵の初めと 聖書に度々登場する。 恐れるという言葉に ひっかかる人が多いように思う。 この恐れは畏敬の念で接する事を 言おうとしているのだ。…
私たちキリスト者がお仕えしている神は みことばであります。 みことばなる神は天地を創造され、 私たちをも造られた方であります。 この創造主なる神の御心は 聖…
自分の生活を通して 神に栄光を帰するというところに 関心の焦点が合っているならば 相手の状態に応じて 接し方を変えることが 出来るようになります。 人は、偉…
みことばが受肉された方が 我らが主イエスです。 ですからイエスとつながるとは みことばとつながる事です。 キリスト者である私たちは みことばとつながる、 つ…
最も大切にしている 人や物や事などを中心に 私たちは考えて行動します。 大切にしている宝こそ 私たちの心の在処です。 キリスト者の宝はみことばのはず。 です…
牧会者は当然ではありますが、 キリスト者は神の栄光を顕す 器として用いられているわけですから 自分が栄華を究めようだとか そんな世俗的な欲望に 不必要に関心…
社会的ステータス、年齢、性別、 そんなものに左右されずに 主にあって兄弟姉妹として 嬉しいときは共に喜び、 悲しいときは共に涙を流せる、 そんな関係が教会で…
「話の主導権を取れ!」 「ひるまずに自己主張を続けろ!」 ビジネスの世界では妥協せずに とにかく我を通すことが必要だとの 教えが支配的になってきています。 …
イエスがこの世に遣わされたのは 神との関係を断絶させるためでなく イエスを通して神との関係を 回復せしめて救うためであると ヨハネの福音書3章17節にある。…
この荒れ果てた時代にあって キリスト者としてまともに生きたければ みことばを生きる事に徹することです。 それしかありません。 世の影響を受けて 即効性を求め…
神から信仰を賜わり 罪の赦しを得て キリスト者となった私たちは それ以前の自己中心的な生き方から 利他的な生き方へとシフトするのが 理想ではあります。 しか…
私たち人間は生まれ育った環境から 様々な影響を受けて人格を形成します。 その中には、大切なものもあれば、 かえってよからぬ影響を与えるものも 含まれています…
聖書の最初の書き出しである 創世記1章1節を読んで 信仰を持ったという方に これまで何回もあったことがある。 神というと漠然としているが、 聖書が説く神が創…
信仰の表し方には 差があって当然です。 しかし、ベースとなる信仰は キリスト者であれば同じはずです。 ここを押さえていないキリスト者が 意外と多いのに驚かず…
概念的なものではなく いよいよ皮膚感覚として サタンの干渉があらゆる局面で 見え隠れする時代となりました。 これまで以上に霊的な武装が 必要となっています。…
みことばを生きることで 不利益を被ることもあります。 聖書の教えに従ったがゆえに 自分だけが分け前に与れなかったり 宣教を一生懸命支えたものの 一方通行のよ…
心が打ち砕かれるのは 決して悪い事ではありません。 もちろん辛くはあります。 しかし、その経験がなければ 私たちは自分の力を過信して 神に頼ろうなどとは 決…
信仰が原因となって 露骨に迫害を受けるという事は 現代の日本ではありません。 しかし、ところ変われば 露骨に迫害が続いている国は 今も沢山あります。 信仰の…
イエス様がお持ちであった平安を 私たちにも与えてくださると イエス様は約束されました。 イエス様の約束は 必ず果たされます。 ですからキリスト者である 私も…
皆さんも毎日の生活の中で 感じたことがあるかと思いますが、 喜んでいる時は、 続けて喜ばしい事が 起こるものです。 人は自分の状態と 同じ波長の人や社会に …
私たち人間の限られた知能で 神の御業を完全に知ることは 不可能でしょう。 神の存在や神の御業の有無を ああでもない、こうでもないと 悩む時間は勿体ないです。…