塩井を朝に出発し、その後快調に飛ばしていたランドクルーザーが不意に停まったのは、延々と続いた荒野が果て、やがて左右にぽつりぽつりと人家が現れ始めた、昼過ぎの事である。 休憩か、僕は思ったが、それにしても中途半端な場所である。と、運転手が僕の方を振り向き
筆者は翌日その病院を訪れ、解剖を行ったという医者を探し出す。 彼は医者に尋ねる、死因は何だったのか、と。 医者は明快に答える、縊死だ。 やっぱり、筆者は勢い込む、そして医者に向かって自らの疑念を打ち明ける。医者は頷き、それでは明日共に警察署に訴えに行
パキスタンの静かな夜、その日も夜には風はやみ、僕はテラスに座りぼんやりと遠くを眺めていた。 なすべき事もなく話すべき相手もおらず考えるべき事もない、そんないつもの通りの時間、夜を眺めていた僕はふと気付いた。 山中にともる灯りに。僕はそちらに注意を移し、
僕はその木陰に座り続けていた。 日差しは厳しいが空気は冷たい。六月、峠、路上、僕は僕を乗せてくれる車を待ち続けていた。長い峠越えの途上に僕は居た。そこには一切の公共交通手段はなく、舗装道路も大きな街もなかった。基本的に人が行き来をしない場所なのだ。 そ
その日もキガリは雨だった。 窓のない部屋の扉を開け、廊下の窓から雨に煙る街を確認した僕は、ホッと胸を撫で下ろし扉を閉じた。今日も僕はそこに行かなくても良い、何故なら雨なのだから。僕はまたベッドに横になり、そして遠くから微かに響く雨の音を何とか聞き取ろう
その春、僕はカンボジアにいた。 その頃のカンボジアは、まだ内戦の途中にあった。幸いポルポトは既に首都を追われ、山間部に逃げ込んでいたが、しかし王族の一人と首相との間で権力争いが発生し、そしてまた内戦状態に舞い戻っていたのだ。 それでも僕はカンボジアに
チベットの荒野の中、どんどん太陽が低くなって行く。僕はその日の移動を諦めた。小さな宿の小さな部屋を見つけて荷物を置く。体はひどく疲れている。 一旦はこのまま寝ようとも思ったが、しかし蜘蛛の巣の張るベッドを眺めている内に、ようやく夕食をまだとっていない事
初めてのインドだった。 デリーの安宿に僕は居た。そこは本当にひどい安宿だった。7月の暑い盛りだというのに、部屋には冷房は愚か窓すらない。ただ天井でギシギシ音を立て続けながら回る扇風機だけが、涼のよりどころである。飛行機の延着のせいで夜中に街に着き、その
彼女とは南アジアの小さな国で出会った。 その時はただ顔馴染みという関係になっただけだったが、そこから中央・西アジアを抜けてきた僕と、ロシアを抜けてきた彼女とが、トルコでばったり再会した時に、僕達の仲は一気に親密になった。 こんな簡単な話はない。一人に飽
僕はバスから降り立ち、そして周囲を見回した。そこはT字の周囲に数軒の家屋があるだけの小さな街だった。しかしそこには露天が並び、人々が行き交い、牛馬が糞を落として行く。向かいの店にはコーラがある、ジーンズがある。遠くでは道の上に置かれたビリヤード台を若者
その春僕は仏陀の生まれた村に居た。 そこでは仏陀生誕の地と言われる場所の周りに幾つかの寺が建設されている途中であり、おそらくこれから仏陀に関する様々な事を観光資源として開発して行くのだろう事が容易に予想できたのだけれども、とにかく当時はひどく小さく静か
素っ裸の中年女性の女陰からピンポン玉が出てきて、コーラが出てきて、挙句の果てに万国旗が出てきた瞬間、何でもありだ、僕は思った。ここは何でもありな場所。ここから先は、何もかもが許される場所。自由な、限りなく自由な場所。 バンコクの夜、僕は裏通りにある小さ
その日僕は生まれて初めて、高山病に倒れた。バスに揺られている時から微かな頭痛を感じてはいた。そしてそれは、ようやくバスが目的地に到着し、駐車場の目の前にある宿にチェックインした所で、耐えられないほどの強さになった。僕はベッドの上に倒れこんだ。締め付け
その老人に出会ったのは、チベット自治区にほど近い、雲南省の田舎街での事だ。 そこは松茸の産地として有名な街だった多くの人々が、その市に松茸を求めにきていた。僕もまた毎日市場に行き、松茸と網を買い込んで、宿の中庭で連日松茸バーベキューとしゃれ込んでいた
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